鳥籠の少年 〜なんちゃってファンタジー C
 



          



 麗らかな日和の降りそそぐ晩秋の片田舎。瑞々しいまでの緑豊かな森の中に、砂嵐を従えて忽然と現れ出(いで)たるは。灰色の石を積み上げて築いたような、背の高い尖塔である。歴史ある遺物やら由緒正しき古風な城郭なんぞに、見張りの塔として設けられるような型のそれだったが、規模としては"ちょっとした岬の灯台くらい"という大きさで、そんなにも仰々しいものではない。とはいえ、

  「入り口が どこにもねぇ。」

 周辺をそれぞれに見回して、元の位置で落ち合った二人が顔を見合わせる。さすがは"魔性の空間"に にょっきりと生えて来たものなだけはあって、一筋縄では行かないらしい。だがだが、そういう…破天荒な点ではこちらさんだって負けてはいないから物凄く、
「そっちから招いておいて、だがやっぱり怖いと見える。」
 けけけっと鼻先で嘲笑ったのが金髪の魔導師さんで、
「大層な魔力を見せたつもりだろうがよ、森に徘徊させてた怪物どもといい、こんな張りぼての塔といい。結局は中途半端なものしか生み出せない、どうしようもない奴なんだぜ。」
 はぁあと肩を竦めて、呆れ返ったような素振りを見せた蛭魔の思惑を、どう把握したものなのか、
「…おい、蛭魔。」
 黙って聞いていた進が、不意に…その凛々しい眉を顰めて見せる。
「なんだよ。」
「それはちと失礼な言いようなのではないのか?」
「はぁあ?」
「俺にはまだ少しばかり分かっていない部分もあるのだが、相手はこの特殊な空間に生じた"生気"の塊だか"精霊"の成れの果てなのだろう? そんな未熟な存在に、いきなり人間と同等の機知やら知識やらを発揮してみろなどと言ってもだ。準備もなかろうこと、無理に決まっているではないか。」


  ――― あの。もしもし?


 ご当人は至って大真面目に、この空間の主とやらに成り代わっての抗議をして下さったつもりらしかったのだが。そんな騎士殿のありがたいお言葉が終わらぬうちにも、
「………お。」
 地面ごと大きくびりびりと震えるような地響きが始まって。
「ほほぉ。やるじゃねぇか、白の騎士さんよ。」
「何がだ。」
 立っているのが辛くなるだろう規模の地震を思わせる縦揺れの中。されど…こちらさんたちは、余裕で真っ直ぐ立ったまま、どこか暢気な言葉を交わしている。
「こんな反応が出たのも、お前が奴を旨い具合に怒らせたからだぜ?」
「…怒らせた?」
 そっか、ほめ殺しって手もあるんだな、これはいい勉強になったよなと、妙なことへと感心している魔導師さんへ、今の一体どこが怒らせたのだと訊き正す剣士さんの声が降りかかったそのタイミングに、二人の姿がふっと宙へと溶け込んだ。





 ほんの瞬き一つ分。そんな一瞬にして、二人は別な空間へとその位置を大きく移動させられていた。
「…ほほぉ。」
 森の中、石作りの尖塔と向かい合っていた筈が、薄暗い石室のような屋内にいるらしいと察して、蛭魔が辺りを簡単に見回した。真四角なだけの何の調度も装飾もない空間。土を堅く叩いて固めた壁と床と、少し高い天井と。壁のところどころには、窪みに火皿が据えられていて、小さな灯芯たちが淡いオレンジの光をぽつぽつと灯しているばかり。見た目には教会の聖堂のような雰囲気もするけれど、そういう場所には必ず立ち込めている…敬虔な信仰の積み重ねられたる重厚なまでの気配は全くしない。ただのあっけらかんとした空虚な空間。

  ――― …っ。

 がらんとしたそんな空間へ、音もなく現れた存在があった。随分と上背があり、撫でつけられた髪は黒。真っ白い仮面はまるで骨のような冷たい色合いを薄闇に浮かべているばかりで。そんなものの下にあるせいか、口許の作りや顎の線もどこか堅いものに見える。蛭魔と同じような詰襟の長い道着を来てはいるが、彼の衣装はアイボリー…白っぽい色を基調としており、やはり明るい色合いのマントの端を胸元から背の向こうへと撥ね上げると、片方の腕を優雅に胸の前へと伏せ、身を斜めに倒して挨拶のポーズを見せる。

