遥かなる君の声
I
     〜なんちゃってファンタジー“鳥籠の少年”続編
 

 

          
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 神聖でさえあるほどの、荘厳で厳粛なまでの静けさが満ちていた城内とは微妙に空気が違うものの、人が住まう町角にしては妙に静かな…活気の薄い空間へと、滲むようにその姿を現して、蛭魔は自分を此処へと招き寄せた相手へ歩みを進める。先にも述べたが、次空転移の咒は一度足を運んだ場所でないとその身を容易には運べないのが原則だが、そこに先んじている人物が、合
ごうの障壁を通過する術というものへの心得を持っている相手を呼んだ場合は話が別であり。相手が差し伸べて来た咒の力が自分を“引く”ことで助力になるのと、呼んだ存在が道標代わりになるので、一番恐ろしい“事故”でもある、亜空への迷子にはならないで目的地まで辿り着ける。今回の移動で自分を引き招いたご本人さんが立っているのを見つけると、その傍らへ足早に歩みを運んだ蛭魔だったが、
「妖一。」
 桜庭は白魔法を操る“白魔導師”なので、例えば“旅の扉”を見つけたり使ったりが当たり前に出来る身だし、それが専門な一族には引けを取るとは言え、合を通過する次空転移の咒も近距離で良ければ結構こなせる。これでも元は“魔神”だったその余波で、咒力は人並み外れて大きいからだが…それにしては。
「どうしたよ。」
 何だか浮かない顔でいる桜庭で。伝信で煮え切らない呼びかけをして来た時に、こんな顔をしてのお呼びらしいと蛭魔が想起していたそのまんまの、何とも頼りない表情だ。
「此処って…何処なんだ? 進はどうしたよ?」
 今の自分がやったように、瞬時に“目的地”へ到着したのなら、そのまま進にも逢えた筈だろうにと辺りを見回す。そういえばここは路上であり、進が訪れた先だという師匠の家はどこなのかも、来たばかりの蛭魔には見当さえつかないような中途半端さ。手際のいい簡潔な説明求むという、きりりと冴えて、怖いほど鋭い眼差しを向けられて、
「それがさ…。」
 何も分からない訳ではないらしく、だが、どう言えば良いのだろうかという躊躇に胸の裡
うちを掻き回されてて。それで言いあぐねているのらしき尻腰のない応じらしいなと勘の良さから読み取った悪魔様、
「…おい?」
 言葉少なながら、肉薄な口許をぎゅむと歪めた蛭魔に急かされて、桜庭も覚悟を決めたか、一番簡潔な言い回しをやっとのこと、その口から押し出した。

  「進は此処から何処かへ連れ去られたらしいんだ。」
  「………なに?」

 此処へと到着してすぐにも、大きな気脈のぶつかり合いを感じたから。恐らくは進だろうと駆けつけたのだが、
「暗示結界に囲まれた区画があってサ。それへと触れた途端、その結界が警戒用の呼び子代わりにもなってたらしくて。」
 話をしながら、案内するように桜庭の足がそちらへと進み出しており、蛭魔も無言のまま、話を聞きつつそれへと従った。百聞は一見に如かずとか、現場百徊
ひゃっかいとか言うのとはちょこっと違って。蛭魔には蛭魔の感応力というのがあるので、桜庭の言いようは経過を示す証言として聞くとして、まだそんなに時間も経ってはいない“現場”からも直接に、そのものの残した余波や余燼といった痕跡を拾うことも出来ようと思ってのこと。だからこそ、現場へ直接呼ばなかった桜庭でもある。別な咒が発動したことが影響しては、気配や咒という微妙な代物の残存証拠の数々がたまなしになってしまうから。
「…此処か。」
 擦り切れた石畳を進んだ、ブロック1つ先のその区画には確かに、誰もが自覚の無いまま接近を避けてしまうような“暗示作用”を発動させる結界の痕跡があり。その結界に包まれていた建物の中に、進と他の誰ぞがいた気配もうっすらと残っていた。短い石段になったポーチの先、鍵のかかっていない扉を開けば、何とも殺風景で森閑とした薄暗い空間が佇んでおり、結界の必要はなかったのではないかと思われるほどの人気のなさ。どうやら相当に長い間“空き家”になっていた家屋であるらしく、
“1棟どころかブロックごと、ずっと無人だったんじゃねぇか?”
 新しい結界を重ねられたことで消し飛んだ、古い結界が張ってあったのかも? そんなことをついつい思わせるほどに、城下の一角とは思えない、あまりの生気のなさであり、
「この部屋か。」
「うん。」
 警戒のための結界を破ってしまった瞬間に、桜庭にもそれが意味するものは察知出来、自分の接近を知られたならそれはそれだ、ままよと此処まで一気に駆けつけたらしいのだが、辿り着かんとしていた寸前で…相手はとっとと逃げたらしい。
「温室から逃げ去った連中と、逃げ方も雰囲気も同じだった。」
「………同じ関係者、か。」

