八時頃にひょっこり帰ってきた葉子は、容赦なく芙爾に晩飯を要求した。
依存症なこの姉に呆れながらも、芙爾は渋々牛丼でも買ってきてやろうかと芙爾は外出した。




夜の街灯だけが道を照らし出している。
団地の夜は不気味だ…色々な人間がいるとその分だけトラブルが絶えない。
幽霊話とかもあって、少し怖くなってくる。
歩いている方向は唐間市街方面である。
唐間駅前のコンビニ、あるいは牛丼屋まで歩けば二十分ほどかかる。
それを何故、自転車を使わずにわざわざ徒歩かというと、その間、ゆっくりとMDを聴いていたかったからである。
宿題をやる時間すら、芙爾はMDに費やしていた。
小学校の時以来、芙爾は宿題というモノとは無縁である。
やった試しがない…家では休むモノだと都合の良い割り切りをしているからだ。
だから、教員もいい顔をしない。
川上だけが唯一、そんな芙爾にペナルティ−を付けて楽しんでいるが。

「(現代文はいいんだがなぁ…)」

学力的には芙爾は中学生以下である。
ただ、現代文と世界史だけは成績が良い。
世界史の樹下と現代文の川上という教員が何だかんだ好きだからである。
二人共、画一的な教員連中の中からはみ出てる個性派の変人だ。
だからだろうか?
どこか親近感が沸いたのである。
そんなしょうもない事を思い起こしながら、芙爾は歩いていた。
その途中、唐間公園を過ぎようとした時であった。

「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」

MD越しでも、その悲鳴は耳の鼓膜を突き抜けた。
男の声だとは思うが、生の悲鳴を聞き慣れてないので女のものかもしれない。
芙爾は公園の方を振り返った。
凄く悪い予感が脳裏を過ぎる。
MDを止め、イヤホンを外して芙爾は暫し立ち止まった。
妙な話しだが、好奇心が恐怖に勝っている自分に気が付く。
行きたくないのに、足が勝手に動いてしまう感じなのだ。

「(ち、ちょっとだけな…ヤバかったら猛ダッシュだ)」

そう思って、芙爾は公園の中へと足を踏み入れた。




唐間公園は児童公園ではなく、人々の憩いの場としての公園である。
意外と広く、駅前への通り道にもなっている。
辺りには、民家が二、三件ある事にはあるが、多少距離が離れていて逃げ込むには得策ではない。
芙爾は少し後悔した。
死を恐れぬ若さに殺されるかもしれないと芙爾は思った。
忍び足で公園を回りながら色々な事が頭に入ってくる。
初めて新大陸を目指したコロンブスはどういう気持ちだったのだろうか?
空を飛んだライト兄弟は…スプ−トニクの乗組員は…ガンダムが立った時のアムロは?
何かどうでもいい『if〜』を考えながら、己で不安を掻き立て墓穴を掘る。
芙爾はいつものように後悔を深めている。

「(今流行りの連続殺人鬼…?)」

今朝、ニュ−スでやっていた内容を思い出す。
最近、この近辺で若い女性ばかりを狙った殺人魔が横行している。
有り得ない話しではないと思うと、身体が震えた。
それなのに…足が止まってくれない。
理性から独立した探究心、好奇心といった本能が行動機関を牛耳ってしまっている。

「(嫌だ…凄く嫌だ。何か臭くなってきたし…)」

ガサッ…

物音がした。
それから、何かの鼻息と聞き慣れない気持ち悪い音。
公園中央の噴水の方に目的はいるらしい。

「(今なら間に合う…止まれよな)」

足は願いとは裏腹に前進を続けた。




中央の噴水にそれはいた。
犬くらいの大きさ…尻尾が見える。
いや、後姿を確認する限り、それは犬に違いなかった。
だが、その足下に二本の足が見える。
犬は…獲物を貪っている最中だった。
安心していいのか悪いのか…どちらにしろ、どうもヤバい雰囲気なのは間違いがない。

「(ほな、さいなら…)」

回れ右をして、芙爾はその場を去ろうとした。
が、触らなくても神は祟ってしまう。
芙爾はうっかり、小枝を踏んづけてしまった…お決まりのパタ−ンである。
犬は耳をピクッと振るわせた。
そして、少しの間の後、振り向く。
芙爾の心臓は一瞬、止まった。

『ニンゲン、モウイッピキ…オレサマ、マルカジリ』

振り向いた犬の顔には、人間のそれが付いていた。
つまり、俗に云う人面犬である。
カメラを持ってくればよかった…と思ったが、自分のこの後の運命が咄嗟に脳裏に浮かぶ。
喰われる確率100%混じりっけなし。
悲鳴を上げてる余裕もない。
両足はやっと理性の指揮下に下った。

