きのう、みた、ゆめ

 

 

 

 


合格発表には死んだってついていく。

その言葉の意図するところは、ひとりで行かせて万一そのまま入学手続きをしてしまったら大変だからだということだが、当日は資料を渡され、後日必要なものを揃えた上でなければ出来るはずがないと幾度繰り返しても頑として聞き入れようとしなかった。

結果、シンタローは金髪の大男を従え都立高の合格発表を見に行く羽目になり、周囲の注目を集めることとなってしまった。

容姿で目立つのは勿論だが、貼り出された合格者の受験番号が記されたボードを前にシクシクと泣き出したのだから始末が悪い。彼にとってこの学校に合格することは死刑宣告にも匹敵するそうで、やめろと言ったところで涙も鼻水も止まらなかった。恥ずかしさを超え怒りがこみ上げるのをなんとか飲み込み、マジックの腕を掴んだシンタローはそのまま受付まで行くと高らかに宣言した。

 

その瞬間の彼の顔は、多分、一生忘れない。

 

ぐしゃぐしゃになった汚い顔。ぽかんと開けた口が彼らしくなく、それには噴出しそうになったがどうにかこらえ神妙な態度を装うと、簡単な説明を受けその場を去った。勿論、茫然自失状態のマジックは腕を掴んで引っ張っていかなければならなかったけれど。

 

 『合格しましたが、入学は辞退します』

 

決めていたから言葉はすんなり喉を通った。落ちていたらとは微塵も考えないところがシンタローらしいが、それでも絶対に合格しなければならなかった。受かった上で、選ばねばならなかった。

自分を拾って、受け入れて、そして育ててくれる。

赤の他人のマジックが、シンタローのために学資を出し、生活すべてを保障してくれる。それらを恩に着せたり、まして口に出すことはなかったけれどそれでもシンタローは感謝の意をなにかの形で伝えなければならないから。

だからマジックが望む学校に進学することが、自分にとっても一番だと思ったのだ。

意地の張り合いなら負ける気はしない。けれどシンタローは物事を柔軟に考えることが出来る方だったし、なにより彼の喜ぶ顔を見たいから。

だから、本来進もうと思った道もきちんと進めると示した上で別の方向を望んだのだ。自分自身の意志で。

言うつもりはなかったけれど、あんまりしつこいからつい話してしまった。

車に戻ってもなかなか発進させないマジックは、彼には珍しく落ち着きのない目であちこちに視線を飛ばし、それから思い切ったように“書類をもらってきなさい”と言った。

切羽詰って、目をぎゅっと閉じて、怖いものから逃れるような仕草で言うからついおかしくなって大笑いしていると、今度はいきなり怒り出した。

人の気も知らないで。

そう言って目を吊り上げる。ああ、この人は可愛い。大人なのに真っ直ぐで、けれどそれを見せるのはきっと自分にだけで、甘えていて。

なんて可愛い人だろう。

愛しいのだろう。

自分より随分年上なのに、そう感じさせるなにかがある。それが寂しさだということは薄々分かっていたけれど、二人でいるのだからもう、なにも怖いものはない。

 

合格したかった。ここを受けて、受かって、それでも向こうの学校に通うって、そういう風にしたかったんだよ。そうじゃなきゃ俺もあんたも、ダメなんだよ。

 

いまどき“えーん”とか“ひーん”とか言って泣く者がいるという事実に大笑いしつつ、それでもシンタローの胸の中も大層熱くなっていて、本当は涙をこらえるのに必死だった。

倒れこんできた頭を抱え、よしよしと言いながら撫でてやると、少し悔しそうにしながらもすぐにヘラヘラと笑い調子を取り戻したのか早速ベタベタとまとわりつき始めた。

目立つ車の中でじゃれあっている訳にも行かず、どうにか引き離すと冷たいとかなんとか文句を付けたが、来るときとは正反対の上機嫌になったマジックはその足で買い物に行こうと言い出した。

