遥かなる君の声
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     〜なんちゃってファンタジー“鳥籠の少年”続編
 

 

          




 腰から提げるタイプのショートソードではあるが、それでも規格よりは長くて大きな剣であり。そんな剣の切っ先が床に触れそうなほどにも下げ降ろされた“下段の構え”をとっている。生活感の極めて薄い部屋だ。煌々と明るいとまではいかない屋内ながら、それでもほのかな朝の気配が白々と満ちてはおり、剣の刃の切っ先の鋭さを縁取って、ちらちらと小さな輝きをその輪郭へと弾けさせている。どうにも集中力が萎えそうになるのを、それでも意志の力で奮い立たせている気魄の強さは、彼がどうしてそうまでの窮状にあるのかという道理・順序を一方的に把握しているこちらの二人たちでさえ、心底驚くほどの雄々しさであり、
“さすがは“白き騎士”ということか。”
 敬虔で誠実にして、妖しき邪の存在へも怯まぬ勇気を誇り、民へは限りない慈愛を忘れない、それはそれは優れた人格者たちであった代々の王たちにより、世界一古くからのそれを紡いで来たという、悠久の歴史を誇る王城キングダム。厳格で統率のとれた王政の中に組織されし兵卒の中にあり、ただただ誠実に分をわきまえての働きをこつこつと重ね。その優れた剣技や人格・度量のみならず、王への厚き忠誠をも認められた上で頂いた、誉れも高き剣士としての最高の称号を持つと誰もが知るという、この王城、いやこの大陸で一、二を争うだろうほどの武人。敵に直接対峙して剣を構えても、その尊き心根、明鏡止水にして揺らぐことはなく。鋭き眼力だけで魔を祓うことさえ可能と謳われし、今世の英雄。その存在感の厚みへと、こちらもそれなりの格であろう男たち二人が、息を呑んで相対している。先に此処にいて、進との言葉を交わしていた男の方は、直接向き合う彼らを見守る位置へと身を離しているものの、
“阿含の“炎眼”は、我ら一族の中でも破格の力を持っているというに。”
 セナへと奇襲をかけた賊たちが、進の代わりにと護衛に付いていた高見を昏倒させた不思議な眼差し。ルビーのように燃え立つ色合いの赤い眸をもって、相手へ働きかける何かを放つそれらしいが、直に向かい合わずとも働きかけることが出来、相手を倒せると言わんばかりだったこの男のその瞳をもってしても、こうまでの意識を保ち続けている進であることが、彼らには驚異でしかないらしくって。
「どうしたよ、白き騎士殿。それでいっぱいいっぱいか?」
 先程彼が振るって見せた剣撃の圧は、触れた訳でもない従者の青年を軽々と吹き飛ばすほどもの凄まじいものであったが。それを放つ原動力になったのは、彼が命を賭して仕えることを誓っているセナ様の身を、脅かすような言いようを聞いたからのこと。鮮烈な怒りによって一気に覚醒した感覚でもって、あのような鋭い剣撃を発揮出来もしたのだろうが、
“こいつの炎眼はただの咒ではないからの。搦め捕った相手をそうそう逃しはしない。”
 本来は直接相手にその眸を見せることによって発動されるものを、弟のそれは遠隔でも発揮出来るほどのもの。だが、それが敵わぬ相手だとあって、こうして直接のご対面と運んだ訳で、
「こちらもな、そうそう暢気にも腕のほどとやらをご披露いただいていられる場合でもないのでな。」
 兄者と呼びかけた相手から“阿含”と呼ばれていた男は、進の取った態勢を一通り見極めたのか、にやりと笑って見せると深々と腰を沈めて下肢へバネを溜めつつ、
「そちらが本調子でないなら、こっちだって完膚無きまでって思い切った攻勢は取れない身だ。ハンデは一緒だから、勘弁な。」
