きのう、みた、ゆめ

 

 

 

 

 

そっと顎に当てられた指が、強引ではない力で向き直るよう促してくる。

暫し躊躇い、瞬きをして、それでも外れないそれに観念したように肩の力を抜くと恐る恐る視線を戻す。正面から。

見詰める。

 「やっぱり、ああいうのは…よくないと思う。自分だって、って言うだろうけど、俺のことは止めてくれた。だめだって言った。なのに、なのにさ、言ったあんたが続けてるのって俺のためでもあるだろ?だからさ、だから、」

 「シンちゃん、それはもう分かったから。私が聞きたいのは、どうしてお前がそこまで嫌だと思うのか。シンタロー自身の気持ちを聞かせて欲しいんだよ」

逃げることは許さないと言っている。目が。指が。纏う気配が。

真実を告げてくれと訴えている。

本当の思いを伝えて欲しいと言っている。

くるくると目の回るような感覚は不思議で、熱くて、少し痛い。

甘すぎる何かが喉に絡んで声が出ない。

 「私がその仕事をしているのが嫌な本当の理由って、なに?」

静か過ぎる瞳の奥に、けれど間違いようのない温もりを見つけた。蒼の中にある柔らかなそれは赤にも、紅にも、オレンジにも見えシンタローの気持ちを落ち着かせる。

 「…本当は」

 「うん」

 「本当は…金のために、そういうこと…してほしく、ないから…」

 「うん」

 「人前でそういうの…見せたり…あんたの、そういうの…観られたり、知られたり、そんなの、やだ…嫌だ…」

 「私の下世話な部分がいや?」

 「違う。あんたが、じゃなく…俺が…」

 「シンタローが、私の本来秘すべき部分を明かしていることが、嫌なんだ」

 「……ん」

こくり、と頷く。

途端にマジックの目が輝いて、悪戯っぽく細められた。

 「やきもち?」

 「は?」

 「パパの体が他人のものになるのはイヤーって、それってやきもち?」

 「ちっ、」

 「違うの?」

 「ちが、」

 「違う?そうじゃない?」

 「う、」

顎に掛かった指が外れ、両腕を腰に回される。

抱き締められる。

 「シーンちゃん」

 「ちが……………」

わ、ない。

 

恥ずかしさで死ぬことがあるなら、それはいまだ。

 

