月の子供 O  〜なんちゃってファンタジー“鳥籠の少年”続編
 



          
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 壁のところどころに埋め込まれた火皿に灯された小さな灯火が照らす姿は、その色白な肌に幾重にも淡い陰が重なるせいか、却って…陰影のない平板な存在のようにも見えて。意志の力の強かに籠もった眼差しの鋭さだけが、異様なまでに深い印象を振り撒いていて。たった独りで、こうまでの短期間に、こうまでの苛烈さ・凄まじさにて、歴史もあれば基盤もしっかりしていた王国を掻き回し、この大陸をさえ混乱と混沌の坩堝へと引き摺り込まんとしている、いかにも邪悪な存在たらんとした姿を晒しているものの。それへと相対する"片や"もまた、
「いいご身分だよな。今や、この国の最高権力者。そんな玉座を手に入れて、何にも知らない兵士たちを顎でこき使って。余裕の構えで俺らを燻り出してたんだろう?」
 相手が王族という貴籍の人間であっても畏縮なんかしないし、女性であっても容赦はしない。当然のことながら、邪妖だなんて屁とも思わない。相変わらず牢の一隅に座り込んでいて、片腕を鎖に繋がれた"虜囚"の恰好のままの黒魔導師さんだが、されど…気勢の方は恐らく世界一の居丈高な様子にて。眼光鋭く、肉づきの薄い緋色の口許へ"にぃ"と不敵な笑みさえ浮かべて、そんな言いようを真っ向から相手へ突きつける。
「人間を意のままに操れる魔力に長けてるみたいだが、それにしちゃあ…妖かしの気配を随分と抑え込まれているようじゃねぇか。」
 切れ上がった淡灰色の瞳を眇
すがめ、ああん?と。挑発するように言ってのけた蛭魔は、実は自分では邪妖の気配や魔力を嗅ぎ取れない身。だが、その点に関しては確信があっての言及であり、それへと呼応するかのように、

《 妾
わらわの側にしてみても。こんな不快な場所からは、早々におさらばしたいところなのだがのぅ。》

 見るからに不快だと眉を顰める皇太后様であったから。やはりなと内心にて確認しつつ、蛭魔がふんと鼻を鳴らした。
"城ってのはなるだけ縁起のいい場所に作られるもんだからな。"
 くどいようだが、これからの国家の先行きも乗っかっている建物なのだ。どんなささいな要素であれ、慶兆瑞兆をと選ぶのが基本というものであろう。先進の科学が進んだ現代の日本でも、何かしら建物を建設する前には土地の神様への挨拶という儀式をしているのを見てもお判りかと。筆者がそれはなかろうと呆れたのが、原子力発電所だったか研究所だったかの溶融炉に御幣を振りかざしてご祈祷が行われたニュースを見た時で、おいおい神頼みなんかいと…。いや、そういう意味じゃなかったんでしょうけれど、何だか妙な取り合わせだよなとつくづく思ったもんでして。そんな案配で、人は安心を求めるためなら結構何だってやるもので。具体的な逸話や謂れという何かがなくとも、それならそれで、例えば…後世の暦や数学、物理学の元となった、方位学や占星術なども駆使された筈である。(それと良く似た、東洋の"風水"は、方位方角による大地の気の流れを読んで、人や建物、都市などの吉兆を占ったり、それを生かして運が開けるようにと持ってゆくもので。方角についての学問は、当時はまだ誰も知らなかったものだろう…地球の地軸や地磁気や何やに絡んで、結果論ながら、科学的にもなかなかに意味ある結果を残してもいる。歴史ある"王城キングダム"の王宮である以上、そういった細かい学問や蘊蓄がないとは思えないし、土地への清めだってそれなりに正式なものを行ってもいようから。そういった祈りの念が何層にも込められた"聖なる気配"が影響してもいるのだろうし、ならば…妖力が強くて何とか頑張れるレベルの魔物でも、相当に辟易していて当然な筈。そんな"理詰め"でカマをかけた蛭魔だったのには、こちらの不利を少しでも減らしたかったのとは別に、それなりの大きな理由もあって。