 そんな言いようをする。態度も至って飄々としたままならば、あくまでも余裕という口調も変わらぬまま。勘弁なと言いつつも、初対面の何の遺恨もない相手と拳を交えること自体への嫌悪や躊躇も全く無さそうであり。足元まであったものを肩の向こうへと跳ね上げた長衣の下には、彼ももう一人の男と同じく、少々風変わりだが機能的な異国の衣装をまとっており、フードを跳ね飛ばした頭の方は、そのままだったなら結構長いのだろう黒髪を幾つかの房に分け、その1つ1つを短い縄のように堅く綯
ったという、少々変わった結い方をしている。挑発や嘲笑がよくよく馴染む、人を小馬鹿にしているような笑いを常に浮かべた顔つきは、だが。それがそのまま、張り付けたもののようにあまり動かない笑みであるところから、胸中を覗かせぬための堅牢な壁なのかも知れないと思われて。
“戦い慣れしている男だな。”
 互いの呼吸を伺い合っての静寂が室内に満ちる。相手がどう出るかを待つ、様子見の静謐。やがて、
「…これは、もしかすると失礼したかな?」
 何の武器も持たぬ相手では、勝手が違って動けない進なのだと気づいたか、
「そんな場合ではないというのにな。何とも律義な騎士殿だ。」
 だとしたら。手も足も出せない彼を、そっちこそこれ幸いと二人掛かりで畳んでしまえばいいものを。相手もまた…誇りがあるからそんなことは出来ないということか、それとも。そんな悠長なところへわざわざお付き合いするだけの余裕がやはりあるというのか。体の前で構えていた両腕を、長衣がマントのようになって覆う背中へと素早く回すと、腰を縛っていた帯の背中側に装備していたらしき武器を手にして同じ位置へと戻って来る。ただ腰回りを撫でただけのようだったなめらかな所作と共に現れたのは、全く同じ形のものが2つで1対という種の武器であり、剥き身の鋼の光沢を黒々と帯びていていかにも頑丈そう。棍棒タイプの武具らしいのだが、十手のように柄に近いあたりから枝分かれした尖棒がのびている。その先端がどれも鋭利に尖っているので、触れたり掠めたりするだけでも相当なダメージを受けそうな代物だ。
「これはサイっていう。柄に細工があるんで、トンファーのように前腕に添わせて、水平方向へのぶん回しも出来るようになってるから、防具としても十分兼ねられる。」
 わざわざの説明をしてから、
「これで俺も丸腰じゃあない。」
 だから遠慮はするなと言いたいのだろう。それを形で示すかのように、再び沈めた身を今度は一気に撥ね投げて、宙へと身を躍らせた彼であり、
「…っ!」
 次の刹那にはもう、これ以上はないほどの至近、進の握る剣の間合いのその内側の、懐ろ深いところにまで飛び込んでいる。何という素早さと鋭さよと、あまり物に動じない進がありありとその眸を見開いたものの、
「…さすがは白き騎士だ。どんな思いがけないものへも油断はないか。」
 下段に構えて様子見をしていた大剣では到底間に合わぬ、文字通り瞬く間合いへ突っ込んで来たという攻勢だったのに。両手持ちの大剣を素早くぶん回し、片手の逆手に握り直しただけという所作一つでもって持ち替えた上で、サイの股を剣の胴でがっきと受け止め、きっちり防御をこなしている。もしも正式な武装をしていたならば、籠手から伸びた前腕への楯でもある腕当てがあっての防御。それを咄嗟にとは思えぬほど的確にこなしており、しかも、
“力いっぱい突っ込んで来た勢いを完全に相殺している。”
 片手だけの攻勢だったところからしても、通常の戦闘時の阿含のレベルから言えば全く真剣本気ではなかろうが…それでも。
“止められねば、まんま突き通っていたな。”
 炎眼により相当に弱っている相手なのに、容赦のないことをすると。観ていた方の男が思わずの息をつく。その状態でこれだけの防衛反射がよく出たことだと、仕掛けた本人が感嘆するほどに際どかった一撃であり。相手が進でなかったなら、たとえ意識は鮮明であっても間違いなく脾腹を貫かれていたことだろう。
“何が思い切った攻勢は取れない身、だ。”
