月の子供 M  〜なんちゃってファンタジー“鳥籠の少年”続編
 



          
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 音もなく光もない空間の中にいた。だからといって、自分を呑み込むような闇が迫っている訳でもないらしく、切迫した不安もない。ただただ静謐なばかりの虚無の底。時間さえ止まっているかのような、そんなほどにも随分と深いところに、その身を委ねるようにして何も考えぬまま漂っていたものが、

  ――― …っ、〜〜〜っ!

 不意な"引き"があって、それへと招かれるようにするすると意識が浮上してゆくのが判る。幾重にも重なった緞帳や暗幕が、羽根のような軽やかさで翻っては撥ね除けられるような"覚醒"には、特に抵抗となるような妨げもなく。何かしらの術やら薬品を使った強引な拘束により、無理から意識を封じられていた訳ではないらしいなという、そんな判断がどこからかやって来て、意識へひたりと寄り添った。何だろうか、思い出さなければならないことがある。大急ぎで思い出して、警戒のうちに身構えないといけないことがある。

  ……… 何だった? 何だったろう。

 う"〜〜〜、思い出せねぇな。このまま目が覚めると同時ってノリで思い出せても、かなり遅いこったぞ。チッ、この俺様の対応力がこんな鈍
トロいってのは許せねぇ。ここんとこ安泰な目覚めばっか迎えてたから、少々気が緩んでたんだろうな。


  ――― …マさんっ、蛭魔さんっ!


 誰かが自分を呼んでいる。必死な懸命な声だ。どっかで聞いた声だなぁ。そうだ、意識が途切れる寸前にも聞こえたんだよな。………はぁ? 意識が途切れただぁ? そんな無様な真似を、この俺は やらかしたのか? 冗談じゃねぇぜっ!


  「………っっ!」


 世が世なら"ファッキンッ!"とでも叫びながらだったろう。まだ自在に動かないものを無理からこじ開けるように、切れ長のその双眸をほとんど"力技"で見開いて。やや強引な目覚めを迎えた黒魔導師さんは、そのままの勢いで立ち上がって大きく体を動かそうとしかけて、だが。がつんという強い衝撃を感じて、真っ黒な道着に包まれた撓やかな肢体を元居た位置へと引き戻されている。
「な……っ。」
 かしゃんという金属音もして、思わぬ拘束により腕が固定されていることに気がついた。体の動きに置いてけぼりを食いかけた腕の先、左手を見やれば。薄暗がりの中に浮かんでいる、自分の白い手が見えて。そこには…暗い中に鈍いながらもつややかな光沢を帯びた、何の装飾もない金属の腕輪が嵌まっている。その腕輪を通した短い鎖が冷たい鉄の格子に直接つながっており、勢いをつけて何度か引いてみたが、ガチャガチャ喧しく響きながらピンと張るだけで簡単には千切れそうにない。簡単な見かけながらビクともしないのは、
"封咒か…。"
 見た目の体躯はいかにも優美で細っこい蛭魔だが、これで結構な力持ちだし、こういうものには要領もあると知っているのだが…捩ろうがタイミングをつけようが、それでも何とも歯が立たず。これでダメならと今度は念じてみたものの、気が集まる時に額や胸の奥などへと感じる、意識が絞り込まれるような感覚がまるで起きないことや、念を集めた筈の箇所が熱くならないところをみると、直接手首へと触れている金色の腕輪の方には、自分の魔法能力を封じるための咒がかけられてもいるらしい。こんなものに拘束されていたせいで、横たわっていた訳ではなく、窮屈にも壁に凭れるようになっていた自分であり。見回した周囲が薄暗かったせいで、尚のこと…何が何やら、自分がちゃんと目覚めているのかへさえ、疑ってかかったほどだったが、

  "此処は………。"

