ちゃありぃ's 骨折ダイヤリー


スキー場でいきなりボーダに衝突され,骨折してしまいました。
インターネットでみつけた,先人の骨折日記を読ませていただき,生活を改善できたり,経過を予測したりずいぶん役立ちました。
というわけで,私の骨折日記もどなたかのお役にたてれば幸いです。
フレームで閲覧ご希望の方大きなファイルは苦手な方はこちら

OOPS
日付経過病状病状以外の情報
2003.1.1(水) 事故から1日め 14:30 はじまりはじまり 18:00 苗場プリンスホテル

 KKスキー場,一番の緩斜面プロキオンコース。こんな斜面はお手のものと優雅に数ターンしたところ,後ろから突然急にすごい衝撃を受けた。
 倒れている。板が両足ともない。
 自分より10M上に板が1本,下5Mぐらいにもう1本。
 「大丈夫ですか?」とボーダが声をかけてきた。
 「大丈夫じゃないみたい」と答える。
 ボーダ君が板を拾ってきてくれるが,まだ足の痛みがとれない。

 なかなか来ない私にがるぅが無線で連絡してきた。
 追突されたと伝える。

 立てる。幸い駐車場まであとは緩斜面だけ。
 歩けなくても滑れるんだから,下山は大丈夫と思って板をはく。
 板が踏めない。ビンディングを上げて無理やりはかせてもらいGO!

 予想に反して,コースわきの木立にむかって一直線。危ないところだった。

 パトロールを呼んでもらう。
 パトロールの人は膝の骨を内側からチェック。痛くない。大丈夫だ。
 はじめてのお船の蓑虫体験。思ったより足に響くんですけど。思わず負傷した  足を浮かす。

 パトロール小屋でブーツを脱がしてもらう。  すごく痛い。絶対脱げないと思ったけど,2人がかりでブーツを広げてもらいぬ がせてもらった。  その後事情聴取。  数ターンしたら,急に後ろから衝撃があって,気づいたら板が2本ともはずれ ていたと。  病院を紹介してもらう。衝突してきた彼には,何かあった場合のみ連絡する約束として別れた。  駐車場まで,再度お船の蓑虫に。船から下りられず,また車まで運んでもらう。


 がるぅは,ホテルをキャンセルして帰ろうかというが,どうせお正月では病院にもいけそうもないし,ホテルに部屋があるうちはホテルで寝てることにした。

ホテルに到着すると,がるぅが車椅子を借りてきてくれる。でも車椅子に乗り移れないんですけど....松葉杖ってすごいものなんだなぁ。
 車椅子でフロントへ。
 フロントで松葉杖はないのか聞いてもらう。ずいぶんまったけど,ラッキーあるんだって!よかったよかった。

15:30 湯沢 角谷整形外科 旅行先や病院がお休みの日に骨折した場合の松葉杖,車椅子の調達のしかた

 元旦だというのに,すごい患者さんの数。
 がるぅは,私が履いてきた靴を棚に片付けているのはなんで?と妙なことをチェック。
 岩原の車や,KKスキー場スタッフの服を着た人たちがどんどん足を引きずった人をつれてくる。
 先生だけでなく,看護師さん受付の人もいて,平日もこんなに患者がいるのかな。繁盛していいなとか思ってしまう。
 私より悪そうだった人がギブスでなく帰還してくるとほっとする。
 私の診察まで1時間。あ,ここはれているねと足首を指す。さすがプロ,私は あまり差がわからない。

 まずは,レントゲン。「撮影終わったら診察室にまわって」といっていた先生が急に診察室から,「Iさん(私の本名)そのまま動かないで折れてるよ....」

 帰りがけに先生に1カ月ぐらいですか?と言ったら,1.5カ月だねとのこと。
 レントゲン写真のコピーと紹介状を作ってもらう。

関節外か骨折 X-ray photograph
↑こんな骨折状況

 今後の生活が頭をよぎる。昔,同僚のIさんがギブスでランドマークタワーまで松葉杖で出張にきたことがあったなぁ。だから女はって後ろ指さされないように1/6から出勤してやってやろうとか,,,結構ファイトが沸いている。

 松葉杖はここの医院で調達すると買取になるという。近くのお医者さんでレンタルしたほうがお安いですよとの看護師さんのおすすめ。
素直に従うが,後で考えるとここで調達すべきだったかも。


【旅行先で】
  • 松葉杖は買取だとしても,旅先で応急処置をしてもらった病院で調達すべきでした。松葉杖はそれぐらい重要な生命線となります。
     (今回お世話になった湯沢の整形外科さんでは,5000円とのことでした。付近の病院で貸してもらう場合は,3000円ぐらいの保証金を支払うと松葉杖を返却した時に保証金を返却してくれるシステムのようです。)

     なお,松葉杖購入費用は,スキー保険等では保証してくれないようです。

  • スキー場付近のホテルに宿泊している場合は,ホテルで車椅子,松葉杖を貸してもらえるか依頼してみましょう。
     (今回お世話になった苗場プリンスホテルでは,ベルキャプテンさんにお聞きしたときは,松葉杖のありかはわかりませんでしたが,フロントで調べてもらったら本館フロントにあり,滞在中貸していただけました。)

【病院が休みの時】
  • 休診日でももしも病院関係者の方がいらっしゃる場合は,事情をお話して頼んでみましょう。
     今回はラッキーだっただけかもしれませんが,1/3に事務の方にお願いしたところ,貸与くださりました。
  • スキー仲間に連絡をとってみましょう。思わぬところに所有者がいるケースがあります。
     (私の場合,後日談で松葉杖がなく困った話をしたところ,一番近しいスキー仲間の家にあったことが判明しびっくりました。)
  • 車椅子はレンタルやさん(ダスキンレンターオール)に置いてありました。(松葉杖は未確認)

2003.1.2(木) 事故から2日め
 お手洗いに行く以外は,ほとんど寝ている。痛みなし。

苗場プリンスの6号館は,お手洗いはバスルームにあって,10cmぐらいの段差がある。狭い入り口での10cmの段差は松葉杖では結構怖い。後ろ向きにあがるのが安全なことを発見。何度かあぶない目にあう。

事故状況,保険会社への連絡などにつき骨折ダイアリーを書きはじめる。


 インターネットで東京海上の連絡先を捜す。松葉杖の重要性がわかって,スキー保険で松葉杖がカバーできるのなら,やっぱり湯沢の角谷整形外科にまた買いにいこうかとも思って,東京海上火災の休日・夜間連絡先であるあんしん110番というのに電話。私名義のスキー保険の登録情報はないとのこと,え,なんで? 保険証書がなければ何も答えられないとのこと。役にたたないおじさん,きっと元旦で,管理職のおじさんがピンチヒッターしているんだろう。。。。

休日に事故にあった場合の保険会社への連絡先

東京海上火災 あんしん110番
0120-119-110

2003.1.3(金) 事故から3日め
今日も順調。
11時にチェックアウト。ホテルで貸していただいていた車椅子も松葉杖も返した。ここから先は,帰省渋滞にはまったら,お手洗いにいけない。どうか渋滞しませんように。

16時に港南台に到着。まず,松葉杖が欲しい。
ダスキンレンタオールを見にいく,今日はお休み。営業は明日から。
店先に車椅子もあるし,松葉杖も期待できるかも。でもどうしても今日欲しい。
(後で調べたところ、車椅子レンタルは1カ月2900円、松葉杖は1カ月1500円でした。車椅子レンタルは結構お得かもしれません。)

自宅付近の開業医の診察日をチェック。残念1/6〜。
念のため,済生会横浜市南部病院で救急でみてもらえるかチェック。今日はだめみたい。だいたいここの病院は紹介状ないと見てもらえなかったんだ。(あ,でも湯沢でみてもらった先生の紹介状があるけど,意味が違うなと勝手に断念)
洋光台まで行こうと思ったところ,念のため港南台病院の診療科を見に行く。 お,おばさんが出てくる,お正月なのになんで? 
がるぅに松葉杖が欲しいので診察しているのか見てきてくれないか頼んでもらう。
診療はできないけど,松葉杖を貸してもらえた!
すごいラッキー。


自宅に到着,玄関前と玄関の段差3段がきつい。
数段でよかった。

2階から1階にベットをもってきてもらった。
腹筋のない私は,一旦じべたにすわったら二度と立ち上がれない気がしたのだ。よかった。

自宅での階段の登りかた

このときは,階段を真正面から松葉杖で登ろうと思いこんでしまい,その遠き道のりにぞっとして,ベットを持ってくるという荒業に出てしまったのですが,後からWebでみつけた「ひとみん」さんの転倒事件に以下の記載があり,目からうろこでした。

From ひとみんさんの転倒事件から
 階段を上るときは後ろ向きに座って、お尻と左足、両手を使って上ります。(降りるときは進行方向が前向きになるだけで同じ)右足はまっすぐのばして宙に浮いた状態です。

 私は,松葉杖をお供に↑の方法で階段を上り,松葉杖をまず2階に置いてから, 最後の一段を手すりにつかまって,腕力と腹筋だけで立ち上がりました。 最後の1段だけがちょっと大変です。

2003.1.4(土) 事故から4日め
港南台病院(T医師)シーネを外して再度レントゲン。
え,シーネってはずして再度装着できるんだ。

折った日よりもずっとはれている。このまま腫れが引かないと永久に腫れがとれなくなるので,足を寝ている位置より高くして安静にしているとのこと。あと足の指を動かして血行をよくさせること。
え,そうなんだ,知らなかったよ。湯沢の角谷先生はいってくれなかったよ,っていったらがるぅがもらった注意がきに書いてあったって。しくしく。
診断は同じ。お風呂もシーネはずしてはいっていいって。

会社に行っていいんですか? ってきいたら
会社まで誰かが車で送ってくれて,会社で足を机の上においておいてもOKならいいですよとのこと。
ばか者が行きたいなら行ってもいいですよという雰囲気???。

同僚のIさんはどうして丸の内から桜木町まで出張にこれたのかなぁ?

台所と玄関に椅子を調達。
玄関に15cmぐらいの段差があるので,椅子は必須です。

東京海上に再度電話,氏名+所属会社名で契約把握済みとのこと,1/6に営業から連絡予定とのこと。やっぱりお正月休みの管理職のおじさんのお仕事だった?

会社に休暇の連絡メールを入れる。

2003.1.5(日) 事故から5日め
薬のうち,痛みどめをやめてみる。骨折箇所は全く痛くない。
でも,お手洗いとかにちょっと行くと指先がまっ赤になりふくらはぎがものすごく痛くなる。

インターネットで,足を骨折した場合の予後を調べてみる。 赤帽さんの日記が参考になる。あと,ひとみんさん,Rさんのも, え,みんな1カ月も会社休んでいるみたい。結構おおごとなのね。
足を下にすると痛くなることもあって,結構ブルー。


2003.1.6(月) 事故から6日め
足の腫れがひかない。足をしたにしたときの痛みもおなじ。
痛くないけど,精神的にめいっている。


東京海上より連絡あり,通院日あたり2500円が保証限度とのこと。
え,それじゃ治療費の実費も調達できない。
スキー保険や,傷害保険は,自分が加害者になった時の補償は厚いが( 私が加入していたプランでは最高5億まで,弁護士の費用なども負担してくれる),自分が被害者になったときの補償はほとんどないことをこんなことになって初めて知る。
衝突した人に,骨折していたことと,治療費の不足と,会社への通勤タクシー代を負担してくれないか,郵便物を送ることにした。

精神的にまいっていたので,タクシー案になってしまった。高額になってしまってごめんなさい。

2003.1.7(火) 事故から7日め
腫れがひかないので,いろいろ考え,痛みどめって消炎剤だったこを思い出す。痛くなくても痛みどめの薬をのむことにした。事故から1週間たったが,あまりよくなった感触はない。あと5週だと指折り数える。



yahooオークションで,お風呂に入るときのギブスカバーをみつける。
インターネットってすごいよね。
お風呂に入れるストッキング型が550円,ビニールカバー型が350円 とりあえず,1つずつ購入。

2003.1.8(水) 事故から8日め
痛みどめのおかげで,足をしたにしていても痛くない。
相変わらず紫色に指ははれあがっているけど。


玄関の椅子を洗面台にずりずりひきづって,洗面台で頭を洗ってみる。
服がずぶずぶにぬれたけど無事完了。
ひさしぶりに下着を換えて,顔をあらったぞ。(内緒)

2003.1.9(木) 事故から9日め
もうすぐ定期検診日,少しは骨がついたかな?
なぜかあんなに好きな仕事をする気がおきない。
体調が案外よくなないのかも。


2003.1.10(金) 事故から10日め

ギブスカバー到着。
ストッキング型はゴムのハイソックス。カバー型はテープがついて足に まきつけやすいカッパのようなもの。両方ともドイツ製。
実物を手にした感想では,ストッキング型の方が実用的な気がする。
明日の定期検診日で経過がよければ,久しぶりにこれでお風呂に はいってみよう。


えっっ、なんで〜(手術への道)
日付経過病状病状以外の情報
2003.1.11(土) 事故から11日め
港南台病院に通院。(U医師(気が動転してしまっていたので違うかも)

せっかく同じ先生にみてもらおうと思って土曜に通院したのに,先生違うし。。。
そのうえ,レントゲンを見るなり,
「これは通常手術をするケースですね,南部病院に紹介状書きますから このレントゲンもって,連休あけに行ってください。」

えー,うっそー,なんでー
湯沢の先生も,先週のT先生も全然手術なんかすすめなかったぞー。

とりあえず,シーネを外した足は,まだはれ上がっていたし,2nd オピニオン ならぬ,4thオピニオン聞きにいってみるかー。
普通2週間もたって手術せよなんていわないよなー。この先生若そうだから切った貼ったが好きなのよ,きっと。うんうん。


2003.1.12(日)〜1.13(月) 事故から12日め
 平穏な日々をすごす。
 霊感まであともう1歩のちゃありぃ's直感では,「ベットもすぐには開いてないだろうし,いまさら手術はやめましょう」って言われるに3票。(うんうん)

 この2日で企画書か論文仕上げる予定だったんだけど,まな板の鯉状態の 精神状態では無理と諦めた。


2003.1.14(火) 事故から14日め 運命の出会い?
※入院手続きの時に,「私,朝食はパンがいい!」とわがままを言ってみました。
なんと,その要望は,ずっと生きていて,朝食がアジの干物だったときには,パンにあうように,さかなのホイル焼きが出てきました。
(わがままも言ってみるもんですね。ごめんなさい栄養部の方)

でもお友達が別の病院で,「みかんとバナナが嫌い」と栄養士さんに要望を伝えたところ,ずっと献立リストに「禁みかん,禁ばなな」と明記されていたそうです。案外病院の食事については,食事制限がない場合はわがままを言ってもよいのかもしれません。

紹介状を手ににぎりしめ済生会横浜市南部病院受診。
(ここの整形外科の部長先生は,実は学生時代のお知り合いだったもので,ほんとは行きたくないんですが,,,, 足が不自由な身の上で,後日自力通院が可能になった際の苦労を考えて,遠くの病院を受診することを諦める。(明かさなければ大丈夫だよね))


 今日の初診担当の先生はI先生っていうらしい。待合室,I先生の診察室の前,3つの診察室があるんだけど,声が聞こえてくるのはI先生だけだぞ。 やばい,こういう声の大きなやつはなんか,切った貼ったが好きそうだ。
絶体絶命かも。。。。

どきどきどきどきどきどきどきどきどきどきどきどきどきどきどきどきどきどき

I先生「Iさ〜ん(私の本名です)」
私「はーい」
I先生「(レントゲン見ながら)こんにちは,これは手術ですね,明日できます。」

げ,なんで,いきなり,final answerかどうかも質問する余裕もなく,最後通告されるわけ,えーん。

婦長さんとか,ベットの空きとか,いろんなところにうれしそうに自らお電話でてきぱき段取りをつけるI先生。

というわけで,私の直感は単なる希望でしかなかったことが証明され, 「即入」とかいう専門用語で区別されるらしい特別待遇(別名:やっかいもの?)の患者として収監されることが決定されてしまいました。

ところで,手術がいやだーと思っていた私は,最後のあがきとして,以下の質問をしてみました。
私「私,金属アレルギーなんですけど,問題ないですか?」
I先生「金属アレルギーとの関係は,報告ないなー。」(有無をいわさぬ迫力の回答)
私「わかりました。」
全国の金属アレルギーのみなさま,私の今後の経過をご参考にください。

初めての経験 準備

 夜,麻酔の先生から麻酔について説明を受けた。
 説明というより,どっちがいい? みたいな感じかな?
 
 脊椎麻酔,硬膜外麻酔,全身麻酔って3つもするんだって。
 結構食い下がって聞いてしまった。(ごめんなさいS先生,いじめるつもりはなかったの)
 結局,私の理解するところでは脊椎麻酔以外はオプションみたいだったので,
 松竹梅の「竹コース」を選択してしまった。(結局安易な選択だ)
 素人選択で誤った状態に陥ることを防ぐために,最終的にはおまかせしますと付け加えておいた。(こういう患者ってめんどくさいやつんんだろうなぁ)
 初めての経験者に選択の自由を与えないでよね。

 (結果論としては,竹コースじゃなくて,梅コースでよかったかも,それはまたあとで)

(入院時の問診票に「心配性」と申告したためか、安定剤の薬の処方を受けました。)


 入院の道具をがるちゃんに,病院から指定の手術の道具をお母さんに(浴衣,オムツ,T字帯)調達してもらう。

 ここの病院では,パジャマや,バスタオルは自分で持ってくる。
(10月に病気で入院した桜木町のK病院は,パジャマ,バスタオルなどのタオル類は好きなときに洗濯済のものを看護師さんに頼むと持ってきてくれるシステムで楽でした)

なお,浴衣は,手術後に知らないうちに手術着から着せ替えするために浴衣が必要なようです。

オムツは文字どおりオムツに使うのではなく,手術後にベットの中で排泄するときにお尻の下に念のため敷いていました。(汚れるとはさみで切って再利用してくれていました。)

T字帯はたぶん使わなかったようです。(よくわからない)

2003.1.15(水) 事故から15日め

手術日
プロローグ

 ものごとはてきぱきとすすみ,いきなり手術当日です。11時30分からの予定 だって。

 朝からお食事なし,8時〜お水もなしです。
 胃酸を押さえる薬のみ服用。体温,血圧,心臓のチェック。
げっ血圧160なんてちゃありぃ's史上初めての値をきざむ。
(+40ってあり!!!)

 11時に手術着に着替え。後ろにマジックテープがついているワンピース。 背中から麻酔をするためなんだって。
 いままでおせわになっている「なおこさんとよばれている看護師 さんに」に車椅子で運んでもらう。
病室から手術室の道程,血圧160の私に「なおこさん」は住んでいる 場所とか他愛もない質問を繰り返す,プロだ。すごいなー。
(なおこさん,名札をつけましょう。(ほんとになおこさんなの?)

入り口のところで,なおこさんから手術室の看護師さんにバトンタッチ。
車椅子は自動ドアをいくつも通り,ICU,CCUこっちとかいう行き先表示を どんどん進む,白い巨塔のオープニングみたいだ。かっこいい(つよがり?))

本番だ!

 【無影燈だ!】
 手術室に到着。  もっと整然としたところを想像していたけど,結構雑然としてて,なんか会社の実験室みたいだ。
 (これだったら,会社の半導体工場のクリーンルームの方が厳格じゃない?)
 モニターがHP製だったのがいけないのかなぁ,こんなときまで  計測器のメーカ名が気になってしまう,この職業病のほうが重症だ。
 (島津製作所とかのほうが今年はトレンディだったのにね。)
  まぁ,この乱雑な実験室の方が落ち着くからいいか。

  最高記録を更新した血圧は,130と会社でストレスに苦しんでいた時代  の値に落ち着く,まだちょっと緊張しているようだ。

 (※:私は若いころの渡辺淳一の小説(白夜など)のファンである。)

 【丸太化】
 さて次は結構不安に思っている麻酔だ。
 麻酔をかけてくださる方(麻酔医さん?)はこれからすることを 1つ1つ説明してから実行する。(心配性の私には効果的)

 梅コースの脊椎麻酔はさした痛みもなく,あっけなく終了。
 竹コースの硬膜外麻酔だ。管を入れますという説明のあと,なぜか左腿に  差すような痛みが走る。何で右足手術なのに,左足が痛いわけ?
 右足の手術のために左の神経を傷つけないでー!と思っていたら,  そのリアクションが麻酔医さんにもわかったらしく,
 麻酔医さん「どうしました?」
 私「左の足のもものまんなかあたりが痛かったんですけど勘違いでしょうか?」
 麻酔医さん「もう大丈夫ですか?」
 私「はい。」
 
 ということで,この件はうやむやに一件落着となったが,
 これは手術後の私の大きな心配と発見のヒントとなった。
(本人大発見とかおもっているけど,医学的にはあたりまえなのかも)

   こうして無事に私の足は丸太化し,梅コースを選ばなかった私の手術が始まった。

【大工工事かよ】
 気づかないうちに,横にI先生がいた。
 よろしくお願いしますと,(多分虫の息で)ご挨拶。いつも礼儀正しい私。(^_^)

 お写真を貼っている壁がミラーみたいになっていて足の方が 反射している。勇気があればある程度,手術の様子がみれそう。
でも,今回はご遠慮することにした。
 今度ボルトを抜くときは解説お願いしてみようかな。
   とか思っていたら,足以外に布がかけられて
 「足持ちお願いしまーす」
 あ,手術がはじまったぞ。
 痛いとやだなぁとか思っていたら
 「2.4にしようかな。(後でわかったけどボルトの長さのことらしい)」
 びゅい〜ん(ちょっと高めのドリルの音)
 「先生もう少ししめられます。」
 「そう?」
 再度 びゅい〜ん
 ちょんちょんちょんちょん,,,
 あれ,ひょっとしてもう縫合しているのかなぁとか思っていたら,いきなりあの元気なI先生の声で
 「ありがとうございましたー」
 あ,終わってしまった。壁の時計は,12時45分,33分とか表示  されているぞ。
 「何分かかった?」
 「いつはじめたか記録してないや,30分ぐらいにしておこうか」
 とか妙な会話を聞いてしまった。(結構いいかげんだねぇ)

 ところで,手術ターゲットが全身麻酔でないと,手術するほうも緊張するんだろうなぁ。
 スタッフの会話が妙に少なかったような。
 もし全身麻酔だったら,
 「脂肪いっぱいだぜ」
 とか
 「この足おもいんですけど」
 なんて会話するのに言葉選んでいるのかなぁとか想像してしまった。

 それっぽい会話は,金曜のアフターファイブのご予定についてだけでした。手術スタッフのみなさま,ありがとうございました。
 楽しい週末を!
(手術の途中,少し気持ちが悪かったので,麻酔医さんに伝えたところ,すぐに点滴管に何かお薬を入れてくれました。すると不思議にすっきり。すごいなぁ。即効力。ついでに酸素の管も鼻に入れてくださったのですが,とてもゆったりできました。)

凱旋だ!

