遥かなる君の声
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     〜なんちゃってファンタジー“鳥籠の少年”続編
 

 

          




 毎日の日課である“咒のお勉強・朝の部”が終わると、これもまた日課になってしまっていること、内宮の中庭にある温室へと向かって、大好きな“お友達”と遊ぶセナ様であり、いつもなら影のように必ずお傍に付いている護衛官の進さんに代わって、その彼から代理を頼まれたという高見さんが護衛にと付いて下さっている。ある意味で近衛連隊長様ともあろうお方が直々に就かれるようなお仕事ではなく、進から直接その旨を説明された時はそれはそれは恐縮してしまった、小さな王子様だったが、
『何を仰有いますか。』
 まずは、セナが王族であり“光の公主”という奇跡の存在でもあられ、どうかすれば一個師団でお守りしてもいいくらいの尊い人物であることを説明してセナを“あわわ/////”と慌てさせ。それからそれから、そんな大変な重責をたった一人で担う進の代理が、自分のような者ではむしろ申し訳ないくらいですよと言って、今度は進をギョッとさせたお茶目な人であり、人当たりは優しく柔和なのだが、聡明でたいそう鋭い方でもいらっしゃる。
「そういえば、そろそろ葉柱さんもアケメネイへお帰りになるのでしょうね。」
 いつものように、大振りの葉を広げる観葉植物の木陰にて、ドウナガリクオオトカゲのカメちゃんをお膝に抱えてやり、前脚をそっと持って“せっせっせ♪”などして遊んでおられるセナ様を、微笑ましいことと見守っていらした高見さんだったが、そのカメちゃんを見ていて自然なこととして想起なさったことを、ふと、口になさり、
「はい…。」
 セナとて そこまでぼんやりさんではなく、大好きなカメちゃんを連れ帰ってしまわれることにも通じるお話なだけに、覚悟というのか、予感というのか、そろそろ話題に出るのではなかろうかと、内心でドキドキしてもいた。これまたセナの咒の先生で、主に結界封印の呪文を得意となさっている葉柱さんの一族の方々が住まう、聖地アケメネイ。泥門の奥地にあって、それはそれは峻烈な、人をも寄せない山岳地帯にあるその隠れ里から、下界へ行き来するための唯一の手段が、このカメちゃんこと“スノウ・ハミング”という聖なる鳥なのだそうで。いまはオオサンショウウオ・乾地タイプといった風貌の
(こらこら) のっぺりのたりとした姿をした彼だが、実は実は。長い尾羽根もそれは優美で、目映いばかりの無垢な羽毛に包まれた、首も長い脚もすらりとした、鶴かフラミンゴかという細身の純白の鳥が真の姿。聖なる存在に仕え、少しでも穢れたものへと触れればその身が腐って死んでしまうとまで言われている幻の生き物であり。それがこんなまで別の生物へと変身出来ているのは、様々な人々がどっさりと生活し、その頭数だけ様々な思惑が雑多に渦巻く下界に降り立っては、その繊細さからパニックを起こし、どこかへ飛び去ってしまうかも知れない。そこでそうはならぬようにと、言わば外界からの雑音を防ぐ“防壁”としての封印をかけられているからだとか。ところが、その仮の姿にと選んだのが、このドウナガリクオオトカゲだったものだから、王城の厳冬の訪れと共に“冬眠状態”に入ってしまうという危機に見舞われた。トカゲの生態上のこととて、冬眠自体には問題はないのだが、そこまで深い睡眠状態に入ると封印がほどけて元の“スノウ・ハミング”へと戻ってしまう。スノウ・ハミングは冬眠なぞしない鳥だから、ある程度の睡眠で充足し目が覚めるのだが、そうなると咒が働いてドウナガリクオオトカゲに戻るというややこしい事態となってしまい、いっそ春までこの温室にいなよということで決着したのが…先の秋の終わりの話。とはいえ、王城の長い長い冬もいくら何でもそろそろ終わりを告げており、
「…葉柱さんも、本意から居残って下さってる訳じゃあありませんものね。」
 一年もかけての旅の末、やっとのことでご自身のお役目を果たされた秋口に、ホントだったらそのまま故郷へ戻られるつもりでいらしたのにね。セナのお願いを聞いて下さっての、予定外の長逗留であり、よって“故郷へ戻る”と仰せになれば もうもう止める術はないよなもの。ちょっぴり元気がなくなってしまわれたセナ様に気づいてか、きゅう〜う?と小さな声を出して、気遣うようにお顔を上げたカメちゃんを、よしよしとそっと撫でてやる小さな公主様の消沈ぶりに、そこまで寂しいと思ってらしたとはと気後れしかかった高見さんだったが、
