遥かなる君の声
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     〜なんちゃってファンタジー“鳥籠の少年”続編
 

 

          




 大陸の北の果てに位置するせいか、この国の冬は早く来て遅く去り、最も北にある首都城下の冬はうんざりするほど長くて厳しい。日中でも降り止まぬほどに雪深いし、風は身を切るほどにも冷たく凍り、貧しい者や罪人でも、誰彼かまわず暖かくあるようにという最低限の施しを、国が手厚く補助しているほど。冬場は町のあちこちに暖を取れる避難所を兼ねた小屋が建ち、暖かな食事や衣類、寝床を提供し、雪をどける作業を手間賃つきで紹介してもいる。体力のない女子供は、そんな施設での炊事や掃除などをして働くことでやはり手間賃をもらえ、一冬を真面目に過ごせばある程度の蓄えが出来るほど。誠実な者、働き者には寛大な、今時の大国には珍しいくらいに“情”というものを信じて大切にする国。それが“王城キングダム”でもあって。

  「………。」

 そういった厳寒との戦いを乗り越える長い冬もそろそろ終わる。暖かくなってもすぐに寒が戻って来て、なかなか油断がならない時期が半月ほども続いたろうか。だが、今はもうすっかりと陽射しもその厚さを増しており、何より、一番の極寒地である城下からも雪の陰が消え失せて。吹く風も甘く、そろそろ最初の桜がほころぶ、そんな春の兆しが少しずつ、自分の身の回りというすぐ傍らにも訪れている。

  “そんなことにまで気づけるようになろうとはな。”

 暑い寒いは、それが苛酷ならどうすれば動作に影響を無くせるかという付帯条件でしかなかったから。風が孕んだかすかな温度差や草花の萌え出す気配などという微細な変化、これまでの自分には縁のなかったことであり、今の自分にも…もしかすると必要ではないことなのかもしれないのだが。
“………。”
 そんな言い方をすれば悲しむだろう人がいる。

  『進さん?』

 寡黙と言えば聞こえは良いが、口が重いのを直そうともせぬまま。ついつい説明せずに行動してしまうところの多い、頑丈さだけが取り柄のような武骨な野暮天でしかない自分を、なのに懸命になって…精一杯両腕を広げて、傷つかないようにと守ろうとして下さる人がいる。言葉を知らない自分と違い、それは沢山の繊細な想いを知っておいでで、けれど。それならそれで、過ぎる憂慮は気持ちの押しつけになりはしまいかと、言いたいことの半分も言わずに飲み込んでは、苦しげに切なげに瞳を潤ませる心やさしい人。それはそれは懐ろ深くて、限りなく繊細で。見かけは可憐で小さな人であり。なのに、この自分の中での存在は、国一つと並べても悠々上回るほどの大きさに育って大切な…何よりも愛惜しくて堪らぬ人。
「………っ。」
「どうしました、集中が逸れてますよっ!」
 目覚めてすぐの体を“気功”という呼吸法を取り混ぜた簡単な連続運動で解きほぐし、体と意志を連結する反射の鋭さが戻って来たところで、毎日の習慣である近衛連隊長との手合わせにと出向く。どんなに平和で安寧な世の中になっても、誰かの悪意からのみならず、突発的な事故や奇禍からもお守り差し上げねばならぬ人がいる。髪の一条さえ傷つけてはならない人がいるから、自己への鍛練は怠ってはならないし、自己を高めるための厳しい精進を苦と思うことはない感覚は相変わらずだから。毎日の鍛練にも苦痛や億劫を感じたことは、これまで一度もなかった進だったのだが、

