月の子供 K  〜なんちゃってファンタジー“鳥籠の少年”続編
 



          
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 異形の化け物を相手にしての活劇があった、その同じ夜空の随分と遠い果ての地にて。天空から降りそそぐ月光の青いベールがかかった夜陰の中を、それは軽やかに逃走中の二人連れの姿があった。言わずと知れた…例の魔導師さんたちであり、二人ともがなかなか機敏で強かであるがため、追っ手の大群も何のそので、軽快に逃げ果(おお)せている模様。こちらの二人がマイペースにて進んでいる街道筋には、とうとう

  『金髪の魔導師と小柄な少年の二人連れをマークせよ』

という、なかなか具体的な触れが飛び交うようになっており。にも関わらず、これがなかなか捕まらない。手配が回るくらいだから、かなり本格的な陣容の捕り方の一団が繰り出されてもいるのだが、瀬那の姿に化ける役回りだった桜庭が、時には年老いた老爺になったり、肌もあらわでセクシーな踊り子さんになったり、はたまた雄々しい栗毛の馬に化けたりといったフェイントを絶妙に利かせるものだから、追っ手の目や手を散々に翻弄し続けており、
「暗示だけで良いなら俺だって使えるさ。」
 桜庭ばかりが物の役に立っているようなのは気に入らないらしい金髪の君が、そんな不平を鳴らせば、
「おや。妖一の得意技は、破壊優先の攻撃魔法じゃなかったっけ?」
「うっさいなっ。」
 お顔を顰めた黒魔導師さんの、綺麗な拳がお仲間の頭にごつんとヒットして。その手を掴んだ桜庭くんが、クスクスと笑いながらそのまま木立ちの中へと誘導してゆく。
「今夜はここで追っ手をやり過ごそう。」
 さっきから、進に預けた翡翠石からの反応がある。つい先程までいた町にて今夜の宿を取ろうかと思っていたところへのこの知らせ。どうやら向こうは首尾よく作戦を進めているらしいから、夜明けまでにも城下へ行けるかも知れないよと桜庭から告げられて、
『…そうか。』
 分かりやすい形では そうと見せずとも、実のところは…あの小さな王子様を案じていた金髪の魔導師さんが、ほっとしたような顔になって頷いて見せた。つんと澄ますと酷薄そうな印象が強くなる、整いすぎているお顔。倣岸そうな態度は怖いものを知らず、神をも恐れぬ高笑いをするのが様になる、金髪の悪魔たらんことを目指しているよな変わり者で。天上天下唯我独尊、それはそれは尊大なまでの自信家で、あまり他者を顧みないところの強い彼だと思っていたけれど。ねぇ、ホントは優しいのにね。誰にも頼らぬ強い人でありたいと、子供の頃からも頑ななまでに泣かなかった意地っ張り。
“そんな人にしちゃったのは、もしかしたらボクのせい?”
 この自分さえ傍に居れば それでもう寂しくないと思うよな、そんな風に偏らせて育ててしまったことを時折は後悔しないでもなかった桜庭が、そんな殊勝さをついつい忘れて…ちょっぴり嫉妬したくなるほどに。あの王子様の話を持ち出すと、何だかとっても柔らかいお顔になる妖一さんであり、
"この騒動が片付いたら…。"
 全部をさっさと忘れるために、どこか遠い遠い、そう、外海の国へでも。彼と二人きりで旅行に行こうと、秘かに計画を立てている桜庭くんだったりするのであった。………これも余裕なんでしょうかねぇ。
(苦笑)
「? どした?」
「え? あ、ううん。何でもないサ。」
 選りにも選って、当のご本人様から怪訝そうなお顔を向けられて、あわあわと慌てた白魔導師さん。いよいよ大変な正念場へと乗り込むのですからね。どうか しっかりして下さいませよ?






