月の子供 J  〜なんちゃってファンタジー“鳥籠の少年”続編
 



          
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 元はよほど大きな樹だったのだろうなと思わせる、それは太くて背の高い、堅い材質の丸太を何本も何本も並べて組んだ、まるで立て掛けた巨大筏
いかだのような大門が、鈍い月光の下に聳そびえ立つ。堅牢な城塞に穿たれた巨大な戸口とその門扉。その傍らにぽっかりと開けられた、小さな耳門くぐりのような規模の戸口が、夜間における唯一の出入り口である通用門である。不審な者が強引に通過しようとするのを少人数でも阻止しやすいようにか、その戸口はあまり間口も広くはなく。それでも戸口の左右に1人ずつ、武装した門衛が立っているのはセオリー通り。あの離れを訪れた時はマントを胸元へと掻き合わせて隠していた近衛兵の制服を、今は堂々と晒すようにして、機敏な足取りにて戸口へと近づいた高見であり、
「これは連隊長閣下。」
「夜分にご苦労様でございます。」
 さすがは人の出入りを預かる所属の者で。高見の顔を見ただけで、その官位や何やがあっと言う間に意識下まで引き出される蓄積があるらしい。門口に並んで立っていた、歩兵装束の簡易武装をまとった二人の門衛が、ババッと音がしそうなほどに切れのいい動作で敬礼して下さったのへ、
「お勤め、ご苦労様です。」
 高見の側からも丁寧な挨拶を返す。たとえ階級は下であれ、部署が違う相手なのでと、これは常に彼が心がけている丁寧さであり、こういった優しい人性であることも重々知られているらしく、
「これは高見様。」
 戸口をくぐった途端に、今夜の係の責任者にあたる者だろう、尉官クラスの兵がわざわざ駆け寄って声をかけて来た。
「いかがなさいましたか。」
 此処を出た時点で"外出"を届けてはあったので、戻って来たことに不審はないだろうが、頭数が増えていることへの一応の説明を欲しがっているのだろう。とはいえ、特に怪訝そうな顔でもなく、
「夜分にお仕事を増やさせてすみませんね。この者は私の知人なのですが、夕刻近くに急な病に倒れてしまいまして。」
 背後を振り返って見せた彼の視線の先。フードをかぶっていて顔ははっきりとは見えないが、上背のあるなかなかに精悍な男の背中に、小さな少年がちょこんと乗っており、言われて見れば…くたりと萎えて元気がない様子。
「村の医者では原因が分からないということなので、これから御典医の岸先生に看てもらおうと、療養所まで連れて行くところなのですよ。」
 困ったことなんですと、善良そうなお顔を曇らせる近衛連隊長様であったため、相手にもその窮状は伝わりやすかったらしい。
「判りました。どうぞお通り下さいませ。」
 緊急なこととの呑み込みも早かった。居合わせた他の当番兵たちに道を空けさせてまで、先を急がせようとしてくれたのだが、その矢先、

