月の子供 F  〜なんちゃってファンタジー“鳥籠の少年”続編
 



          



 相変わらずの唐紙破りにして、天上天下唯我独尊。傍若無人にして天衣無縫で、我思うところに我有り。…あ、最後のは違うか。
こらこら スリムな背中に こごった血のような真っ赤なマントを背負った他は、全身黒づくめで覆っている金髪魔導師さんが、その美麗なお姿にまとわりつかせた雰囲気そのまま、悪魔のような強かさと自信に満ちた不敵な笑みを浮かべて、それはそれはとんでもないことを提言した。

  ――― 待ってるのは苦手だ。攻撃こそ最大の防御なりって言うだろが。

 どうやら向こうさんは、この…今はまだ何も思い出せないままでいる、いかにも頼りなげな少年を標的にしており、どうかすると王国自慢の大軍勢を仕立ててでも襲いかからんという構えでいるらしい。今のところは少しばかり見当違いな土地をまさぐっている最中だが、彼の気配を封じようという防御目的で少年にかけられていた"結界咒"が時効を迎えて切れてしまったとあっては。魔物の端くれであるらしき敵にも、この小さな寒村という彼の居場所がすぐさま感知される恐れは大きくて。だとして、相手が いつ来るか いつ来るかと、怯えながらそわそわ待つのは面倒だ。それよか いっそ、こっちから乗り込んでって一気呵成に畳み掛け、四の五の言わさず きりきりと決着つけようじゃねぇかと。こっちの手勢の少なさも顧みず、何とも無謀なことを言い出した蛭魔さんであり。

  『妖一〜〜〜。』

 相手は一国の軍隊なんだよ? そこいらの地回りの喧嘩や諍いとは規模が違うんだよと、お連れさんの白魔導師さんが相手の細い肩に すがるようにして何とか執り成そうとしたものの。鋭く切れ上がった目許をギラリと光らせた悪魔さんは一向に動じない。

  『いくらでっかい軍勢だって言ったってな、
   今回のそもそもの騒ぎの核になってるのはたった一人なんだぜ?』

 確かに、王国が誇るご大層な規模の軍勢を仕立てて捜索に当たっている相手ではあるけれど、その内容はといえば…相容れられない宗教同士の齟齬から発した衝突でもなく、イデオロギーの啓蒙から巻き起こった下層階級市民の激発暴動、はたまた国家単位での利潤や領土を巡ってのいがみ合いでもない。中にはどさくさに紛れての火事場泥棒のような真似をしている輩もいるらしいが、少なくとも…先年まで繰り広げられていた王位継承権を巡る内乱のように、軍隊や兵士たちの思考の内にも何かしらの意識的な支柱がしっかり立っていて…というような状況ではないに違いない。ただ、皇太后の命令だからと、軍を率いて行って捜し物をしているだけだ。ならば、

  『その命令が、出した本人の手で取り下げられたらどうだ?』

 触れ書きにも"罪人を探している"とまでのお達しは書かれちゃあいない。王様や皇太后様が引っ立てて来いなんて言ってるからには罪人…かも知れないけれど、そうだと決めつける根拠はどこにもない曖昧さだから、

  『収拾が早けりゃ早いほど
   "何だ、偉いさんの気まぐれな我儘かよ"で済むんだよ。』

 蛭魔は勝ち誇ったようにそうと言い放った。相手が来るのを待って、びくびくしてたってしようがないだろうが。逃げたところで追っ手は来るぜ? だったらいっそ、こっちから間近まで行ってやって、首根っこ押さえて一体何が目的なのか、訊いてやった方が早いってもんだろうが。強かなまでに自信満々、昂然と言い放つ彼を前にして、効果的な反駁をもって言い諭せる者は…不思議とその場にはいなかったのであった。





            ◇



 つんと澄んだ空気の中、間近い冬を前にした晩秋の風景はどこか物寂しくて。随分と高くまで澄み渡った奥行きの深い青い青い空の下、金色に波打つ草の海が広がっていた牧草地も今はすっかりと裸になっているし、収穫の済んだ農地や葉の落ちた並木の侘しい佇まいが、時折吹きつける風の中に尚の人恋しさを感じさせて止まない。

  "………。"

 瀬那にしてみれば。小さい頃から慣れ親しんで来た風景だと思っていた。この地で育った自分なのだと、何の違和感もないままに、空気に、水に、馴染んだそのまま過ごして来たのに。

  "でも、それって…暗示だったの?"