            ◇



 頑健な石作りの壁や床には、贅を尽くしたモザイク装飾を施した大理石の化粧壁が二重に張られてあり、宝珠のような発色の良い艶に輝いている。高い高い吹き抜けになった天井から下がった水晶のシャンデリアには、だが、無人であるが故の夜更けの静謐にあって、当然のことながら灯火の明るさも今はなく。天井近くに設けられた窓から射し込む月光を浴び、冷たい光を放って無言のままにちかちかと煌めくばかり。そんな大広間のすぐ隣り、謁見の間へ続く扉の奥から、誰ぞの気配がかすかに響く。苛々と歩き回っているらしく、こつこつ刻まれる堅い靴音とさわさわという衣擦れの音が、不規則に絡み合って…何時間も聞こえ続けており、

  《 これは一体どういうことなのだろう。》

 宵を回ってから、一気に城下の空気が不穏な気配を帯びたことに気がついた。自分以外の誰も気がつかないだろう種の"不穏"。いよいよの動きがあるというのか? だが、肝心な相手の気配は掴めぬままだ。よほどにしっかりと結界が張られたらしく、光の公主の玉子にして"月の子供"という異名のある、あの小さな王子の居場所も掴めないままだし、王子を覚醒させる"鍵"も見つからない。よほどに強い能力を持った者が新しい結界を張ったらしくて、
《 下手に構うのは危険だが…。》
 東の国から取り寄せたる、それは豪奢なクジャクの羽根の扇を広げたその陰にて。いっそ一気に葬ってしまおうかとも思案する。

  《 カナリアの歌さえ封じてあれば、何も恐れることはないのだが…。》

 そのカナリアを見つけられず、じりじりと手をこまねいているうちに、今度は不明だった王子の気配が遠い南の果てにて瞬間的に弾けて…さささと掻き消えた。何かが起こっているのは間違いなく、自分が仕掛けた炙り出しへの反応なら、いっそ目論み通りだと喜ぶべきことなのだが、

  《 何故だ? 何を企んでいる?》

 手勢も魔力もこちらが圧倒的に有利な筈なのに。相手の姿や行動がまるきり見えないというのが、何とも不気味で落ち着けない。忌まわしくも神聖な"光の公主"として目覚めぬ今のところは、まだ たかが人間の子供であり、無力で非力な相手なのに。そんな対象へ怯む自分へこそ忌ま忌ましげに舌打ちし、窓辺近くに据えた卓上、何かが光ったのへ顔を上げると、縫い取りの金糸銀糸も艶やかなる、錦の衣の裾を長々と引き摺りながら傍へと寄って、いかにも苛立ったままに闇色の水晶玉を覗き込んだ彼女であったが、

  《 ………んん?》

 気魄を張り詰めさせた獣並みの緊張感にて、きゅいと力強く吊り上げさせていた目許を、ますます力ませた上で眇ませる。ここ数日、南の果てから東へ東へと向かっている怪しい人物があるとの報告があり、それへの追っ手という軍勢を仕立てた中に…自分の耳目になって意のままに動く"使い魔"を紛れさせておいたのだが。そやつが念を使って送って寄越すのが、自分の感知したものの全て。見たもの聞いたものを、まるで自分がその場にいるかのような素早さで見聞き出来るよう、この水晶玉へと送って来る。その映像情報を水晶玉の中に見ていて"おや?"と。とあることに気がついた。報せがあった"妙に気になる逃亡者"というのを、丁度今、視野の彼方に捕らえているらしく。普通の人間にはその陰だとて見えやしないほどの距離を、だが、魔力でもって望遠機能を高めてやれば、まるで間近に向かい合っているかのように しげしげと検分するのも容易い仕儀。さっそくにも、木立ちの陰に潜んでいるらしき彼らへと照準を合わせると、