 落ち着いて検分し直した"此処"が、窓や明かり取りの穴孔が何処にもない、至って冷たい石作りの空間だというのは判る。自分が放り込まれているのは、何処かから運び込まれて据え置かれた籠のような檻ではないらしく。憎たらしい鉄格子の嵌まった2面の対面、やはり隣り合った奥の壁の2面と天井と床とが真っ平な石壁になっているので、この場所に最初から作り付けになっていた地下牢か何かなのだろうと思われる。辺りはいやに静まり返っており、安んじて過ごせるような所とも思えないながら、だが。このままいきなり、この身を苛むような陰惨な仕打ちも間近にはないような、そんな雰囲気がするのが…これまたどうにも腑に落ちない。どういうものか、導師としての力は相当なものであるのにも関わらず、わざわ封印されずとも魔物や聖域の気配を読むのは苦手な自分であり。それでも普通一般の人間並みの五感は働く身、そんな感覚にて探ってみても…。
"静かすぎねぇか?"
 石積みの壁と、その壁に火皿受けがあるのだろう、ほのかに揺らぐ灯火の光と。自分たちが放り込まれている檻のような空間の鉄格子といい、どう見たって"人造物"だらけなのに、あまりにも"気配"というものに乏しすぎる。
"今は陰体の者らのみが出入りしているような場だ…とかいうことなのかな。"
 意識が途切れていた間に連れ込まれた場所だからこそ、殊更に警戒して辺りの状況をまさぐっていた蛭魔だったが、その慎重そうな視線が…ふと。慌てて差し向けられた先がある。この空間に自分以外の唯一の"息づく気配"の上へ、やっとのこと振り向けられて、

  「…お前は無事なのか?」

 そうと訊く。細い鉄棒が縦方向に何本も居並ぶ型の鉄格子。体を出来るだけ寄せてから、その隙間から出してみた腕の長さでは、相手に到底届かない程度の間隔を空けた向かい側に、やはり同じ鉄格子へ小さな手でしがみつき、こちらをじぃっと見やっていた人影があり。こちらから掛けられたいたわりの声へ、
「蛭魔さぁん…。」
 先程まで必死になってこちらへと呼びかけていた同じ声が、大きな瞳にぶわりと溢れそうになった涙によって溺れそうになったのが判って、
「…悪かった。怖かったろうな。」
 ずっと独りも同じという境遇に捨て置かれていて、さぞや心細かったことだろうにと、傍らにいながら暢気にも意識がないままだった身だったことをつい詫びた蛭魔である。こんな状況なのだから厳重に警戒するのも必要なことだが、自分の安全を後回しにしてでも…この子にこそ盾になってやらねばならぬ身であり現状な筈。まだまだ幼い少年にして、光の公主とかいう存在…の玉子という存在であるらしき小さな王子様。それでなくたって気の弱そうな大人しい子だというのに、ほんの数日の内にも、彼の身の上へと突然降りかかって来た数々の奇禍の、何と途轍もないことばかりだったろうことか。そんなこんなに翻弄されたその揚げ句、こんな薄気味の悪い場所へと無理から捕らわれてしまって…さぞかし心細かったに違いない。それを思えば昏倒し続けていただなんてあまりにも不甲斐なく、それでするりと…柄にない謝辞が口を衝いて出もした黒魔導師さんであったらしい。ぐすぐすとせぐりあげる小さな少年の輪郭を薄闇の向こうに見やりつつ、
「ここは何処なんだろうな?」
 間を保たそうと。気養いも兼ねて話しかけてやると…思わぬ答えが返って来た。

  「王宮の、奥の宮の真下にあたる地下だと思います。」

 自信なさげに"ボクも途中から目が覚めたので、誰がどうやって此処へ運んでくれたのかは判らないのですが…"と付け足したセナへ、
"いや、恐らく運んでくれたのは相手陣営の連中なんだろうけどよ。"
 そいつらこそが忌ま忌ましき敵なのに、ご足労をおかけしたというような言い回しだったのへ、ついのこととて"…ひくり"と肉薄な唇の端が震えかかった蛭魔だったが。相手が相手だから揚げ足取りにもなるまいと、そこはグッと堪えつつ、そんな瑣末なことよりももっと重大なポイントへと意識を戻す。
「何で城だと判るんだ?」
 セナを狙っている存在の本拠であり、しかも…いかにも地下牢という雰囲気のこんな陰惨な作りのものがそうそうあるとも思えないから。言われてみれば、それが素直に"正解"なのかもしれないが。何せ歴史の古い国なだけに、古い寺院や古跡などの存在も領土の中には少なくなかろう。そういった遺跡の地下などには、王国としての統一が成される以前に各地の自治の下にて使われていた牢獄だってあるやもしれず。永く人が居着かないような場所ならば、日輪による躍動を帯びた生気や聖なる信仰による祝福も薄まっていようから、陰体の中でも殊更にそういったものを嫌う"負の魔物"などの悪しき存在たちには居着き易かろう。よって、今回の騒ぎに於ける相手側の塒
アジトとして、人の立ち入らぬそんな場所だって利用されているに違いない…と。一気にそういったあれこれを頭の中にて思いもしたが、
"…う〜ん。"
 そこまでの説明をいちいち相手へ授けるのはうざったかったので(こらこら)省略し、意識がなかったのならば判るものではなかろうにとだけの意図を含めて、問うてみれば。セナの声は、

