奇縁邂逅
(お侍 習作149)

         お侍extra  千紫万紅 柳緑花紅より
 


        




 そもそもは、天主謀殺の首謀者だという事実が暴かれれば、既に結構な範囲で顔が指す存在の勘兵衛。その周囲へも余計な側杖招くからと、重傷を負った久蔵への快癒に向けての湯治のかたわら、人里離れた辺境への旅へと発った彼らであって。もっとぶっちゃけた言いようで、ほとぼりが冷めるまでの隠遁生活に入ったつもりだったのに。気がつけば、凶暴残虐な野伏せり崩れを片っ端から仕留めて回る、腕のいい賞金稼ぎという格好でその存在が世間へ広く知れ渡りつつあって。

 「褐白金紅といやあ、今や知らぬ者はおりませぬ。」

 それも、アキンドらが大打撃を受けた例の“都”撃沈事件以降、各地へ拡散した形となった混乱からの防衛のため、各地各州が独自に結成した自警団が、互いに協力体制を取り合うこととなって結成されたもの。辺境地域の統括警備にあたるべく発達した、汎大陸警邏組織とも呼ぶべき、州廻りの役人らからこそ、その名を大いに頼り
(アテ)にされているのだから世話はなく。そうして、

 「その名。」
 「え?」

 その赤い衣紋の輪郭を夜陰の薄闇へと吸い込ませ。伏し目がちになっているのが、目許を眇めているように見える若いのの、どこか仏頂面なのへ。機嫌を損ねてどうするかと、周囲を行き交う役人仲間や捕り方らがひやっと肩を竦めたものの、

 「その呼び名は、我らが名乗ったものじゃあないと。」

 そう言いたいらしいぞと、お連れの壮年殿が補填して下さったのへ。ああ…と破顔し、やっと意味が通じたらしいお役人。中司(なかつかさ)といって、ここ最近の勘兵衛らとの連絡を受け持つ担当官なのだが。

 「そうでしたそうでした。
  確か、どこぞかの読み本の作家がそんな名で呼び始めたのが広まって。」

 「〜〜〜。」

 だから。そんな経緯でついた代物、こちとら認可してなぞいないのに。俗称はなはだしいそんな呼び名で、役人たる貴様までが我らを呼ぶかと。そういう意味合いからムッとしていた久蔵だったのに。今一つ通じていないらしいのは、果たして久蔵の寡黙が過ぎてのことか、それとも…中司殿の大雑把すぎる感性が悪いのか。
(笑) そして…こなた様とて当事者でありながら、微妙に傍観者の位置に立ち、くつくつという小さな苦笑を見せた勘兵衛なのへと気がついて、

 「…。」

 もう知らぬということか、ふいと視線を逸らした久蔵であり。片やの中司殿のほうも仲間内から呼ばれ、小さな会釈を残すとその場を去って。何とも珍妙なすれ違いまくりの“問答”が、立ち消えという形にてやっとのこと終止符を打ったので。

 「…そう拗ねるな。」

 そもそもからして、中司と向き合っていた勘兵衛の、広い背に凭れる格好でいた久蔵であり。そんな態度のまま、つまりは最初っから会話へはそっぽを向いていた格好だった連れ合いへ、大人げないぞと窘めるような声を肩越しに掛ければ、

 「……。」

 まだ少々拗ねてはいるらしいまま、それでも勘兵衛への不興ではないということか。双方の背の狭間に挟まれた格好になっている、壮年殿の豊かな蓬髪へ。ぽそり頬を伏せるのが、判りにくいが“その話はもういい”との意思表示だったりし。声を交わしてのやり取りをしたところで、周囲の者らには届かぬだろうほど。彼らのいる“現場”は、深夜遅い刻限にもかかわらず、雑音に撒かれての騒然としている。動力系統を切り刻まれて起動不能と化した鋼筒の残骸から、まだ息がありそうな搭乗者が引きずり出されていたり。はたまた“投降せよ”との呼びかけ振り切って、得物を手に手に突撃して来、無謀にも切り結びへと持ち込んだ愚連隊もどき。怖いもの知らずな雑兵らが、練達二人の手により、哀れにも瞬殺で倒されたその亡骸を、捕り方らが手早い段取りで“移動”にあたっていたりして。とんでもない修羅場の後片付けではあるが、あの大戦ではもっと凄惨な現場にも立った身、今宵の小さな捕り物程度じゃあ、さすがに今更動じることはない彼らとしては。だがだが、

