月の子供 22  〜なんちゃってファンタジー“鳥籠の少年”続編
 



          
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 森閑莫寂とした空間に、桜庭がゆるやかな仕草で腕を差し上げては、宙へと新たに灯した光の玉が幾つか。怒涛のような展開から打って変わって、今はしっとりと落ち着いた漆黒の闇の中へ、ふわふわと遊び泳ぐように浮かんでは、神秘的な雰囲気の洞窟内に柔らかな明るさを満たしている。あれほど明るく洞内を満たしていた光の粒子は、邪妖の消滅とともに消え去ってもう何処にも留まってはおらず。玻璃の打琴を“ぽぉん・とぽぉん”と鳴らすような、どこか不思議な物音が遠くに反響しているだけの静かな空間は、何とも言えない寂寥感に満ちていて。
「………。」
 泉の向こうには、あれほどの業火を身に浴びてもご本人の体は無傷であったらしい、倒れ伏した皇太后様の姿が仄かに見て取れて。大丈夫だと思うぜと、いつもの横柄さで蛭魔が告げたのへ、それでも…お怪我や疲弊はないかという様子を確認するべく。こちらも意識を取り戻した雷門陛下をお連れした高見さんが、泉へと踏み込んでそちらへと向かったのと入れ違いに。元の漆黒の道着を着た金髪の導師殿が、少しばかりくたりとなった小さな体を腕の中へひょいと抱え上げて、セナを岸までエスコートして来る。ああまで大きな咒の力を操るだなんていう、慣れないことをいきなり手掛けたものだから、すっかりと疲れてしまった彼であるらしく。
「…あ。」
 今やっと我に返ったように表情の芯が戻って来たセナを、懐ろの中、覗き込むようにして。大丈夫かと案じるような眼差しを向けた蛭魔に、こくりと幼い仕草で素直に頷いたものの、
「………っ。」
 抱えられた自分がその両腕でしっかと抱いていたものに気がついて。まろやかに柔らかだった面差しが、たちまち堅く強ばって俯いてしまう。頑丈な鞘に収められたアシュターの護剣。敵対するものを完膚なきまでに粉砕して滅ぼす正義の人を、魔物や妖かしから守るため、特別の念を込め、護衛の咒を刻まれた最強の剣。重くて冷たい武器なのに、何故だかとても愛しくて…そして。とてもとても哀しくて。泉の浅瀬から乾いた辺りへと辿り着き、そのまま蛭魔が足を運んだのが、やはり一部始終を見守っていた桜庭が待つ、岩陰の一隅。さっきまでは雷門陛下も横になられていたその場所には、広い胸元に大きな手の不器用そうな指を組まされて、静かに横たえられた人がいる。

  「………進さん。」

 装束こそ元に戻ったものの、まだ仄かな余光を髪や瞳や頬に宿したままの、生まれたての光の公主様が、その頼りなくも細い腕へひしと抱えたるは。この白い騎士が愛用として来た業物の剣。持ち主が死してなお、彼の愛した小さな王子様を立派にお守りした、アシュターの咒符が刻まれた剣だ。よくよく見れば、その鞘から銀細工の車輪の装飾が消えており、その代わりのように…大小の真円がその端だけを接したような意匠の、丸くて細い三日月を象
かたどった細やかな彫金飾りへとすり代わっていたりするのだが、それは今はさておいて。その悲劇に直面した刹那は…ただただ生気の奔流があふれ出したのへ翻弄されるばかりでいて、それどころではなかったセナだったが、今になって…その本人と対面して。再びの哀しみが小さな胸へと新たに込み上げて来たのだろう。大きな瞳の縁に、透き通った滴が音もなく満ちてくる。不揃いな黒い前髪の下には、日頃と変わらない無表情のままに、瞼を降ろした男臭い精悍なお顔。パッと見の印象はあまり変わらないが、それでも…その肌に生気の失せた青白さを満たし始めていて。ほんのつい数時間ほど前に、あれほどまで強い絆を再確認し合ったばかりなセナにしてみれば、今はもう話しかけてくれない、微笑いかけてくれない彼であることが、どれほど哀しいことであるのか。これからは彼のいない世界で生きて行かねばならない。そうと思うだけで、ほろほろと心が揺らいで覚束なく、じわりと浮かんで瞳を埋める、大粒の涙を止める術さえ持たない有り様。力なくすとんと、愛しい人の亡きがらの傍らに崩れるように座り込んだセナであり、抱えていた剣を脇にそぉと置いてから…小さな手を怖々と、眠り続ける進の胸板の上へと載せて。

