遥かなる君の声
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     〜なんちゃってファンタジー“鳥籠の少年”続編
 

 

          




 数本ほども聳え立つ、見晴らし台を兼ねた高い高い尖塔のフォルムも、安寧に時が流れる現今では優美なばかりな白亜の王城。降りそそぐ春の陽射しもまろやかに暖かな、伝統ある王家・王城キングダムの王宮の深部。王家のプライベートな空間が固まる、最も神聖で最も厳重に護られているべきところにて、文字通り“怪しき影”が入り込んでの乱暴狼藉騒動が勃発した。本来ならばの護衛を担当する、王宮一凄腕の剣士が不在であったがため、彼に準ずる腕っ節を見込まれて付いていた近衛連隊長殿が倒され、絶体絶命に追い込まれながらも、護衛に頑張って下さった皆様を愚弄した狼藉が許せないと、憤怒に燃えてのお怒りから放たれた気功によって、暴漢たちを吹っ飛ばしたセナ殿下であったのだが、

  「あの者たちは“邪妖”では なかったのですか?」

 お勉強の中ででも滅多に唱えることのない攻撃系の咒を放つほどに、激しく嵩ぶったままなお心を落ち着かせるべく。ひとまずはと皆様で退避して来たのが城の本館、中庭に隣接した奥向きの内宮棟。王族の方々が政治向きの執務や謁見などの公務から離れ、寝起きや安息を始めとする“生活”を営まれるための区画であり、各人のプライベートなお部屋や、憩いの空間である居間、書斎、ダイニング。個人的な客人を招き入れる客間や応接室などが集まっており、周囲を近衛兵たちの詰め所や何やで囲んでの防御もきっちりと為された、城内で一際安全な棟であるのだが。それを言うなら先程まで彼らがいた温室だって、高い城塞に囲まれた城内の、最も奥まった“禁苑”にあった。そんなところへ妖しの咒でもって侵入し、警護のためにと付いていた人たちを薙ぎ倒した上でセナを略取しようとした者たちが、魔物ではなく生身の人間だったと蛭魔は言ってのけ、
「威張って言うことではないが、俺らとしては普通の人間まで警戒する訳にはいかんのでな。それで見過ごしちまった。」
 確かに、常時というレベルにて、城内にいる人・来る人々の気配だ挙動だをきめ細かに監視し続けるなんてそうそう出来ることではないし、例えば咒を使えば出来ぬことではないにしても、それならそれでプライバシーにだって抵触すること。
“そもそも俺らの仕事じゃあないしな。”
 普通の人間へのチェックは近衛兵だの門衛だのの監視に任せ、彼らは彼らにしか感知出来ない“邪妖の気配”にだけ鋭敏であればいいのである。だからこそ…余程深々と侵入してから咒を使ったらしき賊へ、今回ばかりは出遅れた魔導師様たちであり、こうまで至近に攻め寄られるほどの危機になろうとはと、彼ら自身も臍を噛むほど口惜しい限り。とはいえ、
「驚くことはなかろうよ。」
 蛭魔としては、セナが随分と困惑の様子でいる、その真の理由も判っている。賊に対して自分たちがすぐさま感知出来なかったこと…へではなく、