 「仇名はどうにも気に入らんらしいが、
  それをかざすことで小者らの戦意をもぎ取れるようになって来たのだ。
  そこだけは買ってやらんとな。」

 勘兵衛だとて、微妙に勇名のようにも聞こえかねないそんな呼称には、あまりいい感情を持ってはいないのだが。その名の下、途轍もない練達との噂が当人たちの道行きの露払いのように先んじて広まった功罪のうち、さして尻腰のない等級の野盗らが、自主的に投降して来る率が上がったのは悪い話じゃあないとも思う。犯罪抑止のためのまじない札代わりという扱いは むしろ重畳。余計な血が流れなければ、余計な怨嗟も生まれまい。こたびの野伏せり崩れの一団も、捕り方の中に彼ら“褐白金紅”がいると知るや、その抵抗への覇気があっと言う間に萎えての早じまいだったのだし。

 「……それとも、お主。こちらの正体伏せてでも“人斬り”三昧をしたいのか?」

 そこまで見境のない狂犬ではなかろうと、判っておればこそ訊いてくる壮年殿の。やんわりとたわめられた目許の温みに、

 「〜〜〜。////////」

 ほんの刹那ほど呑まれかけたの、ええいと振り払うようにして。

 「…。」
 「ああ判った。詰まらぬ揶揄をしてすまなんだ。」

 口元こそ“うっ”とたじろいだ余韻も残したそれだろう、口唇の上下それぞれを引き込んでの歯列に挟んだ、いかにも含羞み滲ませた食いしばりようだったけれど。眇めた目許が切れ上がって見えるほどの、そりゃあ鋭い一瞥が返って来たのが頼もしい。貧しい里へ数に任せて躍り込み、僅かな金品取り上げちゃあ、非力な人々が平伏して怯える様を見、高笑いしていたような下劣な手合い。そんなまでセコい雑魚でも、片っ端から斬って爽快を得たいと思うよな、血に飢えているばかりの悪鬼なぞではないことへ。こちらもまた、男臭い口許ほころばせ、不敵な笑みを返した勘兵衛が、
「さて。」
 黎明にはまだ今少しほどの猶予がある中、撤退収拾を急ぐ、騒然としたこの場から離れんと思うたか。いかにも間に合わせにと設置されていた“通信統括”という名の天幕から出ようと立ち上がる。天井から下がっていた簡易灯明がゆらんと揺れて、それが振り撒く光が折り畳み式の小ぶりな机の上を舐める。そこに広げてあった地図に気づいた久蔵が、かくり、小首を傾げて見せてから、図上の上部、北方の辺りを細い指先にてとんとんとつついた。

 「? 如何した?」
 「印がない。」

 どうやらそれは、当夜のような検挙・逮捕劇のあった箇所を赤い印で記した地図であるらしく。そして確かに、久蔵が示した辺り、北の西側にはあまり赤い印がついてはおらずで。地形から見て峻高な山岳地帯だということでもなし、

 「そういえば…。」

 自分たちが召喚されたことも、そういや一度としてないようなと思い出す。人里が少ない地域なのだろか。北方を悪く言うつもりはないが、それでも作物を作るには適さぬ土地も多かろしと。地図を手に取り、引き寄せた勘兵衛の、厚みのある肩口へと細い顎を載せ。子供が大人の手仕事を覗くよに、そこから手元をと覗き込んでいた久蔵へ。そんな推量を語っておれば、

