風色疾風スキャンダル B
 



          




 進が言うには、下校時間前という早い時間にも、蛭魔からのメールが既に届いていたのだということで。それに従ってこちらに着いてから、細かい場所を教える通知が重ねて届いたという。
「…そう、ですか。」
 王城から此処へ来ようと思ったら、成程そのくらいの時間は必要で。そんな前から。自分が蛭魔に食い下がること、予測していた彼だったということか。消え入りそうな声でそうと応じてから。
"蛭魔さんには、全部…お見通しだったんだ。"
 無言なまま、とぼとぼと前を歩く瀬那の小さな背中に、
「………。」
 何故だか…どう接すれば良いのかが判らなくて。進は声さえ掛けられず、不慣れな住宅街の小道、小さな背中にただただ従って歩いている。奇しくも数刻前の蛭魔とセナのように…。

  【 糞チビを、迎えに来い。】

 指定されたマンションの、やはり指定された階の廊下。まるで親からお仕置きにと外へ放り出された幼子のように、途方に暮れたような顔をしていたセナであり、そこへと現れた進に…進本人へではなくその段取りに、今にも泣き出しそうなほど、顔を歪めた彼だった。
"………。"
 小さな体つきに愛らしい容姿。まだ変声期前なのかと思わせるほど、幼
いとけない舌っ足らずな声。屈託のない笑顔は甘く柔らかで、よく気がついて繊細で。だのに、意外と我慢強い。ずっと"いじめられっ子"だったという、いたって気の弱い彼だが、それでも芯は強くって。ホントの友達はいなかった寂しさとか孤独だとか、長々と噛みしめて来たことで、奥行きの深い優しさや思いやりを身につけた、その一方で。一途で懸命、粘り強くてなかなか諦めない頑迷なところも、実は持っていて。自信さえつけば顔を上げて胸を張れる、何度倒されても起き上がれる、そんな頑張り屋さんだったと、本人でさえ気づかなかった彼のその資質を、
"蛭魔が掘り起こしてやったんだったな。"
 それが全てではなかろうが、間違いなく、それが"始まり"ではある。何者からももう逃げないと、そうと決めた切っ掛けをくれた人だと、セナはいつも蛭魔のことを嬉しそうに そうと語る。………だが、だからと言って、何がなんでも彼のためにと盲従したいセナではなかろう。今回なぞ、どちらかというと…むしろ喰ってかかったようなもの。

  "………。"

 進には生憎と、偉そうに説教や助言などというものが出来るほどの蓄積はないけれど、人と人との関わり方には色々あるというのは何となく判る。物の道理や事の善悪がきっちり判っていても、ただ一人の愛する対象が独善的な道を選んだならば…世界中を敵に回しても良いと、愛と忠誠を貫く、激しくも一途な想い方もあるし。逆に、さばけた友人という"車間距離"を常に保って接する関係の方が、互いへの責任も持たないでいられるから気楽で良いと、良く言って"個人主義"を楽しむような、社交的な恋愛しかしない人もいる。その人を好きだという自分の想いを満たすことを優先するか、相手が幸せであれば良いと自分の幸いは二の次にするか。そのバランスの組み合わせを微妙に差し替えるだけで、幾通りものドラマが書けるほどだという。何とも微妙で難しい代物であり、まして、今、セナを打ちのめした"それ"は、言葉は悪いが"他人様の思惑"という手合い。突き詰めれば"当人同士の問題"なのに、この小さな少年はどうしても、それが瓦解した…のかも知れないという現状へ、納得がいかないでいる模様。
「………。」
 ふと。立ち止まったセナが、そぉっとこちらへと振り返った。顔はうつむけたままであり、

