月の子供 N  〜なんちゃってファンタジー“鳥籠の少年”続編
 



          
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 悠久の歴史を誇る王城キングダムの首都にあたる、頑健な城塞と防御結界に囲まれた整備都市。その中央部に鎭座するは、白亜の石作りの外観もそれは優美な、尖塔の楼閣を聳えさせた麗しき古城。王国の象徴でもある、大きくその尋
ひろを広げた純白の翼をあしらった紋章は、この大陸では知らぬ者などないほどに有名であり。王国発祥の伝説の中、一番最初の王に忠心をもって仕え、その身を楯にして亡くなった乙女が転生した天使を表しているのだとか。その逸話から"勝利の天使"とか"常勝の白翼"などと呼ばれて、旗印や勲章、ペナント、剣や鎧などにまで刻印されてあるこの紋章は、だが。王族にしか使えない特別な意匠デザインというのが決まっていて。しかもその上…あまりに希少な成分ゆえに、王族にだけ献上される"猩々紅"という特別の染料で染め出した、暁光のように鮮やかな赤色は、国王だけがその紋章に使って身につけることが許される"禁色"だ。よって、
「王城キングダム、○○代国王、雷門陛下。」
 棒読みに近い単調な声にて。深紅のマントに漆黒の道着といういで立ちにて、その痩躯をなお印象的に絞り上げている金髪の黒魔導師殿が、不本意な虜囚扱いをされた身のまま告げたその通り。苟
いやしくも、こんな地下牢までわざわざその玉体ぎょくたいをこそりとお運びあそばしたこの少年こそ、現在の王城キングダムの王権と執政機関の双方の頂点に君臨なさる、雷門陛下、その人である。

  "噂には聞いてたが…。"

 蛭魔が ついついその目許をうっそりと細めて見やった相手は、本当に…どこから見ても"少年"だった。背丈が お小さいだけではなくて、目鼻立ちのはっきりとした面差しや、そこへと浮かぶ何とも覚束ない表情も…どうかすると"子供"に近いくらいの幼さであり。多少は鷹揚そうな、包容力の大きそうな気配もなくはなく、何よりも"清廉にして実直そう"ではあるのだけれど。まだまだ貫禄というものには縁遠く、国家権力などという巨大なものを背負うには、いくら何でも早すぎるという感が否めない。今がこれだから、即位なさった時なぞ"まだ随分とお小さい方だというのに"と、少し離れた外国にあたる泥門地方でも話題になったのを覚えている。まだまだ成人にはずんと間がある、自分とだって大差ないほどに幼い王様が立ったと聞いて、
『内乱てゆう"戦争"が収まったばかりなのだろう?』
 なのにそんなチビちゃい子供が王様で、ちゃんと復興出来るのかなと、一丁前なことを問うたのを覚えている。それへと、
『お母様の皇太后様が、しばらくは執政を監督なさるのだろうね。』
 確か、桜庭が苦笑混じりにそんな解説をしてくれたのだっけ。その国王陛下様はと言えば、

