月の子供 P  〜なんちゃってファンタジー“鳥籠の少年”続編
 



          
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 ――― まるで。降りそそいでいた月光が、自分の分身たる和子を迎えに来て、そのまま攫っていってしまったかのように。下弦の月の照らし出す、夜陰の冴えた空気の中へとそれぞれに大切な人たちをまんまと攫われてしまった騎士たちは、こちらも大切な人にかけられた汚名を雪ぐためにと、遠い外国へやって来ていた…ある意味"隠密"だった高見さんの誘導により、まずは一番外側の城郭の一角にあった隠し扉へと取り付いて敷地内の前庭部分へと潜入した。昼間ならそれは鮮やかなのだろう晩秋の庭園の彩りを、夜陰の帳
とばりが闇色のベールをかぶせることで無言のままに奪い去り、その代わりのように青い月光が常緑の茂みを冷たく濡らしている。そんな中を、
「こちらです。」
 警邏中の衛士にかち合わぬよう、それでいて最短コースとなる経路を的確に示す近衛連隊長さんに、あとの二人もそれは俊敏に追従してゆく。こんな暗がりの中、しかも警戒態勢中だろう城内を、驚異的なまでの軽快な足取りで進んでいるというのに、
"う〜〜〜。"
 何だったら…城内の見取り図を示してもらって、ここいらだろうという"あたり"をつけて。魔咒の大技にて一気に風穴開けてやっても良いんだがと、過激なことをついつい思っては、いやいやそれでは大切な妖一さんまで怪我をしかねないし、
"その妖一が考えた計画も"ぶっ壊す"ことになっちゃうんだもんな。"
 あくまでも こそこそりと、皇太后様の気が変わったという格好での鳧をつけられるようにという作戦なのだから…と。むくむくと沸き起こる破壊活動への衝動を、何とか思い留まっている白魔導師さんである。まるで当代随一と誉れも高き、二枚目看板の凛々しき美形役者のように、それは優しげに整った綺麗なお顔を…今は随分と尖らせもって引きつらせているばかりの彼であり。というのも、
"早く、早く到着しなきゃ。"
 妖一さんの身ばかりが、そりゃあもうもう心配で心配で堪らないからだ。抵抗されることを恐れてだろう…とはいえ、電撃か何かの不意打ちにて本人の意識を途切れさせての略取だなんてあまりにも酷すぎる。何かしらの衝撃波を浴び、一瞬にして昏倒してしまった彼の、あの玲瓏な白い横顔がどうしても脳裏から離れない。セナくんのみならず、あの大切な彼までもが相手の目的だっただなんて。そんなこととは露知らず、選りにも選ってそんな身を"囮"にと敵の眼前へとかざしていただなんて…っ。
"…っ、く〜〜〜〜っっ。"
 桜庭にとっては、何度思い出しても…歯軋りしながら大地の底が抜けそうなほどの地団駄を徹底的に踏みたくなるような、途轍もない落ち度であり失態であり、重大なる迂闊に他ならない。いくらそこまでの事情なんて知らなかったとは言え、そして、その"標的さん"ご本人が立てた作戦だと言ったって、ならばならば、その身は自分こそが楯になって完璧に保護しなくてならなかった筈。なのになのに、あんなにも至近の目と鼻の先にて大切な人を掻っ攫われてしまっただなんてっ。

  "こんな作戦だからとか何とかなんて、そもそも関係なく、
   あんなに綺麗で魅力的な妖一なんだもの、
   いつだって用心して警戒してやらなきゃいけなかったのに〜〜〜〜〜っ。"

 ………これはまた、よほどに深くお怒りの模様。ご本人の無事を確かめるまでは、うっかり者だった自分がどうあっても許せないままな彼であるらしい。そんな"内なる焦り"と戦いながら夜陰の中を駆けている桜庭に続くようにして、

  「………。」

 こちらさんも…表向きには常と変わらぬ無言な彼であるものの、集中しながらの進軍中のその端々にて。辺りを見回す視野を掠める…自分の肩先に巻き付けられた白い晒し布を見るにつけ、