 こんな時だというのに、お構いなしで楽しんでいる彼だと判る。二人掛かりで畳み掛けるのはさすがに自分も気が引けたが、丸腰でかかって手を出せなくさせても、それは向こうの構えた勝手な信念からのことなのだから、決して卑怯なことではなかったろうに。ましてや、のっぴきならぬ仕儀を既に始動させている身の自分たちだ。今更卑怯もへったくれもない筈なのに。わざわざこちらも武器を構え、しかも今の攻勢で…反射という形であれ、立ち合いへと動かざるを得なくなるような弾みを相手へ与えた彼でもあって。
“これは、ひと騒ぎなくしては収まらないか。”
 しようのない奴だと、しばらくは見守ることにしようと諦めた兄上のそんな鼻先で、
「うぬ…っ。」
「おっと。」
 サイと大剣とががっつりと咬み合っていたものを、進が一気に払い飛ばすべく押し返そうとして来たのに気がついて。力押しでは微妙に不利と察し、せっかく近づいた剣の間合いの内から飛び出すようにして、一旦身を離す阿含であり。離れざま、それだけでは済まさず、サイの切っ先にて宙に弧を描いて見せたものの、
「………。」
「は〜ん、これも避けた、か。」
 そんな油断のならない置き土産さえ、予感があったか、それともこれもまた…彼にとっては当たり前の感知と反射なのか。わずかに軽く首を引いただけという、本当に微かな所作だけで。その切っ先が頬骨へ掠めかけた間合いから逃れ、薄い間隙を残してという格好で身を守った進であり。しかも、
「…っ!」
 流して躱したサイの切っ先が通り過ぎたのと入れ替わり、退避した方向へと体を泳がせるどころか、逆に果敢にも片足だけを大きく踏み込んで来て。バックスイングをして力を溜めるのではなく、体重移動という形での加速を剣に乗せた、カウンターもどきの一撃を。ぶんっと力強くも繰り出して来た進だったから。今度は阿含の方が、想定した以上の後方への後退を迫られ、
「チッ。」
 已なくトンボを切っての大仰な退避。剣の切っ先を避けるだけのために、壁ぎりぎりまで下がることとなってしまったことへ、余裕で笑っていたその口許から小さな舌打ちが洩れたほど。とはいえ、こんな計算違いも彼には“楽しい誤算”だったらしくて。
「…嬉しいねぇ。あんたには炎眼なしで掛かりたかったよ、ホント。」
 自分の側の優位が忌ま忌ましいと、肉薄な唇に にやりという再びの笑みが浮かんだのもすぐのこと。厄介であればあるほど、難物だからと手が掛かれば掛かるほど、嬉しくてしょうがないらしい様子に、
“やれやれ…。”
 観戦者と化している兄上もまた、その内心で困った奴だという苦笑を零していた。生まれ持っての戦闘センスもあってのこととはいえ、真に強い者との対峙でしか味わえない身となってしまったが故、今やそれはそれは希少になってしまったもの。ほんの一瞬という僅かな間合いへの読み違えが、そのまま命を根こそぎ持ってゆくほどの。お互いに満身創痍となってまで命の温度を毟り合い、ギリギリ最後に生き残った方が勝ちというほどの。極めて危険でスリリングな、絶対絶命と紙一重なレベルの緊張感に満ちた戦闘を、常に求めて飢えている彼だったのを知っている。簡単にねじ伏せて凌駕出来るものなんて詰まらない。厄介で手がかかり、難攻不落なその上に、油断したならこっちの身だって半端でなく危ういもの。そうまで強い対手と向かい合っているだけで、そんな渦中に身を置いているというだけで、弱い者がただただ怯えて見せる姿への何倍もの快楽に身が震えてくる。自分が生きている証しは戦いの中でしか見いだせない、何とも非運な宿命を負わされた自分たちだったが。そういう生まれである身を、安寧の中に持て余すことはあっても、恨んだり呪ったり悲観したりしたことは一度としてないらしき阿含であり、
“………。”
 同じ血塗られた生き方しか出来ないのなら、そんな割り切りが出来た方がいっそ幸せなのかもしれないと、
「行くぜっ。」
 目前で繰り広げられている対峙をどこか他人事のように傍観しつつ、自分たちの有り様というもの、今更ながらに重く感じ入っていた兄である。