《 そうは言っても、月の子供とカナリアちゃんは特別な方法でないと葬れない。そこでこの忌ま忌ましい場所からは離れられなかったのサ。》

 いきなり口調が砕けて来た彼女であり、最終目的だったセナと蛭魔の双方をやっと手中に出来た勝利の高揚感からか、随分と舌が滑らかになっている模様。

  "…これがかの有名な"冥土の土産"ってやつなのかなぁ。"

 あくまでも冷静ですね、蛭魔さん。
(う〜ん)この"冥土の土産"という、大詰めでの真相解説の図。サスペンスドラマを盛り上げるためとか、観客に隠していた要素も見せて種明かしする必要があってという、フィクションならではな脚本上の段取りにすぎない…と思われがちですが。実はもっと奥が深い。例えば…あんたのためにあたしがどれほどの苦労をしたか。練りに練った策を巡らし、慣れぬ演技をし、我慢だって強いられたのよ。それもこれも、この結末を招くため。ねえねえ知りたいでしょう? このあたしがそうまで頑張ったほどの、一体どれほどの恨みがあったのか。一体どんなからくりがあったのか…。相手をますますの失望と絶望に追い込むことで、策謀を仕掛けた側が尚のカタルシスを堪能するためにも必要なんですね。(………まあ、実際の犯罪においてのそれも素人さんだった場合は、どんなに計画されたものであれ、こんなことを悠長にも披露する余裕なんてないのでしょうけれど。)こちらと張り合うかのように、いかにも居丈高になっている相手を見やりつつ、
"こいつらにしてみれば、どんなに壮絶な戦乱でさえ、単なる喧嘩か諍いに過ぎないくらいの些細な代物なんだろうからな。"
 基礎も規模もしっかりしていた筈の大国の、王位継承権を巡って武装した軍勢がぶつかり合うほどの大きな内乱でさえ。彼らには行き掛けの駄賃、単なるついでだったほどのこと。国中が引っ繰り返った騒乱も、本当の目的を覆い隠すための"隠れ簑"でしかなかったほどに、それほどまでに…この少年と、ついでに"カナリア"だとかいう自分とを手中に収めることの方が重要だったらしくって。

  「随分と手をかけてくれたようだが、そんなにも俺たちが怖かったのか?」

 ふん、と。鼻息も荒く、挑発気味に言ってのけた蛭魔へ、皇太后は"くくく…"とそれは嫣然と笑って見せた。

  《 ああ、怖いさ。とってもとってもね。》

 言葉と裏腹な、芝居がかった からかうような言いようが、檻の中じゃあ何をどんなに澄まして言ったって格ってもんがないとでも言いたげで。

《 あんたたち自身がそれを知らないとはね。だが、さっきの夜空での召喚で分かっただろう? カナリアの危機を感じ取ってその子が傍らへと招かれた。》

 そういえば。蛭魔自身も腑に落ちないことだと怪訝に感じた先程の顛末。どうして、主格である筈のセナの側が、カナリアだとかいう自分の窮地へと呼び招かれたのか。あくまでも"カナリア"とかいうのは補助的なオプションだろうに、なんでまたそっちの危機へとすっ飛んで来たセナだったのか。視線をちらと投げた蛭魔だったが、当のセナもぷるぷるとかぶりを振って見せるばかりでどういう理屈なのかは分からないらしく。そこへ、

  《 カナリアと月の子供。》

 憎々しげに、だからこそ高らかに言い放ち、

《 揃えば"光の公主"を覚醒させられるという神聖な鍵同士であり。そして、片やが"負の穢
けがれ"によって消失しそうになったり危機に見舞われた時には、互いを呼び合うっていう因果な共鳴を起こすのさ。》

 皇太后様は、いかにも忌ま忌ましげに眉を逆立てて二人を見据える。片方が何かしら…負の影響による危機に遭えば、その悲鳴のようなものをもう片方が感じ取れるということか。

