月の子供 B  〜なんちゃってファンタジー“鳥籠の少年”続編
 



          



 昔々のその昔。特に名もない精霊のような存在として、山野を漂い遊び、町家を覗き、時には他愛ない悪戯もしつつ、お気楽に日々を過ごしていた桜庭は、ある日。その、人よりは過敏な感応器により、誰かの悲しげな声を聞き咎めた。

  ――― こんなにも哀しそうに泣いているだなんて、
       一体どんな窮状にある、お気の毒な人なんだろうか。

 自然から発したままに、有るがままの気侭に存在する精霊たちにしてみれば。野にある動物たちやら草花、岩木と違い、自分たちで定めた時間や制約に逆に縛られ、不自然にもがんじがらめになってる人間たちなんてのは、何とも愚かな生き物ではあるけれど。時には、切ない想いを胸に秘めた、それはそれは純粋で美しい存在が稀に居たりもするものだから。寂しいとか孤独だとか、そんな切ない魂にはついつい惹かれてしまう性分だった桜庭としても、最初はネ、好奇心から声の主を探したのだが。

  "…おや。"

 どんな窮状にある人が嘆いているのかと思えば、意外なことにその声の主は…一国の長たる王の妻、正統なる王妃様だったからちょっと意外。それも、ここいらでは物資的にも文化的にも最も豊かで立派な、歴史ゆかしき"王城キングダム"という国へ、それはめでたくも正妃にと迎えられたばかりの若く美しいお姫様。お相手の王様はもともとの幼なじみであり、よくよく気心の知れた方でもあって。身も潔白なら政治の手腕も素晴らしく、心やさしく徳も高い、何の不満もないお方な筈なのに。白玉を刻んだり綺羅らかな宝石を象眼したお道具、鮮やかな綾錦の絹の衣に手の込んだ様々な装飾品。麗しい調度や高価な香木に、美しい声で鳴く小鳥、手触りのいい毛並みをした愛らしい仔猫。居心地の良いお部屋にはそんな宝が山と配され、瑞々しいお花や果物、珍しいお菓子に甘い蜜酒が尽きることなく運ばれており、様々な係の官女たちが侍
はべっていて、身の回りにしても何の不自由もない待遇にあろうにと。なのにどうして、こうまで哀しい心の内をなさっておいでかと、姿を空気に消して近づいた桜庭は小首を傾げていたのだが。

  ――― 数日も経たぬうちに、そのお心の憂いの理由はあっさりと判明した。

 すぐお隣りの友好の深いお国から迎えられた姫様は、それはそれは素晴らしい方であり、容姿やお声、所作の美しさのみならず、お人柄の優しさや懐ろ深いご気性も民に広く慕われていらしたほどの優れたお方。詩や歌、舞いに楽奏、機織り、刺繍、何でも器用にこなされるその上、それらの図案やら新しい作品の構想やらをお考えになられるセンスにも秀でていらして。そんな彼女の開くサロンや催しには遠い国からの客人も多く詰め掛け、また、そんな風に人が寄れば、誰が悪いでもなく起こってしまうような諍いが、不思議なほどに一つも起きない。機転の利く人であればこその、優しいユーモアやら思いやりに満ち満ちた、暖かい"人あしらい"をなさるからで。こうまで出来た方は千年に一人とまで言われたほどに、非の打ちどころのない姫だったのだが。

  ――― そんなにまでも素晴らしい方だったことが、
       選りにも選って彼女自身を苦しめてしまう原因となった。

 というのが、そんな彼女が嫁いだ先では、王妃は政治向きには口出し出来ないことになっている。それも半端な制限ではなく、例えば他国からの招待客を招く宴を開くことも"外交"につながるから禁止。身の回りに侍
はべる女官たちのお行儀に意見したり、さりげなく躾けをするのも、宮中執務への干渉になるから禁止。それに加えて、彼女を迎えた若き王は、彼女の得意な、当代一とまで讃えられていた素晴らしい詩歌や見事な絵画、書画などを公表させることを固く禁じ、自分や家族といった"王族"以外の人前で、みだりに歌ったり楽器を演奏したりすることさえ禁じさせた徹底振り。前者の"決まり・しきたり"を順守させたお達しは単純に彼女への負担を与えたくなくてのことであり、後者の趣味を封じるようなお達しは、後々で判明したことだが…彼女の素晴らしき才能を独占したかったが故の、言ってみれば愛するが故の王様のささやかな我儘だったのだけれども。自由に伸び伸びと歌い微笑み、柔らかな談笑の満ちた、人の輪のもたらす暖かさを こよなく愛した姫にとっては、何もするな、歌ってもいけないと、様々なことへ理不尽な封をされたようなもの。

  ――― これでは、私は生きていると言えるのでしょうか?

