月の子供 L  〜なんちゃってファンタジー“鳥籠の少年”続編
 



          
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 王城キングダムの悠久の歴史をそのままに刻み込んだ優美な城郭。物見のための尖塔が、まるで騎兵たちの槍のように居並ぶ白亜の城も。今はその輪郭を夜陰に沈めて、ただただ無言のままに息をひそめているばかり。辺りに立ち込める夜気の冷たさも、降りそそぐ月光の青白い色合いも。ほんのつい先程と何ひとつ、変化を見せたものはないというのに。

  ――― 先刻まで確かに少年が立っていたその場所だけが。

 まるで…天の采配による何か不都合でもあったがために、神の手になる巧妙な手品が演じられでもしたかのように。切り抜いて張り替えられでもしたのか。音もなく、気配もないまま、空間ごと綺麗さっぱりと擦り替えられてしまったのだ。

  「…っ!」

 彼らの背景に聳え立っていた石の壁を、巌のように堅い拳にて…無言のまま殴りつける進であり。物に当たる彼なぞ初めて目にした高見にも、だが、その心情は痛いほどに理解できた。今の今まで、つい先程でその腕の守りの中に確かにあった存在が、文字通り、宙空の夜陰の中へと掻き消えたのだから…。

  "これは…一体。"

 それは、全く信じられない出来事だった。大門付近にて早速の魔物の急襲を受け、だが、難無くそれを掻いくぐった彼らであり。人の目を避けて辿り着いたこの広場にて、彼らの連れだという魔導師たちの到着を待っていたものが。

  『………え?』

 まるで誰かにその名を呼ばれでもしたかのように。何もない宙に視線を据えて、何にかその意識を捕らわれていたセナが、

  『蛭魔さん?』

 何が見えたのか、誰に呼ばれたのか。心、此処にあらずという様子になったかと思ったのが最後。紙に描かれた絵姿が、油を塗られて一気に燃え尽きるように。薄氷が湯気に当たって、跡形もなく消え失せるように。あっと言う間に…陰も残さず消えたのだ。
"…そんな馬鹿な。"
 自分たちが相対する魔物には、こんなことまで出来るのだろうか。本人が怯える間さえ与えずに、手も触れぬまま、空気の中へ攫ってしまえるというのだろうか。
"だが…。"
 相手が城にいる皇太后だとして。さっき彼らを襲った騒ぎの源らしき何物かからの気配や知らせを受けてやっと行動を取ったにしても、
"こんなにあっさり方がつくことなのだろうか?"
 城に居ながらにして手を下せるのだったら、どうしてまた…国中を混乱の渦に巻き込むような、こんな大騒ぎになっているのか。魔物だから人々の苦悩や悲哀が好きなのだ…ということなのか?
"それにしたって…。"
 だったらこの、あまりにあっさりとした"終結"は何事か? 確かにこの事態に懊悩している人物は、まずは目の前に一人いるし、彼
の王子を知る協力者たちもまた、この事実を知ればそれ相応の悲嘆に暮れることだろう。だが、それっぽちで良いのだろうか。同じ意味合いでも悲嘆が欲しいのならば、こうまでの騒ぎの中、どさくさに紛れて消してしまうより、いっそもっと話を大きくしてから一気に踏みつぶせば良い。関わった人の数が多いほどドラマは複雑に絡み合い、紡いだ時間の長さだけ、悲劇は壮大なものになる。

  "…いや、そこまで壮絶なことは考えてはいませんが。"

 あ、いやいや、すいません。それはそれは理性に冴えた横顔の持ち主さんは、筆者が勝手なモノローグをつけたことへと抗議してから、

  「…っ。進、しっかりしなさい。」

 こちらさんは完全に打ちひしがれているらしく、拳を打ちつけた壁へ額まで打ちつける進だとあって、その雄々しき肩に手をやって感情的な暴挙を制止した。
「瀬那様を助けたいのなら、そんな馬鹿なことをして怪我を増やしている場合ではありません。」
「………。」
 そうは言いますが…彼にとってのあの王子様はただの主人ではない。誰をおいても守らねばとこの騎士が心に堅く決めた人であり。そして、