《 そうやって互いを呼び合い、相手を救おうとする。どうしても逃れられぬ窮地なら、何もかも燃やし尽くす業火を放ってその妨害者を諸共
もろともに滅ぼしつつ、せめて魂だけでもと再び"対つい"になって次の世代へ渡ってゆく。そういう、何とも面憎い奴らなんだよ、あんたたちはね。》

 どちらかだけでは決して滅ぼすことが出来ない、神秘の輪廻を転生し続けて来た存在。

  "…ということは。"

 やはり、これまでにも"月の子供"は幾度となく世に出たものの、そのどのケースも"光の公主"になる前に、冥府からの使い、陰世界の負界の誰ぞが始末をし、次の転生へ先送りに追いやって来たのだということか。蛭魔がそんな推測を思い浮かべているところへと、

  《そして今回は、あたしがその栄誉を仰せつかったって訳サ。》

 いつの間に歩み寄っていたのか、鉄格子のすぐ間近にまで寄っていた相手であり。にんまりと。やわらかく目許を細めて、いかにも熟女の艶を含んだ笑いようをする皇太后様だが、
"…取り憑いてる奴が女で美人だとは限らないよな。"
 そもそも性別があるんですかね、魔物に。…じゃなくって。その美貌を讃えられた麗しき妃様であらせられた方だったからこその美しさが、今は毒々しいばかりの邪悪な迫力を帯びており。床に倒れ伏した若き国王様をちらりと見やって、気を失っていて正解だったかも知れないと、こんな場合ながらもそんな風に思ってしまった黒魔導師さんだったりする。………余裕でしょうか? 蛭魔さん。

《"月の子供"の素養は"親から子"というような形で次の世代へと受け継がれるものじゃあない。何十年、何百年に一度というサイクルで、何かしらの拍子、対になってるカナリアと共に同時にこの世へ生まれ出る存在でね。》

 きれいに整えられた長い爪。それの先にて撫でるように、鉄格子をつつつ…と引っ掻いて。毒婦と化した皇太后様は、それは妖麗にくすくすと笑って見せる。

《 ところがあんたたちは例外で、カナリアの方が少ぉし先に生まれたらしい。しかも、霊山の麓へだ。これはあたしらにとっての"忌み方"だからね。どうしたもんかと思っていたらふっと気配がなくなったから、事故か何かで死んだのかもと思っていたよ。陰の力が作用しないことでの"消失"には、そっちの坊やも今回みたいな反応はしない。そこで、行方不明になってしまったあんたへの探索は諦めて、こっちの坊やをばかり見張っていたのさ。》

 太いと言っても数センチほどの鉄格子を挟んで、ほとんど接しているほどの間近に突き合わされた赤い爪。エナメルを塗られて血塗られたように光る、牙のような指先へ。伏し目がちの眼差しを、ちろんと一瞥のみをくれてやった黒魔導師さんの不遜な態度へ、ほんの一瞬、むっとしたらしき彼女だったが。その懐ろへしっかと抱き締められて庇われているセナが、怯え切っているのを覗き見て多少は満足したらしく。ふふんと相好を崩して見せた。そうして、

《 聖霊としての力を開放する"鍵"は、カナリアが持っているからね。接触さえしなければ"光の公主"は目覚めはしない。だからさ、このままでいるなら大丈夫だろうと踏んでいたら、どうしたことか…カナリアちゃんがいきなり、しかもかなりの力を携えて復活したじゃあないか。》

 そんな言いようを付け足した彼女の言に、

  「???」

 ここまでは余裕でいた蛭魔が…ちょいとだけ眉を顰めた。ちゃんと理解を添わせて黙々と把握して来た彼女からの言の中、その点への覚えがまるきり無いからだ。最初の方の、自分の気配が消えた云々というのは、もしかしたらば…桜庭が彼へとかけた強力な暗示結界の効力の余波なのかも知れない。とはいえ、セナが避難を強いられた辺りの頃合いの方へは、特に何かしらの重大事が身に降りかかって来た訳でもなければ、居場所を動かした覚えもなくって。
"今からだと…5、6年くらい前か? んん?"
 よって"突然復活した"だなんて言われてもと、心当たりが全くない。そんな言われように、蛭魔が本気で首を傾げた……………のだが。