 「あーもうかわいい〜、なんでこんなに可愛いの〜」

両手で締め付けるように抱き締められ、いつもなら苦しいと文句を言って暴れるところなのに今日は出来ない。あまりの恥ずかしさに顔を上げることもできないのだ。

 「シンちゃんってば、パパのこと大好きで独り占めしたいんだ。好きでもない相手とキスしたり、セックスしたりするのが嫌なんだ〜」

 「当たり前だろ!つか、はっきり言うなっ!」

抱えられているのを幸いに、マジックの胸に顔を伏せながら続ける。

 「親がえーぶいなんかに出演することを喜ぶ子供がどこにいるってんだ」

 「まあ、いないだろうねぇ」

 「だったら!だったら辞めろよ。辞めてくれよ。俺も働くから。学校だって転校すりゃいいんだから、な?」

 「シンちゃんを働かせるなんてとんでもないよ。ダメ。無理。大学か、院までだって行かせるつもりなんだからね」

 「それなら奨学金だってあるし、」

 「私が引き取ったのになんでそんなことさせなきゃならないの」

 「贅沢は敵だろ。俺が買ってもらったものはみんな売ってさ、足しにしろよ」

 「平気だって」

 「平気じゃないから言ってるんだ!」

恥ずかしいなどと言っていられない。慌てて顔を上げるとマジックの腕を指先で掴み、必死になって訴える。

 「生きるために必要なものって、本当は結構少ないんだ。俺なんかなにもないままここまで来たから、ゼロに戻っても全然困らない」

 「私は色々ないと困るよ」

 「あんたのものは取っておけばいい。俺も働くし、それはきっと大丈夫だよ」

 「その前にシンちゃん、あんた、じゃないよ」

 「そんなこと言ってる場合か!」

 「私にとっては最重要事項だ。はい、ちゃんと呼んで」

 「呼んだら辞めるな?辞めてくれるんだな」

 「うーん」

 「辞めるんだろ?な?」

 「まずは呼んでみてよ」

 「何度だって呼ぶから、ずっとそうするから。だから辞めるって言え。約束しろ」

 「だから、呼んでみてって」

 「父さん!辞めてくれ。頼むから辞めて!」

 「あー…いい響き」

うっとりと微笑んで、それから額にキスをひとつ。

 「呼んだからな。これで辞めるよな」

 「うん。…と、言いたいところだけど」

 「辞めないって言うのかっ」

 「うーん」

 「ずるいぞ!騙したのかっ」

 「騙してなんかないよ。でも、辞められないなぁ」

 「なんでだよ、どうしてだめなんだ?」

 「ダメなものはダメなんだよね。辞められない」

 「なんで…なんで…」

眦に滲んだ涙がたちまち盛り上がり、雫となって頬を伝う。こんなに頼んでいるのにどうして、と喉の震えとともに訴えかけても、マジックは嬉しそうにシンタローを見詰め、涙の痕にキスを送ったりしている。

 「だって、辞めようがないよ」

 「な、っんで?」

 「やってもいない仕事なら、辞めようもないでしょ」

ひっくひっくって、シンちゃん、赤ちゃんみたい。

笑いながら言われた言葉が理解できず、きょとん、と目を見開き彼を見詰める。

 「…え?」

 「もしかしてずーっとそう思ってたの?私がアダルトビデオ男優をしてるって?」

 「だ、って、だって、そうなん、だ、ろ?」

 「違うよ」

 「え、え、だって、だってさ、最初のときあんた、」

 「父さん。第一希望は、パ、パ」

 「や、だってあのとき、あのあともさ、仕事に行ってただろ?俺が学校に行ってる間に仕事してるって言ったじゃねえか」

 「そうだよ。シンちゃんが学校でお勉強している間が私の仕事時間。自宅にいるときは全部二人の時間にしたいでしょ、だからパパは頑張ってるんです」

 「ほらっ、ほらみろ、そんな時間で出来る仕事なんて限られてるだろ」

 「あとはシンちゃんがベッドに入って、可愛〜くねんねしてるうちにやってますよ〜」

 「えっ!夜中に出掛けてたのかっ」

 「出掛けてない」

 「は?だって仕事してるって、」

 「成績いいのに、意外と頭が固いね」

苦笑しつつ、でもそんなところも可愛い〜と言いながら、また頬にキス。

 「でもこれで益々好きになったよ」

 「は?」

 「シンちゃんが、私のことを外見や身分で判断しているんじゃないってことが分かって、嬉しい。幸せ」

 「なにを言ってるのか、サッパリわかんねぇ」

言葉通り幸せそうに笑っているマジックを途方に暮れたように見上げる。

でも。

 「とにかく…違うんだな。違ったんだよな。俺の思い込みなだけで、そうじゃなかったってことだよな」

 「うん」

 「じゃあ…いい。うん。よかった」

 「いいの?本当はなにをしてるか聞かなくていいの?」

 「なにをしててもあんたが、…父さんが、なにをしてたところで変わりないだろ。危ないこととか、法律に触れることとか、悪口言われるようなことをしてるんだったらいまみたいに止めたくなるだろうけど、そうじゃないなら構わない。自分のやりたいことを仕事にしてるなら、それでいい。…それが、いい」

うん。

安心した所為か肩から力が抜け、抱えられているのをいいことにマジックの胸に凭れ掛かった。そこは広くて、温かで、いつでもシンタローのために開かれている。包んでくれる。

 「きみは…すごいね」

 「なにが」

 「言葉にするのは嫌だけど、私たちには血の繋がりはなく、まだまだ出逢ったばかりで分からないことがたくさんある。いまのような誤解もあって、もっと時間を掛け深く知っていく必要があるはずだと誰もが思う関係だろうに…そうじゃない」

両腕の力が増す。抱き締められる。けれどそれは苦しさを伴うものではなく、心を抱え込まれるような優しさで。

 「私は私だと言ってくれる。なにをしていても変わらないと言ってくれる。どんなことをしてきたか、いまなにをしているか、きみのいない時間になにを思ってなにを見て、どこで、誰と、なにをしても、それは知らなくてもいいという。興味がないからではなく、それが私たちの関係とは別のところにあることだから。気持ちは変わらないから。そう、言ってくれている。…そうだろう?」

 「べつに、そこまで考えた訳じゃないけど…でも、そうかな。…うん、そうだ」

 「すごいね」

 「すごい?」

 「こんなに小さいのに。幼いのに。きみは、なんて大きな存在だろう」

 「自分と比べるから小さいんだろ」

子供なのは確かだが、小さいとか、幼いと言われることには抵抗がある。少し膨れて言い返すと、静かな、低い笑い声がした。振動が胸から伝わる。

 「いままでも大好きだったけれど、もっと、もっと好きになった」

 「ふーん」

 「大好きだよ。愛してる。私のすべてで愛してる。生きている時間のなにもかも、きみのために使いたい。傍にいる」

 「なな、なに言ってんだ」

恥ずかしい。

恥ずかしいやつ。

ひとりで納得してひとりで感心して、ひとりで感動してひとりで結論付けて。

どんなロマンチストだよ。

どんなナルシストですか。

なんだこれなんだこれなんだこれ。

 