  「こんな簡単に、どうでもよくなっちゃうんでしょうか。」

 泣き出しかねない様子な彼に、この一件に関しては"我関せず"で通していた進も…困ったような眸をして見せて。
「…済まない。」
 静かな声で短く謝る。
「桜庭に持ち上がった話。小早川には何も聞かせないでいた。」
「それは…。」
 微かに上がりかかった少年の頭が、そのままでゆっくりとかぶりを振って見せ、
「それは良いんです。」
 ただでさえ口が重い彼なのだし、他人の、しかも憶測まみれの話を吹聴したくはないと、そう思っていた進なのだろう。それはセナにも重々と判っていること。
「ボクが勝手に口出ししただけで…。」
 言いかけて、何だか胸が苦しくなった。
「お二人の問題ですものね。部外者のボクなんかが、何か言う資格なんてない筈で…。」
 そう。ホントだったら静観すべきことだとセナにだって重々判る。ただ、
"だって、蛭魔さんが…。"
 あの蛭魔妖一にはどこか…人にあんまり関わるまい、自分にも関わらせまいとしているような節があると、それには随分と以前から気がついていたけれど。
"あんなにもやさしい、嬉しそうなお顔する蛭魔さん、初めて見たもの。"
 慣れがないのか、それとも癪なのか、素直でやさしい感情ほど判りにくい人なのはいつものこと。褒める時でさえ相手を蹴上げるような人なのに。それが…仄かに赤くなったり、誤魔化し切れなくてそっぽを向いたり。桜庭に関することへとなると、実に分かりやすく反応して見せるものだから。これはてっきり、彼の側からも打ち解けているのだと思っていたのに。そして、そんな彼らが"幸せそう"だと、我が事みたいに擽ったく思っていたというのに…。
「ボクのことはどうだって良いんです。」
「…っ!」
 言った途端に"どうだって良くはない"と、反射的に顔を上げてくれた、大切に思ってくれてる人がちゃんといる。だからね、蛭魔さんから今更鬱陶しがられようが嫌われようが…ちょこっとは堪
こたえるけれど、でも構わない。
「でも、蛭魔さんにとっての桜庭さんはボクとは違うって…。」
 どんなに乱暴にあしらわれても、蛭魔さんのこと、怖がったり嫌がったりしないでいた人。我儘なばかりな目茶苦茶な人物だ…なんていう、彼の"表向きの顔"に誤魔化されないでいたからだと思う。自分みたいにいつも傍らにいた訳じゃあないのに。ホントは優しい人なんだって、そいで…もしかしたら、ちょっぴり寂しがり屋な人かもって、ちゃんとそれに気がついた人。でも、

  "素っ気なくされ続けて、それでもうヤダって辟易しちゃったのかな。"

 素直じゃない蛭魔さんだから。いくら大らかな桜庭さんでも、とうとう我慢出来なくなったのかなぁ。あんまり近くに寄り過ぎると咬みつかれて疲れるばっかだとか、ただの友達って関係でも良いじゃないかとかって。そして、

  "そう思われたんならそれで良いやって…。"

 こちらもまた、あまり期待してなかったそのまま、早々と諦めてしまった蛭魔なのではなかろうか。彼があまり他人に気を許さず、自分へと踏み込んでくる相手へ…ともすれば攻撃的なのは、逆にどこかで相手を試しているようにも見えてしようがない。自分はこんなに我儘で意地悪で酷い奴なんだよ、と。それでも友達になろうっていうの?、と。後から幻滅されて離れられるのが辛いから、先に"これでもか"って嫌な子だってことを強調する。寂しがり屋な駄々っ子が見せる、一種の自己防衛。
"蛭魔さんは臆病な人ではないけれど…。"
 あまりに永く独りで居たから。このままで良いやって決めつけて、冷めちゃってるところがあるのは確かで。少しでも支障が生じたら、面倒がってかもう良いやって。簡単に見切って諦めちゃうようになっているのかも。とってもとっても強い人だから、それでも平気なのかも知れないけれど、でも。
"…もしかして。"
 二人、何かが噛み合ってないだけだったら? もうちょっとで"ホント"に届いたのに。もう一回だけ我慢してくれてたら、本音が見えたかもしれないのに。諦めちゃった桜庭さんであり、ほらやっぱりと肩をすくめちゃった蛭魔さんだったなら? そう思うと、何だか…何とかならないんだろうかって、居ても立っても居られなくなるセナなのだ。ホントはいい人で、優しくて。なのに…誤解されやすい蛭魔を、判ろうとしてくれた桜庭なのにと。双方の想いの向いていた先は判っていたのに、なのに…力尽きたような結果を迎えてしまったのが、歯痒くて歯痒くてしようがない。知っているだけで、何も出来ないなんて…。

