月の子供 H  〜なんちゃってファンタジー“鳥籠の少年”続編
 



          



 北國・王城キングダムの広い領地の中心部、王族の皆様が住まう王宮こと、白亜の城の周辺を囲んだ城下の町は、国の北寄り、海に近い平坦な土地にその繁栄の都市を拓いていた。外海からの外敵にも有利な地の利と、大河に沿った豊かな土壌により、たいそう古くから文化も物資も豊かなままに栄えて来た国であり、その長い長い歴史の中には、悲しいことながら…戦いや争いの記憶も少なくなからずあったりはしたけれど。それでもこの何代かの王様の支配下においては、大きな争い事にも縁遠いままにあったのに。先の国王が若くして逝去なさってからこっちは、内乱が起きるわ、同じ大陸の同朋国や同盟地域へ兵を送り出すわ、何だか穏やかではない雲行きの日々が何年にも渡って続いており。安寧の頃を覚えている人々にしてみれば、

  《 今の王には何かが憑いているとしか思えない。》

 そんな噂をついつい囁きたくもなるらしい。明るく穏やかに栄えていた筈の城下が何となく活気を失っているせいか、その周辺の農村地域にも穏やかならざる空気は波及していて。一年分の幸いが集約されたる晩秋の収穫の時期だというのに、人々のお顔にも素直な笑顔は少なく、どこかぴりぴりとささくれ立った雰囲気が満ちてさえいるほど。そんなところへ こそりと辿り着いた先陣班のお二人さん。桜庭に示された方法にて"旅の扉"をくぐってやって来た、白い騎士こと進清十郎さんと、先王の側室アンジェリーク様の忘れ形見にして"光の公主"の玉子"月の子供"とやらであるらしき瀬那くんだったが、残念ながらその魔法の扉の旅では、王城の城下の内部にまでは到達出来なかった。まま、それは先に注意されていたから覚悟はしていたこと。古来からの魔法の力の染みついた大陸なのだという知識からの当然の防衛策として、特別な咒を唱えなければ行き来が出来ないという"扉"しか王宮や城下にはなかろうから、首都城壁の中には入れないかもしれないぞと、桜庭から前以て言われてある。そこで辿り着いたのが、城下に何とかぎりぎり間近い、農耕中心の近郊集落であったのだが…あまり大っぴらに身元を明かせない元近衛隊長さん、どこか荒んで警戒の強い様相をひしひしと感じるほどなこの状況では、拠点とするための宿さえままならぬのではなかろうかとついつい案じてしまったものの、

