2006 シンタロー誕生日記念

 

 

朝起きて、ダイニングに行くとグンマとキンタローが真っ先に“おめでとう”を言ってくれた。仕事が終わったら真っ直ぐ帰ると何度も言って、そして二人は出掛けていった。

バースデー休暇なんてものを誰が団規に定めたのか。

自分ではないからマジックかも知れないし、見たことのない祖父かも知れない。なんにしても今年ほどこのぽっかり空いた時間を恨めしく思ったことはなかった。貧しくもないのに貧乏性のシンタローは、体を動かしていないと落ち着かない性質であり、休日の過ごし方が下手なのは自分でも嫌と言うほど理解していた。

だから起きてきたところですることなどないし、ガッカリするのは嫌だったから本当は自室に籠もっていたかったのだ。

けれど一縷の望みをかけて、そーっとリビングを覗いたけれど案の定そこは無人で、話し声の聞こえたダイニングにもグンマとキンタローの二人がいるだけだった。

時間が合いにくい夕食と違い、朝食は全員が揃う大切なコミュニケーションの場だ。家族としてともに暮らす以上、最低限のルールとして集うことを決めている。口にした訳ではないが、誰もがそう感じている。だからこそこの家の朝食は賑やかで、その団欒の中心には人一倍喋るマジックの存在が不可欠だった。

なのに、いない。

出掛けるとは聞いていないし、どうしても外せない仕事以外に彼が自分の誕生日に離れていることなどなかったのだからその不在は意図的なものであると判断するしかなかった。

 

一日、静かに過ごしたい。

アンタがいないのが、いい。

 

言ったのは確かに自分だ。この口が綴ってしまった。意味も後先も考えず、いつもの調子で鬱陶しいと。放っておけと。そう言うつもりでいった言葉。本心なんかじゃなかったのに。

後悔はあとからするから後悔で、既に一晩、嫌と言うほど味わった落ち込みに気分が悪くなってきた。

なにをする気力も起きず、といって部屋に戻ることも出来ず。仕方なく所在なく、シンタローはリビングのソファに腰を下ろした。白々しい朝の光が目に染みる。完全に寝不足だった。

 

 「べ、別に祝って欲しいとか、そんなんじゃないんだ」

なんとなく口をついて出た言葉。

寂しくて、独り言を言ってしまうガンマ団総帥。我ながら寒い!と拳を固めるがその力もすぐに抜ける。

 「うるさいのは確かなんだ。しつこいのもそうだし、変態なのもそうだし。物事の八割はアイツが悪いと相場が決まってるんだ。俺は悪くない。…悪くないのが八割だ。うん」

あとの二割は改善の余地があると、認めてやらないこともない。

やらなくはないけどでもだからといって認めた訳ではなくつまりは世間一般の常識から言って真っ当なオレサマが悪いなどと言うことが有り得ないので謝るのは筋違いと言うものだけどそれでも人間として出来ているから考えてやらなくもないということでつまり。

ワンブレスで繋いだ言葉。

うん、俺ってばボキャブラリーも豊富。やっぱり天才。カッコイイ。

ぱちぱち、と手を叩いて、それから盛大な溜息をひとつ。虚しい。ひとり遊びは性に合わないのだ。

座っていた姿勢からズルズル滑って寝転がる。天井は見慣れた模様を描いているけど、よそよそしく感じるのは何故だろう。ここはうちなのに。自分の生まれ育った家なのに。我が家なのに。

血の繋がりがないことを気に病むには、周囲の人間がアッケラカンとしすぎていた。本当は各思うところはあるだろう。けれどそれがシンタローに伝わるような言動を取るものはなく、誰もが当然という顔で受け入れた。いや、変わらなかったというのが正しいだろう。

シンタローはマジックの息子であり、グンマとコタローの兄弟であり、キンタローの従兄弟だ。本当は人間ですらなかった命を、家族として認めてくれた。守ってくれた。包んでくれた。

ここにいたい。一緒にいたい。応えたい。

だからこそシンタローはそれを引け目に感じることを自分自身によしとはしなかったのだ。本当の家族であろうとしてくれる彼等に対し、それほどの非礼はないと思ったからだった。

以来、この家では相変わらず“自信家のシンちゃん”、“いばりんぼのシンちゃん”は健在で、なにを言ってもしても許される状況を自然のこととして通してきた。これからもそれは変わらないと思う。

それなのに。

一言拒絶されたくらいで諦めるとは何事だ。

全てにおいてオレサマ気質のシンタローは、夕べから何度も巡る思考をまた頭の中心に据え文句を並べ立ててみる。

しつこいくせにたまに妙に引き際がよくて、こっちの罪悪感を煽るだけ煽ってけれど実際は大して気にしていた訳じゃなく、仕方なしに折れてやれば調子に乗って擦り寄ってくるくせに。

うざいんだよ。ウザ!ほんとウザ!アイツってばマジでウザ過ぎ。耳伸ばしてピョンピョン跳ねさせて“ウザぎ”とか新種の動物にしてやりたいほどムカツク。ってゆーかいまのは自分の思考にもムカついた。なにを考えているんだ俺。ウザぎって、そんなの有り得ねぇ。つかいたら怖い。体長二メートル級の小動物。こわっ!それ本気でコワッ!

