遥かなる君の声
J
     〜なんちゃってファンタジー“鳥籠の少年”続編
 

 

          
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 今朝からずっとの次々に、その身へと襲い来た事象から受けた只ならぬ疲弊とそれから…尋常ならざる大きな不安。そんな中で葉柱がそっと唱えた“回復の咒”は、凄まじいまでの動揺にもみくちゃにされていた心が臨界を迎えたタイミングへ、ここへと飛び込んでおいでと温かで柔らかな寝間を眼前へ開いてやったようなもの。葉柱への信頼も勿論あっての上で、その緊張をやっとのことほどいたらしく。ことりと寝ついてしまった小さな公主様の小さな肢体を、その少し長い腕へと安定よく抱え直して。
“………何と言ってやりゃあ良いやらだよな。”
 葉柱は思わずのこと、やるせない溜息を一つついた。若木のように撓やかな、小さな小さな皇子様の体は、何とも頼りない、まるで子供のように儚げな重みしかなくて。だからこそ、うっかりすると取り落としそうで、はたまた潰してしまいそうで。どちらかと言えば大雑把で乱暴なところの多々ある自分には、ある意味十分におっかない存在だが、見下ろしたお顔は何とも言えず愛らしく…そして寂しげで。
“………。”
 ここ王城キングダムの、先王の血統を継ぐ皇子様なのに。そしてそして、陽白の眷属、世界中の光を統べるとされている公主様なのに。いつもどこかで遠慮気味な瞳をしている子だと、すぐにも気づいた葉柱であり。おどおどと怖がっての腰の引けた遠慮ではなく、だが…身の置き所に困っているような、そんな顔になることが時々ある。少なからずな知己たちに囲まれて、日々を楽しげに過ごしているとは言いながら、思えば彼には心許せるほどの近しい身寄りはないに等しい環境下でもあるような。それぞれがそれぞれなり、個性も強くて自信の塊りという観のある咒の先生方と、気は利くのだが万全すぎて、選りにも選って王子の側から尊敬してしまっているらしい近衛連隊長さん。一応は血縁関係にあり、家族も同然と屈託なく接しておいでの国王陛下と皇太后様は、食事やその後の談話には席を同じにするものの、例の内乱の後始末も多少は残っており、様々な政務にそりゃあもうもうお忙しい身だし。そんな方々の他というと…あとは身の回りのお世話をしてくれる傍仕えの侍女たちくらいのもの、と来て。前者の方々は王子の身に付いてのこと、隈無くご存知ではあるのだが、甘えたり懐いたりなどというものは何とも構えにくい方々だし。陛下とそのお母様は、出来ることなら政務の間近にいらしてほしいと、一緒にこの国を守り立ててゆきましょうよと、そっちへ話が向きそうな闊達な方々なので、これへはセナ様の側からさりげなくも一線引いてらっしゃるらしくって。
“もう少しほど自信を持てば良いだけのことなのかもしれないが…。”
 そんな…微妙な孤独の中にあって、あの武骨なばかりな寡黙な護衛官殿は。この彼にとっては唯一と言っても過言ではないほどに、心許せる、頼れる存在だったに違いなく。まだどこか、そう、向かい合って接するための距離は多少あったのだろうけれど。それでも…いつも傍らにとその存在を自然と求める、居なければ見つけるまで視線が探す、そんな人ではなかったか。
“こんな追跡、どれほど危険かってことも、知らなかった訳じゃなかろうしな。”
 その無謀を叱りはしたが、彼にしても我を忘れての暴走だったのだろう。こちらの姿の惨状を見て、自分はともかく葉柱にまで危険なことへと付き合わせたと、一気に肩から力が抜けて、反省の構えに入ってしまった王子だったから。ちゃんと知っていて分かっていて、それでも。追いたかった、追いすがって取り戻したかった愛しい人。あの騎士自身の素地では残念ながら歯が立たない種類の、咒をもっての略取や拉致であるのなら尚更に、それへと抵抗出来た自分のこの手で救い出し、是が非でも取り戻したかった。その頼もしき両腕
かいなという安寧の中へ、息が詰まるほどにも抱き締められたかったのだろうに。
「………〜さん。」
 小さな小さな声が、誰かの名を呼ぶ。頬の縁へ伏せられた睫毛の陰に、出来のいい玻璃玉のように透き通った涙が滲んでいる。夢の中でも、彼の背中を追っているセナなのか。だとしたら、こんなにも切ない声もなかろうと、唇を咬んでしばし立ち尽くしていると、