  『失礼ですが、白い騎士様ではございませぬか?』

 内乱の最中の活躍と、新王の即位の場に他の剣士たちと共に居並んで、式典へ華を添えた立派な威容を覚えていた方がいらっしゃり、

  『そうですか、国王の命で外国での武者修行においででしたか。』

 それは大変でございましたね、騎士様のお出掛けの間に城下も随分と荒(すさ)んでしまいました、お泊りの宿をお探しですか? それならウチの離れをお使い下さいまし、ご帰還の旨はまだ内密になさりたいのですか? 承知しました、口外は致しません。お連れの方は…弟御様でいらっしゃいますか、それはそれは。どうか気兼ねなくご滞在下さいませ…と。ちょっとした豪農の方らしく、それは気安く寝泊まりのお部屋を提供して下さった。ただし、人が良いからというところから発しただけのお申し出ではなさそうで。お部屋の準備にとお片付けを手伝って下さった奥方が遠慮がちに言うには、どうも近年、城下のすぐ周辺というような此処いらでさえ、野盗や無頼の渡り剣士崩れなどが徘徊していて たいそう物騒なのだとか。セナがいた簡素な村よりも整然と整えられた耕地が広がり、若い衆も多数畑に出ているという土地柄でも、そういう方向での荒廃により何となく生気が感じられなかったのであるらしく、
"…成程な。"
 そこで。進のような、名のある腕も立つ人物にいてもらえたら心強いという、ある意味での"下心"があってのお申し出。まま、ただただ親切心からのものであっても、今は殊更に疑いの目を持たねばならぬ身の上であり、それを思えば…いっそこんな風な分かりやすい"交換条件"がくっついている方が、却って気も休まるというものかも。今はとりあえず蛭魔から授けられた"作戦"を手早く遂行せねばならない身だから、考え込むよりてきぱきと動く方が先で。そして、こんな状況だというのが…威張ってはいけないものの、不言実行派である進にしてみれば願ったり叶ったりな状態でもあって。落ち着き先が決まったところで、早速にも集落のあちこちを見回りながら、それとなく探りを入れてみて。城下の市場に出入りしている者を見定めると、とある人物への伝言を依頼した。その返事が手元へ届き、何とか胸を撫で下ろしたのが、あの寒村を出立してから3日目の昼下がりのこと。人伝てに預けられた文を受け取って寝泊まりにと借りた離れの部屋へと立ち戻り、表からのドアを"こつこつ・こつこつ"と二度ずつノックすると、
「…はい。」
 小さな声が返って来た。返答の前に一瞬の間合いが空くのは、緊張から怯え切っている彼だからだろう。本当ならこんなにも無造作にその傍らから離れるべきではないのだが。ただでさえ不安だろうから、むしろ一緒にいてやるべきなのだろうが。
"……………。"
 何となく。この旅に出る運びとなったその時から、セナの様子が微妙に訝
おかしくて。そして、
「………。」
 そのぎくしゃくと落ち着かない気配の原因や正体が、一体どういう種の代物なのか。この鈍い男にも何となく…ひしひしと察しがついていたりする。その直前までは、進に対する恐縮や遠慮という格好にての物怖じから発した"畏縮"の構えをついつい見せていた少年が。あの魔導師さんたちの訪問からこっち…彼の身の上というものが明かされてからのこっち、ちょっとばかり色合いの違う"萎縮"を差し向けられているというのがようよう判る。畏怖の念に満ちながらも怖ず怖ずと、様子を伺いながらもこそりと甘えてくれていた。好もしく思ってくれていた、擽ったいほどに甘い感情がそそがれていたものが…今は。怯えと紙一重の、どこか冷たく堅く張り詰めた緊張感のみを向けられており、
「遅くなりました。」
「あ、いえ…。」
 此処に着いてからもあまり構ってはやれないままに外出の続く進を、何の手筈がどう進んでいるのかと問うこともせず、ただただ不安げに黙って待っている彼であり。
「………。」
 何かしら話しかけようと意識を向けただけでも、
「…っ。」
 戸口から遠い窓辺に立ったままにて、ひくりとその薄い肩を震わせてしまうセナだから。そして…そんな痛々しい様子になってしまった原因が、他でもない自分にあるのだと。この朴念仁で鳴らしている武骨な剣士にも、さすがに判ってはいるらしく。傍らにいては却って緊張させはしまいかと…もしかしたならこれも自分に都合が良いようにという解釈なのかもしれないが、隠れ家としては申し分のない居室を得たことを幸いに、この数日はむしろ距離を置くようにして過ごしていたのだけれど、

  「セナ様…?」
  「何でもないんですっ。」

 やっとのことで手筈も整い、ではと。話をしようと向かい合いかかった進の声を、ついつい慌てて遮ってしまい、
「あ…あの、すみません。」
 無礼なことをしたと謝りながら、口許だけを引きつらせて見せる。以前のような…ちょっぴり恥ずかしげだった笑顔はどうしても作れないらしくって。
「進さんはボクのこと、守ってて下さってたんですね。気がつかなくて…ダメですよね、ボク。」
 どうにも鈍感だから、そう言って…気に病まないでと、何とか笑おうとする優しい子。
「そうですよね。ボクなんかにどうして進さんみたいな立派な方が…。」
 あんな辺鄙な寒村に、一体どうして旅の途中の渡り剣士様がずっと滞在していて下さったのだろうか。人にしても魔物や凶暴な動物にしても、修行の相手に足るような存在なぞ百年待ったって現れはしないだろう、ただただ寂れた小さな村に。もしかしたなら…まさかとは思うけれど。自分のことを頼りないから放っておけないとか、そんな風に思って下さってのことかなぁなんて。だったら、不甲斐ないことだと反省しなくちゃいけない筈が…どうしてだか頬が赤くなるほど、切なくも嬉しかったのに。
"ボクが"王子"だったから…。"
 自分のことにしては実感もないし、いまだに信じられないことだけれど。そういう肩書きがあったから、進さんは王族にお仕えする当然のお勤めとして、自分の傍らにいて下さったのだと。
"ボクだからじゃなくて…ボクが王子だったから…。"
 それがこの自分ではなく、他の人であっても同じようにしただろう"お勤め"の一環としてのもの。騎士としての義務。そうだったんだと分かって、不思議だったことへ合点がいって。なぁ〜んだと納得しながらも、

