君のために 出来ること 〜明日の話をしましょうか @
 

 



    ――― 最近"怖い想い"をしたことがありますか?





   
第一章  ナイト・メア 〜nightmare



 昔、何かで…確か『星の王子様』だったか『はみだしっこ』だったかで読んだ一説にこういうのがあった。書き出してはみるものの、原文での言い回し通りではないのでそこはご容赦を。お題として"おやっ"と感じるものがあったらしくて、物覚えの悪さをあっさり追い抜くほど物忘れが多くなった今の今まで覚えてた。(こないだ気づいたんだが、どうもフレデリック=ブラウンだったらしい。猛省(汗))

『此処に大きな樹があったとする。
 世界的にも…とまではいかないまでも とっても有名な樹で、沢山の人たちに知られてもいた。
"ああ、あの樹ならそこの森の向こうだよ。"
"有名だよ。世界一は大仰だけど、この国一番じゃないのかな。"
 それがある日、寿命か落雷にあってか、地震や大風のせいか、まあともかく突然ばったり根こそぎ倒れたとする。
 だが、それを誰も目撃しなかったらどうだろう。
 誰も倒れる軋みを聞かなかったら、その瞬間に気づかなかったら。
 誰一人として倒れたことに気がつかないまま、
 地図の上や皆の認識の中では、その樹は其処に依然として存在し続けていることにならないか?』

 いくら広く親しまれていたって、そんな"存在"は…在っても倒れても同じ扱いな存在は、その樹にしてみればちょっと不本意なんじゃなかろうか。(…いえ、原文ではそういう話を展開させてた訳じゃなかったんですけれどもね。)











       
T



 春先にじわじわと萌え始めた頃はあたたかな黄味がかったそれだった淡い色合いからのグラディエーションも完了し、人々の視線を吸いつけるほど鮮やかに、したたるような発色を煌かせる新緑が目に眩しい。それに負けじと、黄色や白、にぎやかなまでに色とりどりの花々が咲き乱れ、さあ駆け出すぞと言わんばかりの溌剌とした躍動の季節。ここだけの話、亨はゴールデン・ウィークの少し前、阪神地方で『満開の桜が散っちゃって残念だねぇ、でももうツツジがこんなに咲いてるよ』というのが時候の挨拶になる辺りの季節が大好きである♪ いいなぁ、日本の四季♪
「だけど毛虫や青虫は嫌いだっ!」
 おおっ、同志っっ!
「蜂も嫌いだっ。あのドルビー効かせた濃い羽音が怖いんだもん!」
 陽射しに梳すかれて淡くけぶる、やわらかそうな髪をプルプルと揺すぶって見せるのは、もうすぐお誕生日を迎える岬太郎くんである。この嫌がりようからして、よほど最近にその嫌な形での遭遇を体験したと見える。確かにあれは亨も苦手で、パラフィン紙の上を玩具のモーターが転げ回るようなあの羽音の、独特で威嚇的な響きは、充分に武器になってると思うぞ。ちなみに、蜂の活動が最も過激になるのは日本では九月から十月頃。丁度"巣作り"の季節なんだそうで、最初の一匹を追い払うと警戒フェロモンを撒き散らかされ、加勢にやって来た大群に襲い掛かられることとなる。よって、間近の荷物や帽子なぞに留まっても決して刺激せず、勝手に飛び去るまでそっと待つしかないのだそうな。それはともかく、
「此処ほど緑が多いところじゃあ、それも仕方ないよ。」
 口唇を尖らせる岬を、やさしげな苦笑混じりに甘い口調トーンで宥めるエル=シド=ピエールの声に続いたのが、
「冗談抜きに夏場の蝉の大合唱を是非とも聴かせたいねぇ。某鉄道会社の超特急も真っ青の威力で、昔はしょっちゅう防犯用の音感センサーが死んだくらいだ。」
 これこれ。いくら元は"親方 日の丸"な会社だったとはいえ、対策くらいは練られている筈だぞ…と、普段は呑気な作者でも泡を食って取り繕わねばならないような御発言。そんな爆弾発言をペロリと放ったのが、嫋たおやかなる笑顔にユニフォームである白衣もシャープに決まった、うら若き三杉淳副所長…とくれば、此処がどこだかはもうお判りだろう。かつての「茨城県」のど真ん中、霞ケ浦の西側に位置する学術研究都市・TSUKUBA-CITYに所在する、ICPO…International Criminal Police Organization附属 総合工学研究所である。いやぁ、此処も久し振りだねぇ…という作者の無責任な感慨はともかく。広大な敷地内には建物を覆うほど緑も多く残したという作りの施設なため、四季折々の自然界の風物詩も充分堪能出来るのがまた味わい深い研究所でもある。とはいえ…蝉も数が寄ると立派な騒音ですからねぇ。神戸の御影に居た頃は目覚ましなんか掛けずとも、空が白み始める朝の五時前からミンミン・シャンシャン…と窓辺でやかま喧しく鳴かれて目覚めていたもんです。