  「…お?」
  「兄貴じゃないっすか!」

 誰が“兄貴”だと、意外な声掛けへ怪訝に感じる前に…素晴らしいほどの反応で額の隅にぴききと青筋が立つ葉柱で。こちとら繊細な機微に触れ、いかんともし難い現状へ、胸の奥をきゅうきゅうと、切ないまでの微力でつねり上げられていたところなのに。
「あ、やっぱり兄貴だ。」
「どうかしたんですか? その子は? 迷子っすか?」
 ムードもへったくれもない騒がしい“現実”が、それは気安く“がやがや・わさわさ・どやどや”と馴れ馴れしくも寄って来たもんだから。ああ俺ってすっかり庶民だなぁなんて。葉柱さん、今度は別の意味合いからの溜息をついてしまっております。というのが、彼の姿を見て足早に寄って来たのは、ほんのついさっきの今朝方、引ったくりを追ってた一件で縁が出来た、下町のごろつきの若い衆たち数人で。………何で導師様が“兄貴”なんでしょうか? あれからまだ着替えてもない、道着姿のままなのにね。
“知るかよ、俺が。”
 冗談抜きに、ご本人様には全く覚えがなかったらしいが。どうやら…初見の場で彼が見せた、大勢を相手にしても動じもしなかったその度胸や腕っ節へ、リーダーのみならず他の皆さんたちからも慕われてしまったお兄さんであるらしいです。蛭魔さんたちへの説明では はしょっていたわね、そこんとこ。
(苦笑) 性根ごとどうしようもないほど悪い連中ではなかったらしいが、それにしたって今は場合が場合だ。なさぬ想いに身を切られるような心地でいた、気の毒な王子様の“切ない”という崇高な想いをせめて守ってやろうと、その身をマントでくるみ込んでやりながら、
「何でもねぇよ。」
 あらあら。俺って庶民なんだなぁと溜息ついて否定したがってた割に、口利きのぞんざいさはすっかり馴染んでて。不自然さなんて欠片もないじゃあありませんか。言葉少なではあったれど、構ってくれるなとばかり、つれなく袖にされたというのは伝わったのか、
「そんな、素っ気なくしないで下さいよう。」
「もうご迷惑はおかけしませんし。」
「そうそう。それに、俺ら、兄貴のためなら何だってしますから。」
 だから、嫌わないで下さいようと懐かれて、
「あのな…。」
 げんなりと閉口しかかったものの。見回した若い衆たちは、どの子も妙に真摯なお顔をしているものだから、
“う〜〜〜ん。”
 ちょいと…それどころじゃないというか、彼らの日常生活からは恐らくは基準とかレベルの段違いなそれだろう“只ならない事態の渦中”にいた身なもんだから。ついつい一線を引いての邪険な態度を見せてしまったが、
“なんか俺が一方的に苛めてるみたいじゃないかよ。”
 そもそも彼らとは…あんなことがあった割に、別に後腐れが残るような別れ方をした訳じゃあない。暇と若さと意欲を持て余してた、どんな町にでもいそうなちょっとばかりやんちゃな連中で。しかも、さすがはモラルのレベルが高い王城キングダムと、ここで言って良いのかどうなのか。人道に外れた馬鹿なこと、誇りのないよな愚行は、仲間うちからも弾かれるという。クールなんだかホットなんだか、正義なんてもんは口にするのも小っ恥ずかしいが、仁義は大事にしたいとする連中でもあるらしく。