 「……………もしかしなくても、いまの俺ってば、バカ?」

天井はなにも応えない。当たり前だ、平面の、白く塗り付けられた天井が『そんなことないヨ、シンタローくん』などと言いだした日にはホラー嫌いのシンタローなど一目散に逃げ出して、すぐさま新居を構えてしまう。

じゃなくて。

そうじゃなくて、俺!

ソファーの上を転がり、器用に俯せになってみる。足をゆらゆら揺らしながら、もう一度落ち着いて考える。

誕生日になにが欲しいか、それは聞かれても困るものだと生まれてこの方毎年欠かさず言ってきたことだ。うんと小さな頃から父の与えてくれるものを疑いなく受け取ってきたし、それらはいつだって自分を満足させるに足る品々だった。けれどそれはあくまで“物”として言っているだけのことで、本当は父そのものさえいればあとはなにもいらなかった。ほかを与えられることに引き替えられてしまうことの方が嫌だった。

いらないのだ、なにも。

それでもどうしてもなにかを贈りたいというなら自分で考えればいい。相応しいと思うものを持ってくればいい。照れ隠しに文句は言うが、それなら必ず受け取れる。有り難いと、幸せだと感じられる。それなのに。

酒なら、酌み交わすことが出来る。

だからそれでよかった。しつこいから、今年はそれで手を打つつもりだった。傍にいたいという願いを叶えるアイテムなのだ、シンタローにとって酒は悪いプレゼントなどでは決してない。

なのにしつこくて。早合点して。嘘でしかない言葉に引っ掛かって、傷付いて、離れて。

何年一緒にいると思ってるんだ。こんな自分を作ったのは、一体誰だと思ってるんだ。一秒、一分、一ヶ月、一年十年と時を重ね、こんな人間に作り上げたのは彼ではないか。不器用で意地っ張りで、往生際の悪い男に仕立て上げたのは自分じゃないか。それを今更、こちらの所為だと言わんばかりの拒絶を…そうだ、これは拒絶だ。拒まれている以外の何ものでもない。理不尽だ。

こんな勝手が許されるなら、いっそ殴り込んでやってもいいかも知れない。

 

 「…そうだよ、なんで俺ばっかこんな目に遭ってなきゃいけねぇんだ」

 

はたと気付き目を見開く。

そうだ、文句を言えばいいのだ。祝う祝うと言っておいて、誕生日になった瞬間の“おめでとうシンちゃん大好きだよ愛してる私の宝物マイスゥイート・ダーリン悪戯子猫ちゃん”が今年はなかった。ウザいけど。ムカつくけど。聞いてて痒くなるけどでも毎年恒例のそれを聞いてないから誕生日を迎えた実感がない。嬉しくない。楽しくない。釈然としない。

愛されて、ない。

 

思い立ったらとにかく腹が立って、ソファから身を起こすと転げるようにリビングを出た。ドタバタと怒りに満ちた足音を立て、マジックの部屋の前まで駆け付けた。

息を荒げるほどではないが、興奮しているため鼻息は荒い。幸せで満ち足りた一日になるはずの今日を、最低最悪の気分にさせた報いは受けてもらうぞ。意気込みは堅く握る拳も闘志に満ちている。

チクショウ目にもの見せてやるぜ。

思わず悪人面になりかけながら、シンタローは突き出した拳でドアを叩いた。本当はそのまま突き破ってやりたいが、彼だってキンタローなどには負けない紳士なのだ。一応の礼儀くらいは持ち合わせている。

 

ドン。

ドンドン。

ドンドンドン。

ドンッ!

 

 「てめぇ、居留守使うつもりかっ」

悔し紛れにそれから連続二十回、力の限りノックしてやったドアはそれでも開くことがなく、静まりかえった廊下に立つシンタローは漸く事態を飲み込んだ。

 「いない…のか?」

真鍮のノブを掴んで回してみると、それは抵抗なくかちゃりと軽い音を立て回る。鍵がかけられていることもあるこの扉があっさり開くのは主が不在の時が殆どで、いま、それが成されるということは即ちマジックの外出を告げているのと同意で…

 

室内に、彼の求める人の姿はなくただ静まりかえった室内はやたらと綺麗に片付いていた。元より散らかったところを見たことのない部屋だが、その寒々しさは長いこと使われていないかのような錯覚を抱かせるほどでゾッとする。

もしかしたら、夕べからいないのかも知れない。

整った室内を見回し、隣の寝室を覗きそう結論付けた。きちんとメイクされたベッドは昨夜使われた形跡はなく、部屋着も、きちんと折り畳まれナイトテーブルの上に置かれたままになっていた。

ぽつんと立ち尽くし、シンタローは考える。

突然一人きりにされた自分というものを理解するのに数瞬を要した。

 「ほんとに、いない、のか」

いなくなれと言った。

確かに、言った。

けれど。

でも。

 

 

枕元に座らされた、自分を模したぬいぐるみが笑っている。

窓の外では小鳥のさえずる声が響いていた。

 

 

 

 

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