            ◇



 大窓の向こうには昼が近いとあっての陽光も濃くなって眩しく、室内もまたいよいよその明るさを増しつつあるというのに。お顔を上げればすぐ傍らに、頼もしき近衛連隊長様と腕に自信の導師様たちが二人という、合計三人もの偉丈夫様たちが、セナの身を案じて居残っていらして下さっているというのに。
“………。”
 どうしたのだろうか、落ち着けない。先程までその渦中にあった物騒な仕儀から受けた、ただならない緊迫や興奮が抜け切らないからか。気持ちのどこか、何かが堅く強ばったままになっているような感触がある。お膝の上に抱いたオオトカゲのカメちゃんが、負ってしまった怪我のせいで時々震えているから? 目の前の卓の上、何も語らぬままに ころんと置かれた革嚢の持ち主さんの姿が此処にないから?

  “………進さん。”

 怖いというよりも不安が募って、どうにもこうにも落ち着けない。何かしら拭いされない陰のようなものが、見過ごせないところにこびりついていて消えてくれない。心臓が定位置から上の方へと迫り上がったままになっている。そんな息苦しいような心持ちがしたまんまで少しも収まってくれない。

  “………。”

 桜庭が迎えに行ったばかりの大切なあの人が現れてくれるまでは。もう大丈夫ですよと、あの大きな暖かな手のひらで撫でて下さるまでは。心臓も気持ちも不安定なところに迫り上がったまま、降りて来てはくれないのだろうか。半ば機械的な動作で背中を撫でてやっている小さなお友達。あんな土壇場で、本来だったならセナ以上に非力な彼が、それでも敵へと立ち向かおうと、セナを守ろうと決意して変化
へんげのモデルに選んだその人は。ただ居て下さるだけでセナの心を芯から暖めてくれるのだけれども。その逆に…居ないとなると、こんなにもこんなにも不安を齎すなんて思ってもみなかった。
「…きゅ〜う。」
 巻き直した白晒布が痛々しい小さな前足。その手にあの大きな聖剣を掴みしめ、健闘してくれたかわいらしい子。
“………聖剣。”
 ふと。セナは、あのアシュターの聖剣へ相手が口にした奇妙な言いようを思い出していた。

  『車輪紋の剣ということは、その姿…。』

 不意に現れた格好になったカメちゃんが変化した進の姿が、誰なのかが彼らには判らないようであったものが、鞘から引き抜いて身構えた剣へはそんな、覚えがあるような言いようをしてはいなかったか? それと…もう1つの不審な点が。
“カメちゃんが変化した進さんは、車輪紋を飾った鞘を提げてはいなかったのに?”
 今現在の進が提げている鞘を見たまま覚えていたカメちゃんは、真円を二つ重ねて描いたような、細い細い三日月の文様で飾られたそれをやっぱり提げていた。彼は車輪紋の意匠は見たことがないから仕方がなく、なのにどうして。元は“車輪紋”のついていた剣だと、相手に判ったのだろうか。