  “………本当に。ただ眠っているだけなように見えるのにね。”

 なのに。頼もしい懐ろも、厳しく結ばれた口許や少し頬骨の立った凛々しいお顔も、触れてみれば たいそう冷たくて。そんな彼へ、自分の温みを分けてやろうとするかのように、胸板へ身を伏せてすがりつくセナであり。静かに洩れ出した啜り泣きの声が、泉の向こう、ようやっと意識を取り戻した本当の皇太后様の表情をも曇らせる。光の公主だなどというそんな大仰な力なんて要らないと、事の始まりの場でも言っていたセナだった。自分はただ、平凡に生きていたいだけなのに。ささやかでありふれた生活を送って、些細なことに時折困ったり笑ったりしながら、ほどほどに過ごせればいいと。あのままだったなら…少なくとも自分となんか関わらなければ。この人も死なずに済んだのかもしれないのにと、自分には何の幸いも齎
もたらさなかった、痛みばかりを運んで来た“覚醒”へ、稚い表情を歪ませて泣きじゃくる公主様でいらしたが。

  「………おい、チビ。」

 いきなりそんな不遜な声をかけた人物がいて。小さく蹲
うずくまるようになって泣いていたセナが、無言のまま、それでも顔を上げて見せると、
「良いか? よく聞きな。」
 進の体を挟んだ向かい側へと屈み込んでいた蛭魔が、こちらもまた至極厳
おごそかな表情のままに…こんなことを言い出した。
「お前は、今さっきの“覚醒”で、色々な咒が使える身になった。」
 それには何となくの覚えがあるのでと、素直にこくりと頷くセナへ、
「咒というのは呪文であったり魔力そのものであったりするんだが、そういう講釈は後でみっちり叩き込んでやるとしてだ。」
 金のカナリアという存在は、目覚めたばかりの公主様への教育係も兼ねているらしい。それはともかく。蛭魔は、その鋭く切れ上がった目許をうっそりと眇めて、

  「光の公主にしか使えない“特別な咒”というのが幾つかある。
   その中に“反魂回帰の法”というのがあるんだがな。」

 そんな言葉を告げてやる。

  「“反魂回帰の…”?」

 咒なんて知らないセナが小首を傾げたのへ“ふん”と小さく鼻を鳴らして、蛭魔はあっさりと続けた。


  「死んだ者の魂を呼び戻せる咒だよ。」
  「………っ!」


 それで。さっきから…この悲哀の場面にあっても、普段と変わらない不遜なままの横柄な態度でいた彼であったらしくって。セナの身を守るのと引き換えのように命を落とした白い騎士の、その魂を呼び戻すことが出来ると聞いて、咄嗟には理解出来なかったらしき少年のお顔が、

  「……………あ。」

 ゆるやかな暁光の朱が、黎明の空に満つるがごとく。希望の光にその頬をじわじわと染めて、再びの微笑みを、頬に瞳に口許に、それは甘やかに取り戻して見せた。…のだが。
「但し、これは一世に一度しか使えない。」
「………。」
 こんな切羽詰まった時に、この男は何が言いたいのだろうかと、セナは再び怪訝そうに眉を寄せて小首を傾げた。確かに、本来ならば一番あってはならないこと。一度潰えた生命は二度と復活しはしない。だからこそ懸命に生きなければならないのだし、そんな命は美しく輝いているのであって。自然の理
ことわりの根本を大きく歪めることだから、滅多矢鱈と使えるものではないのだという理屈はセナにもよく分かる。それへの念押しだろうかと、どこかキョトンとして見せた少年へと放たれた蛭魔の声は…やはり容赦がないものだった。