ドキドキと胸が高鳴り苦しくなる。

言われなくても好きだし、信じてるし、傍にいるし。

泣きたいほど幸せだし叫びたいほどくすぐったいし抱き締めたいほど求めてる。

 

マジックのことが、そのなにもかもが、愛おしい。

 

髪に額に口付けられ、鼓動はどんどん早くなる。

どうしよう、という自分でも意味の分からない感情がこみ上げてきて、思わず掴んでいたマジックの襟元を更にきつく握り締める。

なにがなんだか分からないけれど、とにかくひとつだけはっきりしていることがある。

マジックが自分を好きだと言ったこと。

自分が彼を、好きだということ。

このままでは壊れてしまいそうなほどの高鳴りをどうすれば沈められるのか。昂ぶった思考を冷ますにはなにか難しいことを考えればいいのだ。別の考えで紛らせてしまえばいい。

そう思い、試してみようとするがうまくいかず、抱き締められた体がどんどん熱くなっていくのを自覚するばかりで益々焦る。

泣けてくる。

赤面している自覚があるから、顔を上げることもままならない。

ぎゅっと抱き締められているから逃げることも叶わない。第一ここがシンタローの部屋で、逃げ込む先など他にないのだ。家を出るなどということは微塵も考えられない以上、ここで、こうしてなにやら甘い痛みに堪えることしか出来そうにない。

 「私はね、ずっとひとりで生きてきた。シンタローに逢うまでずっと。ずっとひとりきりだった。それを悲しいとは思ったけれど、寂しいとは思わなかった。なぜだと思う?」

 「…なんで?」 

 「いらないから。欲しいと思わないから。寂しいと思うのはなにかを求めたり期待したりするから生まれる感情で、私にはそう思う心すらなくなっていた。いらないんだよ。私には、自分のためになにかして欲しいと求めるような相手は要らない。時間や心を傾けろと言われれば、嫌悪は出来ても愛情を覚えることなどありえない。そんな関係ならない方がいいし、ひとりがいい。悲しいけれど、なにもなければ揺れ動くこともない。煩わされることもない」

 「そんなの…そんなの、幸せじゃない」

 「そうだね。そうだったのかも。でも幸せになりたいと思ったことはないからそれでよかった。シンタローに出逢うまでは、本当にそれでよかったんだ」

 「なにか…誰かに、いやな目に遭わされたのか」

 「さあ」

訥々と話す声に落ち着きを取り戻す。

暴れていた鼓動も徐々に静かになっていき、寄せた胸から聞こえるマジックの心音と同化する。

 「私はね、面倒なことが嫌いだよ。人も、物も、時間も。私になにかを求めてくるものは鬱陶しいとしか思えない。邪魔だとしか思えない。精神的に偏っているし、そんな風に思う方がおかしいということを分かってもいる。けれどそれでもひとりでいる方が楽だった。なにもなければ身軽だし、気楽だろう?動かなければ誰も私に気付かない。なにも求めてはこない。徹底的に排除して、すべてをなくせばそこで終わる。あとはゼロのまま」

髪に、頬が寄せられる。

 「死ぬことを選ぶのは自分に執着しているようでそれすらしなかった。そんな価値すらないものだったよ。きみに出逢うまでの、私は」

 

なにも言えず。

シンタローはなにも言えず、ただ彼にしがみつく指先に力をこめた。

無力な自分に嫌気は差したが、きっと、いまの彼に言葉は不要なのだと思う。ただここに、ただひたすらに彼の元にあればいい。身を寄せ合い、告げられる言葉を聴いていればいい。

マジックの求めるものはそれだから。

それこそが必要なものだから。

このひとは、きっと、本当はものすごく寂しくて、本当はものすごく人恋しくて、本当はものすごく傷付いて、惨めで、哀しい。

遣る瀬無い。

それから暫く、マジックは腕の中に抱えたシンタローのことをただ抱き締め、黙っていた。雛鳥をその翼の下で守るような温もりを感じたが、では、雛鳥はどちらかといえばシンタローにも分かりはしない。

ただ、その穏やかな空気を感じるだけでよかった。

 

