アドニスたちの庭にて A 〜お遊び企画の続き (笑)
 

 

          



 一体どういう加減からなのか。生徒会首脳部の皆様には、進学したばかりの頃から何かとお声をかけていただいていた瀬那くんであり。殊更にお優しい方々だから、いかにも稚
いとけない風情のセナがついつい心配になるのか、判らないことがあって困ってはいないか、苛められてないかと、高見さんに訊かれては…そんなにも頼りなく見えちゃうのかな? なんて。小首を傾げてしまうセナくんでもあったのだが。
『ゴールデンウィークには、新入生歓迎を兼ねた"青葉祭"っていうのがあるんだよ?』
と、優しく教えて下さったのが生徒会長さんの桜庭さん。この方も、どこの部にも入らないままのセナに、校庭やら校舎の中で顔が合えば必ずのようにお声をかけて下さり、何だったら執行部に入らないかい? 放課後、毎日のように君に逢えるのはボクも嬉しいし、なんて言って下さったりもして。そしてセナの側でも、そんなちょっかいが何となく光栄だったし心地良かった。彼のやわらかで明るい気性に触れるのが、というのもあるが、それよりも。その傍らにいつもいる、凛と冴えた眼差しの人が。何だかとっても気になるセナだったから。剣道部のエースで、寡黙な剣士の進清十郎さん。涼やかな眼差しと男らしい精悍なお顔。かっちりとした制服の直線に鎧われても、それに押し潰されない引き締まった肢体が凛々しくて。鋼を呑んだみたいにピンと張った背条や頼もしい肩は、後ろ姿を際立たせ、滅多に聞けないけれど深みのある響きのいいお声をしてらして。無造作に指先で払われる黒い前髪から、腰高ですらりと長い御々脚
おみあしまで、彼の全てがセナは大好きだったりする。同じ学校のしかも同じ"持ち上がり組"なのだから、初等部でも中等部でも先輩さんだった筈なのだけれど、物静かながらも目立っていた人だったから、ずっとずっと身分が違い過ぎて接点などなかった。でもね、朝早い道場で、毎朝のこととして熱心に剣道の練習をしてらしたのを、自分も毎朝こっそり見ていた憧れの人。その方の間近にいられるのなら、桜庭さんから構われるのも楽しいかなと、微妙にズレた贅沢を味わっているセナ少年だったのだが、

  "そんなしてたのが、図に乗ってるように見えたのかな。"

 確かに、名指しで構ってもらえるのが嬉しかったから、あまり遠慮もしないまま、浮かれて可愛がっていただいていたと思う。でも…セナがそんな風であったのは、あの憧れの進さんのお姿を間近に出来る至福にのぼせていたからであり、
"………。"
 蛭魔さんに言いつけられたその通り、お家までタクシーで送って下さった進さんではあったけれど。一言も言葉を交わさぬままという道中であり。叱られなかったその代わり、どうしてあんな場所にいたのかという弁明も出来なくて。
"放課後にはあんな場所を一人でふらふら出歩いているような、いけない子なんだなって思われちゃったかも知れない。"
 誤解なのに、それさえ告げられなかったと。あれからずっと、すっかり気落ちしているセナなのだ。そしてそして、気落ちの原因はもう1つあって、

  『微笑ってる場合じゃねえぞ、お前。』

 むしろ、そっちの方が重大なのだと、ほややんとしていた自分へご忠告下さったのも、あの・蛭魔さんだった。







            ◇



 何とも奇妙な"呼び出し事件"なんてことがあった次の日の、つまりは"昨日"のお昼休みへと、時間を少ぉし戻しましょう。

  "……………。"

 蛭魔さんに言いつけられて、お家の前までタクシーで送って下さった進さんではあったけれど。一言も言葉を交わさぬままという車中であり。叱られなかったその代わり、どうしてあんな場所にいたのかという弁明も出来なくて。
"実は不良な子なんだって思われちゃったかも知れない。"
 全くの誤解なのに、そうとさえ言えなかったことへ すっかりどっぷり気落ちしているセナであり。選りにも選って憧れの人に、初めて二人きりにまでなれたというのに…そんな風に思われただなんてと。気落ちの方が大きすぎる今回の経緯に、しょぼんと肩を落としたまま、誰もいない野外音楽堂の座席に腰掛けていた小さな背中へ、

