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そこは“場末”というほどではないが、それでも市場のある大通りからは少し外れた、人通りもさしてなく、まだまだ眠っているかのように静かな、裏通りに並ぶアパート群の前だった。
“人の気配はないが…。”
それでも、廃墟とは雲泥の差で朝のみずみずしい生気に満ちた町並みではある。遠ざかる冬に安堵し、春の到来に華やぐ人々がいる市場の活気やにぎわいは、通りを隔てている筈のこんなところまで届く。不思議なものだなと、ふと思う。セナ王子が危険な急襲を受けてから、まださほどに時間は経っていない。なのに…町はあくまでもこんなに平穏。
“………。”
掟破りの反則技、空間を隔てる“合ごう”の障壁を飛び越え、時間軸の法則に逆らっての瞬間移動をこなすのが“時空転移”という大技で。一度も足を運んだことのない土地への時空転移は、原則としては不可能だ。どうしてもという場合、行ったことのある人物から方角などの位置的イメージを読み取り、咒陣を描いて、咒詞を詠唱してという、古式ゆかしき方法での本格的なやり方になる。今回は、城から間近い城下であったことと、高見から聞いた住所が以前に桜庭も散歩がてら歩いたことのある場所に程近かったことから、さして問題もなく簡単に翔べたのだが。
“これで終わり、なんだろうか。”
唐突にこんな術を使ってコトを急ごうと思った桜庭だったのは、実を言うと…悠長に構えていられなくなったから。何かしら、気になる胸騒ぎがする。とんだ襲撃事件だったけれど、遅れを取ったけれど、敵は退散させたしセナくんは無事だったからと。もう終わったこと、もう大事はないさとばかり、どこかのほほんと振る舞ってはいたが、その実、何かが胸の奥底でざわざわと落ち着かないままだった。時間がまださほど経っていないから? 得体の知れなかった賊が、依然として得体の知れないままだからだろうか? それだけにしては、随分と…気になる感触が存在感の大きなまま、妙に後を引く。
――― 元は人ならぬ身であった桜庭だったればこそ、拾えた何かかも?
それで、翼のある大鷲に変化するでなく、すばしっこい犬や猫になるでなく、この程度の状況下でのお迎えにしては随分と思い切ったことを選んでしまった。静かな町並みは先程まで身を置いていた王宮とは明らかに空気が違うものの、
「………。」
何だろうか。此処でもやはり不穏な空気を感じる。予感があった訳ではない。むしろ、城の外へ出ることで、襲撃以降の一連のムードを振り切るような。そうすることで、気持ちを切り替えるような気分でいたのだが。そうと思いながらも、心のどこかで…どのような情況でも漏らさず拾えるよう、感応しやすいようにという一種の警戒をしていた桜庭でもあったので。それで、精神的なところの緊張がほぐれぬまま、落ち着けずにいるのだろうか。
“歯痒いことだな。”
殼を得て“生身の人間”になってしまったことを後悔するのは、いつだってこんな時。今の桜庭は、多少魔法パワーの多すぎるところがあるが、紛れもなく“人間”なので。精霊に較べて何かと不便な身の“人間”である妖一の気持ちが、本当に肌身で実感して理解しやすくはなったけれど、反面、便利だったころの記憶があるせいで、こういう時にはただただ歯痒くてしようがない。
“ともかく、急ごう…。”
独りで警戒し、独りで受け止めているからか。城に居た時よりも濃さが増した、いやな予感、危険な報せ。警鐘。そんなものに胸の奥をちりちりと灼かれつつ、不吉な空気をその身から振り払うかのように。純白のマントをひるがえし、教えられた番地へと足を急がせる桜庭だった。
◇