  《 ¢ξηδζ…。》

 特殊な呪文を唱え上げる。時に閃光や疾風旋風を用いて関所の係官たちの目を眩ませ、はたまた見事なまでの変装にて別人に化けてという、強硬突破に使われた手管の数々は尋常ならざる種のものらしく。その巧妙な逃げっぷりは、どうやら…どこぞの名のある魔導師が卓越した腕前にて、自慢の咒を機転に即して絶妙に使いこなしてのものだろうと判るのだけれど。そうまで周到でありながら、なのに。そんな人物が連れ回しているのが、逃走の足には随分と負担になろう筈の、しかもこちらの標的設定へその姿が酷似した"幼い少年"であることといい、故に我らの目を引き付けてしまった現状を意にも介さずにいることといい、
《 …不審な点が多すぎる。》
 判りやすい餌をぶら下げて、故意にこちらの鼻面を引っ張り回しているとでもいうのだろうか。だが、だとすれば、こちらの事情に通じているということにならないか。王城キングダムという一国の禁軍…国王直属の軍勢を動かしてまでという、何とも大掛かりな陣営を仕立てて、小さな少年を…"月の子供"という存在を探しているということを、だ。
《 それを知っていての翻弄だということか?》
 ならば…彼ら自身は偽者で、所謂"囮"なのかもしれないが、そういう"陽動作戦"を繰り出すということ自体が、こちらの企みに精通しており、尚且つ、本物の存在を知っているということになりはしないだろうか。視力操作によって、その姿のみが間近に引き寄せられた逃亡者の二人連れ。こちらがこのような手を使って監視をしているとまでは、気づいていないのか、何事か言葉を交わし合っているのは…同じ年頃らしき青年たちの二人連れ。やはりあの"少年"はどちらかが咒を使い、目撃者たちをたぶらかしての偽装であるらしく。だが…。

  《 ………んん?》

 それを黙視で確かめた上での、尚のこと。こちらの"彼女"には、更に引っ掛かる何かがあるらしい。


  《 この若者はもしかして…。》








            ◇



  「……………。」

 ふと。表情を硬くして、動きが止まってしまった相棒だと気がついた。
「妖一?」
 そこを伝って逃げ延びた木立ちが不意に途切れて、彼らの眼前に広がるは。短い下生えばかりが散らばって見える、冬枯れの始まった荒野らしくって。ここをどうやって突っ切ろうかと話していた矢先に相棒さんが見せた唐突な"フリーズ"状態だっただけに、桜庭が不意を突かれてキョトンと、怪訝そうな顔をして見せる。
「どうしたの?」
 少しばかり低めた声をそっと掛けると、
「チビが…。」
 一体どこを見ているのか。その玲瓏たる白い横顔に宿った、やや大きめに見張られた淡灰色の瞳は、だが、呆然としたままで焦点を結ばず。どこをも見ないまま…まるで彼自身の内側をまさぐっているかのよう。梢の間からすべり落ちて来た月光に青く染まった、それは端正な横顔に見惚れつつ、
"チビって…。"
 確かセナくんのことをそう呼んでいた彼ではなかったか。
「セナくんがどうかしたの?」
 こんな土壇場にあって、あの子の一体何を思い出したのかなと、軽い口調で訊いてみたところが。

  「陰体に…襲われてる。」
  「………っ。なんだって?」

 正直、ギョッとした。彼の口から零れた言いようも衝撃的な内容だっただが、それよりも。まるで予言者かトランス状態になった占い師のように。見えぬ筈の遠くのこと、なのに断定的な言い方で口にした彼であり。楽観的な観測を言うならともかく、そんな不吉なことをなんでまたと、傍らの白い横顔を食い入るように見やった桜庭は、

