外の景色ばかり見ていながら、授業は終わった。 今日も芙爾は、教科書に落書しか描かなかった。 芙爾は帰宅部だからこのまま帰って家でゴロゴロする。 両親が共働きで構ってくれた事がないから、暇潰しの方法ばかり身に付いた。 いつの間にか暇と退屈を愛する自分がそこにいた。 「じゃあな、重文」 「ああ、明日な」 バスケ部の重文と挨拶を交わして、芙爾は教室を出た。 帰りの自転車の上で芙爾は考えていた。 青春の浪費をしているな…と。 絵に描いたような青春などあるハズがないのだ…あるのは惰性で続く毎日だけだ。 たまに若さ故の馬鹿をかますが、それも年を取れば悲しい過去にしかならないのだろう。 憂鬱になる。 仕方がないので、時間を潰す為に芙爾は繁華街の古本屋に立ち寄った。 そこに嫌な奴がいた。 「最上…!」 「よう坊や…久しぶりだな」 最上 日静は会った早々、芙爾をキツク睨んだ。 茶髪にピアス…今時、珍しくないが、顔付きは極めて凶悪だ。 芙爾とは同じ小学、中学だった。 現在は福石の隣の唐間市の唐間高校(通称トンマ校)に通っている。 何故トンマ校かというと、それは学歴社会、偏差値幻想から生じた差別用語だ。 要は県立の唐間高校は極めて大学への進学率が低いのである。 だからトンマ校と差別される。 「ちょっと面貸せよ…」 最上に促されるままに、芙爾は外に出た。 そして、福石の空き地に向かう。 「最上…何か用かよ?」 「ああ…テメェをボコボコにしてやりたいとずっと思ってたんだよ」 最上は足下に転がっていた鉄パイプを拾い上げた。 最上が芙爾を毛嫌いするのには訳がある。 過去の忌まわしい記憶が甦る。 芙爾が最上と出会ったのは小学校五年の時、唐間小学校に転校した時の事であった。 唐間小学校の五年三組で最上はガキ大将の如き存在であった。 だから、波風を立てないように芙爾は彼に媚びを売った。 そして、最上の舎弟という事で落ち着いたのである。 芙爾としてはそれで良かった。 だが、そう上手くもいかなかった。 ある日、教室で飼っていたメダカの水槽に洗剤が投げ込まれた。 その事で何故だがヘラヘラした転校生…芙爾が疑われた。 不気味だったのかもしれない。 最上はその件で徹底的に芙爾をいびった。 社会は弱者として迫害出来る存在を一人は作らなければ気がすまないものだ。 つまり、いじめである。 誰にも信用されないが、誰にも嫌われずに生きてきた芙爾にとって、これは耐え難き苦痛だえあった。 中学に入って、最上の行為はエスカレ−トしていった。 教科書はトイレに捨てられた。 芙爾は一時的にだが、登校拒否に陥った。 精神的には薄志弱行なのである。 しかし、ある日、芙爾は最上を殴った。 負け犬の反撃は、姉・葉子への侮辱が原因だった。 家族を馬鹿にされた時、芙爾の怒りは恐怖に勝った。 「分かってんだろうなぁ…」 最上はドスを利かせた声で芙爾ににじり寄る。 いじめられっ子に殴られたいじめっ子の心中とは如何なるモノであろうか? 生憎、いじめる側に回った事のない芙爾にはそれが分かるハズもない。 きっと、それが一番の屈辱なのだろう。 以来、最上のいびりは益々凶悪になった。 「あばらの一、二本は覚悟しやがれ…」 正直、芙爾は最上が怖かった。 だから、芙爾は私立の中堅高校を進路に選んだ。 私立に通えるほどの比較的裕福な家庭の奴には、最上のようなえげつないほどのサディスト根性を持った奴はいないと思ったからである。 また、全く違う環境に自分を置く事に生まれ変わるチャンスを与えたいという大層な理由もある。 そして、芙爾の思惑は見事なまでに的中した。 福石門高校は芙爾にとってタルさを含んだ最適の空間であった。 かくして、芙爾は現在、悠悠自適な生活を送れているのである。 「最上…俺がいつもでも負け犬をやってると思ったか?」 「うるせぇ!!気に入らねぇんだよテメェはッ!!!」 最上はパイプを振り下ろした。 芙爾はそれを軽くかわす。 最上に動揺が走った。 忘れやすい芙爾にとって、二年の歳月は最上の恐怖を取り除くには十分だった。 そして、自分自身が強くなるにもそれは十分な時間だった。 「な…!?」 「俺はいつまでも怯える羊じゃない…」 そう云って、芙爾は最上に拳を叩き込んだ。 最上の身体が宙に浮く。 「ガッ…!な、何だと…」 「暇潰しにな…空手を習ったんだ。ニコチンで身体を腐らせたお前とは違う…」 「嘘だ…テメェのようなクズが…俺様より強いだなんて…!」 最上はふらつきながらも立ち上がった。 そして、再び芙爾に飛び掛る。 その顎に芙爾は拳を再度叩き込んだ。 カウンタ−になった分、最上は前以上に吹き飛ぶ。 「ゲハッ…!」 「痛いか?なあ、痛いか?だがなぁ…五年間、俺が味わってきた心の痛みはもっと痛かったぜ!!」 そう云って芙爾は倒れこんだ最上の脇腹に憎しみを込めた蹴りをくらわした。 最上は言葉を失い、腹部を抑えてうめきだす。 これが、芙爾が長い間願っていたシュチエ−ションだ。 自分の心の闇を垣間見ている気分だが、云っても分からない奴は力で屈服させるのが一番だと芙爾は考えている。 最上が芙爾をそうさせた。 「次会った時…お前が死ぬ事になるかもな」 「うぐ…」 「自分を弱く見せる事を覚えたらどうだ?そんなんじゃ、呆れてものも言えんなぁ…」 そう吐き捨てて、芙爾は空き地をあとにした。 これで、あいつの面も見納めだろうと芙爾は感じていた。 しかし、この時、芙爾は最上の恐ろしさを知らなかった。 最上は三十分ほど唸ってから、痛みが引いたのでよれよれと立ち上がった。 ポイ捨てされた空き缶のように彼は哀れだった。 クズに負けたという事実を認識する事さえままならない。 「(嘘だ…認めねぇ。人間がそう簡単に変われるかよぉ…!)」 芙爾に対する憎悪が最上の胸を焦がした。 自分は全く変わってないのに、見違えるように変わっていた芙爾に対する嫉妬もそれを助長する。 「俺様は…唐間高校の番長だッ!!俺様は誰よりも強ええんだよッ!!!」 誰もいない空き地で、最上はチッポケな自尊心を喚起させるように叫んだ。 当然、返事はない。 虚しさが身体中を這い回る虫のように心を嘆かせる。 この世界は狂っている…そんな卑屈な考えさえ最上の脳裏に浮かんでいる。 否、世界は腐っている…それを正す為の力を彼は渇望している。 その時になって初めて、最上は空き地の中にいる人影に気が付いた。 「何だテメェ…?」 「狂犬君…力が欲しいのかい?」 人影は最上を挑発するように云った。 最上は人影に睨み付けたが、人影の男は嘲笑うように彼を見下ろした。 そして、人影は云った。 「手を伸ばせ…力をやろうじゃないか。復讐は当然の権利だよ?」 男はニヤリと嫌で不気味な笑みを浮かべた。 すすむ もどる |