月の子供 A  〜なんちゃってファンタジー“鳥籠の少年”続編
 



          



 二階家の小さな宿は、秋の収穫を追って西へ東へ奔走する商人たちや、間近い冬から追われるように北から南へと移動して来た遊牧民などの旅人たちで、結構なにぎわいを見せており、
「お客さんたちはどこへ行きなさるのかね。」
 ほっこりと蒸した柔らかなウズラと、シメジやマッシュルームやといったキノコが一杯入った温かいスープと、香ばしい焼きたてパンにチーズ。なかなか贅沢な朝ご飯を出してくれた宿の主人は、商人にしては若くて見栄えの華やかな二人の客人たちへあからさまな好奇心を向けていた娘を厨房の方へと追いやると、彼女の代わりのようにそんなことを訊いて来た。だが、
「泥門へ帰るんですよ。」
 温めた牛乳を美味しそうに飲み干して、それは柔らかくにっこり笑った長身の青年導師の言葉に、
「泥門? そりゃあ大変だねぇ。」
 何だか気の毒そうなお顔をされてしまって。
「…大変?」
 あれれ? そうだったかな? ここまで来たらば、後は もう少しの筈だけれどと、怪訝そうな顔になって、こちらさんも鋭い目許を訝
いぶかしげに眇めた道着姿の連れと視線を交わし合う。すると、
「いやさ、距離の話じゃあない。」
 主人は恰幅のいい肩をすくめて、
「あの辺りは、今、穏やかではないことになっているのさ。」
 あんまり大きな声では言えないけれどと、滑舌の良いお声で話して下さったのが、

  「王城キングダムの侵攻?」

 この大陸の北方に、随分と古くから王国としての威容を保って来た国。さほど頑なに外国との交流を持たない訳でもなく、適度に文化や恵みの交流を果たし、豊かな国として永らえて来たあまりに有名な王朝なのだが、そういえば。先年、その王座を巡る内乱があった。正当な嫡子を告げる宣旨を残さぬまま、若くして亡くなられた前王には、正妃と側室とに同い年の王子がいたがため、それぞれの取り巻きたちがこちらこそが正当なる世継ぎだと譲らず、それがどんどん膨らんでの数年に渡る戦いにまで発展してしまった。
「その内乱もねぇ、今となっては何かの"呪い"ではなかったかという噂があるらしくてね。」
 年中通して往来の多い、街道沿いの街の宿屋の主人ともなれば、何と言ったって情報には事欠かない。世間話にご法度のお達し、危険人物の手配書などなどと、世情の動向からトピックスまで、あらゆる情報が向こうから続々やって来るというものならしく。人懐っこい笑顔もやわらかに、亜麻色髪の導師さんが"全然何にも知りません"というあどけないお顔を向けたものだから、ここぞとばかり、知っている限りのお話を語って聞かせてくださった。それによれば………。

 王城キングダムの先の王には、親が取り決めた正妃と国交の関係で迎えた側室がいらして。正に"春蘭秋菊"と言おうものか、どちらもそれは趣きのある美貌の姫たちは、お二方ともそれぞれに事情があって嫁いで来た方々であったがために、互いの立場をよくよく理解し、それは仲の良いお二人だったという。なのに、国王が亡くなった途端に、外海の大国から迎えられたる側室が、自分の実家の後ろ盾無くしてはこの王国の繁栄はあり得ないと言い出し、よって自分の子こそが後継者だと言い立て始めた。それを聞いた正妃の周囲の人々も、最初の内は"何をとち狂ったか"と相手にしなかったのだが、そんな態度が今度は側室の周囲の人々の癇に障った。身分の低い郷士出身の田舎娘が何を偉そうにと、王妃を腐す言いようをし、頭も下げぬ傲慢ぶりを見せ始め。発端はそんなささいな宮中での諍いだったものが、されど人の感情という得体の知れない力によって増幅されて。気がつけば、人の命が取ったり取られたりするようなところにまで発展していて。上の指揮する人間には名誉の戦いだろうけれど、実際に戦う下々の人間にとっては命のやり取りというほどの、大きな内乱にまでとうとう発展した訳で。

「そのどさくさに側室は王子とわずかな従者たちを連れて行方不明になった。戦乱は数年ほども続いたが、勝敗が決したその途端、側室の手勢だった軍勢も…衝突するより国交を復帰させた方が得るものも多かろうと早々と兵を引き、何事もなかったかのように関係の修復がなされてね。そうなると、側室の突然の心変わりだけが何とも突拍子のないこととして浮かび上がった。あんなにも仲が良かった方々だったのにね、と、首を傾げるものが続出して。"悪魔に見入られたのだ"と囁く者も少なくはなかったらしいよ?」