  ――― あんな怪しい技をもって侵入して来たような輩たちが
       人外の存在たる“邪妖”や“魔物”ではなかったということ。

 呆然としているセナへ、
「俺らだって“合”の境を突っ切っての次空移動くらいはこなせる。そうそう簡単に出来ることではないが、能力や経験値の高い導師にならば不可能なことじゃあないんだぞ?」
 お師匠様は言い足して、
「それとも何か? 俺らは人間じゃあないってか?」
 細い眉を威嚇的に吊り上げて見せた反応の過激さへ、
「セナくんはそんなこと言ってないでしょうが。」
 苦笑混じりに執り成すのは、桜庭さん。冗談話に紛れさせることで場のテンションを高めて、気弱から生じたセナの不安を吹っ飛ばそうとしている蛭魔なのかも知れないが。自分に楯つく奴へは別け隔てなく立ち向かってやり、容赦なく弾くような性格の彼ならともかくも、セナ様は…他人の痛みにさえ瞳が潤むような、そりゃあ繊細なご気性をしておいでだから。徒につつくのは怖い目に遭ったばかりの彼を混乱させかねないよと、ここはひとまず窘める。
「………。」
 怪我を負ったお友達、ドウナガリクオオトカゲのカメちゃんを大事そうにお膝に抱え、ソファーにちょこりと座ったまま、しょんぼりとしょげている小さな王子様。これ以上安全な場所はない筈の王宮深くで暴漢から襲われたというだけでも只ならない事態だし、相手が得体の知れない存在だったことも衝撃で。
「相手が生身の人間だったってことが、そんなにショックかねぇ。」
「…う〜ん。」
 蛭魔がこそりと呟いたのへ、桜庭が何とも言えないと言いたげな声を返した。悪党の実在なんて今更な話で、我欲に忠実なあまりに正道を踏み外し、罪のない人を巻き添えにしたり踏みにじったりすることさえ屁でもない連中の、この世にいかに多いことか。それは広い範囲の“世間”を、そんな苛酷な現実社会を見い見い渡り歩いて来たがため、そういう歪みを…時に相手を落とし込む罠の“餌”などに利用しないでもないくらい。場合によっては“必要悪”として把握するまでの、要領のよさをいくらか身につけている自分たちとは異なって。心根が無垢というか純朴というか。おっとりとした正直者たちに囲まれて育ち、正義の名の下に戦い、正しき心が陽白の力を制御する…なんてなことを鋭意勉強中のセナ王子にしてみれば、
「逸話には聞いていても、実物に触れたのは初めてだったんじゃないの?」
 実際にそんな…罪も遺恨もない人を容赦なく薙ぎ倒して欲しいものへと手をかける“蛮行”を、眉ひとつ動かさないでこなせるような人がいるだなんてと。これまで当然のこととして来た“モラル”を覆すような、常識の次元が全く違う存在と直接出会った“カルチャーショック”は、さぞや大きかったことだろうて…というところか。
“それが邪妖なら、それであって当たり前だって認識はあったみてぇだが。”
 この世を虚無の暗黒で覆うため、隙あらば滅ぼさんとばかり、人々を虎視眈々と狙っているような邪妖が相手なら、問答無用で叩き伏せたり戦ったり、頭から“自分たちを脅かす存在”と割り切れる。でもでも、生身の人間となると、相手へ自身と同じところを探してしまう。若しくは、自分にも彼のような醜い我欲や傲慢が潜んでいるやもと不安になる…?

  “でも、そこまで清廉潔白な箱入りだったのかなぁ?”

 彼はこの王宮でずっと“無菌”でいた訳じゃない。それこそ国家を揺るがした内乱の中心で最も翻弄されて過ごした立場にあった人物であり、まだ世間も知らずぬくぬくと過ごしていた後宮から遠い遠い寒村までの、辛く悲しい逃避行を余儀なくされ、血縁たる身内をほとんど失った、紛うことなく“悲劇の人”なのだし。善良な人ばかりが寄っていた集落に住んでいたセナだったらしいが、それでも。それじゃあ近場の町などには? 腹黒い商人は一人もいなかったのか? 図々しくて厚顔で、人の弱みに付け込んで“この値段で嫌なら帰んな、ウチには他にだって買い手はいるんだ”なんて言い切って、相場以上の値段を吹っかける物売りだとかは一人もいなかったのだろうか? 心配しつつ見つめていると、