  「見覚えがあるからです。」

 呆気なくも…とんでもないことを紡いでくれた。向こうの鉄格子の間からちょろりと出された小さな手が、
「あの扉から入って、あっちの突き当たりの壁の作り戸棚の奥の隠し扉から…外への石の回廊へと抜けられるんですよ。」
 二人の間の空間を右から左へと…指差す先を移動させるように動いたのを見て、蛭魔は思わずのこと、急くような鋭い声を放っていた。

  「…っ。思い出したのか?」

 彼にかけられてあった二重の封咒。彼の身を守るためにと、まずは彼自身の気配を覆い隠していた封印があり、その次に…彼自身が何者であるのか、どういう子供時代を何処で過ごしたのか、彼がこの国の王子の一人であることに関わる全ての記憶を、厳重に封印してあった封咒が施されてあったらしくて。彼の言動から何かしらのボロが出ないようにということも、多少はあったのだろうがそれよりも。彼自身を苦しめないようにということに対する配慮だったのだろうと思えたのは、
「思い出せたのは、少しだけなんですが…。」
 小さなお声で応じたそのまま、薄暗い中、うつむいてしまったらしき小さな王子様のお顔が。前髪の下、闇溜りの中に没してしまったから。彼だとて一度だけしか通ったことはないのだろう、緊急時用の隠し通路。そこを初めて通ることと運んだということは、すなわち…生命に差し障るほどの危機に迫られていたからであり。新月を迎えた漆黒の闇夜の中、ぐっすりと眠っていた暖かな褥(しとね)からそぉっと起こされて、ばたばたと出立した自分たち。母上とまもりさんと、隋臣の皆さんと一緒に此処から逃げた。何がどうしてなのかは、まだ小さかったセナには一切説明されなくて、でも。取るものもとりあえずという雰囲気の、たいそう慌ただしかった出奔だったのを覚えている。何故かしら異様なまでに殺気立ち、棘々しくも逼迫した空気の中、そんな自分たちへと…祈りを込めてかけられた、

  『どうか、どうか。ノイエ・シーネの御加護を。』

 抑えられたものながらも凛と張った女性のお声があったのが、しばらくの間、耳から離れなかった。
「ノイエ・シーネ、か。」
 話を聞いた蛭魔が感慨深げなお顔になる。
「どういう意味でしょうか。」
「うん…。今は神官や導師でさえ滅多に使わないような古い言葉でな。強いて意味を直訳すれば"新しい光"って意味だ。」
 光の公主。よほどのこと膨大な力を持つのだろう聖なる存在らしいとはいえ、まだ覚醒前だからと か弱き婦人たちの手で守られ匿われた小さな王子。よほど繊細な能力なのか、本人の気性もまた鋭敏なくらいに細やかで儚げであり。なのに…頼れる人も間近にないまま、結界にのみ守られて独りぼっちでいた小さなセナ。

  "迷いの森を探してた俺はともかく…。"

 あの、いかにも頼もしい白い騎士殿が彼へと引き寄せられたのは、彼に宿ったそんな因縁の齎
もたらしたものなのか。…いやいや、あの剛の者は確かに単純な素養をした人物ではあろうけれど、だからこそ、そんな曖昧なものに大人しく操られるような人物でもあるまい。それこそ、うざいとばかりに振り払ってそれっきりだったかも。だから。因縁は因縁でも、何の肩書も宿命とやらも関与しない、二人の相性のようなものが引き合ってのことだろうよという、ちょっとばかり擽ったい解釈を思ったのとほぼ同時、