  ――― しかも、昏倒していた進を抱えていった。

「妖一にも“判る”だろ?」
「ああ。」
 判るのが忌ま忌ましいことだが、と、蛭魔はその細い眉を不機嫌そうに吊り上げる。集中した上で強く念じてまさぐれば、辛うじて拾えるもの。このフロアにいたという、進の意識の痕跡はある。かなり色濃い闘気や集中の痕跡もあるから、もしかしなくとも剣を交えたらしいことも判る。だが、此処から何処かへという流れがないにもかかわらず、本人の姿がないということは。
「あの石頭ガーディアンが“次空転移”を自分でこなせはしない以上、此処でその意識が途絶えてしまった進であり、そのまま…咒を使える何者かに連れ出されたんだと思うより他はない。」
 しかも、その何者かというのは、進が闘気満々の剣を交わした相手に違いなく。いくら物理攻撃専門の戦士や騎士が“咒”に弱いとはいえ、多少の妖かしへは気力の強さで十分に対処出来よう剛の者。それが人事不省になったその上、拉致されてしまうとは。信じ難いことなれど、事実は事実。どうにも動かしようがない、これは“現実”なのだ。

  「………此処にこのまま居ても、これ以上得られるものはなかろう。」

 どこを経由して何処へ消えたやら、気脈の痕跡もなし。これでは追跡も不可能だが、
「次空転移だけで直接この城下から大きく外界へ飛び出すという“遠隔転移”はさすがに不可能だろうからな。」
 王城キングダムの首都城下。堅牢な城塞に囲まれたこの城下町は、そういう土地柄ならではの大掛かりな結界障壁でも囲まれている。触れたらたちまち電撃が走るような、命を落とすような危険なものではないけれど。何の邪心もない一般の民には何の影響力もないけれど。邪妖や悪霊、負界の生気や咒を寄せつけぬ、聖なる祈りによってかけられた半永久的な障壁なので、何やら良からぬ存在が出入りする気配があれば、たちまちにして反応を示す。
「城にいた方が感知もしやすかろうしな。」
「うん。」
 だから、とりあえず。一旦城へ戻ることにした二人だった。手ぶらでの帰還だということへ、セナがどれほど気を落とすかを思い、今からずんと気を重くして…………。