  「それをこいつに使っても良いのか?
   お前の母親の方は、生き返らせたくはないのか?」

  「………あ。」


 それが“覚醒”の引き金となったほどの、あまりに鮮烈な“悲哀”に直面してしまった彼だから、気が動転していることも相俟って、その判断が本当に冷静なものかは怪しいもの。後になって悔やんでも遅い。セナを守っての逐電という事態になり、慣れぬ苦難の旅の末に呪いの咒に命を吸われ、敢え無く世を去った彼の母君アンジェリーク妃。彼女を差し置いてでも、この男の方を蘇生したいのかと、そうと訊いた蛭魔であり、
「他にだって不慮の事態で命を落とした者はいようさ。今のお前みたいに、大切な人に戻って来てほしいと思ってる奴だって一杯いる。そういう奴らには不公平なことかもしれない咒だ。だから、いっそ誰にも使わないという手もあるんだがな。」
 あまりにも冷静な、だが、最も客観的な見解ではある。誰に対してでも“公平”を帰すなら、いっそのこと使わないでいるのが一番に“公正”であるのかも。そうという意見を突きつけられて、

  「……………。」

 その柔らかな唇を白い歯で噛みしめて、少ぉし俯いたまま…じっと考え込んでいたセナだったのだが。

  「…それでも。」

 ぽつりとした声が零れた。

  「我儘だと言われてもいい。ボクは進さんに帰って来てほしいです。」

 ほんのついさっきまで生きていて、今 目の前にいる人だからでも、生まれて初めて心ときめかせた人だからでもなくて。

  「進さんは、これまでに何度もボクの命を救ってくれました。」

 自分と関わらなければ、こんな風に命を落とすことだってなかったのに。何の代償も求めず、いつだって自然なこととして自分の身を楯にしてくれた人。恐ろしいことをいっぱい掻いくぐって、守っていた対象だったセナからも…誤解からだとはいえ冷たく怯まれて。それでも頑張って優しく接して下さった、セナにはとっても温かな人だったから。

  「進さんと、一緒にいたいです。」

 これからを彼と生きてゆきたい。お母様やまもりさんや、無念の内に亡くなられた他の方々には申し訳ないことなのかもしれないけれど。遺された者として精一杯に頑張って“これから”を紡ぐためにも、自分のこの身や命を削ってでも良いから、進さんには傍らにいて欲しいと…。これまであまり“何かが欲しい”と言わなかったのだろう少年が、精一杯の初めての我儘を口にした。真っ直ぐに顔を上げての、そんな“お願い”を聞き届け、

  「…判ったよ。」

 裁定者のように彼を見据えていた蛭魔は、薄い緋色の口許を小さく綻ばせると、そのままの向かい側から腕を伸ばして来てセナの両の手を取った。そして、相手の左手のひらへ、やはり相手の右の手の指先で…何やら幾何学的な図を幾つか重ねて描いた後、身を乗り出すとセナの耳元へと小さな声で何事かを囁く。すぐ傍らにいる桜庭に聞かれないため…というよりも、咒が先んじて発動しないためという観があり、
「やってみな。」
 そっと身を剥がして元の位置、片膝立てたままという不遜な格好の魔導師さんに促されて、

  「……………。」

 こくりと。息を呑んだ小さな公主様。初めて一人で使う咒が、そんな大掛かりなものになろうとは思わなかったろうなと、桜庭くんが同情さし上げつつも見守る中で、

  《 π。》

 あまりに短い一言だったのへ、はい?と。意表を衝かれて、深色の瞳を大きく見開いてしまった白魔導師様の眼前。これから…その身は土に環り、魂は永遠の眠りにつく筈だった男の胸板が大きく上下して見せて、

