月の子供 S  〜なんちゃってファンタジー“鳥籠の少年”続編
 



          
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 その、鞭のように強かな痩躯を際立たせる漆黒の道着は、身頃の前合わせを覆うカバーのような前立てが付いていたり、内側に堅いガードが内装された詰襟だったり、下の同色のボトムがこれまた、ぴんと折り目の立った裾長の厚手のズボンだったりするところが、どこか後世の軍服にも似た、かっちりとしたデザインで。そんないで立ちの薄い肩には、目にも鮮やかな深紅のマント。ご本人の破天荒さと裏腹、時代が違ったなら随分と規律正しき いで立ちをしていることとなるその装束が、こんな地下の奥深く、本来ならば光さえ届かぬほどに密閉された洞窟ではあり得ないだろう強い空気対流である"旋風"によって、襟や裾を大きく煽られ、鮮やかなまでにはためかせていている。なかなか颯爽と凛々しい立ち姿だが、

  「……………。」

 繊細な印象のする淡灰色の瞳が収まった、鋭く切れ上がった双眸が しっかと見据える先には、轟々と高く低く唸りを上げて吹きすさぶ"旋風"の発生源となっている存在が立っている。自分たちの今回の大胆不敵な行動の核でもあった小さな小さな少年。ちょっぴり臆病で含羞
はにかみ屋さんで、されど心優しい。やわらかな黒い猫っ毛と、表情豊かでこぼれ落ちそうな大きな琥珀色の瞳を持った、瀬那という名の愛らしい男の子。幼い頃に生村が焼き打ちに遭って双親と死に別れ、南の寒村に今は独りで住まうという、権勢者が安定していない地方の今の時勢にはそんなに珍しくもない、ごくごく平凡な生い立ちの小柄な少年…に過ぎなかった筈が。彼にかけられていた特殊な封印結界が解けたがために、様々なことが明らかになって。彼こそは、負界から現世へ沸き出した陰体である妖魔たちに生命をつけ狙われ、本人の記憶を封印までして身を隠さざるを得なかった、先王の忘れ形見の王子であり。そんな彼を巡って、この大陸随一という歴史と規模を誇る強大な王国が内乱を起こし、今また…この大陸全土を引っ繰り返さんという勢いにての混沌を招こうとしているという。その防御の封印にちょっとした関わりがあった魔導師さんたちが訪ねた先、セナ本人の手元には、そんな彼が一体何者であるのかということと、この途轍もない騒動の裏書きとなるヒントが幾つか残されていて。秘やかに王子の護衛をと依頼されていた白い騎士と、封印の要石に込められてあったメッセージと。それらから紐解かれた"真実"というのが、

  ――― 彼が"月の子供"と呼ばれる特別な和子であるということ。

 やがて何らかの鍵で覚醒し、伝説の"光の公主"となる御方であり、負界からこの全世界を侵食せんと膨張し続けている"暗黒の虚体"を形成している魔物たちを、片っ端から封印抹殺出来るほどの強大な力を持つところの陽界の皇子。これまでにも幾度となく世に現れては、だが、周到な妖魔たちの打つ"先手"に阻まれ、秘密裏に抹殺され続けて来た、汲めども尽きぬほど果てしのない力を持ってはいるが、なかなか熟して世に出て下さらない繊細さも持ち合わせた希有
けうな存在…であるそうで。今世の"月の子供"であるセナへもそんな刺客が早々と放たれていたがためのこの窮状。巫女であった正妃様がいち早く良からぬ気配に気づき、あわやという危地脱出を図って下さったものの、選りにも選ってその正妃様の身を邪妖に侵食されたため、特殊な身の上であることさえ伏せての逃避行の中、頼れる人もないままに母上も従者の方々も呪いの咒に打ち倒され、その身を隠し果(おお)せて来た結界までがとうとう力尽きたという現状であるらしく。

  『待ってるのは苦手だ。攻撃こそ最大の防御なりって言うだろが。』

 その光の公主とやらへ覚醒さえ果たせばこっちのものとはいえ、それに必要な鍵が何であるのかが一向に不明。ただでさえ手勢の少ない陣容である以上、逃げても隠れても同じこと。いやいや却って悲劇は増幅するばかり。それならいっそ一気に話をつけようじゃないかと、真っ向から王城の首都、王宮へと乗り込んだ彼らのその眼前に、こちらさんもなかなかの自信で立ちはだかった負界からの刺客である大ボスが、最終的な謎の全てを明かしてくれたその見返りに、彼ら一行を誘
いざなったのが…この謎めいた地下遺跡であり、