“せいぜい“青年団崩れ”ってところなんだろな。”
 あんまり袖にするのも気の毒かもななんて、さっそく情にほだされてしまっている、それどころじゃなかった筈の葉柱さんで。
「ホントに何でもないんだ。」
 口調を改め、ついでに態度も幾分か和らげて、
「この子は、その…急に具合が悪くなったんで、今から家まで送ってくところでな。」
 嘘はついていない。ただ、家というのが“お城”なだけ。だから急いでいるんだと、言葉を繋ごうとしかかると、
「あ、それじゃあ俺、馬車を呼んで来ましょう。」
「そこいらの辻の小汚いのじゃダメだぞ。こっちの坊っちゃんも、綺麗なべべを着てなさる。」
 べべ…。歴史ある町の不良さんは、言葉遣いも違うんだねぇ。次空転移なんて方法で飛び出して来た自分たちなので、そういや此処が城下のどこなんだかが判らない。なので、馬車は助かるなと感じて逆らわず、了解と頷いた2人ほどが離れて行ったのを視線だけで見送っていると、
「べべと言やあ、兄貴のその格好はどうなされた。」
「そうだよ、それも気になってた。」
 彼らと一戦構えた時から、さして時間は経ってもいない。だってのに、同じ道着が随分とくたびれており、袖の二の腕辺りが裂けかかっていたり、裾の長い上着やマントなぞはその裾がささくれているほどの惨状ぶり。まるで刃の嵐の中をくぐり抜けて来たような有り様なもんだから、
「まさか、その和子様を助け出すのに難儀をなさったとか。」
「兄貴ってば、なんて働き者な導師様なんだ。」
 働き者…。正義の味方とか義に厚い人だとか、他に言いようはなかったんだろか。
「あんなお強い兄貴がこうまでやられるなんて。俺らレベルのチンピラじゃあないぞ、きっと。」
「ああ。何か組織だってるような奴らに違いない。」
「それか、怪しい拳法家くずれとか。」
 何やら相談し合ってる皆様へ、
「ああ、こらこら。」
 いやな予感があって声をかければ、
「兄貴の敵は俺らの敵だっ!」
「おうっ!」
「………待たんか、こら。」
 まさかと思ったその通り、兄貴の敵は俺らの敵だ、草の根分けてでも捜し出してボコってやるという方向に向きそうな気配。葉柱が慌てて制すような声をかけたものの、
「でも、兄貴。」
 だから“兄貴”は辞めろ。
「そいつらって、俺らの大切な兄貴をそんな目に遭わせた奴なんでしょう?」
 いつの間に“大切な”にされてるんだろか。
「そんな小さな、弱々しそうな坊っちゃんを攫うかどうかしかかったんでしょう?」
 いや、だからあのね? そんな理不尽さへ義憤の心が沸き立ってどうにも黙ってらんないと、一斉にいきり立ってしまっているのは判るけど。もっと別のことで…自分たちが“堅気な働き者”になるっていう無難な方向で意気が揚がってくんないかしらと、またぞろ困った困ったと眉尻を下げかけた葉柱が、