            ◇



 何かの気配を察知して、細っこいお膝からそおっとカメちゃんを降ろしたセナ様だったのに気づいた葉柱が、小首を傾げつつ高見を見やったのとほぼ同時、
「…セナくん?」
 そんな声と共に、広間の扉をノックする硬質な音がコンコンと響いた。此処から出て行った時は部屋から直接という、一種無作法というか乱暴な出立
しゅったつだったのに。
「…ただいま。」
 戻って来たのは広間の扉からという、やけに静かな帰還をした二人の魔導師さんたちであり。中にいて自分たちを待っていた人々を見回し、一応のご挨拶をした桜庭と、その後から憤然とした表情で入って来た蛭魔の負った…何とも言えぬほど重く静まり返った雰囲気へ、
“………まさか。”
 言い知れぬ いやな予感がしたのは、高見近衛連隊長さんだけではなく。帰還した二人の魔導師様たちを、そしてそんな彼らの周辺を見回したセナ様が、何を真っ先に探したのかは…彼らにも重々判っているのだろう。
「あの…。」
 他の場合であるのなら。妙に押し黙っている蛭魔の…何かしらを堪えているらしき、彼なりの“忍耐”の下に潜む過激な導火線が、どんなささやかな切っ掛けでも起爆への着火として感知しそうな。そしてそれによって“機を得たりっ”と今にも爆発しそうな、そんな危うい雰囲気が読めない彼ではないのだろうが。今はそれこそ、場合が場合だ。あんな騒動が降りかかって来たばかりで不安もひとしお。日頃だったら自分を心身共にがっちりと守って下さる頼もしいあの方は外出中で、しかも、何だか様子が変だったらしいなんて報告を、人伝てながらも受けてしまって。目に見えての震えがないだけで、相当に不安で不安で堪らない、それは繊細で小さな皇子様なのであり、
「…あのね、セナくん。」
 そんな彼へ要らぬ負担を負わせるのも何だと思ってか。此処は自分が話すしかないかと、口火を切った桜庭だったが、

  「進の野郎は、何者かに拉致された。」

 ぽいっと。他愛ないお使いものを“ほらよ、買って来たぜ”と放って寄越すような呆気ない言いようで、蛭魔があっさり告げた至って簡潔な一言へ、
「ああ"…?」
「そんな…。」
 何か良からぬ次第があったなという予感はあっても、まさかそこまでのことがとは思ってもみなかった“待機組”の青年二人が言葉に詰まり、表情を硬くする。セナが不思議な連中からの奇襲に遭ったその上に、そこまでの一大事が別なところでも起きていようとは思いも拠らなかったからであり。そして、
「拉致…って。」
 ちゃんと聞こえたことが、だが、読めはするが意味が分からない外国の言葉のようにでも聞こえたのか。呆然としたまま、蛭魔の言ったまんまを繰り返すセナが、その幼いお顔からどんどんと血の気を無くしてゆく。
「奴が訪ねた先ってのへ行ってみた。誰かと剣を交わして争ったらしい思念の痕跡があったが、本人たちの姿は既になく、特に進の意識はその部屋で途絶えていたからな。昏倒させられて、そのまま連れ去られたとしか………。」
 見て来たままを包み隠さず伝えた蛭魔だったのは、彼が人への気遣いを知らないからではなく。下手に小出しにして少しずつ不安にさせるよりも、この方が混乱がなかろうと思ったかららしかったが、
「そんな…。」
 不安を抱えて待っていた。自分を名指しで襲い掛かって来た、思わぬ奇襲。自分へと向けられた凶悪な意志と向き合って、そりゃあ怖い想いをした。事態は収拾したのにドキドキが収まらず、不安で怖くて落ち着けなくて。でもこんなもの、進さんが戻って来て下さればすぐにも収まると思ってた。暖かい手のひら、男らしい清潔な匂い、奥深い響きが心地良い声に、凛然と冴えていながらもセナへは表情豊かな眼差し。早く帰って来てと、ただただ念じてたのに。怖いことがあった時はいつも、ぎゅううって懐ろに入れて下さるから。そうしてもらったらすぐにも落ち着けるって…思って、たのに…。

  「進さんが…。」

 攫われてしまったの? あのとっても強い進さんが剣を交わして、それでも昏倒させられてしまったの? まさか…自分に襲い掛かった賊たちと同じ、不思議な咒を使える人たちだったの? 高見さんが赤い眸に睨まれて、意識を攻撃され昏倒したのを思い出す。どんなに強いと言っても、進さんは根っからの剣士であり、いくらあのアシュターの剣が聖なる祈りで持ち主を守るとはいえ、不意を突かれたなら何が起こるか………。

  『考え事でもしていたか、それとも体調が悪いのか。』

 手荷物を掠め取られても気づかないほど、妙にぼんやりとしていた剣士だったと。そんな目撃談があったほどの、どこか覚束無い状態だった彼だというし。そこへと複数で襲い掛かられたのだとしたら………?