  "………あ。///////"

 もしかして。清童でなくなったがために、結界の防御効果が多少は薄れたということは、あったのかも知れないかもと。ちょっとばかり"いやんvv"な心当たりを思い当たってしまった蛭魔であり。………そっか、結構 早くに手ぇ出したんだね、あのお兄さん。
"う、うっさいなっ。//////"
 確かに、それどころじゃありませんでしたね、すいません。

  《 これは事を急がねばならない。》

 こちらのちょこっと焦った様子に、だが、気がついた筈はなく。女は半ば酔ってでもいるかのように自分の辿った道を紡ぐ言葉を並べ続けているばかり。

《 あたしのような"負"の存在が下手に触れると即座に呼応し合うあんたたちだから、出来れば監察だけで済ませたかったが、そうも言ってられなくなった。》

 にたりと笑った彼女は、自分の豊満な胸へその真白き手のひらを伏せ、

《 そこで、まだ覚醒してない月の子供の方を狙ったが、そんなこちらの動きに、この巫女が気づいちまってね。》

 怪しい動きに感づいた正妃の計らいにより、セナと側室とが王宮からの脱出を果たしたがために、今度は月の子供、すなわちセナの方が行方をくらました。

《 しかも、カナリアの方までもが、またまた気配を掻き消した。まさか自身が魔導師になっていようとは思わなかったし、守護の力を放つ何かを授かっただろう。そのせいで、姿も気配も判らずじまいだったんだよ。》

 依然として つんと澄ましたお顔のまんまな魔導師さんを、憎たらしい子だと鋭く睨みつけ、

《 こうなっては仕方がない。あまり状況を荒立てないままに、国外へ逃げた王子様の方を探すことにしたって訳さ。》

 何しろ、どちらかに陰の力が及べば、あっと言う間に相手を救いにと呼応し合う"対"の間柄。ただ近寄っただけでは公主としての覚醒は起きないものの、片やは魔導師、何かしら、それに必要な咒を知っているやも知れず。これはますますと、下手に負の魔咒で襲い掛かる訳にもいかなくなった。試しに探査のための霊波を使ってみたが、それまで微かに拾えていた気配が完全に消えただけのことだった。
"…そっか。まもりとやらがその霊波に気づいて結界を張ったことが、チビへの影響力を相殺したから。"
 彼への"陰の力"の影響は完全にシャットアウトされたは良かったが、それと同時、カナリアである蛭魔本人と直接出会っても何の反応もなかったと。

《 まま、人の心を支配するのは造作もないことだったしねぇ。この女一人を意のままに支配しただけで、後はいくらでも言いなりに出来た。混乱し戸惑い、煩悶する者たちの苦悩・懊悩は、妾にとって至上の美酒。あんたらには手を焼かされたが、世の混乱を招いたことが、妾には思わぬ快楽になってくれたよ。》

 戦乱や不安に蹂躙された民衆の混乱や苦悩が、自分にとっては格別の滋養になると。それらをじわじわと舐めて来れたは美味しい誤算だったと嘲笑する邪妖であり。そんな言いようへは、

  「〜〜〜〜〜。」

 蛭魔の懐ろにしがみついていたセナが、そのやわらかな唇を…咬みつぶしかねないほどの勢いで、口惜しげにぎゅうと強く噛みしめた。突然巻き起こった内乱という騒動の中で、死んだ人だっていた、家を失った人だっていた。セナ自身もまた、母や理解者や従者の方々といった大好きだった近親者を、放浪の旅の中にて全て失ってしまったのに。そんな悲しいばかりな大きな事件を、楽しかったと嘲笑するなんて許せないと。大人しい彼でさえ、さっきまで恐怖に震えていた彼でさえ、こんなにも。憤怒の情に小さな拳を白くなるほど握り締め、その身を怒りに打ち震わせている。
"………。"
 そんな懐ろ猫さんの様子を、黙って見下ろしていた蛭魔であったが。ややあって、ふんと小さく息をついて見せる。そして、

