アドニスたちの庭にて “anniversary…”A
 

 

          




 泉鏡花の短編小説に『外科室』というのがある。伯爵夫人という、身分ある名士の夫人が病に倒れ、手術して病いを取り除きましょうということになるのだが、どういった訳だか、夫人は頑として拒絶する。夫である伯爵や家族がどんなに懇願しても、頑ななまでに固辞する。いや、手術をではなく“麻酔”を。眠り薬という描写になっているそれを飲んでしまったら、そして意識が蒙昧として来たら、私はあることを口にしてしまうかも知れないから。自分の執刀医となった医学博士のことを、実はお慕い申し上げておりましたこと、夢うつつのうちに呟いてしまったら、そしてそれが伯爵の耳に入ったら。自分の堅い意志にて、この胸の裡に厳重に守って来た秘密を、麻酔によって口走ってしまうかも知れないということをのみ恐れて、断固として薬は飲まないと言い張る夫人であり。そして…何とそのまま、無麻酔のままに手術は敢行される。

  “………これはあり得ないだろうよな。”

 同意を得られずということで、手術そのものを見送るもんじゃないのかなと。確かこの筋立てを聞いたその時もそう思ったんだっけ。だって…結果として途轍もない激痛の中で夫人が会話することになるって描写に続いてるしね。そんな微妙な題材だったから、学校の授業ではまずは扱わないよな。確か…そうそう、映画になったんだ。それを、主演女優のファンだった母が、時間の許す限り何度も何度も観に行って、家でも話題にしていたんだったっけ。あらすじだけを何となく覚えてた短編小説。そのあらすじを、ふと、今になって思い出したのは。

  “………。”

 昨夜の“彼”の苦しげな乱れようが何とも印象的だったから。いつだってそうだ。ぎりぎりまで何かを苦しげに耐えに耐えている人で。正気を手放して呑まれてしまうのが怖いのか、淫悦に流される か弱い姿を他人の眸に晒すのが悔しいのか。自分のこの腕の中で、我を忘れることへの大きな抵抗がある彼だというのが、いつものことだったとはいえ、何だか痛々しく思えてならなくて。

  “却って苦しいだろうにサ。”

 別に無理から屈服させてるような、いやいやなのを我慢させてのセックスじゃない筈なのにね。ちゃんとした合意の下の、両想いの睦み合いな筈なのに。事後には素に戻ってのじゃれ合いなんかもしちゃう、クスクスと笑い合って、幸せな余熱の中で抱き合って眠る、それは優しい抱擁に間違いないのにな。
“でも…。”
 どうしてそうなのかなんて、やっぱり聞けないしね。意地でやってることなんなら、止めさせるのも難しいことだし。こればっかりは仕方がないのかな。
“…だってサ。”
 大好きだから、大好きならば。相手を追い詰めるみたいな無理強いをしちゃいけないって、ちゃんと判ったから。妖一のこと何でも知りたいし、声も行動も視線さえも、すっかり全部を独占したいって、当初はついつい暴走してたけれど。そんなのストーカーやDV男と紙一重だって判ったから。求めるばかりでいちゃいけないって、そんな貪欲なばかりでいちゃあ、妖一の方は心が安らぐ暇もないって。そんなで“大切にしてる”って言えるか?って。他でもない、あの進から諭された。まだ瀬那くんに告白してなかった頃だったっけね…って、茶化して言ってる訳じゃなくってさ。押せ押せでばっかな僕とは正反対に、黙って見つめてるだけっていう姿勢をずっとずっと保って来てた奴がね、少し離れて妖一の周囲を見てみなって言ったんだ。高等部に進学して来てから3カ月以上も経っていた初夏の頃。なのに、誰も寄りつかないままに孤高で過ごしている彼だと、気がついているのかと。僕があまりにまとわりつくもんだから、周囲が及び腰になってしまってた…ちょっかいを出せば僕から咬みつかれると誤解されてた妖一を、お前はちゃんと知っているのかって。