  「……………。」

 微妙に。常とは異なる"重い沈黙"を、その態度の中へ…ぐいぐいと塗り重ねるように滲ませている騎士殿であり。自分を庇ったせいで要らない怪我をした進なのだと、泣きそうになりながら小さな手で手当てをしてくれた瀬那王子。夜陰の中に白く浮かび上がっていた愛らしい手や、頬にまで零れていた涙に潤む琥珀色の大きな瞳の持ち主は、ほんの一瞬の隙を衝かれて、月光の中へと奪い取られてしまって、今や敵の魔手の内にあるという。彼からの信頼も得た自分が…自分こそが、何をおいても守らねばならなかった愛しい人なのにと。切なさとともに自分の不甲斐なさを痛感しては、それらの悲壮なる想いを奥歯にぎりりと噛みしめてしまう彼であり。こんな二人を従えて、明かりは月光のみという漆黒の夜陰の中を、なめらかに速やかに気配もなく進み続けて、

  「ここから外回廊の楼郭に入ります。」

 茂みを伝ってようやっと辿り着いた、城そのものの壁の一角にぽんぽんと平手を当てて見せる高見連隊長さんはというと、
「お二人の焦るお気持ちは分かりますが、良いですか? 城を壊しに来た訳ではありません。目的を履き違えないでくださいね?」
 穏やかそうに微笑して言うところが、頼もしいのだかどうなんだか…こちらさんもまた、何となく掴みどころのない人である。
「では。」
 壁を飾る麗しき装飾の一部であるらしい、浮き彫りになった円柱の1本の陰に高見が手を入れると、こくりと、何か石の塊りが擦れ合ったような音がかすかにしてから、くくんという低い響きとともに、間口の狭い高さも低い空隙が壁に忽然と現れる。辺りを見回しつつ慎重な足取りにて、順々に中へと3人が滑り込むと、その四角い穴は再び忽然と消えてしまって跡形もない。






            ◇



 からくり仕掛けの入り口から潜入してすぐ、真っ暗な中に延々と下る、急な角度の長い長い階段が、まずは彼らを出迎えた。常備携帯していたらしき、蛇腹を延ばして使うメガホン型の簡易燭台に、夜警用の短いが消えにくい特殊ロウソクを灯した高見が先頭に立って、奈落の底まで続いていそうな古い石段を降りてゆく。
「他にもこういう抜け道はあるのかも知れませんが、私が教わったこの通路は比較的新しいもの。ですから…。」
 ちょいと言葉を濁した高見に、桜庭が"あっ"と、自分の焦りも忘れて思い当たり、自分のすぐ後から続く寡黙な騎士を肩越しに振り返る。5、6年ほども前の夜陰の中を、今よりもっとお小さかったセナ王子が母上や侍従の人々とともに逐電したのもこの通路だったに違いなく。
"…こんな真っ暗な中を。"
 綺羅らかで目映い世界に生まれ育って、ぬくぬくと幸せだった王子が、一転、何の落ち度もないというのに、こんなにも冷たく真っ暗なところを、こそこそと逃げねばならない身になろうとは。王室しか世界を知らないような母君や女官たちなぞはさぞや心細かっただろうし、その後の苦しい道中のことも思えば本当に哀れでならない。
「……………。」
 そうまで辛い想いをしたセナなのだから、世界が引っ繰り返ったって幸せになってもらわねば道理が立たないし、どうでも邪妖などに好きにさせる訳には行かないと。ともすれば桜庭くんよりも過激なことを思い詰めていた騎士殿だったが、

  「…っ!」

 不意に。しゃりんっという刃を鞘から抜き放つ音が、それは素早い塊りになって背後から沸き立ったのと同時、

  「ξηбγζ…。」

 桜庭が空気を裁断するような勢いで、両手を使って自分の胸の前にて咒の印を切る。たちまち、周囲に群れをなして"ぽうっ"と浮かび上がったのは幾つもの光の玉で、
「頭、下げてっ!」
 自分の前を下っていた高見へそんな一喝を鋭く浴びせ、反射も鋭く身を縮めた彼の頭が居た辺りの空間。その光の玉が照らし出したところへ、ばさばさとコウモリのそれのような翼膜を羽ばたかせて現れた魔物へ向けて、