  「………………………。」

 セナと桜庭、当然蛭魔も、3人が見守るその中で。特に来光があるでなし、厳かな聖歌が沸き起こるでなし。あくまでもごくごく自然に、ちょっと居眠りをしておりましたという風情にて、ぽかりと。二度と再び開いてはくれまいと嘆いていた、涼しげで実直な光の宿った深色の眸が、黒々とした生気の潤みもそれは清
さやかに、堅く閉ざされていた瞼の下から現れたものだから。

  「…っ。」

 今にも感極まって何事か叫びそうになるお口を、ぎゅうと自分の手で押さえた小さな王子様へ気がついたらしく。やや億劫そうに身を起こしながら、

  「…セナ…様?」

 どこか覚束無い声で、小さな少年の名を真っ先に口にした彼に、
“ただ息を吹き返しただけじゃあなさそうだな。”
 蛭魔がこそりと息をつき、その胸を撫で下ろしていた。何しろ例のない咒だ。進本人の命の灯火が間違いなく灯ってのことなのか、それともただ単に動けるようになっただけで、本人の記憶はきれいさっぱり浚われていないか、そこが一番に重要なポイントだっただけに、秘やかながら気が気ではなかったらしくって。そして、

  「進さぁん…。」

 ぽろぽろぽろと。大粒の涙が止めどなく溢れて来るのを、そのままに。小さな王子様が最愛の騎士様へと自分からすがりつく。頬が触れた首条やおとがいは、まだちょっぴりと冷たいけれど、支えるように両腕が回されたその上で、背中をさすって下さる大きな手は、もうすっかりと温かい。ごめんなさいごめんなさい、ボクのせいで痛い想いをさせました、暗い冥府まで覗かせてしまいましたと。何だか混乱気味に言い立てて、もっともっと幼い子供のように手放しで泣きじゃくるセナを宥めつつ、あらためて周囲を見回す進であり、

  “…っ、ああそうか。”

 彼にしてみれば…セナを泉から引き上げたところからの状況は、まるきり届いていなかったことになる。一体、今現在の状況はどうなっているのだろうかと、それを思って落ち着かない彼なのだなと。桜庭よりも、一足先に気づいたらしく、
「お前が暢気にもぐうぐうと寝てる間に、全部の方
カタがついちまったんだよ。」
 ここぞとばかり蛭魔が意地の悪い言いようをしたのを真に受けたのか、
「寝ていた?」
 あんな窮地にあって のうのうと寝こけるような自分ではない筈なのに?と、セナを懐ろへと抱えたままでキョトンとする進へ、桜庭が思わずのこと、クスクスと苦笑してしまう。
「妖一が言ってるのはウソだよ。でも、もう安心していいのはホント。」
 無事に“光の公主”へと覚醒したセナくんが、妖一と二人して皇太后様から妖魔を追い払ってしまったからねと説明してやる。それと、
「…覚えているだろう? セナくんを庇ったこと。」
 彼ほどの男がナイフを投げられた気配に気づかない筈がない。だが、両腕が塞がっていたし、セナ本人を危険に晒す訳にも行かず、敢えて避けずに…凶器を背中に受けた彼であったに違いない。
「細かいことは後でセナくんから聞くといい。」
 今ここで蒸し返してもしようがないからと、桜庭もまた、ちょっぴり曖昧な言い方をして、
「でもね、これだけは僕からのお節介な忠告。勿論のこと、セナくんの身を思っての選択だったんだろうけど、あんまり軽々しく命を投げ出されては、遺された人は堪ったもんじゃないんだよ?」
 進の懐ろの中から聞いていたセナも、思わずだろう、こくこくと頷いて見せており、
「もう“二度目の奇跡”はないからね。これからは、セナくんを完全無傷で守ることより、一緒に生き延びる法ってのを選ぶようにしないとね。」
 パチンとウィンクをして見せた、亜麻色の髪の美丈夫さんだった。