  「さっきから聞いてりゃあ、随分と偉そうだが。
   結局んトコ、どの妖魔も"月の子供"とやらを
   きっちり・さっぱり・しっかりとは片付けてねぇだけの話じゃねぇかよ。」

 くっきりとしたお声で、斬りつけるように言い放ったものだから。

  《 ………っ。》

 邪妖が張りついた皇太后が、血走りかかった大きな瞳をぎろりと剥いて見せた。確かに。担当した世代、その時代では覚醒出来ぬようにと封じるのが精一杯であり、完全な封滅は出来なかったからと次の世代へ先送りにしているだけ…と、言えないこともない訳で。
「おまけに、今を担当しているお前のやってることの、何と みみっちいこと。」
 唇の端を高々と吊り上げて。ケッと、その鼻先で嘲笑ってやり、
「邪妖たらいう特別な力を持つ存在が、大層に構えてやってることが、結句、人間の真似ごとだとはな。世を混乱に突き落として、裏事情を巧妙に操り、私腹を肥やして自分だけが快楽に酔う…などということはな。お前ら魔物のように自在に魔咒を一切使えない、そこいらの"ただの人間"にだって容易く出来ることなんだよ。」
 胸を張って言えることでもありませんけれどもね。
(苦笑)
「下手に刺激を与えては呼応し合って互いを呼び合ってしまう? だから迂闊には手が出せないだと?」
 いかにも愉快と、くつくつと笑う蛭魔であり、
「何とまあ、お粗末なことだな。そんなにも怖いのか、光の眷属がよ。」

  《 う、うるさいっ!》

 栄誉なお役目ながら、失敗すれば自分までもが業火に炙られてその存在を滅してしまうと、この邪妖は口にした。それがよほどのこと恐ろしかったのか? だが、魔物はそもそも"滅び"を求める一族な筈。巨大な喪失の中に蠢く"負"の虚体の一部になれることを、さして嫌がりはしないものと、師匠の元にて学んだ蛭魔だったが、

  "月の子供とカナリアとやらが放つという"滅びの業火"は、
   そこへの一体化さえ許さないほどの凄まじさだってのかな。"

 だから。魔物でさえ手をこまねいてしまい、何とか穏便に済ましたいと構えるしかなかったと? だが、それにしては。今のこの状況はどうだろうか。
"…そういえば。"
 前の章の最後の一文。

  『 準備も万端調っているんだ。さあ、いよいよの儀式を始めるよ。』

 意気揚々と、いかにも意味深な言いようをしていた彼女ではなかったか。二人を揃えて自分という"負の陰体"が迫っても大丈夫な手立てがあるということか。


   "………む〜〜〜ん。"


 偉そうに啖呵を切ってはみたものの、相変わらず"虜囚の身"であるには違いなく。こりゃまた とほほだよなと、自身へ目許を眇めてしまった魔導師様。とはいえ、
"………。"
 これまでの対象者たちがどうだったかは知らないし、当の"月の子供"であるらしき瀬那の想いもとんと判らないが、

  "俺は、そうそう簡単に諦めたりしねぇがな。"

 手首に嵌められたそのまま がつんと鉄格子に固定され、自分の動きと魔導師として覚えたる咒の発動の双方を押さえている"封印の環"が何とも忌ま忌ましいが。それでも…意気消沈している場合ではないと、何とかして見せようと血気は盛ん。石壁に埋め込まれた小さな灯火たちという不安定な明かりの中にあっては、なかなか見通すのは難しかったが、懐ろに抱えたセナの側も、
"落ち込んではいないらしいしな。"
 泣いたり嘆いたりという気配はないと判る。頼りなさそうに見えても、それはそれ。例えば…精霊や聖なるものに縁
よしみの深い者ならば、繊細な感受性の持ち主であることと同時、そんな鋭敏な感応力を持つが故に慎重で臆病な性格を備えてしまいもするそうで。彼の気弱さも案外とそういうところから発していたのかもしれないのだし、今回、これほどの事態に翻弄された中にあって、それなりに…気骨や何やが揉まれて練られたのかも。こちらの態勢を黙視にて確かめた蛭魔は、