 ここへと逃れて来てからの"数年分"の蓄積はあるそうだけれど、自分がそうだと思って疑わなかったほどの、ずっとずっと小さかった頃から居た訳ではないと。朧げな記憶の中、お誕生日に毎年ケーキを焼いてくれたお姉さんの笑顔も、小さいながらも労働力としてご近所の畑仕事のお手伝いをして"もうそんなことが出来るようになったんだね"と褒めてもらったことも、どこからがホントな記憶なのだか。

  "そんなことが出来るんだ。"

 摩訶不思議な咒術。この大陸には魔法の力が太古から消えずに残っており、それを自在に操ることが出来る人たちがいるということも話に聞いてはいたけれど。それより何より、先の"神隠し"騒動では、そういう不思議な魔力を帯びた存在に攫われた自分であり、そして"魔導師"さんに助けてもらったのだけれど、それでもね。そんなの特別なことだと思っていた。確かに自分は物凄い体験をしたけれど、それも片付いて。もう二度とあんな希有な事象に縁は出来なかろうと、人生の中での一番のトピックス扱いをしたまま、普通の日常へと戻って来たものだと思っていたのに。

  "…何も知らなかっただけ、なの?"

 実はこの自分も、そんな不可思議なことに関わりの深い人間だったと。そして今、この大陸の向こうで蠢いている大きな騒動の核を構成する、主要人物の一人だったと聞かされた。

  "………。"

 混乱と不安とが冷ややかな重しとなって胸を圧迫しているような気がする。ほんの今朝までは、この小さな胸に別の不安を抱いていたのだけれど。そして、その不安も完全に消え失せた訳ではなくて。形と重さと温度を変えて、更なる閊
つかえになったような気がして。

  "……………。"

 溜息さえつけないほどに、ただただ呆然と…そして悄然と。小さな庭の縁を巡る柵杭に凭れてぼんやりと、黄昏が始まる西の空の方へとお顔を向けて佇む少年である。あまりに小さなその姿を視野の中に収めつつ、

  "………。"

 小さなお家の門口、こちらさんは…胸元に高々と腕を組んだどこか太々しいまでの泰然とした態度にて、古びた板壁に凭れている人影がある。夕食はボクが腕を振るうから、妖一はセナくんを見ててやって…と相棒さんに家から追い出された金髪の魔導師さんであり、茜の色を帯びて来た物寂しい風景の中に、そのまま溶け入りそうなくらい頼りない小さな背中を見やりつつ、

  "…う〜ん。"

 一応は彼なりの反省もしている。まったく何も知らなかった相手にいきなりの、それも…その意志や価値観の源である"記憶"に虚飾というか偽装があっただなんて衝撃的なことを断じた自分であり。ああまでしょげている姿を見て、ちょいと種明かしをし過ぎたかなと思いつつも…。

  "それを癒してやるのは、俺の役目じゃあないからな。"

 ざっくり見切った上で、その思考の半分くらいは既に先へと進んでいるところが、何とも彼らしいところ。とことん非情な訳ではないのだけれど、場合が場合だという割り切りも早い、相変わらずの合理主義者。そんな彼が依然として引っ掛かっているのが、

  "相手の狙いの何たるかってのが、な。"

 どうも何だか漠然とし過ぎていて、喉奥に引っ掛かって飲み下せないまま落ち着けない。見るからにまだまだ幼く、いかにも か弱そうで頼りないセナが、王国の軍勢というたいそう大掛かりな構えを取られてまでして狙われている理由は、彼が"光の公主"になるべき存在だから。そんな聖なる身である彼は、闇を好む魔界の者には忌まわしき存在であるがため、まだ覚醒していない内に抹殺しておこうという動きがかつて胎動しかかったものの、すんでのところで察知され、その時は何とか危うく難を逃れることが出来た。取り逃がしてしまった相手にしてみれば、その悔しさも重なっての憤懣からだろう、自分の存在や暗躍を見抜いた巫女の王妃を取り込んでのリベンジにかかっており、