  「こんなとこでまた逢うとはな。昨夜から奇遇が重なるこった。」

 ひょいと気さくな声をかけて下さった人がいる。覚えのあるこのお声は…と振り返ると、そこにいらしたのは、昨日お世話をおかけしてしまった蛭魔さん。相変わらずに、詰襟制服の上着は前の合わせをすっかりとはだけた、いかにも砕けた着方をしている彼であり、
「いつも一緒にいるあのチビはどうしたよ。」
「あ、あの…。」
 雷門くんは野球部の昼練ですと、おどおどと答えつつ。昨夜は、何が何やらと動転し切って舞い上がっていたセナだったから、てきぱきと親切な対処を取って下さった彼のするままに全て任せ切ってしまっていたけれど。

  "やっぱりこの人は不良さんなのかなぁ。"

 あんなお店で、しかも支配人さんやボーイさんたちとも仲よさそうにお話ししていたしと、ちょっとばかり怖々と肩をすぼめるセナだとあって。彼がどんな感触を自分へと抱いたのかを察した蛭魔さんは、小さな苦笑を口許へと浮かべると、あのクラブはお父様の系列会社が経営しているお店なんだと話して下さった。
「だからって、未成年が堂々と出入りしちゃあいかんのだろうがな。」
 だから皆には内緒なと悪戯っぽく笑ってくれて。明るいところで見る蛭魔さんのお顔は、昨夜の何倍も健やかに綺麗で、怖がっていた筈のセナもほややんと見とれてしまったほど。それは端麗に整ったお顔だとか、鞭のように締まった細い肢体、金の髪とか色白な肌とかが目立つ人だけれど、間近になるとその瞳が淡い灰色なのだと気がつく。いかにも気の強そうな、鋭角的なお顔をしているのに。柔らかくその瞳が細められると…どうしてだろうか、切ないくらいに優しいお顔になる。

  "はやや…。////////"

 ついさっきまでの萎縮もどこへやら。春の陽光に制服の肩を温めながら、親しげに視線を交わし合っていた二人であったのだが。そんなところへ突然のこと、いきなり割り込んで来た人影があって、

  「妖一〜〜〜vv
  「こ、こらっっ!」
  「ふやっ!」

 まるで…人懐っこいゴールデン・レトリバーが、亜麻色の長い毛並みをなびかせてご主人様目がけて突進して来たかのように。唐突に蛭魔さんの細い背中へと抱きついた襲撃者の正体は…。
「え? あれ? セナくん、いたの?」
「さ、桜庭さん?」
 キョトンとしたお顔になって深色の眸を見張って見せても、それは優しげなお顔の端正さは一向に崩れない。優しい面差しのその中に、青年らしい頼もしさを少ぉしばかり匂わせ始めたお年頃の先輩さん。この高等部で一番の人気を誇り、その見目麗しきお顔と均整の取れた姿と、自信にあふれた鷹揚な立ち居振る舞い。されど優しい笑顔に伸びやかなお声…などなどへと憧れてるシンパシィが、学校の内外を問わず、老若男女を問わず、政財界の社交界に山ほどいる人なのに。
「…だ〜か〜ら、ガッコではサカるなと、あれほど言っておいたろうがよ。」
「あたた…っ☆」
 そんな桜庭さんを、容赦なく拳骨で引っ叩いた蛭魔さんだから物凄い。けどでも、こんなやりとりって…つまり? 眼前で繰り広げられたこの展開に、ビックリしたまま凍りかけてたセナくんへ、彼が何を察したのかをこちらからも見抜いたか、

  「そだよ♪ 妖一はボクの恋人なんだ。
   だもんだから、あの生徒会の館にも時々遊びに来てるんだしね。」

 悪びれもせず、いけしゃあしゃあとそんな言いようをした桜庭さんだったりする。そして、その傍らで、
「…あんま公表はしてねぇけどな。」
 恋人などという甘い呼び方は嫌いならしく、それでも やれやれしょうがないなと開き直ったのか。不本意なんだけどななんて言って、こちらは…謎めきの麗人こと蛭魔さんが、いかにも不機嫌そうなお顔を見せていたが、心なしか…柔らかに甘い"降伏"の香りのする眼差しやお顔でもあって。

  "…それって、まんざらでもないってお顔ですようvv"