  ――― 何故だろうか、胸の奥がつきつきと痛いの。

 今までと変わらずに傍らにいて下さる進さんなのに。足元が悪かったり荒れた道を行く時などは、前よりもっと頻繁に手を貸して下さったりもして、それこそ"下へも置かぬ"という手厚さを頑張って示して下さっているというのに。だのに。どうしてだろうか、胸の奥がキリキリと痛い。村にいた間のずっと、事情を黙っておいでだったのは、ボクにかけられていたという"暗示"がまだ解けていなかったからで。無用な混乱をさせてはいけないと思ったからだろうし。今だって…たった4人しかいない陣営だというのに。相手は国王様や王国が誇る立派な禁軍の兵隊さんたちで、しかも皇太后様の命を受けて動いている人たちで。こうまで不利で、一体何をどうしたら引っ繰り返せるのか、素人の自分にはとんと分からないほどの状況だというのに。非力な僕の身を守ろうと、やはり傍らにいて下さる、廉直で律義な頼もしい人。

  "これ以上を望んではいけないんだ。"

 進さんだけじゃない。こちらが城下に潜入を果たすまで、敵の目を引きつける"囮"をこなして下さっている、蛭魔さんや桜庭さんのご尽力を無為にしてはいけないから。だから頑張らなくてはいけないんだと…頑張ろうと思いはするのだけれど、でもね。胸が苦しい。辛くて堪らない。こうまで気落ちする理由が自分でも分からない。何で…進さんを前にして、特別 何かが変わったということもないのに、こんなにも ぎくしゃくしちゃうんだろう。変わらずに一緒にいて下さるのに。とても優しくして下さるのに、何故?

  「………。」

 困惑と不安とに口を閉ざしてしまった少年を前にして、一方の騎士様もまた、気の利いた言い訳の出来ない身がもどかしいと感じつつ、意志の強さを常に浮かべた口元をぎりと引き絞り、ついつい黙りこくってしまわれる。今の今までは、自分に課せられた手筈の完遂を優先せねばと集中し、様子の訝
おかしいセナを、それと気づきながらも見て見ぬ振りをして来た騎士様であったのだが、

  "……………。"

 その"見て見ぬ振り"という何げないはずの代物が、どうしてだか…途轍もなく辛い苦行であったことが、この雄々しき男には実は初めての体験だった。どんな苦しい戦いや試練であっても、さして感じるものもないままに掻いくぐって来れた剛の者だったこの自分が。こんなにも小さな少年から切ない溜息を聞くたびに、怯むような眼差しを向けられるたびに、何とも落ち着けず、歯咬みしたくなるくらいの焦燥を感じるのは何故? ぐさりと痛い大怪我を負った訳でもなく、責任の重い試練の通告でもなく。なのに、何故だか。形の無い、捕らえどころのない不可思議な苦痛が胸の奥で燻り続けている。判っているのは、この稚
いとけなくも愛らしい少年がたいそう傷ついてしまったらしいということと、その原因である自分の側もまた…どういう訳だか、苦しくてしようがないのだということ。無愛想なことや恐持てがすることから、小さな子供から怯えられたり華やかな宴の席などで敬遠されるような扱いには既とうに慣れていた筈なのに。戦いの最中、鋭い一瞥だけで敵を威圧し黙らせることが出来るだけの威力のある存在感が、穏やかな平和の中にあっては"怖いもの"でしかないのだと、そのくらいの理屈はようよう理解していたし、それも仕方がないことと…これまで何とも感じずにいた自分なのに。どうしてだろうか。この稚いとけない少年から"恐れ"や"畏縮"の構えを示されると、胸の奥がキリキリと痛む。喉奥に飲み下せない苦い何かを感じる。ほんの少し前までは、どこか恥ずかしそうに微笑んでくれていた彼が、あまりに可憐で愛らしくも、温かに接してくれていたからだろうか。だのに…今や、途轍もない追っ手に追われる身となったセナ。しかも…素性を黙ったままでいた自分は、そんな運命が間近に迫って来ていると知っていながら素知らぬ振りでいた"偽善者"でもある。それを思ってついつい身がすくむ彼なのだろうか。だとしたなら、それは仕方がない罰だなと呑まざるを得ない。ただ、
「私は…。」
 何を語っても聞いてはもらえないかもしれないけれど、彼を苦しめている何かだけはどうあっても打ち払いたくて。ひくりと身をすくませてしまったのを、目顔で窓辺の粗末な椅子の上へ。ちんまりと腰掛けさせた少年へ、そうは見えないかもしれないが…切なる決意を振り絞り、進は思うところを話し始める。
「私は、今は王宮の騎士ではありません。だから、王は元よりどんな貴籍の方々へも義理立てする言われはない身です。」
 セナは恐らく、この自分が…王家への義理立てでその御身の傍らに居続け、彼を護っているのだと思い込んでいる。確かに"行方不明になられた側室アンジェリーク様とその和子様を探せ"と依頼されはしたけれど、現状の順番は違うのだということをセナには言っておきたくて。