 「北領西部ですか?
  安泰といや安泰なのですが、寒村ばかりじゃあないんですよね、これが。」

 勘兵衛らを宿へまで案内
(あない)せよとの命令が下ったらしい、中司殿が戻って来ていて。途中から聞こえていたらしい、こちらの話の足りないところを補充する。
「そこいらでも随分と以前から、野伏せりが跋扈していたらしいのですが。」
 ご指摘の通り、畑作には向かない土地ではありますが、後背にそびえる山々に様々な鉱脈がありましてね。大量にという訳じゃあないが、贅沢を言わねばそこそこ食べてゆける程度に、翡翠や瑪瑙と言った軟石や水晶が採掘出来たので。それらを細工しては、若いのが遠方まで売りに出るという形態の産業で、何とか成り立ってた地方だったのですが。
「そんなささやかな上がりにさえ目をつける、悪どいのは昔から居たそうで。」
 ですが、と、言葉を切った中司殿。片側大きくめくり上げた天幕だとはいえ、周囲には忙しそうに立ち回る人々が行き交うばかりで、誰も関心寄せちゃあないのに、慎重そうに周囲を見回してから、いかにも内緒ですよと声を低めると、

 「ところがところが、
  そんな輩を一掃してしまう、凄腕の“守護”がいるのだとかで。」
 「凄腕の“守護”?」

 それは初耳と、関心向けての訊き返した勘兵衛へ、仰々しくも頷いて見せたお役人。何でも、大人数を相手にしても怯むことなく、大太刀振るう武芸者らしいのですが、返り血も浴びない鮮やかな始末っぷりと、その姿の麗しさから“神のお使い”とまで言われて崇められていて。しかもその上、途轍もない練達で…と。彼らには届いていたらしい情報を少しほど明かしてくれて、

 「そんな存在がいるおかげ、大きな被害は出ていないからということか。
  我らのところへ訴えも来ないので、
  その野伏せり狩り、詳細までは判らずという次第なのですよ。」

 無事ならそれに越したことはないのですが、と言いつつも、
「どのような守護様なのか、逢ってみたいものですけれど。」
 などと、どこか物見高い言いようを連ねた中司であり。というのが…と続いたのが、


  「何でも、
   すこぶるつきに美しい女性だという話も、漏れ聞こえておりますので。」






     ◇◇◇



 野望のついでにと農民を虐殺しにかかった天主を、こちらも大上段へと登っての誅したつもりは ほとほとないが。その“大惨事”以降、野に放たれた格好の野伏せりが幾たりもいる。その大半は、鋼筒という搭乗型機巧を駆使していた手合いや、その身を機械化してはいても、人の等身大に近い甲足軽といった手合いらであり。あの長い大戦期においては、機巧化軍属の下層として立ち働いていた顔ぶれだ。戦さという背景があったればこそのその武力は、戦さが終われば無用の長物。それどころか、一般市民の中へと溶け込んでの“普通の生活”さえままならぬとあって。死活問題からのこと、辺境の里や村を襲撃し、農民たちを恐怖で支配していた彼らは、いつからか“野伏せり”などと呼ばれ、それほどに特別視されての恐れられてもいたのだが。実行班にあたる彼らへと、指令を与え、強奪して来たものを本陣へと集めさせていた“上層部”がそもそもはあって。紅蜘蛛や雷電といった、巨大躯 誇る幹部らが…選りにも選って武家層を窮地に堕としめた“アキンド”らと結託していた事実、知る者はごくごく少数に限られており。その“上部組織”にあたろう幹部がほとんど、壊滅してしまった今現在。統率が解かれた“実行班”らによる奔放放埒な跋扈蹂躙は、さすがに目に余ったものだから。それでなくとも、大戦以降のお初にあたろう大虐事件のあおりから、どんな暴動や混乱が起きるやもしれぬと。心得あって心ある人らが立ち上がり、各地で組織されたのが、自警団やら警邏隊やら。こちらには主に、生身の体で大戦に従軍していたやはり武家層が中核となっているのが、皮肉といや皮肉な話。