 手術ベットのまま,手術部の入口に配送される。
 入口にはなおこさんとがるちゃんとベットがスタンバイ。
 手術台とベットがお隣どおしにドッキング。
 お,マイ枕まで一緒にお迎えに来ている!
 
 横に移ろうとしたけど動けないぞ,どうやってベットに移るのかなぁと思っていたら,板を体の下に入れられて,横すべりで無事着地。
ERみたいな,「せーの」っていうのが体験できるかなとか考えていたが。

 知らない間に,手術着がはぎとられ,前もって用意されていた浴衣に お召しかえされていた。しまった!お母さんに買って来てもらったけど,この浴衣のサイズ大丈夫だったのかなぁと若干不安がよぎるが,現実的には,精 神的にせいいっぱいで,そんなことはどうでもいいや状態。
(手術の前に試着しておきましょう。)

ゆっくり,ゆっくり,よみがえり

 手術はあっけなく終わったけど,その後が結構大変だった。
感覚的には手術した右足にものすごい力をかけてふんばっている感じ。
足を固定して動かしていないと足が細くなるっていうけど,全然その兆候は現れていない。かっこ悪いなぁ。

点滴は大きなボトル2つと抗生剤1本。午後にはすでにおなかがすいてきた。大きなボトルには,お食事ははいっていないみたい。

 11時半から12時ごろに麻酔がかけられて,3時〜4時ごろには,右腹部と右足大腿部がだんだんよみがえってきた。5時には手術した右足は指が動くようになってきて,膝もゆっくり曲げられるようになった。対象的に左足は全然感覚がない。午後9時ぐらいになって指の感覚が少しもどってきた。でも左腹部と左大腿部の感覚はまったくなく,膝もまげられない。
結局,この日はずっと動けない。当然,お手洗いにもいけないので,看護師さんにベットで処置してもらう。心配していた生理も重なって,看護師さんには本当にお世話をかけた。ほんとうにほんとうにありがとうございました。
  右足はずいぶん前からよみがっていたけど,心配していた痛みは,足の芯の方が少しだけじんじんする感覚だけ。十分我慢できるレベル。
 
 結局寝るまでに左腹部と左足はもどってこなかった。

 ところで,なおこさんさんは,私がお小水が出ないことが気になっている様子。おなかの活動をを聴診器でさぐっては,ずいぶんはっているんだけど。。。 そういえば,秋に腸閉塞で入院したとき,看護師さんがおなかはっているけど,,,といっておなかを押さえたとき,私の子宮筋腫をおなかの張りと間違えていたことを思い出してなおこさんにもつたえてみた。でもやっぱり500ML点滴後も排出がないことは異常だそうで,夜,尿道口に管を入れられ,尿を強制排出させられた。結構恐ろしいですね,これ。

麻酔をかけたときに感じた左腿の痛みと,左足がよみがえらないことが気になりながらも痛みどめをもらって就寝。

2003.1.16(木) 事故から16日め

手術から2日め

 思わず,左大腿部をさわったけど,まだよみがえっていない。かなり不安になり看護師さんに左足だけ感覚がないことを訴えてみる。
 看護師さんは,背中からはいっている竹コース(硬膜外麻酔)の薬剤の供給管をクランプ(シャットアウト)しようという。クランプして30分ぐらいであっという間に左足の感覚が戻ってきたことが自覚される。すごいなぁ,ちゃんと効いていたのね,左足に!!!
2時間ぐらい後には完璧に左足の感覚も戻ってきた。右足の痛みもクランプする前と全く同じ。
 ということは,背中から流した麻酔は,痛みを止めたい右足にはほとんど供給されず,左足の大腿部のみに供給されていたようである。次の時には麻酔は梅コースで大丈夫かなぁ。
 看護師さんによみがえりの事実を報告すると,今日の先生の回診で管を抜いてもらうよう依頼してくれるとのこと。

 ところで,手術後,水を欲しがらない私は,点滴ボトルを合計4本に増やされてしまった。点滴ボトルから開放されないと,松葉杖がつけないんだよね。はやく落ちてくれーと点滴ボトルを見て祈る。(でもなんでこの大きな点滴ボトルは必要だったのかなぁ。成分表には,NaClとかの塩類しか書いてないぞ。)

 I先生に背中の管も10時に抜いてもらった。
 お昼に無事,点滴管からも開放。

 ボルトが入ったとはいえ,右足の荷重はNG。でも松葉杖OKで  お手洗いに自分でいけるようになって,気分的にずいぶん元気。

 自分のベットの上に手術日やOpe式(術式?)が加筆されていることを発見。  Ope式には「右 足関節ORIF」って記載されている。(後からがるぅに聞いたところ,手術同意書には,観血的整復固定術って記載されていたようです。)
え,腓骨(ひ骨)じゃなくて骨折場所は関節だったの?不思議に思って,入院診療計画書を見直したら,病名欄に腓骨骨折ではなくて「右 足関節外顆骨折」って書いてある。やっぱり関節なんだ,外顆って何?
(後で調べたところ,外側という意味だそうです。(というか「くるぶし」で変換すると踝だそうです。))

 足は,表面の傷が痛い感じが持続する。でも我慢できないほどではない。足の指はまだ相当腫れている。ちょっと包帯をまくると,手術したところに近いところは紫色に内出血している。
膀胱炎っぽい症状発症。でも抗生剤点滴しているからきっとすぐ治るはずと推測。

 今日から食事。でも食欲はない。やっぱりまだ本当はまだつらい状況なのかも。この日は夜痛み止めをもらって就寝。


2003.1.17(金) 事故から17日め

手術から3日め

 この日から,朝夕の抗生剤の点滴のみ。
 気分的にもずいぶん回復して,デイルームに電話をかけにいったり,給湯室にお湯をとりにいって,コーヒーを入れたりできるようになる。
 足は,動かすと時々表面的な痛さを感じるぐらい。
 気分的には手術がおとといとは思えない回復状況。
 でも,物理的には松葉杖状態であることにかわりはなく,先はまだ長い。。。
 おなかがすいたり,雑誌が欲しくなったり,入院生活にもあきてきた。
 元気になっている証かな。

 といいところへ,I先生が消毒をしに出現。
 いつ退院してもいいよとのお声,待ってました!
 結局消毒の外来を1回減らせるとのことで,月曜に退院決定。
 
 包帯をはさみで切って,傷を消毒。「きれいじゃない」とのI先生の声も  怖くて直視できず。ごわごわに茶色くなっていて,あまりきれいとは言えないようにみえるんだけど。

 今日は痛み止めはなしにしてみよう。


2003.1.18(土) 事故から18日め

手術から4日め

 朝夕の点滴も今日で終わり,明日からは内服の抗生物質とのこと。  家からパソコンをもってきてもらい,せっかくの経験を記録しようと骨折ダイアリーの手術日以降を書きました。手術前にはパソコンに向かう元気もなかったんだけどめでたい。

 ほとんど痛みもなく快適。


最後の日の点滴針をさしてくださったI看護師さん(男性)ったら5カ所も指すんだもん。いたいよぉ。点滴針は女性の看護師さんに限ります。
でも、このIさんとはこの一件でとても仲良くなり、もってきたパソコンとか、仕事の話とかもしました。診断名のこととか、今後の予想なんかも教えてくれて、しばらくしたら手術後のレントゲン写真の手書きコピーまでもってきてくれました。

しかし、この骨折ダイヤリーに登場する人はイニシャルIの人が多いのは偶然?
イニシャルIの苗字を適当に列挙するとどれかは正解ですよ、きっと。

【このページに登場するイニシャルIの人】
私、がるぅ、I先生、I看護師さん、丸の内からランドマークまで松葉杖で出張に来た同僚のIさん

2003.1.19(日) 事故から19日め

手術から5日め

 今日からは,朝晩の内服薬の抗生物質のみ。
 時々ぴくっとした痛みが走るだけで,強い痛みもなく,おなかもすき始め,お菓子に手が伸びる。(危ない)
 
 シーネの位置ですねと甲がねじれているような感覚があり巻き直してもらう。 腫れはまだ相当あるものの,手術前みたいなミッキーマウスの顔みたいな足じゃないことにほっとする。

 退院を明日に控え,看護師さんが頭を洗ってはっていってくれた。
朝シャン台みたいなのがリネン室にあったのだった。(はやくおしえてよねー)
 明日は退院だと思っていい気になっていたら,廊下で滑って右足に力がかかってしまった。痛い。油断大敵。そのあとブルーになってしまった。まだまだ気をつけなければ。
(看護師さんに心配な旨伝えた。もしボルトで固定したのが外れるなどの問題まで起こしていれば,この程度の痛み,腫れではすまないとのことで,大丈夫だろうとのこと。)

 夕方,看護師さんに松葉杖のカスタマイズをしてもらう。
 握る部分と脇にスポンジを入れてもらう。
 握る部分は,両面テープでスポンジを軸に固定する。これで,握り心地と握ったときの安定性が得られた。
 松葉杖は,脇の下は大切なものが集中しているので脇に力をかける方法で使用してはいけないのだそう。
 脇をしめて,手で支えることとのこと。

 夜,替えの包帯をもらう。包帯の巻き方を教えてもらう。注意事項は以下。  ・下から上にまく。
 ・指はまかないこと。(指で足の状況をチェックする。)
 ・足の甲に3回ぐらいまく。
 ・かかとは交差するとしっかりする。
 (テープは3Mのものを購入する。)


2003.1.20(月) 事故から20日め

手術から6日め

 朝から退院の準備。
 診断書は,すでに作成してくださったとのこと。
 いつも8時に来るという,I先生が消毒&疑問に答えてくださるだろうとの看護師さんの予想に反し,今日はI先生は直接外来にいらっしゃったとのこと。代わりにY先生が消毒してくれる。はじめて傷口を目撃。(前回の消毒のときは怖くて直視できなかった。)縫い目は5つあり。縫い目以外のところがもりあがっていて,あまりきれいじゃないぞ。
次の通院は,23日(木)
 抜糸後の診察のインターバルは2weekとのこと。

 11時ごろ家につく,やっぱり疲れていたのか,2時ごろからぐっすり寝てしまった。



精神的にどんどん悪くなっていく?(自宅療養編)
日付経過病状病状以外の情報
2003.1.21(火) 事故から21日め

手術から7日め

 退院1日め。
 時々,傷が痛むが,寝る時に足の置き方を配慮しなければならない状況とか,お手洗いに行く度に足がむくんで痛くなることはなくなった。
 手術前に安静にしていたときは,日に日によくなる感じがしなかったけど,手術後は気分的かもしれないけど,よくなっている感じがする。

 会社から診断書が届いたとの連絡あり。状況よくわかりましたとのこと。 (私,実はI先生の字がとても達筆にて診断書が全部読めないんですが,よくわかったのかなぁ?)


2003.1.22(水) 事故から22日め

手術から8日め


 入院が7日になったので,生命保険の入院特約で少しお金をもらえそうだったので,日生にお電話した。おもいがけず,営業担当の方から,手術名の問合せがあり,がるぅが先生から聞いていた術式(観血的固定術)告げたところ,その手術は,給付金(1日5000円×10日)が支給されるとのこと。
 こんな契約していた自覚はなく,営業担当の方の機転に感謝。
しかし,これから先生に何通も診断書をお願いしないとならなさそう。忙しいのにかわいそう。
(前回入院した腸閉塞も実は給付金支給対象だったのかなぁとふと思う。)

 今日は,骨折後はじめて2階まで遠征してみた。室内では,お尻で階段を上ればいいことをインターネットで他の方が書いていた骨折日記で知っていつかやってみようと思っていたのだ。
 一番上の段で立つのがちょっと腕力が必要だったが無事明日の通院に必要なデイバックを捜し出せた。

 遠征のためか,夜,左腕の筋がなんかおかしいことを発見。
 松葉杖たよりの身には腕の不調はちと厳しい。

2003.1.23(木) 事故から23日め

手術から9日め

 今日は通院指定日。8時半に到着。
 8時50分ごろ空耳かもしれないけど,「朝一消毒のIさ〜ん(私の本名)」と呼ばれた気がした。
 朝早いと看護師さんからの情報のI先生がすでにスタンバイ(先生えらい!)。今日は外来ではないのだけど,特別処置の模様。(帰りがけに外来の看護師さんが先生もう1人呼んでいるんですかぁ?とか苦言を言っていたような気がしたのは空耳?)

会計も9時前に完了し,待ち時間では非常に時間がかかると評判の,南部病院での外来通院がゆううつだったけど,9時半には家に到着。
左腕のために湿布をもらった。


 衝突した相手に,結局手術になってしまい,1カ月以上出勤できないことを書簡で連絡。前回(1/6の週に骨折だったことを知らせた書簡に対する連絡はいまだなし)前回は費用の負担をお願いしたことを申し訳ないと思ったけど,案外ひどい相手にぶつかられてしまったのかもという不安が頭をよぎる。
 
 午後,このページを書こうと思ったが,久々の外出だけで疲労感あり,14時よりお昼寝。
 こんなことでは,まだ社会復帰は難しいなぁとおもいつつ,まだ手術から1週間だしなといういいわけも。

2003.1.24(金) 事故から24日め

手術から10日め

抗生剤の内服薬もあと2日だが,まだ時々表面(傷口)に痛みが走る。  週末に薬が切れて大丈夫だろうか?
 手術から10日たったが,足はまだ紫色にはれていて,劇的によくならないことから
 朝,昼と気分的にめいって,ごろごろしてしまう。

衝突した相手からの連絡

23:40ごろ,衝突した相手から電話連絡あり。
スキー場という遊びの場での事故には賠償責任はないので,今後交渉の連絡もするつもりなしとのこと。
 交通事故の例などを出して説得したが,この手の常識を持っていない様子。
弁護士マターになってしまうのかと思い,頭をかかえる。
現地では誠実な人だと思っていたのだが。その先入感が失敗だったと反省
先方の主張についてのメモを作成。

2003.1.25(土) 事故から25日め

手術から11日め

足の腫れはまだひかない。薬は今日までだ。ちょっと心配。 もうすぐ手術から2週間,次の通院のときに「もう足ついてもいいよ」とか言われるとか,何か動きがあればいいと思っていたが厳しいのかなぁ。(骨密度が高いのは,何の役にも立たないのかなぁ。)


実は,あまり足の状況がよくなければ病院に行こうかとおもってもいたのだが,昨日の衝突相手の対応であたふた。

最悪のケースに備えて,自分なりの事故状況についてメモを作成。KKスキー場のパトロールさんに事故状況確認の依頼FAXを送付。パトロールさんが覚えていてくれるといいのだが。

 怪我が治るかどうかだけでも心配で,いやな思いをしているのに。。。 とちょっと不満。

2003.1.26(日) 事故から26日め

手術から12日め

今日から,抗生剤の服薬もなくなるが,右足はまだまだはれている。
痛みもまだ頻度高くある。ちょっと心配。
退院後初めて痛みどめを服用。
左足腿が痛くなり,湿布を貼る.

右足の腫れがひかないので,最低限のみおきて,なるべく寝ていることにした。


 KKスキー場のパトロールさんからfaxあり。事情聴取の際に聞いた覚えのある事故状況にマーキングしてくれた。(覚えていてくれてよかった)
(書類に誰が記載したかとかスキー場名などを明記してくれなかったのがちょっと心配だが。)

話合いに応じない衝突相手にもある程度話をしてくれるそう。

2003.1.27(月) 事故から27日め

手術から13日め

明日は抜糸の日。はれが少なければ,加重許可が出るかなと思い 安静にしておこうと思ったが, 使えなくなったリフト券のオークション関連で1日中パソコンの前に 座るはめになってしまった。

 何であっても,何か動きがあると,気分が晴れるのだが。


 明日は診察日なので,体を拭き,着ていく衣類の用意をするために久しぶりに お尻をずるずるしながら,2階にあがる。

家はまだ購入して5年なので,幸いなことにバリアフリー仕様,玄関,階段,お手洗い,お風呂に手すりがある。玄関と手すりのない洗面所に椅子をかってもらった。手すりのない3段の玄関前の階段だけでも相当大変。(決死の覚悟)
たまたま購入した家が骨折対応仕様だったのでなんとかなっているが,もしそうでなかったら結構大変な生活だったなぁと考える。

(これからおうちを購入される方は是非こういうケースも多少考えて物件を評価してみましょう。重要なのは,後から対応できる手すり等ではなくて,家に入る前に階段があるかどうかですね。)

抜釘手術のことも考えて通信販売で,パジャマを4着注文。

 (そろそろ休暇残も心もとなくなってきた)

2003.1.28(火) 事故から28日め

手術から14日め

今日は通院日。
がるぅが車を駐車する間,車イスで再診登録のためにカードを機械に 通してみようとTryしてみようと思った。人間なんでもやってもらうと体がなまるもの。と決意して機械の前にすすんでいったところ,親切な事務のおじさまがカードを受け取ってくれてしまった。(しくしく)さらに,今日レントゲンのオーダが入っていますよと教えてくれ,2階の放射線科に直行した。

レントゲンも病院の始業時間の9:00より大幅に前に8:40ごろに呼ばれ,撮影してくれた。仕事をお休みしてつきそってくれているがるぅにはなにより。ありがとうございます。病院のみなさま
  手術前のレントゲンもシーネをつけたまま撮影し,担当の看護師さんをびっくりさせたが今回もそうなのかなと思い。
 私「シーネはずすんですか?」
 レントゲン技師さん「お風呂とかで外していますか?」
 私「いえ,全然」
 レントゲン技師さん「じゃあこのままでとりましょう」
 つまり,とったあとの処置をどうするか(誰がシーネと包帯をまくか によって,つけたままにするか,外すかが決まるシステムのようです。


 さて,レントゲンをもって,いよいよ診察です。
本人ははじめてみる手術後のレントゲン。もう目が耳ダンボです。骨にななめに2本ボルトがくっきり。予想よりも結構ボルトの頭が大きいですね。
腫れがなかなか引かないことが,退院前の日曜にすべって右足をひねったことと関係していないかなと心配していたのだけど,骨はきちんと固定されていました。(よかった。)

今日は,(予告どおり)抜糸するとのこと。
シーネを外す,患部ではない左のくるぶしが確認できないぐらい,腫れは相変わらずかなりひどい。(1/4の先生は,事故から4日たってこの腫れは大変といっていたが,事故から1カ月でこの腫れはどうなんだろうか?と疑問符が。。。
ちょんちょんとはさみで糸を切っていくI先生。でもぴくぴくっと痛かったので,傷口を凝視できませんでした。
「傷口はとてもきれいですよ」とのこと。
昨日,おとといと,傷口付近がぴくっと痛むことが多かったのだが,傷口はきれいということは傷口の問題ではなく,神経痛とかなのかしら?

さらに,今日はギプスをすると宣言するI先生。
そろそろ会社にいきたいので,というとであればなおさらとのこと。そうかもしれないな。
 (しかし,いままでかかった3人の先生とも,腫れがひかないので,ギブスにできないといっていたけど,腫れひかない状況でギプスですかぁ?)

ギプス処置室に移動。
看護師さんがしてくれるのかと思っていたら,またもやI先生登場。先生目の下あたりにお疲れのサインが。忙しいところありがとうございます。
I先生「うつぶせになってください」
私「うつぶせ? はらばい? あお向け,,,,うつぶせ? はらばい? あお向け」(頭の中でイメージして何をすべきか整理している。)
I先生「うつぶせ」
I先生「うつぶせになって,足を上にまげて」
見えないのだけど,てきぱきとなにかがされている。
I先生が,ものすごい力で足首を曲げるようにする。
私「うぅぅぅぅぅ」
I先生「少しがんばって。」
私(心の中で)こんなにめちゃくちゃ足に力をかけていいんだったら,ギプスでかためる必要あるのかぁ?」
それにしても,整形外科の先生って,I先生みたいに太い腕・指で力持ちでないとつとまりそうにないですね。
だんだん足があったかくなる。(シーネはつめたくなったけど,ギプスはあったかくなるんですね。)

I先生「大丈夫?」
私「大丈夫って?」
I先生「きつすぎるとか,あたるところがあるとか?」
私「うーん,正直いって,わからないです。」
I先生「きつすぎて,指が紫色に腫れるとか,指が動かなくなるとかなったら, 時間や曜日を問わず,いつでもいいから,病院にすぐきてね」

ギプスをまいて,12時間たちましたが,指は左足よりも紫がかっていますが,動きます。足首の圧迫が多少きついようですが(多分,足首をまげるように固定したため),がまんできないほど痛いところもありません。大丈夫なようです。
今日病院に来たときには,右足に加重してもいいかI先生にお願いしてみよ うと心に決めていたのに,診察の時に聞きそびれたことを思い出し質問するが,まだ,加重はだめとのこと。右足にある程度加重OKになったら,出社しようと思っていたのだが,先生のお墨付きをもらえるのは,早くても2週間後のようだ。 。結局1.5カ月も会社を休むことになってしまうのかな。だんだん悪くなったので,あまり深刻に受け取っていなかったけど,実は結構重症だったのかな。

 足だけが病気で,体は元気なはずなので,いつでも会社に復帰できそうに思っていたが,通院した日はかならず,疲れて午後寝てしまうことになる。 はやく会社に行かねばとあせるものの, 事実上,社会復帰はまだ難しいのかもしれない。


※:病院の部屋は「ギプス処理室」って書いてありました。ギブスではなく,ギプスなんですね。
(あとから見返したら,渡辺淳一の「白夜」にも「ギプス」って書いてあった,どうももとからギブスではなく,ギプスだったようだ。(トレビアの泉に応募しようかな?))