「まあ、蜂も蝉も建物の中にいる分には関係ないことだがね。」
 そこはさすがに先進工学の研究所で、防音処理や遮蔽効果はしっかりしたもの。岬が蜂だかカナブンだかの羽音に脅かされたのも、大方、窓か戸口をうっかり開けっ放しでいたせいだろう。三杉が続けたそれへ苦笑して、
「それにつけても…季節の花とか言われても、なかなかピンと来なくなってしまったねぇ。」
 やはり開け放った窓辺に凭れ、吹き込む涼風に浅い亜麻色の髪をなぶらせつつ、ジノ=ヘルナンデスがポツリと呟いた。春は梅にマンサク、桜に木蓮と来て、亨も大好きな馬酔木にユキヤナギ。それから初夏へとなだれ込んだら、ライラックやツツジに、薔薇に藤に牡丹に芍薬、アネモネに卯木うつぎに、露草に都忘れ、合歓に菖蒲に杜若、カーネイションに石竹、アイリス、マロニエ、ハリエンジュ…キリがないぞと小休止。草木ごちゃまぜの順不同で思いつくままに並べてみたけど、自然のままに咲いてる花というものには縁が薄くなってるその上、流通の発達で季節や土地柄を越えてどんな花でも手に入る昨今ですからねぇ。
「此処なんて一年中色んな花が咲いてるもんな。」
 こちらも…もう既に肌にチクチク熱いほどという陽射しも目映い窓辺に陣取り、眼下の温室を見下ろしているのは、つややかな黒髪を玉虫色に温めた、ハジメちゃんこと若島津健。クドイかなぁ 彼とて見分けのつく限りの花の名前くらいは数多く知ってもいるのだろうが、自生原生する現物をどれほど見識っているかと訊かれれば両手で足りるほどかも知れない。実は亨も、99年に越して来た須磨の家の庭先で、葉っぱの形からずっとヒイラギだと思ってた茂みに、最初の初夏の時期、野ブドウみたいな実がたわわに実ったのを見て仰天したクチです。これってブルーベリーなんだろうか? な実ってるトコを見たことないからなぁ。(でも季節が少し違うかも…。食べられるサクランボの実なる木もあるぞ。前に住んでた御家族はよほど実用優先の一家だったらしい。)
「此処のも一応季節に合わせちゃいるんだけどね。」
 三杉は苦笑し、
「まるで緋色の雲が降りたように見える満開の桜を、いつか是非とも見せてあげたいねぇ。」
 そういや、桜の花吹雪は一度も出て来たことが、あ、いや…一度だけあったかな?(さて、どこでだったでしょうか?
おいおい)それはともかくあははは。麗うららかな春の名残りのような甘いまろやかさをクルクルと掻き回す悪戯な涼風は、仄かに青く夏の香を帯びていて、もうすぐやって来る新しい季節を偲ばせる。今は野薔薇やマロニエの甘い黄が新緑に鮮やかなその拮抗が、ヒナギクやカラー、トルコキキョウやグラジオラスの白を経て、百日紅さるすべりや夾竹桃の赤や、向日葵の溌剌とした黄色へ入れ替わり、蘇鉄の葉の緑が映える青空と積乱雲の白。地上にやたらと原色が溢れ、太陽の熱さとタイマンを張るほどの圧倒的な逞しさとパワーの暴れ回る季節。冷夏を免まぬがれるといきおい毎日のように"この夏一番の…"と形容される猛暑が続いて、夏休みの間中それが続いたなら、毎日1℃ずつでも積み重なった揚げ句、八月一杯だけで累積60℃には なっちゃうぞという、それが日本の夏である。こらこら
「その前に"梅雨"が挟まるそうですが。」
「此処の紫陽花って、凄んごく大きくて綺麗なんだよね♪」
 てぇ〜い、水を差すんじゃないっ
(怒) じめじめと鬱陶しいのは膝の古傷に堪えて苦手だから誤魔化してるんじゃないのよっ(怒)おいおい
「紫陽花ってよくカタツムリと一緒に描かれることが多いけど、実はカタツムリが逃げ出す葉っぱなんだってね。」
「おや。よく知ってたねぇ、岬くん。」
 これはホント。紫陽花の葉は青酸ガスの素になるシアン化合物を沢山含んでいるため、カタツムリはおろか、雑食性で大概の草木なら何でも食べちゃうヤギも避けるそうです。(サクラが18ppmで、紫陽花は30ppm。人体に影響が出るのは180ppmを10分以上吸った場合なのでご安心を。)それもともかく。
「そういえば満くんが居ないみたいだけど、どうしたの?」