  「…そういや、お前。空の上へ現れやしなかったか?」
  「えと…。」

 現状に警戒を払い過ぎていたのか、今頃になってあの場面へと意識がフィードバックしたらしき魔導師様。自分は連れの桜庭がかけてくれた"浮遊の咒術"の力でもって、夜空に浮かんでいたのであって、ごくごく普通の少年でしかないセナに、そんなとんでもないことが容易に出来る筈はなく、

  「それに…進の野郎はどうしたんだ?」

 彼を守っていた筈に白い騎士。それは頼もしくも勇敢で屈強な、あの朴念仁はどうしたのだと、立て続けに訊かれて…セナ王子は小さな肩を再び落として見せる。
「確かに一緒にいたんです。城下に入った途端に化け物のような姿の魔物に襲われて、でも、進さんが剣を振るって助けて下さって。」
 蛭魔の側と同様に、こちらにしたって ほんのついさっきのこと。なのに、何だかとっても…遥かに遠い夢か何かだったようにさえ思える。ああ、こんなことならもっと早くに素直になっていれば良かった。此処へと到着してからの数日、進さんのことをずっとずっと怖がるように構えて過ごしてたのが、今更ながら本当に悔やまれる。今頃、きっと心配して下さっているに違いない。でも、頑張って我慢しなきゃ。何でもかんでも自分のせいだなんて泣いてたらいけないぞと、守った甲斐がないだろうがと。わざとにキツい言いようを選んで叱って下さったのだから………って、こんな場で何を悔やんでいらっさるやら。国の行く末とか、皇太后様に取り憑いた魔物はどうでも良いのか? 王子様。
う〜ん 茶化すのはもっと不謹慎なので、此処はお話の続きを聞きましょう。小さな王子様は、その柔らかな髪をふりふりと揺さぶってかぶりを振り、
「何がどうしてというのは、まるきり分かりません。いきなり誰かに呼ばれたような気がして。聞かずにはおれない声だったのへ耳を澄ましてみた途端に、それへと引っ張られるみたいになって。何だか"旅の扉"を通った時みたいな感覚があって。」
 白魔導師のみに見つけられる不思議な扉。時空を一足飛びに飛び越えて、それはそれは遠く離れた場所へ文字通りの"瞬く間"という一瞬で辿り着けた、摩訶不思議な咒門ポイント。そこを通過した時のような感触があったとセナは言い、顔を上げると魔導師様の方を見やって、
「それから、蛭魔さんがいたところに辿り着けたのですけど。今度は偉そうな声に捕まってしまって。」
「…ああ、そうだったな。」
 思い出すのも癪なことながら、それは蛭魔もしっかりと覚えている。この腕を鉄格子に固定しているのが、あの場面にて霆
いかずちの閃光と共に降って来た、忌ま忌ましい封印の枷だということもだ。何か特殊な魔法文字が刻まれてあるらしく、このままでは…身動きが取れないばかりではなく、蛭魔の十八番である自己の生体パワーを用いての魔咒も使えない。例えば、この場所に何かしらの結界が張られていたとして、常人の術師ならば、周囲の森羅万象から気を集めるという最初にして重要な"下準備"が施せなくなるのだが。蛭魔の場合は…そんなものには影響を受けないまま、咒による力を随意に発揮出来たのに。
"俺がそういうタイプの魔導師だと、相手も知っていたらしいな。"
 大地の力脈や魔力の気配が読めないという、導師としてはどうかすると欠陥かも知れない性質を持っていることを穴埋めして余りあるほどの、それは強烈な魔力を身の裡に無尽蔵に蓄えていて、いつでも幾らでも自在に使える破天荒な導師だと。解っていればこそのこの枷なのだろうことは、彼にも重々理解が及ぶ。自分の立てた…いかにも不意を突くぞという構えの電撃作戦が、こうまで周到に搦め捕られたのが、何とも悔しくてしようがなかった蛭魔だったものの、

  "…な〜んか引っ掛かってるんだがなぁ。"

 ギリギリ喉の奥に引っ掛かって、呑み込めないままに いがいがと気になっている何かがある。そういう時はご飯の塊を飲み込めば良いそうですが、

  "呑み込んじまったら、正体が解らなくなっちまうだろうがよ。"

 …………何を胸張って言い返しているのやら。余裕のつもりなのでしょうか。(おいおい)う〜むむと唸りつつ、鉄格子の外を見やった蛭魔は、

  "それにしても…。"