  "…そうなんだ。"

 当事者の問題なのに、他人事なのに、何で黙っていられなかったのか。唯一、双方のことが判っている立場にいながら、何もフォロー出来ないでいるのが歯痒かったのだ。彼ら二人から いっぱい助けてもらったのに。いっぱい"優しい"をそそいでもらったのに。なのに自分には何も出来ないなんて、そんなのって………。

  「小早川…。」

 うつむいたままだったセナに、響きの良い声が…いたわるように静かに掛けられる。顔を上げると、表情の乏しい進さんには珍しく、どこか困ったような、覗き込むような眸をしていて。
"…あれ?"
 視界がふるふると震えて、目の縁が重くなる。歩み寄ってくれた進さんがちょっと歪んでいて。
「あ…。」
 ぽふん、て。大きなハンカチの代わり、広い広い頼もしい胸元にお顔を伏せさせてくれたから。何にも言わないまま、大きくて温かい手のひらがゆっくりと頭を撫でてくれたから。
"ふにゃ…。"
 ぽろぽろぽろ…って。目の縁からそれは勢いよくこぼれ落ちた温かいもの。鼻の奥が つん…って痛んで、意識しないままに手に提げていたスポーツバッグが足元へと落ちる。


  ――― どうして、進さんって。
       自分は全然泣いたりしないのに、
       今にも涙がこぼれそうな気配、こんなすぐに判るんだろう。


 凭れ掛かったそのまま しがみついて、頬を埋めて。
「やっぱりボクって、非力で…。」
 何にも出来ないのが悲しいし、口惜しい。自分はこんなにも恵まれているのさえ、何だか申し訳なくて。幸せなのが つきつきと切ないなんて、初めて感じたセナだった。











            ◇



   それからどのくらいか経って………。



「………っと。」
 まばらに小雨が降って来て、ノートパソコンを濡らさないようにと避難したのは、公園内の児童館周りのポーチの縁。ついつい気が散ったなと小さく舌打ち。
"…ちっ。"
 家でPCを開いていると、トピックスを告げるウィンドウが勝手に開いて、見たくもない話を教えてくれる。それへとついつい気を取られて、ちょっとばかり苛立って。そこで"予行演習"も兼ねて、気分転換に外へと出てみたのに。今は今で…やっぱりこれだ。