  《 ようこそ、招かれざるお客人たち。一体どんな御用でしょうか?》

 声から察するに、まだ若い男だろうか。だが、妙な反響をしているせいで、どうとでも聞こえはする声でもあって。取り澄ましたような言いようへ、
「知れたこと。この空間を封じに来た。」
 蛭魔の毅然とした応じに、
《 ではなぜ、あなたがたまで中に入って来られたのです?》
 これはまた不思議と、今度はおどけるように…やや大仰な声で返された質問へ、
「ここに捕らわれている者がいるから、それを救いにだよ。大方、こうなった時の"楯"や"人質"にと構えるために、抵抗できないような弱き者を捕まえておいたのだろう?」
 下劣な奴よと鼻先で嘲笑って見せれば、

  《 だとしたらどうなのです。》

 仮面の男はその手を顔の脇にまで挙げ、ぱちんと指を鳴らして見せる。すると、傍らの壁がふっと消えて、壁の向こうの部屋だったのだろう空間が目の前に現れた。そこもまた燭台に照らし出された薄暗い空間で、向こうの壁際に寄せて大きな寝台や家具が並んでいる。窓はあるがただ真っ白なだけで風景は見えず、家具も並んではいるが精彩のない、まるで舞台劇の書き割りのような味気ない室内。そんな中、黒髪の少年の姿が佇んでいるのが見えた。彼の側からはこちらが見えないのか、


  ――― 銀の籠にはカナリアを、金の籠には月の子供を。
       星降る夜に泉にかざせば、森でフクロウが ほうと鳴く。


 か細い声が歌を紡いでいるのが聞こえる。寂しげな声、寂しげな唄。どこか知らない土地の唄だろう、蛭魔にも進にも覚えのない唄だったが、

  「この声は…っ。」

 進がハッとしてそちらへと向き直る。夢の中で聞こえていたあの声ではなかろうか。寂しげな声。誰かに助けを求め、切なげに訴え続け、最後には涙に溺れそうになって消えてしまう、悲しげな少年の声。その夢が気になったことから、この亜空間に引かれて来た自分なのであり。ということは、この少年こそが自分をこうまで衝き動かした声の主だというのだろうか? やっと逢うことが叶ったその人物は、大きな琥珀色の瞳が何とも印象的な、可憐なばかりの少年で、

  「………っ!!」

 …と、見る間に。一気に空間が収縮を始めたではないか。
「な…っ!」
 隣りの部屋として現れたその空間は、どんどんとその広さを縮めて縮めて。見る見るうちに…手鞠くらいだろうか、小さな水晶珠になって。がらんと空虚なばかりとなってしまった空間の中、床へと転がって…ちかりと弱々しく光って見せた。

  《 先程ご覧に入れた方がまやかしですよ。これが本物。》

 白い仮面の男が、そんな声を二人へと投げかける。
《 あの子はこの中に、特別の咒でもって封じております。連れ出したいのなら、それごとどうぞ。》
 ひっひっひっと、引きつるような笑い方。チッと舌打ちをした蛭魔は、