  「おっと、待ちな。」

 何だか伝法な調子の、居丈高な声に呼び止められた。ついのこととて足が停まったこちらへではなく、一応は係の者へと向けて掛けられた声であったらしく、

  「何でまた、俺らは留め置きで、あの兄さんたちはあっさり通過出来るんだ?」
  「無礼なことを申すな。あの方は近衛隊長様なるぞっ。」

 日頃はそういう"えこひいき"をあまり好かない高見なものだから、少々気が引けつつもここは我慢。分厚い壁である城塞に穿たれた格好の城門通廊は、さながら大きなトンネルのようなもので。しかも夜半で、その上、門が蓋のように閉ざされているがために、たいそう薄暗い。等間隔に天井と壁へランプや火皿が灯されているものの、淡い光は幾重にも重なり、却って物の詳細を曖昧にしているばかり。そんな中で待たされていたことへ焦れでもしたのだろうか。どうやらこの男、例の捜索隊にと集められたクチの無頼の者であるらしく、一応は兵士の身なりをしてもいるが、この横柄な態度や口利きといい、あまり"働き者"では無さそうな。彼らの問答を聞くともなく聞いていると、
「国王の兵には違いはなかろう。しかも、だ。俺らは危険な前線に出て働いている。安全な王宮に居残って、お人形さんみたいにお綺麗に、埃ひとつ立てずにかしずいてる奴よりも、俺らこそが優遇されるべきではないのか?」
 他の国や時代ならいざ知らず、たかが人捜し・物捜しの捜索部隊への傭兵だろうに。本格的な戦争にと駆り出されている身でなし、何が"危険な前線"だかとその場にいた担当の者たちが皆して呆れたのは言うまでもない。少しばかり酒を飲んででもいるのだろう。いやにねちねちと絡む男であり、
「なあ、おい。俺は何か、間違ったことを言っているのかな。」
 係の兵では埒が明かないと思ったか、こちらへも声をかけて来た。この狼藉者がと係官たちが何人か、それを制しようと勇み立ったから、周囲にばらばらと所在無さげに佇んでいた男の仲間も黙ってはおらず、手に手に提げていた武器の鞘を払って加勢にと駆け寄ってくる。そんな殺気立った気配が一気に沸き立ち、狭苦しい検問所通路はたちまちにして、目には見えないものの急速に収縮を始めた、冷たい緊迫感にざわりと包まれてしまう。
「これは困りましたね。」
 眉を寄せた高見がそれでも、連れの頼もしい腕を押すようにして自分よりも先へと促してから、まるで彼自身が楯にでもなるかのように、騒ぎと彼らとの間であるその場へ立ち塞がる。旧友のそんな態度を見て、
「?」
 怪訝そうな顔つきになった進に向かって、
「あなたは急ぎなさい。」
 こちらは咎められる訳でなしと最初から腰に下げていた細身の剣を抜き放ち、背中を向けたままで進へ対しての言葉を続ける。
「此処の騒ぎを片付けてから私も追います。私の実家を覚えていますね? そこで待っていて下さいな。」
 罵声を上げながら突進して来た無頼の輩。それを見据えた彼の眼差しが、一瞬、きりりと鋭く冴えたかと思いきや、

  ――― ひゅるぃっ!

「…ぐあっ!?」
 恐らくは、その身に何が起きたかも判らなかっただろう早業にて。しゅぴんっと宙を切り裂いた鋭く細い剣の切っ先による一閃は、相手の利き腕の甲を撫でただけ。だというのに、
「げぇえっ?」
 剣を掴んでいた手…どころか腕ごと強ばって動かなくなるから、なかなかに恐ろしい。
「乱暴な技で済みませんね。」
 ちょっとばかり筋をね、弄らせてもらっただけですよ。整体の玄人にキチンとマッサージしてもらえば、そうですね、一月もあれば治ります、と。

  "おっとりと…恐ろしいことを言う人なんだ。"

 さすがは進さんのお友達だなぁと。こちらもこんな場だというのに"おいおい"なことを思った、なかなか肝の座っていた
瀬那くんだったが、
「急ぎましょう。」
 すぐの間近から 当の進がそんな声を掛けて来たため、背中で"はい"と頷いて、その頼もしい肩へ再び ぎゅううと掴まり直す。というのが、騒然としてしまったがため、町側の詰め所にいた係官たちが何事かと表に出て来たのが見えたから。恐らく彼らは交替要員であり、門近くの向こう側からやって来た者はちゃんと調べの済んだ者と解釈して、わざわざ再度留め置くことはない筈なのだが。何かしらの騒動が起きていることに気がついたのなら、用心して足止めを言い渡されるやもしれない。
「どうしましたか?」
 案の定、声を掛けられてしまったが、
「その方はお通ししてくれ。急患なんだ。」
 ありがたいことにはそんな声が背後から掛かったため、向かって来た係官も"ああ"と納得のお顔になる。
「さあどうぞ。」
 身を譲るようにして道を空けていただいたものの、そんな彼らの向こうからの"何か"へ。

  「…っ?!」

 ざわりと。何やら得体の知れない感覚が背中を走った進であり。その背中に乗っているセナも、
「…あ。」
 何かを…こちらはその胸板に感じたらしくて、身を起こしかかったほど。そんな二人へと向けて、

