聖蒼のルミナリエ 
孤高の天狼宮 D
 


          


 

 セナを抱えて入った、進にもすっかりと見慣れた彼の部屋は、まだ明かりを灯していなかったせいだろうか、何だかよそよそしく見えて。壁にあった照明と、それからついでに暖房のスイッチを入れつつ、窓辺のベッドへと足を運ぶ。よそよそしいと言えば、腕に抱えたセナのお顔もなんとなく。丁度トレーニングルームで思い出しかけていた…逢いに行くたび怯えさせてばかりいた頃を彷彿とさせる顔だった。少し俯いてしまって こちらをあまり見てはくれず、すぐにも後ずさりしたままに駆け去ることが出来るようにと身構えているかのような。どこかしらにひどい怯えを匂わせる、そんな表情。少しずつ時間をかけることで、やがてはすっかりと物慣れてくれて、彼の"お友達"という把握
カテゴリーの隅っこの末席に加えてくれて。それからそれから…もっと歩み寄ろうとする自分のたどたどしさに気づいてか、
『進さんのこと、好きだから…。』
 そぉっと、だが、一生懸命に受け止めてくれた愛しい人。今でも時折、自信を無くしては途方に暮れたような顔で立ち止まることがある彼だけれど、気づいた端から顔を上げさせ、大丈夫だと悪い方へと考え過ぎるなと諭して来た進でもあって。だが、

  「………小早川?」

 横になっていたのだろう、彼の部屋のベッドへと戻してやって。小さな枕に頭を戻した…そんな彼が。何故だかずっと、こちらを見ようとしないでいることに気がついた。目一杯に動揺しつつも、揺らぐ視線が、決して…傍らの小さな椅子へと腰を下ろした自分の方へは泳いで来ない。昨日のどこか不審だった彼といい、これはやっぱり様子が訝
おかしい。その"訝しい"が嵩じて…こんな事態になったというのだろうか?

  【糞チビが学校で倒れてな。
   随分と衰弱しているとかで、今、病院で点滴を打ってもらってる。】

 彼の先輩である青年が わざわざ電話で知らせてくれた急報に、取るものもとりあえずとやって来たものの、彼が付け足したフレーズの中、

  【お前にも責任がある。だから、伝えたんだ。順番を間違えてんじゃねぇっての。】

 これがどうにもよく判らない。セナの衰弱の原因が自分であるということか? だから、今もこちらを見てはくれない、どこか怯えている彼なのだろうか。
「………。」
 そおと。試しに手を伸ばしてその頬へと触れようとすると、
「…っ。」
 ぎゅうと目を瞑り、分かりやすいほどありありと、身を縮めて見せる。まるで何かしらの"痛み"を予測しての怯えた身構えにも見えて、
「………。」
 何よりこんな反応は初めてのこととて、進への衝撃も生半可なものではなく。伸ばしかかっていた手を中空で止め、おずおずと引き戻してしまったほどである。触れられるのさえイヤだという強い拒絶。これまでの彼が、際限なく優しくて何でも受け入れてくれた人であっただけに、この極端な変わりようは、そのまま進へと向かう冷たい刃の切っ先と同等なほどのものにもなったらしい。

  「……………。」

 幾刻かの沈黙があって、それから。ぽつりとした声が、静寂の中に落とされた。

 「俺が嫌いになったのか?」
 「…っ。」
 「重荷になったのか?」
 「………。」

 問われて、だが。セナは、表情や体が動かない自分に戸惑った。このまま…ただ頷けば、今だけは進さんのこと傷つけちゃうけど、でもね。そうすれば全部がパタパタって片付くんだって判ってる。自分だって進さんから離れてけるし、友達甲斐のない冷たい子だと恨まれても、そんなの一時的なことで…こんな詰まらない子のことなんて、彼はすぐに忘れてしまうだろうし。でもでも…そんな理屈を乗り越えそうなくらいに思い切り、違いますと叫びたい直情的な気持ちもあるものだから。その二つが絡まり合ってて、ぎゅううって喉を締めつけて声さえ出せない。
「………。」
 視線を伏せがちにし、黙りこくったままなセナの様子へ、
「そうだな。元はと言えば俺の方からしつこく付いて回ったのだしな。」
 進は静かに言葉を続けた。
「こんなに気の利かない大男が付きまとっては、鬱陶しいことだったろうに。小早川は優しい子だから…。」
 だからなかなか言い出せずにいたのだろうなと、微かに沈んだ声で続けた進である。そう。これまでが異様だったのだ。ただでさえ不器用で気が利かなくて、人付き合いも下手で。そんな自分とは正逆な…こんなにも繊細で敏感で、まるでガラス細工のような心をした少年には、何かと耐えられないことばかりが続いた付き合いであったことだろう。心配させたり怒らせたり、それより何より…泣かせてばかりいたものなと。彼と過ごしたまろやかな日々の中、ついつい有頂天になってさえいた自分を、あらためて省みる清十郎さんであったのだが、