『グルル…コノ、サンキサマカラ、逃ゲラレル思ッタカ!?』

サンキというらしい人面犬は芙爾を見逃す訳はなく、猛然と彼を追いかけ始めた。
その走り方の不気味さといったら、吐き気すら覚える。
50mはあっただろう距離がみるみる縮まっていく。
とても逃げられない…芙爾は早くも覚悟を決めた。
潔いのやら、諦めやすいのやら…どちらにしろ、決死という気持ちは悲痛なモノである。

『アキラメタカ?モラッタゾッ!!』
「LR押しながらAYBXAYBX!?」

芙爾は完全に混乱していた。
何故だが、某ス−ファミソフトの裏技コマンドを口走る。
これが断末魔になった日にはどうしようもない。
怯んでくれればまだいいが、サンキは気にせずに飛び掛ってきた。
ライダ−キックでカウンタ−をとりたかったが、失敗して芙爾は押し倒された。

「(ヤベェ…マジで死亡五秒前!?)」
『死ネッ!!』
「死ねるかーッ!?」

倒されながらも芙爾は足をバタつかせた。
偶然それが、サンキの金的に的中する。
サンキが絶叫する。
芙爾は躊躇わず、同スポットに二発目の…今度は本気の蹴りをくらわせた。
通称、男殺し…あるいは、強制去勢。
身体が浮くほどのそれをくらったサンキは、流石に仰け反った。
芙爾はその間に、何か武器になりそうな物を探す。
公園の花壇際に埋められている石が目に付いた。
重さは十分だ。
芙爾はそれを拾った。

『グゥ…キサマッ!!』
「いいから逝けぇーッ!!」

サンキが起き上がるよりも早く、芙爾は手にした石を全力で振り下ろした。
狙う場所は決まっていた…頭部である。
それが一番効果的だと思ったのだ。

グチャ…

またしても初めて耳にする嫌な音が鼓膜を突き刺した。
例えるのが難しい、細胞が潰れる、骨が砕ける音。
サンキは沈黙したが、手足だけは痙攣という余韻を残す。
吐き気を覚えながらも、芙爾はそれを見守った。
まさか動く事はないだろうが、確信はなかった。
三分ほど経ってから、サンキの身体は異臭と共に溶け始めた。
それはスライムに溶かされているようだった。

「ウゲ…」

とうとう芙爾は胃の内容物を吐き出してしまった。
浮世離れし過ぎた映像を見て、頭の方がパンクしたのである。
そして、更に暫くすると、サンキの身体に新たなる異変が起きた。
肉片は血液、その全てが蒸発し消えてしまったのである。
その後の地肌に、芙爾は妙な物を発見した。

「…?」

サンキが残したのは試験管に入った緑色の液体であった。
それが四、五本転がる。
不可解に思った芙爾は、危険も顧みずにそれを拾った。

「何…だ?」

好奇心旺盛な芙爾は、試験管の蓋を開けて中の液体の匂いを嗅いだ。
少し理系の心得がある者ならば、軽く手で仰いで漂ってきた匂いで判断するのだが、無知なる芙爾(というか、そんな事はすっかり忘れていた)は、直接鼻を近付けるという極めて危険な方法でその匂いを嗅いだ。
案の定、ムッとくる刺激臭が芙爾の鼻を直撃した。

「グッ…!?」

芙爾は立ち眩みを覚えた。
その所為で、中身の液体が多少漏れる。

ジュッ…

液体がかかった芙爾の登山靴の先端が溶けた。
芙爾はそれだけで中身の危険性を十二分に理解した。
そして、開けた試験管の蓋をきつく閉めてから、それ以外の試験管を三本ほど失敬する。
一度開けたやつは、また漏れるかもしれないので信用性がない。

「(明日、理科室ででも調べてみるか…)」

試験管をポケットにしまって、芙爾は帰路を急いだ。
とても駅前のコンビニまで行く気にはなれなかったし、その気力も残っていなかった。
その日、芙爾は生まれて初めて、姉の癇癪よりも怖い存在の事を知った。
芙爾にはまだ、それが悪魔だと知る術はなかった。




芙爾が公園から立ち去ってから十分ほど後に最上 日静は公園を訪れた。

「チッ…サンキの野郎、あっさり死にやがって」

最上は足下に転がっている試験管…生体マグネタイトに目をやって呟いた。
召喚した悪魔の反応が消えたので、確認しに来たら案の定、その悪魔は影も残さずに消滅していた。

「クソッ…どこのどいつだ?人間に悪魔が殺せるのかよ?折角、あいつに芙爾の家を襲撃させようと思ってたのによ…」

残されたマグネタイトを回収しながら、最上はブツブツと独り言を始めた。
傍らのサンキが置いていった食べかけの死体の事などは完全に目に入っていない。
ただ、兎に角、悪魔を召喚するのに不可欠なマグネタイトだけは無駄使いが出来ないのだ。

「まあいいや、新しい奴を召喚すりゃいいんだ。それに、芙爾を苦しめる手は他にもあるしな…」

中年のサラリ−マンだったのではないかと推測されるス−ツ姿の死体に唾を吐きかけて、最上は公園を後にして夜の街へと消えた。



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