 高めのスツールに腰掛けたまま、ちょこっと行儀悪く足をぶらぶらと揺らしながら岬が訊いたのは、この研究所の住人の中で今のところ一番"年少さん"な少年のことだ。フルネームは佐野満といって、やっと小学生くらいの外見ながら、ここだけの話、既に素材工学の分野で博士号を取ってもいるという超弩級の天才児。いつもなら岬が来ているのを聞きつけると必ずまとわりつきに来るのが、今日はまだ声さえ聞いていない。初めて出来た"弟"格の対象だからか、それがちょこっと物足りなかった岬なのだろう。
「ああ。昨日から次藤さんに連れられて TOKIO-CITYに遊びに行ってるんだよ。お洋服がどれもこれも小さくなったんで、色々と新しいのを揃えるそうだ。」
「…此処でも揃えられるだろに?」
 館内の売店や通信販売で…という意味ではなく、この研究所の周囲も結構人口は多く、ショッピング・モールだのファッション・プラザだのを抱えたちょっとした繁華街もそう遠くない辺りにある。それも、田舎臭い…もとえ、最先端よりは街着どまりなアイテムしかないよな"商店街もの"ではなく、新宿や銀座、渋谷や原宿辺りに本店をおくような若者向けブティックだって並んでいる。だのに、どうしてわざわざ TOKIO-CITYに出たのか? と怪訝そうに訊いた岬なのだが、
「次藤さんが一ヶ月ぶりにまとめてお休みを取ったそうなんだ。お買い物だけでなく…色々と甘えたかったんじゃないのかな?」
 三杉の言いように、ジノと若島津が和んだ眸をする。此処にいる面子の中では三杉と彼ら二人だけが知っているのが、満くんの本当の顔。ありきたりなアルバムでは1ダースの1ダース倍、1グロスあっても最初へ辿り着けないくらいに永い歳月を生きてきた、不老不死の"アンブロシア"という存在だった彼であり、やっと見たままの少年として歩き出したその最初に見初めた人物が、TOKIO-CITY中央警察署の次藤という大きな刑事さん。おおらかで屈託のない彼の、どこがどう気に入っているのかははた傍には判らないことながら、それでもその"第二の人生"のパートナーにと満少年本人が決めた、大切な人であるらしい。
"これもインプリンティングの一種かねぇ。"
 こらこら、誰です、そんな事を言うのは。
「…ところで。」
 皆を見回して、
「実は先日、TOKIO-CITY中央署の若林警部補からとある通報があってねぇ。」
 三杉が切り出した一言に、この広々としたプライベート・リビングで同座していた面々が全員…それぞれなりの度合いで顔を顰しかめて見せた。
「俺たちは一仕事追えたばかりなんだぜ? 三杉。」
「判っているさ。」
 やわらかそうな前髪を優雅に掻き上げながら"にぃ〜っこり"と微笑う清々しい笑顔が、彼と親しければ親しいほど不穏で凶悪なものに見えるから…難儀といえば難儀なもんだが。
「此処へ立ち寄ったのは健と岬の定期検診のためなんだし…余計なドタバタは御免だぞ?」
 この面子の中では唯一"裏表なし"に温厚なピエールまでもが、その形の良い眉を訝いぶかしげに顰ひそめているというのだから、三杉もなかなかの"信用"をおかれたものだと言えるほど。…勿論、反語ですから念のため。あっはっはっはっ こうまでの言われように苦笑しつつも、三杉はけろんとした言葉を返した。
「大空総監からの御言葉添えがあった…っていうような類いの話じゃないよ。」
 この一言だけで、一連のややこしそうな抗議に対するものとしての事情が通る。というのも、此処に集まっている面々のうち、ジノ=ヘルナンデス、エル=シド=ピエール、若島津健、岬太郎という四人の青年たちが、実を言うと…ICPO・国際刑事警察機構がこっそりと世界に誇ってやまない、特別司法執行部隊"R"チームのメンバーたちであるからだ。最高責任者である科学技術庁長官の南部博士…もとえガッチャマンか 最高総監・大空翼の下す特命に従い、世界各地の特殊な紛争や巧妙な謀略、その尻馬に乗った不正行為などなどといった凶悪な事態を鎮圧・粛正に回ったり、そうなるようにという"切っ掛け"作りの小細工をしに行ったり、あとは…突発事故への救助にこっそり馳せ参じるのが主なお仕事。本来はリーダー格であるヘルナンデス氏だけが"特別司法捜査官"という…どっかで聞いた事があるよな任に就いていたところへ、ちょいと事情ありな若島津の"生活補佐役