  「…っ、今日は此処までにしましょう。」

 真剣を交える立ち合いの、5本勝負のうち、今朝は3本を取っての終了。自分と同世代の高見もまた、こんな平和な世にあっても自分を高めることへの努力へはやぶさかではないタイプの人間であり、油断をすればあっさりと、畳み込まれて追い詰められてしまうほどの鋭い太刀筋の持ち主で。最後の手合わせでは危うく剣を払い飛ばされそうになりかけたところ、咄嗟に相手の剣の切っ先を迎え入れ、釣り込んで横へと薙いで防戦成功。そのまま踏み込んでの一閃が、逆に相手の懐ろに決まって何とか3勝目…となったのだが。
「どうかしましたか?」
 その雄々しい肩の動きが判るほど、目に見えて息が上がっているのも珍しいことと、汗を拭っていると案じるような声をかけてくれた僚友へ、
「…いや。何でもない。」
 言葉少なに応じて、手早く後片付けをし、その場から上がってしまう。さすがは剣豪で、誤魔化しは利かないらしく、彼が案じたその理由にも、実を言えば心当たりがある。どうにも集中しにくくて、そのせいで動作への連動が上手くいかないのだろう。結果、身体の切れが少々悪い。だがだが、思い当たることはないものだから、何処かで自ら招いた不摂生のせいだろうと、他言するのも恥だとばかりに口を噤んだ彼であり。会釈もそこそこに頼もしい背中が剣技室から出てゆくのを見送りつつ、
“…何かあったのでしょうかね?”
 隠しごとが下手だから見え見えだが、人に頼ったりするのを嫌い、ある意味、水臭いところがあるもんだから、自分からは口を割らない。それもまた、進清十郎という男の紛うことない“らしさ”を滲ませた個性ではあり。相変わらずな性分へと苦笑をし、
“セナ様には伝えるほどでもないのでしょうが。”
 それでも、そのセナ様の御身をお守りするのが役目の彼だから、やはり“お傍づき”である蛭魔か桜庭にそれとなく伝えておこうかと、間口の広い対処を自然のものとして思った、高見連隊長様だった。





            ◇



 戻った自室のドア近くの小卓の上に、此処を出た時にはなかった包みが置かれてあるのに気がついた。

  「………?」

 王家の者ではないながら、それでもそれなりの階級や身分のある者にのみ与えられた、プライバシーを主張していい個々人の部屋ではあるが、扉の向こうの最初の間にだけは鍵もかける者は少なく、掃除や何やで係の者が出入りが出来る。そんな空間に置かれた卓には、外部から、若しくは広大な場内の知己からの伝言連絡や荷物といった“郵便物”が届けられもするのだが。
“こんな時間帯に?”
 自分はこの城では、いやさ“この国”と大きく範囲を広げても、あまり他とのつながりを持たぬ身だ。幼い頃に国を追われて集団で流れて来た他国人の中の一人であり、先の国王の武術の師範であった師に早い時期に見初められ、一通りの武芸を叩き込まれて城へと上がった珍しい兵卒。寡欲で誠実、腕のほども鋭く確かだというところを就任した部署の長官たちに常に買われて推挙を受け続け、見る見る出世したその末に“史上最年少”という記録つきで、先の近衛連隊長となった男。素性が不明という怪しさを相殺して余りあるほどの、ずば抜けた腕っ節と誠実さであればこそ、王族の護衛たちを統率する任を任された彼であり、その誠実さが祟って…先の騒乱では、邪妖が取り憑いた王妃から煙たがられて放逐されもしたのだが、それは今は置くとして。
「………。」
 鹿革の袋に詰められた何か。厳重に紐がかけられてあり、書簡を入れたものだろう、蓋のついた細い金属管が紐の隙間に押し込まれてある。東洋の産である紙も普及して久しく、希少な書籍の印刷のみならず、封筒に入れた紙の書簡が下々の民間にでさえやり取りされている時代だというのに、
“こうまで厳重な扱いの書簡とは…。”
 何かと仰々しい伝統的な形式が一番残っている王宮でさえ、よほどの式典や新法の発布ででもない限りそこまでしない代物だと、一応は理解出来るだけの王宮勤めをして来た進が、

  「…っ。」

 おやと。意外なものを見いだして、その眉をひそめてしまう。多少は嵩もあったが、その大きな手には軽々と片手で持ち上げられる程度の軽い荷物。起きぬけから感じている気怠さへの溜息を、知らずのうちにも零しつつ。あくまで無口な護衛官殿、何にか感慨深げな表情になったのも束の間で、軽くかぶりを振って身支度にかかる。春のそれへと塗り替わりつつある朝の気配は、一頃よりも足取り軽く、あっと言う間に黎明を追い立てて明るくなってしまうから。







            ◇



 これもまた、それほど寒くなくなって来つつある証しなのか。鼻の頭や羽布団の襟からはみ出た肩口とがが冷たくて、それで目が覚めるということはなくなった。少し前なら、クシャミをして目が覚めたりもして。でも、それって随分前の一回だけのことで。それを聞きとがめたその上で、そんな寒い思いをなさっているのかと案じて下さり。ご自分の睡眠時間を削ってまで…明け方の一番冷え込む折に、きちんとお布団をかぶっているか、お鼻や頬は冷たくないかとわざわざ確かめに来て下さるようになった。
『そんな細かいことにまで気が回る奴には見えねぇんだがな。』
 キョトンとしたのが蛭魔さんなら、
『何、言ってるの。大切な人のことなら何だって把握出来るし、苦にもならないってもんなんだよ。』
 もうもう子供みたいなこと言ってと、異様に嬉しそうだったのが桜庭さんで。それより、それってどこの誰からお聞きになったんですか? ボクは誰にも話してませんようと。軽薄なお喋りさんだと誤解されたらどうしようとばかり、真っ赤になって問いただしたのを。同席していた進さんが擽ったげに笑って下さったのが、恥ずかしいなり、それでもキュンとしちゃうほど嬉しかったんだよねと。