「アケメネイには確か、蛭魔殿もご一緒なさると聞いておりますが。」
 彼にとっても…本人は知らなかったらしいが生まれ故郷だそうなので、ご挨拶かたがた一度くらいは足を運んでおくつもりでいらっしゃるとのお話だった。それを思い出して持ち出された高見さん、
「こんなことを進言しては差し出がましいことですが、何でしたら蛭魔さんにお願いなさってはいかがですか?」
「お願い?」
 キョトンとするセナ様へ、にっこりと笑って見せて、
「はい。その子にかけられた封咒を解いていただいてから、改めてお友達として連れ帰ってほしいとです。」
「あ…。///////
 これまでに一度として思いも拠らなかったことなのか、そんな助言へ“ああ、そうかvv”と、弾けるような勢いでそのお顔が嬉しそうな笑みに塗り潰されかけたものの、
「…でも。」
 たちまちしょぼぼんと項垂れてしまう。
「カメちゃんは、本来の気性はとっても繊細で臆病な子だそうです。だから、咒をかけて自分へ集まる意識とか視線とかを薄めている状態にあると聞きました。」
 その咒を解いてしまった身では、人があふれる下界に再び降り立つのは不可能かもと、その点を思い出したセナであるらしいのだが、
「セナ様がお戻りになるという南の村はいかがですか?」
「…はい?」
 まもりさんから記憶を封印されて、自分の身の上をすっかりと忘れたまんまでセナが過ごしていた、ここから一番遠い南の果てにあるという寒村。随分と過疎化が進み、お年を召した方々が住民の大半を占め、それは純朴で穏やかな空気の満ちた、ただただのんびりとした田舎の小さな村だ。
「そこだったら、そんなにも…禍々しい邪心だの思惑だのが、そうそう渦巻いてはいないのではありませんか?」
 咒のお勉強の方も基本と応用までは身についたセナ様だから。そろそろレクチャーは切り上げて、本人が所望していたお里へ帰ってもいいのかもというお話が、家庭教師をなさっておいでの導師の皆様方の口にも上っていたことは高見さんへも伝わっており。そこでと助言して下さったアイディアなのだろう。
「あ…はいっ!」
 ああそうだったとセナも思い出す。身寄りのない小さな子供だった自分へ、皆さん本当に良くして下さって。畑の世話や山羊のミルク運び、隣り町への買い物や山での柴刈り、海での漁など、ホントだったら若くて元気なセナこそが頑張らなきゃいけないことへも、なかなか上手になれないのをにこにこと微笑って見守っていて下さって。
“マルガリータさんとか、お元気でおいでだろうか。”
 時々はね、お便りを出してもいるのだけれど、冬場はそれもなかなか侭ならなかったし。その気になれば…白魔法で移動出来る“旅の扉”を使って、1日だけとかいう“お里帰り”が出来なくもないのだけれど。そんなことをしたら、きっと自分はこのお城には戻れなくなるような気がしたの。だって皆さん、懐かしくて大好きな人たちだから。お手紙のお返事も、都会へ出た息子へのそれのように、ただただこちらの体のこととか案じて下さるばかりのものしか下さらないから、もしかして病に伏せっていらっしゃる方とかがおいでだったら? 心配し出すとキリがなく、せっかくのお便りも、読むといつだってその肩を落としてしまうセナだったものだから、その度に…傍にいた進さんには随分と気遣わせてしまったほど。
「そうですよね。あそこなら…。」
 何もこの王城城下が穢れに満ちているなんて言うのではないけれど、国で一番に人々の活気が満ちている場所なだけに、抱えている生気の勢いや種類だって雑多を極めてもいよう。それに比べれば、ひたすら穏やかだったあの村ならば、カメちゃんだって心静めて過ごせるのかも。
“わ〜〜〜vv ////////
 これは思わぬ連続技の畳み掛け。そうか、そうだった、そうすれば良いんだと、天啓のようなグッドアイディアを頂戴し、俄然 元気を取り戻してしまわれたセナ様で。やはりのっぺりとしたカメちゃんの平たい頭を、指先で撫でてやりながら、
「でも…そんな大切なことを人づてにお願いする訳には行きませんよね?」
 よね?と質問しておきながら、何となく…お顔はさっきのようにふしゅんと萎
しおれていないところを見ると、何やら彼の側でも思い立ったことがあるらしく。一体どんな事を思いつかれたのかを聞きたくて、和んだお顔のまま小さく首を傾げて高見さんが促して見せれば、