  『フクロウの泉は禊
みそぎの泉だ。』

 王城キングダムの壮麗な王宮の地下深くにあったのは、古代文明時代の神殿跡の岩盤古蹟。洞窟の底に広がっていた青々とした泉水は、かつて聖なる儀式に用いられていた存在である筈だのに、

『他の時ならいざ知らず、月光に青く染まった時だけは、咒の力を持つ者は全て人外と見なされ、生気ごと咒の力を根こそぎ奪われてしまうんだよ。』

 うら若き皇太后の艶麗な肢体を奪った邪妖が、勝ち誇ったように嘲笑して見せた。

  『そのまま力を泉に奪われて、涸れて倒れて死んでしまうが良いサ。』

 判らないことだらけのまま疾走を始めた彼らであるだけに、それに比して…何年もの歳月を費やして周到に構えていた相手とは何かと遅れがあるのも致し方のないこと。だが、

  「………。」

 この結末だけはいただけない。夜陰の冴えを孕んで冷ややかな静寂の中に満ちていた洞窟の空気を、一転して怒涛のような凄まじい旋風により撹拌している小さな存在。咒の力を吸い尽くすという泉に踏み込んで、深い悲しみが引き金となり何かが弾けたそのままに、その小さな全身から…生気の奔流と光の束とを勢いよく周囲へと噴き出させているセナであり、

  "チッ…。"

 危険な泉であったらしいと、せっかくあの白い騎士が…進がその不審に気づいて救ってくれたのに。そして、そのせいで彼自身は、悲しいかな命まで落としたというのに。選りにも選ってその泉で、相手の思惑通りに殺されてしまってどうするか。
『…チビを連れて行かれては話にならない。』
 そんな形での黄泉冥界への道行きは、たとえ進だって喜びはすまい。意を決した蛭魔は何としてでもセナを回収すると宣言した。その途端に、
『…っ、ダメだよっ。』
 咒の力を吸い尽くす泉。さっき危なかったのを忘れたか、その身に強大な咒の力を持つばかりでなく、どうやら"金のカナリア"という鍵本人であったらしい妖一まで引き摺り込まれてしまうと、必死で言い聞かせようとした桜庭であったが、

  『このままじゃあ結局同じだ。
   あのまま、もしもチビが"滅びの業火"とやらを放ってみな。』

 どうしても抗い切れず、その身を滅ぼすことに至った場合、自身に触れたる邪妖の痕跡を消すためにと放たれる聖なる業火。新たな世代へ"対"にて生まれ直すための禊の炎群は、あの少年と…そして"金のカナリア"という鍵であるらしきこの蛭魔とを一緒に包んで、有無をも言わさず連れ去ってしまうというのだが。今はそれを恐れている訳でなく、ただ。せっかく進が助けたセナなのに、このままむざむざと死なす訳には行かないではないか。だからと固められた蛭魔の決意は揺るがなかった。

  『言っとくが、俺はチビと心中するつもりはさらさらない。
   必ず引っ張り揚げるから、お前は向こうでいい子で待ってな。』

 呆然としていた桜庭へ、その肩口を押しやりつつ…そんな余裕の言を投げたものの、

  『妖一の無茶苦茶には、時々…ううん、ほとんど根拠なんてないのにね。』

 元・大魔神様から…ややもすると呆れたような苦笑を向けられ、その手をするりと捕まえられた。そして、
『止めたって聞かないのも分かってる。』
 彼だとて、この期に及んで自分たちだけが逃げ出す訳にも行かないことくらいは重々承知。それに…自分の強靭な意志から発したものは何者にも絶対に屈しないという、彼にとっての唯一の"必然"だけが根拠だという場合が多すぎる、この金髪痩躯の青年の"無謀"に、これまでどれほど付き合って来たか。何を言ったって無駄なのは判っているからと微苦笑した桜庭であり、
『これは勝手に生き急ぎないおまじないだよ。』
 その手の指へと金色に輝くリングを嵌めてやる。
『場所が場所だから特に咒はかけてない。』
 強いて言えば、もしも連れてかれた時に妖一を見失わないための目印だと、くすくす笑った桜庭であり、縁起でもないことを言うなと最後まで優しい"保護者"をこづいて………さて。

  "…なんて量と力だ、こりゃ。"