  ――― 彼を"彼"として想ってもいたのだから…。

 その、若木のような撓やかでほっそりとした肢体に見合った、あまりの愛らしさや脆そうな儚さは、だが。ただの脆弱ではなく奥行きの深い繊細さから発しているのだと知っている。非を全て自分に集めて、それでも俯かないで笑っていようと頑張る前向きさを忘れない人だと、あんな短い間にも知ってしまった進であり。それでも時折、どうしても挫けそうになって俯きかかる彼には…自分が此処にいるのだからと、独りぼっちではないのだからと、無言のままという不器用さからながらも示してやって。そうすると、頬を染めつつ"判りました"と頷いてまたまた頑張ってみようとする、それは稚
いとけなくも頑張り屋さんな彼だったことを知っている。だからこそ、あの王子様が、いや、あのセナという少年が愛惜しい進でもあるという順番なのだ。だというのに…その愛しい人を、あっと言う間に難無く攫わせてしまった。それも、この自分が見ている、同じ空間にいるというそんな至近の間合いにて。音もなくその御身を奪われてしまった、いや…もしかしたなら、既にこの世から消させてしまったのかもしれないのだと。そうと思うと、後悔どころでは済まされないほど深い自虐の念に駆られてしまい、頭の鉢を割りかねないほどの衝動的な行動だって取ろうというもの。だが、

  「…助ける?」

 高見の言いようをきちんと拾ってもいて。ともすればすがるような眼差しを向けてくる旧友へ、
「そうです。セナ様は攫われこそしましたが、まだその御身は無事でしょうからね。」
 黒髪の近衛隊長さんが大きく頷いてみせる。
「あなたが説明してくれた話の中でも、皇太后様に取り憑いた魔物は、どうしてなのか…一気にセナ様がおいでだろう地域を焼き打ちにかけるとか、その年頃の少年たちを全て惨殺するだとかいった、そういった荒っぽい手を取ってはいません。」
 なんとも残虐な思考だ、高見さんたら酷い…と思うなかれ。これは例えば…ローマ皇帝だったネロという王様が、イエス様の誕生を知り、その御力を恐れてその年に生まれた赤ん坊を皆殺しにさせたという逸話が残っているように。広大な国を支配していたり、守らねばならない民を山ほど抱えているという格好にて、多くの人を見下ろす立場にいる人間ならば、善しにつけ悪しきにつけ、割と造作もなく思いつけることではあるのだ。百万人を守るために片手に余る人を見殺しにする。そんな苦渋の選択をし、そしてその責任を全てその身に追うのもまた、統治者として求められる技量なのだそうで。そんな悲劇の選択を我らが最高責任者に求めるような、のっぴきならない事態にならないようにと、その配下の人々は日々懸命に奔走している訳だけれど。
“…そういえば。”
 確か。蛭魔も同じようなことを言っていたと思い出す。どんな乱暴な方法をとってでもと構えて、一気に方をつけないのはなぜなのか。そんなにも恐ろしい何か、ネックとなるものを、この…まだ覚醒前の玉子の状態の“月の子供”とやらが持っているというのだろうかと。
「まだ…間に合うのか?」
 そうと言ったからには、そうでなければただでは置かないと。何だか、半分脅迫するような勢いさえありげな形相になりかかった剣士様からの真剣な形相へ、こちらも負けじと…の割にはやはりどこかおっとりと穏やかな真摯さで、
「ええ。だから、急ぎましょう。一番の大立者、最終的に叩きのめさねばならない相手の居場所は知れているのです。だから…。???」
 高見がその言葉を途切らせたのは、
「…何でしょうか、あれは。」
 夜空の彼方から近づいて来た何か。一応は月もあるが、既に真っ暗になっている夜空の一点に、何かしら白く輝くものが見えた。流れ星にしてはゆっくりとした動きであり、どうやらこちらへと向かって来つつある物体の様子。
「…鳥、ですかね。」
 それも、随分と翼の尋
ひろの大きな鳥のようだ。それが悠然と夜空を滑空してきたかと思うと、一瞬、空全体がぱしんと音を立てたかのような激しい閃光に覆われて。刹那の稲妻のようなその光の障壁を無理から掻いくぐったらしき"彼"が、ほんのすぐ間近の石畳の上へと舞い降りて来た。どうやら、城下に張ってあった結界を強引な力技にて押し破って進入してきたらしい。全身を光に覆われていたがため、一体誰なのか判ろう筈もなく、