  「? どうした?」

 む〜んっと眉を寄せてまでの意識の集中を感じ取り、何かしら思いついたものへ気持ちを捉らまえられているセナだと気がついたらしい金髪の魔導師様。こんな最中に一体何へ困っているのだと声を掛けて下さったのへ、
「あの…。」
 こんな不審な言いようがあったのですよと説明すれば、
「ああ、それは、相手が咒詞に詳しかったんだろうさ。」
 さすが蛭魔にはあっさりと通じたらしくって、
「アシュターの聖護剣に刻まれているっていう咒詞はな、鍛える時に職人が刻んだりするもんじゃあない。打ち上がったその仕上げ、教会での白魔法の祈祷を捧げられると浮かび上がって染みつくって代物で、何を祈ってもらったかで咒詞も違ってくるし、鞘もな、クリスタルを混ぜ込んで鋳したシンプルな補強用の金具しか使わないものが、剣の受けた祈祷の幸いや祝福に呼応しての意匠が勝手に浮かび上がるんだと。」
 いざという時にはその鞘までもが結界の寄り代に使えるほどのものだから。賊が口走った“車輪紋”ってのは、鞘を見て言った鞘のことじゃなく、剣自体の呼称なんだよと、説明してやった蛭魔がだが、自分で言ったその台詞へ少々考え込むような顔になる。
“だが。アシュターの聖剣は、進が振るってたあの剣が最後なんじゃなかろうかとも言われているくらいだ。”
 実戦用の剣をわざわざ作る機会自体が減ってる今時、知ってる奴も限られていようにと、そこへの不審を彼もまた感じてしまった。わざわざ祈祷まで捧げるような作り方をする剣ともなると、今や祭祀用か儀礼式典用のものくらい。ここ、王城キングダムに於いては大きな内乱が収まったばかりだからというのもあるし、時代が進んで法制度も発達しつつある今時、剣を振るっての戦いや死闘は、それが私闘ならそのまま“ただの殺人”扱いになるだろうご時勢へ移行しつつある。群雄割拠の時代はとうに終わっているし、国や国を支えるほどもの大きな勢力同士が争うような“戦”という種の大掛かりな戦乱へは、喜んで良いことではないがそれなり技術革新も進んでいるため、名のある剣士の個人プレーでどうにかなるという形はどんどん減ってゆくに違いなく、
“大国同士の戦いでは、大きな大砲を持って来て相手を一気に蹴散らすような大掛かりな戦い方になるのだろうし、直接的な白兵戦をやらかしたとて、その大陣営をどう配置して相手を圧倒するかという“人海戦術”のぶつかり合いになろうからな。”
 小さな抵抗勢力によるゲリラ戦法なんてものには尚のこと、大仰な剣はやはりお呼びではなくなろう。技術革新による兵器と戦法の変化に呑まれ、個人の物理的な能力はどうかするとカリスマ性を発現するためだけのおまけと化し、さほど問われぬ時代へと進みつつある。傘下にある手駒として、いい剣を振るえる闘将たちが多いに越したことはなかろうが、それよりも…いかに効率よく相手陣営を黙らせることが出来るかの方が断然大事。名のある武将同士が剣を交え、古式ゆかしき一騎打ちをするような時代は終わりつつある。
“ま、それは戦術に限った話ではないのだが。”
 人間はその長い歴史を経る中で、先人から受け継いだ知識を積み重ねることで、様々に進歩を成し、合理的な技術を得て来た。何も知らない分からないうちはただただ脅威でしかなく、為す術もないまま蹂躙されるしかなかった、太刀打ち出来なかった自然の脅威へさえ、暦を知ることで慌てることなく前以ての準備や対処を備えることが出来るようになり、毎回毎回 人死にや収穫の潰えに悲しむことはなくなった。そういった学問や技術は、古代の社会では それなりの地位にいる特別な者だけがある意味“独占”していたのだが、さすがに時代が降りて来れば、一般の民へも基本的な“常識”として浸透していった。直接作業をする者や道具を使ったり作ったりする立場にあった下々の者へも、最低限の知識は必要だったからであり、特別な修行や鍛練の必要のないまま誰でも均等公平に扱える、便利な道具や分かりやすい知恵は、至便さゆえに加速を持って広まってゆく。大風にも揺るがない石積みの技術は、人々から嵐への恐怖を拭い去り、治水潅漑の知恵もやはり、人々から大河の氾濫の恐ろしさを忘れさせる。自然を凌駕制覇出来たものと思い込むのは危険極まりないとはいえ、安寧平穏が一番であるには違いなく。