  “………ん?”

 ふと。そんな彼らの向こうに、何かしら異質の香を感じ取った。生気に満ち満ちた、純朴そうな気配が色濃く立ったから、その対比で目立ったような。白地に白いパステルでこっそりと描いてあったものが、青い絵の具を上から塗られて弾き出されてしまったかのような。そんな違和感が一瞬だけ嗅ぎとれたから、
「…ちょっと退いてくれ。」
 真摯な鋭い目線ひとつで、前に立ってた若いのを左右に退かし、セナを抱えたままでそちらへと向かう。街角の石畳の一角。一か所ほど、何物かの気配が残っている。唐突に現れたもの、どこからという連なりを全く持ってはいない代物であり、だからこそ大いに怪しくて。
「どうかしたんですか、兄貴。」
「いや…。」
 確かに“気配”の残り香はするが、それだけだってのがまた歯痒い。此処からどこかへ、また消えているからで。
「そこに何かあるんすか?」
「落とし物ですか? 兄貴。」
 ただ黙りこくって、何もない石畳の路上を翡翠の眸で睨みつけている葉柱へ、若い衆たちがどうしたのだと声をかけたが、そんな中、

  「そこにだったら、今朝方のずっと、妙な馬車が停まってましたよ?」

 背の高い面々の中、姿の埋まった誰ぞの声だけがした。はっとして顔を上げた葉柱だったので、これは導師様が求めておられる情報だとばかり、声を発した青年の前を開ける。そこにいたのは毛糸編みの登山帽をかぶった、ちょっぴり童顔の青年で、
「ロニ、そりゃあホントか?」
「ああ…じゃねぇ、はいっ。」
 この一団の中では兄貴格らしいのに訊かれて、その青年が姿勢を正し、
「ここいらには市場への荷馬車も滅多に通らねぇってのに、今朝はそれが堂々と停まってたんで。此処を抜け道にして広場に行く時に妙に目に入ったんですよ。」
 そうと語った青年は、腰に銀のクロスの飾り鎖を提げており、こんな一団に身をおいて世を拗ねてる振りをしつつも、
“実は…年寄りからの言いつけを守ってとかで、多少は信心深いのだろうな。”
 だから。念を押さえる何かを使っていた筈の馬車に、なのに違和感を覚えて意識が留まったのかも。
「真っ黒な馬を二頭つないだ飾りっ気のない馬車で、随分と早くからずっとずっと停まってて。御者台に座ってた爺さんがまた、じっと動かないもんだから、人形かなと思ったくらいで。」
 不躾に眺めていたら、その爺さんにぎろりと睨まれたので、ああやっぱ本物かとゾッとしながら離れたけれど。そのまま広場に行ったんで、その後のことは知りませんと、済まなさそうに頭を下げて、
「そこへ、頭を向こうへ向けて停まってました。」
 通りの奥向きを指さしての説明へ、葉柱は成程なと何をか確信した模様。
“念の存在や痕跡を遮蔽するような、そんな細工のある馬車だろうな。”
 特殊な祈りや念を塗り込めた素材で囲った馬車。それへと乗り込んで、自分たちの気配を共鳴で曖昧に消したか吸収させたか。どっちにしたって追っ手があろうと踏んでの何とも周到な手配には違いなく。咒や魔法という不可思議なものが、戦いに使われもした大陸だっただけに、大昔の、もう伝説になっているような時代、所謂“群雄割拠”状態にあった頃にはそういったものも開発されたとか聞いたことがあったけれど。今や物理的な武器の発達や戦力の研究も進んだため、邪妖悪霊が相手ならともかくも“対人戦”にそんなものを繰り出す必要はなくなっており、邪悪な負力を祓うための装備品や衣装に使うくらいの、極めて簡易なものしか出回ってはいない筈。
“一番自信がある武力だから、駆使している…ってとこか?”
 こちらもそういった咒の使い手だからか、そんな態度がまるで…彼らの能力の優勢を意図せずして誇示する行為のようにも思えて、いっそ憎々しい限りであり、
“だが…どうして?”
 状況的なものは拾えても、相手の正体やその行動が意図するものまでへは手が届かない。強い咒の使い手という括りだけで、皇子を襲った輩とこちらの手合いとを一緒くたにしても良いものかさえ、今の自分には断じられずで。こちらへと近づきつつある馬車の轍の音を、その怪しい馬車のものとついつい重ねて顔を上げた葉柱の腕の中。今だけは何もかも忘れて昏々と眠るセナ皇子の幼いお顔が、稚いばかりなものの筈が…何とも痛々しいもののように見えたのだった。







            ◇



 奇しくも先に出掛けていた魔導師様たちと同じように、瞬間移動で飛び出したものが歩いて…というか、馬車に乗って戻って来た葉柱であり。騎士様は一緒ではなかったが、セナの身だけであれ無事に確保出来ただけでも幸いと、眠ったままの皇子様を寝室へと運び、彼のベッドへと寝かしつけて、さて。