            ◇




  『実を言えば、な。』

 そんなお説教をした桜庭くんのお言いようを、あの場では黙って聞いていた金髪痩躯の黒魔導師さんもまた、復活した騎士様には隠れてこそこそと、セナへこんなことを付け足して語っておいた。
『母君や他の方々ってのは、呼び戻すのが難しかったかもしれねぇんだ。何しろ亡くなって相当に歳月が経っているからな。』
『…それって?』
 もしも復活させたければ、まずは…誰か別な女性の身体という“寄り代”が必要になったろうなと蛭魔は言って、
『本人の身体はもう無いんだから仕方がない。』
 魂だけの“霊”として浮遊させておくのか? そんな訳にも行くまいよ。進を復活させることを選んだセナへ、そんな風に付け足してやった彼へ、
『…そうと判ってて選ばせたの?』
 こちらもこそこそと参加していて話を聞いちゃったものだから、意地悪だねと少々不服そうなお顔になった桜庭だったが、
『どうせ、あの糞剣士の方を選ぶと思ってたさ。それに…。』
 そこまで言って、語尾を濁らせた白い横顔を思い出し、


「…後になって、そういう選択肢もあったんだって気がついたら。選ばなかったことへではなく、思いもつかなかったことへと後悔しないか。そう思って、心配になって。それでわざわざ、あれやこれやと言ってあげたんでしょ?」

 思いもつかなかったことへの気遣いともう一つ。あれほど繊細な子なのだから、母親に使わなかったことを…やはり後々になって後悔しないかと懸念して、どうせという言い方をするのも何ではあるが、寄り代の必要な難儀な事だったのだからあまり気に病むなと言ってやった蛭魔なのだろうと偲ばれて、

  「…さあな。」

 ご本人は、そんな昔のことは忘れただなんて、どこぞの映画の主人公みたいな言いようをしたものの。あれからまだ二日と経ってはいない。

  “そんなことまでがカナリアさんのお仕事なんだね。”

 人知を越えた“咒”という不思議なもの。少なくともこの大陸には存在するということも、どんなものなのかも知ってはいても、ある意味でずっとずっと“他人ごと”だったセナだというのに。膨大な力をその身に覚醒されてしまって、きっと戸惑うことも多かろう。大きな力に振り回されず、数多
あまたある“正義”に戸惑うことなく、ある意味で“人外の能力”を責任を持って行使する難しさ。それは彼に限られたことではなく、普通の魔導師たちもまた、厳しい精神修養の中で…モラルや禁忌として、基礎原理や哲学に添わせる形にて身につけてゆく、大切で難しいものもので。

  “しばらくはセナくんに付きっきりでレクチャーしなきゃならないんだろうね。”

 此処は王宮内の豪奢な個室で、色々あった騒動の事後収拾をつけている方々のお忙しさとは裏腹、もう手をつけることの無くなった“特攻実践部隊”の面々は、国王陛下の親しきご友人という“国賓”としての扱いの下に、ゆるりと羽を伸ばして休ませていただいている次第。

  『…セナ様ですか?』

 最後の最後にやっとのこと、邪妖への痛恨の反撃として持てる気力を振り絞っての“足止め”を敢行して下さり、セナの放った聖なる浄化の炎によって、妖かしを追い出していただいて自分の体を取り返せた皇太后様は、数年振りとなる小さな王子様との再会に涙ぐんでしまわれ、