  「あ、いえあの、なんか混乱しちゃって。」

 自分を案じる二人の気配に気づいたか、やっとのこと、顔を上げ、まともな口を利いたセナ殿下。
「あんな風に霧のように姿を消したり、人を昏倒させるような強い咒を印も唱えずに使えたり。そんなことってそう簡単に生身の人に出来っこないって。」
「…俺らはやっとるが?」
「蛭魔さんはカナリアさんじゃないですか。桜庭さんも名のある精霊さんだったって、ドワーフさんが仰有ってましたし。」
 ああ、あの小さいお爺さん。そういうのを引き合いに出したって事は…やっぱり。
“…こいつ、やっぱり俺らは人外だと思ってたらしいのな。”
 しかも無自覚の内に。
(苦笑)
“人外じゃなく、例外、かも知れないよ?”
 そのフォローは苦しいぞ、桜庭さん。目配せだけでそんな突っ込みをやり取りしていたお二人には気づかぬまま、
「きっとあの赤い瞳で何か不思議な力を放ってるんだなんて思って、それで…」
 セナが続けた台詞へ、蛭魔が怪訝そうに目許を眇めた。
「赤い瞳?」
「はい。」
 セナはこくりと頷いて、
「毛並みの白いウサギの桃色がかった赤じゃなく、紅葉のような茶褐色に近い赤でもなく。ルビーのように鮮やかな真っ赤の瞳で。」
 何だか良からぬものの予感があったせいか、そんな不思議な瞳をしているなんて、これは邪妖に違いないと決めてかかって対処したセナだったらしく。なのに、人間だったのだと知らされたこと、彼にはそうまで衝撃だったのか。ここは今後のためにもきっちりと刷り込んどいた方が良いかなと、
「あのな? お前が案じるよりもずっと、世の正義を鼻で笑うような心根の悪い奴はたんといるもんなんだぜ?」
 だから。咒を用いて吹っ飛ばしたことへ、過ぎる罪悪感を抱くこたないぞ?…と、続けようとした蛭魔へ、
「いえ、あの…そうじゃないんです。」
 王子の側でも、彼らが何を案じてくれたのかに気づいたらしく。ゆるゆるとした所作でかぶりを振って見せ、
「あのあの、ボクは…ボクが此処にいることすら知る人が少ない筈なのに。それに、正当な王位継承者でもありませんし。」
 なのに。間違いなく“セナを”と狙って毒牙を剥いた輩が、しかも…格闘の実力も潜入して来た手並みも相当に只ならないレベルの存在が、そりゃあもう的確に襲い掛かって来た訳で。
「邪妖が陽白の存在を憎んで襲い掛かるのなら道理として分かるのですが、見ず知らずの生身の人からどうして疎まれるのかが分からなくて。」
 セナが抱えていた混乱。それの一端がやっと垣間見えた。
「ああ、うん。それがショックだったんだね。」
 遺恨もない対象を、しかも何でああまで乱暴なやり方で襲えるのか。やっぱりそっちの方が大いなる疑問であったらしい王子様。しかもしかもそれだけではなく、

  「…もしかして、何か内乱なり騒乱なりの気配が芽生えているのでしょうか?」

 それも、こんな大胆不敵な手を打つ段階に至っているような。あの戦いが収束してからこっちの2年ほど、それは のほほんと過ごして来たが、城にいて世間を何にも知らずにいた自分だけが気づかなかったことなのか? そうという方向へ思いを巡らせていた彼だったらしいとあって、
“…おやおや。”
 何とも頼もしいことよと、二人の師匠様たちが思わずの苦笑を浮かべもって顔を見合わせる。単に怖がって怯んでいての意気消沈ではなかったらしく、これはこちらもちょっとばかり見誤っていた観があること。思っていたより過保護が過ぎたなと、今度はそれを踏まえた上で、
「どんな思惑からこんなことをしたのか…は、今の段階じゃあ憶測の域を出ないことしか言えないしね。」
 桜庭が宥めるように言い置いた。王城キングダムを打倒したい勢力の暗躍から、王族のセナを手中に収めて“人質”とし、王城の政権を担う王家へ何やら働きかけを繰り出すというような“政治的な背景”があってのことなのか。それとも遺恨? 先の内乱では多数の被害者も出た。耕地も荒らされたし、政情不安に乗じて野盗の類も跋扈したと聞く。そこまでの詳細は広く明らかにしてはいないのだが、乱の後、城へと迎え入れられたセナの存在がそんな乱の源になったのだと邪推をし、それを逆恨みする者もいるのかも?
「でもね? どんな事情があったにしても、セナくんがそんな顔をするこたないんだよ?」
「はい…。」
 自分の身が危険に晒された恐怖よりも、そんな騒乱が起こりかけているとして、それへ身を投じた皆様へと“そうまで追い詰めてごめんなさい”と言わんばかりな、切なくも苦渋に満ちたお顔をしているのだから、これは蛭魔でなくとも呆れるところ。桜庭の執り成しを聞きながら、