 人前に出るなと押し込められた訳ではないけれど、気の利いた女官たちが周囲には侍り、王も忙しい政務の合間に頻繁にお顔を見せてもくれるのだけれど。何もするなと、制限を山のように押しつけられて、日々を無為に過ごせだなんて。これではまるで口の聞けないお人形と大差のない扱いではないのでしょうかと。そんな想いから…心の奥底にて、それはそれは哀しげにしくしくと泣いていらしたそのお声が、寂しいものの声に敏感だった桜庭の耳に届いてしまったのであるらしく。

  ――― なんと美しいお声だろうか。

 お部屋に飾られた絵画や織物。その大半が王妃自身の手になるものだと知って、桜庭はそれらを素直に褒めた。こんなにも美しい作品は見たことがないと。こんなにも繊細華麗に、こんなにも手を入れた見事なものは、寿命も長く、様々な土地の名だたる名人を知る自分でもこれまで触れたことさえないと、その才能を正直に褒め讃えた。厳重な守りの中にある筈のお部屋に、何の苦もなく霞のように現れた不思議な存在に、最初はさすがに警戒なさっていらした王妃様も、優しげで嫋やかな風情の桜庭には人を害する気色はないと気がつかれ、人ならぬ精霊が相手なら、王から課せられた禁忌の制約にもあたるまいと、詩歌や楽奏を聞かせたり、芸術の論を交わし合ったりするようになり。言葉を交わせば交わすほど、王妃がこの若さにも関わらず、様々な芸術へそれは深い造詣を持ち、尚且つ、物の真贋を見極める素晴らしき慧眼の持ち主であることが明らかになったものだから。古来異国の珍しい話やお歌を聞かせたり、それは絶妙にして感情豊かな音曲の数々を聞かせていただいたりと、桜庭の側でも彼女との逢瀬が楽しくてしようがないものとなり。そうして二人は、最初は人目を忍んで、そして段々と人払いをしてまで時間を作って逢うようになった。特に怪しいことや いかがわしいことをしている訳でなしと、当然のことながら罪悪感はなかったがために、何とか作り笑顔を見せていた王妃が、最近は心からの健やかな笑顔を見せるようになったと、周囲の方々も当初は安堵していたものの、あまりに人払いばかりなさるのが不自然で。それで、こそりと様子を伺った侍従の一人が、王妃と向かい合う年若い青年の存在を見出して驚いた。一体どこから侵入したのか、それに何とも気配の軽やかな、摩訶不思議な存在。几帳の揺らいだほんの一瞬にも姿を消すほどの相手なだけに、指摘したとて"何のお話でしょうか"と王妃ご自身も惚けてしまわれる。

  ――― これは由々しき事態ではなかろうか。

 妖魔に取り憑かれたなどとはあまりに非現実的な言いようであり、直ちには信じ難いことなれど、この大陸には古くから魔導師の血統が根付いているほどでもあって、あながち笑い飛ばせる話ではなく。もしかして良からぬ妖かしであったなら、それに見入られた王妃様の御身が危うい。それにそれに、

  ――― 見目麗しき青年の精霊。

 深色に澄んだ瞳に凛々しい面差しの、匂い立つような美しさをまとった瑞々しいまでに麗しき若者。そのような者にうつつを抜かすとは、と。王は殊の外、激高なさった。さっそくにも問題の精霊を封じて退治せんと、名のある導師を招聘なさったが、

  ――― 王妃様に取り憑いておりまするは、芸術を司る精霊でございます。

 導師はそのように報告し、

   『王妃様がそれはお寂しくなさっておられた魂が呼び寄せた精霊であり、
    やさしい詩歌を聞いて差し上げ、知的な語らいを甘く褒めたたえ、
    誠実なる崇拝の念を捧げて見守って差し上げているだけの、
    全く無害な存在でございまするが。』