  「哈っっ!」

 進の剣が一閃し、ぎぃやっっと甲高い悲鳴が坑内に響き渡った。
「これは…。」
 自分の足元へどさりと落ちて、光の中、蒸散してゆく餓鬼のような魔物。高見さんが表情を硬くし、
「通用門で襲い掛かって来たのと同じ手合いだ。」
 進が鋭い視線にて、辺りの闇を見通すように頭を巡らせた。
「成程ね。隠し通路も相手には織り込み済みの進入路だったって訳だ。」
 桜庭がその手のひらの上にて光の玉を2つ、3つとその数を増殖させており、ソフトボールほどの大きさのそれらを ふわりふわりと宙へと浮かせて、
「高見さん、君にも剣を抜いてもらわねばならないようだ。」
 ちょうど階段も終わって、そこから少しほど広い空間になっている。階段の角度は急なそれだったから、まだ城郭の深部にまでは入り込んでいないのだろうが、
「これだと、私たちの潜入も相手に伝わっていますかね。」
 しゃりんと、腰から剣を抜き放った高見さんへ、
「恐らくは。」
 魔導師さんが頷いたその間合いを薙ぎ払って、白い騎士様が大太刀を一閃する。漆黒の空間は魔法の光玉による淡い光に柔らかな蹂躙を受けているのだが、その光の存在もまた相手には少々忌まわしいものであるらしく、触れれば火傷でもすると思うのか近づきはしない模様。これで相手の動線にも制限がかかるから、場所への順応という点でのハンデは五分五分。黄昏時のような色合いに染まった空間を、きぃきぃという喚き声で威嚇しもって飛び掛かってくる悪鬼の群れを、
「哈っ!」
 片やは針のように細く鋭い剣の一閃にて、すぱり・ざくりと容赦なく切り裂く連隊長殿であり、
「呀っ!」
 もう片やは、その雄々しくも頼もしき剛腕を、背中や肩から繰り出される力も込めての途轍もない破壊力にて右へ左へ重く振るっており。その剣、いやさ腕の届く範囲内に払われる"剣撃"の威力の厚みの凄まじいこと。込められた膂力のみならず、これほど重く大きな太刀の動作とは思えぬまでのあまりの速さも加わって、撫でられた空間ごと凝縮して圧するような太刀筋であるがため、剣自体に触れずとも1振りにつき必ず数頭が巻き込まれている。
「ギヶいっ!」
「がギゃあァっ!」
 自分の身に何が起こったのかも分からないまま、岩壁に叩きつけられる者、脾腹を裂かれる者、疾風に撒かれて吹っ飛ぶ者と、彼の一閃の通過後の、敵陣営の飛散の様相の何とも壮絶なこと。底や果てというものを知らぬかのような、間断のない斬り込みを続けつつ、
「こちらへっ。」
 高見が自ら先陣を切って誘導する方向へじりじりと前進していた一行であったが、


  ――― ふと。


 何かの気配がして、桜庭がその視線だけで辺りを見回す。誰かがこっそり呼んでいるかのような、そんな気配。声じゃあない。存在感とも違う。

  "…何だろ。"

 妙に胸が騒ぐ。彼もまた、攻撃の咒でもって餓鬼たちを吹き飛ばしての戦闘中。選りにも選ってこんな時なのに注意が逸れるなんてと、舌打ちしかかったが、

  "…………あっ。"

 苛立ちの波の隙間に垣間見えた感触。これをやり過ごしてどうするよと、自分を叱りつつも、じんわりと白い頬が温かくも綻んでくる。

  "妖一だっ!"

 正確には彼の"守り刀"からの特殊な波動だと思い出す。凄まじいまでの魔法馬力を持っていながら、なのに…魔物や邪気の気配を読めず、味方として利用出来る聖なる力も辿れない蛭魔へと、導師としての師匠が授けた銀製の特別な"守り刀"へと、自分が後から加えた性質。彼に何かあって、その身から本意なく引き離されたなら、此処に居るのという波動を放つようにという咒をかけた。自分にだけ聞こえる波動。彼が武器もない身でたいそう危険だと知らせる警報。………もしかして、あの亜麻色の前髪の一房だけ立ってる所がアンテナ代わりなんでしょうか。
こらこら
『そんな咒なんか要らねぇのによ。』
 どこぞの姫や淑女じゃあるまいに なんで守られにゃならんのだと、当のご本人様は不本意千万という感情を絵に描いたような、いかにも不満そうなお顔をしていたのだが、
"ほら、ご覧。"
 役に立ったじゃないかと胸の奥にてくすんと笑い、泣きそうなほどに嬉しくなったのを ぎゅむと懐ろへ押し隠しつつ