  「…妖一?」

 その横顔の輪郭が…ほのかに光って見えたのへ、ますますもってギョッとして息を飲む。たいそう優れたる魔導師ではあるが、この青年。魔法の影響、結界の有無という、特殊で独特なれど自分たちには馴染みの深いそれらの雰囲気や気配を、どういう訳だか全く読み取れないという疵
キズがある。本来の魔導師というものは、それがたとえ由緒ある血統の者であっても、本人に魔力そのものが備わっている訳ではない。自然界の"気"の力をコントロールし、集めたり辿ったり弾けさせたりすることで攻撃したり結界を張ったりするのが一般的な"魔導師"であり、それを行うことやそのための呪文、術のことを"咒"と呼んで、それをいかに数多く操れるか、はたまた自分の裡うちへと集めた念を捏ねて捏ねて濃厚に育て、効果的に扱えるようにという技を、厳しい修行で身につけるというのが通常の修養の順番なのだが。ところがこの青年だけは例外で、その魔法出力は桁外れなまでに豪快で、怒らせれば村一つくらい易々と吹っ飛ばせるほどの力さえ持っているというのに。そのあおりなのか、聖なる土地の気の流れが読めないし、魔物や結界の場所をまるきり感知出来ない。あまりに突拍子もない力バランスであるがため、心配なさったお師匠様から特別の守護刀を頂いたほどだ。そんな彼だった筈だのに…この様子はどうだろうか。何かに反応し、共鳴しているかのような様相・態度であり、
"…セナくんと?"
 さっき彼が口にした名前。王城の白い騎士、進に渡した翡翠石の反応が、そういえば何だか何かに混線しているような、そんな複雑な感触に変わっている。よほどに強力な結界の中へと入りつつあるせいらしく、
"王城の城下への潜入が成功したのか?"
 そうだとして…それを感知出来るようになった妖一だということか?
"だったら、いっそ喜ばしいことだけどね。"
 戦いや実践の中でこそ、弾みがついて伸びたり覚醒したりする能力もあるというから。彼に唯一欠けていた部分が補われるなら喜ばしいことと、そんな風に思えてしまう桜庭くんも…こんな場でありながら結構余裕でございますこと。まま、そういった思惑も、このどたばたの間は置いといて。彼を発光させていた不思議な光が心なしか薄くなったので、
「妖一?」
 そぉっと声を掛けてみると、
「………ん。」
 ふっと。その表情にも冴えが戻って、元の様子へ立ち返った。それと確認してから、問題の翡翠石へとあらためて念を送ってみた桜庭だ。いつ、どんな方法で決行するかは任せ切ってあった作戦の、いよいよ"詰め"の段階に入ったらしき向こう側。是が非でも…特殊結界の内部へ、物理的に潜入してしまうことというのが最終条件だったのであるが、
"…これは。"
 明らかに種類の違う抵抗を通している手ごたえが返って来て、

  「…大丈夫、何とかなったらしいよ。」

 確かめてみていると察してか、今度は彼の側からこちらをじっと伺っていた白いお顔へ、殊更に柔らかくにっこりと笑って見せる。
「じゃあ、こっちも向こうへ翔べるんだな。」
「うん。急ごうね。」
 王城キングダムの首都、荘厳な城としての"王宮"がある城下は、この大陸の土地柄を熟知した歴代の王たちが進めさせた研究の結果として、本来ならばそれは堅牢な結界が張り巡らされてある城塞都市なのだが、その結界魔法の力、実は決して万能ではない。その礎となっている土地に宿りし力は確かに強大で、結界の咒も殊の外に強いもの。だが、逞しき生気みなぎる生身の人間の意志による行動には時に太刀打ち出来ず、多少の妨げにはなっても強固なる抵抗を発揮して封じ込めるまでには至らないことも少なくはない。苛烈な戦闘中だとか敵による攻撃を受けている修羅場の中にて、厳しい警戒を敷いた上で、その道に長けた術者が強化の咒でもって補佐でもしていればともかく。一応は日頃のつつがない生活が営まれているような土地への、あまりに広大な範囲へ巡らされた簡易結界は、場合によっては簡単な暗示と同じレベルであったりもし、魔力による一足飛びの干渉へは強い障壁の役目を果たせても、生身の人間がその足で行き来するというような"移動の妨害"には向かず、感知こそされてしまうが案外あっさりと通過出来たりもするもの。不要な術はどんな影響を齎
もたらすか判ったものではないから、発動させないに越したことはないのだし。それに…そうしとかないと、通過する人たちをいちいちチェックした上で術を掛けたり解いたりせねばならずで、手間や人手ばかりが膨大にかかって面倒ですからね。こらこら 何だか長々とややこしいことを綴ってしまいましたけれど、ずんと判りやすいお話に置き換えるならば…宗教的な禁忌や教示というモラルが強く浸透していてこそ、何となく気が進まずに敬遠される種のものなどが良い例であって。天罰などという非科学的なものの実在は信じていなくとも、墓や寺社仏閣には何となく…神妙なまでの畏敬の念がついつい沸くでましょ? よって、境内にある建物を足蹴にするとか墓石を壊すだとかいう、無下無体な乱暴狼藉行為。普通の常識人であるのなら、あまりに"罰当たり"なことな気がして、なかなか実行しにくいもんでましょ?おいおい そこで、そういった"神秘"には最も縁遠そうな白い騎士殿に、自慢の力技を遺憾なく発揮しておくれとばかり、念のために厳重な防御結界を施したセナ王子を託した訳であり、
"信仰心がないとまでは踏んでなかったけどさ。"
 今の今、生きている者や存在であり、その強靭なる意志により信念を貫かんと行動している者を、たかだか無人障壁ごときで妨害出来る筈がない。