2003.1.29(水) 事故から29日め

手術から15日め

朝から,内部の方から鈍痛が続く。だいたい3〜5分に一回。
痛み止めを飲んでいるが,治まらない。そういえば,抜糸の2日前ぐらいにも痛みの頻度が高くなったように感じたことを思い出した。
相変わらず,足を下にすると,指が真っ赤になっているし,あまりよくなっていないのかもしれない。かなりブルー
インターネットで,スポーツドクターまっきいさんのページをみつけ,私と同じように手術の抜糸後もうっ血し心配している人の投稿を見つけちょっとほっとする。


会社に昨日の通院結果を受けて状況報告する。

2003.1.30(木) 事故から30日め

手術から16日め

昨日の痛みを踏まえて,安静にしている。
昨日よりは,痛みの頻度は少ない。(10分に1回ぐらい)ひょっとすると抜糸という行為が痛みを引き起こしていたのかなと。


2003.1.31(金) 事故から31日め

手術から17日め

本日は比較的順調。やっぱり抜糸のせいだったのか?
うれしいことに腫れがひいてきて,指に続く骨がギプスの隙間から見えるようになった。


2003.2.1(土) 事故から32日め

手術から18日め

ここ2-3日調子がよかったが,気温が低いせいか,足の奥の方から鈍い 痛み。いまごろまた痛くなるのって大丈夫なのかなぁ?とインターネットで捜してみる。すぎやま整形外科のページを発見。かなりの充実度。

(抜釘術のインフォームドコンセントの雛型まで見つけてしまった。)
「個々の骨折には個々のドラマがある」という記載と,骨髄炎にならないよう抵抗力を弱めないようにすることが肝要なことなど認識を新たに。

腫れがひいてきたせいか,足を下にすると少ししびれる感じがあることに気づく。少し心配になり,月曜に診察してもらうことにし,病院に予約外の診察について電話で確認。
同じく腫れがひいてきたせいか,ギプスの収まりが悪くなってきていて,寝るときに足の置き場に悩む。(ギプスがあたる)。

スペースシャトルコロンビアの事故発生

来週金曜ごろから出社しようかとも思っていたが,長期休暇の後には出社許可の医師の診断書が必要とかいう連絡がきて,通院して診断書をお願いすることに。
(I先生が忙しそうなため,怪我の状況も十分聞けないのに,こんなばかなことで。。。とちょっと不満)
2003.2.2(日) 事故から33日め

手術から19日め

今日は比較的順調。
夜,足のしびれ感を強く感じた。
足をずっと上にあげていたためか,右足の腿が筋肉痛。
足の腫れがひいてきて,使っていないため足が細くなっていることが急に 感じられるようになった。膝を動かすようにせねば。


2003.2.3(月) 事故から34日め

手術から20日め

出勤許可の診断書の作成依頼のため,予約外で診察を受ける。
ついでに,「ギプス生活が予想外に厳しい」という事実を伝えたところ, ギプスのカスタマイズを実施してもらえることになった。

看護師さんがギプスのまわりを覆っていたテープを外してくれたとたん,足が自由になった気がして,「これが外れただけで,ずいぶん楽です。」とか発言してしまったが,実は,診察までの間ずっと足を下にしていたが,作業のために足を腰の位置まで上げたために楽になったみたい。(恥ずかしい)

そこへ突然,I先生登場。
びゅいーん
小型のチェーンソーみたいなもので,ギプスに割れ目を入れる。(どうやってぎりぎりまで切るのかな? 作業時の姿勢として寝かされてしまったので,やっているところを見れなかったので,確認できず。(ガイドとかあるのかな? それとも単なる感? (それは恐ろしい(ちなみにI先生の指や手のひら周りはかなり肉付きがよく,繊細な作業にはむいていなさそうな外見。))

作業が完了すると,さっきとは,別の看護師さんが割り箸とはさみをもってきた。
私「さっきギプスの外をおおっていたテープが外れただけでずいぶん楽になったんですが,それは勘違い?」
看護師さん「勘違いだと思う」

(ううん,やっぱりそうか...はずかしい)

看護師さんは,ちょんちょんと園芸用はさみで割り箸切って,ギプスの割れ目であたって痛いところにはさんでくれる。おぉ別天地じゃ。
こんなことなら,1週間がまんせずに,はやく訴えにくればよかった。
1週間くるしかったー。

私「来週,ひょっとしたらギプス外れたりしますか?」
I先生「状況によってはね」
手術が遅かったことと,腫れまくっていた期間が長いことを考えると,通常より長くかかるのかなと思いながらも,少しだけ期待してしまう私でした。


2003.2.4(火) 事故から35日め

手術から21日め


12M ADSLの工事完了。
いよいよ骨折日記を外部のWebページに公開。

2003.2.5(水) 事故から36日め

手術から22日め


来週から会社に行こうと思っているのに,風邪っぽく,ずっとねてばかりだった一日。

2003.2.6(木) 事故から37日め

手術から23日め


まだ本当のリハビリは開始していないけど,来週から,会社に行くために少しずつ生活のリハビリを開始。
ずっと前に購入していたギプスカバー(ストッキングタイプ)を使用して手術後初のシャワーに挑戦。(なんとシャワーは約3週ぶり!)

ギプスカバー
↑ギプスカバー(ストッキングタイプ)
無事に完了。ギプスもまったくぬれなかった。

 次に汚くなっていた松葉杖の包帯を新しい包帯で巻き直した。退院前に看護師さんにやってもらったのを見ていたのが功を奏して,思ったより簡単に巻き直しができた。

2003.2.7(金) 事故から38日め

手術から24日め

職場復帰に向けて,1日中PCをいじっていようと思ったが,うっ血がひどく足を下にしておける時間は,現実としては15分が限度。足をしているとかなり苦しいことも発見し,ギプスの割れ目に割り箸を追加挿入してカスタマイズ実施。


2003.2.8(土) 事故から39日め

手術から25日め

午後にBS2(かBS-hi)でサタデー健康ホットラインという番組で骨粗しょう症についての特集をやっていた。その番組の中で,カルシウムのほかに,納豆に含まれるビタミンKが骨折によいと聞いて食べていたが,その働きについて解説があった。
骨が折れ,修復される過程で,まず,折れた場所からコラーゲンの繊維みたいなものが出てくる。その繊維の間にカルシウムがたまって骨を形成していくのであるが,コラーゲンの繊維は無秩序に伸びていて,カルシウムをキャッチしにくい。
そのような状態の時に,ビタミンKが存在すると,コラーゲン繊維が規則正しく整列し,カルシウムがきれいに配列して骨の周りに沈着しやすくする働きがあるのだそうだ。
ビタミンKは,納豆1パックで7日分ぐらいの必要量をまかなえるらしい。
ビタミンKの働き

そこで,何年かぶりに食品成分表を捜したのだが,不自由な足では捜しきれず困っていたところ,
な,なんとWebで検索できる食品成分表はサイトがあった。http://food.tokyo.jst.go.jp/
ちゃんとビタミンKの含有量もチェックできた。
大豆製品全般にビタミンKは含有されているのかと思ったが,豆腐や豆乳には含有されていないよう。納豆でもひき割り納豆の含有量が一番多いようで,ビタミンKとは,つまり納豆の納豆たる所以のところ(例えば粘りのところ)にあるものらしい。関西人でなくてよかった!!
 なお,「このデータベースは,文部科学省の科学技術振興調整費研究「食品成分データベースの仕様等作成に関する実証研究」の一環として開発したもの であり、試験的に公開しているものです。」とのことです。
kossetsu-foods
↑骨折の時によい食べ物。左からカルシウム、コラーゲン飲料(カネボウのサプリメント1箱160円)、納豆(ビタミンK)


社会復帰に向けて,きちんとシャワーを浴びることとし,一昨日入ったばかりだが,シャワーを浴びる決意をしたが,この決意はあえなく挫折。なんと連続使用可能なギプスカバー(ストッキングタイプ)が指のつめでひっかけてしまい破れてしまった。しくしく。もう数本手配?

2003.2.9(日) 事故から40日め

手術から26日め

ベットにいる時間が長いためか,足の腫れはかなりすくなく,楽。
当初,布団の重みだけでも負担に思ったこともあったが,ここ1週間はまったくそれも苦にならなくなったよう。
ただ,この状況で,数日後に会社にいけるのかかなり不安。明日の診察結果での成績に期待。


2003.2.10(月) 事故から40日め

手術から26日め

1週間ぶりの診察日
まず,レントゲン。
渡された写真を診察前にこっそりのぞく。
うーん,残念。全然白くうつっていない。
Webで調べておいた解説では,腓骨は5週の固定期間が平均と書いてあったから ここ数週がリハビリへの移行時期のはずと思っていたのだが, まだギブスからの開放は遠そう。
それに思ったより,手術後の骨折部の上部の骨の開きが大きい。
きっと,先の方は,細くなっていて,ボルト止めできないのだろうと想像する。

=========I先生の診察=========
I先生「どう調子は」
私「おかげさまで,ずいぶんよくなりました。」
レントゲン写真をみて,うーんとうなっているI先生
私「まだ白くなってないですね。」
I先生:手術からまだ3.5週だから。。。(なんか悩んでいる模様)
私「来週また来てもいいですか?」
I先生「(そうそうその案のった!という感じで)来週から,足つけて歩く練習に入ろうか?」
私「少しならもう体重かけてもいいですか?」
I先生「そうねぇ。。。。(いつもの元気なI先生と違ってかなり歯切れ悪い印象。(何か家庭問題でも勃発しているのかなぁと心配してしまうほど。←人の問題にしておくほうが気が楽だよね。))」
I先生「じゃあ,1/3だけ,体重どれぐらい?」
私「(ちゃんと答えたけど内緒)」
I先生「じゃあXX Kgだけ」
私「どうやって,XX Kgまでって制御するんですか?」
I先生「看護師さんに指導してもらってね」

というわけで,待合室で看護師さんに教えてもらう。
体重計で体重のかけ具合を事前にチェックして,体感するのだそうだ。まだ30%だと松葉杖を外しては難しいとのこと。家の中で手すりがあるところならよいとのこと。

思うに,最初に受傷した時,湯沢の病院で足をかばって松葉杖なしで,診察室まで行ったときが50%体重って感じなのかな?
家に帰ってきてから,松葉杖はつかって,足を少しついてみて歩いてみたが,もう少し積極的にしないと刺激を与えるほどの効果はなさそう。
とはいっても,今日は,通院やら,30%荷重やらで久しぶりに足を下にしていた時間が圧倒的に多かったせいか(あるいは太ったのか?(まさか!)),ずいぶん右足が昨日よりもはれていて,ギプスがきつい。
昨日までの快適さはどこへ? 危うし!通勤開始

生命保険請求のための診断書を入手。
前の会社への診断書は2000円だったのだけど,今日のは5000円もするのね。
診断+入院証明で5000円なのかと思ったが,念のため聞いたところ,保険会社への診断書は一律5000円で,それ以外は2000円なんだそうだ。
あと,スキー保険と傷害保険のために東京海上さんに2通分お願いしないとならないんだけど,出費も大きいですね。しくしく

2003.2.11(火) 事故から41日め

手術から27日め

結局,看護師さんがいっていたような伝え歩きは怖くてできない。松葉杖を使いながら少しだけ右足を床につけている。 時間的にあほとんど右足は床についていないのだけど,それでもかなり安定感がある。
しかし,しばらく感じなかった鈍痛も30分に一度ほど。



これでいいのか(らくちん送迎付社会復帰編)
日付経過病状病状以外の情報
2003.2.12(水) 事故から42日め

手術から28日め

松葉杖を使っての初めての遠征(200Mぐらい?)と4時間ぐらい連続して足を下にしていたためか,会社から帰ってきて,足の状態を見るとものすごく腫れている。ギブスがきつく痛い。現実としては通勤はまだ難しい状態なのかな?


会社のルールでは,長期休暇をとったあとに,出勤するためには,事前に人事課に行って申請し,さらに会社の産業医さんに「就業可能」というお墨付きをもらう必要があるとのことで,約1.5カ月ぶりに出勤。父に会社の門まで車で送迎してもらう。いくら社員の家族とはいえ,会社のセキュリティチェックのため部外者は門までしか入れないのだ。
 会社の門から実際のオフィスまで歩いて5分弱あるため,松葉杖での移動に不安があった。人事課の人に以下を訴え,明日から車をオフィスのエレベータの下まで入れるように許可して欲しいとお願いする。人事課の担当の人も,
  • 雨の日は通勤できなくなる
  • まだ日が短いので,帰路では歩く地面が見えないため危ない
ということを伝えると,確かに!と納得してくれる。
診療所の先生の「こんな状況の人を松葉杖で移動させていたら,人事課が後ろ指さされない?」とのお言葉もあり,無事権利を獲得。
(みなさんどうもありがとう)

守警さんの話では,今,松葉杖で通勤している人私のほかに5名ぐらいいるとか,ということは,みなさん,構内を松葉杖で移動しているんですね。
松葉杖も結構大変なこと,やっぱり経験者でないとなかなかわからないみたいですね。


私の場合、結局1カ月半も会社を休んでしまった。骨折当初は、一般的にどれぐらい会社を休んでも後ろ指さされないのだろうということが随分気になり、googleで「骨折」+「足」+「休暇」とかで検索したのだけど、有効なページに出会えなかったので、私のケースをここで明記しておこう。

2003.2.13(木) 事故から43日め

手術から29日め

会社から帰ると足がものすごくはれていた。
また,ギプスを見るとカスタマイズした割れ目がとても細くなっている。開けてみると,間にはさんだ割り箸が浮いており外れてしまっていた。
さっそく直すと本当に楽。


8:30-6:00のフルタイム復帰初日。
足をあげておくための椅子も持参。
ものすごい肩こりで,すでに昼でくたくた。
帰宅後も食事をつくる元気もない。(母がつくってもってきてくれた。ありがたい。)

2003.2.14(金) 事故から44日め

手術から30日め

昨日とうってかわって,会社からの帰宅後も腫れていない。よかった。


出勤2日め,会社へのリハビリは順調にすすみ,本日の体調はOK。週明けからは,歩けないことと,物が持てないこと以外は,本格的に仕事に取り組めそう(???)

2003.2.15(土) 事故から45日め

手術から31日め

夕方腫れが比較的強い以外、変わりなし


2003.2.16(日) 事故から46日め

手術から32日め

朝腫れはひいていた。
状態は変わりなし

しかしながら、社会復帰編のはずなのに、腫れのことしか書いていないのですが、仕事はきちんとできるようになったのだろうか(謎)

→この週の状況をまとめて右の欄にまとめてみました。


ギプスストッキングにて3度めのシャワーを浴びる

仕事の状況は、
  • 体力をむちゃくちゃ消耗してしまう
  • 自由に出社時刻や退社時刻を可変にできないので集中できないこと(乗ってきたなと思うとお迎え時間になってしまう。)
  • 足を上げていることでどうも気が散る
    さらに
  • 家に帰ってきても、昼食に会社の食堂にいけないためお弁当を用意したり、朝早く出社しなければならないため朝の食事を夜のうちに用意したりで、夜の家での時間がすぐつぶれてしまう
というわけで、結局は、能率はさっぱりあがりません。
ボルトを抜く手術のために、休暇を無駄に消化しないですむという利点はあるものの、会社の同僚はあの人なんで会社きているのかなぁという評価かも。(しくしく)
さらに毎日送迎をしてくれる、がるぅ&お父さんにとても申し訳ない。


硬いんですけど(リハビリトライアル編)
日付経過病状病状以外の情報
2003.2.17(月) 事故から47日め

手術から33日め

診察日
レントゲン写真をとってもらったあと、恒例のごとく、渡された写真を盗み見。
うーん、まだ先週とあまり変わっていないなー。
というわけで、ちょっと落胆しての診察でしたが、ところが予想に反して、I先生いわく。
I先生:順調ですね、じゃあ、ギプスはずして、今日から2/3過重OK。
あと、お風呂に入ったら関節よく動かすようにね。
次の診察日は2週間後でいいです。
私:え、あまりついていないみたいに見えるんですがこれで、そんなにしていいんですか?
I先生:まだ4.5週だからこんなもんでいいんじゃない

ちょっと納得はいかなかったのですが、実は今日のI先生は同じ整形外科の先生の中で1人だけウルトラいそがしそうだったので、まぁ、慎重派の私としては、許可が出たのだからいいかというわけで、今日はこれで質問を打ち止めとしました。
その後、ギプスを半分にきって、シーネみたいにして、包帯で固定となりました。
処置してくれた看護師さんにしようと思っていた質問をしたところ、下記となりました。
  • 荷重をかけての階段ののぼりおりはまだしない。
  • 荷重は、家にいるときだけにする。
  • 寝るときは、半分になったギプスを巻いてねる。
  • お風呂は積極的に入る
ところで、今日の病院は劇ごみ。10時の予約だったのだけど、診察室に入れたのが、12時、ギプスの処置が完了したのが13:30。ギプス処置室にものをとりにきた看護師さんは、私忙しすぎてどうかしちゃっているわとぽろっとこぼすし。
このあと、11時半までの予約をこなす、先生はいつ食事をするのかな。かわいそう。
(でも次の診察までの2週間どんなふうにすごせばよりよいのか、ほんとはもっとお話ししたかったな。こんでいる病院はちょっと!!!ですね。)

お風呂に入る前にバケツに怪我をした方の足を入れてお掃除。
すごいもんですねー、1.5カ月の成長の証


がるぅが、松葉杖の使い方のサイトを見つけてきてくれた。
特に役立ったのは、階段ののぼり方で、松葉杖を上る段ではなく、今いる段にして、元気な足を上にあげれば簡単に階段がのぼれることがいまごろ判明。目からうろこ!
実は、病院で看護師さんに習えば教えてくれたのかな?
もっとはやくわかっていれば、結構楽だったのになぁ。

蔵王で、子供を当て逃げしたスノーボーダが過失障害容疑で捜索とのニュース。私をあてた人も、結局、スキー場での怪我はお互いさまだから示談の話合いは対応しないと言って話合いも拒否している状態なので、事実上同じ罪?

2003.2.18(火) 事故から48日め

手術から34日め

会社でも1/3ぐらい体重をかけるようにして移動するようにした。
そのせいか、また足めちゃくちゃ腫れているんですが、大丈夫かな?
 (ほかの方は2-3週から歩いているみたいだし、明日の朝までに直っていればいいことにしてしまおう。)

お風呂に入った!
実に骨折してから、1.5カ月ぶり
お風呂に入ったあとに、関節をよく動かすように言われていたが、よく動かすといってもねぇ。どこまでやっていいかわからないし。一応今日はおとなしめにして、手術後5週めの明日がんばろうとひとまず先送りにするのであった。
(しかし、3週前に先生ギプスはめるときにあそこまでぐぎっとやったんだから結構ばきっとやっても大丈夫なんだろう、本当は。)

というわけで、そろそろリハビリも調査しなければと思い探したところ、ありました。 松葉杖と戦った日々
このページのリンク集もGoodそう。

2003.2.19(水) 事故から49日め

手術から35日め

とうとう来ました。腓骨の骨のつく日数の目安である5週経過です。(ぱちぱちぱち)
でも、昨日のイベント(お風呂とリハビリもどき)は過酷だったのか、朝になっても足の腫れはひいていませんでした。本当にリハビリ体制に入って大丈夫なのかな?


2003.2.20(木) 事故から50日め

手術から36日め


リハビリのページで紹介されていたつま先たちなどは荷重2/3の私には過酷そうだったので、タオルを使って足を引き寄せて足首を曲げる運動をお風呂あがりに1時間ほど実行。真実は?だけど、結構曲がるようになった気分。本格的リハビリ活動開始の成果としてはまずまずかな?
 さらに、今日は許可されてないけど、勝手に片松葉にTry。maddyさんのページで紹介されていた方法のうち、危ないのでおすすめではないほうの逆松葉が私には理解しやすい模様。


2003.2.21(金) 事故から51日め

手術から37日め

昨日と同じリハビリに励む。
生足で1/10荷重ぐらいで歩いてみたが、生足は結構怖い。
はやくはずしたいと願っていたギプスであるが、今は大切な助っ人?


お仕事の方は、今週もまだ能率があがらない。やっぱり残念ながらまだ病人なんだなぁ。

2003.2.22(土) 事故から52日め

手術から38日め

お風呂でのリハビリ(タオルでひっぱる、足の甲を押すを10回5セット)をはじめてから、朝になっても足の腫れがなおらなくなった。
さらに、おでかけ(→)後はやはり足はむちゃくちゃ腫れる。
松葉杖利用のために筋肉痛になる左腕のためにもらった湿布を先生に無断で患部にはってしまう。
血流をさかんにしないと骨のつきが悪いという話もあり、冷やしていいのか不明。(次の診察日にきいてみよう)

また、いままで感じなかった連続的な痛み(とんとんとんとんというようにリズミカルに神経を刺激するようなが5分ぐらい続く)が1日に不定期に起きる。(我慢可能)


どうしても出かけないとならない用事があり、南青山まで遠征。
外苑前の交差点を闊歩する松葉杖。異様な光景?

南青山に出かけたわけは、私のWebページの次の柱にしたいと思っています。とりあえず、骨折直して、よく企画をねってからとなりますが、非日常的なことなので、お役にたつ内容になるかも。
乞うご期待!