  「温室から逃げ去った連中と、同じ関係者、か。」

 蛭魔、桜庭、葉柱という3人の導師たちと、近衛連隊長の高見という4人が、今朝方から一気に勃発した、この王宮を、いやさ、陽白の眷属“光の公主”とその護衛官を襲った物騒極まりない一連の騒動を検討してみることと相なった。進ほどの剣の使い手ともなれば、セナの護衛官となる以前のこととして、戦の最中に負った逆恨みやら遺恨とやらも、少なくはないものとして抱えているやも知れないが。今回のはそういうちょっとしたいざこざ絡みのこととは到底思えない。戻ったばかりの葉柱が、自分の得て来た情報を彼らに伝え、同じ時刻に同時に起こったということのみならず、怪しい連中による異様な方法での拉致と逃亡という共通点をもってしても、何らかの連携を持っていた同じ組織体の者共によるものと、そうとしか思えない2つの事件であろう…との結論は出たが、
「セナ皇子を連れ去ろうと狙ってた面子に利用された進なのかな?」
 桜庭がそんな風に呟いた。
「利用ってのは、人質って意味か?」
「っていうか、邪魔だから退けたというか。」
 何と言っても、王城キングダムが誇る今世最強の“白き騎士”だ。それは周到に王宮の奥の院の温室へと忍び込んだ一味だったのだから、セナの傍らには常に彼がいることだってきっちり調査済みだった筈で、手ごわい障害物と見なして前以て遠ざけていたという手管だったのかもと踏んだ桜庭であったらしいが、
「それはちょっと考えにくいな。」
 確かめるように重ね聞いた蛭魔が、確かめた上であっさりと否定する。
「なんで?」
「だから。考えてもみな。セナの傍らにいられては手ごわいから外出させたのなら、そういう手ごわい奴を何でまたわざわざ連れ去ったんだ。」
 手を焼くだろうからと遠ざけるために、余程のことでもなければセナからは離れない進を“余程のこと”を何とか設けて外出させたらしい一味であったとして。それほど厄介な人物に、何でまたわざわざ出先で接近しているのか。それでは話の辻褄が合わないと言いたい蛭魔であるらしく、
「例えば奇襲が失敗した場合のことを考えた“人質”にしようとしたんだとしても、だ。あいつは“人質”には向かねぇよ。まんまと連れ去った先、自分たちの塒
アジトで結局は手を焼かされるだろからな。再襲撃するつもりがあって、やはり進が邪魔だってんなら、その場で叩き伏せるとか、敵わないまでも何とか一矢報いてしばらくは起き上がれない程度の怪我を負わせるとか、そういう格好でハンデつけといて置き去りにした方がまだマシだ。」
 つまり、
「凄腕を警戒してのこと、もしくはセナへの楯にしようとしてのこと…にしては、首尾一貫してないというか、手際の辻褄が合ってないんだよ。」
 セナへの襲撃であれほど鮮やかな手並みを見せた賊が、そんな中途半端なことを考えるなんてお粗末すぎる。
「辻褄が合わないと言えば。あの師範の家って処もサ。何だか妙な家だったと思わなかった? 誰も住まわなくなって相当経ってたよ?」
「…ああ。」
 だが。あの、折り目正しい性分の進が、この国で最も世話になった人物であり、ともすれば唯一の家族のような人へ、例えば“時候の挨拶”などなどという世間並みの礼儀を欠かすとも思えず、
「今日にしたって、わざわざ高見やセナに断ってまで、届けものとやらを持ってこうとしたんだ。不在だと思っていたとは思えんのだがな。」
 内乱という混乱に揉みくちゃにされていたのは2年前まで。結構広範囲に及んだ混乱は、一気に沈静化させられるものではなかったが、それでも徐々に国内も落ち着いていたし、王宮へと戻っていた彼だったのだから、城下に住まう師範とはすぐにも連絡だって取り合えたろうに。
「でも、現に寂れていたし、妙な結界の痕跡もあったよ?」
 その結界というのが、進へも及んでいたということか? 恩ある師範が、されど長く不在な現状を、あの進が少しも不審だと思わないような種類の封印が、そこにはかけてあったというのだろうか。
「そうまで長きに渡っての咒を、か?」
 その間には、国家を揺さぶるほどの…闇と混乱に紛れて負界の邪妖たちが跋扈したほどの、そりゃあ大きな内乱までが勃発したというのに。そんな動揺にさえも打ち勝つほど強靭な封印をかけることが出来た師匠って、
「…一般の武道家なのか? それ。」
 葉柱が怪訝そうな表情で眉を顰め、高見が“いや、咒や何やの心得があったとかそんな話は聞いていませんが”とかぶりを振って、
「その辺には、咒がどうのこうのってことよりも、別の事情があるんじゃないの?」
 だって進って、表向きは修行のためとか言われてたものの、事実上“放逐”されてたんだし。自分との関わりがあるということが迷惑をかけるかもとか思って、連絡さえ取ってなかったということだってあるんじゃないの?
「だが、今日はその相手を訪れようとしていたのだぞ?」
 しかも、クドイようだが、高見へその旨をちゃんと告げてのこと。ということは、自分の意志から思い立った行動に外ならないのでは?
「う…ん。そうなんだよね。」
 噛み合わないものが一杯の、何だかどこかが妙な雲行き。自分たちへは虫食いになっている、事情が判らないままな所が多すぎて、それで“一連の”としつつも繋がりの部分がどうにも曖昧になっているのだが、
「連中がセナくんを狙ってたことに間違いはないよ?」
「ああ。」
 それは判ってる。わざわざ城の中という奥の院まで侵入して来たほどに、セナを“光の公主”と呼んだほどに、狙いをセナへと定めていた彼ら。負界の住人である邪妖のように、陽白の眷属を忌み嫌って襲い掛かって来たのではなく、連れ去ろうとした輩たちであり、

