医療は地域文化-医療と仏教-

田畑正久 (佐藤第二病院医師) 

●はじめに(「人の死」をどうとらえるかは、その国の文化の問題)

  ある雑誌に、尊厳死や安楽死に関心をもつ医師が、オランダの医療事情を視察した報告が掲載されていた。オランダでは、寝たきりの患者がびっくりするぐらい少ないという。

紹介されたある施設に行き、寝たきりの患者がほとんどいないので、「寝たきりの患者さんを処遇するところが見たい」と言うと、怪訝な顔をされたというのです。

 できるだけ工夫をして食べてもらおうと努力はするが、それでも食べる意欲を示さないときは、それが本人の意思だということで、延命処置(経管栄養、経胃ろう栄養等)はせず、後は自然な経過で亡くなっていく(結果として、寝たきりの患者が多くない)というのです。これがヨーロッパでの常識です、という趣旨の報告でした。

 つまり、人間の生き方、死に方をどう考え、どう受け入れていくかは、その国の文化の問題だということです。  

 

●生老病死

  人間として生まれて、生きる。そして老いて、必然的に病気になり、最終的に死ぬという過程は、誰もが通る道です。この「生老病死」に色をつけ、意味あるものにするのが文化でしょう。この生老病死こそ、人生そのものです。人生には必ず苦しみが伴うから、「四苦」と表現されます。この四苦との取り組みこそ、文化だと言えます。

 約二十年前、埼玉医科大学の哲学教授であった秋月能現師(臨済宗の僧侶) が著作のなかで、「医療も仏教も、共に『生老病死』の四苦を課題とする。そして仏教には、その取り組みにおいて二千数百年の実績がある。医療関係者は、ぜひとも仏教的な素養をもって医療に携わってほしいと願っている」と述べられていました。私自身、それを読んで医療と仏教の学びの関連性を、あらためて強く感じ、勇気づけられたことでありました。

 同じ課題に取り組むべき医療と仏教の連携はどうでしょうか。日本の医療現場の実態は、両者の協力関係とはほど遠い関係である、というのが現実です。筆者が二十年前、米国に留学中、シカゴの中西部仏教会(浄土真宗本願寺派)の九条英淳師と接する機会があったとき、師が「アメリカではメンバーが入院したとき、僧侶がお見舞いに行くことが必須の役割とされ、それをしないのは、職務怠慢と言われます。だから、そのための情報ネットワークをもつようにしています。そして、お見舞いに行くと、病院のどんな場所(日本では、医療関係者しか入れないような集中治療室等を含めて)でもフリーパスで入れてもらえます」と話されたことが思い出されます。


 
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