ナビゲイター"を新たに任ぜられ、その特殊能力が活かせるからと…いや、そんな短絡的な条件だけでもないのだが、彼までもがそのお仕事に加わったのが事の発端。後年、若島津と同じ事情を持つ岬くんとそのナビゲイターであるピエールも、彼らと行動を共にするようになって、正式にチームが組まれたのが数年前のこと。それ以来、この四人によるチーム編成にて、国家間紛争や謀略絡みの難事件の数々を解決し続けて来たその活躍ぶりは「風 工房」発行の本『PROJECT R』シリーズにも…生憎と極秘任務なので全てを事細かには公開されてはいないが。おいおい 特典なのか、はたまたハンデキャップなのか、若島津と岬の二人がそれぞれの「特殊能力」という仕様スペックを得るに至ったその"事情"というのに絡んでのドタバタ話でよろしければ"イヤっ!"ってほど満載されとりますので、是非ともご参照願いたい。買ってね 彼らの肩書きへの今更な解説はともかく、
「TOKIO-CITYの外郭地区と関東管区内の各地で、妙な強盗事件が頻発しているらしいんだよ。」
 この"管区"というのは、簡単に言うなら「警察庁」によって地区分けされた監督管轄のこと。これまでにもくどくどと並べて来たことだが、警察というのはなかなかややこしい仕組みになっている。日々の保安警邏けいらや交通整理、犯罪捜査や犯人の検挙といった、公安…治安保全の実務の殆どを受け持つのは、それぞれの都道府県、すなわち地方自治体が設けた公安委員会が監督する警察本部、ならびに所轄署に配属された警察官たちである。それに対して「警察庁」というのは、国家機関として警察行政を維持するべく設けられた代物であり、言わば"お役所"というところ。この二重構造というややこしい形態にどういう利点があるのかは、実は亨もよく判っていないので、どなたかお教え下さるとありがたい。
こらこら(全体主義だの官憲体制だのに染まらぬようにという安全策なのかなぁ。でも、同じ公安系なのに時々縄張り争いや手柄の取り合いもあるっていうしなぁ…。はたまた、地元との癒着や収賄なんていう悪さをやってませんかとそれぞれの都道府県警本部へ監査しに行った警察庁の鑑査員が、呑めや歌えやと接待されて"何しとんじゃ貴様(怒)"となっちゃった失態が暴露されもしましたしねぇ。)…閑話休題それはともかく。
「関東管区でも…とは、穏やかじゃないねぇ。」
"関東管区警察局"の担当エリアは、茨城、栃木、群馬、埼玉、千葉、神奈川、新潟、山梨、長野、静岡の十県。東京は、北海道や京都と一緒に警視庁が担当しているそうで、この管区には含まれない。(新規開拓地である北海道と天皇がおわした京都という組み合わせなのは、明治時代あたりに発足したものだから…なんでしょうかね?)だが、此処 TSUKUBA-CITYはその範疇内である上に、TOKIO-CITY中央警察署の若林警部補が得た情報。彼自身の情報収集力の幅広さのみならず、いずれは日本州の首都である TOKIO-CITYにも波及の恐れがあるほど由々しき事態の話ネタなのだろうという背景が推察出来もする。
「その強盗ってのが一風変わった手合いらしくてね。」
 三杉がひょいっと取り出したるは、一枚のCD−ROM。手近なデスクのディティクターのスリットへと差し込むと、壁がそのまま大型のスクリーンとなって、地図やら情報の箇条書きやらがずらずらずらっとそこへ現れる。
「各地で頻発している一連の強盗事件なんだが、よっぽど捕まらぬ自信でもあるのか、目撃者も多数でモンタージュもあっさり作れた。」
 端末機でいうところのマウスの代わり、指し棒用のレイザー・ポインターを画面上の一点へとちょちょいと当てると画像が変わって、
「…え?」
「あれ?」
「おやおや。」
 防犯カメラからの焼き起こしやら、手書きらしい簡単なスケッチやらが資料としてパパパッと幾枚か重なったその一番上。シルエットで現された容疑者の体型は、長い黒髪にすらりと締まった均整の取れたもの。そして顔の方はといえば…目許涼やかな細面のうら若き男性のポートレイトだとあって、
「加えて…超人的な怪力の持ち主で、追跡していたパトカーに逃走経路を塞がれると、悠々とした態度で歩み寄り、バンパーや車体に手を掛けたそのまま、素手で引っ繰り返してくれたそうだよ?」
 それって…。
「オマケに、命綱だの逆バンジー用の強化ゴムバンドだのといった装備もなく、20m近いビルの屋上へ軽々と跳び上がれる身のこなしだったとかで…。」
 えっと…。
「若島津くんに覚えがないかっていう通達があったってワケ。」
「"覚え"ってのは何なんだよッ(怒)」
 名指しの御指名がかかる前から既に眸が座りかかっていた御本人だが、これって…どっかで聞いたことのある展開だよねぇ。(『第二話』参照ってか?)