 むしろ、お寂しい限りなお心の安寧には役に立つ存在でございましょうとの言に、王は初めて…自分が彼女へと強いた禁忌がこの事態の発端であったのだと理解した。とはいえ、このままに捨て置けば王妃の心が自分からはすっかりと離れてしまう。それを恐れ、自分の傲慢さを反省した国王は、導師に頼んで精霊を封じてはもらえぬかと改めて依頼。事を荒立てたくはないからと、妃にも長い時間をかけて懇々と諭し、寂しくさせたことを心から詫びて。そして………。







           ***



  「そして、人の心を惑わすような悪い精霊は、
   徳の高い導師様の方術によって、見事に封印されてしまいました。」

 桜庭はにっこりと微笑って、そんな風にお話を結んだ。まるで教訓めいた昔話のような語りようであり、
「何と言っても大昔の話だし、悪く言われているのは王妃を唆
そそのかした僕の方だけ。なら別に良いかなって思って、それで訂正しなかっただけのことだよ。」
 今の自分には、もっと愛しい存在が居ることだしねと。尚のこと にぃ〜っこりと笑って見せて、
「ボクが封印されてから王妃や王はどうなったのか。やっぱりそれが一番気になっていたからね。封じを解かれて真っ先に、まだ人になる前に、王城キングダムの王廟に飛び込んで、潜在意識やら御霊やらを攫ってみたんだけどね。」
 何の気なしな口調で、とんでもないことを仰有るから…やっぱり"大魔神様"ともなると何かと物凄い。
こらこら それはともかく。
「王も反省なさって、王妃に国政やら内政やらへのお手伝いを頼むようになられたそうでね。それと同じくらいに王妃もまた、目が覚めたように自分のお立場というものへ立ち返られて。早逝なさった国王一人だけにお仕えし、世継ぎの王子が成年になられると、そのまま修道尼に帰依されて、静かに天寿を全うされたって。」
 幸せに過ごされてと、すっかりと安堵したよというお言いようをなさってから、
「多少は疵となる行いがあったとはいえ、そうまで満足して逝かれた方の魂だったから、未練もなかろうし悪さをする筈もない。だからこそ、早くに"生まれ変わり"として転生復活したんだろうね。」
 きっと何百年も昔のお話だろうに、遠い親戚の結婚話か何かのような仰有りよう。

  "…やっぱ大魔神ともなると、何かと物差しも違って来るんだろうよ。"

 壮大な大河ロマンチックな話なんだか、それとも…単なる夫婦仲にまつわる美談の仲介役をこなした精霊さんの逸話なんだか。
「で、その時の王妃さんに、さっき見た姿絵が似てたって言うんだな?」
 妖一が言ったように、単なる他人の空似、もしくは実物は掛け離れた姿であるという可能性だってあるのだけれど、

  「気になるのは、さっき感じた封印の気配がサ。」

 自分がこの妖一さんへと施したものと同様に、お誕生日に合わせて期限を切られていた封印をかけられていた者がある。同じこの大地の、そうまで遠くはないどこか。それも、

  「その封じの咒が、まもり姫の、いや、
   さっきの姿絵のお嬢さんの手になるものだってことなんだ。」

 微妙にね、まだその双方が同一人物のそれと断じるには早いのだけれども。桜庭が感知した"気配"の方は、間違いなく同じ気色がする代物だったと桜庭は言い、やっぱりこれは、あの姫の生まれ変わりの存在が巻き込まれた事態であるらしいと憂慮して、

  「だったら、捨て置く訳には行かない。
   あんな手配書に描かれたその上、そんなことをする必要があるだなんて。」

 そんな窮状にあるものを、看過する訳には行かないと、恐らくは昔とさして変わらないのだろう優しげなその表情を、気鬱の陰にて曇らせた桜庭なのであった。








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 *昔話に終始しちゃいましたね。
  でも、この前置きがないとお話が動き出さないので、
  どうか我慢してくださいませです。
  ホントだったら、こういう下敷きも、
  世情の描写という格好とかで綴るのが正統派なんですけれどもね。