 せっかく捕まえた自分たちを放置して、相手は一体何をしているのだろうかと。そっちの方も気になった。セナの言うように地下に位置する牢獄だとしても、見張りさえおかない不用心さであり、
"だがまあ…これじゃあ、そう簡単には逃げられもしないが。"
 咒の力を封じられてはなと、我が身の情けなさに苦笑が漏れる。それはともかく、
"………。"
 こんなにも薄暗い場所でありながら必要以上の不安を感じなかったのは、セナが言う通り、此処が城の中だからだろう。現在は怪しい存在が闊歩しているとはいえ、城というものはそもそも神聖な儀式や何やを施して立てられるものだ。それが戦のための即席の城塞であるのなら話は違ってもくるけれど、王宮を据えるような、王族が居城にするような城である場合、慶事にまつわる伝説が立地に対しての条件の中に組み込まれることも珍しくはないし、その後もそれなりの清めが行われるもの。相手が今一つ強硬な手が打てないでいるのは、もしかして…そのせいもあるのだろうか。
"それなら、ここから離れれば良いのだろうに。"
 自分にだって不自由だろうに、それが出来ないでいるというのは、
"聖なる何か、目を離せない何かがこの城内にあるのやも知れんから…か。"
 城下への潜入用にと着替えたそれなのだろう。粗末な装束にて、何とも頼りなく しゅんと萎んでいるセナ。この少年に念には念を入れて厳重な記憶の封印がかけられていたのは、先程並べた"本人の気持ちを考えて"という事ともう一つ。彼を"光の公主"とやらへと覚醒させる要素
ファクターが、もしかして彼の記憶の中にあるからなのかも知れないと、そういう推理をしもした蛭魔さんであり。ということは、彼が覚えているもの、つまりはこの城の中の何かが"鍵"だということで。

  "鍵と言えば…。"

 自分にこんなややこしい枷を送って下さった謎の声は、あの時、妙なことを言ってはいなかったか?

  『金のカナリアに手を出してはいけないよ。』
  『その子を使って、城下を逃げ回ってる忌ま忌ましい"月の子供"を、
   妾
わらわの膝下、城の玉座前へとお招きせねばならないからね。』

 そんなフレーズを思いだし、

  "………っ。"

 そうだ、これが引っ掛かっていたのだと、先程から色々と折り重なっていて気になっていた"多層構造状態"の疑問の、まずは1層目の謎が剥がれ落ちる。一体どうして、この自分をこそ捕らえようとした奴らであったのか。たかだか目眩ましの囮であり、目障りなのなら叩き伏せてしまえば良いのだろうに。
"無論、大人しく潰されてやるつもりはなかったが。"
 はいはい。でも攫われたんですよね。
"………。"
 だ、だからですネ。その場で切り伏せるような喧嘩を構えないで、殺気を全く帯びないままに搦め捕られたからこそ、妙な格好で油断を突かれてしまった訳でしょうが。
"…誰かさんが魔神に戻って世界中を呪いそうなくらい怒ってなきゃ良いんだがな。"
 それはますますと怖いお話だから、脱線はこのくらいにしておきましょう。金の何とか、といえば。あの、封印のための要石から再生された、まもりとかいう侍女の声が告げかかっていたものがそうではなかったか?
"…けど。"
 この枷を自分へと架した誰かさんはその"カナリア"という呼び方、
"俺に向けて使ってなかったか?"
 だからこそ封じられた、だからこそ攫われたのだとしたら?
"しかも、こいつまで招き寄せたらしいし。"
 何かに呼ばれたとセナは言った。ということは、謎の声が言っていた通り、自分が相手の手中に捕らえられたことが、そのままセナをおびき出せる"餌"になったということなのだろうか。だが、
"………何か、なんか納得が行かないんだがな。"
 相手が躍起になって封じたい滅ぼしたいのはセナであり、それを察知したからこそ、心ある人々たちが自分の命を削ってまでも身を隠させたのだろうに。そしてそんな彼を"光の公主"へと覚醒させる鍵が必要であり、
"それが、この俺だとしてだ。"
 その点へも"そんな馬鹿な"と物申したいところだが、それを敢えて黙視した上で論旨を次に進めてみて、
"………何でその鍵の窮地へと、主格たる"月の子供"が引き寄せられちまうんだよ。"
 昏倒しかかった、薄れゆく意識の中で聞こえた声。