それは予想通りだし、確かに必要なものを揃えなければならないので了承すると、何事に付けても大袈裟なマジックはそのまま銀座に向かう。

いちいち逆らうのは面倒だから暫く静観していると、車は案の定高級と呼ばれる店の前に横付けされた。すぐに店員が駆けつけ応対するのも、彼に対してならば納得出来てしまう。出来はするが、それが自分に向けられるとなれば話は別だ。

大体、この店に“シンタローが高校に入学するに当たって必要なもの”などありはしないのだから。

 

 

 「ペンケースと、筆記具と、財布と…紙幣とコインパースは分けて。それから勿論、鞄も必要だね。指定の鞄はあるけれど、それ以外の持ち物を入れるバックが二つ三つはいるだろう。それからハンカチ…タイピン、は行き過ぎかな。ああ、靴も一応見ておこうか」

 「おい」

 「そうだ、スーツを仕立てよう。お揃いで。お祝いにどこか食事に…ああ、旅行にしよう。じゃあスーツと、シャツも何枚かいるね。ああ困った、急すぎてなにも思いつかない」

 「それだけ瞬時に思いつけば十分だ。つかコラ、呼んでるだろ」

 「時計!そうだよ、肝心なものを忘れるところだった。どうしよう、時計はどこがいい?ここ?それともこれもパパとお揃いにしようか」

 「どこの世界にそんなキンキラな時計を付けて学校に行く高校生がいるんだっ」

 「ん?ここに」

 「アホ!」

黙っていればエスカレートするばかりなので、仕方なくマジックの腕を取ると店の隅に引っ張っていく。

 「筆記用具も鞄も靴も、いまあるもので十分だ!」

 「だめ。心機一転、新しい生活をするんだからね。なにもかも新調して、気分も新たにやっていかなきゃ」

 「それにしたって限度があるだろ」

 「シンちゃん、パパが見たところあの学校に通う子はみーんなこのくらいのことしてるよ?シンちゃんの使ってる物って、もう随分くたびれてるじゃない。パパはいやだよ、シンタローだけ仲間外れみたいなこと、堪えられない」

 「堪えるのは俺だし。ってゆーか、別に困ってないし!」

 「私が困る」

 「困るのは俺だ!」

 「ほら、困ってるじゃないか」

 「は?」

 「困ってるのは俺だ、って言ったよ」

 「え、は?あれ?」

 「ね、困るでしょ。ああ、そのトランクはいいね。いずれは修学旅行もあるし、それももらおう」

 「え?あれ?」

 「自転車もあるの?じゃあそれも」

 「えーっと、ちょっと待てって。あれ?俺は困ってるのか?困ってないのか?」

 「傘!傘だよ、傘。まあ移動は出来る限り私が付き添うけど、相合傘というのも風情があっていいだろう。うん」

 「あれ?」

 

シンタローの弱点は、意地っ張りの割りに単純なところ。

意外と素直なところ。

そして。

 

人のテンポに、巻き込まれやすいこと。

 

 

 

 

その後、自分自身で広げた深みにはまりきったシンタローは、それまで使っていた一番狭い部屋から、マジックの隣室に当たるこれまでの倍ほどもある部屋に引っ越すこととなった。

因みに、一番狭いといっても以前暮らした部屋の数倍はあったのだから、これから過ごす部屋など品物を置いていなければ落ち着かないだけの空間に成り果てていただろう。

あれから毎日のように買い物に行こうと言ってくるのをどうにか抑え、学校指定品一覧とにらめっこしながら最低限のものだけを買うように教育した。

いちいち“有名デザイナーが手がけた”、という枕詞がつくので指定品だけでもかなりの額面になるのだ。入学金も授業料も、子供の数が減ったいまとなっては取れるところから取ろうという算段なのかと、清貧が身についたシンタローなどは自分が子供だということを忘れつい考えてしまうほどの高額だ。

