月の子供 I  〜なんちゃってファンタジー“鳥籠の少年”続編
 



          
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 晩秋の早い宵が迫る頃には、母屋の方から奥方様やメイドさんが温かな夕食を運んで来て下さり、
『白い騎士様が此処にいらっしゃるという噂は、早くもじわじわと広まっているようでございます』
 奥方様は、少々恐縮そうなお顔になってそんな風に仰せになる。物騒な世情なればこそ、頼もしい方がおいでになるからウチに強盗に入っても痛い目を見るだけだぞと、家人たちにしてみればこの事実は広まってほしいところだろうけれど。当のご本人は、帰還したということはまだ伏せておきたいと仰有っていただけに、それでは本末転倒で。私共としても声高らかに言い触らした訳ではないのですがと恐縮なさる奥方へ、隠し事というのはいつかどうにでも漏れるもので、しようのないこと。気にしてはおりませんよと、騎士様ご自身が訥々とお返事なさる。静かな落ち着いたご様子にもぎこちなさは微塵もなく、ホッとなさった奥方には単に"ああ、寛容な方だ"と思われただけであろうけれど。この場にもしも、曾ての…近衛兵時代の彼をよく知る馴染みの者がいたならば、さぞかしびっくりしたに違いない。確かに、瑣末な事へいちいち目くじらを立てたり、気分次第で人を威嚇するような荒々しい態度を取ったりというような、人格の薄っぺらな人ではないところは何ら変わらないのだけれど。相手が気に病まないか畏縮すまいかというところまで考えて、わざわざ"気にしてはいません"と付け足した、社交的な奥行きが。きっと…あの堅物で朴念仁だった彼がねぇと、それこそ大仰に驚きの対象として取り沙汰されたことだろう。それでは、何か要り用なものがございましたなら、お申し付けくださいませねと。安堵のお顔のまま、母屋の方へと戻られた女性陣を見送って、二人向かい合っての晩餐をとる。よほど気を遣われているのか、三度の食事はどれも手の込んだ品揃えを心掛けて下さっており、それでも…ここに着いてからこっち、元気のなかったセナは食もずんと細かったのであるが。彼の胸底を圧迫していた気欝がやっと晴れたせいだろうか、今夜はそれを取り戻すほどにお匙やフォークもよく動いて、見ていて微笑ましいほど。
「ブロッコリーもお食べなさい。」
「うう。」
 好き嫌いはいけませんよと付け足せば、違いますと髪がぱさぱさと音を立てるほど かぶりを振って見せて、
「またお言葉が…。」
 です・ますに戻っていますと上目遣いになって頬を膨らませ、なかなか積極的に甘えて下さる王子様であり。ああ、と。指摘された騎士様がちょっと照れながら言い直すという、傍から見ると何とも擽ったいお食事を、楽しく美味しく片付けて。………さて。

   ――― コンコン・コンコン、と。

 不意に、扉を叩く静かな音がした。宵も深まった頃合いではあったが、そういう手筈だったらしく…家人の案内も請わず、真っ直ぐ離れまでやって来た人。咄嗟のこととて、セナがひくりと肩をすぼめ、間近にいた進の懐ろへと寄り添って見せたが、
「大丈夫。」
 私と同じノックだから待ちかねた相手だと、少年の柔らかな髪をぽふぽふと優しく撫でてやり、進はそのまま扉へと向かう。
「…高見か?」
「ダメでしょう? そちらから名前を出して尋ねては。」
 それでは何にもならない、相変わらずに あなたは捻
ひねるということを知りませんねと。会って早々にお説教を繰り出したことこそ、目的の人物だという証しででもあったかのように。おもむろに進が開いたドアの外に立っていたのは、黒い髪をきちんと撫でつけ、銀縁のメガネをかけた、どこか知的な雰囲気の強い人で。それでも…出来るだけ目立たぬよう、くすんだ色合いのマントを羽織っていらしたけれど、その下にお召しだったのは紛れもない…王国に仕える兵士の正装。しかも、袖口や胸元に、特別な階級章が縫いつけられているほどの人。そう。この方こそ、白い騎士様こと進さんが"つなぎ"をつけた相手、現在の近衛連隊の隊長を務めている高見伊知郎という男性だそうな。
「よく無事で戻られましたね。」
 まずは出迎えた旧友の進へと懐かしそうな柔らかい声をかけ、それから、部屋の中ほどに立ち尽くしていた少年に気がついて、
「あなたが、セナ殿下ですね。」
 側室様や正妃様は日頃は王宮の奥の院にいらしたその上、それでなくともセナが居た頃は、こちらもまた まだまだ幼いほど若い"見習い兵士"であったろうから、対面した機会はまずはなかったお相手。それでも…進が届けさせた文にて事情は通じてもいるし、温厚で寛大で、下々の者たちにもお優しかった先の王のことは、重々覚えている彼であるらしい。敬愛してさえいた方の御子息であるセナだとあって、お初のお目見えに預かった高見の感慨も相当に深いものであるらしく、
「先王の面影をお持ちです。」
 まだまだお小さく、大人しそうな佇まいでいらっしゃる王子様の御前にて、わざわざ跪
ひざまづいての礼を差し向けたため、
「あ、あのっ。」
 それでなくとも、まだ何も思い出せないままのセナだったから。どうかそんなお気遣いはなさらないで下さいと、遠慮がちでいらっしゃる殿下をまずは慌てさせた人でもあった。