 これこれ、セナくん。何を喜んでますか、君は。
(苦笑) 何でも高等部の入学試験を受けに来た彼を、当時はまだ中等部にいたその校庭から偶然見かけて…あっさり一目惚れした桜庭さんだったそうで、
「その頃から妖一ってば、凄っごい綺麗だったんだよ? いやいや、可愛いって感じだったのかな? だからネ、春になって入学して来てくれて凄っごく嬉しかったんだvv
 だってウチは私立校だからね、滑り止めだったらどうしようってのが唯一の不安で。
「そいで。クラスは違ったんだけど早急に手を打ったの。邪魔者は全〜部、徹底的に取り去った上で、アタックしまくってさvv
 それは楽しげに語る桜庭さんだったが、蛭魔さんが言うには…。

  「こいつ、この顔に似ず やることが手酷いらしくてな。」

 何でだかクラスの中でも急に休む奴とか増えたな〜、声かけてくれてた先輩さんもこのところ見ないな〜って思ってたら、次は猛烈にしつこい"まとわりつき"が始まってよ。授業中以外はずっとずっと くっつかんばかりに付きまとうし、休みの日にもどうやって調べたのか家まで朝っぱらから押しかけて来るし。直接はっきり"迷惑だ"って言っても"だって好きなんだもん"の一点張りで、こっちの言うこと てんで理解しねぇし。怒鳴れば泣くわ、そうやって同情引いて ウチの両親や姉貴をあっさり味方につけるわで。
(おおう☆) …ったく、俺の脅しすかしの方がまだ、判りやすい分だけマシだって…と。いとしの恋人さんに こ〜こ〜ま〜で言われても動じない。
「だって妖一のこと、誰かに取られたくなかったんだものvv」
「そーかい、そーかい。」
 素っ気なくあしらわれてもニコニコしたまま。…でも、いつもの笑顔より何倍も甘くて綺麗だったから。

  "そか、いつもの笑顔は別物なんだ。"

 しかも、そんな怖い何かが隠れていた訳で。この年齢の集団ともなれば、ただ明るい気性だというだけで人心掌握するのは難しい。カリスマ性も勿論お持ちなのだろうけれど、権謀術数も多少はね、心得てるんだよんと、だからそうまで爽やかに言うんじゃないって。
(笑)
「妖一とボクのことは、進も高見も知ってるんだよ?」
 そんなにも"極秘"な間柄ではないよ、なんてな言い方をするものの、
「だからって言ってもだな。ガッコの中では周りに気ぃつけんかといつも言ってるだろうがよ。」
 迂闊なことをするから、こうやってセナにもバレてしまったんだろうがと閉口する蛭魔であり。だがだが、
「だってサ、妖一ってば詰まんない噂立てられてて、しかもそれを訂正しないじゃん。」
 だからボクとしては、むしろ こうやってはっきりさせたいのと宣
のたまう桜庭さんだ。詰まんない噂っていうと…。

  "…えっと。////////"

 この金髪痩躯の美青年が、そのずば抜けた容色でもって運動部の猛者やら先生方を籠絡し、そのまま手玉に取っているというアレでしょうか。セナの耳にもなんとなく届いているほどの噂だが、
「あのな。運動部の主軸連中の首根っこを抑えてんのは事実なんだし、実は弱みを握って牛耳ってますだなんてことまでは、向こうにすればみっともないしこっちだって威張れた方法じゃないしで、お互い様で公表出来ねぇことだろうがよ。」
 理路整然、すらすらと並べた金髪の先輩さん。実をいえば、彼は秘密裏に…所謂"諜報員"ぽいお仕事をなさっているのだそうで。各クラブの実情を細かくチェックしていたり、良からぬ噂の実態を調べたり、人知れずそういったネタを収集しては、乱暴者が集まりやすい運動部あたりを陰ながらコントロールしていたりするのだそうで。
「でもサ、でもサ。そこんとこをよく判ってない奴に襲われたらどうすんの? ただでさえいつも独りでいる妖一なのに。力づくされたらとか…それを思うと、もうもう僕は心配で心配で…。」
 ははあ、そういうことだったんですかと。この金髪の麗人さんがまとっていた"謎めき"も、判ってしまうと微笑ましいカモフラージュだったんだなって、ついつい擽ったげに微笑ってしまったセナへ、

  「微笑ってる場合じゃねえぞ、お前。」
  「はい?」
  「そうそう。
   あんなところに呼び出されただなんて、どういうコトだか判っているの?」

 二人掛かりで忠告のお言葉が飛んで来た。

  「どういう…って?」

 矛先を向けられたものの理解が及ばず、キョトンとしてみせる小さな後輩さんへ、

  「だから。
   妖一が保護してなかったなら、
   誰とも判らない人間に人気のないところへ連れ出されてたかも知れない。
   もしくは補導されてたかも知れないって事だよ。」
  「………あ。」



 初夏の風吹く翠の校庭。まだ青き若人の集う学舎にて、何も知らない稚
いとけないセナを巡って、妖しい陰謀が音もなく渦巻く。未だ告白していない…某氏いわく"甲斐性なし"な不器用さんとセナくんの恋の行方は…?