  「そんな言いようって、封印結界を設定した前人への無礼にはならんのか?」
  「なんないってvv

 現に、旅の扉も通行止めになってるほどで、この僕らが直接には乗り込めないくらい、役に立ってる代物なんだしさ、と。相手を持ち上げているのか、それとも自分たちの能力を大威張りで顕示しているのか。相変わらずに余裕錫々な白魔導師さん、
「さあ、行くよ。」
 品のいい口許をむにむにむにと動かしながら、咒を念じて…小さなセナくんの姿になった桜庭だったが、その背中に…ふわりと開いたは純白の翼。
「ほら、掴まって。」
 差し伸べられた小さな手へ掴まりつつも、
「…お前ね。」
 いくら追っ手を混乱させたいとは言え、あんまり凝るなと苦笑をした金髪の魔導師さんと共々に、二人の体は金色に発光する淡いベールに包まれて。そのまま重力を失うと、ふわりと軽々、宙へと浮かんだのである。




 勿論のこと、何も洒落っ気を出して空中散歩を気取った訳ではなくて。夜陰という見通しの悪さの中へと紛れ、しかも空という思いもよらない方向へと飛び立った身は、当たり前の兵には捕捉出来よう筈がないと踏んだ逃走経路だったのに。

  「おっと、待ちない。」

 二人が行く手へ…その目前へと、不遜にも立ちはだかった陰がある。
"な…っ。"
 月光を完全に遮るほどまでの分厚い雲が垂れ込めていた訳でなし、相手の姿もよくよく見えて。最下級の歩兵たちを束ねるあたりの階層の、尉官ではあるらしい階級章を槍避けの胸当てに光らせた、それなりのいで立ちと恰幅をした男だが、額回りにぐるりと回された鉢当ての下に覗けた顔は、頬が痩せこけ、いやらしいくらいに髭剃り跡が濃い。それより何より、
「どうやって…。」
 空中へその身を浮かべるなどとは、正に人知を越えた奇跡の荒業。元は魔神であった自分はさておき、並のレベルの魔導師では到底適わぬ術でもあって。愕然とするあまり、自分が庇わわれる方の"セナくん"に扮していることさえすっかり忘れて、楯代わりにと相棒さんの前方へその身をずらした桜庭くんへ、
「ご挨拶だねぇ。」
 青髭男はくつくつと、さも愉快そうに笑って見せた。
「あんたに出来ることだってのに。他には出来る奴がいないってかね。いやに傲岸な魔導師様だねぇ。」
 下弦の月が淡い群雲の影から完全な形のお顔を出して。煌々と輝く真珠色の光を浴びた二人の"人外"が、それぞれの気概からの強靭な気を吐いて、真っ向から睨み合う。

  「お前、人ではないな。」

 しゅんと。魔法による変身を解いて、粗末なフードつきのマントをかぶっていた小さな少年の姿から、上背もあって匂い立つほどに麗しくも精悍な、道着姿の元の青年へと戻った桜庭が。常の習(なら)いが出てか、それとも得体の知れない相手に嫌な予感が沸き起こってか。その背後へ大切な妖一さんを庇いながら、忌ま忌ましげに問いかければ、
「まあね。だが、これでも"王城キングダム"の皇太后様お抱えの衛士だぜ。」
 さっきから にやにやと下卑た笑いを顔から消さない男であり、
「何だよ。逃げ回ってた間はあんたが化けてた"坊や"を守ってたくせに、ホントはそっちのお兄さんの方が大切なお人らしいな。」
 くくっと、喉奥を引きつけるように短く笑った次の瞬間。

  "…えっ?!"