  “全てを自分の至らなさに負っちまうのは、こいつの悪い性分だからな。”

 心優しき陽白の公主。蛭魔が賊へと言い放ったような、陽界全土、すなわち全世界を統べることが出来るほどの大きな力を持つと同時、繊細でなければ察知出来ない、微細な気配にも反応出来る感応力も持ち合わせている王子は、ナイーブで傷つきやすい性格をも持っており。これで結構…人見知りやら言いたいことを飲み込むようなところやらは少しずつ改善されつつあるものの、やんごとなきお方へ“もっと図太くおなり”という教育ばかりを施すのも何だか妙なものだし。
“何と言っても、傍若無人を絵に描いたような人が間近にいるからねぇ。”
と、これは桜庭さんからの感慨。………自覚はあるんだね、一応。
(苦笑) とりあえず、今回は大事に至らなかったことを幸いに、一体何が胎動し始めているのかを見極めることへ尽力しなければと。誰が口に上らせるともなく、これからの姿勢が固まりつつあった、そんな場へ、

  「進の奴はいねぇらしいな。」

 いろんなことを省略しまくった、ちょいと伝法な口調のお声とともに現れたのが、
「…何だ? そのなりは。」
 少々その衣紋を汚したり乱したりという荒れた恰好にて戻って来た、黒髪長身の青年導師様。普段は直毛の黒髪の額髪だけを、ワックスだかグリースだかでちょいと立てて整えている洒落者が、はらはらと後れ毛を顔へとこぼすほどにも掻き乱したままでおり、清潔にと保たれていた筈の道着や外套代わりのマントもまた、生成りという明るい色合いのあちこちに、埃や土の汚れの跡だらけ。
「朝も早よから乱闘騒ぎか?」
 にやにやと笑って訊いた金髪さんへ、
「何で分かる。」
 ただのドジから汚して来たのかも知れないぜと。こちらもにんまり、男臭いお顔へ不貞々々しい笑みを載せて返せば、
「殺気立った気配の余燼がたっぷりとまとわりついとるからな。」
 乱された姿という“目で見えるもの”からではなく、彼がまとっていた気配から察したという、いかにも導師様らしいお答えがあっさりと返って来るところがおサスガで。もっとも、その殺伐とした気配、この彼自身のそれではなく、
“対峙した相手方が、威嚇か奮起かで飛ばした念ばかり…であるようだがな。”
 その頼もしさへこそ にんまりと笑った蛭魔であるらしい。結構な数に取り巻かれても、四方八方からという襲撃に遭っても、こちらはさして嵩ぶりもせず、本気になってはいなかったという頼もしいお兄さん。どうやらあの場に居合わせた無頼どもを、余裕綽々で構えたそのまま、あっさりと薙ぎ払って平らげた彼であるらしい。導師という一種“聖職”関係者でありながら、それは単なるアビリティ(能力・才能)だと言わんばかり、乱闘という埃っぽくも血気盛んな一運動を朝っぱらからこなして来たこの青年。名前を葉柱ルイといい、彼もまたこの王宮にてセナ殿下に咒を教えているお師匠様。先に居合わせた黒白二人の魔導師様たちとは関わり方も微妙に違い、彼らの…どこか人間離れした雰囲気さえ滲み出す、華麗にして優雅な居住まいとは趣きを少々異にして。しっかりと地に足をつけ、世渡りや要領の良ささえ知らぬままの不器用さで丁寧に培われた、それはそれは堅実な気概を性根の芯にがっつりと据えた、普通の一般人でありながらも頼もしいことこの上ない、屈強精悍なる気心を持った野性味あふれる導師様。
“…何〜んか引っ掛かる言いように聞こえるんだがな、そりゃ。”
 何ですよ、蛭魔さん。だってあんたたちってば、油断も隙もあったもんじゃないくらい世慣れているし要領もいいし。さっきセナ様が口にしたように、パワーも存在もはっきり言や“人外”レベルの存在じゃあないですか。それに較べれば…と言ってる訳ですよ。
“う………。”
(笑)
 とはいえ、こちらさんも生まれはちょっとばかり特殊な一族でありはして。その点へは後段にて触れるとして。武骨ながらも純朴誠実、それはそれは実直にして頼もしき、野性味溢れる導師様のご帰還に、
「葉柱さんっ、カメちゃんがっ!」