  「……………。」

 初見の相手…それも瀬那と共に捕らえられたという身の上の人物から、自分の肩書きをすらすらと言い立てられて。芯の強い、堂々とした声音だったところから、そんな身分であるのにも関わらずお前は一体何をやっているのかな…と、不甲斐なさを言及されたような気持ちになったのだろう。元からあまり覇気の無さそうなお顔でいたものが、ますますと意気消沈してしまわれて、その小さな肩を落としてしまわれる。そんな様子をまじと眺めやり、
「失礼な言いようがあったなら済まないな。」
 蛭魔は溜息混じりにそう付け足した。こんな無体な待遇へ不平を鳴らすにしても、筋違いな相手だくらいは心得てもいる。
「こんな目に遭ったのが あんたのせいではないと、この国の異常事態の真相を含めて、俺もあっちのチビもちゃんと分かってるから安心しな。」
 細い顎先をしゃくるようにして蛭魔が指し示した先では、鉄格子にしがみついてセナもこくこくと頷いて見せている。やや俯いていたそのままに、体の両脇へ降ろしていた手をぎゅうと握り締めていた雷門陛下だったが。そこはやはりただの子供ではなくて。何かを振っ切るように顔を上げると、ガウンのポケットに手を入れ、そこから黒っぽい鍵を掴み出した。まずは手前の蛭魔のいる牢の扉を。そして、続いてセナのいる牢へと歩み寄り、
「本当に済まない。」
 5年か、いやもっと。長く逢えずにいた幼なじみ同士。間近に再会して、互いのお顔を見つめ合う。どちらもどこか童顔なのは、もしかして父上に似たのだろうか。大人しげなセナに比べて、いかにも利かん気の強そうな腕白そうなそのお顔だったが、
「王となった俺こそが、母上の構えた暴挙を何としてでも制
めなきゃいけなかったのに。」
 高見さんが案じていたように、さすがに心労が重なっているのだろう。悔しそうな辛そうな苦渋の色を何重にも塗り重ねたような、それはひどい顔色になっているのは、決して、灯火が乏しいからそう見えるというだけでもない様子。
"事情も背景も全く分からないままに、事態の方がとっととこんな風に運んでしまってはな。"
 ただでさえ、父上様であった前王が薨(みまか)られてから、まだ日も浅い頃合いだったろうに。今度は同じ父の子であったセナと逢うことが出来なくなって。そうこうする内、宮中の空気がなんだか棘々しくなり、セナの母君の暴言の噂を漏れ聞いて。気がつけば宮中での騒動に巻き込まれ、それが発展した内乱では、片やの筆頭、旗頭として担ぎ出されて…今に至る彼であり、
「…さあ。」
 かしゃんと、扉の錠を解いて促して。中から出て来た小さな幼なじみに、何をか訴えるような眸を向ける。
「こんな形で逢うことになろうとはな。」
 何から話せばいいのやら、何を語っても無力だった自分への弁解にしかならないような気がしてか、口を開きかけてはそのまま口ごもってしまう彼だったが、

  「…ずっと。これは何かの間違いなんじゃないかって思ってた。」

 呼吸が侭ならないかのように苦しげに、重い声でそうと切り出した陛下であり、
「宮中で何だか派閥同士の諍いみたいなことが起こってしまって。でも、そんなのすぐに収まるって思ってて。」
 それはそれは仲のよかった自分の母とセナの母であり、少しだけ年上の自分の母を姉のように慕っていた美しきアンジェリーク様を、陛下は陛下で年の離れた姉のように思って慕ってもいた。義理の兄弟にあたる小さなセナは素直で控えめないい子で、二人は四季の花々が咲き乱れる瀟洒な庭を拠点に、毎日のように冒険ごっこに明け暮れて、それは楽しく過ごしていたというのに。
「内地での戦が始まって。それを沈静させるための派兵ではなく、まるで報復のためのような…攻撃のための派兵が始まって。それを母上が指揮し始めて。それでも、これは何かのお芝居じゃないかって思ってた。大きな誤解を解くためには、ある程度は花を持たせなければ納得しない筋の人がいるからって。それで気が済むようにと我慢して黙認していることで。それが片付いて折り合いがついたら、母上がどこかへ身を隠させたアンジェリーク様やセナが、無事なままに帰ってくるもんだって………。」
 魔法や精霊の存在が当たり前のこととして信じられており、咒という不思議な力の根付く国。そんな国の古い家系の出身で、修養を積んだ巫女でもある母上だから。何かを感じ取っての采配を振るっていらっしゃるのだろう、奇矯な言動が出るのも、お立場上から仕方がないお方なのだろうと。半ば祈るように、そうであってほしいと思い続けて来た彼だったのだろう。
「いつか、いつかはって…。」
 今日こそは今日こそはと悪夢の方から覚めてくれる日を待ち続けて。アンジェリーク様やセナを探させているのも、そうやってお城まで呼び戻して"ほ〜ら懐かしい人ですよ"って。これからは幸せな時間を取り戻しましょうねって、そう言って下さるものだと信じたかった。実の母を疑いたくはない。ましてや糾弾したくはない。だが、見ない振りにも限度がある。まだ元服前だとて、きちんと戴冠の儀も済ませているのだ、発言権はある筈なのに…。
「………。」
 言葉に詰まって黙りこくる幼なじみ。この幼さにしては立派な心根をなさった陛下なのに、何とも辛そうで苦しそうで。セナが思わず小さな手をそっと伸ばして、その頬へと触れてやる。柔らかな手。こんなこと、陛下に対して不遜だからと今では誰もしてはくれなくなった、やわらかで温かな仕草であり触れ合いであり。
「…セナ。」
 名を呼んだ声がかすかに撓
たわんで、ぐすんと啜り泣く気配が聞こえた。突然、この城からの逐電を強いられたセナと同様、このまだまだ幼い国王陛下もまた、何が何やら判らないまま事態に翻弄された、立派な被害者だ。
「あのね、陛下。」
「雷門でいい。」
 ぐいと目許をガウンの袖で擦り上げ、顔を上げて言い張った幼なじみへ、セナはこくりと頷いて。