  「それに。」

 これだけはどうしても伝えたいこと。王子であるとか、特別なお方だと…まだ正気だった頃の皇太后様が仰せになった存在だとか。そんなことなぞ露ほども知らない内から、この小さなセナへと抱いた想いを、どうあっても話しておきたくて。

  「私はそもそも、カナリアだったあなたに惹かれたのです。」
  「…カナリア?」

 思い当たるどころか、あまりに突拍子もない物を持ち出され、セナがその大きな瞳を見開いた。キョトンとしたその無心な表情が、数日ぶりに目にした…無垢で柔らかな、彼本来の愛らしい印象を乗せたお顔だったものだから。進は自分の胸の裡
うちに温かな何かが灯ったような、そんな気がして…やっとのことで一心地つけた。

  ――― 夢の中に出て来た声の主。

 その話をした訳でもないうち、会ったばかりの蛭魔から"お前のいた宿の窓辺に、夜な夜な1羽のカナリアが訪れていた"と告げられた。切なげな声の主。泣きそうになりながら、自分の声に気づいて下さいと懸命に呼びかけて来た声の主。ああ、一体どんな人物なのだろうかと、胸の奥が騒いでならなかった、それはそれは愛らしい声の持ち主。
「あなたは助けを呼んでいた。その声が私のところへも届いていた。」
「…あ。」
 あの時のことなら、セナもまだ覚えている。森の中で攫われてしまい、1年という長い間、どことも知れない空間にたった一人で閉じ込められていて。そんな悲しい日々の中、ある日突然、夢の中に出て来た人。どこかで眠っているそのお姿だけが見えるという、何とも奇妙な夢だったけれど。日に日に鮮明になって来て、それがとても頼もしい剣士様だと判るまでになって。

  ――― どうかどうか僕に気づいて下さい。

 夢の中でずっとずっと、そんな風に祈り続けた毎日だったのをセナもまた覚えている。その人が本当に助けに来てくれたから。水晶珠に封じられていた中から、鋭い剣さばきでもって自分を出してくれたから。その本当の"出会い"のなんと嬉しかったことか。そんな自分と同じように、進さんもまた…必死で呼びかけていたセナに、逢いたいと思っていてくれたの?
「どこの誰とも知れないうちから、無性に気になっていた気持ちに偽りはありません。」
 まるでこちらの心をそのまま読み取っているかのような、温かなお言葉を下さる彼であり。だが…それがとても嬉しい反面、
「進さんは優しい人だから…。」
 だから。やはり誰が相手であれ、同じように行動を取られたのではなかろうか。そうと感じて…再び項垂れるセナを前に、
「そんなことはない。」
「???」
 そんな言いようがありますかい。
(苦笑)
「いや、だから…ですね。」
 語彙も乏しく、物の言い回しも知らず。幼い子供並みに口の回らぬ不器用者。困ったように後ろ頭を掻いて見せた彼であり、そんな飾らない仕草を見て、

  "…進さん。ボク、俺でも構いませんよ?"