  “…はやや。///////

 何だか嬉しい夢だったな。何時のことだったんだろ、あれって。ボクが誰彼構わずお喋りした訳じゃないって、ちゃんと判っておりますよと。進さんは何にも仰有ってないのにね。そう思っての苦笑を浮かべてらしたんだって、ちゃんと判ったボクだったの。何も言い合わないうちの、そんなお互いの“ちゃんと”が途轍もなく嬉しくて。それを指して“他愛ない奴だ”なんても言われちゃったけど。そうと言った蛭魔さんのお顔も優しげだったから、あのね? とってもとても幸せだった一連のこと、寝起きの夢に見られたのが何だか幸先いいななんて思えてしまったセナ様で。温
ぬくといお布団の中、幸せの余韻に浸りながら、もう少しほど もぐり込んでいたかったけれど、
「…セナ様?」
 ごそりと身動きした気配や、身体を延ばしながら“う〜ん”っとついた吐息を察知なさったか。寝室の扉の向こうから、いつものお声がこちらへと届く。ああもう起きなきゃ、だって朝を連れて来て下さったから。ふかふかなお布団の上、身を起こして“はい”とお返事。爪先を回してベッドの脇から降り立てば、なめらかな身ごなしで入って来られた進さんが、腕に掛けていた暖かなガウンをふわりと広げ、セナの小さな肩へと掛けて下さって。

  「おはようございます。」

 ああ。なんて深みのある、響きのいいお声だろうか。ガウンを直して下さる手や間近になった温みが嬉しい。すっかりと大人びて精悍鋭利な顔立ちの、だがまだ若々しい柔軟さも微かにまとった繊細な横顔が。こちらからの視線に気づいて真っ直ぐに、どうかしたのかと案じて覗き込んで下さるのが、以前はあたふたするほど恥ずかしかったのに。
「…何でもありません。」
 にこにこ微笑って“幸せだなぁ”って想いに素直に耽れる。不意打ちにでも遭ったかのように ついつい慌ててしまってた以前はね、進さんまでもが…よく判らないまま“悪いことを致しました”って恐縮なさるほどだったけど。今は違って。まるで耳を澄まして何かささやかな物音に聞き入るかのように、淡く淡く微笑って下さるから。ああ、これも“同んなじ”ですねと、さっきまで見ていた夢で感じたのと同じ幸せを思って、頬がじんわり温まる。大好きな人が一番最初に逢いに来て下さって、そこから始まる一日で。

  “…こんなに幸せでいても良いのかな。”

 いよいよ間近になりつつある春の気配を噛みしめながら、幸せなことばっかりだなぁと甘い吐息をつく、小さな小さなセナ王子。あどけないまで無垢なお心を、風に手折られてしまいそうな儚げな御身に秘めたる彼こそは、陽白の眷属の末裔にして、世界中の光を束ねて統べる、光の公主という御方で。そんな彼を体を張ってお守りすることを、自身の生命を懸けた責務と決めている“白い騎士”こと進清十郎さん。朝一番のお支度のお手伝いにかかる女官の皆様を室内へと招き入れられ、さあ、いつもの一日が始まる筈…だったのに。


  「セナ様。午前中、町まで降りても構いませんか?
   師匠へ宛ての急を要する届け物を預かってしまったのですが…。」



 まさかまさか、そんな他愛のない申し出が。彼と彼との永い決別を告げる、お別れの言葉の代わりとなろうとは。その時のセナは勿論のこと、進の側でさえ思ってもみなかったに違いない。間違いなく自分の判断で選んだ、何ということもない仕儀の筈が、彼らの及び知らぬところで音もなく動き始めた何かに操られてのものだとは。どうやって知ることが出来ただろうか。窓の外では名もなき鳥が、チチチッと鳴いて、振り返ることもなく飛び立っていった。












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  *思わせぶりなお話がどんどん加速度をましてきましたが、
   無事に進んでくれるといいなと、
   ドキドキしながら書いてます。