 

ふ、と。

空気を吸い込む気配。

 

 「私は卑怯だよ。お前を手元におきたいのは、だから結局、自分のためだったんだ」

眠りすら誘われる、穏やかな声の中に含まれた痛みを感じ取る。

 「ひとりぽっちで、寂しくて、けれど強がって棘を纏って自分自身をも欺こうとしている。そんな姿を見て哀れだと思った。子供なのに、この子は私と似た思いを味わっているのじゃないかと。もしかしたら私より辛いかもしれない。悲しいかもしれない。可哀想に、可哀想に、かわいそうに…」

背中を撫でる大きな掌から流れ込む、思い。

 「なんて驕りたかぶった感情だろうね。この子に救いの手を差し伸べてやろう、私なら出来る、そう思ったんだよ。お前を助けることで自分の惨めさを紛らそうとした。もっと不幸なものはいくらもいる。…欺瞞だ」

きっとこれは独り言。

聞かなくてもいい。知らなくていい。

目を閉じて。

 「なんて卑怯で図々しい考えだろうね。初めて声を掛けたとき、あの日、私はそんなことを思っていたんだ。シンちゃんはなにも知らず、気付くことなく私を頼ってくれたのに。私を信じてくれたのに」

マジックの独白は続く。

 「引き取って、一緒に暮らすようになってからはまた別の考えが生まれた。似たもの同士のシンタローを愛することで自分を慰めようとした。私たちはとても似ていて、だから二人でいても寂しさは増えるだけだけど、ひとりきりでいるよりはましなんじゃないかと思うようになった。冷たい部屋に閉じこもるより、辛い時間でも重ねるうちには温まるような気がして…」

腕の中の体を抱きなおす。艶やかな髪に触れる頬の感触にうっとりと溜め息をつく。

 「でもね、そんな考えはすぐに消えていった。自分の卑怯さと図々しさに気付かされた。だってシンタローは一途に、本当に一途に私を見てくれたから。信じて、知ろうとしてくれた。私がなにをしても、言っても、いつだって真っ直ぐに見て、考えて、応えてくれた。私を心の中に迎えてくれた。愛してくれた。どれほど嬉しかったか、分かるかい?」

力の抜けた体は、決して弱くはないが強くもない。

守られるべきもの。

マジックが。

守るべき、唯一のもの。

 「お前のためにあるという思いは、だから、嘘ではないよ。卑怯な私はもういない。シンタローのためだけには、そんな薄汚い自分ではいられない。他のなにを捨てても、裏切っても、そんなことは問題にならない。なにもいらない。なにひとついらない。これから先、すべてのことはお前に続く。私という存在がある場所はお前の中で、そこでしか生きない。生きられない。ありたくない」

赤ん坊をあやすような仕草で背を叩く。腕の中の愛すべきものを確かめる。

見詰める。

 「…眠ってしまったの?どうりで静かだと思った。シンちゃんはいい子だけど、パパに対するつっこみがきついからね。でもそのときの顔が可愛くて、必死になってる様が愛おしくて、ついついからかいすぎてしまうよ」

かくり、と仰のいた首を支え、眠るシンタローを抱き締めなおす。

薄く開いた唇からは、穏やかな、穏やかな甘い息。

なにもかもを預ける心からの安堵を伝える。

 「私たちが似ているのは本当だよ。でも、相憐れむために出逢った訳じゃない。寂しさを埋めるためでもない。私たちは、ともにあることで幸せになるんだ。重ねるのではなくそれぞれの思いで見付けていくんだよ」

囁きかける。

眠る子供に。

いとし子に。

 

シンタローに。

  

 「いま、わかった。私が生まれてきたわけが。私が生きて、きたわけが」

  

柔らかな呼吸を繰り返す唇に、そっと、小さな口付けを落とす。

目覚めていたら、一体どんな顔をしただろう。

なんと言ってよこすだろう。

真っ赤になって。

きっと、真っ赤になって怒るのだ。

マジックのことを見詰め、真っ直ぐに見据えて怒るのだ。

瞳の中に、蒼を映して。

それ以外なにも入り込むことのない、あの、気高いまでに清らかな、一点の曇りもない漆黒の瞳で。

 

 

 「生まれの後先など問題じゃない」

 

 

そう。

時間にすら流されない。

 

 

 「私は、お前に逢うために生まれた」

 

 

シンタローが、ではなく、マジックが。

 

 

 

 「お前のために、生まれたんだよ」

 

 

 

 

 

愛してる。

 

 

 

 

 

 

第三章 了 NEXT