  「…っ!」

 進も高見も、呆然としていた様子を素早く切り替えて、各々の剣を構えた反射はおさすがだったけれど、

  「一体、何をしていたんだ、君はっ!」

 光の塊は、あっと言う間に人間の形態へと姿を落ち着かせ。まだ余光にきらきらしている腕が伸びてくると、名だたる使い手の進に何の抵抗もさせぬ素早さでその胸倉をぐいいと掴み上げ、斟酌のない怒号を容赦なく浴びせかける。

  「なんでセナくんから手を放したんだっ!」
  「…っ!」

 間近にまで引き寄せたことで、利き腕だろう右側の二の腕や肩口に巻き付けられた晒布や、額についた真新しい傷からの微かな血の香に気がついて、
「怪我をしたからか? こんなもの…っ。」
 胸倉を掴んだままなその手の甲の側を、ぐいっと回し返して当てると…布にうっすらと滲んでいた鮮血がどんどんと消えてゆく。額の擦り傷もあっと言う間に跡形もなく消えてしまい、
「ボクが駆けつければ、怪我なんていくらでも治せるんだよっ! だから…っ、腕が折れてでも脚が千切れてでも、何でセナくんを守り切らなかったんだっ!」
 自身にまといつけていた…どこか人ならぬ輝きが失せて、やっとのこと日頃の彼の姿に完全に戻った青年。浅い色合いのマントの下に、僧侶や導師が着るカチッとしたデザインの道着をまとった若者で。腰の佩
(飾りベルト)には小さな銀の短刀を差し、夜陰の中では分かりにくいが…甘い色味の柔らかな髪をした、相当に上背のある美丈夫で。その役者のような端正な外見とは裏腹に、とんでもなく過激な言いようで進を責め立てるものだから、
「責めないでやって下さい。」
 高見には全く面識のない相手だったが、この…順序を素っ飛ばした物の言いようから察するに、彼こそが進とセナの二人が"呼び寄せる仲間だ"としていた魔導師なのであろうことは察しがついた。それ以上に…何かが彼の側にも起こって、それで。話が通っていればこそのこの激高なのだろうと、そこまで察することが出来、
「あまりに唐突なことだったんです。あっと言う間にお姿が掻き消えてしまったセナ様でしたし…。」
「それでもっ!」
 こちらも肩を掴まれたが、それを大きく振り払い、
「忘れたか? 君は水晶珠の封印を剣の一太刀で断ち切ったほどの男だろうがっ! 君ほど意志の力の強い騎士なら、どんな魔咒にだって打ち勝てる。強く念じて抱き締めていれば、引き留めることが出来た筈だのにっ!」
 桜庭が引き合いに出したのは、先の、セナを"迷いの森"から救い出した時のこと。魔法や封印に対する何の覚えもなかった彼に、いきなり。それは強固な結界を何とかしろと、押しつけた蛭魔も随分と無茶な判断をした強引な人物だったけれど。進もまた進で、それをきっちりこなせた信念の人ではなかったか。それを持って来ておれば、あれほど…傍目に見ていても十分に想い合っていた大切な人を余裕で守り切れた筈だろうにと、