 “そもそも、代々の自領だった故郷の土地を護ると、
  そのような想いからの参与という者が多かろうからの。”

 生身の体である者はまだ、一般の民に溶け込んでの、新しい生き方を選ぶ道もあったので。生まれ故郷の領主やその係累といった士族なら、支配守護層へと戻る道さえあってのこと。もしかしたらば…かつては主従であったやも知れぬ者同士が、今は狩る者と狩られる者となり、とんだ再会果たすことが珍しくもない状況へとなりつつあって。

 「北領西部か……。」

 北軍南軍という呼称で分けられての対峙していた敵と味方ではあったが、それは発端となった決裂を見せた、都市部の軍閥連中が、その派閥内での南北に割れるよな断絶しでかしたのがコトの始まりだったというだけの話。なので、勘兵衛のような南方出身者が北軍にいたり、久蔵のような北領出身者が南軍にいたりという、ややこしいことにもなっていて。

 「そういえば、お主の故郷、
  北領は北領でも、七郎次の出身とは異なる地だと言うておったが。」
 「…。(頷)」

 こたびの始末も、人里に被害を出さぬようにと、賊どもの陣地間近で取り囲んでの誘い出し作戦と相成ったため。一件落着した今、後始末は捕り方に任せて、先に逗留先の宿がある里までの帰途につくこととなった“褐白金紅”の二人連れ。乗り物を手配したという中司の申し出を断っての、会話しながらでも結構な速足で。てくてくと歩きもっての移動の途中。特に思うところがあった訳でもなかったが、たまには静かな宵を歩くのも乙かと思ってのこと。煌々とその姿を見せている望月の降らせる青い光を辿るよに、教えられた里へまでを戻ることにて、野伏せりらを屍の山にした血の気を静めようと構えたまで。そしてそんな道中で、そういえば これまで一度も話題にしたことがなかった、詮索しなかったにもほどがある相棒の生まれ故郷のこと、今初めて訊いた壮年殿であったりし。北軍で勘兵衛の副官であった七郎次もまた、その玲瓏な風貌が色素薄くて儚げに見えぬ……でもなかったところが物語るまま、北領の出であったのだけれど。久蔵の故郷とは残念ながら交流がなかったらしいとかどうとかいうこと、当事者同士の間では、話題に上がったこともあったらしくて。

 “…まま、北領と一口に言っても随分な広さなのだし。”

 大戦中に配置されたのも南方支部だったせいか、勘兵衛にしてみれば知識でしか知らぬ土地。神無村よりも以北は未到の地であり、久蔵という相方を連れての旅に出たことで、初めてあちこち、雪深いところへまでも訪のうたようなもの。よって、

 「暇が出来たら運んでみようか。」
 「?」
 「お主の故郷へだ。」

 いくら戦さがらみだとはいえ、山ほどの命を屠り、どんな大河にも見まごうほど沢山の血を流しての大地を染め上げ。鬼か夜叉かというよな非情な所業を為して来た自分らが、今更故郷を懐かしむのどうのというのも何ではあるが。愛しい連れ合いの何もかも、あまりに知らぬのは歯痒いと、ふと思った勘兵衛だったようであり。ともすれば青二才のような物言いへ、今更ながら照れたような苦笑を浮かべ、それでも“どうだ?”と供連れのお顔をじいと見やれば。

 「………………………。」

 今そうなったものか、それともこれまでそうだったのか。表情が止まってキョトンとして見せてから。体機能までが連動したか、足の運びが止まりの道の真ん中で立ち止まってしまった久蔵が。