  「………そんな。進さんっっ!」


 室内の空気を震わせて、自分が上げた悲鳴のような絶叫に弾かれたかのように、
「あ、こらっ!」
「セナくんっ!」
 しゅんっと。そのまま一瞬にして消えたセナ。桜庭や蛭魔が見せたような、少しずつ輪郭がぼやけて空気へ溶け込むような消え方ではなかったが、そんな分だけ、気が急いていたのがありありとしており、
「まずいな、あいつになら少しは“追える”かも。」
 眉を寄せた蛭魔の呟きへ、桜庭も思い当たるものがあって、
「………あ。」
 思わず息を呑む。そうだ、彼は“光の公主”だから。陽世界の光を統べる存在なのだから、数時間も前のものであれ、またはどんなささやかな気配であれ、気の軌跡の追跡もまた、彼には可能なことかも知れず。………ただし、
「よほどの集中が必要なことには違いないがな。」
「じゃあ…。」
 いくらパワーがあっても今のセナくんには追い切れないとか? 進を捕らえて攫っていった一味は、今の段階ではまだ仮定ではありながらも、この城内へと侵入してセナへと急襲を仕掛けた一派と恐らくは同じ相手と想定されており。そんな陣営へ無防備なまま突っ込むことにはならないならばと、ちょっぴり安堵した桜庭へ、

  「今のあいつは、ただならぬほどの恐慌状態にあるからな。力を暴走させとる。」
  「妖一〜〜〜。」

 安心するどころか、もっと心配な事態になってるってことならしいと、ダメを押した蛭魔が中空へ咒の印を切るより早く、
「…チッ、何をしてやがるかな。」
 呆れ半分、立ち上がったのが葉柱だ。言ったすぐにも姿が消えており、その素早さは先程のセナ皇子の凄まじき初速とほぼ同じくらい。
「さすが、結界封咒のオーソリティだな。」
 印を切る所作も、咒詞の詠唱も一切なしの、全くの直
ちょくで次空移動が出来る人。強固な封印に用いることもある“合ごう”に長けている一族の、しかも族長直系の血統である彼だから。恐らくは…セナほどではないながら、次空移動した相手を目視並みの扱いにて追尾出来るのだろう。
「待ってるしかねぇ、か。」
「うん。」
 ぽつりと呟いた蛭魔の声に応じつつ、桜庭と高見が彼らが消えた虚空を眺めやる。一気に静まり返った部屋の中。不意に姿を消した皇子様を探してか、ドウナガリクオオトカゲのカメちゃんが、不安そうにきゅうきゅうと、切なげな声を小さく小さく上げていた。







           ◇



 それが普通の“歩き回っての探索”ではなく、全身が総毛立つほどの“気”の放出と解放による、思念追尾であることを。セナ自身、意識してはいなかった。周囲も何も、彼には一切見えてはいなかったから。ただただ、愛しい気配を必死になって追っていた。忘れっこない気配。優しくて頼もしい、大好きな人の存在感。それを探していた、追っていた。

  “………進さん。”

 あの優しい手のひらがない。暖かで大きくて、危険が迫れば懐ろへ背の裏へ素早く庇って下さって。眠る前にはいつもいつも、不器用そうに髪を撫でて下さった。最初のうちはネ? 壊れものへとそぉって触れるような、それはそれは遠慮しての近づき方をなさってらしたのだけれども。そんなにボクのことが怖いのですかと、小さな肩を落としながら訊いたら、ハッとして。そんな態度がボクのこと、傷つけているのだと気がついて。それからは優しく支えて下さるようになった進さんだったのが、もうもう嬉しくてしょうがなかった。ボクが実はこの国の皇子であるのだと判ってからは、今度は逆にボクの方が頑なになってしまって、進さんを避けるような態度、取ってしまいもしたけれど。ただただ黙々と護衛をこなして傍らに居て下さり、それだけじゃなく。少なからず傷ついたボクの気持ちをこそ慮
おもんばかって、皇子だからという型通りの想いからこうしているのではありませんと。ホントだったなら看過し続けてもよかったこと、ボクの苦しさを取り去りたいからってわざわざ告げて下さった、強くて、優しい人。