「私のことを覚えていてくれたのですね。」
 セナから勧められてテーブルへとついた高見さんは、その王子様が淹れてくれたお茶に、やはり深々と礼をして。あらためて進へと穏やかそうな眼差しを向けた。それへと、
「城下へ入るにはどうしても手引きが要ったのでな。」
 とは言っても、現王に仕える彼の意向というものもあろうに、無理から声をかけた格好になったことへ、進が済まなかったなと詫びると、
「何を水臭い。私は嬉しいのですよ。よくぞ、頼ってくれましたね。」
 高見はそれは優しい笑みを見せてくれる。勇猛果敢な進のことを知らぬ兵士や剣士はいなかったけれど、逆に進の側からは…ちゃんと周囲の人々を把握していたのかどうか。直接的には同じ部隊に配されたことはなかったけれど、人の名前やら所属やらを取り違えることが少なくはない男だと聞いたこともあって、
「あまり他人には関心がなかったようにも思っておりましたからね。」
 にっこりと微笑った高見の言いようへ、セナもこっそりと苦笑する。頼もしい進にも欠点はあったのだなと、そして…そんな人間だというところを把握された上で、だのにも関わらず"頼ってくれたのが嬉しい"と言われるような、素朴で信望も厚い人格をした男であるのだと。そうと思って擽ったくなったのだろう。それはともかく、

  「この方を連れて戻って来られたという事は、
   あらかたの事情はむしろ私以上にご存知なのでしょうけれど。」

 王族に、皇太后や国王の傍に控えている彼としては、先の…進が数年ほど前に放逐された事情とやらもよくよく知っており、
「ここ最近の皇太后のなさりようは、余りに度が過ぎていますからね。」
 何と言っても、元は巫女様でもあられたお方。多少の無茶も突飛な指示も、少々根拠の不明瞭なお言いようも、何かしらの"お告げ"が降りて来られてのものなのかとも。これまではギリギリそんな解釈をしてらしたのですが。今や…実のお子様である国王様までが"もう ついて行けない"と言わんばかりの苦悩の様をお見せで、と、彼自身も困惑が絶えないらしき様子。現在の王城キングダムの対外的な評判を落とし、城下を荒
すさませてもいる原因となっている、捜索部隊の強引な侵攻行動にしてみても、
「確かに、曖昧なお触れでの探索なんですよ。」
 最初の内は"アンジェリーク様も慣れない下界に彷徨なさる生活にはお困りな筈、遺恨はもうないから城にお戻りいただきましょう"などと、寛大な仰せだったものが。何やら…奇妙な根付けを探せの、傍仕えの娘さんを探せのと、細かい指示も後からついて来たその上に、あっと言う間に人海戦術を繰り出されてしまわれた。しかも随分と粗暴で野蛮な無頼の輩まで取り立ててという、乱暴極まりない運び。だのに…こちらの作戦参謀である蛭魔が指摘したその通り、対象とされている人物への但し書きには"罪人だから"などという決定的な詳細は、まるきりのこと、ついて回っていないらしい。その点へ、
「捕捉の仕方がいかに乱暴になっても、それはあくまでも現場の勝手な行為だと巧妙に言い逃れるためではないかと、そんな解釈をする者も少なくはありません。」
 是が非でも…どうかしたなら大怪我をさせるほどの無茶な方法を取っても良いからと、強く思っているほどの乱暴な手の打ちようではあるけれど、それを明文化はしないでおくことで、名のある大国が何と狭量なことをという種の、直接の誹謗中傷が向けられないようにと構えている。何かしらの悲劇が生じても、自分たちはそこまで命じてはおりませんと言い逃れるつもりでいるらしく。だが、そうなると、乱暴なことはするな、手厚く処理しなさいという但し書きもない以上、暗にそれを望んでいるのだろうと。現場で立ち回る乱暴な輩たちからは、その方が面倒がなくて楽だからとばかりに勝手な解釈をされても、これまたしようがない。
「末端の…それも傭兵たちがどのような無茶をするやらと、国王様も頭を抱えていらっしゃるのです。」
 現在の王位にいるのは、セナとさして年の変わらない うら若き少年王だ。実母であり、しかも…王位継承権を巡って起こった内乱の最中は、何が何やら勝手の分からなかった自分に代わって軍の采配を取り、それはご尽力下さった皇太后が相手では、政治向きへの指揮采配をいまだに振るわれていることへもそうそう強いことは言えないでいるのだろう。一体どこでボタンをかけ違ったのやらと、のっぴきならない現状に陥ってしまったことへ、彼もまた憂うことしきりだったらしい旧友は、だが、