 「〜〜〜(否、否、否)。」
 「何故に?」
 「〜〜〜(同上)。」
 「戻れぬような何か遺恨でもあるのか?」
 「〜〜〜(違、違、違)。」

 ならば何故、そこまで拒絶をするものか。口では何とも言い返さぬまま、だがだが激しくかぶりを振るのが一通りの嫌がりようではなかったりし。結構凄惨な一仕事を終えてすぐの会話にしては、なかなかのほほんとしていたはずが、

 「何がそうまで困るのだ。」

 そう、何にか窮しているとしか思えぬ態度を見せた久蔵だったのが、勘兵衛には意外で意外で。これが日頃であれば、他愛のない隠し事とてされようと、執拗にほじくりもせず、むしろ見なかった振りを上手にこなしてしまうほどの もののふが。妙に間合いが悪かったのか、それともこれほどに異様な嫌がりようが…何かしら重きものを隠してのことかも知れぬと、勘に触れての落ち着けなんだか。こちらもまた、固執を見せての食い下がっておれば、


  ――― そこな御仁、見苦しいぞっ


 そろそろ黎明も始まりそうな、未明の冴えた空気をなお鋭くも切り裂いて。どこからともなくの人声が、姿は見えぬに堂々と、胸を張っての高らかに、こちらへと向けての張り上げられたようであり。
「?」
「???」
 互いに顔を見合わせて、見えたか聞いたかと無言の真顔で訊き合うものの、あまりに鋭い一喝だったせいか、どの方向からのものかさえ判然としない。この二人の耳目をもってしても、気配さえ感じさせない相手とあって。そのまま“ただならぬ相手である”ということに繋がりはしないかと。気を引き締めての周囲を見回す。街道筋からは微妙に外れた山野辺へと連なる小道。そこを里まで戻り掛けていた彼らであり。頭上には、既に寿命が間近い古木だからか、この季節にも葉を茂らさぬ枯れた梢が網目のように絡み合い、ほのかに青みを帯び始めた未明の空を透かしており。そんな古木が両脇に連なっている、平坦なれど踏み固めは足りない小道。雑草が端だけと言わず、真ん中へも株を盛り上げていて、不用意に後ずさりをすれば たちまちつまずく、ある意味で立派に油断のならない困った足場。殺気を感じた訳ではないが、正体不明なものをそのままにしておくのは何だか目覚めが悪いので、一体どこの誰だろかと自然な対応、背中合わせになっての互いの向背周囲を見回すことで、全方向へと注意を払えば、


  ――― ざんっ、と


 草の茂みか、どこかの梢か、蹴立てたらしき気配がし。風を撒いての降って来る何物かを、ぎりぎりのすんでで察知して。それが達する寸前で、こちらは左右へと素早く散開する。互いの衣の赤と白が交差する後へと飛び降りて来た何物か。そんな相手を挟んでの、逆に取り囲もうと構えたものの、

 「……………っ。」

 すらりと引き締まった肢体へ、濡れるような青い月光浴びた、急襲者の誰かしら。勘兵衛がまとっている砂防服と、機能や概要的には似た作りか、何枚かの内着外着を重ね着しており。しかも一番外側の外套部分が足首まである、だだら長い代物なので、手首足首、肩幅などから、随分と痩躯であるらしいとは知れたものの。今のところの判別では、男か女かも知れなくて。顔はといえば、ややうつむいての上目使いにこちらを睨んでいる様相が響いてのこと、顔容の隅々までをあらためるのもこれまた難しく。ただ、これだけははっきりしていたのが、何にか怒っておいでの乱入であるらしく。

 『そこな御仁、見苦しいぞっ』

 確か、そのような一喝を浴びせかけての襲撃だったはずなので。もしかしてもしかすると、先程少々言い争いめいたやりとりをしていた彼らだったのが、体格にこうまで差のある同士での、何かしら内輪揉めでもしている影に見えたのかも。勘兵衛の側はそれと気づいたものの、こういう機微へは まだまだとことん疎い久蔵には、この突然の襲撃、何が何やら一向に判ってはいないことだろう。
“…う〜ん。”
 恐らくは正義感に燃える堅気の若いのが、こちらのやりとりを勝手に解釈した末、小柄な存在への無理無体とは何事かと、大柄な側の勘兵衛へという怒り心頭に発しての殴り込み。ということは、
“儂へと天誅を加えれば、それで気が済むということかの。”
 故意に殴られてやるのは気が引けるが、それが一番の早道には違いない。そんな状況を踏まえてのこと、反射的な所作として既に抜き放っていた大太刀を、そろり峰打ちのそれへと持ち替えて。