  「お命チョうだイっっ!」

 丁度、分厚い城壁を刳り貫いての大きなトンネル状態になっていた通路の出口近く。詰め所のすぐ傍らであり、もう既に頭上に夜空が開けている位置。そんな地点へと到達し掛かっていた二人の身へ目がけて、ふざけ半分の嘲笑を含んだ…奇妙な抑揚にて叫びながら、頭上から飛び掛かって来た影があった。まるで待ち構えてでもいたかのようなタイミングであったが、その上というと何の足場もないただの壁。まともな"人間"がじっと待機出来るような場所ではなく、
「な、何者っ!」
 進を先へと促した交替の係官がぎょっとして見上げた相手には…異様なことに、左右に開いて ばさりと宙を叩く膜翼が背にあったらしくって。

  「セナ様、少しだけ体を浮かせて下さい。」
  「あ…はいっ!」

  ――― 全ては刹那の永遠、または長い長い一瞬間の氷結の中。


 しゃりん…っと。宵の齎
もたらした紗しゃが掛かったような視界の悪い夜陰の中に、それは涼やかな金属音がした。その余韻が消えぬうち、ガッ、ゴク…ッという、耳の奥まで届くような薄気味の悪い打撃音が鈍く続き、それから…。

  「ぎぃやあぁぁぁあぁぁ………っっ!!」

 張り裂けんばかりの野太い絶叫が放たれて、辺りの闇を圧してしまう。ばさりと乾いた音を立て、地べたに叩きつけられた物体は、襲撃者の自慢だったろう1対の翼。主人の背から離れてもなお、機械仕掛けのような ばさばさという不気味な動きを繰り返している。その持ち主の方はといえば、
「お、おのレ…。」
 城下を取り巻く城塞壁からさして遠くない建物の石壁に、その身を深々と縫いつけられていた。何者とも知れぬ羽の生えていた化けものは、獲物目がけて飛び降りた筈が…次の瞬間には途轍もない疾風によって勢いよく横方向へと吹き飛ばされていたのであり、亀裂のように避けた口元から、断末魔の呻き声がごぼごぼとかすかに聞こえて。
「コの化けモノが…。」
 いや、あなたに言われる筋合いはないと思うのだが。本物の怪物からこんな言われようをしたほどの腕前を披露したのは、言わずもがな、白い騎士様であり。一瞬の間に、背に負うたセナと自分の背中の間から鞘ごと引き抜いた剣を、更に一閃しただけで抜き放って右手に構え。そして…大切なセナの身も、その背から なめらかにすべり降ろして左腕で懐ろへと掻い込んで。剣を抜き放ちながらその身を頭上へと向けて反転させたかと思いきや、次の瞬間にはもう…襲撃者へ目がけて大きく一閃させた剣を、ぶんっと足元へ向けて強く振っていて、刃についたろう穢れを振り飛ばしていた見事さよ。
「こ、こやつは一体…。」
 単なる通行人の筈の進が"剣"という武器を携帯していたことよりも、いかにも不気味な生き物が夜陰の中から躍り出したことへと兵士たちが騒ぎ出す。やっと群雲が切れたがために現れた下弦の月。その煌々と降りそそぐ青い光に照らし出された屍は、まさに架空の生き物、骸骨に乾いた皮のみが薄く張りついた"餓鬼"としか言いようのない、不気味な外見をしており、しかも、

  「…そこから離れろっ!」

 剣をその大きな手の中にしっかと握り直した進の、よく通る一喝が辺りの空気をびりびりと震わせる。弾かれたようにその場から通路の奥へ、若しくは城下側へと兵士たちが散り散りに逃げ惑ったその後へ、同じような姿の魔物がばさばさと次々に降り立ったから。
「…進さん。」
 無意識のことだろう、セナが怯えたように懐ろへと身を寄せて来た。その小さな温みを殊更に守るように腕の中へと掻い込んで、
「これは…。」
 さすがは大ボスが王宮を拠点にして潜む"城下"だけのことはあって、

  "セナ様への感知反応のレベルが一際高いということか。"

 こんなにも判りやすい姿の化けものたちの跳梁が、なのに今夜までは起きなかったことであるからには、誰でも良いという呼応・反応だとは思えない。今夜 早速にもコトを運ぶ事にしたという段取りは、例えに出してごめんなさいな、高見でさえ予測は出来なかったろうことだから、彼が何かしら通じていてのこの襲撃ではない。魔物特有の"咒"による通信には、先程反応を見せたように進の特殊な剣が黙ってはいないから。高見は元より、門に詰めていた係の衛兵たちや言い掛かりをつけて来た無頼の輩にも通じていた者はなかろう。セナ本人が城下に踏み込んだことをこそ、ストレートに察知してのこの"歓迎振り"ということであり、
"こんなにも広範囲に、こうまで敏感な感応の触手を伸ばせる相手なのか。"
 セナがいた遠いあの村まではさすがに無理でも、逃亡途中の一行を次々に弱らせた呪咒を送って来たと まもりの遺言にもあったのを思い出す。なんと強大な相手なのかとの認識も新たに、