  「だが、こっちの…進を掻っ攫ってった方の顛末は、
   それの“ついで”にって構えられたもんじゃあないような気がする。」

 そちらはそちらで、進をこそターゲットとしての襲撃だったということか?
「じゃあサ…進が城下へ、その師範とやらの家へ足を向けたっていう経緯からして、なんか怪しいってことになるんじゃないの?」
「う〜ん。」
 彼が師範を訪ねるという運びは、どうも今朝方になってから突然にそうすることとなった事態なようであり。
「そう、ですね。例えば前日に判っていたことだったなら、前日の内に連絡してくれる彼な筈です。」
 繊細な機微には疎そうだが、決まりごととか規律あるものへの段取りだとか、そういうものへの“折り目”は理解出来るし大切だと思ってもいるような彼であり。
「誰かが働きかけたんじゃないの? それこそ、高見が不意を突かれた不思議な赤い目みたいな“呪縛の咒”とかでさ。」
 力ずくでは太刀打ち出来ない剛の者でも、その集中力を研ぎ澄ますために精神修養を積んでいたとしても。そうそう始終から緊張感に身を引き締めてばかりもいないだろうし、導師ほどもの感応力も持ってはいまい。強力な暗示や催眠というものの使い手は、瞬時の隙さえ見逃さないで付け込めるというから、
「例えば、何かしらに気を緩めた瞬間に、ここぞと勢いをつけての咒をかけられれば。あの集中力の鬼だって、呑まれてしまうこともあるのかも知れん。」
 どういう信頼をされているかですね、進さんて。
(う〜ん)

  「で? 一体どんなタイミングで、あの進が気を緩めるのサ。」
  「セナ様から離れている間なら判りませんよ?」
  「というと、夜中か早朝。」
  「そういえば、剣の鍛練の手合わせの時も、どこか覚束無い様子でいましたしね。」