 あれほど有名な大乱が実はそんな発端だったとは、これは蛭魔も正確には知らなかったことであったらしく。香草のお茶を飲みつつ、ふ〜んと感心したような顔つきで聞いていたのだが、

  「その"呪い"は、だけど まだ尾を引いているらしくてね。」

 ここで声を低めた主人が、そういえば最初に言ったのが、王城キングダムによる侵攻とかいう世情の話。そこへと重ねて、今度は…正妃の王子だった現王が、何やら無体なことを始めているのだという話をしてくれた。
「何でも水晶玉だか根付けだか、名のある宝石を探して血眼になってるって話だよ。」
 行方不明になった側室が持ち出したとかで、その姫さんの逃亡先とやらを草の根を分けてでもという勢いで探索している。外国から迎えられた方な その上、母国はとうに国交復活をはかってしまっているから、もう故郷には帰れぬ身。
「それでだろうかね。」
 泥門には有名な導師様がいらっしゃる。導師様は、世情の争い事にはかかわらぬ、中立な立場のお方。それと、術をかけるのに…水晶玉やら鉱石やらをお使いになる時もあるのだろう? それでかどうだか、鉱山も多いしな。そんな国だから側室が導師様を頼りにして紛れ込んでいるやも知れぬと、人と宝石、両方の捜し物を目指しての兵士が多数送り込まれているらしいし、幾らでも手が必要だと雇われた"にわか兵士"たちが、そんな検閲に便乗して暴れている。本来の目的である水晶ではない…金貨や宝石を略奪したり、王城の兵である"白翼"の旗印を笠に着ての やりたい放題の乱行を繰り広げているとか。そんな世情だから、よほどの防御があるか、王城の権力者とのつながりでもない限り、無事には進めないという話だよ?

  「…えっと、ほら、これが王城からの触れ書きだ。」

 主人が見せてくれた触れ書きには…銀のワイヤーでくるまれたような、ちょっと目には不格好な細工の網目の中に包まれている水晶玉らしき根付けの絵と、その行方を捜しているという旨の文言が、いかにもな"上意下達"風の調子にて記されてある。
「新しい王様ってのは宝石好きなのか?」
 悶着に関わるのは懲り懲りなんだがなと言わんばかり、淡いグレーの目許を不機嫌そうに鋭く眇めたままで蛭魔が呟いたが、
「さてねぇ。母上様、皇太后様のおねだりかもしれないよ。」
 それとも…是が非でも側室様を見つけ出して、大衆の面前へ引き摺り出してやりたいのかもしれないねぇと、そう言って主人が視線で示した先には、少しばかり煤けた…二人の女性の姿絵が壁に貼られてあった。
「逃げ出したっていう側室様と、一番の気に入りだったっていう この国出身の侍女の姿絵だ。」
 外国からいらした側室様だから、この大陸の中に頼れる人はいない。侍従たちも自国から連れて来た人間が多かったのだが、たった一人、この大陸の郷士の娘を召し抱えて習慣やら何やらを教わっていらした。なので、逃亡にはその娘の土地勘を頼っていらっしゃることだろう。それでと、先の内乱の間からずっと、彼女らのこの姿絵が手配書として配布されていたのだそうで、最近になって探索の網を広げたか、こんな国外にまで発布なされている始末。
「こんな別嬪さんたちを…可哀想なこった。」
 確かにあまり楽しい話ではなく、こんな客商売をしている主人が肩をすくめてそんな言いようをするくらいだから、その王城の現王のやりようがいかに理不尽かも知れようというもの。示された姿絵には、平和な頃に描かせたものからの模写なのだろう、きらびやかなドレスをまとって婉然と微笑む まだ若々しい貴婦人と、もう1枚には清楚な中にも意志の強そうな眼差しをした若い娘が、それぞれそれは美しく描かれており、
「ふ〜ん。」
 確かに綺麗な娘さんたちだなと、興味はないが単純な感想としての感慨を口に上らせかかった蛭魔が、

  「………どした?」

 視線を戻した連れの表情の方にこそ、意を突かれ、怪訝そうな顔になる。お尋ね者扱いされている二人の娘さんの絵姿を見た桜庭が…それはそれは愕然としていたからで。

  「そんな筈はない…。」
  「何がだ?」
  「このお顔は まもり姫に瓜二つだ。」

 侍女の方のお顔、それから目が離せない彼であるらしく、どうやら彼の知人であるらしいのだが。それにしては、そんな筈はないというこの驚きようがまた只事ではなく。

  "…まもり姫?"