南青山まで遠征した自信から、骨折後はじめて、ダイエーにお買い物!
食品ストックが補充できてひとまず安心

2003.2.23(日) 事故から53日め

手術から39日め

そうだ!ギプスをはずしたんだから、写真がとれるんだ!と今ごろ気づき、デジカメにて撮影。このページがグロテスクになるかなぁ。。。という気もするので、今のところ掲載をためらっている。
(ひょっとすると後で登場するかも。)
↑たくさんのリクエストお待ちしております。(笑)


足のついでにブーツにくっきりと残った衝突の際にできたエッジ傷を記念撮影しました。(笑-その2-)
2003.2.24(月) 事故から54日め

手術から40日め

今日は月曜日。I先生の再診診察日です。
予約はなかったけど、腫れと痛みとリハビリの関係につき念のため確認に行こうと決意。

【診察の結果】
  • この程度の腫れは5.5週ではあたりまえ。
  • 痛みも起きる。
  • 冷やしてもいいけど、枕で高くあげる対策を。
なお、荷重はとても残念なことに2/3のままとなりました。
(恒例写真の盗み見の感じでは、折れたところの両端は相変わらずついていないけど、 中心部は随分白くみえたんだけどなぁ。)
さらにおまけとして、次の診察をさ来週に延ばされてしまった。(これが大失敗?)

ただ、片松葉で歩いているのは見咎められなかったので、OKになったようだ。(ホント?)

I先生今日はせきこんでいて、体調が悪げで、待ち行列の患者いっぱいで、何で今日きたのー。って感じだったなぁ。ごめんなさい。心配性の私、お許しください。



まだ一人で買い物に行ける日は遠いと判断し、象印の天然酵母も使えるホームベーカリーを購入(骨折と無理にこじつける)

2003.2.25(火)〜2.26(水) 事故から55日め
〜56日目
手術から41日め
〜42日目

ときおり連続的に感じていた痛みの発生が頻繁になったので、片松葉を自重。患部に湿布。


会社の構内の車の通行許可も3/4で切れるので、そろそろ自力通勤ができる環境をと思い、ギプスの足用の靴を探す。
マリアンヌ製靴のリハビリシューズを購入しようかと思案中。(本当にギプスで入るのかな?)松葉杖と戦った日々掲示板で、キャストブーツ(ギプスウォーカー)を紹介してもらう。(キャストは英語でギプスのこと)
これ、よさそうなんだけど、googleやyahooでは、購入できる手段がみつからない。

2003.2.27(木) 事故から57日目
手術から43日目


 家の下の大通り(鎌倉街道)から会社の南門まで1時間に1本だが直通のバスがあることを発見。
バスの込み具合をチェックするために、送迎の車で目的のバスを待ち伏せ。
予想に反して、車内はすいている模様だが、バスのステップを松葉杖で登れるかが不安。

2003.2.28(金) 事故から58日め

手術から44日め

ここのところの痛みで自己流のリハビリに不安を感じたため、会社の診療所の先生(なんと、会社の診療所で整形外科の先生の診察が可能なのだ)にリハビリ指導をお願いできないかと相談にいった。
現状は、今の主治医からの紹介状がないので、病状についての情報がないので、指導はできないが、紹介状をもらって正式な手続きをふめば、週に2〜3日の頻度でリハビリの対応をしてくれるそうだ。
南部病院だと診察日は週1日がMAXだから、ちょっと魅力的な話。

でも、その先生(そういえば、この先生のイニシャルもIだわ)いわく、手術をした場合、手術の時に執刀医が見た折れた骨の状況についての情報はとても重要で、(骨のつくかつかないかの状況の時はなのかな?)やはり手術をした先生が一番その人にあった指導をできるはずとのこと。
やはりI先生におまかせしよう。

診療所に行くために会社の構内のほぼ1/2を松葉杖で移動。やっぱり結構疲れますね。松葉杖で駅から会社にきて、会社構内を横断はやっぱり無理みたい。
(骨折当初の出張も行くぞ!の心意気はどこへ?)


会社で1年間の成果についての面談あり。
年初に公約した目標について、どの程度達成できたかを書面で記載したけど、1/4年、ほぼ役立たずで、かつ、アウトプットの最後のつめができないため、すべての項目で未達成と申告せざるをえなくなった。
面接した次長も、「こんなふうに書かれると、査定に反映せざるを得ないんだけど」自分にきびしすぎるんじゃない?というニュアンスで言ってはくれたけど、でも事実だからしかたがないと思う。

今週も残念ながらお仕事の方は、まだ能率があがらない。
論文の締め切りが近づいてきたので、週末の家での仕事道具を持って帰る。重い。

病状とか、仕事とか、リハビリとかで画期的なことがしばらく起こらないので、気分的にめいってきている今週末(ファイトぉ)
2003.3.1(土) 事故から59日め

手術から45日め

以前は,足の腫れで圧迫されて痛いというパターンだったが, 最近は受傷した骨そのものが,連続して痛いというパターンが多くなった。今日は朝からこのパターンだ。よくなっているのかなぁ。いまだに疑問


すごい雨
今日はがるぅがスキーにいったので,ちょっと一人で本屋にでもいって気分転換とも思ったのだけど,いまだに雨が降ると何もできないんだなぁ。もう3月になったというのに。

2003.3.2(日) 事故から60日め

手術から46日め

台に手をついて,つまさき立ちをする運動を10×3セットはじめた。
少しだけ,足がつま先の方に伸びるようになったかも。


木曜の混雑度の観察の結果,松葉杖での自力通勤にはバスが最適みたいだったので,残る不安要素であるバスに乗れるかの事前確認のため,がるぅに車でつれていってもらい,横浜市バスの港南車庫に行く。
事務所の人に自力通勤の事前調査のため,バスの段差の確認をさせてほしいと頼んだところ快くローテーションに入っていないバスのうち,ノンステップバスや車椅子対応ではないバスを選んでドアをあけてくれた。骨折しているほうの足にも荷重2/3 OKなので,なんとか上がれた。2/3だけでも骨折したほうの足をついていいってことで生活の質は画期的に向上すると実感。
(片足だけだったら,ちょっと無理だったかも。今から考えると,片足だけのときに通勤復帰はちょっと無謀だったかも)
でも,今後利用するかもしれない江ノ電バスは,横浜市バスの一番ステップの高いタイプよりも少しステップが高いだろうとのこと。
 それにしても応対してくれた人が開口一番,さきほどお電話で松葉杖での利用についてお問い合わせになったかたですね。とのお言葉。(私は身に覚えがない)世の中松葉杖人口は結構多いようだ。(ほんとかな?)
 長い距離を歩くためには,ギプスのほうの足の靴が必要。Internetで教えてもらったキャストブーツが病院の売店にないか確認にいったが,取り扱っていないとのこと。靴屋さんで男性用のスニーカーをかたっぱしから試着するも,やはり入らない。
骨折後はじめて回転寿司で外食。こんなことでもうれしい。

2003.3.3(月) 事故から61日め

手術から47日め

足の写真を撮影。これから週1度撮影しよう。


キャストブーツ(ギプスウォーカー)を求めて,横浜中のおおきめの病院の売店に電話。
昭和大学横浜市北部病院の売店にSサイズのみ見本が置いてあるそう。
(他の病院はすべてカタログ注文で実物は置いていないとのこと。)

結局,メーカー(日本シグマックス社(03-5684-1051)に電話して横浜市で販売してくれる代理店を教えてもらう。
(株)香野
横浜市中区長者町9-171
045-251-6928

本来ならば,病院相手に資材を下ろす会社のようですが,1つだけの販売と,サイズ合わせをさせてくれました。
私(普通の靴は23cm,スキーブーツは21.5cm)は,Sサイズでは入らず,Mサイズでつま先が2cmあまる感じでした。
キャストブーツ
↑キャストブーツ

2500円で防水だし,足ついてもOKだし,もっと早く真剣にさがせばよかった。
在庫のある代理店をさがしてくれた日本シグマックスの方,快く個人に販売してくださった香野の皆様,本当にありがとうございました。

ところで,病院売店への電話の過程で,キャストシューなるものもあることを発見。
こちらの方のメーカは,アルケアという会社のもので,昭和大学横浜市北部病院の売店においてあったのは,こちらの方だったのではと推定されます。(未確認)
こちらの方の代理店は,
東和医療機器
横浜市中区根岸町3-226
045-623-7351

とのことでしたが,今回は在庫なく,実物も確認していません。
キャストシュー
↑キャストシュー

2003.3.4(火)〜3.6(木) 事故から61日め
〜63日め

手術から47日め
〜49日め

最近は病状に大きな変化がなく、病状欄があまりうまらないけど、毎日着々とリハビリにはげんでおります。
だいたいいつもこんな感じ

【お風呂で】
・タオルを使って、足首をひっぱり、つま先を手で伸ばす×10回×5セット
・お風呂の中で両足でつま先たち×10×3セット
所要時間40分

【洗面台で】
・つま先たち×10×3セット
所要時間5分

【お風呂あがりにベットで】
・タオルを使って足首をひっぱり、つま先を手で伸ばす。
所要時間1時間(回数にこだわらずゆっくり)

最近は、運動しても腫れが気にならないようになりました。


このページのアクセスカウント256を記録
おお、切りがよい数字だ!と証拠の画面をキャプチャーしてしまう私。

2003.3.7(金) 事故から64日め

手術から50日め

会社から帰ってくると,ここのところ例を見ないくらい腫れている。膝から下全体がぱんぱん。どうしたのだろう?


2003.3.8(土) 事故から65日め

手術から51日め

今日の朝も,昨日からの腫れがひかない。
ところで,普通1カ月近くもギプスに足が入っていると足が細くなるという話をよくきくのだけど,私の場合,まったくもって全然,最初から最後まで細くなったことがないです。
なんでだろう,なんでだろう,な,な,な,なんでだろう?


ずっと腫れていたってことなのかな?


2003.3.9(日) 事故から66日め

手術から52日め

最近痛みは1日に数回という感じになってきたが,今日の朝も腫れがひいていない。



いきなり見放さないで〜 (95%完治(?)編)
日付経過病状病状以外の情報
2003.3.10(月) 事故から67日め

手術から53日め

----- 2週間ぶりの診察日 -----

まずは,恒例のレントゲン盗み見を。
おっとびっくりです。2週間前にはあんなにぱくっとあいていた骨折上部に黒い影がまったく見当たりません。足首付近,固定したボルトよりも下のあたりにほんの少し筋(まだ骨でうまっていないところ)が見える程度です。
2週間前まで,骨のつきが悪いとなやんでいたのがうそのよう。
わーい,きっとこれで,ギプスはずれて100%荷重OKだわ,きっと。

さて,I先生の診察です。
(今日のI先生は9:40のお出ましだったので,本当におまちかねしました。)

I先生「Iさーん(私の本名です。)どう調子は」
私「腫れはまだ結構ありますが,痛みは少なくなりました。結構調子いいです。」

I先生(レントゲンを見ながら)「いいねー,何週だっけかな?」
私「8週です!」
I先生(カルテをみながら)「そうだね,8週。」
私(心の中で)(2週前は私が6週です!っていったら,まだ5.5週と直したくせに〜...)

I先生「もう全荷重OKだっけ?」
私「2/3です。」
I先生「じゃあ,今日から,それ(ギプス半分のシーネ)もとって全荷重でいいや。」
私「え,いきなりこれとって,何もなしでいいんですか?」
(サポータとか,包帯は巻いてとかないのぉ)
I先生「いいもう,心配だったら,最初のうちは外に出るときだけしていけばいいや」

私「わかりました。あと,リハビリとかは指導していただかなくてもいいんですか?」
I先生「なるべくあるくようにして,よく曲げ伸ばせばOK」
私「今までは,足首をこういう風に縦に動かすだけしか運動していないんですけど,もうどっちに動かしてもいいんですか?」
I先生「何やっても大丈夫」
私「ほんとですか! じゃあもう遊びにいってもいいんですか?」
(この突然の論理展開に,I先生はめんくらいながら)
I先生「だめまだ,普通の生活の範囲なら何やってもいいだけ。」
私「ぶつぶつぶつ......(温泉にいくだけなのに(あわよくばスキーとは思っていたが)....」

私「これって,ひょっとして完治ってことですか?」
I先生「完治じゃないよ,でも95%ぐらいは骨ついているから,何してもOK」
(95%かぁ,なんか弱気な数字だなぁー)

私「腫れているのとか,多少痛いのはもう気にしないでいいんですね」
I先生「うん,まだ腫れるとは思うけど,腫れたら足高くあげてね。」

私「あ,先生,そういえば,(松葉杖を指さして)これは?」
I先生「あ,それももうしないでいいよ」
私「もうしないでいいっていきなり,両方?」
I先生「なしで歩いていいよ」
私「(看護士さんの方に助けを求めるふうに)シーネもはずして,いきなり両方松葉杖なしで歩くんですかぁ?」
I先生「いいよ」
私「今日も??????????? いきなり????????(そう言われても歩けないですよー。)」
看護士さん「じゃあ,今日はまきます?」

というわけで,あっけなく,獅子の子の私は,I先生から千尋の谷に蹴落とされたのでした。さて,いきなりの病状の好転にびっくりしながらも,這い上がってくることはできるのでしょうか?」

でも,港南台病院で最初の受診の時の先生がずれ(転移)がないと判断したのは,どうもレントゲンを撮影するときの角度のせいだったみたいだから,こんなにぱっくりあいていた上部の骨折跡があとかたも見えないのはまた撮影角度のためにも思えますね。
まぁ,リハビリで少し冒険するための免罪符をいただけたのだから,実は上部がまだぱっくりでもいいやっと。


普通に歩いていいとのお達しにより,なんとはじめて病院から歩いて帰ってみました。(やっぱり過保護?)
病院と家との間の距離は元気な時に歩いて10分以内。
両松葉,シーネ付の私は難なく課題をクリア。(本来松葉杖なし,シーネなしでOKの指示なんだからあたりまえ?)
さらにはじめて片松葉で駅まで出てみました。これも軽くクリア。
しかし,さすがにめちゃ疲れて,家に帰ってすぐお昼寝となってしまいましたとさ。

ふとおもったのですが,骨折した足に荷重をかけはじめたころは怖くて逆松葉しかできなかったのですが,100%荷重OKになった今,正松葉もできるようになっていました。さらに,正松葉だと元気な方の足のすすめかたを自然にできますね。
松葉杖全部いらないって言われた今ごろ発見する事実でした。

 荷重100%OK,生足化のお祝いに,がるぅがベットを2階に戻してくれました。疲れているのにどうもありがとう。今日から毎日2階にあがって,リハビリにします。
 
2003.3.11(火) 事故から68日め

手術から54日め

初めて公共交通機関で帰宅してみました。会社の横のバス停から家から5分ぐらいの大通りまで1本のバスです。
家の近くの,バス停から家まで10分でたどりつきました。
今日はまだギプスを半分に切ったシーネをつけていったので,楽勝,楽勝。
やっぱり大大大大過保護の怪我人だったのね,私。

そこで気をよくして,夜お風呂に入って入念に柔らかくした後, ちょうど切らしていた,化粧品を買いにダイエーまで車でつれていってもらいました。
せっかくなのと,車だからということで少し冒険をして生足に普通のスニーカーで片松葉で出かけてみました。
最初はすいすい。下手したら杖なしで歩いていたのですが,30分もお店を歩いていたら,突然,全然足まがらなくなってしまいました。(いわゆる疲れはてて動けないーってやつですね。家に帰るころには,松葉杖があっても動けなくなっていました。)
まだあまり無理はできないようです。

でも,靴を履いただけで,結構ギプスぐらいの安定感は得られることがわかったのは発見でした。ちょっとうれしかった。



2003.3.12(水) 事故から69日め

手術から55日め

本当に(7.5週ではなく)手術後8週たちました。
あれからもう2カ月なのですね。

さて,I先生に捨てられ途方に暮れていたはずの私だったのですが,一晩あけると何故か急に(本当に)家の中では全く松葉杖とシーネのいらない人に成長していました。(すっごーい)

つめたく私を捨てたはずのI先生だけど,「シーネもいらない,松葉杖もいらない,勝手にリハビリせよ」というI先生のお言葉が私を勇気づけ,階段を受傷足から下りたり,違う段に左右の足をあげる階段あがりという荒業へのチャレンジさせるまでの自信を与えたのでした。うーんすばらしいお力。(ちょっと悔しい)
(単にシーネと松葉杖を卒業する日の宣言のタイミングが遅れただけだったりして....)

さらに,それだけの成果では満足できず,実家のある(1つ先の駅の洋光台)の駅の堀口医院さんで,リハビリとしてマッサージをしてくれるという情報をキャッチし,お電話で紹介状なしでのリハビリ指導を交渉し,さらに果敢にも生足にスニーカーで電車で診察に出かけてしまったのでした。(お電話の時に前回の失敗を踏まえ,この地域で大きな威力を誇る南部病院のKO系整形外科の名前を決して出さなかったのは言うまでもない。)

 しかしながら,やっぱりプロのマッサージはすごいです。怖くて触れなかった骨折部もがんがんマッサージしちゃうし,足首の曲げ伸ばしも,大昔にバレエで鍛えた私の左足の伸び方を見てびっくりした理学療法師さんが自分での限界まで私に曲げさせてそれをさらにひっぱってくれるし。15分ぐらいだったけど,より早く回復しそうな予感。明日も予約が入れられてラッキー。
(なんでも大騒ぎをして最善を尽くすのが私の主義なのだ。この際だから医療費無駄遣いは多めに見てね)

まだまだ全然びっこたっこだし,1歩目は相変わらずうまく歩きだせないけど,回復が形になって見えてくるのはうれしい。

【今日教えてもらったリハビリのしかた】
・台など,手がつける場所に椅子をもってくる。
・椅子に座る。
・台に手をつき,椅子から立ち上がる。
・立ってから徐々に受傷したほうの足に体重を移動する。
・健全な方の足に体重を戻し,椅子に座る。
上記の繰り返し


2003.3.13(木) 事故から70日め

手術から56日め

リハビリ2日め,担当くださる理学療法師さんいわく,手術からの日程と,骨折の直り具合からすると,私の足の腫れ方は少しひどいそう。
でも,あい変わらず,1歩目の歩き出しはスムースにいかないけど,自己流では伸び悩んでいたリハビリ,効果が出ているような気がする。
甲を伸ばすのは,まだ1/2程度だけど,曲げる方は5/7程度まで回復したように思う。

ただ,曲げる方はこのまま歩くなどの日常生活で復活しそうに思うけど,甲を伸ばす方はかなり特別な努力をしないと元にはもどらないような気がする。
がんばろう。


今日はリハビリに通うために,会社--(バス)--大船--(電車)--洋光台(リハビリ)--(電車)--港南台--(徒歩)--高島屋--(徒歩)--自宅というルートを自力で達成。
急成長しました。

ところで,夕方港南台駅で,I先生と思わしき方の後ろ姿と遭遇。とっさに「おかげさまでこんなに歩けるようになりました!」と声をかけてお礼しようと思ったのだけど,さすがに健常者を後ろからおいかけて追いつけるほどには私の足は回復していませんでした。(あたりまえ?)

というわけで,I先生の後ろ姿は,タクシー乗り場より車中に消えていきました。(まるで捨てられた女が後ろ姿を見送って,強く生きるぞーと決意を新たにする図ですね。)

2003.3.14(金) 事故から71日め

手術から57日め

今日は,会社へはギプス半分のシーネはせずに,包帯とサポーターだけで出社した。
まだ,数日前みたいに急に歩けなくなった場合のために松葉杖1本は持っていくけど,もし持っていなければ,(びっこではあるけど),骨折者とは思えないぐらいには歩けるようになったのではと思う。

さて,夕方,今日もリハビリに通う。(3日め)
いつも担当してくださる理学療法師さん(今度お名前を聞こう,またIイニシャルつながりだったりして。。。)
毎日同じ方なので,客観的に状況をチェックしてくださるのがうれしい。
療法師さん「足の腫れ,結構ひいてきましたね。かかとのところ,皺が出てきたし,順調に回復しているみたい。それに,骨折した方って,足が冷たい人多いんですけど,Iさん(私の本名)いつも足あったかでいいですねー。」

ということは骨の生成も順調みたい。このまま6月までに抜釘ができるかしら?(できるといいなぁ。)

療法師さん,本当にありがとうございます。
通勤帰りの汗まみれの臭い足で申し訳ないなーと思っていたのです。お許しください。


【6月までに抜釘したい理由】
スキー保険,障害保険などは,事故から6カ月以内の医療費しか支払ってくれないのです。

自分のためにワイン(大好きなカリフォルニア産ジンファンデル)をあけた。骨折に悪いからと我慢していたのだ。
実に2.5カ月ぶりのアルコール。

2003.3.15(土) 事故から72日め

手術から58日め

昨日,理学療法師さんは,足の腫れが引いてきているといっていたけど,昨日は会社にいた時に患部に湿布をはっていたことを思い出し,ひょっとしてと思い,昨日寝る前に足首に湿布をして寝てみた。
すると,朝,な,なんと「普通は細くなるらしいのに全然細くならない」と笑っていた私の右足が左足より2回りぐらいほっそりとしているではないですか!