  「あの内乱からして魔性の関わった仕儀だったとなれば、
   現状のこの収拾のつかない大混乱にもキチンと納得が行きますよ。」

 進の寄越した文にほんの片鱗のみながら綴られてあったのは、現状へと至った因縁の欠片。そこには…今現在の王宮に巣食い、人心を惑わす妖
あやかしの気配の存在があるということをすっぱりと断じてあり、本来ならば"何を馬鹿げたことを"と一笑に付すところのことが、だが。何と自然に理解へと馴染んだことか。書いて寄越した相手が、ややこしくも複雑な策謀には無縁な、愚鈍なくらい誠実な男であったから尚のこと、淡々と綴られた全てが信じるに足りた。そして、そんな納得を見せる高見の言へ、
「…成程な。」
 厚き忠誠を捧げて間近に仕える者にまで不安を抱かせるような、そんな危うい現状なのだということを、こちらも改めて思い知らされた進である。だからこそ、そういう無体の言い出しっぺに詰め寄って、とっととお触れを下げさせようと言い出した蛭魔だったのだろう。いささか乱暴な言いようではあったけれど、こちらの手勢があまりに少なく、事態の真相があまりに複雑であるがため、それを説いて人を集める時間もないことを思えば、

  "的確な作戦ではある訳だ。"

 無論、もっと長い長いスパンでの計画も立てられないではない。従者の一人もない身軽な身であることをいっそ生かして、とにかく逃亡に逃亡を重ね、瀬那の母上の母国である外海の国へと渡って、あらためて理解者を募るという手もなくはない。表向きには外交を優先して和睦を結んだとはいえど、血のつながった娘にあらぬ疑いをかけて放逐し、路傍に迷わせ亡き者にしたのだという恨みが完全に拭われた訳ではなかろうから。感情論からも、はたまた政治的な立場の優劣バランスを考慮する上からも、向こうの王族へ付け入る術は結構あって。そういう策もあるのだと考えれば、こんな電撃作戦はいかにも無謀には違いないのだけれど。そういう気の長い"呪い"の構築は、仕掛ける者の忍耐を糧にして、それは恐ろしいものへと変貌する。すなわち、時間を食えば食うほどに、逆襲に転じた時に怨嗟の炎を浴びる人々への被害の規模だって凄まじいまでに膨らんでしまう。ぶっちゃけた話、国同士が食い合う凄まじいまでの大乱にさえなりかねず、その災禍に直接には何の恨みもないような、平民の兵やその家族にまで悲しい思いをさせるような"大きな禍根"にさえ発展しかねないという訳で。

  "…奴がそこまで案じたとも思えんのだがな。"

 う〜ん、何せあの蛭魔さんですからねぇ。ただ単に短気な彼だから思いついた、手っ取り早いってだけの作戦なのかも。
こらこら これまでは ただ指示されたままを遂行していた進だったが、現状というものを知己から改めて聞かされたその上で、いかに巧妙な策であったのかを思い知っていたりするから…ある意味ではこの人も結構豪気な人である。まあ、彼の場合、余計なことを考えてはいられないような、微妙な状況にもありましたからねぇ。(くすすvv) 状況・事情を刷り合わせて、さて、
「ともかく城下へ入らねばならないのでしたね。」
「ああ。」
 相手側の大ボスを相手に、蛭魔が一体どういう"膝詰め談判"をするつもりなのかは、進にも全く想像がつかないものの、今はとりあえず。あの黒魔導師さんの立てた計画に沿って、セナの護衛をこなしつつ、城下へ秘密裏に侵入しておくことという段取りが進の双肩へと託されている。人数が少ないが故の一か八か。こっちから出向いて行っての直接対決といこうじゃないかと、豪気なことを言い出した蛭魔であり、そんな"奇襲作戦"を成功させるには、とにもかくにも…相手の間近まで静かに静かに潜行しておいて、有無をも言わせず一気に襲い掛かるという、せいぜい意表をつく段取りがまずは必要なのだとか。よって、そのために…城下への境を守る"門衛"にも顔が利くだろう近衛連隊隊長の高見を頼り
アテにした進であり、侵入が無事に成功したならば、彼が携帯している翡翠の魔封石によりその気配を察知して、囮役の彼らもおってやって来るとのこと。そういった細かい段取りまではまだ話してはいなかったが、高見は"私に任せておきなさい"と、それはくっきり頷いて見せた。