   「……………。」×@


 色々と考えあぐねていた面々の視線が留まったのが、卓の上に忘れ去られていた鹿革の袋嚢。これを届けにと城下へ出た進であり、なのに…掻っ払いに遭っても追わなかったという、彼には何とも無様な真似をしたらしいという、問題のある品であり、
「事態が事態なんだ、開けても良いんじゃないか?」
 そうと言い出した桜庭の声が終わらぬうちという手早さで、蛭魔が手を伸ばし、
「別に…何らかの咒をかけたような跡もないんだが。」
 くるくると巻かれてあった、やはり革の紐を、守り刀でぶつりと断ち切る。布より頑丈だが、箱よりは携帯しやすい。そんな包みに過ぎない筈が、だが、
「………凄いな、よくもまあ割れずにいた。」
 大きく口を開いてから覗いた中身へ、蛭魔がそんな風な言いようをし、無造作に手を突っ込むとごそごそと取り出そうとする。大きさが嚢とあまり違わないからか、隅がぴったりフィットしていて、なかなか出しにくそうだったけれど、

  「………っ!」

 不意に。蛭魔があらためて何かを見つけたような顔になり、その手をもっと奥へと押し込んだ。随分と急いだ手際になったので、何かしら意味のあるものを見つけたらしく、
「これだっ。」
 摘まみ出したそのまま、ピンッと指先で弾いて、器用にも向かいにいた桜庭の手元へと飛ばして見せる。細い目の金属の筒で、上下には浮き彫り飾りの施された栓が嵌まっており、
「これって…書簡入れの封管じゃない?」
 証文や証書、はたまた、下々へと発布される法、上意を伝える伝令書など、重要な書類を保管したりどこかへ届ける時などに、中を部外者が勝手に見ることの適わぬよう、厳重な封をするのに用いられる管のこと。単に封紙や封蝋が貼られるだけなので、さして怪力でなくとも物理的には開けられるが、その封が切られていれば、誰かが覗き見たことにされ、物によっては厳しい罰が下される…という仕組み。
「よ〜く見てみな。開封されたから威力こそ薄まってるが、咒の匂いがプンプンする。」
「…ホントだ。」
 この中には書簡ではなく何らかの暗示の咒が収められていたらしく、
「それを…進が開封して浴びちゃったってこと?」
「だろうよ。あの集中力の塊が、人の気配を見落とす筈はねぇからな。」
 えらく省略された言いようをした蛭魔だったが、つまり…誰かが何処からか隙を見澄ましての咒をかけようと構えていても、そう運ぶ前に“何奴か!”とばかり、不審者として進に取っ捕まる方が先だろう。そんな訳で人が直接接近しての咒は無理だが、こんな格好で無機物に込められていたなら、導師としての心得がない進には…これはもう避けようがない。
「で、そんな暗示を浴びた身で、これを何処かへ…師範の家とやらへ持って行こうとして出掛けた訳だ。」
 続いて蛭魔が引っ張り出したのは、鼓のような形の…結構大きな砂時計だ。真ん中がくびれていてそこを境に上と下、細かい砂を落とすことで時間を計るというシンプルなもの。よくも割れてないと感心したのはガラス製だったからで、枠は堅そうな木製。上下の底の部分には、装飾をかねての同じ模様が彫られてある。丸っこい図案のそれはちょっと珍しい意匠をしていて。家紋や紋章にも何処か似ており、袋に刻印されたものとは明らかに違う図柄であったが、
「この紋章は…。」
 葉柱がその視線を奪われている。覚えがあるのか、しきりと首を捻っていたが、そうそう身近な記憶でもないのだろう。随分と時間が掛かっており、
「……………あ、思い出した。」
 やがて、ポンと大きな手を叩く。
「今回は大活躍だな、お前。」
「うっせぇーな。昔滅びた一族って格好で、御伽話や逸話ん中に良く出て来たんだよ。」
 さすがは…古代から続くという隠れ里の一族の末裔さんであることよ。
「確か“炎獄の民”っていう一族の紋章だ。」
 色々なお話を聞かせてくれた乳母が見せてくれた本はあいにくと子供用の絵本ではなかったものの、お話に沿ったものとして戦いの絵なんかも載っており。そうそうリアルではない挿絵の、単調な線で描かれた同じような顔の戦士たちを、衣装の胸元に描いた紋章で敵と味方に分けていた。