 侍女に"姫"をつけるとは奇妙な言いよう。それに、蛭魔には全く覚えのない名前なだけに、何が何やら。物心ついた頃からのこっち、ずっと行動を共にしていたのだからして、あれほど若いクチの彼の知己とやらなら自分も知る人である筈なのだが、
"…ああ、そっか。"
 この青年は少々突飛な"前世"というものを持つ身だ。その頃の知った誰かに似ていると、それで驚いているのだなと合点がいって、
「たまたま顔が似てるってだけのことじゃあないのか?」
 ましてや、ただの姿絵だ。命じて描かせた者や絵師による、どんな修正が入っていることやら。それとも…もしかしたら何かしらの罠で、その女の顔にすれば引き寄せられる奴ってのがいるからという"餌"なのかも知れんぞ? そんな周到な見解を言ってやると、
「だったら尚のこと心配だ。」
「心配?」
「それが転生した彼女だったなら、ボクは…少しでも恩を返さねばならない。」

  "恩…?"

 ますます訳の分からないことを言う。話相手になってくれていた宿の主人は、到着したばかりの新しい客の世話にと向かっていて、こっちのテーブルから離れていたから気づかれずにいるものの。こんな妙なことをいきなり口走り始めたとあっては、さぞかし怪しまれたに違いない。
"ノンポリでいた方が無難だろうに、あんな風な批判的な物言いをしてたのだって。"
 そこまでも疑えばキリがないことだけれども。もしかしたら…王城への反政府勢力の動向を燻り出すために、わざと…大国を相手に反抗的な方向の言いようをして見せていたのかもしれないのだし。この相棒が不在だった一人旅の間に身につけた用心深さから、そんなことさえ思っていた蛭魔の杞憂にも気づかぬままに、

  「…あ。」

 ちょっとばかり間の抜けた声を上げ、今度は…のんびりとしたざわめきの満ちた食堂の宙空をキョロキョロと見回し始める桜庭であり、
「今度は何だ?」
 怪訝そうに訊くと、
「今、何かの封が解かれた。」
「あ"…?」
 要領を得ないことばかりを口にする相棒さんの肩へと、その白い両手を置いて、


  「ともかく落ち着け。それから、きりきりと白状しな。」


 鋭い目許をますます眇めつつ、やれやれという溜息混じりに、きっぱりと言い切った蛭魔である。









            ◇



 部屋に戻って、一応は2つあったベッドにそれぞれ腰掛け、向かい合って"まじ"と相棒さんを見据えれば、

  「…その前に、結界を張ってもいいかな?」

 誰かに聞かれたくはない話だからと、桜庭は小さく頼りなく ふにゃんと笑う。この部屋への関心を寄せなくなるという作用を生む簡単なものから、時間軸がちょいとばかりズレた別次元にすべり込んでしまって、外世界との接点そのものを一時的に断ってしまうという複雑なものまで。一口に"結界"と言っても様々なものがあるのだが、桜庭がその大きめの手を舞いの振り付けでもなぞるかのように宙でなめらかに振って結んだ咒印の型は、後者に近い強固な種のもの。そこまでの警戒をせねばならないことなのかということよりも、そんな秘密を自分にも内緒なままに抱えていた彼なのかと、それへとこそ 何だかムッと来た蛭魔だったが、

  "…まあ、いいけどよ。"

 気を取り直して、裾の長い道着の下履き、黒地でオイルコーティングのなされてある筒裾のズボンに包まれた長い脚をひょいと膝高に組んで、さあ話しなという ちょいと偉そうな目線を送りつつ身構える。彼のそんな態度へ、

  "ホント、大きくなったもんだよねぇ。"

 桜庭は桜庭で、ちょいとばかり見当違いなことへ感慨深くなっていたりする。彼へとかけた"暗示"が解けるのも間近いことだろなと前以ての予測はあったものの、実際にその日が来ると感慨もまた格別で。寸の短い腕や脚を振り回すようにして、はしゃぎながら とてちてと駆け回っていた、それは元気でそれは幼かったおチビさんが。お陽様みたいに無邪気で奔放で、ちょっとばかり生意気だった彼が、少しずつ少しずつ背が伸びてゆき、いかにも少年らしい、ほっそりと撓やかな、若木のような肢体へ育ってゆき。日々の修行やら生活の中での出来事やら、はたまた、庵房からは少し遠い世界ながらも…様々な諍いや事件の絶えない"下界"の世情への見聞などにより、沢山のことをするすると怜悧に吸収する中で、思うところにも広く深く奥行きが出来て。それがために…玲瓏に澄んで端正な表情にも えも言われぬ深みが出て来て。ああ、やはりこの子は途轍もない存在になるに違いないと、自分の差した目串の確かさに感嘆を禁じ得なかった桜庭だったのだが、