  『アンジェリーク様は…?』

 おずおずと問われたそれへセナがかぶりを振ったのへ、その場に崩れるように跪
ひざまづき、自分が至らなかったばっかりにと泣き崩れてしまわれた。だが、
『そんなことはありません。』
 小さな公主様はそんな皇太后様の肩にそっと触れ、
『ボクがこうして生き延びられたのは、最初に危険を察知して下さった皇太后様のお陰です。お逃げなさいと勧められなければ、母様だけじゃない、ボクも…そしてもっと多くの人たちだって、恐ろしい妖魔に襲われて、切り裂かれるような死に方をしていたのかも知れません。』
 もしも“光の公主”が世に出なければ、もっと壮大で果てしのない混沌と騒乱の渦に、この大陸ごと呑まれていたかもしれない。それを思えば、妖かしの気配に先んじて気づいて下さったことが、どれほどの救いになったかと。心優しき王子様は、どうかご自分を責めないで下さいと皇太后様に言いつのったが、

  “それでも、皇太后様としてはお気が済まないことだろな。”

 遠からず、雷門陛下がきっちりと政務をこなせるようになったのを見届けてから、どこか人里離れた修道院に帰依なさるなどして、自分の身を処断なさるおつもりだろうなと。そうとおもった桜庭だったが、どっちにしたって先の話で、今はちょっと他所へ置いといて。そのセナはというと、元々“王子様”であったので、王族が住まう奥の院に専任の従者を仕立てての立派な私室を設けられたということだが。何だか落ち着けないからと…日中の殆どを、まだ少しほど身体を休ませねばならない進のいる療養棟に出向いては、看病がてら居ずっぱりになっているそうだが、それもまた余談なので さておくことにして。

  “う〜ん、と。”

 個室と言ってもそこは王宮。寝室や寛ぎのための居間など、広々としたお部屋が4つも連なり、一番大きなリビングは晩秋の彩りも美しい庭園が見渡せる開放的なテラスつきの豪華なもの。国内の名匠たちの手になる逸品を揃えた、格調高き調度ばかりを並べた、上品で落ち着きあるリビングのソファーに、少々自堕落ながら寝そべるようになっている妖一さんへ、
「それにしてもさ。」
 桜庭くんが何かを訊きたいご様子の声をかける。不思議なことが一杯だったあの山場。無事に光の眷属としての覚醒を果たせた彼らだからこそ、大団円を迎え、こうしてのんびりと回想なんてことも出来る訳だけれど、

  「どうして、セナくんを迎えに行った時は、泉に力を吸い取られなかったの?」

 条件的にはそんなに違わなかった筈なのに。最初に二人が踏み込んだ時はたちまちのうちという勢いで体が萎えたほどだったものが、あの大嵐の中へと踏み込んだ時は、ちゃんと身動きしていた蛭魔だったし、セナの方も衰弱の様相は見せていなかったような。
「それを言うなら、お前こそ…なんで最初に入った時に俺を助けに来れたんだよ。」
 自分が問われたことへは答えが分かっているらしく、だからこそのはぐらかしをする妖一さんへ、
「それは…僕にも判らないけど。」
 きっと、日頃からあまりに大きな力をはみ出させていた“元魔神”さんだもんだから、本人が“あれっ?”って気づくまで吸い取られるには相当な時間が掛かったんでしょうな。…って、筆者までがあっさりと誤魔化されておりますが。
「妖一〜〜〜っ。」
 体よくからかわれたことへ、ちょいと眉を顰めた白魔導師さんへ、くくくと笑って見せた妖一さんであり。そして、

  「どうやら、これのせいらしいぜ。」

 顔の前へひらひらとかざして見せたのが、自分の白い左の手。向こう側が透けて見えそうなほどに真っ白い手の中程には、金の指環だけが唯一のアクセサリーとして据わっているのだが…、