つまり,今日まで,象のような足首だけでなく,足全体が今まで,ずっと,ずっと,ずっと腫れていたようなのです。うーん,怖いことです。


今日は,雨です。
雨なのに,何故かうれしい。
がるぅはスキーで野沢温泉。
後で,一人で傘をさしてお出かけしてみよう。

がるぅがCOCOONというハードディスクにTV番組を記録するものをsetupしてくれた。これ,勝手に番組を録画しておいてくれる機能があって,とっても便利。久々のヒット家電商品になる予感がしますね。
お風呂でのリハビリで見逃してしまった「美女か野獣」を勝手に録画しておいてくれたよう。うれしい。
手術の翌日,無事に手術室から帰還し,「美女か野獣」を見れてホッとしたことをふと思い出した。「美女か野獣」もあと1回で最終回。

2003.3.16(日) 事故から73日め

手術から59日め

昨日は傘を杖にして,健康な時徒歩6分の駅まで無事遠征できたので,今日は,杖なしをチャレンジしてみた。使っていないようでも体重をささえる威力は抜群のようで,やはり杖なしでは,帰りまで受傷足(体力かも?)がまだもたない。へとへとになってやっと帰りつく。
でも,全荷重OK,松葉杖なしの許可が出て1週間の成果としてはかなり満足。


ここ3日の骨折ダイヤリーのデータがftpの時のシステムダウンでなくなってしまった。記憶を元に再度書いたけど,タッチが記憶系になってしまい,ライブ感がなくなってしまった。

2003.3.17(月) 事故から74日め

手術から60日め

約束どおり理学療法師さんのお名前を聞いた,このページに多く登場するイニシャルIさんではなく,さなえさん。
さなえさんとのお話の中で以下アドバイスをもらった。
・ある程度歩けるのなら,松葉杖を返して杖に変えること。
・なるべくびっこをひかないで歩くようにする。
・湿布をはったほうが腫れがひくようなら,湿布をはるのは積極的にしてOK。(肌がかぶれなければ)
・湿布はお風呂からあがってすぐにはしない。(体があったまっているときは,できるだけ動かすことを優先)
【今日教えてもらったリハビリのしかた】
・タオルを床に敷き,指ではじの方をじゅんじゅんにたぐりよせていく。
(できるようになったら,タオルの端に重しをのせる。)
・床にボールペンを置いて,足の指でつかんで移動させる。
→どちらも足の裏の力を強化する。


2003.3.18(火) 事故から75日め

手術から61日め

今日はリハビリの予約とれず。


オフィスから最寄駅までいままでバス(2停留所)を利用していたが,はじめて骨折前と同様のルート(徒歩→電車→徒歩)にて通勤。

2003.3.19(水) 事故から76日め

手術から62日め

宴会の開始が7時からだったので,リハビリを受けたあと,再度大船に戻り,宴会に出席。
足首の皺が深くなってきたことを早苗さんは喜んでいる様子。


1月に予定していた友人の歓送会をやっと実現。
(実は昨日のオフィスから駅までの徒歩での通勤はこのため。)
本人は全然大丈夫のつもりなのだが,骨折してから,はじめての飲み会のため,がるぅは迎えに行くといい,心配な様子。
結局,同席した友人に家まで送ってもらい,家からがるぅがその友人の家まで送ることになった。みなさんありがとう


2003.3.20(木) 事故から77日め

手術から63日め

今日もリハビリの予約とれず。
お風呂で50セットのタオルでの曲げ伸ばしを実施。


骨折してからはじめて,美容院に行った。
いきつけの美容院が大船だったので,我慢するしかなかったのだ。
ひさしぶりにさっぱり。担当の美容師さんも交通事故での骨折経験者で,骨折談義でもりあがる。

2003.3.21(金) 事故から78日め

手術から64日め

今まで,足首は伸ばすことと曲げることしか動かしていなかった。
甲を伸ばしたとき,footが曲がって伸びる原因として,小指側が伸びないためではとおもい,温泉リハビリ第1日めのトライアルとして,足首を回す運動を行ってみる。
直接の痛みは出なかったが,足の腫れがものすごい。ちょっと心配。(I先生からはまだ遊びにいってはだめとも言われていることを思い出す。)


骨折前から予定していた,年に1度の姪っ子とのスキーのために白馬乗鞍に。骨折後,はじめての遠出。骨折後,I先生に最初にした質問が「3月連休にスキーにいけますか?」だった。I先生の回答は「今シーズンはだめでしょう?」だったが,スキーはまだだけど,スキー場にはやってきました。スキーまでにはもうちょっとかな?
せめてリハビリに温泉の効果が出ますように....

2003.3.22(土)〜3.23(日) 事故から79日め
〜80日め

手術から65日め
〜66日め

足首を回す運動をしてしまったためか,車の中でずっと 足を下にしていたためか,足の腫れが酷い。久しぶりに腫れで足に痛みが出た。必死に足をマッサージ。
ずっと湿布も実施。



でも足の甲を伸ばした時の足のまがりかたは心なしか少し矯正されてきたようにも感じる。


2003.3.24(月) 事故から81日め

手術から67日め

久しぶりのリハビリ。
足の状態は,昨日に引き続き,痛みはないものの,腫れが酷い。
定刻に,今日はいつもの早苗さんではない方が現れる。
早苗さんとおなじコメントが口から出て,
私の場合,足が冷たくないのがよい点とのこと。
でも,この時期,直り方の割には,腫れ方は,ひどい部類に入るとのこと
気長にマッサージして直していきましょうとのこと。

(縦の動き(甲の伸ばしと,足首を直角にの繰り返し)だけではなく,足(foot)の回転をしたところ,腫れが酷くなったことを伝えると,まだしばらく回転はしないか,ゆるい運動にとどめて様子を見るようにとのこと。)

リハビリの帰りに買い物にスーパーによったところ,また急に歩けなくなった。
腫れがひどいせいかもしれない。
しばらく休んでいたら,がるぅから家に帰ったとの電話。
状況を伝えると,ラッキーにもまだビールはお口にしておらず,車で迎えに来てくれるとのこと
ほっとした。

2003.3.25(火) 事故から82日め

手術から68日め


16:45 祖母が亡くなる。
先週,母が私のリハビリの先生に,祖母の曲がってしまった膝のリハビリのしかたを聞いていたというのに....
夜とりあえず,祖母の家に。集まった親戚中が私の骨折を知っていることにびっくり。
おか〜さんのおしゃべりぃ。

2003.3.26(水) 事故から83日め

手術から69日め

今日のリハビリは早苗さん。
そろそろ,なるべく杖を使わず,びっこをひかずに歩いてみるようにとのこと。
杖があると,全然びっこっぽくなく歩けるのに,杖なしだと結構ぴょこたんといった感じの歩き方になってしまうんですねーこれが。
何故?


2003.3.27(木) 事故から84日め

手術から70日め

手術から10週目
そろそろ完治も目前かとおもいきや,
随分腫れのひいた指から甲にかけてとは対照的にふと足首を触ってみると, なんと!足首が熱をもっていることを発見。
実はここずっと熱あったのかも。(いあまで怖くてさわれなかった)
そりゃあ腫れひかないわけですね。
(足があったかいと言われていたのも,実は熱もっていたから?)


お通夜お葬式のために,スカートをはいてみよう,ということは靴もスニーカーじゃだめだというわけで,ローヒールのパンプスを出してきた。
無理かなと思った横幅よりも,縦の長さが長くなっていて入らない。(腫れのせいが縦にも膨張するものなのかなぁ?)
しかたないので,パンプスはあきらめ,Kissaのカジュアルシューズで勘弁してもらうことにしよう。
2003.3.28(金)
〜3.29(土)
事故から85日め〜
86日め
手術から71日め〜
72日め

祖母のお葬式で足は久しぶりに酷使されたが,腫れもなく無事にすごせた。

はじめてスニーカーではなく,普通の靴(KissaのEEE)のカジュアルシューズだけど。 また一歩普通の人に近づけた。
2003.3.30(日) 事故から87日め

手術から73日め

右足が右の方向へ向いているらしく,ガニ股びっこになっているとのがるぅの指摘。
足を前に出すよう心がけて歩くようにしないと。


あ,切のいい512のアクセスカウンターのbitmapを保存できなかった。

2003.3.31(月) 事故から88日め

手術から74日め

夕方のリハビリでパンパンにはった足をみて,早苗さんが心配そう。
(→原因は右欄参照)

実は,出張先への往復時に注意力の欠如から段差に右足をのりあげ,「痛い!」という状況になってしまったことを打ち明ける。が,早苗さんがマッサージをしていくに従い腫れが回復。だんだんよくなっているねとのこと。
「痛い!」の影響はないようでよかった。


近めの製作所の方との打ち合わせが必要になり,怪我をしてから初めての出張。
あまりの荷物の多さにみかねががるぅが朝は出張先まで車で送ってくれる。(それでは初出張の意味がないのだけど。。。。)

そんな風に甘えていたためか,10分間の打ち合わせの結果はとても悲惨な状況で急遽オフィスに戻らざるを得なくなり,1時からの別の部署との打ち合わせも時間をずらせず, 結局,昼食抜きで,大船←→鎌倉間を1日に2往復するはめに。
1往復ですでに足はもうぱんぱんに腫れている。
ピンチだ。
交渉の方は,決してあきらめなさそうな私の行動に根負けした先方がしぶしぶOKしてくれ,足ぱんぱんの往復の甲斐があったというものだが。。。
(でもまた普通の人に一歩近づく。)

2003.4.1(火)
〜4.3(木)
事故から89日め
〜91日め

手術から75日め
〜77日め

松葉杖で戦った日々で一緒のころ活躍したメンバーから,回復の報告が続々。
みんなよかったね。
でも私はちょっと一休み状態かな?
毎日湿布をはって腫れと患部の熱感を抑えるようにしていて,その効果はでているけど,ぴょこたん歩きは少しよくなってきた程度。
あせらず継続の力を信じよう。


仕事が忙しい。忙しさにまぎれている間に曲がるようになっているといいな。

2003.4.4(金) 事故から92日め

手術から78日め

杖を病院に返却。
(でも港南台病院で借りた,松葉杖はまだお手元。)


会社のお昼は食堂まで歩いていかないとならなかったため,毎日昨日作成のお弁当持参だったが,誘われてはじめてお弁当持参で食堂まで歩いた。
お弁当があったので,杖なしで歩いていったら,みんなびっくりしていた。
でも相変わらず杖がないとぴょこたんしてしまう。杖ってあまり使っていないようでも結構効果あるんですね。

2003.4.5(土) 事故から93日め

手術から79日め

土曜日のため,朝9時からリハビリ予約。
朝はじめて私の足をみた早苗さん曰く,「足の厚みが(夕方に比べて)ぺちゃんこ」 だそう。


闘病中だった叔父が昨日亡くなった。

2003.4.6(日) 事故から94日め

手術から80日め



叔父のお葬式に参列。

ftpをコマンドプロンプトから行っていたのだが、コマンドプロンプトのwindowを閉めたとたん、システムが落ちてしまって、PCが立ち上がらなくなってしまった。
なんとか、修復コンソールからこのkossetu-diaryのログのみFDに退避。
とっても大変だった。

2003.4.7(月) 事故から95日め

手術から81日め

手術から12週め。1カ月ぶりのI先生の診察。
恒例のレントゲンの盗み見も 骨の上部は真っ白で、骨折跡はみつけられない。

今日は、ひょっとして最後になるかと思い、いろいろ質問を用意してきた。
しかし、レントゲンを見るなり、I先生いわく
I先生「ほぼ完全に骨つきましたね、これなら、もういつでも抜釘できるよ。」
私「え、そうですか?保険の関係で、できれば6月中に抜きたいのですが。」
I先生「いいよ。じゃ、次の診察を5月の終わりにして、その時に日程を決めよう」
というわけで、本日最大の交渉ねたと思っていた、6月中の抜釘はあっけなくOKとなってしまいました。
(障害保険と、スキー保険が両方出るのは結構大きいのでよかった。)
その後、用意しておいた質問を。 私「ずいぶん腫れ引いてきましたが、患部だけ熱もっているんです。湿布をしていますが、もうあまり湿布しないほうがいいという話もあるようですが、湿布をする処置でいいですか?」 I先生「それでいいよ。」
私「足の甲を伸ばすとき足がまがってついているように思うのですが、どちらの筋を伸ばすようにリハビリすればいいですか?」
I先生「え、まがっている? 全然へんじゃないよ。まがっていないよ。
ちょっと足首曲げてみて。ずいぶん曲がるじゃない。」
私「秘密の特訓してがんばりましたから。でも、健全な足に比べればまだまだです。」
I先生「そう?これだけ曲がれば十分だよ。」
私「そうかなぁ。」(かなり不満)「まぁ、怪我している方の筋が延びるようにリハビリがんばります。」
私「あと、日常生活だけでなく、もう遊びにいってもいいですか?」
I先生「テニスとかはまだだめだよ」
(スキーを禁止されるとだめなので、スキーとは言わない。I先生もまさかいまさらスキーに行くとは思っても見ない様子。)
私「もう走ってもいいですか?」
I先生「小走り程度なら、全力疾走はまだだめだよ。」
というわけで、次回診療は5/26日となり、手術日をその日に決めることとなった。
うれしいような、恐いような。

同じ日の夕方、リハビリ。
I先生の診察結果を聞いた早苗さん、いつもより随分力をかけてやってくれた。
ちょっと厳しかったが、心なしか改善がとまっていた甲の伸ばしが少し進展したかも。

診察結果を受け、杖を返す。レンタル料金が1900円


抜釘手術が現実に近くなってきて、調査のためwebを探していたら、レントゲン写真完備のすごい 骨折日記を発見。
2003.4.8(火)〜4.10(木) 事故から96日め
〜98日め

手術から82日め
〜84日め

仕事や葬儀で忙しくしばらくさぼりぎみだったリハビリ。きちっと50セットこなす日々

1.5カ月のブランクとその後の残業なしが相当評価を落としているよう。 リーダの職を解かれる。
その上、かなり厳しい言葉を上司から受ける。(退職もありえるとのこと)
これでもせいいっぱいがんばっているんだけどなぁ。
しくしく。

2003.4.11(金) 事故から99日め

手術から85日め



採用活動のため、東京の本社経由で茗荷谷まで初めて杖なしの出張。
1時間の電車は骨折後はじめて。
見栄を張って、大学に到着してから、ハイヒールに履き替える。
前回ハイヒールを断念した原因である足の縦の腫れはなくなっており、無事足を 滑り込ませることができた。
(イメルダ状態の靴ストックを捨てずにすみそうだ、よかった。)
学生さんや先生と別れてすぐ、Kissaシューズに履き替え、ほっとする。

帰りはとてもラッキーに磯子行きに東京から座れた。
でも、デモ用にPCをもっていったため、荷物が重く、駅から家までやはり足が前に 出なくなる。
やっぱりまだ病人?

2003.4.12(土) 事故から100日め

手術から86日め

1時30分よりリハビリ
昨日の遠出の出張で、くたびれはててしまい、やっぱりまだ病人だと思ったと早苗さんに伝えたところ、
早苗さん「もう病人じゃないですよ、がんばってちゃんと歩いてください!」
と一括されてしまった。厳しい....

駅で屈伸をしてみた。思いがけず、かかとをつけたまま膝を抱えることができた。
また一歩普通の人に近づく!



2003.4.13(日) 事故から101日め

手術から87日め


いままで、お風呂を入れる前のお掃除やお手洗いのちょっとしたふき掃除はやっていたが、骨折後はじめて本格的なお掃除にtry。
お風呂の漂白やら、外周りの雑草とり、枯れてしまった植木鉢の庭木の除去など。
本来ならばとうの昔に剪定しなければならなかった木。
いまごろ切ることになってしまいごめんなさい。といいながら、剪定しようとしたのですが、さすがに背伸びしながら高い位置を切るのはちょっとまだ無理でした。
肥料をあげていなかったブルーベリーも花芽がいくつかついていてちょっとほっとした。

久しぶりに外にでて作業したら、お隣の奥様も作業中。久しぶりに立ち話しをしたのですが、私が骨折したとは気づかなかった様子。
まだ足に違和感があることを伝えると、新横浜にある横浜市スポーツ医科学センターにいくと、リハビリメニューを作ってくれるとの情報。
早速調査してみよう。

2003.4.14(月) 事故から102日め

手術から88日め



アクセスカウンターが急に1日で100もカウントアップ。
今まで1日あたり10〜20ぐらいがせいぜいだったので、何かあったかなぁ?と思い、 ふとgoogleで「ちゃありぃ+がるぅ」で検索したら出てくるではないですが、このページが
やっとgoogleさんが、チェックしにきてくれた模様
それにしてもすごい威力。google

2003.4.15(火) 事故から103日め

手術から89日め



すっかり忘れていたのですが、「松葉杖と戦った日々」のおしゃべりで思い出したのですが、ギプスIn期間は、障害保険、スキー保険とも通院日数と同じカウントにしてくれることが判明。
(同僚に情報をもらって、保険会社に確かめて確認)
骨折ってそんなに頻繁い通院するわけではないので うれしかった。(同僚さんに感謝)
ちなみに「ギプス」と「シーネやギプスカットの半分」は明確に区別されて いて、ギプス期間しか保障されないようです。
入院保険は、やっぱりアリコやアメリカンファミリーかなぁ。
(私の生命保険は5日免責なので、2日しかでなかいです。でも契約した覚えのない、手術給付金(50000円)が出たけど。)

2003.4.16(水) 事故から104日め

手術から90日め

昼食を食堂で取ることに。
(昼食は1カ月単位でしか喫食/欠食のコントロールができないため)
食堂の帰り、昨年いっしょに仕事をしたおじさま(通称悪魔さん)が後ろから 私の歩き方を観察し、
「意識的にびっこをなおさないと、そのままびっこになってしまうぞ!」
と忠告をくれた。
彼は骨折経験者なのだろうか?
もともとするどい人だと思っていたが、とても適切な忠告。

一方、客観的にまだびっこなのかとちょっと落胆


2003.4.17(木) 事故から105日め

手術から91日め

4/17虎ノ門まで出張。
帰りは新橋まで歩いた。
別に問題ないと思っていたが、帰って足をみたら、外くるぶしあたり(患部)だけがぽっこりと腫れあがっていた。
念のため湿布を貼って就寝。

ふと、腫れがひどいのは、金属アレルギーのせいもあるのかなぁとふと思う。


2003.4.18(金) 事故から106日め

手術から92日め

最近あまりリハビリが停滞していると感じていることと、昨日の外くるぶしぽっこり状況を理学療法士の早苗さんに話たところ、
逆に、足の甲の血管が結構出てきていること、腫れも引いてきていると早苗さんは感じていることを教えてくれた。
外くるぶしぽっこりも他の部分の腫れが引いてきているので、目立つようになってきたのではとのこと。
通常は、元にもどるまでに、固定していた期間の2.5倍はかかるとのこと。
私の場合、
固定期間=2週+7.7週=9.7週
2.5倍すると、24週
固定が外れてから、今日で5.8週なので、
残りは、18週=4.5カ月
10月半ばかぁ....


2003.4.19(土) 事故から107日め

手術から93日め

ついに港南台病院から借りていた松葉杖を返す。
借用保証金が3000円
お借りしたときに、ちょっとどたばたしていたので、松葉杖貸し出しのシステムをきちんと聞いていなかったかなという心配があり、 ひょっとして、借りていた日数毎に費用がかかるのでは?(仮に1日100円だとすると、10000円ぐらいになってしまう)と思い、どきどきしながら返却しますと申し出たのですが、とてもラッキーなことに、保証金3000円が返ってきただけでした。
わーい&どうもありがとう港南台病院さま



昨年1年の仕事の成果についての、昨日の上司の発言でかなりブルー

2003.4.20(日) 事故から108日め

手術から94日め



入院中、ナースステーションの前に病院のお掃除用のタオルの寄付を募集する張り紙があったことを思い出し、旅行でもらったタオルを半分に切って大きさを小さくして縫った。15枚ぐらいになった。
(こんな数でも役に立つのだろうか?)
入院中に決意した、これから時間を見つけたら少しずつ、小さなボランティアをやってみようという思い、だんだん体が普通にもどってきたので、実現していこう。

2003.4.21(月) 事故から109日め

手術から95日め

急に気温が低くなったせいか、夕方ものすごいびっこになり、歩くのが困難になる。
夜足が痛く起きてしまう。こんなことは初めて。びっくり



2003.4.22(火) 事故から110日め

手術から96日め

昨日と同様気温が低め。夕方つらい。
GWのスキー復帰計画あやうし。



2003.4.23(水) 事故から111日め

手術から97日め



10年前の仕事のボスが定年退職のため、久しぶりに昔の仕事の仲間と飲み会。
骨折したのを知っていた友人、杖なしになったのを見て「よかったね」
とても仲のよかった後輩が欠席した理由が息子さんが腕を骨折したとのこと。
心配。

2003.4.24(木) 事故から112日め

手術から98日め

早苗さんのリハビリ。
普通のまげのばしの範囲だったら、左右同じぐらいに甲が伸びるようになったとのこと。
一生懸命伸ばすようにするとまだ左右で2cmぐらいの高さの差があるが、 正座とかもあまり違和感なくできるようになった。
曲げる方は、多分大体左右同じレベルになったと思う。

だが、足の痛みやびっこは一向に改善されない。 最近リハビリの帰りのびっこがひどいのはなぜ?



2003.4.25(金) 事故から113日め

手術から99日め



今年の査定係数がかかった初めてのお給料日。
予想どおり、最悪の評価。2.5万円もさがってしまった。
ヘルスケア休暇を使用しても査定には影響しないシステムのはずなのになぁ。
あまり多くは語りたくないが、悔しい。

アクセスカウンターが1000を超えた。(祝)


自立せねば(自立編)
日付経過病状病状以外の情報
2003.4.26(土) 事故から114日め

手術から100日め



手術から100日。
手術から何日かがあんなに待ちどおしかったのに、今は淡々と日々が過ぎていく。
今日からGW休み。
がるぅが立ててくれた、白馬→野沢→蔵王の温泉旅行に出かける。
なんとかスキーにチャレンジしようとスキーウエアをかばんにいれた。
いろいろとついていないことは忘れて、エンジョイしよう。
(連休中の仕事も持ち帰ってしまったけど....)

2003.4.27(日) 事故から115日め

手術から101日め



明日は、スキーにtryしてみようと決心し、スキー靴に足を入れてみる。
なんとか入ったが、ちょうどボルトの位置あたり、スキー靴にあたって痛い。
やっぱり無理なんだろうか?

