午前七時三十分。
鹿嵐 芙爾は福石門高校に向けて自転車を走らせていた。
福石市は都心とは微妙に離れた所にある、ちょっとした田舎である。
と、いっても都心というか県心というか、この県における中心といってもたかが知れてはいるが。
彼の団地は福石に隣接する唐間、契坂との丁度、隣接地点にある。
正確には、彼は契坂市民になる。
普通ならば、福石への道は朝の光とシンと張り詰めた空気により気持ちよく彼を学校へと誘うのである。
が、近頃は公共事業だが再開発だがで福石市は異様な忙しさでせかせかと不恰好に動いていた。
そんな中を、彼は働き蟻のように学校へと向かっている。
私立福石門高校へは、鹿嵐の家からは自転車でも五十分前後を要す。
それでも彼がその高校を…わざわざ、高い授業料を払ってまでその高校に通うのは、中学における彼の内申点が異様なまでに低かったからである。
社会科教師への浣腸事件、文化祭でのライヴ中の観客席ダイブ事件、手品中の塩酸垂らし事件、キャンプファイヤ−中のロケット花火乱射事件…
思い当たる節が数え切れないのが口惜しいところではある。
コンビニと街路樹が織り成す通りが終わった。
高校まであと二十分といったところである。

「(帰ったら何をするかな…)」

登校中にそんな事を考える時点で、芙爾は真面目な生徒とは云えない。
その上、人付き合いも良くない。
外交的な引き篭もりでも云うべきか?
つまり、彼はよく外出はするが、それは殆どサイクリングの類であり、しかもMDを聴く事によって完全に世界を閉ざし自分だけの世界に浸ってしまう。
それは、外に居ながらの引き篭もりといえるモノに近いと思われる。

「(かったるいねぇ…)」

芙爾は学校は寧ろ好きである。
某県立高校の滑り止めに過ぎない私立福石門高校には妙な劣等感を持った奴が多い。
それ故に、学校自体が絶妙なタルさを醸し出しているのだ。
そんなタルさが彼は大好きなのだ…そういうナメクジのような性質が彼にはある。
ちなみに、彼自身は福石門高校は第一志望であった。
だから、一応やる気がある…振りをして、それをネタにしている。
赤点ギリギリで毎回踏み止まるのもある意味ネタ…というよりも、お家芸だ。

「(面倒だなぁ…)」

学校まであと三分といった所で、今更ながら引き返してサボろうかという邪心が湧く。
その油断が不覚を招いた。

「登校中のウォ−クマンは禁止だ。そもそも、校則第26条で禁止なんだがな…」

そう云って、目の前の黒いス−ツ姿の男が手にした鞄にて芙爾の視界を塞いだ。
芙爾は急ブレ−キをかけ、深く後悔した。
何故、後ろ姿で判別が出来なかったか…と。

「か…川上先生。おはようッス」
「『おはようございます』だ。いいから、出せ…」

川上という中年の教師はそう云って、芙爾に対して手を差し伸べた。
懐の物を出せというジェスチャ−である。
芙爾は、学校で…いや、世界で一番この教師が苦手だ。
トラブルに対してのみ働く異様な六感。
生活指導担当でもないのにでしゃばる根性。
世界史と古文、現代文を掛け持つ得体の知れなさ。
黒いス−ツに眼鏡、冷徹な顔付きで歳にそぐわぬ異様な若さ。
痩せ顔なのが余計な迫力を助長してしまう…目を合わせる事さえ怖くなる。
別にペナルティ−などはかけない…が、それは単に己の手を汚さないだけで、川上に捕まった後は、生活指導の飛島という拷問官、あるいは異端審問官が待ち構えている。
『川上…フルネ−ム川上 水泉にだけは捕まるな』…それが、芙爾達校内テロリスト達の合言葉且つ教訓である。
異教徒を狩る審問官の如し存在だからだ。
そんな教師がよりによって担任…しかも、二年間一緒だったりする。

「いや…これは俺の生命線なんッス」
「どういう理屈だ?そんな事はどうでもいい…渡せ」

芙爾は言い逃れ以上の何物でもない事で場を誤魔化そうとしたが、相手が悪かった。
言い逃れのパタ−ンから対処法まで川上は熟知している。

「後で反省レポ−トを五枚提出しろ。いつものつたない駄文を期待してるぞ」

芙爾から渡されたMDウォ−クマンをポケットにしまった川上は、不愉快そうな顔で捨て台詞と共に校門へと歩いていった。
朝っぱらから小石に躓いたような気分なのだろう。
しかし、一日の約四分の一を占めるMDを奪われた芙爾の気持ちは車に当て逃げされたくらいに悲痛だ。
しかも、これで今月四回目。
自己最多の月間六回を悠々更新可能なペ−スなのである。

「(いつか覚えとれ!)」

負け犬・芙爾は口にも出せない負け惜しみを念じて、校内の裏門にある駐輪場へ向かった。
いつかあの天敵を打破する。
芙爾はそれを固く誓ってから学び舎なる場所、組織の中へと入っていった。



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