  「何を…何をやってたんだっ、一体っっ!」

 聞いていて居たたまれないような、切なる怒号を浴びせかける桜庭だったのだが。

  ……… 何故だか。

 その怒号はどこかしら…例えようのない切ない響きを孕んでもおり。苦しげに眉を顰めた桜庭は、ややあって…進の胸倉を引き絞っていたその手を緩めると、

  「…ごめん。」

 力ない声になりながら溜息をつき。そのまま…向かい合った進の肩口へ額を凭れさせるようにして、しょんぼりと項垂れてしまったのだ。そうして一言。
「これ全部、ボクへの悪態なんだよ。」
 悔しげに呟いた彼へ、やはりなと、こちらも高見がこそりと吐息をつく。彼の言動には、こちらの状況が筒抜けになっていればこその要素が多く、彼の居た側でもこちらの情況に連動した"何か"が起こったからこそのものに違いないと思われて。
「あまりに情けない自分自身に怒ってるんだ。ボクも、妖一から手を離してしまった。不意を突かれただなんて、言い訳にもならない間抜けぶりで、一番大切なものをそれはあっさりと攫われてしまった。」
 柔らかな髪を揺さぶるようにかぶりを振って見せ、鷲の姿にて夜空を飛んで来た白魔導師さんは、生身へ受けた怪我よりも痛そうな心痛を何とか堪えつつも、自分たちの方へと襲い来た、ついさっきまでの状況というのを話して聞かせた。追っ手の中に人ならぬ身の者が混じっていたこと。その相手と掛け合うように突然聞こえて来た謎めいた声があり、その双方ともが…どういう訳だか蛭魔に用向きがあるような態度を取っていたこと。そして、
「妖一が意識を失ったところへ、これもいきなりセナくんの姿が現れた。」
 突然、蛭魔の傍らという間近い宙空に現れたセナであり、だが決して"幻"のような妖かしの存在ではなかったこと。そのまま…二人ごと何処とも知れない空間へと攫われてしまったことも話してくれた桜庭へ、だが、
「…どうして蛭魔が?」
 今度は白い騎士殿が怪訝そうな声を出す。彼らは自分たちの潜入行動を助けるべく、遠方にての"囮"を担っていたのであって、相手方から"狙われる"どころか、何処の誰という正体さえ知られてはいなかった筈。だが、話を聞いただけでも…わざわざ魔咒を封印する準備を構えていたり、その場で殺してしまおうという様子ではなかったりと。わざわざ蛭魔を攫ってしまおうと狙ったこともまた、目的の内であったと匂わせる段取りのようなものを感じさせる。とはいえ、
「判らない。ただ、金のカナリアがどうのって言ってた。そしたら、セナくんが宙空へと現れて…。」
 此処から掻き消えたセナ。それを許してしまった進だと、まるで見ていたかのように開口一番にいきなり怒って見せた桜庭だったのは、そちらではそんな経緯があったからであるらしく、
「皇太后…の体を乗っ取ってる奴が、これは手間が省けたって言って、セナくんと妖一とを攫って行ってしまったんだ。」
「………。」
 くどいようだが、セナを攫ったのは判る。彼こそが彼女の恐れる"光の公主"だからで、だからこその"陽動作戦"でもあったのだ。だが、

  "金のカナリア?"