「けしからん副業だねぇ、若島津くん。」
 ちろりんと横目で見やる三杉に、
「んな事をやっとる暇があると思うか?」
 若島津が憤然とした声を返す。そうだよねぇ。忙しくて忙しくて、大好きな日向さんとの逢瀬だってままならないくらいだってのに、余計なお馬鹿を手掛けていられる余裕などない彼である。
「このモンタージュにしたって…先入観たっぷりに作ってないか?」
 彼らがそっくりだと感じたこと自体、前もって"若島津"という雛型を頭に置いて見てしまったせいでもあろう。
「ま、確かに目撃者の証言の寄せ集めなんで、こうまではっきりした代物じゃなかろうって注意書き付き。混乱を招くからって、市中にも出回ってはいないそうだ。」
「…何のためのモンタージュだ、そりゃ。」
 まったくである。モンタージュといえば、結構有名な逸話があって、あの…世のお父さんたちのお給料を自動振り込み方式に塗り替えた切っ掛けとなった「3億円強奪事件」を御存知の方は…まだ少しはいらっしゃろう。白バイ警官に扮した犯人が、現金輸送車を手際よく停止させ、爆発物が仕掛けられていると大嘘をついて車ごとまんまと掻っ攫っていったという、高度成長期の只中にあった日本を揺るがした世紀の大事件。あの事件の捜査に使われた有名すぎる白バイ警官のモンタージュ写真が、実は…実在する某青年の顔写真をまんま使っていたそうで、後年になってやっとその真実が暴露され、なんていいかげんなことをするんだ日本警察…と、あちこちから叩かれてもいたそうですが。確かに…よくもまあ、そんな暴挙が通っていたよなぁ。誰ぞ止める人はおらんかったんでしょうかねぇ。相変わらずの余談はともかく、
「ただ…いやに冷静で、取り澄ましてたってコトだけは、誰から訊いても共通している特徴だそうでね。パトカーを引っ繰り返してくれた時も、眉ひとつ動かさず、気合いの掛け声さえなかったってさ。あと、身体つきもこれにほぼ間違いはないんだそうだよ。」
「それで、目許涼やかな美男子風ってか?」
 SF仕立てのフォロ・シネマ作品じゃあるまいし、生身の身体でそんなことが易々と出来るものではなかろう。
「磁場利用の小道具だとか…催眠ガスによる幻覚だとかってことはないのか?」
 後の方の"催眠ガス"云々というのは、そんな途轍もないことが起こった…という"錯覚"による目撃談かも知れないという考察だが、
「現場検証でも科研の特殊事件担当班がその点を念入りに調べたそうだ。
 赤外線探査や残留磁場調査などなど思いつく限りの全てをチェックしたし、目撃者たちへの検査は"怪我がないか"っていう健康診断という形にしてやったってさ。」
 さすがは日本州警察。そういう方向からの検証にも抜かりはないらしい。となると、
「もしかして…ゼロじゃないの?」
 岬が口にしたのは…悪意はないながら、若島津でないのなら…の一番の"心当たり"という相手。




          ◇



「…っくしゅっ!」
「汚いなぁ〜。」
 いきなり間近でくしゃみのおツユを飛ばされて、閉口して見せるのは森崎だ。
「風邪かい? あれほど靴下はいて寝ろって言ってんのに聞かないからだぞ? 今夜から"かい巻き"着て寝るかい?」
 かい巻きというのは、綿入れ半纏をそのまま掛け布団サイズにしたもの。
おいおい 半纏と違って合わせが背中に来るように割烹着のように着て、掛け布団代わりにするんである。それはそれとして、
「うんなんじゃねぇよ。」
 とある暗がりの中、狭い通風孔に這いつくばっている彼らであり、ま〜た ややこしい仕事を請け負ってるみたいだねぇ。
「もしかして…若島津さんたちに何か噂されてんのかもね。」
 おおっ! 鋭いぞ、森崎くん。
「幾ら似てるからって、何でもかんでも俺で辻褄合わせてんじゃねぇよっ(怒)」
「俺に怒るなよっ。」
 あっはっはっはっ。



          ◇



 ちょっと寄り道してみましたが。
「彼らなら証拠は残すまい。」
 三杉がけろんとした答えを返したのは、
「姿以外の証拠として、複数分の指紋を含む遺留品も結構残しまくってる様子だからねぇ。」