どこからだろうか、記憶が曖昧になっていた。体の中から、意志や熱量がするすると抗いようもないままにどこかへ吸い取られているような感覚があって。そうだと気づいた時にはもう、意識があるやらないやらさえ曖昧になりそうなほどの状態になっていて。眠いのか? それとも風邪でも拾ったのだろうか。暖かくなりつつあるからという油断から、ついの不摂生をどこかで働いた自分なのだろうか。判断力さえ落ちているから、こんな状態なのに城へ一旦戻ろうとは思わぬまま。恩ある師範の住処までの道、惰性半分に歩き続けて…ようやく辿り着いたのだったが。人通りのない石畳の道沿いに静かに佇む、石作りの古めかしいアパート。目的の部屋は一階の奥まった一室。ノッカーを叩くと応じる声があり、当家のご主人がおいでかと訊ねれば、なめらかに開かれた扉の中へと導かれる。使用人なのだろうか、襟の詰まった上衣に筒裾のズボンと、膝まである上掛けというくすんだ濃色の衣装の男は。一言も声を発しないまま、自分をフラットの奥へと導いてゆく。どこか薄暗い部屋の中、さして数はないながら調度もきちんと並んでいるのに、どうしてだろうか、1つ1つを注視して把握出来ない。あまり見ない夢の中、遠くで他人事のように流れている情景のようにさえ思えて。外は結構明るかったのに、鎧戸も窓も開かれているのに。自分がいる場所、自分を取り巻く全て。音にも、空気にも、何もかもに紗がかかっているような気がする。遠い遠い時間の中へ、イレギュラーで迷い込んだような、そんな印象。
「ようこそ、白き騎士殿。」
不審さへの警戒を違和感という形で感じつつ、されど立ち止まることも出来ないままに、通された部屋。突き当たりの壁を切り抜いて、やはり窓は開いているのに、そこまでが随分と遠く思えた。望遠鏡を逆さに覗いているかのような感触。その窓と自分との間に立つ誰か。誰だろうか。見覚えのない人物がそこには居た。室内にいるというのに、フードのついた足元まで覆う漆黒のマントをまとっており、前の合わせをきっちりと閉じているので服装からの判じは無理な模様。上背はあるし、よくよく見れば体の幅も結構あるのだが、不思議とそこからの威圧感は薄い。それなりの武芸を修め、その折に伴われたのだろう精神的な修養をしいて、実力のほどを意識して圧し殺しているのだろうか。
“武道の筋の者、か?”
彼が口にしたその呼称は、確かに自分が戴いたもの。王城キングダムが誇る、誠実にして屈強俊敏な、史上最強の騎士。卓越した剣技を振るうのみならず、人格も清廉潔白にして誇り高く誠実実直。戦いの場での機転は利くのに、人と接する時の融通は利かず、ともすれば無粋で武骨なところが、唯一にしては大きすぎる、人としての欠点だと言われ続けていて。世の中が平和になったなら、真っ先に用済みになる身でもあるとの自覚も重々あるのだが。
『そんな哀しいことを言わないで下さいよう』
困ったようなお顔になって下さったのは誰だった? こんな大事なことまでも、思い出せなくなっている。そんな取り留めのない思考を持て余していると、
「シェイド老を訪ねて来られたのでしょう?」
見知らぬ男が口にした名によって、途切れそうになっていた意識がふわりと鮮明化する。そうだ、自分は師範を訪ねて来た筈で。だが、
“………妙だな。”
師範は此処にはいない筈だのに。辻褄の合わぬこと、されど途中までそうだと気づけない、夢の中のようだとあらためて思う。自分にとっては父親代わりでもあった師範は、城へと上がる自分へ聖剣を授けると、これでもう逢うこともなかろうと仰有られ、そのままどこかへ発たれてしまった。
『このまま 〜〜〜が目覚めぬよう、封印を与えておく。』
城への仕官が決まった時に、師範が陛下から賜った家系への連座を自分へも許された。一族は既に絶えて久しいが、王城キングダムの建国にも関わったという歴史ある名家で。その家紋の掛け合わさった剣は邪を祓い、聖なる翼は遥かアケメネイの尾根に舞うという聖鳥から授かった祝福を意味するとか。ああ、そうだった。その家紋によって、記憶から消された筈のものを、自分はまた目にしてしまった。それからだ。意識がどんどん曖昧になってゆくのは。何を見たのだろうか、何を思い出したのだろうか。思い出したものにより、これまでの自分の意識は呑まれてしまうというのだろうか。師範は聖剣が自分を守ってくれると仰有っていた。もしも追っ手が現れようと、宿命なぞ自分の手で打ち砕けばいいのだとも。
“…追っ手? 宿命?”