  「あのあの、ボクもアケメネイに ついてっちゃあ いけませんでしょうか?」
  「………あ。」

 あ、そっか、そうですよね。カメちゃんのこれからの身の置きどころを左右するようなことだけに、きっとセナ様には“カメちゃんをお嫁さんに下さい”ってほども大切なことに違いなく………。
(う〜んう〜ん。)
“そっか、そこまで思い入れておいでだったか。”
 あらあら、これは想定外。セナ様の行動までは自分の一存で決められないことと、高見さんとて答えに詰まり、
「そ・うですね。それに関しては、葉柱さんや蛭魔さんとも相談してから決めましょう。」
「はいっvv
 こんなにも嬉しそうなお顔をされるのであれば、あの黒魔導師さんとて折れざるを得ないことだろうと、今から苦笑が浮かんでしようがない高見さんだったのだけれども。


   ――― …っ!?


 ハッと。何をか感じ取られたらしく、それまでそれは穏やかに和ませておいでだった表情を瞬時にして堅く引き締め、
「殿下、その樹の陰へ。」
「あ、は、はいっ!」
 打って変わっての鋭い声による指示に込められた、ただならない緊張の色合い。それを嗅ぎ取ったセナが、カメちゃんを抱えたままで立ち上がり、言われた通り、傍らの大きな南国産の樹の幹の陰へと身を寄せる。天井こそクリアな厚手のガラスを二重にした“素通し状態”の温室だが、その側面は実のところ素通しではなく。積雪こそ毎日人力で排除していた内宮の中庭だったが、それでも極寒の地には違いなく。空気の層での防寒をと構えた二重構造は天井と同じだが、外側には…冬場だけ腰の高さまでの土の壁を設けてある。万が一にも雪が降り積もった場合に、ガラスが押し負けて割れないようにという対処だそうだが、
“だから…例え“温室”とはいえ、戸締まりは厳重になっている筈だのに。”
 此処が王宮の最も厳重に守られた内宮深部であるということから考慮して、警戒されること請け合いのカシャンという耳障りな音を立ててでも、入って来る者は入って来よう。そこまで乱暴な手合いでも、そうは簡単に破れない頑丈な作りの施設なのに、

  “複数の気配。”

 息をひそめる必要があると、少なくともそうと自覚している者たちが同じ空間内に何人かいる。庭師がそんなことをする必要はないのだし、雷門陛下や、その他、導師様方が悪戯心を起こされての隠れんぼうなら、自分が覚えているそれぞれ各人の気配が届くだろうにそれもない。
“外部からの侵入者だろうか?”
 だとしても。此処の唯一の出入り口である、空調制御の気密室につながるドアは一度たりとも開かなかったのに? 一体どこから入ったのだろうかと、ついつい案じてしまったが、それは後回しだとかぶりを振り、腰に提げた鞘から細身の剣を抜き放つ。背後に身を隠しておいでのセナ殿下が小さく吐息をつかれたのは、こちらの緊迫が届いてのことだろう。ああ、ごめんなさいです。こんな時に進がいれば、微塵にもあなたに不安を抱かせなかったでしょうにね。そうと思えるだけの冷静さを保ちつつ、周囲へと意識を配る。こちらが異変に気づいたことは、向こうにだってこの態度の変貌で…警戒の様子で判っていよう。さあ、どうするか。よくぞ此処まで入り込んだ者が、そのくらいで諦めるとも思えない。上背のある肢体を緊張で引き締めつつ、油断なく周囲の気配を探っていた高見さんだったが、