 これもやはり"ゼロではないか"と連絡して来た若林警部補が送って来た資料を検分した上でのお言葉なのだろう。そういや、若林さんてゼロ(と森崎)の専任担当でしたわね。三杉の言は あくまでも"実力評価"という種類のご意見であったのだが、仮にもICPOに籍を置く警察関係者が口にしていいのだろうかという言い回しでもあって、同座していたジノやピエールの口許に思わずの苦笑を誘った。
「となると、前科がないから突き止められずにいる…ってトコか。」
「初犯だから前歴者リストになかったってヤツ?」
 ならば ますます面妖ではないか。
「示威行為かも知れない。」
 今風に言うと"プロモーション"。プレゼンテイションの方かな?
"誰に何を売り込むんですよ、亨さん。"
 あ、そっか。(減点7ですかね。)
「金目のものをちゃっかり浚さらってってんだよ? 暴れるのは二の次らしいし、それに示威行為ならもっと芸が欲しい。」
おいおい
 画面に映し出されている現場写真…問題の犯人の影の数々は、結構種類がある割りにどれもどこか鮮明さに欠けていて、
「若林警部補としては、この体型のシルエットととんでもない馬鹿力とのミスマッチが気になるらしいんだ。」
 確かに…車を軽々と引っ繰り返した起重機並みのパワーを、さして筋肉質でもなさそうな肢体で発揮してのけたとなると、こだわりたくもなろう。若林がこっそり通報して来たのは、そういった信じられない馬鹿力へのオプションであった"つややかな長い髪とスレンダーな体格"というアンバランスな条件を見事に踏まえた人物が心当たりの中に居ないではないからのことだろうし、それが本人たちではないとしても…その奇抜な条件に合致する"具体的な心当たり"たちと同じ"特殊仕様の再生体"を作り出せる博士たちも知っているせいだ。で、その問い合わせを受けた側の対応はといえば、
「選りに選って君らのような手のかかるキャラクターを、わざわざ幾つも模写してどうするんだと答えておいたがね。」
 ほこりんと麗しく微笑ってたりするから、あっはっはっはっ。
「あのねぇ…。」
 手がかかると評された本人の渋面はともかく、実際には、
〈僕たちにも倫理観とか良識は"一応"あるんだよ?〉
 こらこら。自分でそういう言い方をするかい…という、どこかで却って誤解を深めそうな言い回しながらも"この研究所を出生の場とする者ではない"と回答しておいた彼らであるらしい…という意味なのだろう。
「そうでなくとも君とゼロという前例があるのに、同一個体を幾つも作るなんて芸のないことはしないさ。」
「おいおい(汗)」
 聞きようによっては…別なキャラクターという個体でなら作ったかも知れないと受け取れそうなことを言う。好きな言葉は"挑戦"ですか?
こらこら そんなこんなという冗談はさておいて。
「単にどん鈍臭いって解釈を持って来た方が、いっそ辻褄が合うのかも知れないしね。」
 三杉がぽつりと付け足した。視線は画面に据えたままだが、そこに映っている資料を見て言っている訳ではないらしい。
「え?」
「だから。体格に見合わぬ人間離れした体力やら脚力やらは持っていても、段取りが悪すぎるってことさ。もっと手際のいい"やりよう"があるだろうに。」
 確かに、それだけの腕力・脚力をそうとは見えない身で隠し持っているのなら、こんな風にカメラなどに引っ掛からぬくらい、もっと手際のいい仕事ぶりでこなせもしよう。
「じゃあ…意識的にそっくりな姿を装った上で、故意に存在を見せて回ってるっていう恐れは?」
 かつてのゼロの跳梁がそれだった。(くどいようだが『第二話』参照)どっちにしたって自分の姿への擬態となる訳で、若島津にしてみれば面白くない話には違いなかろう。背をあずけた窓の桟に両肘を引っ掛けるようにして凭れつつ訊く彼に、
「それを肯定するってのは、君の存在がここまで細かなディティールごと知れ渡ってるって事実を認めることになるんだよ?」
 三杉の返答は自信たっぷりにすらすらと紡がれた。
「こうまで手際の悪い"単なる夜盗"にまであまね遍く広まっているとは、ちょっと考えられないねぇ。」
 またそういう乱暴なことを言う。
「いや…だから、単なる夜盗じゃないとして。」
「君らをその能力ごと知ってる奴らというのは、とっくにお縄にした連中しか居ないんじゃないのかね?」
 にこりんと微笑う三杉の言いように、
「あ…そっか。」
 これこれ、あっさり納得するでない。そうでない連中からの挑発というのは考えんのか?
