きのう、みた、ゆめ

 

 

 

 


 「夜食ですよ〜」

まただ。

 「甘いものは脳を活性化させるんだよ。と言う訳で甘みとサッパリ感を追求した、パパ特製の杏仁豆腐、お待たせしましたぁ〜」

満面の笑顔がむかつく。

ヒラヒラのエプロンがむかつく。

杏仁豆腐が菱形じゃなく、星とかハートとかの形をしているのがむかつく。

ガラスの器を載せた飾り皿に、わざわざレースみたいな紙ナプキンが敷いてあるのもむかつくし、銀のスプーンは毒物に反応するから、毒見代わりになるんだよというプチトリビアもむかつく。

金髪がむかつく。

蒼い目もむかつく。

マジックがむかつく。

むか。

むかむかむか。

 「シーンちゃん、休憩しよう」

 

むかむかむかむかむかむかむかむかむか…ぷちっ。

 

 「てっめぇは!そうやって三十分おきに邪魔しやがって!」

 「邪魔してないよ。受験を明日に控えた息子を思うパパの心遣いだよ!」

 「ぬっわぁ〜にが心遣いだ!この前はそんなことしなかっただろっ」

 「えー、だから今回反省してサービスしてるんじゃないか」

 「どの口が言うんだ、えっ、どの口がそんな嘘を言うんだ!これかっこの無駄口ばかり叩く口が悪いのかっ」

 「いひゃいよ、ひんひゃん」

むぎぎぎ、と唇の端を摘み上げてやったのに、ものすごく嬉しそうなのがまたむかつく。

叱られているなどとは毛頭思いもしない。シンタローに構ってもらえたと純粋に喜んでいるのだから始末に終えないが、今夜はここで負けるわけにはいかないのだ。

 「あと一時間もしたら俺も寝るんだから、頼むからあんたももう寝てくれっ」

 「パパ」

 「寝てくれ、マジック」

 「パ、パ」

 「くっ、」

 「パ、パ」

脳内の天秤に、恥と現状を載せてみる。

常ならば迷うことなく現状に重きを置くシンタローだが、今日ばかりはそうも言っていられない。煮ても焼いても食えないプライドはカラリと揚げて食べてやる!が信条だけれど、捨てどころを誤る訳にもいかず深呼吸を三回と、心の中で呪いの言葉を吐きかけてからゆっくりと唇を開く。

 「俺は、ちゃんと、勉強したいんだ。それから、しっかり、睡眠も取りたいんだ。だから、寝てくれ。頼むから。寝ろ。ぱ、」

 「ぱ?」

 「ぱ」

 「ぱぁ〜?」

右手を右耳にあてたマジックが体をシンタローに向けて倒す。

 「ぱー、なに?」

 「ぱ……………………………ぱ」

 「えー、なによくわかんなーい」

 「てめぇ…」

時計は深夜を過ぎたばかり。

“受験対策、都立編”と印字されたプリントは、教師によれば三回繰り返せば完璧なのだそうだ。一時には就寝したいシンタローは、二度目の半分に辿り着こうというところで躓いていて、このままでは二時になっても終わらない気がする。

いや気だけではない。確実にそうなるだろう。

 「寝ろ。頼む。――――パパ」

 「きゃ――――――――――――――っ!」

汽笛かと思うような奇声を発し、マジックがシンタローを抱き上げる。

 「うわぁうわぁ、すごいよ、シンタローが私のことパパって呼んだよ、初めてだよ、受験ってすごいよっ」

 「おっ、おろせ!」

 「ああー、受験。素晴らしいよ受験。こうなったらシンちゃん、一生受験しなさい。毎日だって受験してっ」

 「あ、あほ、かっ、わっ、こらっ、おろっせっ」

抱き上げたままクルクルと回りだす。マジックが暴れたところで被害が出るような狭い部屋ではないけれど、それでも机上には大切なプリントや教科書、筆記類などがあるし、なにより杏仁豆腐をこぼされればその下に掛けた受験票入りの鞄が被害に遭う。

あれもそれもこれも、本当は全部分かっていてやっているんじゃないかと思い、忌々しく唇を噛みたいところだが口を開けばその前に舌を噛んでしまいそうだ。

バカみたいにはしゃいで、抱えたシンタローをぎゅうぎゅうと抱き締めながらまんまと寝室の方に進んでいく。その間も回るから、シンタローは本気で目が回りだした。

ぽん、とベッドの上に降ろされる。

体格差を恨んだところで今更どうにもならないが、度々こうしてあしらわれるのは納得できるはずもなく、クラクラしたままそれでもマジックを睨み付けるとまたその仕草に射抜かれたとでも言うように大袈裟な溜め息を吐くとすかさず両腕の中に抱き込んでくる。

 「ああ〜、シンちゃんはなんでこんなに可愛いんだろう」

 「あんた、は、なんでこんな、に、バカなんだろう、なっ」

 「うわぁ〜目が回ってるシンちゃんもキュート!」

顔中に唇が当てられる。

恥ずかしくて、けれど喜んでいる彼を見て嬉しいと思うのも事実で、そんな自分に赤くなったり青くなったりするのもそろそろ慣れてはきたのだが、それにしたって日本中の親子にアンケートをとったところでこんな関係にある父子は自分たちだけだろうと断言できる。情けない話だが。