 囮だった蛭魔をも目的の一人として攫っていった謎の行動。しかも、その時に洩れ聞こえた"カナリア"というフレーズ。
「………。」
 眉を寄せた進が思い出したのは、

  ――― 銀の籠にはカナリアを、金の籠には月の子供を。
       星降る夜に泉にかざせば、森でフクロウが ほうと鳴く。

 セナが時々口ずさんでいた子守唄だ。あの最初の邂逅の場にても、寂しさを紛らわせるためにか、か細い声で歌っていた彼であり、

  「もしかして、あの まもりという娘が言いたかった"鍵"というのは
   "金のカナリア"という言葉ではなかったのだろうか。」
  「………え?」
  「そして。それは、蛭魔のことを指していたのかも。」

 桜庭くんの集中力は大切な人へ大きく偏っていたがため、すぐには思い出せなかったのだけれど。そういえば…セナくんのお家で見つかった、あの不思議な封印の要石から訴えかけて来たまもりが最後の最後に告げたことの中に"金の…"という箇所があった。それにさっき彼らを攫ったあの忌ま忌ましい声もまた、それがあってこそセナが光の公主としての覚醒を迎えると、それが鍵ででもあるかような言い方をしてはいなかったか?
「でも…最初に"迷いの森"で逢った時も、それから今回も。あんなに間近にいたのに、何にも反応らしきものはなかったじゃないか。」
 前回の逢瀬は、まだ まもりのかけた封印がかかっていたが、今回はそれが切れたからこそ"封印が解けた存在"が誰なのか気になって逢いに来た彼らであって。随分と間近に居合わせるという接触があったのに、やっぱり何の兆候も見られはしなかった。そこを怪訝そうな顔で訊く桜庭へ、
「何か他にも必要な要素があるのだろう。」
 進があっさりと応じて見せる。例えば、あの歌には他にもいろいろなフレーズが紡がれていた。金の籠に銀の籠、それから、泉に森のフクロウ。
「星降る夜とも歌っていたから、時間や場所など、必要な条件づけが他にもあるのかも知れん。」
「そっか…。」
 何しろ"光の公主"という、すこぶるつきに特別な存在への覚醒だ。元は魔神であったほどのこの自分でさえ、その知識の中に存在を記してはいないような、世にも稀なる聖なる者。そうそう簡単に世に現れることが出来るのならば、こうまで謎であろう筈がない。陰体の魔物たちがそれだけ躍起になってその存在ごと潰して回ったほどに、それはそれは恐るべき者でもあるのだろうと、想像するに如
くはない。そうまでして来た存在の"核"たる獲物たち二人を、今や直接その手中へ収めてしまっている段階だ。
「こうなっては一刻を争うぞ。」
「ああ。」
 一体何に遠慮していた魔物なのかは知らないが、その場で瞬殺しなかったことには、やはりまだ何か事情があるのやもしれず、ならばまだ何とか間に合うのかも。大切なものを邪悪な存在に奪われた、同じ立場の者、二人。思う先も同じであって、

  「「城へと乗り込む。」」

 どんな妨害も何するものぞだ、怒涛の抵抗も薙ぎ払ってくれようぞと。今の状況下でこの二人がタッグを組んだら、成程…怖いものなんかないのではないかと素人目にも判るところだが、

  「ちょっと待って下さいな。」

 そんな二人の勇者たちへ、すぐ傍らからのお声がかかった。
「王宮への潜入でしたら、私が案内します。」
 意気盛んな二人を"どうどうどう…"と宥めるような、そんな気色もなくはないほど、こんな場には不似合いなくらいにそれは穏やかな声をかけたその人は、
「話は進から訊いております。相手は得体の知れない魔の者なのでしょう? 無駄な戦闘で時間や体力を浪費してはなりません。」
 いざという時に、王家の方々が外部へ安全に脱出なさるのにお使いになられる、秘密の抜け道を知っております。そこをご案内致しましょう…と。実に頼もしいことを申し出て下さったのだが、
「この人は?」
 面識がなかった桜庭が進へと訊いたところが、
「高見と申します。」
 ご本人が先に名乗って見せて。そんな卒の無さげなところが…白魔導師さんには少々気になってしまったご様子。
「どうして、この人が城の内部の抜け道まで知っているのさ。」
「近衛隊長を務めております。」
「進だってそうだったんだろ? なのに彼はそんなものは知らない。いくら進の方は内乱でゴタゴタしていた時に昇進したからだって言ったって、近衛のしかも同じ格の隊長だったのにそんな差があるのは訝
おかしいじゃないか。」
 むしろ、そんな火急の時の隊長にこそ持たせるべき知識なのにと、警戒心を剥き出しにした桜庭の言いようと表情へ、だが。そうまで言われても…意味が通じないのか、ほのかに怪訝そうな顔をしているだけな進であり。その一方で、