  『進の野郎は、何者かに拉致された。』

 あの運命の晩のことは、いつまでだって鮮明に覚えてる。この国を混乱させてまで陽白の光を封じんとした、負世界からの使者による一連の騒動の幕を下ろしたこととなった、忘れ得ぬ一夜。どこか気持ちがすれ違ったままだったのが、ほろほろとほどけて…ふたたび寄り添い合えるようになり、信じ合う二人にはお互い以外に怖いものなんてないと、その決意も新たに、コトに及んだ正念場。その皮切りにとこの王城城下へ突入した時に、数え切れないほどもの凶悪な、怪物そのままな邪妖たちに襲われたけれど。セナを庇うことを最優先にしながらという不自由な身でありながらも、それは鮮やかに大剣を操って、人ならぬ悪鬼たちを次々に薙ぎ払った、それは頼もしき騎士様だった。

  ――― あんなにもお強い人なのに、一体何があったのだろうか。

 心のどこかで不安がうねる。きりきりと尖っては、胸のあちこちに突き当たって呼吸を止めるほどの痛みを伝えてくるけれど。それどころではないと、意識の方は止まらぬまま、むしろ加速を増していて。

  “こっち、だ。”

 早く早く。薄くなってゆく気配を完全に見失ってしまう前に。遠ざかってゆく面影へ懸命に手を伸ばす。確かに聞こえた気配を追って、遠くへ置いていかれないように。必死になって追い続ける。セナはまだ一度も運んだことのない城下の街路。市場の雑踏。荷車を引いて来た馬たちがつながれている、場末の広場。人込みの中、あるいは無人の路地などへ、瞬間的に現れては、此処ではないと次へ翔ぶ。
“進さんっ! どこですかっ!”
 形の無い壁や仕切りに遮られ、他次元なればこその異なる構成物に満たされた、隣りの空間の方が近いと察しては、障壁を飛び越えくぐり抜け、力任せの次空跳躍を繰り返す。本来彼がいる次元ではあってはならないこと。危険だからこその自然の戒律に反するほどもの行為だが、気持ちばかりが先走り、一種の恐慌状態にまで追い詰められているが故、どれほどのことをしている自分かなぞ、セナにはまるきり分かってはいない。自分へと襲い掛かり、庇おうとした高見やカメちゃんを傷つけた輩たちへ、思わず繰り出していたあの凄まじい“攻撃”のようなもの。熟考の末に畳み掛けている訳ではなく、感覚に引っ張られ、無我夢中で突っ走っているだけな、文字通りの“暴走状態”にある彼だったので、

  「何を、しているっ!」
  「………っ!!」

 がっしとばかり、大きな手に腕を肩を捕まえられたその刹那。自分を邪魔するものだとしか把握出来なかったものだから、振り払いたくてと反射的に攻撃の咒を発動させかかったセナだったが、
「馬鹿ヤロっっ!」
 こんな不安定な空間で、そんなものを不用意に発動させたらどうなるか。その額に煌めいた小さな銀の粒鉱石に気がつくと、大ぶりな手のひらにてそこを覆い隠し、
「こっちだっ!」
 そのまま腕を引いて、有無をも言わさず、手近な“現世”へ引き戻す。本来自分たちが存在しているべき、真っ当な三次元界へ。元居た以外の時間軸に間違えて飛び出してしまったならば、それはそれで えらいことになるのだが、
“そういうことは、まずは ねぇよ。”
 そこまで別な次元からの来訪者は、時間軸自体がその存在の侵入を弾く。それほどにも“時間”という流れや壁は強固なのであり、単なる空間障壁ではなく、そういう障壁からの絶対的な抵抗に遭えば、どんなにパワーを持った術者であっても容易く弾かれ、冥界よりも恐ろしい、何処の空間にも繋がってはいない“虚無海”への迷子になってしまう。何とか追い着いた葉柱は、それさえも恐れていないらしきセナの暴走ぶりに、冗談抜きに舌を巻いた。
“蛭魔の野郎めが〜。”
 世界観に連なること。咒や結界以前の基本なんだから、ちゃんと教えとけっての…と、彼への教育責任者への悪態をついつい零したものの。やっと捕まえた公主様だとあって、安堵の吐息をつきながら、とりあえずはと額に浮いた冷汗を拭いかかった彼だったが。
「離してっ!」
 しばし呆然としていたものが、息を吹き返したかのように激しい抵抗をしかかるセナであり。
「進さんがっ、早く行かなきゃ間に合わないっ!」
 掴まれたままな肩を腕を、そこからもげてもいいと言わんばかりに引っ張りもがき、精一杯に暴れて見せる。こちらさんもまた、結構危険度の高かった追跡中の緊張感がまだ完全にはほどけてはいなかったせいもあって、少々苛立ったように眉を寄せた葉柱は、