  "それにしちゃあ、ひとからげで抹殺出来ねぇでいるってトコが、
   こっちにすれば唯一の取っ掛かりなんだよな。"

 どんな魔力を持っている相手なのかは まだ判然としないものの、人心への影響を及ぼす能力ではなかなか侮れない力を発揮出来る奴ではあるらしく。そんな手合いが、だが、一気に…どんぶり勘定でだって良いからという大雑把な手出しまでは出来ないでいるのは何故だろうか。確実に抹消したいから、か? 屍をその目で確認しなければ納得が行かないのか? 気配が消えたことを"亡くなった"と解釈せずに尚の捜索隊を放った辺り、そういうことなのだろうけれど。相手にそうまでの慎重策を取らせるほどの、一体どんな力があの子にはあるのか、そしてどうして今の段階でさえ迂闊には触れられないのか。せっかくの優位ポイントだろうに、その秘密が自分たちにも分からないというのは何とも歯痒いし、これでは対抗策の取りようがない。

  "それこそ此処でこだわって考えてみても、見えては来ないことなのか。"

 何せこちらにはヒントも少ない。手持ちのデータといえば、色々と聞き回って集めた、限りなく公正で正確な情勢からの予測と、あの水晶珠に封じられてあった まもりの遺した助言だけ。そこにあった具体的なフレーズは、月の子供と 金の何とか…。

  "…う"〜。"

 これはやはり、動き出しつつ相手の出方や反応から手掛かりを拾った方が早いのかもなと、思考がふりだしに戻った魔導師様。ふと、顔を上げると、依然として小さな肩を落としたままな少年に気づいて、

  "………。"

 やれやれとその薄い肩をすくめて、背中を壁から浮かせた。そろそろ陽も落ちる。風も冷たくなって来たし、キッチンの煙突からは…桜庭が十八番にしているチキンとキノコのクリームシチューの煮込まれる香りと蜂蜜パンの芳ばしい匂いが立ち始めている。風邪を引く前に家の中へ入ろうと促しに、小さな陰の傍らへと向かった蛭魔だったが、


  ――― 銀の籠にはカナリアを、金の籠には月の子供を。
       星降る夜に泉にかざせば、森でフクロウが ほうと鳴く。

  "……………この唄は。"


 そういえば。前回の例の騒動の最中、迷いの亜空間に封じ込められたセナが寂しさを紛らわすために歌っていたのがこの唄で。あの時と同じ細い声で紡がれた歌詞に、気になるフレーズが載っていることに気づいた蛭魔は…きゅうと口許を引き絞り、細い顎へとやわく握った拳を寄せて、何やら考え込む気配。
「? 蛭魔さん?」
 近づきはしたが、声もかけずに呆然としていたものだから。セナの側から先に気がついて…不審そうな声をかけられてしまったほどであり、
「…その唄。」
 真摯な表情で訊く彼へ、
「え? あ、えと、この子守歌ですか?」
 セナは薄く笑って見せた。これはこの寒村のものではないらしく、気がついたら…随分と前から歌っていたのだという。では王城に伝わるものだろうか? だが、訊かれたセナはふりふりと ゆるくかぶりを振って見せる。
「どうでしょう。ボクは いまだに何も思い出せないままですし。」
 結界こそ解けたものの、まもりがかけた暗示で依然として記憶が封じられたままなセナであるらしく、本当は十かそこらまで王宮にいた筈なのに、そんな事実自体が信じられないくらい、何も思い出せない彼であり。
「………そうだったっけな。」
 二段構えの封印。恐らく、彼が"光の公主"として目覚めるのに必要な何かしらの鍵があって、だが、それをむやみに思い出させないために、堅く堅く封をされているものと思われる。覚醒する前に相手の手中に先に落ちたり破壊されでもしたら剣呑だと用心しての事なのだろうか。
「でも、この唄は何だか好きで…。」
 寂しい時などに ついつい口ずさんでしまうほど。きっと、まもりが歌ってやったのを覚えているのだろう。
"金の籠………か。"
 月の子供と対になっている金の何とか。それのことなのだろうか。う〜んんと考え込む蛭魔に、
「すみません。」
 セナが小さな声で、謝った。
「???」
 何がだ? と。顔を上げた魔導師さんへ、
「ボクが至らないから、蛭魔さんや桜庭さんにまでご面倒をおかけして。」
 申し訳なさそうに小さく笑って、でも。今にも泣き出しそうな頼りないお顔にしか見えなかったものだから。そして、
「………。」
 力なくうつむいてしまった彼だったから。