「受けて立ってやろうじゃないか。」
 …あんたたちって。
「それよりも、だ。君やゼロという極めて特殊な例外を知らずに、先入観なしでこの話を聞いたならどうなる?」
 お懐かしや『ドラゴン・ボール』に登場した17号や18号という人造人間(あれは正確には"改造人間サイボーグ"だろうと思うのだが)や、サンライズの『Zガンダム』に登場した"強化人間"も、健やゼロの仲間内だろうから
おいおい論外に置くとして、
「こんなとんでもない仕事が出来るとなると、原寸大サイズの人型マニュピュレイター…ヒューマノイドかも知れん。」
 ヒューマン・タイプということで"ヒューマノイド"ですのな。一昔前なら"ロボット"と言えばこの人型のもの、もしくは既存する生き物に形態を似せたものだけをイメージしたんですが、動力によって作業を営む「機械」がどんどん進化して昔ながらの"ロボット"との境目が随分と曖昧になっている昨今。SFっぽい呼称がどんどん進化してゆくのも余儀ない話なのだろう…という講釈は、専門的に説くと要らぬ頁数を食いますので、確か『第四話・上巻(88頁〜)』辺りでもごちゃごちゃ書いてましたから、そこを各自で参照して下さるとありがたい。
おいおい 例えば、紙を細かく刻むという作業に役立つようにという"ロボット"を作るとして、人間のように機能する『腕』が何本もあってハサミを一度に沢山操れる…なんてなものを作ってもはっきり言って意味はないでましょ? それよりシュレッダーの方が、高速破砕の原理としてはずっと効率的。こういう発想の転換が人類の科学的発展にも多大に貢献して来た訳で、なのにどうして人間型の"ヒューマノイド"研究が進められているのかというと、人間の体機能や体の構造を研究するために…なんだそうな。
ex,ほんのちょっとした動作にどれだけの理屈が伴われているのか。それを知って、人工的な代替物はどういうシステムで統合的に構成すれば効率的なのかを研究したりするのだそうな。
  (人間の五本指の動きを再現させるというロボットが既に実際に有りはしますが、そういう系統の"ロボット"もまた、器用さが必要な作業のためというよりは、人間の動作研究に必要だからと開発されたもの。その完成品を細かい仕事用とか手話再現とかに使おうとするのはユーザーの考えること。)
ちなみに…某 近未来警察コミックス『機動警察パトレイバー』でも数々の機種が登場したレイバーの正式名称?である"マニュピュレイター manipulrtor"は、操縦により稼働する機体という意味であり、操縦者が乗り込んで操作するような大型多足歩行型の…車やブルドーザーに手足がついたようなものばかりを指していう訳ではない。遠隔操作するタイプも同じ"マニュピュレイター"の範疇に含まれるのであり、例えば…危険区域での作業用にと、無人のまま、人工衛星を使ったサテライト・システムによるコントロールで操縦出来る作業用大型車輛(ブルドーザーやトラックなど)も"マニュピュレイター"なのである。
「そういう代物が"まだまだ遠い夢物語"ではないというのは、我々には身に染みて判っていることだ。」
 相変わらずの余談が挟まってしまったが…今回は結構多いので今から覚悟していて下さいませ。
こらこら 三杉が言うのは…人型マニュピュレイター"ヒューマノイド"は、今のところの公の場ではいかにも「ロボット」なものしか出回ってはいないが、公開されていないものにもっとずんと進んだものもあるやも知れないという危惧であり、


「そういや…あのDr.ヴァンも警備用のを備えてたよな。」
 ロボット三原則に基礎をおく論理機構の仕上がりが完全かどうかや、その使われ方における合法性を問えない形で…つまりは非合法な"アーマー"としてのそれらには、あちらこちらで遭遇したおしてますもんねぇ。
「現に君ではないしゼロでもない。」
「言い切れるのかい?」
 ジノが言質を取るべく確かめたのは"ゼロではない"という一言へ。三杉はこっくり頷いて、
「所長が写真を見て判定なさったから間違いはないよ。」
「成程。」
 またそういう偏った"絶対"を持ってくる。