勿論、提案をことごとく却下されるマジックは不満を溜め込む一方で膨れた頬は“おたふく風邪”ですかと言ってやりたいほどになっている。

シンタローとしても、必要なもの、欲しいもの、あったら便利なものと、許容範囲を広げてやってはいるのだがそれも一つ許せばまたこれもと際限なく提案してくるのできりがない。

いずれは返すつもりなのだ。

返さなければならないのだ。

そうしろと言われた訳ではないし、ましてマジックが返せと言った訳でもない。それでもシンタローにもプライドはあるし意地もある。心に受けた恩恵だけでもこんなに大きくありがたいのに、実際にかけてもらう金銭は既に数年かけても返せないほどに膨らんでいる。

それを望んでいるとは、まして喜ぶとは思わないけれど、それでも奨学金はいずれ返金されるものだし、生きるためには絶対的に必要な金銭に関わることだからそのことだけはきちんとしておきたかった。

だから、自分がそう考えていることを告げておかなければなるまいと意を決し、夕食の席でまた膨れっ面になり閉じこもってしまったしまったマジックの部屋のドアをノックした。

鍵は掛かっていない。

シンタローならばいつ何時入室されても構わないと言っていた言葉に嘘はないが、その逆も求められるので少々困ることもある。別に突如入ってこられても怒ることはないが、自分がいない間にあちこち見られるというのはやはり気持ちもいいものではない。

けれどそれはまた別の機会に話せばいいことなので、返事がないまま三度目のノックをしたところで漸く室内で人の動く気配を感じた。

 「入るぞ」

溜め息を吐いてからドアを開ける。彼と付き合い始めてから溜め息が多くなったと思うのは、最早気のせいなどではない。

冷静に。

大人になって。

自分に言い聞かせつつドアノブを回し、彼のテリトリーへと踏み込んだ。

 

 「…いい加減、諦めろよ」

 「………」

 「必要なものならちゃんと言うから。どう考えてもいらないものまで買われたら困るんだよ」

 「私が好きで買ってるんだよ」

 「そうかもしれないけど、それにしたってもう限度を超えてるだろ」

 「なんで?どうして?シンちゃんはただ持って歩くだけでいいんだよ?私は使ってくれているところを見たいだけなのに、なぜダメだなんて言うの?」

 「学校にダイヤなんか付けてくバカがどこにいる」

 「指輪はいや、ネックレスもいやって言うから、それならキーチェーンで手を打とうと言ってるのに。パパはちゃんと譲歩しているのにうんって言ってくれないシンちゃんの方が酷いじゃないか」

ハンカチを噛んでいる。

いつも思うことだが、この人の仕草は妙にクネクネしているところがあり、見るたびムカムカと腹が立つ。シンタローは生粋の硬派、俺様気質の塊なので余計にそう感じるのかもしれないが、そういう態度をされると馬鹿にしていると判断するように出来ているのだ。

だからさっきも、つい声を荒げて『いらねぇったらいらねえ、バカ!』と怒鳴ってしまったのである。

拗ねて膨れたマジックは涙目のまま自室に駆け込んだので、暫し時間を置いて“冷静になれ”と自分に言い聞かせたシンタローの苦労も知らず未だに恨みがましい目で見てくる彼には正直腹が立つし勝手にしろと言いたいが、それでは話が進まない。

だから決心して訪ねてきたのだ。

もっとさりげない場面で告げたかった決意を。

ウロウロと歩き回るマジックの腕を掴み、ソファへと座らせる。彼の体格に合わせた特別製のそれはシンタローには随分大きく、座ると体が沈みこむので少し、苦手だった。

それでも隣に腰掛け、掴んだ腕はそのままに蒼い目の奥を覗き込むと、そうされることが落ち着かないのかキョロキョロと視線を彷徨わせどこか逃げ込める先を探すような顔つきになった。