 油断して立っていると、その足元から軽々と体を浮かされ、吹っ飛ばされるのではなかろうかと思えるほどの、それはそれは勢いのある凄まじい旋風が止むことなく吹きすさんでいる。普通一般の魔導師の場合、周囲の自然界の生気を制御し、集めたり練ったりして用いるため、咒の力、所謂"魔法容量"のようなものは本人には宿っていない。稀に、蛭魔本人のように幾らかの"気力"として強い力を貯えに持つタイプの者もいるけれど、せいぜいが溶媒代わりで、大きな力の素とする生気は、やはり大地や自然界から補給しているもの。そんなせいでか、その"出力"には見た目の体格は関係ない筈なのではあるが。この旋風は間違いなくセナ本人から吹き出しており、天井も高く相当な奥行きのある、この広い洞窟いっぱいに満ち満ちて、静謐な空気をぐんぐんと圧している生気の奔流の力強さの、なんと底なしな勢いと厚みだろうか。とてもではないが、あのちんまりと小さなセナの体内にこれほどのパワーが宿っていたとは信じがたくて。

  "しかも、本人で制御するどころの話じゃねぇし。"

 あまりに深くて辛い悲しみという衝動に弾かれたそのまま、一気にほとび始めた生気の奔流であり。呆然自失、我を忘れて虚ろになった彼には、今のこの状況さえ、その心や意識にきちんと届いていなかろう。

  "暴走してやがる。"

 城下への潜入のための粗末なシャツや上着、ズボンといった装束の袖や襟、短いマント。そして、額や襟足、頬にかかっていた柔らかな髪の裾を、生気の奔流にあおられて はたはたとひるがえし、何の表情も浮かべぬまま呆然とした様子で。足元を濡らす泉の底から止めどなく噴き出し続けている光の束に、小さな身体を貫かれるようになって立ち尽くしている少年。ずっと記憶を封じられたまま、身寄りもない身で小さな寒村でたった一人で暮らして来たセナ。突然のこと、不思議な空間に攫われてしまい、そんな目に遭う素養を持つ身であることが判明するや、今度は哀しいばかりの思い出や宿命がその小さな肩にのしかかり、得体の知れない魔物に襲い掛かられもして。それでも…そんな彼を支えてくれる、朴訥だが温かい、頼もしい人が現れて。多少は齟齬もあったけど、今やすっかり心も通じ合い、これでやっと何の憂いもなく前を向いて戦えるという、それはそれは毅然としたお顔になれたというのに。


   『…いやぁあぁぁぁっっっ!!!』


 さっきセナが張り上げた、あまりに悲痛な金切り声の余韻が、蛭魔の耳からまだ離れない。どこか臆病で、頼りないほど大人しい子。気立ての優しい一途な子なのに、自分を際限無く過小評価してか、引っ込み思案で何かというと うつむきがちで。だから、あんな大きな声を出したのを聞いたのは初めてで…。

  「……………。」

 大きく深い吐息を一つつくと、体の脇へと降ろした両の手をきつく握り込む。指の関節が白い牙のようになってもなお、ぎりりと堅く握りしめた拳。日頃はあまり"人の情"などには動じない、いたって合理主義者な蛭魔だが、今回ばかりは話が別だ。独りぼっちが身に馴染み、寂しげなお顔ばかりを見せていた、小さな背中の小さな少年。やっとのこと、心から信頼し、それは大切な人だと互いに心通う人が出来たのに。あんなにも間近で、しかも容易く殺された。そして今、そんな彼自身までもが、慟哭さえ許されぬまま、彼
の人の遺志も空しく、死出の旅へと攫われかけている。こんな悲しい、惨い話があってたまるかと、蛭魔のその胸に沸き上がる憤懣もふつふつと頂点に達しようとしているようで、


  「させるかよっ。」


 意を決し、セナへと向かって泉の中へがしがしと踏み込んだ。先程は泉水が染みる端から生気や意識さえ吸い取られそうになって、足元から凍るように所作が固まり、そのまま体が一気に萎えたものが。今度は…そんな感触も今のところは感じられない。恐らくは、セナの放出している生気があまりに膨大すぎるがため、泉の吸収が追いつかず飽和状態にあるのだろう。ならば、そんな今こそいいチャンスでもあるというもの。やはり旋風に撒かれて大きく波立つその泉の中、苛烈な暴風雨に立ち向かうかの如くに身を縮め、蛭魔はじりじりと前進を続ける。いつものように逆立てた金の髪は、このドタバタの中でも結構頑丈な型を保っていたが、旋風に逆巻く細かな飛沫を受けた前髪や後れ毛が、額に頬にしっとりと張りついて鬱陶しい。気を抜けば足元が掬われてしまい、彼ほどの長身でも簡単に引っ繰り返ってしまいそうな奔流に、装束から何から揉みくちゃにされながらの進軍であり、