「陽白の一族に関わりが深かったんだが、何が原因か、一遍に滅んでしまったって聞いてるぞ?」
 だが、よほどに雄々しくも手柄が多かった民なのか、彼らの出てくる逸話は多かったようにも記憶していると彼は続け、
「元を辿れば“炎獄の民”の血を引く勇者だとか、あの“炎獄の民”から手ほどきを受けた猛者だったとか、そういう描写が当たり前のように頻繁に他の話にも出て来てた。」
「戦士たちの一族ってことか。」
 その師範とやらの持ち物だったというのなら、そういう一族の血統を継いでた人だったということだろうか。妙な存在が飛び出して来たなと怪訝そうな表情になった蛭魔へ、
「………進も、外の大陸からの難民だって言ってたよね?」
 桜庭が、その砂時計を卓の上で起こして見せる。半分ずつくらいの中途半端に双方の空間へ分かれていた砂が、上から下という方向を与えられ、さらさらと音もなく落ち始めた。まるで、その落下移動によって謎が解かれてゆくかのようで、
「それって…。」
 信じがたいと言葉を途切れさせた高見に代わり、
「滅んだか滅ぼされたかした、その“炎獄の民”たらいう一族の生き残りがどっかへ逃れて子孫を残した。その末裔が関わってるって事かもな。」
 すっぱりと言ってのけた蛭魔だったが、進はと限って訊いたのを躱されたような気がして、
「師範と進は? 関係者には違いないんじゃない?」
 桜庭が重ねて訊くと、
「微妙なトコだな。」
 金髪痩躯の魔導師様、細い肩をすくめて見せる。
「師範の方は、その砂時計の持ち主だと思われるから、関係者だって可能性も高かろうが、進の方はな。」
 彼の方は、一緒に梱包されてた書簡封管に込められてあった、怪しげな咒にたぶらかされただけに違いなく、
「その師範のあくまでも“養子”だってことだし、剣を交えた上で連れ去られたんだろ? 危害を加えられてるし、何より“略取”ってことは、本人の本意から同行したって訳じゃあないってことになる。」
「それに。その襲撃犯たちにしても“炎獄の民”なのか、それともそいつらを滅ぼしたっていう“敵対者”なのかも判っちゃいねぇ。」
 と、これは葉柱の言いようであり。だからこそセナの力がいるのかも知れない…というほどに、まだまだ幾らでも“仮説”が立てられる段階だ。そのくらいに、これらはあくまでも“見立て”であって、まだまだ完全な答えではない。悲しみの中、今は現実から遠いところで眠っている小さな王子様のためにも、そうまで悲しいことばかりを確定事項として並べてやりたくはなかった彼なのだろう。何とか…相手の陰くらいは見えて来たものの、それにしたって、
「…歯痒いねぇ。」
 まだまだ材料が少なく、曖昧すぎて何とも出来ないのが苛立たしい。こちらには何の覚えもない襲撃であり、相手の周到さが勝っているのは仕方がないことだが、
“防ぎようがなかったにしたって…。”
 こんだけの面子が揃っていながらと思えば、悔しいの歯痒いのというより以前に、何と恐ろしい相手だろうかという得も言われぬ不気味さも感じられ、

  「こりゃあ余程のこと気を引きしめてかからんと、今度こそ持ってかれるぞ。」

 蛭魔がそんな物騒なことを口にする。そう。これにだけは目を瞑ってはいけない置き土産が1つある。警戒の厳しい王宮内の深部まで、咒への警戒までもを計算に入れて入り込んだほどの計画を、そうそう簡単に頓挫させるとも思えないから、
「連中は“光の公主”に用向きがあるんだろうからな。殺しにであれ攫いにであれ、また来ると踏んでいい。」
 そう簡単に思い通りにはさせんがなと、尖った牙を剥き出しにして にんまり笑い、苦々しい表情を強引に塗り潰した黒魔導師殿であった。












←BACKTOPNEXT→***


  *何とかこっち側の全員の“情報”が均等に均されたってところでしょうか。
   まだまだ先は長いです。
   ううう、何でこんなお話を選んだんだろ。
   後先考えないんだから、もう。