 四方八方に大きく開けた"空中"で、しかも漆黒のベールをまとった夜陰の中だとはいえ。こんな場合だ、注意力を途切らせた覚えはない。相手をそのまま射殺せるほどの強靭な眼差しにて、睨み据えていた筈のその相手が、瞬きさえしてはいなかった眼前から…幻のように姿を消した。そして、

  「…なっ。」

 再び姿を現した得体の知れない何物かに、何故だか捕らえられたるは黒魔導師様。がっきと羽交い締めにして捕らまえたその上で、桜庭の背後から素早い跳躍にて離れた妖魔であり。
"…どういうとこだ?"
 それが衛士であれ、正体を現した魔物であれ、追っ手が狙っている対象は、光の公主とやらの雛鳥にあたる、セナ王子であった筈なのに? 翼が生えてたって、突然のこと青年に姿が変わったって、それこそ…魔導師に咒をかけられてのものと思うのが順番ではなかろうか。なのに…何故だかこの輩は、最初から妖一の方を狙っていたような言いようをしてはいなかったか? 陽動作戦によって自分たちを混乱させている二人の内の、どちらでも良いのではなく、金髪の魔導師さんの方をだけと…。

  「へぇ、あんたホントに男なのか。勿体ないねぇ。」
  「気安く触ってんじゃねぇよ、下衆
げすが。」

 お綺麗な姿に相反し、相変わらずの口汚い言いようをして、自分を捕らえた衛士を肩越しにぎろりと睨んだ蛭魔が、そのまま攻撃のための呪咒を唱え始めれば、
「おうおう、これは怖い。」
 ふざけたような言いようで、魔物の衛士は意外にあっさり、スルリと身を離す。やはりにやにやと笑ったまま、
「身分の違う、下衆の俺が手を下しはしないから、安心しな。」
 そんな風に言ってのけ、

  《 そうさ。金のカナリアに手を出してはいけないよ。》

 突然のこと、どこからか響いたは…覚えのない不可思議な声。

  「…っ!」
  「…今のは?」

 姿も気配も見えないままに、いやに粘っこくからみつくその声は、

  《 その子を使って、城下を逃げ回ってる忌ま忌ましい"月の子供"を、
    妾
わらわの膝下、城の玉座前へとお招きせねばならないからね。》

 正に。この二人が敵として認識していた輩である証し。城下へ潜入した瀬那を"月の子供"と呼んでいること、そして…今現在 王城キングダムの玉座で高笑いをしているのであろうことを自ら明かしたこの声の主こそ、忌まわしき存在の"皇太后"であるに間違いなくて。………だが、

  "…カナリア?"

 どこかで聞いたことのあるフレーズだが、あまりに突拍子もないところへ出て来たものだから…どこで聞いたものだったのか、記憶の中におけるその在処
ありかが咄嗟には思い出せない。そして、そんな意外なものにて、それぞれに不意を突かれた二人へと、

  《 さあさ、綺麗な贈り物をして王宮へお連れしようじゃないか。》

 こちらの声もまた、吸い込む空気を喉の奥へ ひぃひぃと引きつけるような、品のない下卑た笑い方が浴びせられ、それに招かれるように…いつの間にやら空から降りて来た大きな影がある。何かしら形ある"物体"ではなく、
"…雲?"
 先程から夜空にさすらう、綿を薄く千切ったような群雲とは厚みの違う、いやに存在感のある妙な雲。それが…夜空の臍から一気に掻き出されて広がるは、まるで暗黒のスカーフが音もなく延べられてゆくかのような情景であり。冴え返る晩秋の夜空高くへ、とろみのある墨を一気に流したように、むくむくと月光を遮る不吉な暗幕に気を取られたその刹那、