「けれど…ヒューマノイドだとしても、そんなものをわざわざ使う理由が判らんな。」
「だよねぇ。この程度の強盗では、製作経費との採算が全然合わないんじゃないのかな。」
 ジノとピエールのやりとりに、
「? どういうこと?」
 岬が小首を傾げて見せる。初夏の陽射しに淡く照らされた色白な小顔が何とも愛らしくて、それへと小さな苦笑を向けたピエールが、
「ヒューマノイドだなんて精巧なもの、研究して作ってっていうのにどれだけ費用がかかると思う?」
 そんな風に細かく説明を重ねた。
「人間のような動作や器用さが必要だっていうのならともかく、やってることはただの強盗なんだ。そんなご大層なものをわざわざ作って使うより、そこいらの建設用ブルドーザーで突っ込んだ方が準備する元手は少なくて済むし、捜査への糸口だって残さずにすむだろう?」
 特殊なケースであればあるほど、例えば…工学系の技術者だとか、特殊鋼材の技術がある工房だとかいった"犯人想定用のヒント証拠"を残してしまう。部品や素材の破片などという"物的証拠"が残らずとも、動作パターンやらデザイン・機能などで、どこの出なのかは結構絞り込める。特殊なものであればあるほど、それを出来る人間が世界に一人しか居なければ、それがイコール犯人となるのは自明の理。むしろ、そこいらに転がっているものや、誰にでも簡単に入手出来て扱いも簡単なものを使った方が、犯人像も不特定多数となって捜査に混乱を齎もたらすというものだろう。けどでも、小型のショベルカーを使ってATM機をまるごと盗んだおじさんたちは、割とあっさり捕まってましたが…。
これは98年12月の話で、その後も似たような事件が続発。周りの住民はどうして気がつかんかな? 物音に。ちなみに…自動販売機がこうまで至るところにあるのも、日本くらいのもんだそうで、舗道にはみ出す迷惑や景観を損ね倒している風情のなさよりも
おいおい、道端に機体だけでもウン十万円はする、お金の詰まった代物を放置する神経が、外国の方々には信じられないんだとか。近頃は物騒だの何だのと言ったっても、日本ってまだまだ平和よねぇ。
 **そして、00年には"ピッキング"が横行。細目のかぎ針みたいな金属棒2本であっさり開いてしまうシリンダー錠が集中的に狙われ、空き巣が堂々と玄関から入るという窃盗が多発した。錠前メーカーは「欠陥はない」と言うてはったが、簡単に開くことがすでに欠陥なのではなかろうか…。主に中国や香港などからやって来た窃盗団がやらかしているとされていて、家人に見つかると、逃げるのではなく容赦なく刺すところが恐ろしい。やっぱり日本人て危機管理意識が低すぎるのかも…。
「ま、さっきも言ったが、検診中の君らにどうのこうのしてくれと言うんじゃない。」
 そう言ってディティクターからCD−ROMを取り出し、
「今のところ、ICPOへまでは"捜査申請"が届けられていないヤマ事件だからね。」
 三杉の声は終始変わらぬ淡白なそれのままだ。
「ゼロが出没した時とは状況も背景も違うことだしね。どういう思惑があってのものかという点も含めて、窃盗行為の方向から秘密裏に調査を進めるということだ。一応君らの耳に入れといてくれって通達なんで伝えただけだよ。」
 いたってのどかな"イレブンジスティー(お十時)"の話題に警察からの業務連絡が上るというのも、彼らならでは。そんな"日常"が、だが…一向に殺伐としないのは、
「ところで…若島津くん。」
「何だ?」
「いいかげん、窓からの出入りは遠慮してくれないか。侵入者と勘違いしていちいち反応するセンサーが喧ましくって仕方がないって苦情が、警備部から上がって来ているんだがね。」
「何だよ。ちゃんと登録されてる人間までチェックされてるのか?」
「ちゃんと登録されてても、外からいきなり4階5階のフロアに飛び込まれたりすると、チェック機能と防犯装置の素早い対応同士が喧嘩してしまうんだよっ(怒)」
 彼ら自身の基本仕様が凄まじくかっ飛んでいるからなのかも知れない。





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