ひどい頭痛がする。意識にも再びの霞がかかって来た。一体何者なのだろうか、この男は。何もかもを見透かすような口調。見覚えはないのに、この状況へも少なくはない不審を感じるのに、体の自由が利かず、力も入らず。流されるままな身であることへの不甲斐なさと、警戒心からの苛立ちだけがつのるばかり。肩口をとんと片手で突かれると、そのまま数歩ほど後ずさってしまう。膝の裏がつかえた先にはソファーがあって、頽れるようにそこへと腰掛けている。腰に提げたままだった剣を、習慣になっている動作で外して手にしたものの、他は全て相手の成すがまま。そこまで意識が朦朧としているのか? 意識に紗がかかるほどの、耳鳴り。何らかの音がする訳ではなく、頭痛も“痛み”がある訳ではない。ただ、現実世界と自意識とを繋ぐ何かが薄れつつある。自分にはあまり経験がないが、貧血状態というのはこんな感覚に襲われるのではなかろうか。時折、すっとクリアになってくれるのだが、それはほんの一瞬のこと。その波さえ不規則ながら、何度目かに意識が鮮明になったそのタイミングへ、
「貴公の師であったシェイド老は既に亡い。」
見計らっていたかのように。そんなとんでもない一言が齎される。これへはさすがにハッとして。顔を上げると同時、手にしていた剣の柄にもう片方の手を添える。その途端、自分の背後に、先程応対にと出て来たもう一人の人物の気配が、強くなって立ち上がるのを感じ取ったが、自分と向かい合っている方の男が目顔だけでそれを制して見せて、
「何をいきり立つ? 感謝してほしいほどなのに。あの老人は貴公の大切な“使命”を勝手に封じた。そして、貴公の行方を愚民の中へと埋没させてから逐電し、我らを何年も引っ張り回した。」
自分と大差ない年頃の若い男だと思うのに。鋭い眼差しには、されど感情という熱量が一切ない。自らへ禁忌を課したり、精神的な修養によって制御しているというよりも、感情を圧倒するほどの強力な何かによって、冴え冴えとした冷ややかさに支配されていると言った方がいいのかも。そう。強いて言えば、冷たい感情。一旦絶望を目の当たりにし、我を忘れるほどの壮絶な怒りや激情で逆転したことによって得た、凍るような生気をたたえているような、そんな感触。否定、破壊、凌駕、制圧。そういった容赦のない力押しの統制を、無理矢理ゴリ押しすることに何ら躊躇しない冷徹さを、されど余裕で包み隠して。知性や礼節、品格さえ匂わせるような、凍るように静かな気魄に満ちている男。
「シェイド老は我らの祈りに気づいたからこそ、貴公を手中に収め、そうして王宮内へと匿った。この国の王家はこの大陸で最も古い血統が間違いなく続いている一族だからな。一縷の望みに賭けたのだろう。」
クッと。ここで初めての感情を口許へと浮き上がらせて、
「彼もまた、忌ま忌ましい“陽白の眷属”へと救いを求める愚かな者共だったのだよ。」
老師が恐らくは自らの人生や存在を賭してまで、懸命に真摯に手掛けられたその行為を、されど若輩の自分が事もなげに摘み取ってしまったことへの、ともすれば侮蔑的な笑い。
「シェイド老の魂をヴァルハラへ送るべく、彼の聖剣はその聖なる力を、刃に刻みし紋章と共に天へと昇華させている。」
使い手の生気と呼応して初めてその素晴らしき効力を発揮する剣だから。持ち主はただ一人しか認めない聖剣。そして、
「よって、
白の祈りを込めたアシュターの聖剣を振るう剣士は、今やこの世にただ一人。」
「………っ!」
感情に任せて剣を振るってはならないとは、そのシェイド老からの教えであったが、こればかりは許されないこと。恩もあり、何より崇拝し敬愛していた人物を、自分の前で愚弄し、その死さえ軽んじるとは、それが誰であれ許せない。何かを思うより先、体が動いている。立ち上がりながら、なめらかに軽やかに鞘から抜き放った剣を、なお引いた反動で力をためるのではなく、その場に一瞬、ぐっと押しつけるように止めただけで、次の瞬間にはもう勢いよく繰り出している。卓越した膂力と剣への信頼なくしては不可能な、軌跡が読めない瞬殺の一斬。
――― ザ…ッ、と。
銀色の疾風が吹き抜け、稲妻のような鮮光が閃めいて。狭くはない室内に音もないまま留まっていた空気を瞬断し、次の刹那には。
「…っ。」
「な…っ!」
正面にいた男の身を覆っていた長いマントの、前の部分が袈裟がけに大きく避けており。長椅子越しの向背にいて、こちらへと踏み出しかけていたもう一人の喉元深く、顎の下へもぐり込まんというほども伸びた切っ先がきっちりと静止していることにより、相手の動きをも封じている。繰り出されたのは刀身の長い大剣ではあったが、正面に立つ男の身へ切っ先を届かせるには、少なくとも半歩は踏み出さねばならなかったろう間合い。なのに、
“見えなかったな。”
彼の意志がそのまま飛んで来たかのような、一瞬のそれながらも存在感のある銀色の閃光がすぐ目の前で光っただけ。切っ先は見えず、こちらと部下と、どちらへも動ける半身の構えになったままの彼は、先程までのどこか覚束無い表情をきれいさっぱりと払拭してもおり、
“これもまた、アシュターの聖剣の威力というものか。”
そうだとすれば。自分たちは聖なるものに浄化されし“悪しきもの”だということになるのだなと、ついの苦笑が口許に洩れた。その手に振るう者の正しき意志を映し、邪を祓って魔を封じる聖剣。それをもって我らを制したということは、
“記憶がまだ戻り切ってはいないのか?”