温泉でリハビリに励む。

2003.4.28(月) 事故から116日め

手術から102日め



八方尾根スキー場
ついにゲレンデに戻ってきた。
普通に歩くにはまだびっこだけど、がるぅによれば、スキーは整地では普通の時のすべりと遜色ないとのこと。
9時半までに、バーンのよい時に、兎と黒菱の練習バーンを合計5本ほどがんばってすべる。
午後2時以降、再度tryと思い、ゲレンデに出たが、バーンがこぶこぶになっており、 さすがに受傷足で踏み切ったり、ジャンプしたりの勇気がなく(というか無理)、 なんとかずるずる降りてくるのがやっと。
早々に退散。
また怪我をしては元も子もないので、これで満足して、来シーズンがんばろうと思い切る。

ゲレンデでは、上村愛子さんがモーグルキャンプの先生できていて、華やかな様子。
1こぶ毎のモーグルトレインなんてやっていた。すごい!

USAGI-DAIRA-BOLT-IN-SKI
↑八方尾根 兎平
ボルト-inのまま降りるちゃありぃ
(I先生には内緒(TM))

2003.4.29(火) 事故から117日め

手術から103日め

野沢温泉の外湯めぐりでのリハビリ。
温泉につかる→次の外湯まで歩く→温泉につかる
を繰り返す。
その効果あってか、今まで強かった左右に斜めの道への違和感がかなり改善。
であるが、さすがに10:00〜14:00までの外湯めぐりは強行だったようで、突然歩けなくなる。
休みを兼ねて、もう1湯お風呂に入ってから宿へ。


4/30だけで12個の外湯を制覇。(昨年暮れに2つ入った外湯を除いて、今シーズン野沢温泉全外湯を制覇!)
でもさすがに湯あたり。


2003.4.30(水) 事故から118日め

手術から104日め



野沢温泉から、なんと蔵王まで移動。
途中、新潟で久保田(紅寿)と〆張鶴(純)を定価購入。
越の寒梅定価購入方法が今後の課題


2003.5.1(木) 事故から119日め

手術から105日め

私は外湯めぐり
がるぅはスキー
な、なんとスキーから帰ってきたがるぅが転倒して右手が動かないという。
現地の病院(山形県上山市みゆき会病院)を調べ、またもI先生(当然別人だが苗字は私のI先生と同じ)に診察してもらう。
結果は、最悪の事態で、またも骨折。(右の鎖骨骨折)
保険会社に提出するための、スキー場にいたことの証明をリフト会社にもらい、行程を1日短縮して帰ることに。
とっても不得意の運転を覚悟したが(さらに、アクセル足不自由)、 幸い、がるぅは、高速ではウィンカーが出せない、シートベルトが自分ではできない以外は運転ができる状態。
なんとかがるぅの運転で16:20出発、21:30着
(役たたずでごめんなさい。)
家に帰ってから、どこの病院に行くべきか、がるぅはかなり悩む。
結局、私と同じ済生会横浜市南部病院に決定。明日の初診は、足が専門のY先生。(私の退院日にピンチヒッターで消毒してくれて、病状や、足の上下の運動はいくらしてもかまわないなど、的確なアドバイスをくれたかっこいい先生)
南部病院は、肩の専門家はいないようだし、山形のI先生は、自分が主治医なら手術するとおっしゃっていたこともあり、連休突入前に最悪の場合のスケジュールを確定するために手術の可能性を考えて決断。
即入のケースも考え、最低限の入院道具も用意

いままで、私が保護してもらう立場だったが、これからは逆と覚悟。
でも、後から思うと、この日の覚悟はまだまだ甘かった。。。


蔵王の川原湯はすごい温泉だ。
源泉の上に、すのこ状の湯船。熱いので、外から水道を供給し、あふれた温泉は建物から外に垂れ流し。
うーん、すごい!


2003.5.2(金) 事故から120日め

手術から106日め

がるぅに付き添い、病院へ。
詳細は、がるぅが別に日記にするかもしれないが、やはり手術決定。
骨が大きく上に外れていることから、鎖骨と肩甲骨をつなぐじん帯も切れている可能性大とのこと。
(手術をしなければ、絶対に固定できない部位のため保存では骨はつかず、かならず偽関節になる。骨をつけないと、荷物を持ち上げたりするとき痛む、肩こりがひどくなるなどの症状となるとのこと。)
手術は、ボルト+プレート固定、手術時間2時間、全身麻酔。
生活の質は歩けない私より、がるぅの方がずっと楽そうだが、手術は私よりも複雑そう。
がんばってね。

がるぅは洋服を着たり、靴下をはいたり、お風呂で体をあらったりができないため、私が急遽介護人に。
病院での事務手続きや段取り等、久しぶりの大活躍、でもくたくた。


がるぅとY先生の診察室に顔を出したところ、私までスキーで滑ったことをY先生はめざとくチェック。I先生にいいつけちゃうぞ!と脅されてしまった。(^_~;)
お茶目なY先生!。

2003.5.3(土)
〜5.5(月)
事故から121日め
〜123日め
手術から107日め
〜109日め



がるぅは、5/6入院、5/7手術となった。
遠足かなにかと間違えているがことく、変にうきうきしながら、入院を快適に過ごすためのGoodsを集めている。すでに入院にもっていく荷物は大きな袋に3袋!
入院まで時間があると、いろいろ入院に必要なものをそろえる時間があって、返って大変?

私はというと、GWに持ち帰った仕事を、3日間毎晩3時ぐらいまでかかって仕上げる。
がるぅの怪我にかこつけてサボるという手もあったのだが、がんばった。(疲れた)

2003.5.6(火)
〜5.10(土)
事故から124日め
〜128日め
手術から110日め
〜114日め

がるぅ入院の日
会社は午前休暇を申請。
いままで保護してもらった身から急に保護する身へ。
入院の大荷物3袋も2袋を私が持って出たが、足が前に進まない。
重い荷物をもつと、足、てきめんに働かなくなってしまう。

5/6にそのことをリハビリの先生に言った。(いつもの早苗さんがお休みの日だったので、今日ははじめて、リハビリ室のチーフの先生にしてもらった)
下記のようにかなりためになる指導をしてもらった。
  • リハビリは動かすだけでなく、5秒静止することが大切
    私の足を両方見比べて、太さ自身はあまり変わらなくても、筋肉が右足はすべて落ちてしまっている、その筋肉を戻すようにしないといけない。筋肉をつけるためには動かすだけでなく、動かした後、その姿勢で5秒静止することが重要。

  • ゴムを輪につなぎ、机の脚などにひっかけて横に引っ張るリハビリをする
    甲の曲げ伸ばしの機能はほぼ元に戻ったが、斜めの道で違和感があることを伝えると、 スポーツ店か手芸屋さんで太いゴムを購入し、輪にして椅子や、机の脚(動かないところ)にその輪をかけ、反対側に足を入れて横にひっぱる。
    junkoさんのページに↓のような写真がありました。


    (↑junkoさんのページのイメージをそのままリンクして表示しています。)

  • 私の場合、疲れやすい条件
    足のサイズが小さいことと、体重が多めなため、通常の人よりも落ちた筋肉で運動すると疲れがでてしまうのだろうとのこと。



がるぅの入院(5/6)〜手術(5/7)〜退院(5/10)の間、かなりくたくた。
(そのため、日記をまとめてしまうことお許しください。)

2003.5.11(日)
〜5.16(金)
事故から129日め
〜134日め
手術から115日め
〜120日め

この1週間がるぅの入院で、ちょっと無理をした。
で、くたくただったため日曜はゆっくりしたところ、月曜に2人から、「足びっこひいてなくなったんじゃない」との指摘。
そう、急に足を意識しないくても歩けるようになった。
がるぅの介護でがんばったご褒美かな?
(火曜はまたちょっと元にもどったけど、一応金曜まで前の週までとは違って意識せずに歩けるような状況は持続!)


納豆が食べられないがるぅのために、サプリメントでビタミンKの入っている製品を捜す。(Y先生に窮状を訴えたのだけど、先生が調査してくださったところによると骨粗しょう症でないと、保険で処方できないのだそうです。)
ファンケルのカルシウムサプリメント商品に4μg入っていることを発見。
でも、納豆1パック50gの1/7が1日の所要量とすると、1300(mcg)/2/7=92mcg必要なので、4μg/1錠だと足りないのかな?
(mcgってどういう単位なんだ?)

2003.5.17(土)
〜5.21(水)
事故から135日め
〜139日め
手術から121日め
〜125日め

ここのところ、気温が低く、じめじめした日が多く、画期的に普通にあるけるようになった先週から一転、足をひきずる日が多くなる。
今週からぺったんことはいえ、皮のパンプスを履いたことも原因ではとリハビリの早苗さんからの指摘。そうかもしれない。


週末は、抜釘手術に備えて、着々と入院Goodsの準備。
がるぅの入院がちょっと前だったので、必要なもののイメージが残っていて楽。
半そでのパジャマなど購入。

2003.5.22(木) 事故から140日め
手術から126日め



骨折後初めての大阪までの出張(長距離出張)
日帰りなので荷物はさほど多くなかったが、念のため車輪のついたかばんにした。
しゃべりっぱなしだったのと、最終ひかりだったので、くたびれたけど、無事かえってこれた。
(またもう1歩、もとの生活を取り戻せた!)

2003.5.23(金) 事故から141日め
手術から127日め

大阪出張帰りの朝はやっぱり右足首は左足首より1回り以上太いなぁとお風呂の中で。



2003.5.24(土) 事故から142日め
手術から128日め

リハビリへ。
ここのところ少し調子悪い(びっこが多い)ことを訴える。
びっこは癖になるので、意識して直すよう、再度、早苗さんからの注意。


着々と入院Goodsを準備。
今日は、歯磨き用のプラスチックのカップで蓋つきのものを購入。
あとは夏用スリッパを購入するべきか少し悩む予定。
木曜の大阪出張の結果、6月なるべく早くの手術が都合がよくなった。
ベットがあいているといいけど。

2003.5.25(日) 事故から143日め
手術から129日め



junkoさんのページで、高額医療費は健保に請求するものであることを教えてもらう。
また、医療費控除はこの還付額を差し引いた額のみ請求可能とのこと。

2003.5.26(月) 事故から144日め
手術から130日め

夕方ごろ、手術の打ち合わせをする診察予約日が今日だったのではないかという不安がよぎり、家に帰って予約票をみたら、やっぱり今日、だった。
しくしく。



2003.5.27(火) 事故から145日め
手術から131日め

昨日忘れてしまった予約。予約外で診察に行きました。
レントゲンのオーダをいれてもらうのに30分、レントゲンに40分待って、 外来に10:30に診察券を出したら、すぐに呼ばれた。
お、これはすごい!予約時間があてにならないことで有名なI先生なのに予約外で10:30とは快挙だ。
私「今日は抜釘の日程を決めるんですよね。できれば6月はじめの週がいいんですが」
I先生「6月はじめは忙しいんだけど。。。」
というわけで、6/17入院、6/18手術に決定しました。
いつもよりかなりくずれめの字で手術の書類を次から次へさらさら書くI先生
いくつか質問していたら、突然
I先生「あ、もう僕手術に行かないとならないから、詳しいことは入院の日に説明するからねっ!」 と言って、私の肩をポ〜ンと叩いて手術室にたかたか走っていってしまいました。
(肩たたいていただく程親しかったかなぁ。←がるぅの付き添いの時、隣のベットに診察に来たI先生に会釈してもわからなかったのにねぇ。)
I先生ったら、本当に手術が好きなのね・・・(笑)

ところで、I先生がさらさらと書類を書いている間に以下の事項をお聞きしました。
・入院しなくてもできる。(ほんとぉ? 抗生剤点滴なしで、何かあったらやだよぉ)
・手術時間は10〜15分 (Y先生と同じねっ!)
・次の日から歩ける
一番相談したかった、硬膜外麻酔について相談したが、前の日に麻酔の先生に聞いてねって流されてしまいました。(しくしく)
しかしながら、最後に看護師さんにインフォームドコンセントの書類にサインさせられたのですが、何にも説明受けてないんだけどなぁ。すぎやま整形外科のページでチェック済だし、金属抜くことに異論はないから、まぁいいっか。

手術前の血液検査、心電図、胸のレントゲンをとって、12時でした。
なお、今回は、お食事は朝のパン指定はやめました。(だってパンおいしくなかったんだもん)

そうそう、今日のレントゲンでは、骨折後が周囲よりずっと白くなっていて、逆の意味で骨折箇所をしっかりと確認できるレントゲンとなっていました。


お部屋は持論どおり、
1名…暇なので、つまんない
2名…気が合わない人だと大変
4名…6名と何が違うのかなぁ
というわけで、6人部屋にしました。

午後から採用面接のため、東京まで出張。
念のためと思って湿布を貼ってでかけたが、湿布をしないで出かけた病院の時に比べてびっこがひどい。ひょっとして、冷やすよりあたためる方がよいステータスに移行したのかな?

2003.5.28(水) 事故から146日め
手術から132日め(19週)

今日のリハビリは、前回ゴムチューブのリハビリを指導してくれた先生。
斜め運動に違和感を感じていたことを覚えていてくれて、足首を回すマッサージも してくれた。
前回よりも随分スムースに回るようになっている。


実は、今日も出張。
工場内から出門するとき、入門証を返却するのに、研究所←→工場の間の定期便の運転手さんに待っていてもらった。時間かかって悪いなーと思ったら、なんと走っていた。 速度は歩いていたときと同じぐらいだけど。
スキー滑れるようになるのより遅かったけど、やっと....

もう19週ですね。

2003.5.29(木) 事故から147日め
手術から133日め(19週)



南部病院健康教室というのを毎月やっていて、6/21にI先生が骨粗鬆症について公演するという情報をキャッチ
ちょうど入院中で退屈している日だわ!
というわけで申し込んでみましょう!と決意。
(肩たたいてくれるほどの仲だし...)←意味不明

2003.5.30(金) 事故から148日め
手術から134日め(19週)



今日はワークシェアリングみたいなもので、お給料下がるかわりに一斉休日が追加される特別休暇の日
3連休でうっきうきのはずが、お休みの違う工場の人の要請でどうしてもということで出勤。しくしく、査定最低な上に。。。
私のお給料を返して!


2003.5.31(土) 事故から149日め
手術から135日め(19週)

朝からリハビリ
台風が来ていて、じめじめしていて、以外に調子が悪い。(びっこもひどい)
早苗さん「こんなに傷がきれいになったのに、また手術ですねー」
そうそう、手術後ぶくぶくに膨れて、糸のところだけ押し付けられて見るも無残な傷口なのに、I先生が「傷口きれいですよ〜」とおっしゃっり、うっそー、みんなにそういっているだろーとも思った私だったが、がるぅの傷口に比べると開きが少なくぴったり。
今はもうストッキングをはいていれば、わからないぐらいにまでになっている。


I先生の骨粗鬆症について公演は、な、なんとすでに50名の定員の予約済みとのことで、受講できない模様。人気あるのね。(何が?)


6カ月以内にできますぅ?(抜釘手術編)
日付経過病状病状以外の情報
2003.6.1(日) 事故から150日め
手術から136日め
(19週)

今日から6月。抜釘手術準備編としました。


アクセスカウンター2000をcaptureしそこなってしまいました。

count-2001

2003.6.2(月)〜6.6(金) 事故から151日め
〜155日め
手術から137日め
〜141日め
(19〜20週)

じめじめした日が多いせいか、はたまた月曜は姫路、水曜は大阪と出張が続いたせいか、右足(受傷足)のかかとや甲やひざが痛い。
急に決まった出張のため、水曜のリハビリの予約をキャンセル。最近自分でするリハビリもさぼりっぱなし。ごめんね、私。


保険会社に電話。
障害保険は事故後6カ月が保証期間とのこと。(私の場合6/29が最終保証期間)抜釘手術が6/17〜となったので、消毒期間を考えると治療で通う日が保証期間以降となってしまい、ぎりぎりまで先生に診断書を書いてもらえないことになってしまうため、いつまでに診断書と保険金の申請用紙を送付すればいいかを問い合わせた。
以下とのこと。
・申請と診断書は保証期間後でもいい。(7/MでもOKとのこと)
・複数病院通院の場合は、診断書類も複数の病院でとる必要はない。
(手術した病院のみ診断書をとり、後の病院は、診察券のコピーを申請書類に同封し、  通院日を明記すればよい) ・スキー保険と障害保険の申請は1通申請すれば、東京海上の中で複数申請として処理してくれる。

2003.6.7(土) 事故から156日め
手術から142日め
(20週)

土曜日にリハビリで、かかとや甲が痛いことを伝えると、以前は左足に体重をかけていたのがびっこにしない対策で右足に体重をかけるようにしていたが、やはり患部はまだかばった歩きかたになっているため、右足の患部以外のところに力がかかって痛みを誘発しているのだろうとのこと。
junkoさんのページでもそのことを質問してみたが、junkoさんの回答も上記。
抜釘手術が近いが、あまりよくなったという実感がない。


なぜか今日も休日出勤。
先に帰るために声をかけてきた上司は、今も足の調子が本調子でないこと全然わかっていない模様。まぁ、そんなもんでしょうね....

2003.6.8(日) 事故から157日め
手術から143日め
(20週)

朝方、寝ていたのだが、急に右足患部に神経的な刺激があり、ぴくっとして起きてしまった。何があったのだろう。ちょっとびっくり。
気のせいかもしれないけど、こころなしか、その後、変な方向にしか伸ばせなかった甲が左足と同じ角度で伸ばせるようになったような気も。(多分気のせい)


朝から腹痛。
10月に腸閉塞の疑いで4日ほど入院した時の痛みに似ていてちょっと心配。
夕方右下腹に痛みを少し感じる。盲腸?
今(23:00)には収まっている。
お願い、抜釘まで暴れないでね。

手術の準備ができていない。来週は、美容院とお買い物をしなければ。

2003.6.9(月)〜6.13(金) 事故から158日め
〜162日め
手術から144日め
〜148日め
(21週)

火曜日は、骨折して初めてハイヒールを履いて、大阪まで出張に行った。
さすがに帰ったら、とっても久しぶりに患部に熱感が。
あと、ぺったんこ靴だと問題なくなった、斜めの道だけど、ハイヒールだと依然として かなりの違和感あり。

でもとりあえず、イメルダ状態の靴コレクションも無駄にならずにすんだのだなぁ。うれしい。


私が骨折したことを知っている人で、とってもひさしぶりに会った方に、 「まだなんですねー」
といわれてしまった。
ハイヒールを履けて直った気になっていたけど、やっぱりまだ変な歩き方なのね。
しくしく。
がるぅは、まだ痛みがとれないんだそうです。のど元すぎて熱さ忘れてしまった私。そんなに痛み続いたかなぁって言ってしまったけど、そういえば、だんだん痛みが狭まって患部だけになったっていうがるぅが訴える痛みの感じ、そういう経験あったような....

2003.6.14(土) 事故から163日め
手術から149日め
(21週)

リハビリの後、手術を来週に控え、初詣も行っていなかったしというわけで、鶴ヶ岡八幡宮に行った。
横須賀線で鎌倉駅から小町通りをウインドウショッピングしながら。
本宮は屋根の張替えとのことで、例の大銀杏のある階段は上らないところまでしか行けない。なんだけど、鎌倉駅から結構あるのだろう、久しぶりに足が前に出ず、「もう歩けない!」という状況になってしまった。
もう6月も半ばだというのに、また?
こんなもんでも来週は抜釘手術。


八幡宮で開運厄除けのお守りを購入。
やっぱり健康お守りよりも厄除けが重要だよね。

入院中あまり悲惨に見えないように美容院に。
彼も交通事故で手を怪我して、保険会社と交渉中のため、私の賠償問題に興味があるみたいで話題がとぎれない。
入院中の夏用サンダルと、手術日との関係がかなり心配になってきた(えー、またなのかなぁ、やだなぁ)生理用品を調達。

2003.6.15(日) 事故から164日め
手術から150日め
(21週)

いよいよ入院はあさって。
今回は、即入ではないので、がるぅほどではないけど、いろいろと荷物を揃える。(ふりかけとか海苔とか)
2回目なので、本人は、緊張感があまりないなぁ。
先生はたかが抜釘って感じにならないでねー。お願い。

いまだに麻酔をどうするか決め兼ねている。
生理が始まってしまったら、早く歩けるよう下半身だけにしようとは思うけど。
痛いのはいやだしなぁ。


料理が全くできず、一人で食事ができないがるぅのために、入院中の食料(カレー、鯛ご飯の冷凍)などを用意。前回と違って、がるぅも病人のため、ちょっと心配。
(がるぅの納豆苦行も私が入院の間はしばらくお休み)

2003.6.16(月) 事故から165日め
手術から151日め
(21週)



帰りに同室の方へのご挨拶のために大船駅前のお菓子の家でレーズンウィッチを購入。
閉店まぎわだったため、ケーキのショーケースから残っていたゼリーをプレゼントしていただいた。早速お参りのご利益かな?
がるぅの入院Goodsを多い、多いといじめていたけど、自分の荷物も紙袋3つ。がるぅより多いではないかー.....

2003.6.17(火) 事故から166日め
手術から152日め
(21週)

今日は、抜釘手術のための入院の日です。
病棟につくと、入院者の待合室で、がるぅの手術の時に同部屋だったSさんの奥様に遭遇。Sさんは外反母趾の手術で、今回は、前回手術した足ではない方を手術するそう。Sさんからがるぅの主治医のY先生が6月で南部病院を退職されて横浜線の大口駅近くに開業されることを教えてもらう。
がるぅの抜釘は、どうなるのだろう。。。。。
(がるぅは整復があまりに見事に実施されたため、他の先生ではどこが骨折箇所かもレントゲンではわからない状態(Y先生談)になっているのでした。
(骨がついたかどうかもレントゲンではわからないというおまけつき。)
かわいそうながうぅ

待合室に私の担当の看護師さんが迎えに来てくれた。
部屋に案内されると、そこはな、なんと1人用の個室だった。
私「あの、私、大部屋希望だったんですけど。」
看護師さん「間違いかもしれないですし、今回ベットが空いていないのでそのためかもしれません。念のため確認してきますね。」
   …
看護師さん「やはり、ベットの空きがないためでした。ですので、差額ベット代は必要ありません。」
というわけで、1人部屋となってしまいました。(またも、八幡宮お参りのご利益?)