  《 これはまた滑稽な見世物よの。》

 向かいの岸にて…そちらもやはり多少は風を受けつつも、余裕の顔で婉然と立つ魔女からの小馬鹿にしたような嘲笑の声が一際高まったが、今はそんな雑音も後回し。今や、真上に立つセナ自身を金色に塗り潰して…泉の底から頭上へ、遥かな中空の高み、吹き抜けに尖った岩天蓋のその頂点へまで届くほど真っ直ぐに立ち昇った光の柱であり、

  「チビっ! しっかりしろっ!」

 こうまでの疾風の只中にしては、それは静かに…揉みくちゃにされることもなく立ち尽くしている彼であり、その姿は水中でかすかな流れに身をゆだねてゆらゆらと揺蕩
たゆとう水草のよう。大きな瞳は間違いなく しっかと開かれているし、うっすらと半ば開きかけた口許も、何を呟いてか…かすかに震えて動いている。ただ、頭上の中空をぼんやりと見上げているようなその双眸の焦点が、現世へ向けられているのかどうかは定かではなく、表情も虚ろで覚束ない。意識はあるのに正気ではないというところだろうか。時折耳を聾するほどの響きを上げて、獣の咆哮にも似た疾風の唸りが岩盤に穿たれた洞窟空間を間断なく蹂躙し続けている。それへ負けじと必死の懸命に声をかける蛭魔だったが、少年からの反応は やはりなく、しかも、

  「………っ!」

 セナの足元からほとばしり、それは力強くも目映いまま。今や天まで届くほどとなっている真っ直ぐな光の柱とは別口の光芒の華線が、四方八方という周囲へと新たにあふれ始めている。まるで…勢いのある水道の出口を塞いでいたものを押し返す奔流が、抵抗の力を少しずつ増してゆき、隙間からちょろちょろと吹き出し始めているかのように。こちらは やや山なりだったり斜めに飛んで行ってみたりと、まだ勢いは小さなそれであるらしいものの、それでも…細っこいセナの足元の縁の外側へ、セナという"蓋"の圧迫に打ち勝たんとしている光の余燼たちが外へ外へと洩れ出ようとし始めているには違いなく。………ということは?

  "これは…?"

 セナ本人の身体中の肌目から勢いよく噴き出している凄まじい突風は、彼の裡(うち)に秘められていた膨大な生気の奔流であるらしいと判るが、では。この光の正体は何なのだろうか。これもやはりセナの持ち物が、何かしらの働きかけに反応してあふれ出しているものかと思い込んでいたが、

  "泉の底から招かれて発しているもの、なのか?"

 先程なぞは…咒の気配を感じ取ったからだとはいえ、選りにも選って魔物なんかではない自分たちからまで生気を絞り取ろうとしたほど、忌ま忌ましいまでに融通の利かない"禊
みそぎ"のためのこの泉。

  "チビの体から咒の力と生気を剥ぎ取ろうとしての光芒なのか?"

 セナ本人から放たれているのではなく、泉の底からあふれ出しているように見える以上、そういう作用からの光だということなのか? だが、こんな光、最初に二人して踏み込んだ時には欠片さえ発しはしなかった。先程と何が違うのか、水面の下、目映い光に遮られて覗きにくい水中を透かし見れば、

  "………っ、あれは。"

 セナの立つその丁度足元には、長々と横たわる剣が一振り。まるで彼の足を吸いつけて、その場に縫い止めているかのように、鞘ごとの重みを沈めており、

  "アシュターの聖なる咒符を刻まれた…最強の護剣。"

 その持ち主を魔法や魔物から守る咒を刃に刻んで念を込めた、練鍛鋼の大太刀。蛭魔にも重々と見覚えのある頼もしき大剣であり、セナは正当なる持ち主ではない筈なのに、まるで…元の持ち主に代わって彼を守っているかのように、その場に沈んで動かないまま、静かに佇んでいる。そして、

  「………っ。」

 時折、鞘の中央部に象眼された銀細工の車輪の飾りが、ちかちかと鈍く瞬いているのが見て取れた。車輪の意匠は"輪廻"や"再生"、若しくは長旅から転じて"長命"すなわち"常勝"を意味するもので、武器や装具によく用いられ、特に珍しくもないのだが。魔除けの銀の属性は…月。

  "銀の籠には、月の子供を………だったかな?"