  『繚香ちゃん、ダメだよ。部屋にいないと。』

 小さな後輩くんがあれほど親身になって心配してくれたのへ、ほだされまい負けまいと。必死で組み伏せるべく、理性を総動員して組み上げた冷徹な言い分や方便の数々。それらを紡ぐ"根拠"にと据えたあれこれは、今回の一件にて…そのまま自分を冷静にさせるための"動機づけ"でもあった筈なのだが。
「………くそっ。」
 頭で幾ら分かっていても、理屈と現実とはやはり"別物"であるらしく。さすが、現実というものは、生々しくも力強いものなのだなと思い知る。誰かへと優しくする声や何や、直に聞いてしまうと…そこはやはり、胸に来るものも幾らかあって。修行が足りないなと痛烈に思った蛭魔である。
"………。"
 手入れの良い肌は若々しくて、頬もまだするんと弓形
ゆみなりを保っているせいで、男臭い、骨張った印象は薄く。笑顔の穏やかさから、優しいだとか朗らかだとか、ソフトな印象ばかりを誉めそやされている彼だが、青年らしいその面差しに、このところいやに男臭い、大人びた印象が差しているのを、どうして誰も気がつかないのだろうか。甘えたな話し方や懐き方をするのに紛れさせて、自分もまた…ついつい誤魔化されていたけれど、何かの拍子、真摯な横顔などに、男らしさというのだろうか、頼もしげな気骨の気配が仄かににじんでいる時がある。
"………。"
 そもそも、彼の優しさにはちゃんとした芯がある。辛いことや痛いこと、悲しみ、口惜しさ、ちゃんと自分の感覚で理解した上で、相手の気持ちを分かろう包み込もうとする、懐ろの深さを身につけ始めていると判る。我慢強いし、こっそりと負けず嫌いだし。甘ったれを装いつつも、ちゃんと骨太な男臭いところもあるのになと。そんなこんな思ってしまっては…気が散っている自分に気がつく悪循環。
"う〜〜〜。"
 立てた金髪をがりがりと掻きむしりつつ、ポーチの縁の短い階段に腰を下ろしたままでいると、

  「どうしたよ。」

 低く響いて印象的な。そんな声がして、ハッと顔を上げた蛭魔であり。
「お前こそ、何だよ。」
 ついのこととて突っ慳貪に訊き返せば、作業着姿の相手は ふふんと笑って、
「此処の補修に来ててな。まあ今日は下見だが。」
 この町内のことはそれでなくとも知り尽くしている男だから、何処に現れようとも今更訝
おかしくはないのかも。むしろ、
「お前がこんな時間にこんな妙なところにいるとはな。」
「うるせぇな。」
 黄昏が間近い児童公園の一角での雨宿り。確かに…この彼には不似合いな、何とも珍妙な場所には違いない。図星を差されたからか、それとも別な不機嫌を乗っけてか、咬みつくような言いようをする青年へ、
「ややこしいことになってるらしいじゃねぇか。」
「………。」
 からかうでなく聞きほじくるでなく。ただ事実をありのまま、ひょいと提示したというような言い方に、こちらもつい、突っ撥ね損ねて黙りこくったその後で、

  「判るか。」

 そんな風に聞き返している。
「まあな。そこいらのガキと一緒にしてもらっちゃあ困る。」
 中学生時代から既に、一番好きなアメフトという共通項を間に置いていた間柄。お前への解析力も付き合いの長さもなと言いたいのか、にやにやと笑った彼であり、
「あのチビさんも気を揉んでるみたいだしよ。」
 頼もしき体つきそのままな洞察の深さと包容力は相変わらずで、そこまで目を配っていたこと、らしいことだとすんなり呑んで。
「試合の方へ集中しろって言ってんだがな。」
 困ったもんだと溜息をつくと、傍らに腰掛けた彼は、
「話してやらんのか?」
 やはり。実にあっけなく訊くもんだから。
「………。」
 ぽそんと。自分の頭を目の前の相手の頼もしい肩口に凭れさせ、
「鳧
けりがつきゃあ自ずと知れる。」
「おいおい。ホントはかなり参ってんじゃねぇのか?」
 案外と体力ねぇな、お前と。小さく笑われて。
「…うるせぇよ。」
 言い返す声に、確かに力はなかった蛭魔だった。







  「なあ…。」
  「あん?」
  「頼みたいことがあるんだがな。」


 真摯な眸は、いつになく。素直に真っ直ぐ澄んでいて。相手の眸の底をまで、想いを込めて射貫くかのような、そんな気配を滲ませていた。





 


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 *ふふふふふ…。(笑)
  だって、ゲンさんて、ホント好みなんですよう。
  …って、最初のコメントがそれかい。
(笑)
  あああ、早いトコ夏休みに入ってくれないかな、本誌。
  いや、いっそ、秋の大会まで…行っちゃうと早すぎるのか。
  う〜〜〜ん。
  あ、お話はまだまだ続きます。
おいおい