  「雷門くん、あのね。ボクらは皇太后様に逢いに来たの。」

 あらためて、そんな言いようをするものだから。
「…っ!」
 何をまたそんな危険な暴挙を思いつくのかと、ぎょっとしたように顔を上げた陛下の背後、
「ああ、そうだ。直談判ってのをしに来たんだよ。」
 蛭魔がすっぱりと言い放つ。肩越しに振り返った陛下の前から、セナが慌てて…お向かいだった牢の中へと入って行って、蛭魔の傍らまで歩みを運んだが、
「…錠がついてない。」
 一体どうやって溶接したやら。腕輪と鉄格子とを繋ぐ短い鎖には、継ぎ目もなければ錠前の働きをする箇所への鍵穴もなく。間際に屈み込んで鎖を調べてみたセナと、鉄格子を挟んで顔を見合わせた雷門陛下。ただの連れだと思っていたこちらの青年が、セナ以上に…こうまで厳重にその身を就縛されていようとはと目を見張り、
「どこかに工具がある筈だ。」
 石作りの室内を忙
せわしなく見回し、奥の壁際、作り付けの戸棚に眸が留まる。鉄梃かハンマーか、何か堅い鉄の工具を探しにと立ち上がった彼だったが、


  ――― え?


 不意に。その身の動作を凍らせて、その場へと立ち尽くした彼であり。
「???」
 一体どうしたのだろうかと、鉄の格子の隙間からそちらを見やったセナの細い肩を、
「…蛭魔さん?」
 間近になっていた黒魔導師さんが自分の懐ろへと引き寄せて、そのまま ぎゅうと抱きかかえ込む。二人のこの反応の理由が分からないでいたセナが、

  ――― あ…っ。

 遅ればせながらハッとして息を呑む。音もなく開いたのは、先程陛下がこそりと入って来た木の扉。その陰からぬうと入って来た"新しき訪問者"があって、


  「こんな夜更けに、しかもこんな卑しき場所で。
   息をひそめて、一体何をなさっておいでなのですか? 国王陛下。」


 ほんの少し芝居がかった。ところどころで甲高く語尾の伸びるような言いようにて、一国の首長たるものがこんな場所で何をしているのだと問うた人物。浅い茶褐色の髪を高々と結い上げて、首条から胸元背中へかけての白い肌を大きく晒した華やかなドレスを見にまとった妙齢のご婦人。見るからに気が強そうな、メリハリのくっきりとした顔立ちを薄暗い空間の中に白々と浮かび上がらせた彼女こそ、


  「………母上。」


 雷門陛下が息を呑んで呟いた続柄の方。セナにも重々と見覚えのあるご婦人。威風堂々、それはそれは頼もしいまでの自信に満ちた、ちょこっと気の強いお后様であり。それでいて…側室として迎えられたアンジェリーク妃や自分の子ではない和子のセナにも、別け隔てなく優しく構って下さった、それは気さくな方だったのに。