 ぼんやりと。脳裏に浮かんだフレーズをついつい辿ってしまった蛭魔である。そんな刹那さえ無情にも凌駕して、光の噴出はその束をぐんぐんと太くし、ますます膨らみ続ける模様であり。このままでは…それはほっそりとしたセナなぞ、するするとその中へ包み込まれてしまうことは必至だろう。そうなったら…その先は? 一体何が待ち受けている?

  「…くっ。」

 まだ光そのものには触れてもいないほど離れているというのに、目に見えない何かがこちらの接近を押し返す。吹きすさぶ疾風とはまた別の何か。まるでそれこそが反発性の高い磁場障壁であるかのように、外へ外へと際限無くあふれ出すパワーに圧
されており、なかなかセナのすぐ傍らまでへと近づけない。質量のある塊りが次々に襲い来て立ち塞がっているかのように、それは力強くも暴れてくれていて、この痩躯には見合わないほど足腰の強い蛭魔でも手を焼かされているほど。とはいえ、

  "…これは?"

 こんなにも抵抗され、圧倒的なまでに押されているのに。何故だろうか…少しも疲弊や喪失感はない。近寄るなという"抵抗"であり"拒絶"である筈なのに、少なくともつい先程感じたような、水に浸かったその足元から凍りついていくかのような、力が外へ外へと奪われて行くような感覚はなく、

  "セナの側だけがそんな状態にあるということか?"

 やはりこれは…彼の生気や"光の公主"としての咒の力が、その身の裡
うちから周囲へとあふれ出している、その奔流だから? それとも、

  "まさか、これが"滅びの業火"とやらなのか?"

 自分とセナは、魔物に襲われてどうにもしようがないほどの窮地に立たされると、こうまで自分たちを追い詰めた負の眷属を道連れにして燃え尽きるのだそうで。とはいえ、

  "そんな不吉な手ごたえではないんだが…。"

 むしろ軽やかに温かい…気さえする。押し返すためにと、手や腕や胸、腹、腰に脚という全身で触れていても、何の危険も感じない。それどころか…懐かしい温度だと心のどこかで何かが呟く。遠い遠い記憶の彼方に埋もれてしまい、遠ざかるその裳裾の輪郭さえ朧になってしまった懐かしい感触。魔導師としての修養・指導を受けている師匠の庵房に居着くよりずっとずっと前の、まだ物事を把握し切れぬ年頃に触れたらしき、温かで柔らかな感触。ほわほわと温かで、懐かしくて。自分にはずっと縁のなかったもの。桜庭が居てくれたから寂しくはなかったけれど、それでもね。覚えのない誰かに呼ばれたような気がして振り返っては、けれど誰もそこには居なくて。心許ないままに辺りを見回していたのを思い出す。ああ、やっと帰って来れたのかと、胸に馴染んで心地いい、泣きたくなるような優しい感触であり、


  "これは……………。"


 何かに気を取られた蛭魔の白い手で、さっき桜庭から授けられた金の指環が、無言のままにちかりと光った………。








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  *………長いです。(苦笑)
   きっと無駄なものが一杯あるんだと思います。
   不器用ですから、自分。
   乱闘シーンも苦手ですが、こういう神秘を描くのはもっと苦手です。
   そんな半端な人間が、なのに何でまた、
   こういうファンタジー系のお話を書いてしまうんでしょうね。
   嫌い嫌いも好きのうち、なんでしょうか。(う〜ん、微妙に違うぞ。)

 *今ひょいと思うに、この正念場の情景ってば、
  本館の某シリーズの長編の最終戦闘という山場のシチュエーションに
  えらいこと似ているような気が。(……焦っ。)
  そもそも、
  こういう…洞窟の中で疾風に翻弄されるという格好のクライマックスって、
  昔、本を出してた別ジャンルのパロディでも使ってたようでして。
  2時間サスペンスの岸壁での告白シーンに通じるものがあるようです。
  私、こういうシチュエーションに何かトラウマでもあるのかなぁ。
  (ちなみに在庫がいまだに山のようにある本です。とほほん)