  「…こら。」

 蛭魔はその小さな顎の下へと、白い手を差し入れた。そしてそのまま、やや乱暴にも顔を上げさせる。
「やたら俯くとな、声だって出て来なくなるし、誰の顔だって怖くなって来るんだぞ?」
「あ、えと…。/////////
 驚いたように顔を上げたセナは、ぽうと頬を染め、それから。

  「…すみません。」

 非ではないのに やはり謝ってしまうセナであり。内気で大人しいのは暗示に関係のない元からの気性であるらしく、母親であられた側室様はよほどのこと、驕り高ぶった人にはなるなと小さい頃から彼をきっちりと躾けていたらしいことを偲ばせる。それと、

  "………そんなにも好きだった、か。"

 セナの気落ちの原因は、突然降って沸いたよに明らかになった"自分の身の上"への不安ではないと見ている蛭魔だ。こういう機微には関心が薄いせいでそんなに聡い方ではないけれど、例えば先程、顎を捉えられて一瞬頬を染めたセナだったのは、何かを…あの武骨男がらみの何かしらをついつい思い出したからだろう。こんな自分にもありありと察することが出来るくらいに、別なことへと動揺し、不安を感じている彼だと判る。今日判ったばかりの…自分を取り巻く様々な真実とやらの中に、何とも意外な人が既に存在していたという事実。奇遇でもなく巡り会い、彼の好意からでもなく義務として傍らに居たのだろうかということへの不安。しかも当の本人が弁明も釈明も何も語らないものだから、尚のこと。そうであったのかという想いがつのって苦しいセナであるらしく。

  "…相手がまた、あの鈍感不器用寡黙野郎じゃあな。"

 多少は。セナの態度に違和感や何や、感じているものもあるのだろうが。もしかしたら彼が抱いた不安や齟齬まで、あの朴念仁には珍しくも理解しているのかもしれないが。(だからこそ、蛭魔の無鉄砲な発言へ言い返せるまでの気勢が上がらなかった彼であるらしく。)ではどうやって執り成すかという術を、恐らくは知らないだろう野暮天で。そうなると、こちらもまた随分と臆病な子だから…自分からは何も言い出せまいにと、何となく時間が掛かりそうな誤解の暗雲の下に小さな肩を震わせざるを得ないだろうセナの身を、何とも気の毒にと案じてしまう蛭魔であって。

  "けど…。"

 こればっかりは。本人たちで歩み寄り、語り合って判り合った上で、修復なり確認なりをすべきこと。周囲の方が聡くて気が利いている現状だとはいえど、余計な口を挟んでみても結局はその場しのぎ以上の事は出来ないのがオチだ。不器用同士の想いのすれ違いという、何とも厄介な難関の気配に、

  "サーベルドラゴン相手の半日がかりの戦闘の方が、まだ楽ってなもんだよな。"

 こっそりと肩をすくめた魔導師さんだったりするのである。










            ◇



  「そうだね、こればっかりはね。
   セナくんにしたって、誰に諭されようと不安は拭えないだろうしね。」

 蛭魔が感じたセナの気落ちの原因、桜庭には尚のこと、よくよく判っていたらしく。せっかくの温かメニューが端から凍りつきかねないほどに、いやに空気が重くて静かだった夕食の後、自分たちはこっちで休むからと…庭先に結界を張って蔓草を召喚し、簡易のコテージを編み上げて。そこへと大きめのベッドを持ち込んでやっと落ち着いた魔導師さんたち二人であり、
「妖一って優しいよね。」
 うつ伏せになって腕を敷いたその上に顔を載せ、桜庭が愉しげにくすくすと笑うのへ、すぐ隣りから"ああ"?"と ともすれば威嚇的に目許を眇めると、
「セナくんの封じられてる記憶。そっちに手をつけないのは、彼をこれ以上、苛めたくはないからなんでしょう?」
 そんな顔したって誤魔化されないんだからと、にんまり笑い返された。
「あほ。余計な魔法を使うと…、」
 蛭魔が言い返しかけた語尾を引ったくり、
「確かに、王城にいる相手に察知されかねない。でもさ。」
 桜庭の眸はあくまでもやわらかであり、