  ……… そう。だが、である。

  「…っ、違いますっ!」

 それを勢いよく遮った声が上がった。弾かれたように顔を上げ、何とか頑張って身を起こそうとまでするセナであり、
「…小早川?」
 驚いて手を貸す進の顔を見上げて、何度も何度もかぶりを振って見せる。全ては自分が意気地なしだったから。それで招いたことだというのに、
「進さんが悪いとかどうとか、そういうの考えたことはありません。」
 そんな形で…彼に非があると責める形でこの人を傷つけるなんて もっての外だと。それだけは事実として認めたくはないからと、セナは敢然と否定する。
「ボクの方こそ、これまで随分思い上がってて、舞い上がってて。ボクなんかが傍
そばにいてはいけない凄い人なのに、進さんが優しいのへ甘えて…好き勝手ばかりして。」
 これまでずっと、見ないで来たこと。初めの内はね、さすがに時々立ちすくむこともあったけど。畏怖の念に固まってたりすると、その度に"どうしたんだ?"って"こっちへおいで"って、優しく手を伸べてくれた進さんだったから。最近では…ボクの停滞が進さんの足まで止めかねないかも知れないなんて、そんな偉そうなことまで思ってしまってた。

  「ボクは優しくなんかありません。」

 ホントに優しかったのは進さんの方。

  「…ボクは、ただの…弱虫な卑怯者だから。」

 ただの優柔不断ではないホントの優しさは、何物にも怯まない強い自信の上にこそ成り立つんだってこと。懐ろ深く受け入れたことへの責任が取れて初めて、それを"優しい"と言うのだということ。それを直に教えてくれたのが進さんなんだもの。そんな人を………。こんな自分が傷つけるなんて、
「今だって。痛い思いをする前にって、逃げることばかり考えてて。進さんから嫌われたり、今までのように甘やかされることがなくなったなら、きっと辛くて辛くて堪らないだろうからって。そんなことを思って…自分の事ばかり考えてて。」
 こんな身勝手な自分が傷つけるなんて、そんな間違い、そんなデタラメ、絶対にあってはならない、とんでもないことだから。

  「進さんのこと、大好きです。でも…。」

 胸の奥がきゅうって痛い。喉の奥が堅くこわばって苦しい、でも。誤魔化さないで言わなくちゃ。ただ黙っているだけでは、いつまでもいつまでも進さんを苦しめてしまう。自分へと非を集めて動じない、それは優しい人だから。
「今、進さんからとっても優しくされてるの、他の人に見たくなくって…。」
 ああ、でも。どう言えば良いのかな。一番大切にされていたものが、他の人へと同じ"ただのお友達"への気遣いへ変えられてしまうのが辛いってこと? 幸せそうな恋人さんたちを、恐らくは…微笑って見守ってなんかいられないから、今のうちからお別れしたいってこと? 今はまだ影も無いことへ、何でこんなに必死になっているのだろうかと、進さんには分かってもらえないことかもしれない。そんなにも臆病で、そんなにも痛い想いをするのが嫌な、とっても我儘な自分。
「ボクの"好き"は進さんがそそいでくれてる"好き"とは違うみたいで。いずれはご迷惑になっちゃうかも知れなくて…。」
「小早川?」
「だから…。」
 一番、言いたくはなかったことだけど。一番、意識したくはなかったことだけど。でもここをちゃんと言わなきゃ到底分かってはもらえないから。


「ボクも進さんも同んなじ"男"で。いつかは、一番好きな人っていう"女性"が現れるでしょう? そうなったら…きっととっても辛いから。悲しくなってしまうから。ボクみたいな弱虫は、きっと我慢さえ出来ないだろうから、だから…。」


 そんなことに。男同士だってことになんて、これまで少しもこだわってなんかなかったのにね。進さんっていう人が大好きだっただけなのに。一緒にいると温かくて幸せで、時々ほこりと笑ってくれると切なくて。このままぬくぬくと 甘い幸せにひたっていたかったのにね。とうとう口にしてしまった冷たい"現実"に、言ったセナの口が胸が凍りそうになる。このまま息が詰まりそう。………だというのに、