  「どうしましたか? そんな怖い目をして。」

 陛下へとかける声も、何とも冷ややかなそれであり、特別な化粧を塗り重ねたかのような、ぎらつくほどの目許口許の異様な力みが、ささやかな灯火の中では恐ろしくさえ見えて。あまりに生々しくも怖かったからか、思わずのこと、抱え込まれた蛭魔の懐ろへ自分からもぎゅうとしがみついたセナの怯えように、小さく小さく吐息をついた魔導師様。鉄格子の向こうにて、正に"魔物に見据えられた小動物"の如く、凍りついたままになっている陛下に向かって、

  「安心しな、国王さん。」

 とんでもないお言葉をかけてやる。

  「いくら巫女さんでもな、
   背中に柄の根元までナイフをぶっ立てられても平気だなんてな
   途轍もない"神憑り"は聞いたことがない。」

   ……………なんですって?

 何とも信じ難い発言へ、ふふんと笑ったそのご婦人は、くるりと体を回して背中を向ける。そこには…

  "ひぃっ!"

 蛭魔の懐ろの中からこそりと覗き見たセナが、思わず短い笛の音のような悲鳴を上げかけたほどに異様な情景があった。背中の半ばまで襟ぐりが広く大きく降ろされた型のドレスのその中央。薄闇の中に真白く浮かんだ女性の背に、随分とがっつりごつい棒状の何かが突き立っており。その根元には、力を込めて突き立てるための鍔
つばが鈍い光を放っている。蛭魔が指摘したその通り、大振りな短刀が深々と突き立っている構図であるらしく、しかも、

  「………あ。」

 あまりの恐ろしさから目が離せなかったセナがますます驚いたのが。その短刀がゆっくりと…まるで柔らかなムースケーキか何かの上から そぉっと引き抜かれるかのように、何の仕掛けもないまま、宙空へと引っ張り出されており、やがてはからんと、堅い金属音を立てて、彼女の足元へ転げ落ちたのである。くっきり鮮明に何もかもを見渡せるほど明るい室内ではないけれど、そうかと言ってこんな"大魔術"をわざわざご披露いただける状況でもない。
「あんたの大好きで大切なご母堂は、こいつに体をのっとられた被害者だ。だから気の毒でこそあれ、罪はない。」
 蛭魔の声は、陛下へとかけられたものであるらしく、

  「それと判っていたからこそ。
   忌まわしき存在をその御身から叩き出したくて、
   こんな思い切ったことに及んだのだろう?」

 陛下を責めるのではなく、ともすれば力づけるような声音で言い足した蛭魔であったが…それってつまり。鈍い光を放って転がっているこの短刀を、皇太后の背へと突き立てたのは、ここにいる陛下ご自身だということか? どんな事情であれ、相手は実の母であり敬愛すべき皇太后様だというのに。まだ幼く、なればこそ情愛だって深かろう陛下にそこまでの行動を取らせた存在。妖冶なまでの艶やかさで、辺りの闇さえ従えて、くっきりと見開かれてあった瞳を、尚のこと、ガッと見開いたうら若き皇太后様は、

  《 〜〜〜っ!》

 そのまま何かしらの咒を唱えたらしく、闇の気配が音もなく膨張したような、そんな気配がしたかと思うや否や、

  「…っ!」
  「雷門くんっ!?」

 若き国王様はそのまま、先程の短刀のように、冷たい石の床へと昏倒なされてしまわれた。あまりに力なく音もなく、がくりと崩れ落ちた陛下だったものだから、セナが再び悲鳴を上げかけたものの、

  《 殺してはいないよ、安心なさい。》

 奇妙なビブラートのかかった不思議な声がして、
《 この妾
わらわに刃を突き立てた、身分をわきまえぬ愚か者なれど、まだまだ国王としての役に立ってもらわねばならぬからな。》
 くくく…と、冷たい嘲笑を滲ませたそのまま、細く尖った靴の爪先で。足元に倒れ伏した、我が子である陛下の頭を、それこそ畏れ多くも軽く突々いて見せた皇太后様であり、


   《 準備も万端調っているんだ。さあ、いよいよの儀式を始めるよ。》



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 *さあさ、いよいよの正念場。ラスボスとの直接対決です。
  囚われの姫君たちの運命やいかにっ!