 「そこなお主、どうやら儂へと用向きがあるらしいな。」

 太刀を持たぬ側の手を挙げることで、持ち変えを誤魔化しつつの話しかければ。その誰かしらの向こうでは、
「???」
 久蔵が一体何のお話かと、目元へ微妙にかぶさって淡い陰を落としている前髪の陰で、紅の双眸眇めかけていたらしかったが。それへも構わずの威風堂々、砂防服の生地が随分と重なった胸元を、ゆったり構えつつも張り出させ、そうさ、わしが無体を強いていたのだと言わんばかり。これ見よがしな横柄な態度でもって、ささやかな挑発を仕向けたところが、


  「…………………。」


 彼らへと躍りかかった謎の影。ここまでの果敢さが、今度は唐突に息をひそめてしまっての、音なしの構えとなっており。頭上を覆うのは、自然木が編み込まれての格子のようになっている天然の笠のような天蓋で。不規則な格子の影が落ちる中、その粗い網の目をかぶった格好の謎の人物が、おもむろにお顔を上げるとその細い肩をかくりと落とす。そうして、

 「こんな形で再びまみえることとなろうとはな。」

 放たれたお声は、先程の一喝と同じもの。但し、随分と角の取れたそれであり。だったからこそ、まずは勘兵衛がハッとした。

 “女御か?”

 一気呵成に飛び込んで来た反射や力強さからは信じ難かったが、それでも…きりりとしたこの声には女性独特の特徴があったし、

 「離れ離れになって10年以上経つからな。
  私も気づけなんだが、それはお主にも同じこと。
  相も変わらぬ唐変木が、きっとまだ判っちゃあいないのだろから、
  ここは引き分けというものぞ?」

 そうと続けての末に付け足された一言が、間違いなくの決め手となった。曰く、

 「久しいの、島田勘兵衛。」
 「やはり…お主、もしやして銀龍か?」

 10年前といや、軍にいた頃であり、そんな時分に知り合いだった“女性”といやあ、彼女にしか心当たりがない。そんな消去法での言い当てだということまでも、きっと察していようほど、馬の合った女傑であり。勘兵衛自身と同期の身だから、それなりの年齢になってもおろう筈だのに、

 「今なお その身ごなしとは恐れ入る。」

 彼女に限っては“女だから”や“女だてらに”が通用しないと、重々身に覚えがあったはずだが、それでもと。得物の太刀を鞘へと収めつつ、彼女を挟んでの向こう側、先程とは違った心持ちにて相方を透かし見、
「久蔵、こやつに警戒は要らぬ。」
 そうと掛けた勘兵衛の声が。だが、久蔵本人よりも、その狭間にいた人物の何かを弾いてしまったらしく。

  「キュウゾウ? 男のような名前の嫁だの。」

   …………はい?

 辺りは黎明間近い藍の静謐をたたえた、それはシンと静まり返った空間で。風もないまま、つまりは何の空耳もしないだろ間合い。そこへと放られた文言の中に、不適切な表現がありませんでしたか? 確か今。それへは、

 「〜〜〜?/////////」

 実を言えば、ちらっと。自分の知らぬ“女”が勘兵衛と親しげにことばを交わすのへ、胸の奥底がむかっと弾けかかった久蔵だったのだけれども。それさえも やすやす押さえ込んだのだから、嫁という一言、慣れぬ者へは物凄い威力を発揮するもんである。
(おいおい)


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