  「さすがは慎重な方だ。」

 高見の方こそが、苦笑混じりながら、桜庭の見せた徹底した警戒へ感服したような声を出す。そして、
「私は王城の生まれではありません。まあそれは進も同じことだそうですが。」
 そうと言った高見は、やはり…さして表情や態度は変えぬまま、
「私は陽雨国の生まれ。此処、王城へと渡ったのは、10年ほど前のお里帰りから戻られたアンジェリーク様と同じ船で、なんですよ。」
「…っ!?」
 アンジェリーク様といえば、前王の側室にしてセナくんの母上であらせられた方。この大陸ではない"外海"にある遠方の強大な王国から、外交的な経緯があって輿入れされた、元はといえば やんごとなきお姫様で、
「私は秘かに陽雨国の国王様から命を受け、アンジェリーク様を見守ることを命じられた人間です。」
 無論、極秘の任務であり、素性を隠して進と同期の兵としてこの国の王室に仕え、表面上は あくまでも、ここ王城キングダムの王室への忠節を掲げつつ日々を過ごして…今に至るのだそうで。だが、
「お恥ずかしい話。アンジェリーク様が、内乱が起きる前から秘かに"替え玉"と入れ替わっていたことには、私も進から今回の事情を聞くまで、今の今まで全く気がつかないでおりました。」
 それというのも、偽者へとかけられてあった"暗示"がそれは強いものだったからで、本人はおろか、間近に仕えていた近衛という立場の者たちでさえ、替え玉こそが本物と疑いもせずにいたほどのもの。だからこそ…のちに正妃に取り憑いたらしき魔物も、一気に"偽者だ"と公言したとて無駄だろうと察し、已なく ちくちくとした陰険な攻撃で追い詰めて自滅させることしか出来なかったらしいほど。ましてや、陽雨国にはそういった"魔法"というものが全く存在しないのだそうだから、見極めろという方が無理な相談で。
「何が何やら、状況の激変の真相がまるで分からないままに、あの内乱が起こってしまい、アンジェリーク様の行方も途絶えてしまい。いくら暴言を吐いて混乱の元凶を作ったとはいえ、外海の国から迎えた"使節"でもある王女を殺すまではすまいと、アンジェリーク様とても、騒ぎが収まればその身を現されるかもしれないと。此処にて ただただ朗報を待っていたのですが…。」
 そんなところへ、なんと国外へ放逐されていた進が戻って来て、しかも自分を頼ってくれた。そして…そんな彼から一連の事情を聞いて、これは自分の任にも重なること、是が非でも協力せねばと城下への手引きにも一役買ったし、今もこうして…隠密裡に調べた城内への抜け道を教えようと申し出てくれた高見であるらしいのだが。