  「セナ様、私から離れぬようにっ。」
  「はいっっ!」

 頼もしい芯を伸ばして張りのある、響きのいい深い声でだけでなく。楯代わりにと小さな肩や背中へ回した左腕でもその御身を庇いつつ、鋼を呑んだような強靭な背条をぴんと立て、剣を正眼に構えて魔物の一群と睨み合う。魔物の存在だけでも、若しくは剥き身になっている冷たい刃の間近にいるというだけでも、こんな修羅場には無縁でいたセナにはさぞや恐ろしいことだろうに。それこそ必死の覚悟にて、進の懐ろへしっかと、だが、邪魔にはなるまいとの注意を払って身を寄せている彼であり。その健気な身構えをひしひしと肌で感じ、
"何としてでも…。"
 彼を守り切らねばとの決意を新たに固めた白い騎士。じりじりとこちらを伺っていた魔物の中から、
「そノ子を寄越セっ!」
「ひかリのコ、光の公主っ。」
「オ前は要らナい、シねっ!」
 最初の数頭が地を蹴ってランダムに飛び掛かって来たものへ、

  ――― ふわり、と。

 意外なくらいに軽い動作にて、進は剣を薙ぎ払って見せる。宙を漂う柔らかな絹を、傷一つつけぬよう、断ち切らぬように、ただ ちょいと左右へ払いのけただけ。そんな造作ない仕草に見えたものが、だが。

  ――― どびひゅうっっ

 動作を追って、空気を引き裂くつむじ風の口笛のような音がし、
「ぎぃいえぇぇっ!」
「あがぁあぁっっ!」
 べちゃりという生々しくも嫌な音と共に、異形の輩らは石畳の上へ倒れ伏した。しかもその屍、まだひくひくという震えが止まらぬうちから、ざあっと音立てて真っ黒な霧に包まれて あっと言う間に消えてしまったから、

  "???"

 これは一体どうしたことかと、相手の魔物たちのみならず、間近にて一部始終を目撃したセナまでもが意表を突かれて息を呑んだが、

  「あれは…アシュターの咒符の剣。」

 そんな声がどこやらから聞こえた。突然の襲来に泡を食って散り散りに逃げ出した門衛担当の兵士の中には、恐怖に身が凍って逃げ切れずで居残った者も少しはいて、そんな中の誰ぞかの呟きなのだろう。その声が讃えたは、剣士殿が構えたる…いかにも風格に満ちて丈長く、独特の作りをした上で咒符を刻まれた大太刀のことであるらしく、
「魔物や魔法に反応し、持ち主を守護する最強の剣。世にそうそう数はなく、この王城に伝えられしはただ1本のみ…。」
 震える声は、何かしらの"おまじない"のように。そのまま徐々に歓喜の響きをまとって大きくなり、

  「王城の"白い騎士"進清十郎様がお戻りになられたっ!」

 心強い応援が帰還したぞと言わんばかりの絶叫に塗り変わったから…。随分な追い出され方をした割に、結構 知名度高かったんですね。他の兵士たちの間にも、仄かに安堵の気配が広がったのとほぼ同時、
「なニものダ、きさマ。」
 人外の者の耳障りなイントネーションに訊かれても、答える義理はないぞと言いたげに、相手をただただ鋭く睨み据えるのみの偉丈夫が、

  「………っ。」

 じゃきり。と。大きな手の中に握り直した大太刀が、降りそそぐ月光を受けて蒼く光った。切っ先だけが ただ光を舐めたのみならず、その身に淡い炎を灯して冴え冴えと、見ているだけで凍りつきそうな色合いを帯びてゆく様は圧巻で、
「ヤれっ!」
「きギイぃっ!」
 闇の底、冷ややかに光る石畳に這いつくばっていた魔物たちが…まるで彼らの側こそが不安に襲われており、それを何とか払拭したいかのような浮足立ち振りにて、バラバラバラっと焦ったように跳び立って襲い来たのであったが、