 《 バルスっ!》

 真上から超重力を叩きつける技で、仮面の男を攻撃する。だが、

  《 おおう。乱暴なお方だ。》

 すんでのところで避けたらしくて。マントの裾さえ汚さずに、少しほど離れたところへ姿を移しており。そのお返しにか、何かしらの咒を唱え始めた。すると、
「…っ!」
 ばつんっと。男のいる方向から疾風が飛び出して、通り過ぎた後の空気が裂けた。その通り道にいた蛭魔が…深紅のマントが大きく翻ったその陰に、肩を押さえてうずくまる。どんな相手にもどんな攻撃にも、怯まず敢然と立ち向かっていた彼だったものが、堪らずに膝をついたほどというのだから、どれほど容赦のない攻勢だったかということであり、
「おい…っ!」
「俺には構うなっ!」
 さすがに気になって声をかけて来た進へ、だが…すかさずという勢いで声を返した蛭魔でもあって。
「お前はただ、その子を…救い出すことにだけ集中してろっ!」
 そうしないと間に合わなくなると、彼は言う。
「俺は今から全力でこの糞生意気な主とやらを倒す。だが、そうすると、術の力も幾つかは消える。封印の術が消えて水晶珠から出て来られればいいが、そのまま別の空間へと吸い込まれて行ったら、その子は亜空間の迷子になってしまうんだよ。」
「…っ!」
 こういう特異な戦いでは、時に"理屈は二の次"となることがある。前線担当が素人である場合、大局を見極めて指示を出す者の、豊かな経験に基づいた判断を信じて、駒はただ何も考えずに動けばいいという局面だってあることを知っている。だから…魔法や封印のシステムは相変わらずによく分からないものの、とんでもない"時間との戦い"なのだということだけは進にも重々伝わった。
「分かったなっ! 俺もそっちは気にかけない。そっちはお前に任せたからなっ!」
 むくりと。膝を立て、身を起こしながら言い放った蛭魔に、こちらもくっきりと頷いて見せて、

  "………さて。"

 土の床に無造作に転がった水晶の宝珠。砕くのは容易いが、それでは中の少年まで傷つける恐れがある。
"…どうすれば。"
 こういった"封印"などの咒の仕組みや何やにはとことん疎い自分だが、

  《 ………。》

 おやと、その深色の眸が細められる。随分と小さくなってしまった水晶珠のその中から、小さな人影がこちらを見つめている。向こうからもこちらが見えているらしく、水晶の壁越しにこちらを見つめる少年の、真摯な瞳の力に勇気を得て、
"一か八か…。"
 想いを載せて、切り裂けばどうだろうか。水晶をではなく、呪いを封咒を、鋭い切っ先にて断ち切れば。

  『本格的なアシュターの護衛咒だ。』

 この大太刀に刻まれた咒は、蛭魔の見通したその通り、正式な儀式により白の教会にて刻まれたもの。邪悪な魔物を切り裂くことが出来るよう、悪辣な呪いを断ち切ることが出来るようにと、教主様より敬虔な祈りと共に刻んでいただいたものであり、これまでにも度々、窮地を救われて来た…と思う。
おいおい 何せ自負の強い人だから、戦いにおいては神様に頼ったことなど一度もないのだが、

  "…よしっ!"

 意を決すると、剣の柄をその大きな手で強く握り締める。そして、

  「少年。俺は王城キングダムに仕えし騎士、進清十郎と申す者。
   今からこの一太刀に全てを懸けて、悪しき呪いの封印を断ち切るぞ。
   どうかお前もそこから、この太刀を信じていておくれ。」

 半ば祈るかのような切実な声にてそうと告げ、水晶に向かって正眼の構えを取ったのであった。









 こちらの空間にては、

  《 ドラグーンっ!》

 その金の髪に乱反射するほどの凄まじい閃光を帯びた炎が、胸の前に構えた両の手のひらから噴き出して、対手の姿を強く強く舐め上げる。竜の爪や牙が何もかもを抉るように、吐き出す豪火が何もかもを焼き尽くすように、攻撃魔法の中でも史上最強。但し、術師の生気や体力の殆どを代償として消費する大技を繰り出した蛭魔であったらしくって。だが、口惜しいかな、相手の装備のマントがそんな技の効力をきっちりと防いでいる。そして、

  《 手ごわい人ですね。だが、これならどうですかっ!》

 言葉と印とで正確に刻まれた魔咒に乗って、ひゅおぅっ、と一気に。風を切って飛んで来たもの。鋭い氷の切っ先が何もない中空から生まれ出て、幾重にも重なり合いながらこちらへと突進して来たのだ。
「ちっ!」
 床を蹴り、体を斜めにしたままで壁に膝をつき。あちこちにクッションを取るように駆け回っては、素早く避けて逃げて、躱して見せたものの。まるで意志のあるツララのように、次々にその氷の切っ先は鎌首をもたげるとぐんぐんと伸びて来て、