 ………なんてな形にて、結んで終わった"企画もの"だった訳ですけれども。セナくんを取り巻く"謎の企み"というのが何とも不気味で、放っておくには落ち着けず。そこでの続編、決着の段となったのが今回のこのお話でございます。
こらこら














          




 学内の監視はある意味で"お仕事"だからと、

  『出来る限りは目を配ってやるが。』

 蛭魔さんがそう言って下さり。その上でのとりあえずの注意として、
『覚えのない相手からの、メールやら電話やら手紙やら。そういう呼び出しにはうかうか応じるな。それと、どんな時にも出来るだけ、誰か友達と一緒に居な。たとえ学内であっても、一人になるな。』
 いきなり掴み掛かられるような危険は恐らくはなかろうとは思うが、一体何でまたセナが狙われているのかという点は、今のところは憶測止まりではっきりと判ってはいないのだから、油断は禁物。そうと言われて、

  『憶測って…?』

 お暢気にもまだ気づいてはいないらしき彼本人へ、桜庭さんが改めて話して下さったのが、

  『だからサ。
   セナくんを"弟"にしたがってる奴が何人もダブってるって事だよ。』
  『………はい? ////////

 この学校の高等部にのみ存在し、今でも連綿と続いている、ちょこっとばかりロマンティックな風習は、決して"従者"とか"舎弟"とかいう主従関係への契約なんぞではなくて。か弱い君を守ってあげましょう、判らないことは教えてあげましょうというだけの繋がりなのだけれど。詰襟に留めた校章の交換という"儀式"を済ませたら、お兄様以外はその子へ余計なちょっかいを出してはいけなくなることや、その禁忌を破った者は直接の"お兄様"以外からも無粋な狼藉者として弾圧を受ける。また、お兄様が理不尽な言動をなさったならば、弟の側から 頂いた校章を突き返すのも可である…などという、可愛らしい"弟"の身を守るための決まり事が、暗黙の内に脈々と語り継がれるまま、ずっとずっと守られてもいる仕組みであって。

  『セナくんは小さい頃から そりゃあ可愛らしかったからね。』
  『…親戚の叔父さんみたいな言い方だな、そりゃ。』

 叔母さんの方が合ってるかもなと、桜庭さんを茶化した蛭魔さんにしてみても。これまでは、セナを弟にしたいという手合いによる争奪戦だろうと決めつけて安穏と構えていたが。わざわざセナ本人を呼び出しただなんて辺り、そういう奴らが見せた牽制などではなく…もしかして別口の何かだったら剣呑だからと、重々注意しなさいとセナにも言い置いたほどであり。

  「…?」

 ふと。視線を感じて顔を上げれば、広々とした芝生を挟んだ向かい側の校舎の陰に、壁に凭れて蛭魔が立っているのが見える。いつも独りで行動することが多い彼なのは、そうやってさりげなく構内のあちこちへ足を運び、満遍なく注意を払っているからだそうで、今は…一人でベンチに座っているセナに気づいて、注意を向けてくれているのだろう。特に会釈をするでなく、お顔も無表情なままであり。
「おっ待たせっ♪」
 購買部の紙袋を抱えて戻って来た雷門くんがセナの傍らへ駆け寄るのを見やると、そのまま"す…っ"とその場から立ち去ってしまわれる。一人でいるのなら危ないからと、遠くからながら不審者が近寄らないかと見張っていて下さったのであり、

  "…これって、要らないご迷惑をかけてるってことなんだよな。"

 責任のあるお仕事をなさっている蛭魔さんなのだろうに、こんな自分のことまで ああして見守って下さってる。そして、桜庭さんたちも…実は随分と以前から、セナへと複数の"お兄さん候補"がいるらしきこの状況には気がついていらっしゃったそうで。