  《 大人しくしていてもらおうか。》

 ぱしんと。瞬雷のような光が一閃し、不埒な輩によって引き離されていた金髪の黒魔導師の身へと、有無をも言わせずという素早さにてそれが突き立った。
「…っ。妖一っ!!」
 彼との間に少しでも隙間が出来たことが、これほどまでに恨めしかったことはない。ほんの数m、ほんの十数歩分。その距離が…手を伸ばしても届かなかった間合いが、すぐ眼前で彼の受けた苦痛をのみ鮮明に伝え、それを防いでやれなかったという痛ましき後悔の念を桜庭に招いたから。その光自体は何という刺激もなかったらしく、だが。

  「…これは?」

 夜陰に浮かんで光るほど白い手へ、封咒を刻んだ金色の腕輪を架せられた。しかも そこから間髪入れずに放たれた衝撃波に襲われて、
「…あがっ!」
 思わずの声を上げ、天を振り仰いで妖一が叫んだ。闇夜を背景にした中で、漆黒の装束に覆われていたところから僅かに現れていた手と顔だけが、闇に白く浮かんで輝くほどだったものが。その全身に青白い稲妻の網がまといつき、艶やかな痩躯が…無残にも斬りつけられたかのような痙攣を起こしてのけ反った。

  「妖一っ!!」

 そのまま呆気なく昏倒してしまう彼であったことが、雪崩を打って襲い来た一連の流れや展開の中、桜庭には何よりも衝撃的な惨劇だった。意地っ張りで居丈高で、何につけ粘り強い彼が、そうそう簡単に意識を失う筈はないのに。苦痛の余燼を刻んでか、きつく歪められた細い眉の下、切れ長の眸は力なく伏せられており、月光を受けた睫毛の長い陰を真白な頬へと青く落としているばかり。まるで水中を漂う浮草のように、頼りなく浮かんでいる愛しい痩躯へ、
「妖一っ!」
 間近まで駆けつけねばと、宙空を駆けようとした桜庭だったが、

  ――― え?

 そんな彼の視野の中、視線を離せぬ妖一さんの傍らへ、ふわりと姿を現した別の影がある。くどいようだが此処は夜空の上であり、生身の人間がそうは居られぬ場所なのに。今夜はまた、なんと来訪者の多い夜なのか。しかも、

  《 蛭魔さん…っ。》

 夜陰の中から淡い光と共に、滲み出したように現れた人影。それは紛れもなく…。

  "…セナ、くん?"

 何故、彼が此処に現れたのだ? 彼は此処から遥かに遠い、北の果ての王城キングダムの城下にいる筈なのに? しかも…こんな宙空の只中に?

  《 蛭魔さんっ、目を開けてっ!》

 幻か? いや、蛭魔へと懸命に声をかけ、手を伸ばして来た彼には、この地に輝く月光による影が刻まれている。だが、

  「………っ! セナくんっ!」

 桜庭が叫んだが、聞こえたかどうか。闇夜に広がって尚のこと暗い、冥府の海のような暗黒の雲の渦が再び広がり、二人を諸共に覆ってゆき、

  《 これはこれは。わざわざ おいでとは手間が省けた。》

 先程の不気味な声が、くつくつと耳障りなまでに鳴り響いて。この、思わぬ展開を…彼らの窮地を容赦なく嘲笑う。

  《 何と愛らしい姿だろうねぇ。》

 舌なめずりの水音が聞こえて来そうな生々しい声。しかもそのまま…二人揃って、宙空の何処かへと攫われてしまわれかねない様相だったから、
「妖一っ! セナくんっ!」
 唯一の目撃者であった桜庭の焦燥はいかばかりか。だのに、
「おっと、あんたに追わせる訳には行かない。」
 不敵な声音で常套句を言い立てて、妨害にと立ち塞がった魔物の衛士。そんな輩を斬りつけるように睨み据え、