 その口利きを丁寧なものへと改めたから、尚のこと ややこしいのかなと。ちょっぴり覗き込むように、気持ちを進の方へと踏み出すような格好になって、セナがこそりとそんなことを感じてしまったのはともかく。

  「私はこれまで、何かに関心を持ったということが滅多にありませんでした。」

 下士官であった間はただただ上官から命じられるままに働いた。機敏な働きから異例の早さで近衛兵まで昇格し、王の傍へと仕える身になってからも、所謂"教科書通り"な対応しか出来ない、的確なれど不器用な人間だった。単なる駒としてはそれで十分だったのだろうが、隊長という立場に就きながら、不可思議な空気の出所であった皇太后様に意見したほどに、あまりの融通の利かなさから追放されてしまった彼であり。表向きには『融通が利かないと煙たがられて、外の世界を知ることでそういうところが練られるのではないかという古参の者の進言から、城から出された』ことになっていた彼なのだが、それからすぐさまという勢いにて始まったらしき、国軍による"月の子供"探しにさえ気がつかなかったほどに、あまりに無感動なところは何の変化もないままだったものが…。

  『聞こえませんか、誰か。ボクの声が聞こえませんか?』

 あの切なげな呼びかけに、何の先入観もないまま、あっさりと搦め捕られたのは揺るがしようのない事実だ。そして今、

  「あなたに、そんな哀しげなお顔をさせていることが、
   今は…例えようもなく辛いです。」

 体の側線へと添わせて降ろした両の手が、掴むもののないままに空しく震えてしようがない。力仕事以外は何をさせてもとことん不器用な筈だったのに。儚くも華奢な、小さなセナを抱えたり助けたりする力加減だけは、あっさりと覚えてしまった何とも現金な手。狭い離れの部屋の中。ほんの数歩分しかない二人の距離が、どうしてだろうか、この世の果てと果てのようにさえ思えて…苦しくてしようがない。そして。そういった想いの丈を、この…目の前にいる小さな存在へ、うまく伝えることの出来ないもどかしさ。王子だからなんて関係ない。今、はっきりと判った。自分は彼が愛しくてしようがないのだ。

  ――― せつなくて、くるしくて、つらい。

 切なくて苦しくて辛いという"言葉"になる前の段階で、もう。心が掴み取られ、揉みくちゃにされ、息が詰まってしまうほどに。人の心とは、こんな感情に苛まれもするのだな。そしてその切なる苦しさは、体にも響くほどの痛みを伴うのだなと、武骨な剣士様、生まれて初めて体感なさったらしくって。


   ――― そして。

  「………あの。////////


 あの…ね、と。セナが小さな声を出す。その薄い胸の下。何故だか、とくとくとく…と。ずっと鼓動が速まっている。だってね、進さんが。その深色の瞳で、切ないことを一杯一杯話しかけて下さるのだもの。お怪我をなさった訳でもないのに、慣れない痛みに煩悶なさっていることとか、その原因は………またまた俯く癖が出てしようのない、ボクだってことだとか。切なそうな眸をなさって、そんなことを囁いてこられるものだから、さっきからドキドキが止まらないの。(…止まったら死にますって。)
おいおい

  ――― 何故だろうか。胸の奥がつきつきと痛かったのに。

 今はね、顔に赤みが差しているのが自分でも分かる。どうしようかと頬を両手で押さえて俯くと、かたり…という音がして。

  "…あ。////////"

 優しい気配が近づいて来た。でも、少しだけ…まだ距離を置いて立ち止まる人。
"ボクがずっと怯えていたから…。"
 それで。不用意に近づくとボクが怖がるのではないかと心配して下さっているのかしら。そうだよね。進さんはだって、とっても優しい人だもの。マルガリータさんのところへヤギのミルクを分けてもらいに行く時も、僕が提げてたミルク缶を…そぉっとそぉっと取り上げる人。痛くしないように、怖がらせないように、慣れのないことだったろうに物凄く沢山の気を遣ってくれた人。………だからね、

  「………。」

 かたん、と。粗末な作りの椅子から立ち上がり、まだ少々俯いたままながら、小さな肩を緊張に堅く強ばらせながら。セナの側から"あと少し"を詰めて見せる。向かい合うとはっきりと判るのが、双方の背の高さの違いで。ちょびっと俯いたままなセナには、近づけば近づくほどに、進さんの足元しか見えなくなって、そして。進さんの側からは、セナくんの黒い髪とつむじくらいしか見えなくて、でも。