  「………あれ?」

 どうしましたか? 桜庭くん。
「この指環。僕があげたやつと違うじゃないか。」
 一体あれは何処やったのサ、それに、これは一体誰にもらったんだよぅと。むむうとますます膨れてしまった美丈夫さんへ、クスクス笑いが止まらないらしき金髪の美人さん、
「間違いなく、お前がくれた指環だぜ?」
 何の邪気もないお顔でそんな風に言葉を重ねた。そうは言われても…。
「え? だってさ…。」
 彼があの土壇場で差し上げたものは、実は自分がずっと身につけていたもの。いつか正式に求婚しようと思っていたのかどうかは定かではないが
おいおい、この金髪痩躯の美人さんへ何かの折にでも捧げようと、機会を窺いながら持ち歩いていたものであり、折にふれて眺めることも多かったので覚えていたその形は、間違いなくシンプルなただの環だった筈なのに。今、彼の白い指を飾っているのは、繊細な透かし彫りのなされた綺麗な細工ものではないか。覚えのないものをそうだと言われて、小首を傾げた桜庭へ、
「チビの方を守っていたのは、進の剣の鞘にあった銀細工でな。ほら、例の子守歌にもあったろうが。」
「………あ。」
 そんな付け足しをされて、ようやっと桜庭にも思い出せたのが…。


  ――― 銀の籠にはカナリアを、金の籠には月の子供を…。


 森で鳴くフクロウさんへの、それが目印だったということなのだろうか。
「どういう意味合いでそうなったのかまでは俺も知らねぇ。ただ、あの禊の泉から“人ならぬ身”と解釈されるのを防ぐのに、そういう装備を身につける必要があったってことならしいぜ?」
 そして、そのために…その身へと取り込まれるために働いたのだろう何らかの作用によって、そもそものデザインが変わってしまったと。
「チビが触れていた進の剣の鞘の細工飾りも、元のとはまるきり違う、別な形へ変わっちまってたらしいからな。」
「でも…金と銀が逆じゃない。」
「両方が揃ってれば、どっちでもいいんじゃねぇのか?」
 蛭魔としても実は半分ほど曖昧なのだろうけれど。この結果からはそうとしか…断じることは出来ない訳で。この説明を後日に聞いたセナなどは、進さんがそこまでして守って下さったんですねと、あらためて感極まっていたほどだった。

  “そういえば…。”

 それこそ、彼らが知らないこと。あの光の柱に取り込まれて覚醒したばかりの二人の額に、それぞれ浮かんでいた粒鉱石があって、
“セナくんのが銀で、妖一のが金だったよな。”
 あれが“取り込まれた”金と銀だったということか。
“…む〜ん。”
 よく判らないところから飛んで来た訳ではなく、ちゃんと装備していたものが作用しての覚醒だったらしいとはいえ、正に偶然の巡り合わせのようなもの。そんな“巡り合わせ”もまた、彼らに備わった“運気”というものが引き寄せたのかも知れないが、
“それにしたって…。”
 今更ながらに“ギリギリな展開だったのだな”という想いから冷や汗が出そうになるほどであり、どれほどの奇跡が必要な“光の公主”であったのかも思い知らされた桜庭だ。
“僕の記憶にもない訳だ。”
 そだね。うっかりボケてた訳じゃなくて良かったねぇ。広く開け放たれた大窓の外には、少しばかり乾いた秋の空気が、つるんとした高い高い空の下をさやさやと散歩中。常緑の芝生や茂みのところどころに、赤や黄色にとりどりの、美しい彩りに梢を染めた木立ちが絵画のような構図でそろえられた、それは端正な庭の美しさに目をやりながら。やっと収拾を見た騒乱に安堵の吐息をつきつつ、


  “早いとこ完全な“二人っきり”に なりたいもんなんだけれどね。”


 ちょこっとばかり、憂慮の籠もったお顔になって。光の公主さんのパートナーであるらしき、金のカナリアさんのお顔をそぉっと盗み見た桜庭くんでございます。



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 *きっと絶対に前回と今回の段落の“区切り”を間違ってますけれど、
  だって進さんを復活させるところまで、一気に読みたいじゃないですか。
  っていうか、すっきりそこまでご披露したくてvv
  それでこんなややこしい運びとなってしまいましたです、悪しからず。