そういうところは可愛いと思う。とても、とても可愛いと思う。

虐めたい悪戯心も確かにあるが、それを越え余りある慈しみが湧いてきてしまう。血の繋がりなどなくても傍にいられるというのはこういうことなのかもしれない。

シンタローは、マジックがどう思っていようと離れるつもりはなかった。もし、この手を離すときが来るとしたらそれは自分からではない。彼がいなくなるということは、もう一度あの時間に戻るということと同義で即ち死にも等しい意味を持つものだった。

光の差す場所から暗闇へと帰ることは、この眩しさを知ったいまとなっては堪えられるはずもないことだから。

 「あんたにしてもらってること全部、本当にありがたいと思ってる。感謝してる」

 「アンタじゃないよ」

 「…と、うさん」

慣れない呼びかけにつかえてしまうのは仕方のないことだ。それでもそう呼ぶとマジックが喜ぶから、ぎこちなく上目遣いになりつつ呟くと漸く機嫌を直したのか掴んでいた腕がそっと外され、代わりに指を絡めるように手を繋いでくる。

恥ずかしい。でも。

嬉しい。

 「私はシンタローのためならなんでもするよ。でもなにをすれば喜んでくれるのか、まだ分からないことがたくさんある。遠慮じゃなく照れているんだってことは少し、分かってきたけど。それでもまだまだ、互いに伝わってない気持ちがあるよね」

 「うん」

 「だから私はひとつひとつ確かめているんだ。シンちゃんがなにをすると嬉しいか、自分の目で見極めているんだよ。そのために、思いついたことは全部実行してみているのさ」

 「気持ちは、分かった。俺だってあ、…父さんが、喜ぶことなら、いちいち怒ったりしたくないと…思う。でも、駄目なことも、ある」

 「ダメなこと?」

破顔して、けれど続く言葉にきょとりと目をむく。

 「なにがダメなの?」

 「嬉しいから、ありがたいから、だからちゃんと決めておきたい。知っていて欲しい」

 「なにを?」

 「すぐにって訳にはいかないし、どれほどかかるか分からないけど…かけてもらった学資は、ちゃんと、返す」

 「…どうして?」

 「生活費は、俺のこと引き取って、育ててくれるって決めたのがあんただから、だからそれは、甘えてもいいのかもしれない。でも学校に行きたいのは俺の勝手だし、そこまでは駄目だと思う」

 「なぜ駄目なの?」

マジックの顔から砕けた雰囲気が抜け、まるで表情をなくした人形のような眼差しになる。ある程度は予想していたシンタローも、あまりの変貌に戸惑い、言葉が続かない。

 「なぜそんなことを言うの?私の世話になるのはいや?」

 「ち、がう」

 「じゃあどうしてそんなことを言うの?」

 「なにもかも世話になって、本当の子供みたいにしてくれるのはありがたいよ。でもやっぱり違うから、だから金のかかることでは出来るだけ寄りかかりたくない。生意気なのは分かってるけど、だけどそれだけはしたくない。いつか、そのことで気まずくなるようなことには…なってほしく、ないから」

マジックの目を見詰めながら、一生懸命言葉を繋いだ。

 「私はシンタローのすべてを引き取ったと思っていたけれど、違うの?」

 「違うとか、そういうことじゃなくて…」

 「お前はいつか私が、かけてやった分を返せと言うと思っていたの?」

 「思ってない、そうじゃない!」

 「じゃあどうしてそんなことを言うの?たとえどんな思惑があろうと、そう言われた私がどれほど傷付くか分からなかったの?考えてもくれなかったの?」

 「そんなこと、」

ない、と。言い切ることは、出来なかった。

けれどそれはマジックが傷付くかどうかということではなくそれ以前の問題で、シンタローに他意があった訳ではなくまして傷付けようと思い口にした言葉ではないのだ。

まるで初めて見るもののように、色を失った瞳で見下ろされる。繋いでいた指先から力が抜けていく。このままで離されてしまう。消えてしまう。

どうしよう。

 

どうしよう。

 

 

 

 

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