  「………っ!」

 横合いから疾風のように飛び出して来た者がいて。体の片側がぴりぴりとし、一気に総毛立ったような気がして、思わず目を伏せたのはセナ殿下であり、そんな彼と狼藉者との間へ身をおいて、
「哈っっ!」
 正眼に構えていた剣を鋭くも薙ぎ払い、突進して来た賊を地面へと叩き伏せてしまった高見さん。すすけた色合いの粗末な服の上、頑丈な革製だろうか、体の胴や肩へと据えた武具とは別に、眼だけを出して顔の上半分ほども頭をくるみ込む、帽子のような防具をつけていた相手だったので、白目を剥いて昏倒しただけで済んでいるが。あの勢いで、しかも的確な急所狙いの太刀筋が振り下ろされては、防具がなければ落命していたかも知れず、さすがは王族の身辺警護を担う部隊の“最高責任者”の腕前と貫禄というものか。
「チッ!」
 仲間が伸された事実を見た面々の緊張だろうか、さわさわと周囲を揺るがした気配があって、それへはセナも気がついて、尚のこと身を縮めている。
“ボクも何かお手伝いをした方がいいのかしら。”
 思いはしたが、体が強ばって動かない。こういった“争い”にそもそも慣れていないその上に、誰かを伸すための咒だなんて、思えば使ったことがまだ一度もない身だったからで。
“蛭魔さんや桜庭さんの使いようを、ちゃんと覚えていれば良かったな。”
 ただただ相手を薙ぎ倒すものばかりでなく、例えば…大きな風船が間近で破裂するような、風圧の衝撃だけを放つ“空圧砲”のように防御のための攻撃咒というのだってあるのにね。全くもって後悔とは先に立ってはくれないもので、ただただ非力なのではない微妙な立場が、却ってセナの小さな胸を締めつけている。
“…それにしても。”
 依然として注意を怠らぬまま、周囲に警戒を払っている高見さんはといえば、相手が音もなく侵入出来ているのが相変わらずに不思議でならない。結構大きさはある温室だが、栽培用の空間ではないので、それほどぎゅうぎゅうに植物が置かれてもおらず。今 仕留めたような成人男性らしき賊が何人もいれば、姿が見て取れない筈はないという規模のそれ。なのに、
“気配はひしひしと感じられるのにな。”
 見回す中に、やはり人の姿は見受けられず、よほどの迷彩でも施しているというのかと目許に力を集めかけたその視線の先で、

  ……… え?