  「哈っ!」

 鋭い一喝に、周囲の夜気が緊張をはらんで冴え返る。剣に刻まれた咒の力ではなく、それを操る男の気魄そのものが、夜陰を圧してきりきりと、相手目がめてその切っ先を…逃れようがないほどに鋭く絞り込んでいる。夜陰の厚みに負けぬほどの存在感を、だが、感情は載せぬただただ静謐な、なればこそ鋭く冴えた気魄を、剣の切っ先にすべて余さず込めていて、
「…っ?!」
「チきイぃっ!」
 それを振り向けられた魔物たちが、掴みかからんと飛び出して来たその身を一様に"びくり"と震わせて、そのままその場に釘付けにされてしまったほど。そこへ、

  「呀っっ!」

 銀色の疾風は目にも止まらぬ素早さにて宙を翔け、この重さの剣では途轍もない負荷がかかるだろうに。切っ先の切り返しも、それは見事な鮮やかさにて夜陰の帳
とばりを跳ね上げ、掻いくぐる。ざくざくと、やや荒い斬撃が通過した後には…寸断された魔物たちの屍もあっと言う間に蒸散してゆき、塵も欠片も陰さえも、何ひとつ残らぬ凄まじさ。剣を自在に振るう豪腕もさることながら、悪鬼のような化け物の群れを相手にしても一歩も怯まぬ彼の、途轍もないほど屈強な集中と斬りつけんばかりの威圧に満ちた眼力とが、魔物たちの方こそを怯えさせてもいて。人ひとりの気力・気概がこんな術をこなせるなどと、一体誰が思うだろうか。

  "…この人は。"

 懐ろへと取り込んで庇った者には限りなく頼もしく、だが、対峙した者には容赦のない苛烈さを見せもする激しい人。それはそれは野趣に満ちた、粗削りで雄々しき外見であるにもかかわらず、日頃は…真摯に禁忌を遵守し、寡黙で自分に厳しいばかりの、それは"物静かな人"だという印象が先に立っていたセナだったが、それだけではない彼なのだということをやっと思い出す。

  "白い騎士様…。"

 先の戦乱にあっては、その豪腕をもって名を馳せた、雄々しくて頼もしい伝説の剛の者。懐ろから見上げた横顔は夜陰に降りそそぐ月光に縁取られ、その毅然とした輪郭をくっきりと浮かび上がらせていて。精悍で男臭い顔には、どんな邪悪な輩でも易々と蹴散らせてしまうだろう、それは力強い逞しさが滲んでおり、

  "…凄い。"

 無頼ながらも正体の知れた、人や獣なんかではなく、得体の知れない魔物に対峙しているのに。この…じりとも揺るがぬ分厚い威容はどうだろうか。月光を刃に受けて青く濡れて見える大太刀を、再び じゃきりと拳の中に握り込み、残りの邪妖をしっかと見据えて身構える。夜陰の底へとばさばさボタボタと現れた悪鬼たちは、その頭数が半分以下に減った今、ようやっと…この剣士がただならぬ腕前だと察し始めたらしかったが、
「ぎぃいィィぃ。」
 引くに引けないのか、引くという概念を持たないのか。様子を伺うように少しばかり遠巻きになっただけで、そのまま散り逃げるという気配は一向に見せない。それを感じて、
"潰走してくれれば面倒はないのだがな。"
 そうなれば。この騒ぎに余計な衆目を集めずとも済むし、逃げた方向という形にて相手の手掛かりだって得られるのだがと、進はややもすれば歯痒い想いを喉の奥に ちりと感じた。制御している自分の居場所を探知されぬよう、それを恐れて"逃げる"という選択肢を指示していない首領であるのなら、いっそこの小者たちが哀れでもあったが、
"情けをかけていられるほどの余裕はない。"
 残りも浚って、早くどこかで落ち着かなければ。経過はどうあれ、城塞の中へと踏み込めたのだから、今にも…自分へと預けられた翡翠石に込められた念を追って、あの魔導師二人が駆けつけるに違いなく。こんな小者たちと遊んで、無駄に体力を使っている場合ではない。油断なく相手の手勢を見渡して、頭数を把握して…。
「…っ!」
 1匹足りないと気づいたその途端。
「…あ、やだっ!」
 ほんの傍ら、夜陰に紛れるかのようにして掴み掛かって来た手合いがあった。この輩たち、膜翼で飛べるだけでなく、僅かの間だけ夜陰に溶け込むことも出来るらしく、思わぬ至近から がっしと腕を掴まれたセナが、身を凍らせながら…進の懐ろという防壁の中から引き摺り出されかけたのへ、
「この…っ!」
 突発的だったその上に、あまりに間近い相手だったから、剣を構え直す間合いさえ惜しくて。剣の柄を握ったままの拳を横殴りに薙ぎ払い、魔物の側頭部へがつんと、柄尻の先にて容赦ない一撃をお見舞いする。
「ぎやぃゃあぁっっ!」
 軽々と吹き飛ばされた魔物は、恐らくはもう意識もなかったろうに…執念深くもセナの腕から手を離さず。そんなセナをこちらからも、奪われまいとしての咄嗟の判断。胴へ腕を回して、小さな君主の御身を再び懐ろへ収めようと引き寄せた進だったのだが。