  「無茶ァすんじゃねぇよっ。」

 一応の加減はしたが、結構な勢いで。ぱしんと…小さな頬を横ざまに引っ叩(ぱ)たいていた。
「あ…。」
 またまた唖然としたような顔となり、こちらを改めて見やる。
「………葉柱さん?」
「おう。」
 やっと、今度こそ大人しくなった皇子様。掴まえられてはいない方の小さな手を伸ばして来ると、さっき以上に掻き乱された葉柱の黒い髪へと触れて来て、
「あ、えと…。」
 頑丈でしかも防御の祈りが込められてある筈の道着も、あちこちが無残にも裂けていることに気がついて、
「ボクが…ボクを追って?」
「まぁな。」
 彼ほどの力があってもこれほどまでの姿になる、危険なこと。なのに、構わずやってのけてくれた人。たちまち、申し訳ないとかごめんなさいとか、そんなお顔になった少年へ。小さな苦笑を一つ、唇に滲ませる。我に返った途端に、相手を心配するような。心根の優しい、利他的な皇子様。そんな彼なのが、今更ながらに愛しく思えてしまった葉柱であるらしい。
「蛭魔から学んでないのか? 次空転移は慎重に構えろと。」
「…えと。」
 少しばかり俯いた彼の、小さな肩が上下している。今度こそ葉柱に抵抗しないのは、今になってやっと、凄まじいまでの疲労が身体へと追いついたからでもある。咒力がどんなに強かろうと、それへついていかなければならない生身の体の方もまた頑強でなければ…えらいことになる。身体を巡る“気”を研ぎ澄まし、あるいは濃密に練り上げて、それを放つのが咒であり、その効力・威力が形ある大きな力となって放出されるような咒であればあるほどに、それを支える器、つまりは肉体へも大きな負荷がかかる。慣れがあればともかくも、まだまだ練習の域を出ないような実践しか積んではいないセナが、こうまでの大きな力を発現させれば。咒力許容としては可能なものであれ、身体の方へは唐突な酷使。かなりの無理をしたこととなり、その反動が一気にその身を襲うのも致し方のないこと。
「あ………。」
 身体中がぎしぎしと軋む。胸が辛い。呼吸するのさえ辛い。立っていられなくなって、頽れそうになった身を、葉柱がその腕へ軽々と受け止めてくれて。暖かいなぁ。広いし、頑丈で頼もしいなぁ。
「そのまま ちっと寝てな。」
 頭の上からの、低い声が優しく響いて。ぽわんって、頬や胸へと何かが流れ込む。ああ、これってきっと、回復の咒だ。眠って休んで回復するのが一番には違いないけれど、身体中が消耗し切ってて、辛くて寝れない。それを察して咒をかけて下さったんだ。意識がどんどん霞んでゆく。ふわりふわりと体が軽くなるような感じしかしないから、怖くはないの。


  ………でもね? あのね?






  ………………………… 進さん。

              お声が、あのね? もう聞こえないの。
              どうしたらいいの?
              もう、逢えないのかな。
              進さん………。







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  *長い話です、これでまだ3分の1もいってません。
   これから暑っつい夏へと突入するのになぁ。
   集中力は保つんだろうか…。