 やっとのこと頼りになる人が帰って来たと、少しは落ち着いていた筈の幼い王子が席から立ち上がって駆け寄らんばかり。というのが、この葉柱さん、セナが大好きなお友達、ドウナガリクオオトカゲくんの正式な飼い主でもあり、ただでさえ特殊な生き物であるその上、これは実は仮の姿だというややこしい身の上のカメちゃんなので、一応は治癒の咒に心得がある桜庭も、治療しかねて手をこまねいていたらしい。お待ちしておりましたと気が急いているらしき王子のいる窓辺のソファーまで、大股に歩みを進めた葉柱は、
「どら。」
 慣れた動作でひょいと屈み込むと、その所作でもってセナを再び座らせて、彼がその膝へ両手で大事そうに捧げていたオオトカゲちゃんを覗き込む。日頃からも表情・動作共に感情表現の手段に乏しい爬虫類の彼だが、あまり鳴かないものが“きゅう…”とかすかに鳴いてくったりしている様子は確かに只事ではなく、
「こっちでも何か騒ぎがあったらしいが。」
 城下から戻るや否や、何となく騒然とした空気に迎え入れられ、女官たちに真っ先に“こちらへ…”と導かれたのがこの居間でありはしたものの。混乱を恐れて他の人々へは詳細を他言していない蛭魔たちだったらしく、進に代わってセナを護衛していた高見が倒れたということ以外、具体的な内容はまだ全く知らない彼であり。そんな葉柱が言葉少なに情報をと問いかけると、
「賊共が温室へ侵入してな。居なかった白い騎士にメタモルフォーゼして、カメも頑張ってくれたんだが、相手の繰り出した飛び道具、投げ分銅の鏃
やじりで二の腕をやられてしまったらしい。」
 こちらさんはドアに近いソファー、背もたれから身を起こしはしたが立っては来ず、座ったままの蛭魔が端的に説明する。それへと耳を傾けつつ、右前足の付け根に簡単に巻かれた晒布を手際良くほどいた黒髪の導師のお兄さん。全身の大きさに比すれば随分と小さな小さな腕の根元、堅い皮膚に痛々しい傷を見つけ、その上へ人差し指と中指を揃えてかざしつつ、
「どのくらい前の話だ?」
「30分程前かな。毒や咒の気配はないみたいだったけれど。」
 桜庭が傍らまで寄って来つつ語った状況に、ふ〜んと何事か分析でもしているような顔になり。目と指先とで傷口を診ていた葉柱だったが、
「…うん。貫通創ではあるが、自然に塞がるのを待てばいい範囲の、大事ない怪我だ。」
「ホントですか?」
 恐る恐る訊ねたセナ王子へ、
「ああ。」
 そちらも心を痛めた“怪我人”だと察してだろう、真っ直ぐな目で向き合って、安心しなさいと口許をほころばせる。
「大きな武器での大怪我や、毒などが残っているような状態だったら厄介だったが、これなら問題はない。それに、こいつは何たって“スノウ・ハミング”だからな。普通の生き物よりの自然治癒力だって強くて早い。」
 きゅうきゅうと甘えるような声を立てているトカゲくんが頑張って持ち上げている頭を、大きな手のひらでいたわるように撫でてやり、
「こいつも結構、気丈夫になったしな。」
 本来ならば、見知らぬ人が寄っただけで気を失いかねないほど、小心で繊細な聖なる鳥。そうまでか弱い点をカバーするためにという防衛封印の咒をかけられているし、ついでに華麗なその姿を地味で恐持てする爬虫類へとカモフラージュさせられてもいるけれど、そうそう簡単に本性が変わってしまう筈はなく、
“…そういや、初めて声かけた時も。”
 今にして思えばあれもまた、馴れ馴れしく触れて来た無頼の者共に怯えての反応だったのだろう、乗用大型のトカゲへ勝手に変身してしまったカメちゃんだったのを蛭魔が思い出す。聖なるものもまた希少な存在。それを感知しそれへのみ心安んじて接することが出来る、臆病で繊細な瑞鳥。それが先程は、いくら陽白の主“光の公主様”の身に害が及びそうなほどの危機だったとはいえ、怪しき賊に怯えることなく、雄々しくも頼もしい剣士殿の威容を借り受け、勇敢にも立ち向かっていったのだから、これは確かに大進歩。いい子だいい子だと功労者のオオトカゲくんの偏平な頭を撫でてやっていた葉柱が、