 高見は信じられないものを見た。内側のガラスの壁に宿っていた“曇り”のようにみえていたものが、すすすっと勝手に動いた。そして…それはどんどんと大きさを増し厚みを増し、ざわざわと音さえ聞こえて来そうなほどの蠢きの中からじわりと…やはり革の防具を頭に装着した男が“滲み出して”来たではないか。
「まさか…。」
 彼らも咒を使える人間だということか? だが、それならそれで、
“最高難度の結界が張り巡らされている場所なのにか?”
 王宮内という場所には、邪妖を近づけぬようにという聖なる祓いの儀式を行ってあるものだし、それでも起こってしまった先の騒動の後には、セナ様のお傍づきの凄腕魔導師様方が、それぞれに厳重な結界やら防壁やらを構えて下さってもいる。だというのに…こんな妖しの咒を使える者共が、こんな深部にまでの侵入を果たしているとは。
“…人、だろうか。”
 そこも問題ではある。高見自身には心得のないことながら、導師たちから聞いた話では、亜空を経由する“次空移動”という咒は実は最も難しいことだそうで。旅の扉という聖力の溜まりを経由してのものならいざ知らず、こんな…それなりの防壁が張られたところへ易々と侵入するなぞ、並の人間には出来ない芸当なのではなかろうか。まさかとは思うが、先の騒動で跳梁した“邪妖”とかいう妖魔なのでは?
「…っ!」
 じわじわと滲み出して来た賊の数は四方に4、5人までと増えて、剣の柄を握り直した高見の意識へもその存在をしっかと伝えてくる。何となくでしか拾えなかったのは、形を取るまでに至っていなかったからだということならしく、
“掴みどころのないままでは無くなってくれたのはありがたいですが。”
 どれも屈強な剣士風。こちらとて腕に覚えはあるけれど、先程 宙から滲み出して来たように今度は霞となって消えられては、剣での打撃攻撃は効かないかもと思えば、その手ごわさが肩に重いというもので。そんな憂慮を抱きながら、それでもセナ様の盾になっての警戒態勢。油断なく構えていれば、
「うあぁっ!」
 一番最初に形を取った男が、奇声を放ちつつ突っ込んで来た。腰当たりに構えられた剣がありはするが、あまり手慣れてはいなさそうな がむしゃらな流儀。勢いをつけたせいでの前傾姿勢になっていたその鼻先で、こちらの剣の切っ先をわざと見えやすく振りかざしてやると、
「う…っ。」
 驚いたように素早く立ち止まる辺り、
“剣での格闘はさしてスキルがないらしいが。”
 こんな程度で怯むようではということで、そんな目星が立ちはしたが、
「…っ、高見さん、相手を見ないでっ!」
 背後からそんなセナの声がしたのと、自分の眼前で棒立ちになった男がニヤリと笑ったのがほぼ同時。革製の兜を兼ねた防具にて、まるでビスチェをつけているように顔半分を覆われた男が、その目元を大きく見開いていて…。
“しまっ…たっ!”
 奇妙な色合いだと思った。普通一般の人間の瞳の虹彩は黒から金茶、青に緑にスミレ色、蛭魔のような淡灰色と、その辺りまでが淡さや彩度の限度である筈で、それ以外の色合いだと太陽光線に灼かれやすいから危険極まりなく。どんなに太陽に縁遠い高緯度地域に住まっていたとしても、
“…こうまで赤い眼のままで果たして過ごせるものなのか。”
 特別変異のアルビノに見られる色素異常。そうとしか思えないほどの赤い瞳がこちらを射抜く。一体どんな咒を使ったやら、視線が合ったその途端から高見の手から力が抜け始めており、さして間合いを待つほどもなく、頼もしい背中がぐらりと倒れて崩れ落ち、
「高見さんっ!」
 セナの悲痛な声も届かぬまま、意識を失ってしまった彼である。そんな荒技を仕掛けて来た相手はといえば、
「…気迫は並々ならぬ者であったがの。」
 セナにも判るこの大陸の言葉で、そうと言いながら小さく吐息をついたから。彼の側でもそれなりの、大変な気の集中が必要ではあったらしいが、
「この大陸の者にしては、あまりに無防備すぎるよの。」
 咒への抵抗力がなかったことへ、鼻先で軽んじて見せるような言いようをしたものだから、セナがその拳を思わずのことながら“きゅう…”と握りしめている。他でもないセナを守ってくださった高見さんなのに、それを嘲笑するとは何事かと感じたからで、
“…まだ咒符を読み覚えただけのものだけれど。”
 そんなにも咒が使える方が偉いというなら、自分が何かとんでもないものをご披露してやろうじゃないかと、それこそとんでもないことを思い立ってしまわれたセナ様であるらしい。相手の陣営たちも、次の標的はとセナへ矛先を向け直した様子だし、
“この温室を何の根城にするつもりかは知らないけれど。”
 これ以上の暴虐は許さないんだからねと…この賊たちの内宮までの不埒な侵攻を、王宮攻略の一端とだけしか警戒していない困った殿下で。………ちょっとそこへお座りという落ち着いた場にて、誰も言ってやってなかったんでしょうか。彼自身もまた害される恐れのある尊い身であると。高見さんからだって言われたくせに…冗談ごとだったとでも片付けてでもいるのでしょうかしら。
“えっとえっと…。”
 大きな風を起こして海賊船を沖へと追いやった時の咒は何だったかな。でも、あれだと大きすぎてこの温室ごと吹っ飛んで行かないかしら。じりじりとにじり寄る気配を感じつつ、頭の中で懸命になって咒を思い出そうとしていたセナ様の様子を、その懐ろから見上げていたカメちゃんが、
「…………きゅ〜〜〜うぅうぅぅぅ。」
 不意に。長々と鳴いてから、喉の奥まった所で“ぐるぐるる…”と唸り声を上げた次の刹那。セナの腕を振り払うようにしてじたばったと暴れたかと思いきや、何もない宙空より滑り出すよに はためいて現れ出
でたるは、大窓を覆うカーテンを思わせるほどに広々とした、大きなマントの頼もしき威容。そして、それを肩にと羽織った雄姿。黒々とした短髪で背も高く、背後に守られた位置からでは頬のラインしか見えないお顔だけれど、凛と冴えて静謐に構えていらっしゃるのが気配で判る。本当に時々、城塞の外へと出ての農村への視察の折などにまとっていらっしゃる武装。さして仰々しいそれではないものの、胸の急所を守るためのメダルを提げた肩当てには、背中側にちょっぴりつらい思い出のある疵を塞いだ跡があり。セナには重々見慣れた頼もしき背中が、先程の高見さんと同様に、自分を守って立ちはだかってくれたの、だが。……………あれれ?


  ……………ちょぉっと待って下さいな。


 進さんは御用があるからって城下へお出掛けしてるんでしたよね? だから、高見さんが代わりについてて下さったんですよね。このっくらいの神出鬼没くらい、セナ様のためならやりかねない彼ではありますが、それにしては…誰かが足りない。セナ様の腕を払うように、彼には珍しくも力強い行動を取った誰かさんの姿が、足元のどこにもない…ということは?



   「………まさか。カメちゃん、なの?」








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  *せっかくの緊迫の場面を自分でたまなしにしたのは、
   あの『月の子供』で雷門陛下を出した時以来じゃなかろうか。
(苦笑)
   進さんファンは例のアニメで結構な衝撃を受けてるから、
   このくらいは大丈夫でしょう、うん。
(こらこら)