何とも雄々しき精神力よと感心する。ほんの数年ほど前まで内乱があったと聞くが、それでも。彼自身の命を脅かす何物かが殺到するほどの地獄へ身を置き、緊迫の中、昼も夜もなく覚醒し続けていなくてはならぬほどの、苛酷極まりない歳月を送った訳でもあるまいに。ここまでの集中力を身につけるには、あまりにぬるい安寧の世界にあって、よくぞこれほどの身へ鍛練を積んだものよと、彼自身の意志の強さへこそ感嘆する。生まれたと同時にその意識の奥底へ深く深く刻み込まれたほどの、もはや拭いようも消し去りようもない使命を。こうまで押さえ込んでいるほどの“聖なる力”には感服するが、
「シェイド老から何を聞いた?
ただ闇雲に、恩に報いたくての剣ならば、我らとて容赦はしない。」
マントの下から現れた装束は、どこか見慣れぬ異国のもの。胸の上半分を覆うようにと提げられた、平たく広い金属のプレートは、もしかすると鎧が形骸化したものか。その下へと見えるは、マントと同じほども裾の長い、前合わせの道着型の上着。自分が知る導師たちのまとうそれとは趣きが異なって。首を覆うように立っている詰襟なのは同じだが、袖は一旦剥いだものを細い革紐で継いだような格好になっており、丈夫そうな生地なのに肩や腕が自在に動かしやすそう。腰をこれも丈夫そうな織り方で綯われた帯を、何重にも巻いて締めていて。その両脇から裾までは、縫い止めないままのスリットが開いており、下にはいている筒裾のボトムが覗いている。どうやら異国の者か、若しくは異国の武術を修めた者ということならしいが、
“そのような者が、何故?”
シェイド老を、そして自分を知っている? 物心付いた頃にはもうこの王城にいた。難民を収容し、大人になるまでを養ってくれるという施設で、王宮づきだった武道指南役の師範に見いだされ、厳しい中にも伸び伸びと、厚い温情の中で持ち前の素養を存分に育んでいただいた。さすがに“平々凡々”とまでは言わないが、それでも…さして奇抜な育ちでもなく、足らぬものとて感じぬままに、手ごたえのある日々を送らせていただけた。そんな自分たちの何を知っているというのか。そして、
“………俺は、何を知らぬというのだ?”
問われて初めて気がついたこと。寡黙で口下手だからと、それもまた彼の個性だからと容認され、深く言及されなかったこと。だから、本人も気に留めないままでいられたことなのだろうか。一体何を“知らない”自分なのか。そして、一体何を“封印した”シェイド老だったのか。白の教会の祭壇前。敬虔なる祈祷を済ませた二対の剣。その一方を両の手にて捧げ持った師範から、剣の腹の部分で頭を軽く撫でられて。それは…王家への忠誠を誓い、この聖剣を操るにふさわしき者へとなるための“儀式”だと言われたのだが、もしやそれが、自分の何かを封じた咒術だったということか?