  ――― やがては。

 大地の怒りや精霊の悪戯などという“特別”なもの・得体の知れぬものも、その力さえ上回る技術が広まればもう、怖いものではなくなるから。聖を尊び魔を恐れるという感覚は、信仰心という心の支えへと変化してゆき、あるいは絵空事というカテゴリーの中へ“神話”として組み入れられてしまうもの。導師が操る“咒の力”を信じ、それなりの保護や重用を続けているこの王城でさえ、今や、聖や魔の存在は“善悪”を説く時の単なる概念として形骸化しつつあるほどで。なのに、
「………詳しい奴、か。」
 ただ単に、英雄と謳われし進がアシュターの聖剣の持ち主だと知っているのと違い、車輪紋の剣を持っているということは、貴公はもしかして…という順番だったような呟きだったというからには、中途半端な知識ではないということに外ならず。今回の騒動には、その“咒”が大いに絡んでいるのは間違いなくて。だが、
“ただの賊が厳しい修養の必要な咒を鮮やかに操っていたってのか?”
 蛭魔としても、その点だけはどうにも消化し切れぬネックとなってもいる模様。先に述べたような、そういう環境だったから自然に身についたという葉柱みたいな例は実際には稀であり、普通一般の者が目指すには、それなりの精神鍛練が要りような“特別なもの”なので。修行について行けなくなっての脱落者が、何をやっても中途半端が続いて、結果として野盗のような身に落ちぶれるという顛末も、人によってはあるのかも知れないが、
“ああまで見事な咒を操れる者が脱落者というのは解せないし、そうであるというならば、それこそ奇跡を武器に人々を脅かして過ごせば、遊んで暮らせもしようにな。”
 自分らに逆らえば、大地の精霊が黙ってはいないだとか触れ込むもよし、直接の暴力の一端として振るって見せても効果は覿面
てきめんだったろう。なのに…何故また、王宮などという途轍もなく大きな勢力の大本営へ、真っ向からの突撃ではないにせよ、露見して捕らえられたならまずはただでは済まないような、危険極まりないほどの喧嘩を売るような真似を、わざわざしでかしたのだろうか?
“口の利きようなんかも、結構堂に入ってたしな。”
 落ちぶれ果てた者という雰囲気ではなかったような。むしろ、気位の高そうな、傲岸さに満ちあふれていた態度や気概ではなかったか。
“先の乱の生き残りか死に損ないが、何か遺恨あってのクーデターでも起こそうと構えているのだろうか?”
 それこそセナ殿下が意気消沈してまで案じていたことに相違なく、だが。そんな気配はどこにも聞いたことがない。今は国中が再建復興へと忙しく、まれに無頼の者共が、内乱の最中のような好き勝手が出来なくなったからと暴れているとかいう噂を聞きもするが、それぞれの地方に配置された治安維持のための警邏部署がきちんと機能していると聞くし、たとえ…考えたくはないがそういう輩と裏取引をしての結託や癒着によっての暴れ者が出たとしても、
“それがどうして、現在の王制を打倒したいかのような、無謀な大喧嘩を売って来るかね。”
 ある意味で王政下の役人との結託で利を得ているものが、その王政を引っ繰り返すだなんてまるきりの本末転倒だからで、そこのところの辻褄がどうにも合わないなと、内心でひとしきり唸っていたところへ、

  「? 何だ?」

 ふと。その蛭魔が怪訝そうな声を出した。他の面々には何も聞こえないので、これは多分、彼にだけ聞こえる声だか気配だかが呼びかけているのだろう。
「ったく、お使いくらい一人でこなせってんだよ。」
 毒づくのはお約束のようなもの。心から“忌ま忌ましい”とか“面倒な奴だ”とか、いちいち思ってはいない彼だろうにと、ここに居合わせた面々にはとうに判っているのにね。それでもこんな振る舞いをするあたり、もはや義務のように、自分は乱暴者でいないといけないと思ってでもいるかのようにも受け取れる。そうこうする内にも、
「ちょっと行ってくる。」
 話を聞くだけでは埒が明かないらしくって。そんな短い一言だけを残し、金髪痩躯に黒づくめ、どこの司令官閣下ですかという気魄を一緒にまとったような道着姿の彼が、あっと言う間に中空へ、その肢体をのまれていった。恐らく、彼へと声を届けて来たのは進を迎えに出た桜庭だろう。素早く動いたのは、大したことではないと。要らぬ余波を生じさせぬためだったらしいのだが、

  “…進さんに何かあったのでしょうか?”

 あの、短気で乱暴者で通っている蛭魔が、そんな評とは裏腹、唯一 気を遣って差し上げている相手でもあるセナ様は、しっかりと不安な感触を覚えたらしくって。尚のこと胸が締めつけられたような気がして、その表情を心許なくも曇らせてしまったのでありました。





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  *お待たせしました。
   何だかどうも、書いても書いても鳧がつかない、困ったお話でございまして。
   やっぱりきっと、余計な無駄話が多いからなんでしょうねと思いはするのですけれど、
   そういうのもある意味でないがしろに出来なかったりしますので、
   故意の遅延行為ではないということだけは、どうか御納得いただけますように。