  「…話だけで信じろと言うの?」
  「無理な相談でしょうね。」

 依然として目許を眇めたままな白魔導師さんだとあって、困ったなあと小さく苦笑した連隊長さんは。そうそうと何かを思い出し、上着の襟元に手を入れると、そこから細い鎖を手繰り出す。そこには金属製の楕円形のタグのような標札が下がっていて、
「これが、私が陽雨国の人間であることを示す唯一の証明票です。といっても、向こうへ問い合わせることでしか確かめようがないのですが。」
 本物なのかどうかが今ここで見極められませんので、やはり信用されはしないですねと、相変わらず困ったように眉を下げている彼だったが、
「…ちょっとごめん。」
 桜庭はその標札を綺麗な指先に摘まんで、じっと表面を見やる。そこに何事かを読み取っているらしく、
「陽雨国の第3王女、若菜姫の乳兄弟。こちらに渡ってからも年に何度か、文のやり取りをしていて、姉君の行方はご両親も悲しみながらも諦めていると、一番新しい手紙に書いてあった。…そうだね?」
 ややあって、そんなことを言い当てた彼であり、
「………凄いですね。そんなことは一切記されてはないはずですが。」
 あくまでも。生年月日と国民としての番号と、彼の生まれ育った在所、それらを管理している役所の所轄。王城キングダムへは社会勉強のために送り出されたという旨が刻まれてあるだけだのに。高見が心からの驚嘆の思いを告げれば、
「肌身離さず持ってたんだろう? その間の君の気持ちや考えてたこと、そういうのがね、染みついて残ってる。」
 だから、彼の言に嘘はなかろうと、やっとのことで桜庭も信用した模様。
「疑って悪かった。」
「いいえ。こんな事態で、しかもこんな立場なら、慎重であって正解です。」
 むしろ、頭から何も疑わなかった進の方が迂闊かもと苦笑する高見さんだが、
「いや。彼の場合は、直感が半端じゃないんだ、きっと。」
 ご本人としては…きっと"後ろ暗い人物だとは思えなかったから"という、ただそれだけで信用していたらしく、だが。もしかしたなら、何かしらの心積もりは持っている高見さんなのかもしれないし、知略派な人が構えるのだろう緻密な企みとやらには、あっさりと足元を掬われるタイプの進なのかもしれないが。
「こんな土壇場で一枚噛もうというような人物に、魔物側かどうかということ以上の選別理由は不要だろうからね。」
 確かに、姑息な企みや何かで誰かさんの足元を掬っている場合ではない。得体の知れないものが相手なのだから、正確な状況を知ったなら…関わり合いにはならず、とっとと逃げ出すのが一番の利口者だろう。
"そして…魔物側の人間だったのならば。"
 魔物との誓約には成立と同時にそれなりの印が刻まれるもの。庇護や特別な力をいただけたりする代わり、誓いを破って裏切ればたちまちにして身を引き裂くような、何かの刻印。それをもらえていないのならば、単なる口約束程度の相手であってそれこそ恐れるには足りない。
"彼の持つ剣は、魔の気配に反応する代物だから。"
 どっちの側の人間かは、案外あっさりと判別出来ていたろうし。もしも もしも、この高見という彼が、魔物側の…魔物そのものが化けるか、その身体を支配しているという手合いの間諜であったなら、例え旧友の姿であろうとそれこそ関係のない話。王国の混乱と、そしてそしてセナ王子への忠節や想いには代えられぬとばかり、とっくに一刀両断しているのかも?

  「???」

 こんな土壇場に、しかも自分を肴にして何を悠長に語らっているかなと。怪訝そうに眉を顰めた白い騎士様であり、もしかしなくとも一番真っ当な感覚でいたそんな彼と眸が合って、
「判ってるよ。急がないとね。」
 自分だって早く蛭魔に逢いたい。その無事を確かめたい。やっと何とか余裕を取り戻せたらしく、苦笑混じりに桜庭が頷き、高見が旧友の大きな肩を叩いてやり。急ごしらえの三銃士は、それぞれの大切な人や 若しくはその人の名誉のため、頭上に広がる夜陰の遥か彼方、魔物が巣食う王宮へ向かわんと、堅い決意を秘めたそれぞれの真摯な眼差しを据えたのであった。





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 *心配なのは判りますが、まずは攫われてしまった“泥門サイド”ではなく、
  救出部隊の“王城サイド”の方々の方を。
  実は高見さんはそういう伝手があって協力してたんですね。
  次はいよいよ、囚われの身の姫たちの方へとカメラが向かいますので、
  どかお待ちを。

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