 「…がっ!」

 とうとう捕まった蛭魔の痩躯が不自然な方向へと弾かれて床に倒れ込む。ガラスのように頑丈な氷の杭が、背中から左側の肩と胸板の狭間あたりへ貫通して…深々と突き刺さっており、
「くそっ!」
 両手を突いた床にその先端を当て、体ごと思い切り伏せる格好にて力を込めて押し抜いたものの、深紅のマントの下、黒衣の肩口が鈍く光って濡れている。どうやらただの魔法以上に効力のある、実体化系統の代物であったらしく。本物の氷の杖で貫かれて…かなりの深手を負ってしまった蛭魔であるらしい。身動き出来なくなった体の下で、流れ出る鮮血を吸って、土の床が黒く染め上げられてゆく。

  《 さあ、これで動けないでしょう?
    よく抵抗なさいましたが、これでもう終しまいですよ。》

 優しい言いようなのに、窘めの籠もった冷たい口調。何だか良いように嘲られているようにも聞こえて、

  「…そういう、お為めごかしってのが、俺には、一番、腹が立つ、んだよな。」

 激痛に眉を寄せ、苦しげに肩で息をしながらも、それでも…手のひらを床について身を起こす。

  『…妖一? そんなトコで寝てると風邪ひくよ?』
  『ねえ、妖一。今度の町では見つかるかなぁ? 迷いの森。』

 苦衷に陥るたびに思い出すのは、あの人の優しい声。自分の姓ではなく名前の方を、ただ一人、甘い口調で呼んでくれてた人。長い長い間ずっと聞けなくて。どうしても もう一度聞きたくて。ただそれだけのために、どんな難関も障害もたった一人で乗り越えて来たのだ。
「言っとくがな。俺は、ただ師匠に言われたからって、お前を封じに、来たんじゃねぇんだ。」
 ただ口を利くだけでも、気が遠くなるほどの途轍もない激痛が肩に胸にと伴うに違いない筈だのに。

  『妖一ったら、もうっ。ちゃんと探して早く国へ帰ろうよ。』
  『だってよ、結局は師匠のミスの尻拭いじゃねぇか。』
  『それは…そうかも知んないけどさ。
   あ…そっかvv 妖一は もっとずっとボクと二人きりで居たいんだね?』
  『…っ、ば…、何言ってやがんだよっ!////////
  『あはは、真っ赤になった。分かりやすいのな♪』

 膝を立て、何とか立ち上がると、蛭魔は男に向かって毅然とした眼差しを向けたまま、唇を歪めて笑って見せる。そして、

  「俺の大切なもんを、返してもらいたくて、探してたんだ。
   だから、そう簡単には、引けねぇんだよっ!!」

 啖呵を切るかの如く、腹の底から絞り出したような声にて、そうと言い切った。ただの使命や義務じゃないと。奪われた大切なもの、返してもらうまでは諦めないと、だ。

  《 ? 何の話です?》

 薄ら笑いを滲ませた声。ゆんと空気を歪ませて、差し上げられた腕の先には、負の力が周囲の闇を歪ませながら集まりつつある。本来、この陽の世界には有るべきではない陰界のエナジーの塊。そんなものをぶつけられたら、大きな次元反発が起こって…恐らくはひとたまりもないだろう。
「…くっ。」
 自分に避けることは出来るだろうか。威勢のいい啖呵こそ切ったものの、現状は…立っているのがやっとの状態だ。せめてあの捕らわれの少年くらいは助け出してやりたかったと歯咬みした………その瞬間に、

  「………っ!」

 不意に。堂内が目映い光に満たされて、対峙し合っていた彼らの横合いから何か…力を帯びた突風が吹きつけた。堂内に仄かに灯されていた禍々しい光なぞは比でもない、真珠色の目映いばかりの輝きであり、この風はそんな光が帯びていた生気の力がはちきれて起こったもの。そうして、

  「進さんっ!」

 幼い声が愛しい人の名前を叫んだ。きらきらと舞い散る水晶の欠片の中から、飛び出して来た小柄な人影。今にも泣き出しそうなお顔も愛らしい、水晶珠に封じられていた少年だ。ようやく出られた歓喜に興奮してだろう。救ってくれた恩人の頼もしい懐ろへと真っ直ぐに飛び込んで行った彼であり、

  「…おっと。」

 よほどの集中をしたせいで消耗したのか、それとも…柄になくも照れてのことか。小さな温もりを受け止めた剣士殿の足元が、ほんのわずかほど揺らいだような。
(笑) この上首尾に、