  「…っ! 進さんっ!」

 ほんの一瞬。取り上げられかかったセナへと注意が逸れた隙をつき、残りの魔物が2、3匹、反対側から騎士殿へと飛び掛かる。

  「………ぐぅっ。」

 唇がほとんど無いまま、頬を裂いて大きく開く怪物たちの口が。不気味に"があっ"と開いて、進の肩口や二の腕へと食らいついたのが真っ正面に見えて、
「ひっ!」
 セナが真っ青になって息を引く。胸元や首の急所には特殊な革の防具がさりげなく沿っている装備を着ていたものの、パッと見に目立つ武装は…ここへの潜入の準備としてほとんど解いていたので。肩も腕も少し厚手の衣装を着ているだけという、ほぼ無防備なままの状態。悪鬼の口から歯茎まで剥き出しになった牙が、やはり月光を受けながらぬれぬれと光ったままに深々とそこに突き立っていて。怖さのあまりに体が凍り、眸を離せないでいるセナへ、魔物の一頭が…いかにも卑しく"にやあ"と笑ったが、
「…ぐが?」
 まずは。その口が勝手に開くのへ違和感を覚えたのだろう。いかがわしい笑みが凍り、一頭が騎士殿の雄々しき肩からずり落ちる。むんと力を込めたがために幅を増した肩に、食いついていられなくなったからであり、だが、進にはそんなことは二の次であったらしく。
「このっ!」
 セナの腕へ執念深くも取りついていた餓鬼の体を、鋭く伸ばした足先で蹴り飛ばし、それからようやっと。大きな手の中でくるりと回したは咒符の大剣。逆手に握られた大太刀の切っ先が、彼の腕の側に沿ったままに伸びてゆき、その鼻息さえ届きそうなほど間近に食いついていた悪鬼たちの脾腹を容赦なく貫く。
「ぎぃヤッっ!」
「あギャあ〜っ!」
 剣の間合いの内であっても、そして魔物から牙を立てられて食いつかれていたというほどの危機や脅威が、文字通り その身に張り付いていても。怖じることなく慌てもせず、冷静沈着に対処出来る豪胆さ。眉ひとつ動かさずにいる剣士殿の腕から、魔物たちが次々に宙へと蒸散してゆき、
「ひぎァあっ!」
 この光景に、ようやっと"怯む"という感覚がその身に沸き上がって来たのだろう。生き物には自然な反応。命を永らえさせるためには不可欠なもの。なのに、もしかしてそんな反応は生来のものとして持ち合わせてはいなかったのかと思わせたほどに、やたらと攻撃的なばかりだった輩たちが、明らかに戸惑いを見せており。標的な筈の進やセナからじりじりと距離を取ろうとまでする気配さえあって。そこへと、
「………っ。」
 大太刀を再び構え直した進が、鋭い一瞥と共にその切っ先を…月光の下にて正眼の位置にまで掲げると、
「があぁアァぁっ!」
 やはり逃げを打つことは許されていないのか。残りの数頭が一気に躍りかかって来た。
"ひぃっ。"
 こちらも、再び進の懐ろ深くに取り込み直されていたセナが、思わずのこと、恐怖を感じて身を竦ませたが、

  ――― ざしゅっっ!