  「私とて、誇り高き"王城キングダム"の人間です。
   国の名がこれ以上の恥辱にまみれてしまう前に、
   悪鬼は制して元の清
すがしくも気高い王国に戻したい。」









            ◇



 やがて…闇の帳
とばりもすっかりと落ちた晩秋の夜半。天空には月齢の重なった大きな月がある筈だが、群雲に隠れてか今はその輪郭さえ見えず。群青の世界の中、ところどころに点在する家や厩舎や納屋の輪郭が仄かに黒く浮かぶのと、堀の代わりの川の浅瀬が時折 魚の銀鱗のように光って見えるだけ。隠密行動に明かりは禁物とばかり、灯火もなしのままで宿を借りている屋敷の敷地の外へと走り出た彼らであり、それだと足元が不自由だろうセナは進が背に負ってのこと。

  「しばらくの間はご辛抱くださいませ。」

 窮屈な思いをすることへとそう告げた進だったのだが、セナがそれへと…ちょっぴり頬を染めて頷いたのは、堅苦しい物言いをすることも含めてという意を、彼の表情に読んでのことだったりする。城下を巡る外郭地域の農村を機敏な足取りにて駆け抜けて、やがて見えて来るのは、夜陰の漆黒に灰色に浮かんで冷たく聳
そびえ立つ、石造りの頑健にして高い壁だ。恐らくは世界一かもしれないほどの規模と強度を誇る強大な"楯"にそのぐるりを囲い込まれた城下の町は、夕刻になると数人がかりという大仕事によって、これもまた頑丈な"大門"が閉ざされる。これは特に近年に始まったものではなく古くからの習慣で、夜襲に逢わぬためにと大きな城塞都市ならばまずは構える基本の防御。とはいえ、何かしらの急用で夜間であっても出立する者もあれば、緊急の事態を携えた伝令や訪問者もあろう。そういった人々は門に詰めている担当官によって素性・用向きを明らかにするという"検問"を通過せねばならず、
「いくら混乱しかかった現在の情勢であれ、近衛と城塞担当だけは堅実な部隊を保持しているのです。」
 なればこそ。この、近衛連隊隊長という肩書を持つ高見の出入りであれば、そうそう咎めを受けることもなかろうし、詮索も受けまいと踏んでの即日敢行。夜間における唯一の通用門である"南門"へと進路を取った3人は、やがて…仄かな明かりが洩れている一角をそれぞれの視野に収めると、身なりを整えるべく、一旦立ち止まった。
「良いですか? 殿下は急病人ということにしましょう。町の高名な医者に見せなければならないので、その医師と親しいからと呼ばれた私が、家人である進とともに村から町へ折り返して来たということにします。」
 進の愛用の大太刀は、よく鞣
なめした革製の上着の下、彼の背中の真ん中にくくってあって、その上へ重なるようにマントを羽織ったセナがおぶさった。ただの農民があれほど見事な剣を携えているのは不自然だからで、されど、丸腰でいる訳にもいかない。特別な咒の念が込められた、使い慣れた逸品なのでとこういう方法で持ち込むことにして、
「急いでいることを強調すれば、大したチェックもなく通過出来る筈です。」
 いくら色々と持ち上がって落ち着かない空気の満ちた城下だとはいえ、まだそこまで…急患を引き留めるほどまでピリピリとしてはいまい。高見はそういった旨をセナへと告げて落ち着かせてから、
「それと…進。今あなたが背負っているのは、治療に一刻を争うという"急患"なんですから、少しは焦ったお顔でいて下さいね。」
 どの辺が焦っているやら、どっしりと落ち着き払った表情でいる旧友へ、まったく別物な忠告を授けたのであった。





to be continued.(04.1.31.〜)


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 *ちょっと中途半端なところですが、あまりに長い章になりそうなので、
  此処で一旦分けさせていただきますです。
  いよいよの正念場へ向けて、一体どんな展開が待ち受けているのでしょうか。
  しばしお待ちを〜〜〜。

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