  「よーし、よくやったっ。」

 魔導師さんも満面の笑み。
「その子は、こいつが外への仲介にして生気を取り込んでいた"宿り"の対象、寄り代
よりしろでもあるからな。」
 寄り代がなければ…そもそも有るべくして生じた存在ではない"魔空"への、外界からの力の補給は出来なくなる。それへと必要だったからこそ、こんなに小さな存在だのに厳重に虜にしていたのでもあろう。にんまり笑ったそのまんま、仮面の男へ向き直った蛭魔が尋ねる。
「お前さんの尽きない生気の頼みの綱は、もう解放されちまったぜ。どうするんだ?」

  《 ちぃっ!》

 これまでの蛭魔からの攻撃に耐えて来られた体力や回復力の源もまた、あの少年を介して外界から集めていた生気あってのことなのだろう。それを断たれたからには、その存在さえも危うくなるというもので。そんな運びを招いてくれた存在、せめてこの忌ま忌ましい男だけでも道連れにしてやろうと思ったか、指先に溜めに溜めたエナジーをあらためて蛭魔に向けて振り下ろそうとしたのだが、

  ――― ………っ!

 そこへと飛び込んだのは、まるで弾丸のような一陣の疾風。

  "………えっ?"

 どこに隠れていたのか、そしてどうやって潜り込んだのか。あのインコが一直線に舞い降りて来て、男の顔に飛び掛かったのだ。エナジー弾は大きく逸れて、見当違いな壁を深々と抉った。それを見送るようにして、蛭魔も何とか胸を撫で下ろす。いくら気魄は衰えていないとは言え、
"あれを食らうのは さすがに…。"
 危なかったかもしれないと、少しほどゾッとして。気を取り直して見やった先では、だが、

  《 くっ! こいつっ。》

 払いのけるようにと無造作に、顔の前から引きはがされた小さな体が、そのまま床へと叩きつけられる。上背があったその高さから一気に叩き落とされた白いインコは、舞い上がった白い羽の中、短い悲鳴のような声を上げてそのまま…石の床の上に動かなくなったから。

  「……てめぇ〜〜〜っっ!」

 そんな無体を目の前で目撃した金髪の魔導師の怒りが、大きに膨れ上がったのは言うまでもない。きりきりとその眸を吊り上げて、憎っくき仮面の男を睨み据えた…のだが。

  "え…?"

 仮面の男の、その目許を覆ったビスチェに、ぴしり…とひびが走っている。さっきのインコがぶつかったからか? だが、そんなくらいで壊れるような代物だろうか? それまでにもさんざんと、自慢の攻撃波動をぶつけ倒していたのに?

  "………まさか。"

 少しばかり外れた辺りの冷たい床の上。ひくりとも動かない、小さな小鳥。そういえば…その小鳥を払いのけて以降、こいつ、身動き一つ出来なくなってないか? それに…今さっき見せた氷の刃による攻撃の咒術"コキュートス・スピア"は、自分の師匠が生み出した技の筈。恥ずかしい名前をつけられると他所で使いにくいんですけどと、誰でもない蛭魔自身がさんざん不平を鳴らしたから間違いはない。
おいおい 門下の者以外には理論が分からなかろうから、他所者にはそうそう使えはしない代物なのだ。

  「………っ!」

 ほんの刹那の間に そうこう雑多なことを感じたものの、次の瞬間にはその男がぶんっと腕を振り下ろして来たために我に返る。先程溜めていた力には及ばないまでも、幾らかの負力はまだ操れるのらしく、盲滅法、どこという照準もなくという放ち方であり、

  「チッ! 我を忘れちまってやがる。」

 これは…迷っている場合ではないかと、意を決した蛭魔が、ずきんと音がしそうなくらいに痛む体をそれでも叱咤して…ダッシュ一番、勢いよく飛び出すと、男の間近にまで駆け寄って、深手の傷口を庇うように抑えていた方の腕を思い切り振り上げる。振り上げた先には………、

  《 な…っ!》

 少しばかり高みにあった、忌ま忌ましい男の顔。意表を突いた急な接近と、避ける間も与えずにという素早さが功を奏して、振り上げられた手にあった銀の短剣が見事に当たり、白いビスチェが軽々と弾き飛ばされて宙に舞う。ナイフの刃こそ避けたらしいが、それでもあまりの不意打ちと勢いに、顔ごと斜め上へと持って行かれた男のその顔に、