  「…言っている意味がよく判らないのだが。」

 進さんは怪訝そうに首を傾げて見せて、
「どうして…女の人が現れることになっているんだ?」
「だから…っ!」
 どうして判ってくれないのか。今日ばかりはそんな彼であるのが恨めしい。これ以上言葉を重ねて詳細を語るのは、自分をもっとさんざんに貶めて"みじめ"にするばかりなようで。
"どうして…。"
 それだけ愚かな自分なのには違いないが。身勝手であり非であるからこその痛みかもしれないが、それでも。どうしてこんなに…胸を切り裂かれるような想いをしなければならないのだろうかと、
「…小早川?」
 瞼が重いし、頬が熱い。いつの間にかあふれていた涙が止まらなくて、声が喉奥で堰き止められてしまう。せめて しゃくり上げないように。うぐうぐと言葉を詰まらせていると、
「…確かに。」
 不意に。ややもすると途方に暮れかかっていた進さんが、それは冴えた真顔になって。



  「世間が言うところの"交際"では、異性同士でなければいけないらしいが。」

   ――― え?






   今、何て言ったの?






  「……………。」


 目許や頬を痛々しいほど真っ赤に染めた小さな少年。その大きな瞳を驚いたように…虚を突かれたように、尚も大きく見開いたのへ、

  「俺が好きになった人は、俺と知り合う前から男だったのだ。
   こればかりはな、世間とか何だとかに責められても譲れない。」

 すいっと。伸ばされた大きな右手。やわく髪に触れ、そこからすべって…頬へと達し。大きな手のひらにふかふかの頬を包み込んで、親指の腹が目許の涙をぐいと拭った。

  「その人は。
   辛いとか痛いとか、寂しいとかいう気持ちを、
   その身に染ませてよくよく知っている人で。
   小さい体には見合わないほど、懐ろが深くて、際限なくやさしくてな。」

 ほろほろと。新しい涙がこぼれ落ちるのを、左の手も伸ばして来て受け止めてくれながら。進は淡々と言葉を続けた。

  「だから。
   誰かを辛いと思わせることや、誰かの負担になるのが一番嫌いで。」

 真っ直ぐに見つめられて。ゆるゆると首を横に振って見せるセナだったが、

  「違わない。」

 進の男らしい口許が、息をつくように…何かしら品のいい甘いものを舐めたように"ふっ"と小さく笑みを含んだ。それから。椅子からベッドの端へ。進は彼の より間近へと腰掛け直し、そのまま…小さな背中へまで腕をすべらせて、愛しい人の身を白い制服をまとったその胸元へとやわらかく引き寄せてくるみ込む。
「随分と買いかぶられているらしいが、実のところ、俺は業が深い。許しさえあればもっともっと触れたい。」
 まだ少しこわばっている細い背中が、切ないまでに愛惜しい。もっともっと、この少年に近づきたい。柔らかな肌の隅から隅までを目の当たりにしてみたいと思うこともあるし、一晩中抱きしめていたいと思ったことも数え切れない。この、薄くて頼りない胸板の内側で一体どんな想いを巡らせているのか、あらゆることを彼自身と同じくらいに把握したいとさえ思う。


  「小早川のことをもっとよく知りたいし、全部を欲しいと思ってもいる。
   ただ、そんなことを言い出せば、小早川に嫌われるだろうと思っていた。」


 丸ぁるいおでこへ自分の額をこつんとくっつけて、その濃色の眸がセナの瞳を深々と覗き込む。
「…進さん。」
 ああ、どうしてこの人は。あまり言葉を知らないと言いながら、何につけ拙くて大雑把な身だと言いながら、ああまで混沌としていたセナの胸の内をきれいに解きほぐし、こんなにも整然と…温かく説得してしまえるのだろうか。乱暴者だからと言いながら、今そうしてくれているように、セナの小さな心をも優しくくるんで温めてくれる人。涙を宿して重たげな睫毛に、そぉっと口唇で触れてから、


  「まだ現れてさえいない"女性"とやらへ、
   小早川が…もしかして嫉妬してくれているのなら。
   それを嬉しいことだと思う俺は、
   やはり随分と思い上がっているのだろうな。」

  「…っ。////////


 ああもう。こんなことを しれっと言う人の、どこが武骨な朴念仁なのだと。セナは思わず向かい合ってた広い胸元へと顔を伏せ、ドキドキと…今度は暖かく脈打ち出した胸の鼓動へ、甘く頬を染めた。そして。

  「………ボクは。」

 ひぃくっと。まだ少し、せぐり上げる余韻は消えてなかったけれど。伝えなきゃと、懸命にその懐ろから顔を上げて見せ、
「女の子になりたいとか、進さんにそんな風に扱ってほしいとか。そんな具体的なこと、思ってた訳じゃないんです、ただ。」
 髪を撫でてくれる温かい手。自分のものって思っても良いの? うっとりと見下ろす優しい瞳。自分だけ見てくれるって思って良いの?