  「セナくんの記憶を強引に覚醒させたら、
   彼がどんなに苦しい逃亡に身をおいてたか、お母様とどんな別れ方をしたのか。
   そんな辛いことまであらためて思い出させてしまうものね。」

 だから、そっちは自然とほどけるのに任せれば良いと、最初
はなから無いものと無視して。手駒も鍵もほとんど無いってのに"相手陣営に乗り込もう"だなんて強引な策を言い立てたんでしょ? にっこり微笑って"ボクにはお見通しなんだからねvv"なんて顔をしている相棒さんへ、

  「………。」

 ふんと。息をついたままに寝返りを打ってそっぽを向く彼の、判りやすい照れ方・拗ね方が、何とも擽ったくて。でもね、

  「…ねぇ、妖一。」

 ふいっと向こうを向いてしまった…毛布に包まれてる細い肩へと声をかける桜庭で。どこか改まった声音であって、
「…なんだ?」
 返って来た声が素っ気ないのは、さっきまでの話題の名残り?

  「あのさ、なんか…妖一、ずっと怒ってないか?」

 今回の騒ぎに触れ始めた辺りから…何となく。まもり姫の話をしてからのこっち。情勢へこそ積極的に打って出ようと軽快なフットワークで構えてくれつつも、その勢いに乗じてというか誤魔化して…自分とは向かい合ってくれない彼なような。実はずっと そんな気がしていた桜庭であったらしく、

  「もしかして、妬いてくれてるの?」
  「馬鹿言ってんじゃねぇよっ。」

 こんな短い訊きようで、誰へとも何とも言ってないのに…即座に噛みつくような返事が寄越されるのって、やっぱ訝
おかしくない?

  「じゃあ何故、こっち向いてくれないのさ。」
  「………。」

 優しいねなんて からかったから? たったそれだけのことなんだったら、もうこっち向いたって良いんじゃないの? 素直じゃないのは相変わらずだねと、小さく苦笑し、

  「あのね、ボクはあの時に もうほとほと懲りてたんだ。ホントは。」

 桜庭は静かな声で語り始めた。愚かな人間。自尊心とか独占欲とか、ちっぽけなものに振り回されたその結果、せっかくの暖かな思いを他でもない自分の手で、欲や疑心から黒く塗り潰して台なしにする。しかも、言葉という形で歴史や思いはちゃんと引き継げている筈なのに、同じ愚行を性懲りもなく繰り返す。人間とは違い、象徴という…ある意味"純粋な存在"である自分には、そんな愚行を見るのが接するのがもうもう辛いばかりだったので。姫と過ごした短い間の、それは満たされていた思い出だけ抱いて、封印されたままでいようと思っていたのにね。

  「妖一は覚えてないかもしれないけどね。
   封印されてたボクのこと、解放したのは他でもない君なんだよ?」

  「…え?」

 それはそれは高名な、歴史にだってその名を残しているほどに徳の高い導師様がしっかりと封印した筈なのにね。ついつい手の届くところに降ろしておいたら、お菓子の壷と間違えて、お札で封印されてた蓋をあっさり開けちゃってさ。あれれぇ? 空っぽだ…なんて言って、詰まんないって さっさとどっか行っちゃって。これにはお師様だけじゃあない、ボクだってビックリしたもんさ、なんて。苦笑混じりに他人事のように言う桜庭へ、

  「…じゃあ、そのお返しなのか?」

 進がセナの傍らにいたような…とセナが思い込んでいるところの。そのせいで齟齬を起こして彼らがぎくしゃくしている"理由"と同んなじなのか? 純粋な"好意"からではなく、解放してもらったからという"恩返し"のつもりなのだろうかと。だったらもっと居心地が悪いと言いたげに、そっぽを向いたままの彼の肩をきゅうと抱き、