マジックは、シンタローの年を知ってはいても理解はしていないと思われる。十五歳というその微妙な年齢と付き合う現代日本の“親父”というものは、まず受験生だからと言って夜食を作ったりはしないだろうし、第一こんな風にベタベタ触れたりしないだろう。

スキンシップは、まあ、構わない。

これまで誰かと馴れ合うことは勿論、親しみを籠めて触れられた記憶も殆どないシンタローにとって、誰かと指先が重なったり、親愛の情で抱き締められたりするのはとても気持ちのいいものだった。特にマジックは自分より圧倒的に大きな体で、包むように抱えてくれるからひどく安心できるし、“大好き”と繰り返す言葉も素直に信じられる。

だから、それ自体はいいのだ。誰も見ていなければ。

けれど言えばまた大袈裟に感動し、今度は徹底的にむぎゅむぎゅと抱き締められた上に、へとへとになるまで遊ばれるから困るのだ。そういうことは、時と場合を選んで欲しい。

それも、言わないけれど。

 「どうしよう、今日もまたさらに、昨日より確実にシンちゃんが好きになっちゃったよ」

 「そーですか」

 「この幸せな気分のまま眠ったら、さぞいい夢が見られるだろうなぁ。」

 「じゃあそうしろ。オヤスミ」

 「ダメダメ。ここで、シンちゃんと一緒に寝るからご利益があるんだよ」

 「俺は神社じゃねぇ」

 「シンちゃんを祀ってある神社なら、私は迷わず神道に進む」

そんなことを、真剣な目を輝かせて断言されたくない。

離す気がないのは十分に分かったので、半分諦めつつ特大の溜め息を吐いてやった。

 「なんで明日が受験当日だってのに、俺はこんな目に遭ってるんだ」

 「受けなくていいのに、なにがなんでもって意地を張るシンちゃんが悪いんだよ」

 「第一志望を受けないでどうするってんだ」

 「違うよ、第五万志望くらいだよ。シンタローが素直にうんって言ってくれないから、制服の注文だって出来ないんだからね?少しは反省して」

 「あのな、…いや、も、いい」

ぐてっ、と力を抜くと、待ってましたとばかり抱き締めた体をさっさと布団の中に引きずり込む。

 「わーい、シンちゃんとラブラブおやすみなさい〜」

 「うざっ、語呂悪るっ」

 「なんとでも言って〜。あ、目覚まし止めちゃっていい?」

 「いい訳あるかっ」

 「しつこいなぁ、諦めたんじゃないの?」

 「そう易々と、自分の人生棒に振ってたまるか」

 「そんなこと言って、将来なにになりたいか具体的な希望は固まってないじゃない。高校はね、専門的な希望が明確にない限り取り敢えずちゃんとした大学に進むために選んでおけばいいんだよ」

 「どこでそんな教育パパの知識を仕入れて来るんだか」

 「っ、シ、シン、ちゃ、」

 

しまった。

と、思っても、後の祭り。

 

 「シンちゃんがっ!またパパって言った―――――――――っ!」

 「うるせえ!離せバカ!」

 「いやだねっ!」

 「イヤダね、って、おまっ、」

がっしりホールド。

布団の中というのが分の悪さを増している。

 「あー幸せだよぉ〜、シンちゃんがパパのことパパって呼んだよ〜、私がなにも言ってないのに自分から呼んだよ〜」

 「呼んでない!呼んではいないって!」

 「嬉しいよぉ〜」

 「だから人の話を聞けーっ!」

 

 

 

プリントは二回と半分。

杏仁豆腐は出したまま。

歯を磨くから夜食はもういらないと、杏仁豆腐の前、一品目の鍋焼きうどんから数えれば三品目を根性で食べきってから歯磨きは済ませておいたので、辛うじて寝る準備は出来ていたのは不幸中の幸いだろう。

私立の受験日は都立高校の十日前で、担任にも学年主任にも合格確実と言われていたから万一都立を落ちても中学浪人は免れる。

それでも最後の望みを捨てきれず、マジックに隠れて都立高への願書を出したことがあっという間にばれてしまい、以来毎日ネチネチ虐められそれだけでも受験勉強どころではなくなっていたのだ。

マジック熱烈お勧めの私立校受験の前日などは、『私の方が緊張で吐き気がする』と言い出すほど神経を張り詰めさせていたというのにこの違い。

 

確かに、合格したらその手続きも入学金も授業料もなにもかも、マジックが負担してくれるのだから文句を言える立場にないのは事実だけれど、それでも。

 

せめて合格したい。

通えなくても、その所為で誰かが落ちることになっても、それでも。

意地だけは通したいのだ。

言いなりになった訳ではないと、いつかマジックが後悔することがないように。

“自分が選んだ”と言って、彼が進めるままに生きている訳ではないと言えるように。

互いに納得できるように。

 

だから制服の注文に行ってもよかったのだ。

本当は、マジックがそこに通って欲しいと言い出したそのときから。 




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