  《 φθψ¢μ…。》

 素早い咒を唱えると、その手に一瞬にして閃くは…彼の手の側線に張りつくように沿う、鋭い切っ先のついた銀色の武装籠手。冷ややかな煌めきをたたえた鋼鉄の爪を、懐ろの前にてじゃきりと構え、
「さっきから鬱陶しいんだよっ!」
 肉食の獣が唸って脅すような低い声が、びりびりと響いて夜陰を叩いた。日頃の優しげな面立ちが、今は…きりきりと尖って迫力を増している。鋭く吊り上がった眉に、裂けんばかりに見張られた まなじり。深色の瞳は瞬きを忘れて炯々と妖しく輝き。口許は一見笑っているように見えさえする空虚な冷たさに凍ったまま、きりきりと引きつっていて。毒でも舐めたかのような険しい形相になり、

  ――― 宙を切り裂くこと、疾風の如く。

 正に一瞬。夜陰の隙間を縫うように、宵の夜空に何本もの何十本もの銀の線が走り、あっと言う間に…人の姿を借りたらしき"使い魔"がざくざくと細切れにされて、
「あ、あ、ああっ、ぎゃあぁぁあぁぁっ…!」
 あれほどの余裕を見せていた輩だった筈が、全く抵抗も出来ないまま、なす術なく夜風に千切れ、悲鳴の残響が糸を引く中、ほろほろ・ぼとぼととその屍を地上へと落下させてゆく。相手が放った多量の返り血を装束や顔へまで浴びながらも、桜庭の表情は硬いままに動かず、その視線も…最初から最後まで、くだらない魔物には据えられてはいなかったのだが、

  「…妖一っ!! セナくんっ!」

 喉を切り裂いて血を吐くような絶叫を放っても、するするとその姿が呑まれていった"亜空"はもう跡形もなくなっており、既に影の欠片さえ見えはしない。
"くっ!"
 生身の限界で、このまま彼を追えるまでの能力はないのが忌ま忌ましかった。恐らく行き先は…王城キングダムの首都、王宮にトグロを巻く"総大将"の元に違いない。そこに居るのだろう進の持つ翡翠石を目指して飛ぶにしても、あまりに遠い夜空の果て。そこへといち早く辿り着くためには、
"旅の扉を探さねば…。"
 コトの順番を必死になって脳裏で辿る。一刻を争うからこそ、無駄のない行動を取らねばならないからで。呆然としつつも躍起になって思考を立ちあげようとしつつ、中空に浮いたままでいたその身へと、風を切って飛んでくるものがあって。やっとのことで我に返れた、亜麻色の髪をした魔導師さんへ、
「撃て撃て!」
「あれは魔の物ぞっ!」
「隊長殿を素手で切り刻んだ悪鬼だっ!」
 足下の地上から、何も知らぬ歩兵たちが半分恐慌状態になって攻撃を仕掛けて来ていた。先程刻んだ輩が彼らの部隊長に化けていたのだろう。人目なんぞ一切気にせずに、何の躊躇もなくその手を血に染めた桜庭の信じられない蛮行を目撃し、今度は自分たちも襲われると怯えてか。石矢や槍、ぶん回しの紐で投擲する砲丸が次々と飛んで来るにつけ、
「チッ!」
 八つ当たり半分、望み通りに滅ぼしてやっても良かったが。何も知らない相手だとそこはギリギリで踏みとどまり、

  《 Юψ¢μщρ…。》

 咒を唱えた桜庭は、次の瞬間…純白の大鷲となって空の高みへと舞い上がった。
"空にも扉はある。"
 それも、利用者が少ないがために抵抗も少ないものが。急
く気持ちを何とか押さえ込み、桜庭は翡翠石の気配を追うことに集中した。もはや他の何がどうなろうと知ったことではないながら、それでも…最も効率的に最愛の存在へとにじり寄るための手掛かりへ、夜陰を切り裂く勢いにて全速力で飛んでゆく。


  "………妖一っっ!"












←BACKTOPNEXT→***


 *ひいぃいいぃぃ…。
  こ、こんなところで切ってしまってすいませんです。
  一難去ってまた一難。
  とうとう相手方に見つかってしまったセナくんと、
  実は何だか意味深な存在だったらしい蛭魔さんが相手の手に落ちて、
  お話はますます混沌の淵に沈んでいきそうで。
  こんな面倒なお話になろうとは…。