  「進、高見、こっちだっ!」

 波動の放たれている方へと先頭に立って駆け出した。勿論、行く手を遮って邪魔するものは、
「退けぇっっ!!」
 それが壁でも魔物でも容赦なく、咒を念じては破壊し吹っ飛ばし薙ぎ払っての、正に"力技炸裂型"な進軍であり。勢いのあるものがいかに恐ろしいかは…あれほどたかって来ていた餓鬼どもが、少なくともこの小さめの空間からは あっと言う間に潰
ついえてしまったことをして、易々と実証されてしまったほど。いきなり頼もしくなってしまった魔導師さんの背中が駆け抜けていった…壁の大穴を見やりつつ、
「…大丈夫なのか?」
 あんな一直線な進み方で良いのかとか、相手を確かめもせずという勢いなせいで間違って夜警の兵士を殺
あやめないかとか、桜庭の馬力が最後まで保つのかとかいう事項へではなく。おいおい 地下の土台部にいる自分たちなのにあんなに無造作に薙ぎ払っても城が崩れはしないか、と。そっちを手短かに訊いた進へ、
「まあ、構造的に重要な柱や何やは、一番外側と中核部に近いところに集めてあるらしいから…。」
 高見が苦笑混じりに楽観的な返事をする。付き合いがそれなりに長かったので、このくらいの省略された会話は苦もなくこなせる連隊長さんであるらしく、
「この通路は"城内"とは言い難い極秘の部分ですからね。こんなところでうろうろしているのが真っ当な存在だとは思えませんから、当たるを幸いという進軍でむしろ正解でしょうよ。」
 だ〜か〜ら。に〜っこりと微笑って言うことじゃないっての。
「それに、この城は土台に古い岩盤遺跡を使っているという話ですからね。」
「?」
「途轍もなく頑強な岩盤を利用した住居跡というか古代都市というのか。そういうのの上に建造されていると聞いたことが、ありますっ。」
 語尾が撥ねたのは、奇声を上げて掴みかかって来た魔物を剣を薙ぎ払って斬り捨てたから。桜庭が宙へと浮かべた光の玉はこちらの二人の周囲にも居残っていて、だが、だからこそ相手陣営からも標的にしやすかろうことは明白。お互いに同じ所作にて妨害者を除去しつつ、
「だから。多少であれば、無茶をしようが城へまで大きく響くことはなかろうと思いますよ。」
 そうと続けて黒髪の騎士殿を安心させ、二人も白魔導師様を追うことにする。光玉が追随する様は、まるで人魂がついてくるみたいに見えなくもなくて。…ホント、普通の夜警の方がいない通路で良かったこと。彼らこそが魔物と誤解されかねない進軍でございます。
こらこら







 時折、不意打ちにて現れる餓鬼や魔物を、余裕の反撃で薙ぎ払い吹き飛ばし、ざくざくと容赦なく切り刻んで。密封状態の地下部という空間に満ちた、厚みのある夜陰の中を、マントの裾を翻しながら ただただひたすら駆け続けて。そんな彼らがやっと辿り着いたのは、一見すると通路を真っ向から塞いで立ちはだかる、行き止まりの石積みの壁だった。宙へと浮かんだ光の玉たちによる明かりの中に、白々と浮かび上がっている無表情な石壁は、天然のそれと見まごうほどにくすんでいて相当に古い作りであるらしく、だが、
「此処に間違いありません。」
 二人を此処へ誘導してくるつもりだったらしき連隊長さんが、肩越しに振り返って見せる"斬り込み隊長"桜庭へと大きく頷いて見せた。
「あの左の隅にまだ新しめの継ぎ目があるでしょう? あそこにカモフラージュされた石の扉があって、向こう側は使われていない地下牢へと続いています。牢の鍵も実は扉の蝶番の傍らの壁に細工があって…。」
 外から南京錠が掛けてあっても内部から開けられるのですよと、説明しつつ近寄ろうとした高見の行く手に、スッと腕を差し渡すようにして制止をし、
「からくりを弄ってるなんてまどろっこしい。僕が一気に"開ける"から、二人とも少し離れてて。」
 真剣なお顔でそうと言い放った桜庭であり。








  「妖一っ! セナくんっっ! 無事かっ!」


 どがっ、と。分厚かったろう石の壁が、作り戸棚ごと勢いよく吹っ飛んで。もうもうと上がった砂ぼこりの靄の中、高らかに凛と響いたお声。敵に捕らわれた姫たちを、ただただ捜して求めて駆けつけた騎士たちは、ようやっと。お目当ての愛しい人たちの元へ馳せ参じることが叶ったようでございます。




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 *さあさ、ようやくの合流です。
  全員集合した皆様が立ち向かう、クライマックスへ雪崩れ込みます。
  またまた少しほどお待ちいただくやも知れませんが、
  どうか気長に構えてお付き合いくださいませです。