  「どんなに"好き"を積み重ねても、お友達の"好き"が限界だと思ってました。」

 どうしても近寄れない、踏み込めない限界があって。どんなにくっついても…そこから先へ溶け込むことが出来ない境目。男の子ではダメだよと、自分ではどうしようもない壁に、完全に立ちはだかられているとばかり思ってた。
「だから。進さんが女の子に優しくしてると、何だか落ち着けなくて。」
 ぽつりと呟いてから、

  「…そうですね。
   これって、もしかしなくても立派な"嫉妬
やきもち"ですよね。」

 ただのお友達には感じないもの。例えば モテることを競っていたなら、出し抜かれた"悔しいな"と感じもするのだろうが、哀しいとか寂しいとか思うのは…不安で不安で居ても立ってもいられなくなるのは、お友達へではない意味合いの"好き"を捧げた人だから。
「男同士だと此処までなのかなって。女の子には敵わないのかなって…。」
 それでとっても悲しかったのと、くすんとしゃくり上げて見せる、愛しい子。心細い想いをどこかで拾った彼であるらしく、それに気づけなかった自分を思い切り愚弄したくなった進だったが…それはいつでも出来ることだから後回し。

  「すまなかったな。」

 彼がこんなにも不安になった…もっと根本的な原因とやら。進さんには、そちらさえ…どうやら判っているらしい。
「惜しんでいて良い言葉ではなかったのにな。」
 本当にすまなかったと、髪を柔らかくポンポンと撫でてくれて、
「???」
 キョトンとして見せる大切な人へ、


  「好きだ。」


 くっきりとした響きのいい声が。間近から力強く囁いた。
「…あ。」
「俺は、小早川が好きだ。大好きだ。」
「………。///////
 ああ、不思議だ。あんなに強ばってた胸が、痛いほど苦しかった喉が。ほかほかと ほどけて、今はとっても温かい。きりきりと絞まっていたうなじや肩も、ゆるやかに力が抜けてとても軽い。これは物凄い呪文だ。きっと進さんだって、こんなことをわざわざ口にするのって恥ずかしいんだろうに。ただの焼き餅で拗ねちゃったボクへこんなにまでしてくれて……………と。うっとり・ほややんと陶酔していたら、


  「えと…。////////

   ………あれれ?

 セナくんの頬が。さっきとは明らかに雰囲気の違う、さっきよりも色濃い真っ赤に染まって来た模様。
「…ヤダな。何だか物凄く恥ずかしい"思い込み"をしてたんですよね、ボク。」
 小さな子供の駄々だとか、大時代のベタなメロドラマみたいなこと。そんなのを口にしたのだと、今になって気がついて。
"思い込んじゃうって怖いな…。"
 一点集中、ただただ悪い方への展開ばかりを、のめり込むようになって考え込んでいて。セナの心をがんじがらめに取り巻いて、昏倒させるほど苦しめた、形の無かった"想い"とやらは。明るい陽の下に晒してみたら…こんなにも滑稽な代物だった。ただただ恥ずかしくなってしまい、自分の頬を両手で押さえて含羞
はにかんで見せたところへ、

  ――― きゅるるる・くるるきゅう………。

 今度は。小さな可愛い…腹の虫の悲鳴が緊急のお呼び出しをかけてきた。
「あやや…。/////
 安心した途端に、猛烈にお腹が空いて来たらしい。あうう恥ずかしいよう///// と、小さな肩をなお小さく縮めたセナくんだったが、その一方では、
「夕食時だったのだな。」
 机の上に放置されていた、勉強部屋には何ともミスマッチな"土鍋"に気づいた進さんで。
「済まなかったな。」
 重ね重ねの無粋を詫びつつ、足元にあった小さなテーブルを手にした彼は、ふと。前の冬を思い出す。内容も時期もまるきり違うが、今と同じような場面があったような。この家へ初めて足を運んだ日でもあり、当時はまだ随分と色濃く遠慮の挟まる様子の強かったセナだったような。そんなこんなを思い出した進へ、

  「…そういえば。風邪を引いたお見舞いにって、来てくれましたね。」

 にこぉっと笑った可愛い人。どうやら同じことを思い出していたらしい。そうだったなと笑い返して、あの時と同じようにテーブルをセットしてやる。温まって早く元気になっておくれと、やっぱりあの時と同じことを思いながら…。








  ――― そういえば、あの後。
      小早川さんチでは、ドアの修理、し直したんでしょうかねぇ?
(笑)





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