  『いっそ誰かが進み出て、
   "弟になってはもらえないか?"って言い出せば話は早いんだけどもね。』

 お互いに牽制し合ってるだけで、話がなかなか進まない。まさかこのままの状態を延々と続けるつもりじゃあなかろうけれど、微妙なバランスで拮抗し合っちゃってるみたいだからねぇと、困ったようなお顔になってしまわれて。今回の誘い出しが突破口になってくれたら、むしろ助かるんだけどもねなんて仰有って。そこへと、

  『それだけじゃねぇもんな。お前には、も一つの…。』

 何やら言いかけた蛭間さんへ、だが、

  『ん"、んんんっ。』

 これへは、桜庭さんが突然大きな咳払いをして遮って見せた。
『何だよ。』
『ダ〜メ。』
 こそこそ、何やら突々き合っていらっしゃったところを見ると、上級生にだけ教えられている何か別な秘密もあるらしくって。

  "はふぅ…。"

 そんなこんなが一度に押し寄せて来た結果による"プレッシャー"は、これまでを屈託なく過ごして来たセナには、ちと荷が重すぎる。授業中とか、お友達の雷門くんと無邪気にも他愛のないお喋り何かをして過ごす間は忘れていられても、放課後なんかに一人になると、どうしても肩や背中の辺りがそわそわと落ち着けなくて。何かクラブに入ってたら良かったかな。でも、ボクってホントに取り柄がないものな。駆けっこがちょっとだけ速いくらいだし、それにしたって"あがり性"だから、記録会とか体育祭とか本番ではガチガチになっちゃって。正式な記録は取れたためしがないものな。

  "うう…。"

 なんでこんなことになっちゃったんだろう。ちょっと前までは、色んなことへ嬉しいばかりだったのに。あの憧れの進さんにもお近づきになれて、それは幸せだったのにと、苦しいばかりの現状にもう数え切れないくらいについた溜息を、胸の奥底にてこそりとついたセナくんだった。





            ◇



 そろそろポジションが発表になるから気が抜けないと、今日も今日とて野球部の練習へと向かった雷門くんを見送って、悄然と小さな肩を落としつつ、セナは昇降口へ足を運ぶ。お家に帰れば帰ったで、メールの着信音にびくびくと怯えて過ごすのであり、一時だって気が休まらないのは同じ。それでもね、桜庭さんが様子見のメールを下さるから少しは励ましていただけている。沢山のスチール製の下駄箱が居並ぶ昇降口には、人の気配がなくて妙にがらんとした印象。珍しいな、そんなに遅い訳でもないのにと、簀の子を鳴らしながら自分の靴箱へと向かう。

  「?」

 いつもと変わらぬ、軽い動作で扉を引き開けた下駄箱から、ひらりと舞うように足元へ落ちたのは…真っ赤な洋封筒。表にも裏にも何も書いてなくて、厚さも さほどにはなく。小さな丸い金色のシールで簡単に留めてあった封を剥がして開けてみると、中には同じ色合いのやはり真っ赤なカードが1枚。


  《 あなたを思うと心休まる者からです。
    どうか御身を大切になさって下さいませ。。
    誰彼構わず心を預けてはなりません。身をゆだねてはなりません。 》


 何だか…真意の分かりにくい文章が、たったのこれだけ連ねてあって。困ったな、詩とか散文とかの解釈って苦手なんだものなと、小首を傾げつつ、慣れた仕草で自分の靴箱へ、手だけを伸ばしたセナだったのだけれども。

  「…ひっ。」

 つまみ出した靴を思わずその場へと取り落とす。がたたんと耳障りな音を立て、簀の子に落ちてそのまま土間へと横転して転げた、黒い革の指定靴。
「どうかしたんですか?」
 物音に気づいてか、昇降口の1年のゾーンまで来て下さったのは、生徒会棟へ向かいかかってらした高見さんだったが、凍ったように立ち尽くすセナが、その足元に見やっているものをご自分でも見やって、

  「こ、これは…。」

 彼もまた、息を呑むと思わずその場に立ち尽くした。上質の牛革製の指定靴は、お元気な高校生の男の子がちょっとやそっと乱暴に扱っても傷の付きにくいことで知られている、高級なメーカーさんへの特注物なのだけれど。その靴が左右両方とも、無残にも…鋭利な刃物でずたずたに切り裂かれていたのである。






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  *単なるお遊び企画でしたが、
   中途半端な終わり方だったのが気になりましたので、
   一応の決着まで持っていきたいと思います。
   まま、あくまでも“お遊び企画”の延長ですので、はいvv