  「「………で。」」

 訊こうとしたタイミングが同時になった、次への問いかけ。相手へ向けた視線を合わせた蛭魔と葉柱だったが、息をついてどうぞと譲った葉柱へ、
「何でまた朝っぱらから、埃をかぶって帰って来るかな。」
 朝も早いうちから街に出ていた葉柱であるのは先刻承知。
『城下には障壁の咒が一応かかっているみたいだからな。』
 単なる魔よけの咒らしいが、それがため、簡単な伝信ほど遠くまで飛ばしにくいからと、場外までお出掛けして来ると言い置いてった彼だのに。
「アケメネイへのお便りは、そんなに手のかかることなのか?」
 妨害電波にしちゃあ生きの良いこったなと。からかうような言い方をする蛭魔へ、額の端へお怒りの青筋をちょいと立てて見せつつも、
「そっちに絡んで起きた諍いじゃねっての。」
 馬鹿正直にも言い返しながら、マントの下にてずっと小脇に抱えたままでいた包みを、セナへと差し出す彼であり。
「これ。進の奴のだろうと思ってな。」
 鹿の革だろう、薄手だが丈夫そうな袋状の嚢に何かが入っている小振りの包み。丁寧に使い込まれたものであるらしく、明るい茶褐色の表面にはあまり汚れも見当たらず、その底のと口の方とに裏表、計4カ所ほど、紋章の刻印が入っている。その紋章というのが、X字に掛け合わせた洋剣の下に、一対の翼が広がっているという意匠のもの。
「あ、はい。これは進さんが使ってらっしゃる紋章です。」
 彼の身の回りのものの中、武装用の装具や礼式用の正装小物などに必ずついていた紋だったから、それらをまとうお姿の何とも凛々しかったことかという晴れ晴れとした憧憬の記憶と共に、セナもしっかと覚えていたらしく、
「やっぱりな。」
 うんうんと頷いた葉柱も、
「剣はともかく、神聖で特殊な意匠の“翼”を用いるなんてのは、よほど功労があるか由緒正しき家の紋だろ? あいつがいいトコ出とも思えんが、位を授けるに当たってそれに見合う階級の籍をいただくってのは良くある話だからな。」
 そんな納得の下に覚えていたことだったらしい。
「これを持ってた怪しい輩たちと、まあその…ひと悶着をやらかしたって訳なんだがよ。」
 さすがに、あまりお行儀がいい話ではないという自覚はあるらしく。少々口ごもる彼へと、
「で? どんな経緯があったんだ?」
 詳細を話してご覧なさいと、半分は底意地の悪い好奇心から先を促す蛭魔だったりしたのであった。


  ――― それもまた、今朝の騒動に関わりがある事態だとは気づきもしないで。



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  *何だか回りくどいでしょうかしら。
   少しずつの話運びですいませんです。