  "今や すっかり対等だもんな。"

 この、威容さえ放っているほどの鷹揚な態度や、射抜くような鋭い眼光はどうだろうか。いかにも"一筋縄では行かないぞ"と構えていて、ともすれば狡猾そうにさえ見えるほど、強靭で揺るがない強かさをたたえた面差しの冴え。暗示をかけていたにもかかわらず、子供の頃から既に…桜庭へは偉そうな物言いをする妖一ではあったけれど。単なる強がりだとか虚勢や背伸びなどではなく、強い自負と自信とを心根の芯に据えた、それは強かで度量の大きな青年に育ってくれたのが、今や"愛惜しい"という想いを越えるほどに頼もしくてしようがない。

  「ほら、結界は張れたんだろ? とっとと話せっての。」

 あんまり"ほやん"と見とれてばかりいたものだから、ご本人様から急っつかれてしまい、ああ、はいはいと咳払い。

  「何から話せば良いのかな。」

 桜庭にしてみても、ちょいと腑に落ちない…不可解だから誰ぞに説明を請いたしと思っている部分が無いではない。まま、それでも、さっき食堂で見た触れ書きの姿絵にどういう衝撃を受けた自分であるのかを知りたい妖一なのだろうなというのは判っているので、
「うん。あのお嬢さんのことから話そうね。」
 蛭魔が言っていたように、たかが姿絵、実物とどれほど掛け離れているのか知れたものではないのだけれど、さっき感じた"解放された結界"の気配もまた"彼女"に重なるそれだったから。何だか良からぬ動きがあると判った以上は、放ってもおけない。あまり良い思い出ではないのだけれど、いつまでも黙っていて良いことでないらしいしと。桜庭は、それでも…今のところはまだ穏やかそうな表情を浮かべたままに、その口を開いた。
「こないだっから妖一は、二言目には僕のことを"昔の名前"で呼んだりするよね。」
 くすんと微笑った桜庭に、
「ああ。絶倫大魔神ってのだろ?」
 だ〜か〜ら。
(苦笑) どうやらこの青年は"人ならぬ存在"であったらしく、人への害を為す身だからと、徳の高い導師様にその昔 封印されたらしいのだが。
「その"絶倫"って部分。もしかしなくとも、閨房に忍んでは悪さをするような、精力が有り余ってる奴って意味だと思ってたろ?」
 優しげなお顔で柔らかな雰囲気の、どうかすると"健やか・爽やか"な彼にはちょっと不似合いな、どこか生々しい種の形容詞。正確には"精力絶倫"と使って初めて、そっちのパワーというのかエナジーというのかが絶大であるという意味合いになるのであり、本来の"絶倫"という言葉は"人並み外れて優れていること"というのが正しい意味なのだが、

  「ボクの場合はね、
   人の世の倫理を絶つことに罪悪を感じないような、
   あまりにも奔放が過ぎる奴って意味で、
   封印の壷にそうと書かれてたってだけなんだよ。」

 そうと言いつつも、愉快そうにくすくすと微笑っている彼であり、柔らかく細められた目許が何とも言えず優しくて。
「…だったら、そうと訂正すりゃあ良かったろうがよ。」
 あんまり名誉な呼ばれようではない。自分でもそれと把握して腐しておきながら、勘違いを今頃になって指摘されたのが腹立たしいのか、それとも。ホントは大好きなこの青年が、そんな不名誉な誤解をなのに放っておいたのが、我がことの不名誉のようで癪なのか。むしろ蛭魔の側が苦々しげに唇を曲げて見せるのへ、
「だってさ。やっぱ、人間にとっては良い存在ではなかったのだろうし、良い行いもしては居なかったんだろうからね。」
 ちょっぴり苦そうに、笑みの気配が初めて沈んで。桜庭はその視線を妖一の顔から逸らしてしまう。


「妖一が言ってたお話のね、とある国の王妃様。ボクが関わったことで国が傾いたって事になってるらしいけど、そんなことはない。だってその国っていうのは、今の王城キングダムのことだからね。」







  


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