  「なあ。」

 間近にて居丈高に突っ立っている皇太后様へと、改めて気安い声をかけた。不意のこととて、ひくりと眉を震わせたお姐様へ、
「俺の守り刀。向こうの机の上へ投げ出してあるけれど。」
 先程、セナが隠し扉があると言い、雷門陛下は何か工具を探そうと足を向けかけた、石壁に作り戸棚を据えられた奥向き。その戸棚の手前に小さくて粗末な木の机があり、その天板の上には。蛭魔が…普段はマントの下になる辺りの背中へと、ベルトの間に差し込んでいる、三日月のような曲線も優美な小さな銀の短刀が無造作に置かれてあって。
「武器になろうからって取り上げたのかい?」
《 あ、ああ。それがどうかしたかね。》
 魔導師は剣士ほどに腕力がなかったり、剣を操るための勘にはさほど通じていないため、余り強力な武装はしないものだが、だからといって全くの丸腰でもない。例えば、咒の力を増幅させるような工夫のある杖だとか、大地の気の流れを集めやすい鉱石を象眼された剣だとか、魔法に関わる特性を持つ武装だってあるし、そこまでは行かずとも、ちょっとした諍いの中での護身具としての武器だって用いる。大方そういった武装具だろうと解釈して、意識がなかった間に取り上げたのであるらしかったが。

  「そういうのを"浅慮"って言うんだぜ?」

 相変わらずに自信たっぷりの、どこか愉快愉快というお顔になって。いやに意味深に笑った彼であり、

  《 な、何の話だえ?》

 気味が悪いねぇと、少しばかりたじろいだ皇太后様の方を、肩越し、ちろりんと眺めやり、
「あれはな、俺の導師としての師匠から授かった特別な"守り刀"だ。日頃は、魔の気配や聖なる力を探知したりするのに使っているんだが、もう1つの力があってな。」
 小さなお守り。銀の性質としての破邪の力の上へ、大地の祝福を集める咒を刻んでいただいてある、きつく言い付けられてたその通り、いつも肌身離さずにいた大切な短刀。それがそういうものだと知っている人物が…実はもう一人いて、

  「俺から引き離されると、それなりの特別な波動を放つって特性を、
   要らねぇって言ったのに付け足してくれたお節介野郎がいるんだよな。」

 ふふんと語ったその語尾を呑んで、


  ――― ず……………んんっ、と。


 どこやらからの地響きらしき、妙に重みのある物音が、夜陰の静謐の中にかすかに届いたものだから。
「???」
 こちらさんも…蛭魔の言いようとか情況とかが、何が何やら判りかねているらしきセナが、抱え込まれた懐ろにて"はやや?"と怪訝そうなお顔になっているのを、クスクスと柔らかな笑みでもって見下ろしてやり、

  「唯一、それを拾える野郎が、どうやらやっとお出ましらしいぜ。」

 ある意味で"勝利宣言"ででもあるかのように。にやりと笑って言い放った、そのご紹介にあずかって、


  「妖一っ! セナくんっっ! 無事かっ!」


 どがっ、と。分厚かったろう石の壁が、作り戸棚ごと勢いよく吹っ飛んで。もうもうと上がった砂ぼこりの靄の中、高らかに凛と響いたお声があったから……………。さあさ、お待たせ致しましたっ!!




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 *相変わらず、書いても書いても終わらないお話で、
  もう3ヶ月もかかっているのですが、
  ようやっと節目が見えてきたような気がしております。
  さあ、あと一踏ん張り!