  「…っ。」

 どんどん近づいて来て、ぽそんと。その頑丈な胸板へ、おでこごと頭を凭れさせて来た小さなセナくんには、進さんの…胸板よりも頑丈な筈の心臓が、ぎゅうっと締めつけられてしまった様子。

  「…セナ、様?」
  「………。」

 そういえば。今日はさっきから、初めて名前を呼んでくれてた進さんだったのに。そんな風に呼ばれたくないなって、ちくんと しちゃった。さっきまでだってそう。自分はどうしてあんなにも…自分を自分として見守られていた訳ではないのだと思うだけで、息が詰まるほどの辛い衝撃を受けたのか。それは…

  ――― 進さんのことがそれだけ大好きだったから。

 助けてくれた人だったから? 頼もしい人だったから安心出来て? 違う。こんなにも慕ってしまったのは、寡黙な剣士様のその優しい深色の瞳の囁きがちゃんと読めたから。慈しみの頼もしさに満ちていた眼差しは、それは真摯で、それでいて温かくて。瞬きや眼差しの色合いだけで、何を案じて下さっているのか、何を褒めて下さっているのか、何に感謝して下さったのか。ちゃんと分かった自分であって、それが分かる自分なことがまた、格別に嬉しかったのではなかったか。

  「…進さん。」
  「はい。」

 ああ、優しいお声だな。こうやってるとね、頬に直に響いて来るの。それに、温ったかいなあ。いつだったかもこうして下さったんだった。えっと、そうそう。木の上に引っ掛かった洗濯物を取ろうとして、登った枝から落っこちかかって。無事だったけどとってもドキドキしていたら、鼓動が収まるまでってそぉっと懐ろに抱えてて下さった。
「あのね、あの。」
 そぉってお顔を見上げたら、優しい眼差しが見下ろしてくださっててね。///////
「ボク、あの…。」
 なんて言えば良いんだろ。困ったな、えとえっと。真っ赤になって言葉に詰まっていたら、進さんの大きな手がゆっくりと髪を梳いて下さって。//////// やわらかな眼差しは、急がなくて良いからって囁いてて下さって。ああ、こんなに幸せな気持ちになれたのに、ボクってホントに馬鹿だ。何で、何をこだわってたの? どうして進さんの眸を、もっと早くに見なかったの?

  「ボク、あの。ごめんなさいです。」

 勝手に思い詰めててごめんなさい。進さんは何も言わなかっただけだのに。それを、何も言ってくれなかった、だなんて、曲解しちゃっててごめんなさい。そいで、あのその。怖がったりして、傷つけて。本当にごめんなさい。一生懸命に言いつのる愛しい人へ、頼もしき騎士殿は………それは眩しげな微笑みを、精悍な頬に口許にと浮かべて見せてくれました。






  aniaqua.gif おまけ aniaqua.gif


  「あの、ね。1つだけ我儘を聞いてくれますか?」
  「? 何ですか?」
  「進さん、お言葉が改まってしまったのが、何だかつれなく聞こえます。」
  「それは…。」
  「ボクが"王子"だから、でしょう? でも…。」
  「………。」
  「お願いです。他に誰もいない時は、前のような話し方をして下さい。」

 却ってややこしいかもしれないけれど…ダメですか? 懐ろの中から大きな瞳がじっと見上げてくる。少ぉし小首を傾げての、幼い子供のような無垢な眼差しの、その清らかさに心打たれて………じぃっと見とれて数刻ほど。ようやっと"くすん"と微笑って見せてから、
「…判りました。」
 そのようにと頷いたその途端に、うんっとむずがるようなお顔をされてしまい。騎士殿、あれれと意外そうに眸を見開いてから…。

  「………判った。これでいいのだな?」
  「はい。////////









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 *お待たせいたしました。
  何だかぎくしゃくとしたままだった、メインな筈のこちらのお二人さんも、
  これで何とか、元の莢に収まってくれましたようで。
  こっちの二人はね。
  もうもう、魔導師さんたち以上の以心伝心カップルさんですんで、
  はっきり言って心配は要らないんですよと、
  無責任な言いようをしてみたりする筆者でございますvv