  「拗ねちゃってる。可愛いなぁvv」
  「なっ! ////////

 かぁっと顔に血が上り、馬鹿なことを言うなと反駁しかかった蛭魔だったが、肩越しに振り返って、睨もうとしかけた相手の…深色をした瞳に射竦められた。見慣れた優しい面差しの中、周囲に垂れ込め始めた宵闇にも紛れない真摯な色が、こちらを真っ直ぐ見つめ返して来ていて、

  「あのね、ボクは師匠から人間としての器をもらった時に、
   覚えてる過去は全部すっかり忘れなさいって言われたんだよね。」

 術を使ってって意味だったのか、そこまでの言及はされなかったから、何でもかんでも言うがままになるのも癪だったんで、生返事だけして何もしなかったんだけど。覚えていたら結局は自分が辛いだけだからって。そう思いやって下さったんだなって後になって気がついた。ただ野に遊んで覚えたことや体験したこととは違って、人と関わって得た記憶、思い出っていうのはね、そう簡単には消えないんだ。相手があってのものだし、しかもその相手は後にも先にもこの世に一人っていう存在だからだろうね。しかも、過去ってのは通り過ぎてしまうともう どうすることも出来ないことだ。だってのにさ、普通の人間の比ではないほどの追憶に呑まれて、結局…傷つくのはボクだから。ああこういう意味だったのかって気がついて、そいで…術をかけて封じてしまおうか、それともどこかに捨てちゃおうか、どうしようかって考えあぐねてたところへ、まだ小さかった妖一が何かというと懐いて来てくれてさ。

  「向こうの丘に咲いてる花は何て名前なのか教えろとか、
   サクラバはどこで寝てるんだ?
   まだ寒いのに一人で寂しくないのか? 一緒に寝るか? とかさvv」

 一丁前に世話を焼いてくれて、そりゃあ可愛かったんだよ? クスクスと笑う亜麻色の髪の魔導師さんの言いようへ、

  「…そんなこと、いちいち覚えてねぇよ。////////

 依然として背中を向けたまま、戸惑い半分な言いようをする可愛らしい人。そんな彼の態度へと、声を立てずに苦笑をした桜庭は、

  「妖一の傍でなら、一緒に過ごしてみても良いかなって思ってね。
   だったら色々な知識や知恵は必要だろうから、記憶は捨てなかったの。
   辛いことも悲しかったことも、全部、
   今の自分を作る材料になってくれた大切なものばかりだしね。」

 良い人間になれたかと訊かれるとあんまり自信は無いけどサ。この世に一人しかいない存在にはなれたと思うし、やっぱりこの世に一人しかいない妖一と一緒にいられるんなら、こんな幸せは無いんだしね。自分の言いようへ、満足そうにうんうんと頷いてから、

  「ねえ、色々と隠してたことを怒っているのなら謝る。
   ただサ、ボクが妖一の傍にいるのは、
   自分がそうしたいって思ってるからなんだよ?」

 他に思うところがあってのことじゃあない。ただただ こうしていたいからだ。

  「焼き餅を焼いてくれたのが嬉しいくらいにね。」
  「ば…っ! /////////

 その肩をひくりと大きく撥ねさせてから。宵闇の中でもそれと判るほど、白いうなじや耳朶を真っ赤に染めてしまった愛しい人の、細い背中を抱いたまま、

  「きっとあの白い騎士さんも同じ気持ちなんだろうにね。」

 ぽつりと付け足された一言へ、

  「………まあな。」

 日頃だったらこういうことには疎いのに。何がどうと訊かなくとも、桜庭が言いたいことは蛭魔にもしみじみと伝わって。暖かくて大好きな温みに背中からすっぽりと抱き込まれたまま、歯痒いばかりな誰かさんたちの気持ちの齟齬へと、案じるような吐息をついた魔導師さんであったりした。





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 *まだまだ先は長そうです。
  たった4人で何をしでかそうというのか。
  そして筆者が今の段階にて一番恐れているのは、
  こんなに長い前置きだったのに、
  いざ行動に移ったら、案外あっさりと方がついたりしたら、
  やっぱ、怒られるんだろうなぁということだったりします。
こらこら