「………。」
彼自身も知らぬうち、後ろに控えし男の喉元へ据えていた剣の切っ先が降りている。何が何やら分からないという混乱に、彼のずば抜けて優れていた筈の集中力が萎えている。どんな讒言にも決して揺るがぬ屈強な精神力を礎にして立ち上げられていた、彼の強靭な意志が今、初見の人物から投げかけられる言葉だけにて易々と揺らいでいる。あってはならぬこと、あり得ないこと。何を知らされようと何を聞かされようと、揺らぐ心ではなかった筈。それこそ“私心”を捨てた身なればこその頑強さであった筈なのに。
「我らを欺き続けた忌まわしき“封印の咒詞”は打ち消した。これでもう“太守”を導く妨害はない。」
依然として混乱に翻弄されている彼へと、男はそうと言葉を紡ぎ、だが、ふと。何かに気がついた。
“血族の紋が浮かばない?”
頭痛がよみがえったか、顔を俯けている彼を覗き込み、不審げに目許を眇める。こちらの彼にとっても何かが訝おかしい。
「…そういえば“グロックス”はどうしたのだ?」
彼の意識の開封と、彼らの“太守”を招くのに必須のもの。軽々しくも処分出来はしなかったらしき老師範が、唯一の旅の連れとし、自分たちを引っ張り回した諸因にもなったあれ。確かに彼の手元へと届けたからこそ、共鳴し合い、作用し合ってこうやって此処へ導かれた彼なのに。どうしてそれを、今、どこにも持っていない彼なのか?
「色々と計算違いが生じているらしいぜ、兄者。」
唐突な声がして、室内の同志二人が顔を上げれば。いつの間にか部屋の戸口にもう一人、同じようなマント姿の男が立っている。
「そいつは一度死んでいる。それを…その魂を“光の公主”が復活させた。」
「な…。」
「此処まで近づいた俺の“炎眼”をもってしても、意識を手放さず、完全にぶっ倒れねぇのはそのせいだ。」
思うようにならないと言いつつ、されど…にやにやと、可笑しいと笑っているもう一人の青年。こちらも深々とフードをかぶっており、手には濃色のレンズが嵌まった眼鏡を持っていて、
「陽の洗礼と祝福を受けているのか。これは厄介だな。」
先にいた男が声を低めたのへ、
「何が厄介だ。それならその“公主”様とやら、一緒くたに連れて行けばいいではないか。そうすれば、こいつだってこうまでの抵抗はしなくもなろう。公主様から命じられれば、唯々諾々、思いのままに従うさね。」
こっちの男がとんでもない言いようをした。しかも、
「向こうへ向かった連中へは、新たな伝信を送ればいい。計画変更、連れ出すのが適わぬならば殺せと言ってあったのを、決して傷つけずに連れ出せ、無理なら今回は一旦引け、とな。」
――― な…っ?!
聞こえた言いようを、咀嚼し理解出来た自分の脳内変換を、だが心が拒絶した。
“光の公主を、セナ様を…連れ出すのが適わぬならば殺せと?”
そんな陰謀が動いているような事態だというのに、自分はこんなところで何をしているのかと。それを思うと全身の血が逆流する。一刻も早く城へ戻らねばと、思ったと同時、
「………っっ!」
大きく振りかざしたアシュターの聖剣が凄まじい剣圧を放って、従者らしき男を触れもせぬまま軽々と突き飛ばしたが、残りの二人は何とか踏みとどまっており、
「ほほぉ、こりゃあ凄い。まだこんなに動けるとはな。」
新たに現れた男は、やはり楽しげにそんな言いようをし、手にしていた眼鏡を顔へと戻すと両手を空け、腰を落として身構える。
「阿含、何をする気だ? 手荒な真似は…。」
「心配しなさんな。大切な御身、痛めつけはしないし、下手な咒でもって穢しもしない。僧正様ンとこに連れてくまでの間、気を叩いて、ちょっくら静かになっていただくだけだよ。」
どこかふざけた口調にて。穏便に済ますと言いつつも、手を焼く獲物ほど楽しくてしょうがないと言わんばかり、その眸だけは冷徹なまま。
「さぁて、本調子じゃないのが残念だが、天下に名だたる白き騎士、進清十郎サマの腕のほど、確かめさせてもらおうじゃねぇの。」
首尾よく運ばなかったことさえ、これ幸いと言いたげに。男はまとっていたマントを背後へと勢いよくからげ上げ、顔にかかっていたフードも跳ね上げて、舌なめずりでもしかねないような面持ちで、進と真っ向から向かい合うポジションへと立ったのであった。
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*さあさ、お話が妖しい方向へと動き出しました。
やっと出てきたと思ったら、進さん、いきなりの大ピンチですし。
相変わらずのトロさですいませんです。次回まで、どかお待ちを。 |