がるぅは、冷蔵庫もお手洗いもあって個室は気軽でいいなぁ、がるぅも個室がいいとか言っていましたが、でもやっぱり個室は失敗だぁ、同室の方とお友達になれないのはもちろん、同室の方のお世話にきた看護師さんについでにお願いしたりとか、他の方の担当の先生とお友達になったりができないもの。手術の前の日でウルトラ暇だという事情もあるけど、1日で退屈しまくり。骨折ダイヤリーも筆が進む。

予定外と言えば、手術の次の日から歩けると聞いていたような気がしたのだけど、 手術後の安静度が「免荷松葉杖歩行」となっているとのことで、看護師さんが松葉杖を持ってきてしまった。が〜ん。月曜か、火曜に大阪までの出張をいれてしまったのだけど、大丈夫だろうか?
19:20 麻酔の先生が説明に来てくれた。
今回用意してくれたのは、梅コース(脊椎麻酔)だけだった。
どうしようかと悩んでいた竹コース(硬膜外麻酔)はなしの予定だったとのことで、悩まずにすんだ。
でも一応、前回のこと(受傷足ではなく、左足にばっちし麻酔が効いていたこと)、それでも手術後の痛みはほとんど感じなかったことを伝えると、麻酔の先生は以下のように判断されるとのことでした。
・薬の量をぎりぎりにすると、体の傾きや、管の方向でどちらか一方にのみ強く効いてしまうことがある。
・左足に強く効いていたとしても、手術後の痛みを全く感なかったということは受傷足にも麻酔が効いていたと判断する。
→なので、今回脊椎麻酔だけで手術を受けるとすると、手術後は前回よりも痛みを感じる可能性はある。
(痛みを感じたくない)という強い希望があれば、竹コース(硬膜外麻酔)を追加することも可能。追加しない場合は、座薬や、点滴で痛み止めを使うとのことだったので、オーダーどおり梅コースでお願いすることで決定した。
(食事はNG、飲み物は、明日の朝9:00までok)

19:30 I先生が手術ブレスレット(単に名前を書いたプラスチックテープの腕輪ですけどね)を装着しに登場。
なんか、元気なI先生。(抜釘でも一応手術だからかなぁ?)

でもあいかわらずのI先生で、
僕、手術の説明したっけ? とか私に聞くし。
先生、前回私、家族と一緒に診察受けなかったので、家族に説明したがっていましたよ、と伝えると
I先生「え、今日、ご家族こないの? 遅いのは僕、どんなに遅くてもいいから待っててもらって」
と言い残して、いつものように風のようにさわやかに(別名いい塩梅にともいう?)退場されました。

20:30 I先生再び登場
がるぅとともにカンファレンスルームで、インフォームドコンセント説明を受ける。
・骨折箇所がわからないほど骨はついているので、抜釘には問題なし。
手術時間は20分以内
まれに以下の可能性あり。
・感染症の可能性あり
・他の部位に血栓が生じるなどの合併症の可能性あり。
・再骨折の可能性あり。
・金属が破損し、摘出できない場合あり。
 →入れた金属はチタンなのと、部位が遠いいので、ちゃが毎年受けないとならない子宮のMRIは問題なく受けられるとのこと。

質問タイムに入ってから、おもに荷重について手術前の理解が甘かったことに気づきました。
私「さきほど、看護師さんから手術後松葉杖歩行とのこと伝えられたのですが、どれぐらいの間松葉杖なのですか?」
I先生「骨の問題ではなくて、傷の腫れ具合によるんだけど、1〜2週間かなぁ、まぁ腫れがひどくなければ、1〜2日で1/2程度はOKだけど」
私「あの、24日に大阪出張入れちゃったんですけどだめですか?」
I先生「(当然だめって顔だったんだけど)う〜ん。。。(明確な回答はなし)」
私「無理ってことですね。(困ったぁ)」

私「前回と同じところを切開するのですか?」
I先生「同じところ、前回よりは短かくなると思う。」
がるぅ「抗生物質の点滴は何日ぐらい必要なのですか?(←がるぅはベッドが空いていないので、点滴完了せずに病院を追い出されることを心配して質問をした)」
I先生「2〜3日,何日でオーダ入れたかな?2日の点滴後、内服だったかもしれない。」
I先生「退院はいつぐらいがいい?」
私「ベッドが空いていないみたいなので。。。土曜でもいいですか?」
I先生「いいよ」
(あ、先生またそんなベッドの状況も確認せずにそんな安請け合いすると看護師さんにおこられちゃうよ〜)

というわけで、後は、ボルトを記念に欲しいことと、先生がもってきてくれたレントゲン写真をデジカメで撮影させていただきました。レントゲン写真は、依頼すればコピーを作ってくださるとのお話をお聞きしたので、コピーをお願いしたいことお願いいたしました。

最後に、明日よろしくお願いいたしますとお願いして退席しました。

BEFORE-OPE
↑整復手術前。左の写真に斜めに黒く大きな転移がわかります。


↑抜釘手術前。骨折部位に骨ができて、真っ白です。
(ボルトは2本ですね)


今日のI先生は、前回の切開跡がきれいな傷跡だったと伝えたら、肌かきれいだからでしょとか冗談で答えてくれたりして(I先生の冗談ははじめてだぁ!)、とても余裕のある感じで素敵でした。

(でも、せっかく手術前説明したのに、「説明を受けました。」と私とがるぅが署名、捺印することになっている書類を私に渡しちゃうし、この書類なくて大丈夫なのかなぁ???)


お昼は、がるぅと同室だったSさん夫妻と一緒にデイルームでいただいた。慌てて割り箸の入っている外袋まで確認しないで1本ぬいてデイルームに持っていった割り箸。ふと、割り箸の外袋に目をやると「葬儀のG社」なんて書いてあるし。(叔父のお葬式で精進落としを食べなかったので、おみやげとしてもらったときの割り箸だし)こんな時にぃ、しくしく。
(これも八幡宮のご利益?)
この調子だと、ひょっとして、今日抽選のドリームジャンボに当たっているかも。。。。

【参考】病院のお食事
2003.6.18(水) 事故から167日め
手術から153日め
(22週)

手術当日。
16時からの手術予定だが、看護師さんによると9時から1時の予定で始まった前の手術が、すでに1時間半遅れているとのことで、かなりのんびりしていた。
しかし、15時に担当のM看護師さんが来て、別の手術室でできるようになったので、15:15に迎えにくるとの連絡。あわてて手術着に着替えてGO!
前回と違って、今度の手術室は整形外科の専用の部屋ではないみたいで、工具とかがおいてなくて、なんか綺麗。(TVで見る手術室のイメージだわ)

まずは、麻酔。
前回は、足が負傷していたためか、左向きで背中に麻酔を打ってもらったと記憶しているのだが、
麻酔医さん「右足手術ですよね、じゃ右向いてください。」
(そうか、で、前回左足に多く薬がいってしまったのかなぁ?)
今回は、何度か痛いって感じた。麻酔医さんちょっとてこずったみたい。
「もう一度、麻酔薬打ちます。」とかいってぶすっ。。。
一瞬、顔をしかめていたら、I先生登場。
私「よろしくお願いいたします。」
I先生「麻酔はちょっと痛いけどがまんしてね」
といつものように礼儀正しい私だったけど、やられましたよ、I先生....(後述参照)

さて、再度麻酔の状況です。
追加で麻酔薬を打ったせいか、麻酔がむちゃくちゃ効いている感じ。
息苦しいと伝えると、酸素を鼻にかけてもらった。だが前回はあんなに天国に感じた酸素があまり効果がない。再度、息苦しいことと、気分が悪いことを伝える。何か薬を入れてもらったが、これもあまり効かない。
麻酔が胸のあたりまで効いていて、それで息が苦しいそう、でも脇の下あたりの感覚はあるし、手も効いていないので、これ以上効くことはないので大丈夫とのこと。
前回の手術の時の麻酔の記憶は、左足にぴーんと感じたのが1回あった以外、そんなに苦痛でなかったのだが、今回は、手術を受けること自体に気持ちの余裕があるため、いろいろてこずっているように感じるのかもしれない。
さて、今回は、前回の時みたいに横向きにされずに、ベッドが少し傾くため、あお向けに寝た状態で布をかけられ、手術の様子は全く見えない状態でした。(ちょっと残念)

しばらくすると、小さく「お願いしま〜す」の声。
なんか、がるぅの主治医さんのY先生の声が聞こえるような気がしたのですが、体の左側にY先生に似た方がいるような。
でもI先生の声は全く聞こえないので、まだなのかなぁという気も。すぐそばについている麻酔医さんに、状況を聞いてみる。
私「もう始まったのですか?」
麻酔医さん「はい、もうボルト抜いているみたいですよ」
そうなんだぁ、でもI先生の声聞こえないし、Y先生らしき人じゃない右側にいる先生がやっているよなぁ。。。と思っていたのでした。
と思っていると、「ありがとうございました〜」の声。
あ、もう終わってしまったのね。
今回は、気持ちの余裕はあったのに、いろいろ観察する暇もなく終わってしまってちょっと残念。(もともと10〜20分と言われていたのでした。)

Y先生だと私が思った先生が、ボルトどうします?と声をかけてくれたので、I先生にくださいねってお願いしていたはずなのにと思いつつも、 「いただきま〜す」とお願いいたしました。
と、病棟からのベットを待つ間、麻酔医さんが麻酔の状況を再チェック。その間に先生たちは全員手術室から退出。I先生はいずこ。。。は確認できないままに手術室をでました。

手術部の入口には、今回の担当のM看護師さんがお待ちかね。
(手術前に聞いていた10〜20分を大幅に上回り、手術室入室から退出まで1時間15分でした。)

M看護師さんに手術の間ずーっと気になっていたことを遠回しに聞いてみる。
私「手術室にY先生がいらっしゃったような気がしたのですが。。。」
M看護師さん「あれ、Y先生ではなくて、H先生だと思うのですが。」

つまり、私の手術が当初かなり遅れる原因となった前の手術はI先生の担当で、I先生は私の手術をH先生にお願いしたのだった。(ではないかと推測される)
(多分、Y先生は私が手術室から帰ってきた後に、手術室に向かったSさんの手術を担当するはずなので、次のSさんの手術までの間、私の手術にアシストで入室したのではないかと思う。)

次の日に聞いたのだが、昨日20時まで病院にいたがるぅが病院から帰る時、エレベータホールで手術終了を待つベットが3つも待機していたそう。この日は本当に先生たちにとって大変な日だったようです。ご苦労様でした。

さて、病室に帰ってきました。
17:00 まだ麻酔は、胸のあたりまで効いている。
かなり息苦しい。
M看護師さんに訴えるが、酸素のオーダーが入っていないのでとのこと。指に何かサックをして、機械につなぐM看護師さん。
M看護師さん「酸素濃度100%あるので、酸素が過多になっても問題があるので、このままがまんできますか?」
というやりとりをしていたら、麻酔がお臍のあたりまで下がってきて、随分楽になった。

18:00 昨日麻酔の説明をしてくださった麻酔医さんが状況チェックに来てくださる。足はすでに動くようになっているが、まだ知覚は太ももあたりまでしかない。(つねってもわからない)今回も麻酔は若干だけど左足の方に強く効いている。

20:00 おなかのあたりの麻酔は完全に切れて、生理痛がひどく感じるようになる。(そうです、やはり悪い予感は的中し、今回も手術日と生理2日めが見事ドッキングしてしまったのです。)
膝も動かせるようになる。足はまだ少し麻酔が残っているのか、抜釘したところは全く痛くない。

21:00 足の麻酔もほぼ抜けたと思われるが、手術足の痛みは感じない。
インターネットの骨折仲間の方は、みなさん痛みどめが連続で使えないため、痛みに耐えて手術日を乗り切ったとのことだったので、今回は痛いかなぁと覚悟していたのだが、私の手術部位(外踵)は痛みが少ないのかもしれない。
今回は、おなかもすでに稼動していて、はやくもお水を飲んでもOKが出た。

本日の術後説明はなし。(H先生とはじめてお話できるかなと思ったのだけど。。)


 気持ちの余裕のありなしも影響していると思うのですが、麻酔のストレス、術後の痛みなど比較すると前回の整復手術の方が、今回の抜釘よりもうまくいったというか、楽だった気がします。
(ただ、整復後の足が重く、上から重しをのせられている感覚は今回はなかったです。←この痛みは骨に金属を打ち込まれて痛みだったのですね。)

 この日の当直のK看護師さん(千佳さん)には本当にお世話になりました。どんなに感謝の言葉を捜してもみつからないぐらい。本当にありがとうございました。

本日は、がるぅも1カ月ぶりのY先生の診察日だったのです。Y先生が開業されると聞いて心配になったがるぅ、それなら、プレートの違和感が予想外に大きいし、いっそのことはやく抜釘して欲しいと訴えたところ、抜釘する時が再骨折のリスクが一番大きいのでやっぱりきちんと時間を置いてやったほうがよいとのこと。
やっぱり他の先生では抜釘時期は見極められないのではとのことで、しばらくは大口まで通うことにしたそう。


2003.6.19(木) 事故から168日め
手術から154日め
(22週)

明け方、手術した足が1分に1度ぐらいぴっと痛むことが持続していることを発見。
我慢できないことはないけど、やっぱり前回より少し痛いなーと思っていたら、看護師さんが、包帯の上から出血をチェック。(包帯の上にマジックで出血範囲をマーキング)
10時、回診でI先生とご対面。
出血マーキングがあったので、消毒して、ガーゼを取り替える。
I先生「どう、痛みは?、しびれとかは?」
私「痛みは少しあるけど、がまんできる程度です。」
I先生「傷口もきれいだね〜」

(がるぅ曰く、I先生の「傷口きれいだね〜」は、Y先生の「どう、この整復だったら、他の先生がレントゲンで見たらどこが骨折箇所だかわからないでしょう?」と一緒でどの患者にも、このフレーズを使っているんじゃないかなぁ。とのことです。)

I先生「痛みもなさそうだし、今日だけ免荷で、明日から踵だけつくとかでいいよ。」

I先生、昨日のバトンタッチを告白してくれるのかなぁ〜と思っていたが、退院土曜日でいいよね〜と言い残して次の部屋へ向かわれたのでした。
(後から思うに、手術室に麻酔中にI先生が一瞬いらっしゃったのは、H先生にバトンタッチするからねと言いにいらっしゃったんだと思うんだけど、私が「お願いします」と先に挨拶してしまったので、言い出せなくなっちゃったんじゃないかと。。。I先生らしいわぁ。)

結局、術後1日めも手術日と同様1分に1回程度ぴくっと軽い痛みが継続的にある状態が続いた。ただ、我慢できる範囲ということで、夜の座薬は必要なしとした。

昨日も3時間ほどしか寝ていないのだけど、今日も寝付けない。

NAME-PLATE
↑安静度が「免荷松葉杖歩行」になってしまった。


面会に来たがるぅが、I先生ピンチヒッターにお願いしたこと話してくれた?と聞くので、だってI先生だもんと回答したところ、ちゃんと聞けばいいのにぃって言われてしまいました。
がるぅは手術日の前日のインフォームドコンセントの説明の時はじめてI先生ときちんとお話したのだけど、ちゃんと説明してくれたと思うそう。I先生ときちんとコミュニケートできないのはちゃが患者として素直に聞かないからじゃないかと思うとのこと。
そうかもしれないなぁ。

【参考】病院のお食事
2003.6.20(金) 事故から169日め
手術から155日め
(22週)

 いつまで続くのかI先生も看護師さんもわからず(なんで?) 謎だった抗生物質の点滴ですが、昨日までだったようです。今朝、M看護師さんが「今日から錠剤です。」と持ってきてくださいました。(セフゾンカプセル100mg 1日3回7日分)
 やっぱり当初の入院計画書(5/27 I先生作成)に記載されていたように抜釘は3〜4日の入院がデフォルトなのでしょう。

(こんなにはやく点滴が終わるって早く言ってくれれば、金曜退院もあったのになぁ。←これまでのお付き合いから、I先生の作業パターンとして、なるべくはやい時期に忘れないように全部オーダして、何か変更があってもよっぽど問題ないかぎり変えないというやりかたみたいなので、こうなるような気がしました。)

痛みの方は痛む間隔は広がったが(1分→5分ぐらい)、痛みの強さは手術直後から変わりなく、同じぐらいの痛さ。

多分まだ本当は患部は安静なのだろうけど、リハビリの療法師さんがよく、「後はボルト抜いてどうなるかですねぇ」とおっしゃっていたので、つい甲を伸ばしたり、足を外側開いたりしてみてしまう。心なしかぐぐっと行ったような気も。

今、I先生が回診にいらっしゃいました。
荷重は、痛くない程度であれば、徐々に全荷重までしていいとのこと。
まれに飛んだりはねたりして、再骨折する人がいるので、慎重にという意味も兼ねてとのこと。(よし火曜日は出張いっちゃうぞー!)
土曜日は、病院全体が診療日なので回診があるとのことで、土曜日に消毒をしてもらってから帰って、次の診察日はもう俺決めているんだけど、わすれちゃったなぁ、水曜日だっけ?とまたもI先生なのでした。(忙しいのよね)

 夕方看護師さんが病室に確認に来る。松葉杖を持ってかえるには手続きがいるが、松葉杖は本当にいるかと。
そりゃ、昨日は免荷だし、今日は1/2荷重なのに、その次の日に松葉杖いらないはずはないよねーと思い、「一応お借りしていきます。」とお願いしたが、看護師さんによれば、もうなくても大丈夫では?このあたりでなしで歩いてみては?とのこと。
その言葉を聞いてからつかまるところのある病室周りをなしで歩いてみたが、 やっぱり全然問題なく歩けました。
でも私って、先生のいいつけは結構守るたちなのよね〜。(ほんとぉ?)



朝起きたら、肩が猛烈に痛い。(後ろに手がまわらない)、なんでだ〜と不思議に思ったが夕方ごろよく考えたら、久しぶりの松葉杖のためと判明。あんなに慣れた松葉だったけどたった2カ月のブランクだけで元通り。

廊下で1/18にお世話になったI看護師さんに会った。やっぱりこの人はこの病院で一番親しい人かなぁ?
声をかけてくださったので、「今回はお会いできる機会がないですね〜」と。 暇なとき遊びにきてね〜て言っておけばよかったかなぁ?(暇なんてなさそうだけど)

それにしても暇である。
と思っていたら、I看護師さんが、夕食の準備係りとして病室に来てくれた。すかさず、garuu編のI看護師さんの手の写真を見せる。勝手に掲載しちゃったけど、手の肖像権を主張します?と聞いたら、快く掲載をOKくださった。(でもY先生に許可もらってないけど。)

【参考】病院のお食事

2003.6.21(土) 事故から170日め
手術から156日め
(22週)

退院の日です。
がるぅと同室だったSさんに、先に退院することのご挨拶に行く。ふと、ナースステーションの前をとおりかかると、Y先生がPCの前でなにやら作業中。あ、今日の回診はY先生かもしれない。Y先生だったら、手術室の謎を確かめてみようと決意。(なんでY先生だとなんでも聞けるんだろうなぁ?)

看護師さんへのお礼のお手紙を書いていたら、回診で〜す。との看護師さんの声。
あ、やっぱりY先生だと思った途端、Y先生の方から「え、何でいるの〜と」びっくりされてしまった。(一瞬私の顔を見て、びっくりして、部屋の外に後ずさりして出て行かれてしまったぐらい)
私「私の抜釘手術の時、先生の声聞こえていたんですけど、同じ部屋にいらっしゃいましたよね?看護師さんにそう聞いたらY先生じゃなくて、H先生でしょとおっしゃってたんですけどY先生の声だなぁと思っていたもので。。。」
Y先生「え、IさんH先生の患者さんだっけ?(ネームプレートを見て)あれ、I先生??? H先生の手術????」(かなり混乱している様子)
がるぅ「彼女はI先生の患者なんですけど、なんかとても忙しい日みたいで手術される先生がH先生に交代されたみたいで」
(Y先生やっと整理できたみたいで)
Y先生「あ、そうそう、僕一緒に立ち会ったよ。水曜日だよね。」
私「ずっと手術室でお声が聞こえていたんですけど、Y先生なのかなぁとずっと不思議に思っていたんです。最後にボルトいる?って聞いてくださったのY先生ですよね?」
Y先生「僕、ボルトをボトルとかいい間違えたんだよね?」
(そうだったかなぁ? 麻酔が苦しくて気づかずリアクションできなかったなぁ。)

bolt
↑Y先生のボトル?

てきぱきと消毒いただき、看護師さんが今回はガーゼ+包帯ではなくて、シールをはってくれた。今回は傷口をチェック。縫い目は5針(整復時と同じ)

看護師さんによれば、傷口付近を濡らさないようにできれば、シャワーもOKとのこと。ちょっとほっとした。

痛みの方は、1時間に1回ぐらいに激減。痛みの強さは変更なし。
腫れは強くない。(血管が右足は浮き出ていない、指の皺が右足は少ないといった程度)

(退院して、家に帰ってきたら、予想どおり杖は全く必要なかった。お手数おかけしてごめんなさい看護師さん。)



手術室の謎がとけて、胸のつかえがなくなって本当によかった。
しかし、最後まで手術後の説明がないのはどうして〜(まぁ、たかが抜釘だからでしょう。)
説明を求めたら、どの先生がしてくれたのかなぁ?