 すっぽりとくるみ込まれていた懐ろ、胸板が、ほんの一瞬、波打つようになって切れのいい躍動を見せたのは、騎士様が餓鬼たちへ立ち向かっての対応を取ったから。それがあまりに短いものだったので、まだ続きがあるのではと、肩をすぼめ、ぎゅううと眸を瞑って。息まで止めて我慢していると、

  「…もう大丈夫ですよ。」

 そんな声がして、いつの間にか…温かな大きな手のひらが髪を梳いてくれている。
「あ…。」
 震えながら顔を上げると、先程までは鋭く張り詰めていた武骨なお顔が、もう既に…優しいいたわりを滲ませてこちらを見下ろしている。その深色の瞳がわずかに見開かれ、
"え?"
 温かな感触がセナの頬にそぉっと触れた。少し乾いたそれは、剣士様の指先、親指の腹で。セナの目尻から頬へと零れた上で擦られていた涙を、そぉっとそぉっと拭って下さったらしい。
「ボクよりも…。」
 ずっと守られていた自分より。お顔から視線を流せば、マントがすっかりと跳ね上げられた大きな肩や腕辺り、月光を受けて濡れたようになっている箇所がある。ついさっき餓鬼たちに食いつかれていたその跡で、鮮血が滲み出して濡れているに違いなく。セナは自分の上着の懐ろから晒布の手ぬぐいを掴み出すと、それを裂いて剣士様の腕へと巻き付け始める。
「…。」
 そんなことはしなくて良いと、無事な側の手を伸ばして来た進だったが、セナはぶんぶんとかぶりを振って見せ、
「ダメ、です。」
 必死な響きをまとわせた、小さな小さな声だけでその手を制してしまった。自分が負った傷のように苦しい。無論、守っていただいたから無事だったことへは重々感謝しているけれど、
"ボクを守っていたのでなければ…。"
 もっと余裕で、もっと無傷でいられた進さんに違いないと、そう思うと胸が痛い。泣いてはいけないと、進さんが心配すると、これもまた判っているのだけれど。怖かったのは我慢出来たのに、口惜しくて苦しくて眸の奥が熱くなって止まらない。包帯代わりの手ぬぐいを巻きつけ終えても、そこから視線を離さずにいる小さな王子様へ、
「…セナ様。」
 雄々しき剣士様は、静かな声をかけてくる。
「………。」
 声だけでセナにも通じること。心配しないで下さいと。あなたが無事だったからそれで良いのだと、そう思っている彼なのだと判る。でもね、思われるばかりなのは辛い。至らない自分の代わりのように、彼が傷つくのは悲しい。大きな琥珀の瞳を潤ませるセナに、進は…ちょろっと周囲を見回すと、んんっと咳払いをしてから、

  「そんな顔をするな。」

 こそりと、そんな風に囁いた。語調は穏やかなままだが、堅苦しい言い回しを使わない話し方。

  「わた…俺はただ役目を果たしたまでのこと。
   なのにそんな…肝心なお前から"つらい"と思われては、
   守った筈のお前を自分で傷つけたような気分になってしまうだろう?」

  「…あ。」

 慌てて"こしこし"と、小さな両の手の甲で目許を拭い始め、またもやぶんぶんと…さっきよりも大きくかぶりを振る。それから、キッと張り詰めさせた表情になって。

  「大丈夫。もう泣いたりしません。」

 顔を上げて見せてくれた、可愛らしい人。優しく儚いけれど、弱くはない。これと決めたことへは精一杯に頑張れる、気丈な人だから。
"…ちょっと狡かったですね。"
 であっても、こう持っていくのが一番だと思った進であり。愛しい御方の懸命に気張った表情へと、それは優しい眼差しを差し向けて。柔らかな髪をぽふぽふと撫でて差し上げているところへ、
「片付いてしまったようですね。」
 大門の通路から出て来た高見さんが、やっとのこと二人の傍らに追いついた。そういえば、彼もまた良からぬ輩に からまれていなかったかと、案じるような顔を向けた彼らへと、
「こちらで何が起こったやら、門衛たちが逃げを打って雪崩込んで来たので、喧嘩どころではなくなりました。」
 肩をすくめて苦笑する。剣を抜き放ったままでいた進に気づいて微かに眉を顰めたが、傍らに寄り添ったセナの…しっかとした芯を含んで張りのある毅然とした顔つきに何やら感じ入って、何があったかは何も訊かないままでいて下さる高見さんで。
「さて、これからどうします?」
 城下に入りさえすれば、進とセナの連れが魔法の力を使い、ここへ真っ直ぐ追って来る…というのが、次の段取り。どうやってという点へは、