  『蛭魔さんっ、目を開けてっ!』

 こっちの窮地に招かれて、それでビックリしつつも"意識を失わないでっ"と呼びかけて来た。そんな様子だったとしか思えない出現であり、だが、それだと順番がおかしくはなかろうか。そんなことでセナの身が…光の公主本人が窮地に陥っててどうするよ。
"そこんとこに何か理屈があって、それでなかなか出現出来ない存在なんだろうか。"
 自然の摂理には、だが、人間の小賢しい理屈や"合理主義"では解明出来ないものもたんとある。どう考えたって無駄だったり遠回りだったりするようなことが、だが、そうでなくては"滅び"を早めるだけだったりもするように。

  「〜〜〜〜〜。」

 新たな謎に直面し、う〜んう〜んと沈思黙考の構えに入ってしまった黒魔導師様であり。そんな彼にお付き合いしてか、それとも邪魔をしないようにと思ってか。

  「……………。」

 こちらもお口を噤んだ王子様。再び静寂が戻った岩屋だったが、

  "………っっ?!"

 ふと。その細い眉をきゅうっと顰めた蛭魔であり、
「………ぁ。」
 何か言いかかったセナへ、闇に浮かぶ白い手で制止のポーズを示して黙らせる。粗末な木戸の向こう。そちらもやはり石作りのそれなのだろう通廊を近づいてくる誰かの気配があり、ひたひたというその足音は、木戸の前にてひたりと止まった。
「………。」
 いよいよ、相手方の首謀者さんのお出ましだろうか。息を殺して様子を伺う。きぃ…と小さく軋んで開いた木戸。その陰から入って来た誰かは、小さな燭台の灯火を胸元へと掲げており、

  "………ん?"

 その高さが…あまり高い位置ではない。皇太后とやらなら、女性だから小さくても当たり前か? だが、

  "独りで?"

 皇太后本人ではなく、宿っている妖かしの行動であるのなら、単独で徘徊したって何が物騒かという理屈になるから成程構いはしないのかも知れないが、
"それでも…城内なんだから。"
 一体 何の御用でしょうかと、見とがめられたら厄介だろうに。それこそ自分の息がかかった傀儡の近衛兵士の一人でも、御付きの者として連れ回すべきだろう。
"と、いうことは…。"
 切羽詰まっているのか、それとも。首尾よく運んだことへの慢心から来る油断か。付け入る隙を拾えそうかもしれないと、蛭魔が神経を集中し始めたそのタイミングへ、

  「………セナくんっ。」

 こそ〜りと入って来た人物は、切羽詰まったお声でもって捕らわれの王子様の名を呼ぶと、さかさかと鉄格子の一方へと駆け寄った。そして、
「俺のこと、覚えてるか? 離れてもう何年にもなるけれど、一番の仲良しで良く遊んだろ?」
 切なげなお声で掻き口説く彼であったが、

  「セナなら向こうだ。」

 あいにくだったなと、お約束の取り違え。魔導師のお兄様が切れ上がった目許を眇めて見せつつ、隣りの鉄格子を親指立てて示してやって、
「こんなところへお出ましになっても構わんのか?」
 そうと付け足した。何故ならば。

  「あんたもしかしたら国王陛下だろうに。」

 セナとさして変わりない年頃の、こちらもたいそう小柄な少年だったが。一度は寝間に入ってからやって来たからか、パジャマらしき簡単な服装の上へガウンを羽織っただけという何とも質素な恰好でもあったけれど。そのガウンの素材が薄闇の中でも解るほどに上質のそれだった上に、左側の二の腕のところには、王城キングダムの白い翼の紋章が刺繍されてある。それも、
「金糸銀糸の縁取りの翼に、王族以外には使えない猩々紅を使ったエンブレムとくりゃあ、そのガウンは陛下の衣装でしかなかろうからな。」
 ニヤリと笑った蛭魔の言葉に、
「あ…。」
 彼が指し示した側の鉄格子からのお声が上がって、


  「………もしかして、雷門くん?」





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   *渦中の国王様のご登場ですが、
    あああ、しまった。物凄く和名な彼じゃないですか。
    しかも苗字。でも"太郎"くんだと、もっとベタだし…。