  「…っ。」

 どういうつもりか…蛭魔は両手で掴み掛かると、やや強引な力任せに正面を向かせた。石膏の欠片がかすかに残ったその顔へ、伸び上がって自分の顔を近づける。そして。仮面の下から現れた、くっきりと彫の深い男の顔、驚きに薄く開きかかっていた唇の真上へ目がけて………



   ――― なんと、接吻したのである。


  「………っ。」
  「え………?」


 一連の対峙と格闘を見やっていた進と少年が…息を飲む。薄闇の中とはいえ、はっきりと目撃したとんでもない構図へ、これは一体どういう"おまじない"なんだろうか、彼らの一族はこんなやり方で封印を施すのだろうか…などなどと、ただただ驚きばかりが意識を埋めていて、思考が停止し…何とも言葉が出ない。








  ――― それは長い長い瞬間か、それとも刹那の数十分だったのか。



   「……………あ、れ?」


 一言で言えば"場違い"な。どこか間延びしたようなトーンの声がして。魔導師さんが…もう唇は離していたが、そのまま胸元へと両手でしがみついていた背の高い男が、柔らかそうな髪を揺するようにして辺りを見回して見せる。その視線が撫でたところから次々に、分厚そうだった岩の壁が、まるで淡雪のように溶けては消えてゆき、すぐ外で取り囲んでいたのだろう、緑も涼しく爽やかな、明るいばかりの森の中へと背景を塗り替えてゆく。薄暗いところでは確かに漆黒の髪だった筈が、今こうして明るい中で見る彼の髪は…やわらかに甘い栗色をしていて。どこか戸惑っているその態度にも、先程までの鷹揚そうだった高飛車な雰囲気はかけらもない。そして…。

  「………え? 妖一?」

 自分の懐ろにいる誰かの存在に、今頃気づいて見下ろして。それからそれから、いかにも青年らしい、健やかで優しいその顔立ちが、見る見るうちにも歓喜の表情になってゆく。


  「妖一だっ。逢いたかったんだよっ! 無事だったんだねっ!」


 それはそれは嬉しそうに、腕の中の痩躯をあらためて抱きすくめる彼であり、そんな彼へと、

  「………まあな。」

 どこか気が抜けたような、それでいて………仄かに安堵の色が滲んだような声で応対する蛭魔だったりするものだから。



  …………… この会話ってば、もしかして…。


    「あーーーっ、何、その怪我っ! 突き通ってるじゃないかっ!」
    「痛ってぇなっ、揺すぶんじゃねぇっ。お前がやったんだろうがよっ!」
    「え??? なんで、なんで?」
    「…良いから咒で治療しろ。お前、そういうの得意だったろうが。」
    「あ、うん。」


 かざされた手のひらから伝わる治癒の波動の暖かさに、ほうとやっとの吐息をついた蛭魔は、相手の広々とした懐ろへと凭れたまま、少しばかり離れた辺りの…今は柔らかな緑の下生えだけが覆っている地面をちらりと眺めやる。確かにそこにいた筈の、小さな小鳥の姿も勿論消えてなくなっていて。再び戻した視線の先では、懐かしい友の栗色の髪、前髪を一房だけ立てている頭が視野に収まる。
"…そっか。そういうことだったのか。"
 自分たちを導いてくれた、あの窮地に飛び出して、身を呈してまで助けてくれた小さなインコは、どうやらこの青年の魂であったらしいなと、擽ったそうに苦笑した金髪の魔導師さんである。

    「はい、ここはこれで大丈夫。他には? あるんでしょ? 見せて。」
    「いいよ。大したことはない。」
    「ダメっ! 全部見せなさいっ!」
    「わっ、こらっ、どこ覗いてやがんだよっ!! そんな台詞、台本にないぞっ!」
    「だって、ボク、出番少ないんだもん。
     それに、妖一もっと怪我してた筈だよ。いいから見せなさいっ!」
    「だ〜〜〜っ! やめんか〜〜っ!」


 あ、拳骨で叩いた。こらこらお二人さん。喧嘩はおよしなさいてっば。
(苦笑)







 


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