  『その時の状況によるからケースバイケースだ』

 なんて言い方をしていた蛭魔であり、詳細までは打ち合わせていなかったが、
「やっぱり…旅の扉なのではないのでしょうか。」
 誰にも見とがめられずに、堅牢なだけでなくそれなりの結界も張られた城塞の中へと飛び込むのは、あの彼らでも難しい筈。となれば、翡翠石というこちらの鍵を目がけて来るにしても、その経路はやはりセナたちもお世話になった"旅の扉"を使うのが万全なのではなかろうか。とはいえ、
「不思議な話ですよね。」
 高見が首を傾げたのは、旅の扉の話が彼にも初耳だったらしいから。よって、それがこの城下の一体どこにあるのかも判らないのだが、
「ともかく、此処からは離れた方がいい。」
 とんでもない騒ぎのあった場所だし、敵方の次の刺客がやって来ないとも限らない。ざわめきも少しずつ大きくなっているようで、このままではますますの衆目が集まるのも必至。そうなれば余計な被害だって出かねない。そこで、ひとまずは撤収しましょうと、3人揃って夜の街路を駆け出した彼らである。







            ◇



 どれほどの道を走ったか。一番 土地勘のある高見さんが機敏に先導する格好にて、街路や路地を幾つも駆け抜け、途中途中では憲兵隊などが…恐らくは大門での騒ぎへの出動だろう、駆けて来るのを闇溜まりに身を伏せてはやり過ごして。やっとのこと、人気の少ない広場に出た一行。商店らしき構えの家々の並びが丸く取り囲む、冷たい石畳の敷かれた小さな広場だったが、その家々からは明かりも人の声さえも漏れては来ない。不気味なほどの静けさへ小さな肩を縮めたセナへ、高見さんが説明して下さるには、
「何となく殺気立っている世情のせいで、店を畳む商家も増えているのですよ。」
 今にも戦乱の炎が燃え上がりかねないほどに険悪な世相から、周辺の農村からの食料がいつ途絶えるかも判らないとか、一般民にも武装の必要があるのかもしれないとか。そんな噂が様々に流れた結果として、食料や日用品の店以外は商売が全く立ち行かない。この広場も元は、週末にはカーニバルが立つほどに賑わっていたのだけれど、そんな華やいだ種の商売は今や全く取引がないと言う。それに…それだけではなかろう。世が荒
すさめば悲しいかな犯罪だって増える。少しほどの金を目当てに強盗や泥棒が横行もし、商家ですという構えの家に居続けていは危険だからと、次々に慌てて越して行ったらしいというから、
「悠久の歴史を天下に馳せた、この大陸随一の王国の首都がこの有り様ですからね。何とも侘しいものですよ。」
 それもこれも魔物の跳梁跋扈のせいだと思うと、腹立たしいやら歯痒いやら。よって、
「私も、あなた方が構えているその戦いには加えていただきますからね。」
 そうと言い切った近衛隊長殿は、冴え冴えとした頼もしい眼差しを旧友へと向けたのだった。………と、その傍らで。

  「…あ。」

 セナが不意に小さな声を上げる。何かに呼ばれでもしたのか、キョロキョロと周囲を見回し、それから…白い喉元を晒すようにして、ビロウドの闇が広がる天空高くを仰ぐ彼であり、

  「どうしました?」
  「蛭魔さんが…。」

 月光と星のかけら以外は何も見えないその天穹に、大きな瞳の光を差し向けて。小さな王子が見据えた先には………。





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 *雨にも負けず、でも風邪には負けつつ、こらこら
  それでも何とか書き上げましたる最初の山場でございます。
  さすがはこの若さで英雄として国中にその名を馳せた“白い騎士様”で、
  使い走りの小者の餓鬼くらいなら、こんなもんでございます。
  さてお次は…。

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