でも白衣姿のY先生は、背が高くて、姿勢がよくて、さわやかな印象だけだったんだけど、手術着姿のY先生は、なんか厳しい(というか恐いぐらいの)表情で、外見の感じからY先生かどうかの確定もできないぐらい違う印象でした。

お支払いを済ませて、10時に無事退院。
次の予約は6/26日(木)。(実は6/26は私の生誕記念日。お誕生日のお祝いにI先生手術後説明してくださいとお願いしてみようかな。(いぢわる))

医療費が前回は2割負担、今回は3割負担となったはずだが、請求額は6万弱
入院日数が2日少ないけど、前回より請求額が少ないということは、抜釘術の保険点数は、整復手術より相当少ないことが予想される。

I先生の骨粗鬆症の公演会、もう終わっちゃったなぁ。聴講できなくって残念。

2003.6.22(日) 事故から171日め
手術から157日め
(22週)

傷口の痛みの頻度は激減。(久しぶりに痛んだなぁと感じることがある程度)
リハビリはまだ再開していないが、歩く時感じていた違和感がかなりなくなったような感じがする。(思いこみかもしれないけど。。。。)

右足だけ足を伸ばした時の角度が外向きな件の改善は、残念ながらボルトをはずしても目立った効果なし。(この件は、足を外側に向けるリハビリを継続するしかなさそう。)

夜になって、痛みの頻度が昨日並に増した。


昨日の夜、左腕に湿布を貼って寝たため、あがらなくなっていた左腕がやっとあがるようになった。恐るべし松葉杖。

スキー保険、障害保険に請求する診断書をI先生にお願いするため、下書きを作成。
生命保険は今回は診断書は不要とのこと。

2003.6.23(月) 事故から172日め
手術から158日め
(22週)

24日に予定していた出張、26日に変更との連絡がきて、困った。
26日は次の消毒の日なのだ。今日はもともと会社は休暇にしていたこともあり、とっさに今日予約外で病院に行ってしまうこととした。
I先生、いつもは予約外でいくと迷惑そうな感じだし、26日は診察の担当の日ではないのにわざわざ対応してくれる朝一消毒予約だったはずなので、かなり下手に言い訳。
私「申し訳ありません、26日大阪に呼ばれちゃって...」
I先生「じゃ次30日、朝9:00に入れるからね。」
私「次もう抜糸ですか?」
I先生「そうだねー。」
わーい、I先生怒ってないやー。9:00にしてくれるなんて、親切ね。(秘密があるからかなぁ。←いや、I先生の場合そんなことはすでにout of memoryだろうなぁ。)

というわけで、ダブルブッキングの危機を無事乗り切った私でしたが、帰りに雨降ってきてしまって、傷口に貼ったシールがまくれてしまって傷口がしみてきてしまった。これってかなりまずいかなぁ。(これじゃあなんのために消毒にいったかわからないよねー。)ちょっと対応策を考えよう。

傷口が雨にしみてしまった以外は、足は絶好調で、今までかなり違和感のあった歩き出しの一歩めとか、水平方向の道の傾きとか、全然気にならなくなりました。私の場合、抜釘前にはっきりとボルトの違和感だなぁと感じることはなかったのですが、やっぱりかなり影響があるんですね。よくボルト抜かなくても、抜いてもどっちでもいいと言うお医者様もいらっしゃいますが、私の場合は(今の時点の判断では)抜いたほうが断然よかったです。


ギプスカバーをして、手術後はじめてシャワーを浴びる。問題なく、濡れずに完了。

またもアクセスカウンター3000をcaptureしそこなってしまいました。

count-3001

2003.6.24(火) 事故から173日め
手術から159日め
(22週)

雨にぬれてしまった傷口対策として、会社に出社早々、会社の診療所にかけこむ。無事消毒をしてもらったが、また雨にぬれるといけないからと、スプレーのコーティング剤を傷口に噴射されてしまった。大丈夫かなぁ、I先生に怒られないかなぁ?←なんだかんだいってやっぱりI先生を一番信頼(別名恐がるともいう)しているのかなぁ、私。
会社の診療所の先生は元外科医さんで、傷口を見て、「結構内出血しているねー。どこの病院で切ったんだっけ?」と一言。
イソジンもらって自分で消毒しちゃいけないんですか?って聞いたけどあまりよくないそう。(どうしてだろう?)


抜釘後、今日から会社復帰

2003.6.25(水) 事故から174日め
手術から160日め
(23週)

傷の痛みはほぼなくなる。


上司より異動につき条件(グループ外も対象)変更を検討して欲しいとの申し出あり。
制度をよく知らないため一旦保留して欲しいと回答。
骨折での長期休暇の影響もかなり大きいと思う。かなりくやしい。

2003.6.26(木) 事故から175日め
手術から161日め
(23週)




抜釘手術後の遠距離出張へ。
念のため(&先生の指示を意地になって守るため)松葉杖もお供に。PCはデイパックに入れて背負ったため、切符や、お財布を取り出しやすくするため、写真みたいに松葉杖の手のところに小さなバックをくくりつけた。
crutches

港南台で電車に乗ると、すぐに20代ぐらいの女性が席を譲ってくださる。意地松葉だとはいえなかったが、大丈夫ですと一旦はお断りしたのですが、ありがたく甘える。
(わーい、ずっと自宅療養、車通勤だったので、初めての経験)

23:23新横浜着と予想外に遅くなり、新横浜までがるぅに迎えに来てもらう。

2003.6.27(金) 事故から176日め
手術から162日め
(23週)




昔の同僚の転勤を口実にした宴会に参加。
junkoさんから、「抜糸まではアルコール厳禁」って言われていたのに、飲み放題コースだし。

2003.6.28(土)
〜6.29(日)
事故から177日め
〜178日め
手術から163日め
〜164日め
(23週)

傷の痛みは、あ、痛かったかなという時がたまーにあるぐらいになった。
それよりも、最近思うのは、以前は、ボルトの違和感とは感じていなかったけど、1歩めがなかなかでないこと、階段を下りるとき思うように足が動かなかったことや、横に傾いた道を歩く時に感じたおかしな感じが、ボルトを抜いたら全然感じなくなったこと。
I先生とは「抜釘はするもの」という前提で話をすすめていたが、リハビリをしてもらった開業医さんからも「抜いても抜かなくてもいい」と言われたし、internetで相談されている方も悩まれている方を見かけるが、私ははやめに抜釘してよかったと思いました。
(でもプレートの違和感をものすごく感じているがるぅがはやく抜いて欲しいと懇願したところ、抜釘手術そのものが一番再骨折しやすいんだそうで、まだ。。。とのことでした。)





最後のデートよ(略治って?)
日付経過病状病状以外の情報
2003.6.30(月)
事故から178日め
手術から165日め
(23週)

さて、抜糸の日がきました。
意地になって使っていた松葉杖でしたが、心境の変化があり、診察前に、松葉杖を返してしまいました。

さて、3人めにI先生に呼ばれ、診察室へ
雨で傷口がびしょびしょになってしまい、会社の診療所で、スプレー式のコーティング剤を傷口に噴射されてしまったことをI先生に謝って伝える。
そう伝えれば、その皮膜をとってから抜糸してくれると思いこんでいたのだが、I先生ったら、そのシールの上から糸を引っ張りあげて抜糸しだした!
すごいいたいよー。やめてくれー。(整復のときは痛いかもしれないと覚悟してたため、あまり痛くはないと記憶されたのかもしれないけど) きっとシールのせいだわ、しくしく。
というわけで、まだ傷口はシールで保護されたまま、なぜか抜糸完了。

I先生「これで"りゃくち"ですね」
私「"りゃくち"?」
会話はそれで終わってしまったけど、後で調べると"略治"らしい。

私「あと、お願いしていたレントゲンのコピーをお願いしたいのですが」
I先生「じゃ、実費でコピーになるけどいいかな?」
私「はい」

最後だと思う私は、結構いろいろ聞きまくる。
私「マッサージをお願いしている理学療法師さんが足首ぽきぽき音がかなりするのを気にして先生に相談するよう言われているのですが」
I先生「え、マッサージなんか必要ないよ,大丈夫だよ。」
(なんか回答が違う。。。)

私「あと、もうスポーツとかもばんばんやっていいんですか?」
I先生「スポーツって何するの?」
私「スキーです。」
I先生「またスキーするのぉ????(かなり驚きぎみのトーン)」
私「はい、じゃあ、念のため本格的にスポーツする前にまた確認に来るってぐらいでいいですか?」
I先生「そうだね」
私「本当におせわになりました。ありがとうございました。」

最後の確認については、予約はありませんでした。

これでI先生におめにかかるのも最後だと思うと、最後までなんかかみ合わなかったみたいだけどとても名残おしい。
でも、何も言わなくても9時予約をとってくださったり、 お忙しいので、一介の患者のことなど覚えていてくださらないのだなぁと思い込んでいたけど、実はクールであまりなれなれしくない方なだけで、きちんと気持ちは通じていたのかもしれませんでした。
さんざん、ここで、「I先生ったらって」言っていじめてしまってごめんなさい。I先生、本当にお世話になりました。

というわけで、約6カ月にわたる長かった骨折の治療は、残すは穴のあいた骨がだんだんうまるまで少しだけおてんばを自重するのと、ボルトがなくなってかなり自由度がました足首を左足と同じぐらいまで伸びるようリハビリしてあげるだけとなりました。

この骨折ダイヤリーも、まだちょっと抜糸後が痛いけど、一旦完了にしようかなと思っています。
(リハビリで劇的変化があれば、たまーに追記するぐらいかなぁ)
みなさま長い間お付き合いありがとうございました。



今日はがるぅの主治医さんのY先生の南部病院最後の勤務の日でもありました。
外来での先生方の打ち合わせの後、受け持ち患者に声をかけながら病棟に戻るY先生。おっと、なんか日本語が不自由なお年よりにつかまり、英語でお話しています。わー、すごいなー。
でもちょっときき耳をたてていると、orthopedic surgery、not nessesaryとかなんか単語単発が多く、苦戦していそう。がんばってー。

ところで、がるぅはY先生に生命保険のための診断書をお願いしていたのだけど、2週間後ぐらいに、できたら連絡を入れるという段取りのまま連絡がなかったのでした。で、念のため診察の後受付の方に状況をお話したところ、な、なんと、Y先生ったら、半分だけ記入したままでほったらかし。受け付けの方も唖然。「今日中にフォローします!」とのこと。お忙しいところ申し訳ありません。Y先生最後までお手数をおかけします。(From charlie & garuu)


古傷?
日付経過病状病状以外の情報
2003.6.31(火)
〜7.6(日)
事故から179日め
〜185日め
手術から166日め
〜172日め(24週)

足首がちょっとぽきぽき言う頻度が多いが、絶好調。
今度がるぅがY先生のクリニックに行くときに念のためみてもらおうかな。
7/5に保険請求のための診断書を病院に取りにいき、頼んでおいたレントゲン写真のコピーをいただいた。(1枚500円也)


7/6(日)アクセスが4000を越える。
count-4000

2003.7.7(月)
〜7.13(日)
事故から186日め
〜192日め
手術から173日め
〜179日め(25週)

金曜日SODEC開催のため、東京ビックサイトへ。
さすがに展示会を歩きまわるのはつらかったのか、抜釘後、初めて「もう歩けない」→「その後ずっとびっこ」という状況に。
家に帰ってみたら、やっぱり熱感あり。
まだ骨に穴あいていたわけだし、あまり無理してはいけなかったのかも?
(中野さんのHomepageをみたら、抜釘2カ月後で、先生からあと3カ月は運動はだめって言われていることいまごろを発見。)


水、木と大阪に出張。
水曜に飲みすぎて、木曜午前は仕事の能率あがらず。(出張先なのにぃ。)優秀で切れる方が依頼元なので、outputが悲惨なことが申し訳なく。すみません。

ニッセイから保険金入金。
私の生命保険は、入院免責5日なのだが、整復から6カ月以内のため抜釘は免責なしで継続した入院として扱ってくれるとのこと。入院日数5日分まるまるいただきました。

Y先生から、がるぅ宛てに7/23〜開院のお知らせの葉書が来ていた。
手術設備のある病院との連携体制ができて、手術できる環境が整えられるといいですねー。陰ながらお祈りしております。

2003.7.14(月)
〜7.20(日)
事故から193日め
〜199日め
手術から180日め
〜186日め(26週)

歩く分には違和感はかなりなくなりつつある。斜めの道もほぼ大丈夫。
まだ寝起きの階段折りは1段ずつしかできないなどの状況はあり。


保険請求の書類を作成。
・入院 12日(7日+5日)
・通院期間 180日(14日+166日)
・実通院日数 51日(12日+39日)
・シーネ固定期間 14日
・ギプス固定期間 34日
・半ギプス固定期間 20日
・就業不可期間 43日

こうやってデータにして改めてながめてみると、やっぱり長い、大変なことだったと思う。

今週は、水曜に職場での会議に出なければならず、火曜大阪日帰り、水曜夜出発で木曜大阪→姫路移動の出張。木曜朝、ホテルで喉の痛みを感じる。
骨折後、足に負担がかからないよう出張荷物を減らしたりしていたが、風邪とのダブルパンチはちときつい。はやくなおさねば。

海の日の連休は、弟の家族と熱海に温泉&海水浴に。
そのため、アクセスカウント5000はcaptureしそこないました。(土曜日ぐらいかな?)
2003.7.21(月)
〜7.27(日)
事故から200日め
〜206日め
手術から187日め
〜193日め(27週)

金曜に大雨がふってしまい、普段のぺったんこ靴がびしょぬれ。 土曜日に仕方なく革靴(ヒール少しあり)を履いて出かけたが、抜釘以降足は絶好調と思っていたが、まだやはり少し無理があるよう。


風邪が治らない。
日曜日はバク睡。

2003.7.28(月)
〜8/3(日)
事故から207日め
〜213日め
手術から193日め
〜199日め(28週)

 8/2 がるぅが抜釘してOKかどうか、元の主治医のY先生に判断していただくため、Y先生が開業したクリニックに行くというので、私も本格的にスポーツをしていいかについてと、下記の気になることについて確認のため診察していただいた。
・足首がぽきぽき、がくがくいう
・足の甲を伸ばすとき、角度が曲がっている
・現在でも、朝は、階段が下りれない、また、夕方熱感があることがある。
(I先生からは、もう治療完了宣言いただいて次回予約がなかったのと、Y先生は足が専門ということで、最後のスポーツ開始前のチェックはY先生にお願いしようと決めていたのです。)

Y先生のお人柄なのでしょう、開業されても南部病院の時から対応のままで、私の訴えをきちんと確認してくださいます。
・ぽきぽき、がくがくは少し気になる。
・(足の曲がりという私の訴えを確認して)これは腓骨には関係なく、問題があるとすれば距骨の問題
(模型を示してくださったが、私にはよく理解できなかった)
というわけで、いつもの外顆骨折のレントゲンとは違う角度でレントゲン撮影をして確認することになった。

X-ray0802-charlie
↑左の写真には、抜釘の跡が少し確認できる。右の写真は、頚骨からの撮影なので、腓骨の抜釘跡は確認できない。

・足首がぽきぽき、がくがくいう問題
    骨は綺麗で問題ない。
    そこで、足をさわって、ぽきぽきを確認してくださるY先生。
    多分骨折の付近で、癒着してついているので、動かす時に腱がひっかかっているのかもしれない。音の発生個所は関節の中ではないのであまり問題ではない。
    (ちなみに、私の病名は右足関節外果骨折ではあるが、骨折部位も関節の中ではないそうです。)

・足の甲を伸ばすとき、角度が曲がっている問題
    アンクルモーティス(ankle mortis?)は均等に広がっていて問題のない状況
    →つまり私が理解したところによると、骨やその周辺の組織については問題はなく、リハビリ不足により足首の動きが制限されていて、自然と曲がりやすい内側にまがってしまっている状況
    (ちゃありぃは、子供の時10年ぐらいクラシックバレエをしていたので、他の人より足が外側に向ける訓練ができているのです。)
    というわけで、組織を構成しているコラーゲンは暖かいと動きやすくなるようなので、暖めてストレッチすれば、戻る状況とのことでした。

・スポーツ復帰の問題
    抜釘跡は、角度が違うので見えにくいが、かなり抜釘跡の穴の中の骨もできている。
    (ここにきて、急に骨密度10代並の効果てきめん?)
    走ったり、スポーツを本格的にはじめても問題ない状況

というわけで、スポーツ本格開始を確認するには2週ほどはやいかなと思っていた最終確認診察でしたが、予想外の骨の再生と、気になる症状も問題なしとのお墨付きをいただき、本格的に走ったり、遊んだりを開始できることになりました!
やったー!



【先生にこのWeb Pageがばれた問題について】
Y先生の診察室での会話です。
がるぅも私も、
「がるぅさんですね」
「今度の担当のK先生って、「こ××」先生でなくて「か×××」先生?」
「もう大丈夫だよ、ちゃありぃさん」
などと言われ、このダイヤリーの存在がばればれになっていました。
がーん、少し発言に気をつけねば。???
(どういうきっかけでばれたのか、今度教えてくださいね。>Y先生)

Y先生のクリニックのある大口は、とてもおいしいさつま揚げのお店「能登屋」さんがあるので、診察のあと、多量のさつま揚げを購入してきました。うーんとってもおいしい。
(ここのさつま揚げはほんとうにおすすめです。)

はじめてお会いしたY先生の奥様もとってもさわやかで素敵な方でした。

【第三者行為による障害への健康保険の適用問題について】
高額医療費の補助として、健康保険組合から2万円以上につき補助が出ていたのだが、 第三者障害(つまり誰かに怪我させられた)場合は、その誰かに払ってもらうのが筋とのことで、補助(8万強)を返却するよう健康保険組合から請求されてしまった。
ぶつかった相手は、全然賠償に応じようとしないし、社会的にも保険制度が整っていないのに、なんでいきなりぶつけられた私が全部負担しないとならなくなるのかなぁ。
毎月1万5000円(×2人分)も健康保険掛金を払っているというのに。自分で転んだ場合は補助が受けられて、傷つけられた場合は出ないこともどうも、納得できない。

→というわけで、いろいろと納得いくまで調べることが主義のちゃありぃとしては、ついに健康保険法までいきついてしまいました。
(会社で人事システムを作った時のバイブルは、「健康保険法」であったことを思い出したのです。)

【健康保険法より抜粋】
(損害賠償請求権)
第57条 保険者は、給付事由が第三者の行為によって生じた場合において、保険給付を行ったときは、その給付の価額(当該保険給付が療養の給付であるときは、当該療養の給付に要する費用の額から当該療養の給付に関し被保険者が負担しなければならない一部負担金に相当する額を控除した額。次条第1項において同じ。)の限度において、保険給付を受ける権利を有する者(当該給付事由が被保険者の被扶養者について生じた場合には、当該被扶養者を含む。次項において同じ。)が第三者に対して有する損害賠償の請求権を取得する。

2 前項の場合において、保険給付を受ける権利を有する者が第三者から同一の事由について損害賠償を受けたときは、保険者は、その価額の限度において、保険給付を行う責めを免れる。

というわけで、上記をきちんと読むと
第三者行為による健康保険の利用の場合も、相手側が負担しない分(自分の過失分)は健康保険が適用できると読めます。
また、2項の記載から、損害賠償が受けられなかった場合は、健康保険は保険給付をする必要が残ることが記載されていますので、健康保険が充当できると読めます。

会社の健康保険組合は、私を治療した先生たちに保険が使えないと指導するという勢いの発言をしていたように記憶していますが、
先生方、貴方がたがあっています。多分ですけど(詳細は今度弁護士さんに解釈お願いしてみます。)

2003.8.4(月)
〜8/10(日)
事故から214日め
〜220日め
手術から200日め
〜206日め(29週)

8/10 足首を伸ばした時に、曲がる方向が内側であることのリハビリのために湯布院の会社の保養所のお風呂の湯船で、がにまたで歩たり、1日に4度もお風呂に入って足を外側に向ける努力をする。
こころなしか曲がる方向が矯正されてきているように感じる。

8/5(火)〜8/7(木)大阪出張。
体力的にはちょっとつらかったけど、休み前のラストスパートで無事乗り切る。

旅行中は、宿に入るとバタンキュー状態。

プレートインのまま九州までの運転のがるぅ。ちょっと心配だったけど、こちらもなんとか乗り切れそう。

2003.8.11(月)
〜8/17(日)
事故から221日め
〜227日め
手術から207日め
〜213日め(30週)

8/12 昨日までの温泉リハビリで張り切りすぎたのか、ちょっと足首に痛みが。
そんな時期ではないはずなのだが。
8/13 京都の錦市場を3往復。ひさしぶりに「もう歩けない!」に。
まだこんな状況になるんだなぁ。ちょっとだけショック。
でも随分回復したよね。



2003.8.18(月)
〜8/24(日)
事故から228日め
〜234日め
手術から214日め
〜220日め(31週)



8/22がるぅの抜釘手術。(入院4日)
がるぅも2度めの手術ということと、5月はじめの整復の時と違って本人の足がかなり普通に戻っているので、看病もらくちん。

2003.8.25(月)
〜8/31(日)
事故から235日め
〜241日め
手術から220日め
〜226日め(32週)

毎週2日程度、PCや書類やら大きな荷物をもって大阪の工場へ通う日々。
まだ足元はぺったんこ靴にしているとはいえ、新幹線のチケットをバックに入れるのを忘れて、最寄駅→家→最寄駅をのろのろながらも、走りきって、リミットの電車に乗ることもやってのけるほどかなり普通の足の状況をとりもどしつつある。
「やっと完治も近い。」と実感できる日々になった。
曲がり気味の足を伸ばした時の甲の方向も徐々に矯正効果が確認できてきた。

みなさんの骨折日記ではだいたい手術までで完了だけど、8カ月とほんとながい闘病日々でした。
この日記がこれから運悪く受傷されてしまう方に少しでもお役に立てば幸いです。



【ご注意】
このページ内の医学的な情報は、私の病状に対し、私の主治医殿が診断されたたり、アドバイスされた内容と、
骨折に関して、他のドクターや、患者殿、研究者のホームページから私が調査した情報から、私自身が信頼できると判断した情報とから記載しています。
(その意味で他の方のホームページからの情報はリファレンス先を表示しています。)
あくまでも、私の病状と私の主治医殿のケースということをご承知の上で、参考として使用するにとどめることを推奨します。


2003.2.3から人の方に訪問いただきました。

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