  『別に構わんさ。』

 緑陰館の少し奥。ホントは入っちゃいけない、ガラスのほとんど落ちてた旧の温室跡で。とんでもないことしちゃってごめんねって、誰も近寄れなくしちゃったって謝ったら。途中からは泣きながらになっちゃったから聞き取りにくかったろうに、ちゃんと最後まで聞いてくれて…宥めるみたいに肩や背中を抱いてくれた。シカトされてるとか口さえ利いてくれないってほどじゃなし、むしろ畏れ敬われてるらしいからさ。馴れ馴れしくされんのはごめんだったし、勝手が利き易くて いっそ便利だぜと、綺麗な笑顔で笑ってくれて。

  『どうでもいい奴はどうでもいい。
   すぐ傍には頼りになる奴だけ居てくれりゃ良いさ。』

 それって…僕のこと? そう訊いたら、キョトンとして“違うのか?”って向こうからも訊かれたのが、凄く凄く嬉しかったから…。
“大切なんだもん。一番に。”
 好きだから大事にしたい。大事にしたいなら、自分の想いばかり押しつけちゃダメ。それでなくたって、妖一は何でも自分で出来ちゃう人だからね。干渉し過ぎたりして煩わせちゃいけないんだよね。
“難しいけど、でも頑張るんだもん。”
 ふいと逸らした視線の先では、窓の向こうに秋の空がどこまでも澄んで高い。

  「おや。珍しいものをお読みですね。」

 純文学どころか、最近ではまんがさえ読んでるところを見かけない人ですのにと、机の傍らを通りすがった同じクラスの執行部部長が、柔らかく笑いつつの声をかけて来た。酷いなぁと笑い返して、それからね。読みかけの文庫本を机の上へ伏せると、
「そうそう、白騎士祭の打ち合わせなんだけど…。」
 生徒会を束ねる長としてのお仕事のお話を始めた桜庭くん。窓の外では、ほんの少し冷たくなった秋の風が、校舎に寄り添うイチョウの木の梢を“ざわわざわわ…”と鳴らしておりました。






            ◇



 十一月の声を間近に、急に風が冷たくなったような気がして。秋の深まりを感じると同時に…どうしてだろうね。遠く高くなった空や、随分と遠くから響く声。突き放されたような気でもしちゃうのかな、黄金色の夕陽に染まった妙にスペクタクルな風景とか見ていると、無性に人恋しい気分になっちゃうの。

  「何だか急に寒くなりましたね。」
  「ああ。」
  「道場では裸足なのでしょう? 進さん、寒くはないですか?」

 ゆっくりとかぶりを振った優しいお兄様の…開いたお膝の片方にちょこりと座っている弟くん。同じ高校生とは到底思えないような体躯の差だが、だからといって“親子”や“叔父甥”には見えないような…甘色オーラがふんだんに放たれており、

  「…何やってるの? あの二人。」
  「おや、遅かったですね。」

 とたとたと廊下をお元気な小走りでやって来た会長。緑陰館の二階の執務室へと、入って真っ直ぐ見通せる先の窓辺で。人目も憚らず(といっても、どうせ身内ばかりだけれど)寄り添い合ってるお兄様と弟くんの大胆なご様子に。ご挨拶も忘れて“おやや”と見とれてしまっている。とはいえ、高見さんから掛けられたお声もちゃんと聞こえており、
「事務所から電話が掛かって来ちゃってね。ガッコがある時は無しってのが原則だってのにサ。」
 学園祭シーズンだからかな、でも僕はそういうのって関係ない筈なんだけど。そんなお電話へ応対していて遅れましたと。一応律義に答えた桜庭くんへ、高見さんがくすくすと笑い返して、
「瀬那くんがこの部屋へ入って来た早々にくしゃみをしたんですよ。」
 こちらの情況を解説して差し上げる。
「それで、進が有無をも言わせず。」
「…成程ね。」
 小さな弟くんが風邪でも引いては一大事だとばかり、お膝に抱き上げて暖かな懐ろへ匿ったというところであるらしく。濃紺の詰め襟制服の下に、気の早い子はもう薄いセーターやベストを重ね着している今日この頃だしねと納得し、
「此処も、オイルヒーター出しちゃおうか。」
「そうですね。」
 ここって陽当たりは結構良いんですが、それでも放課後ともなれば絶対温度が違ってますしねと、高見さんにも異存はないらしく、
「ところで蛭魔くんはご一緒じゃなかったんですか?」
「え? あ、うん。」
 訊かれて改めて室内を見回して、あれれと首を傾げて見せる。クラスは違うのだけれども、

  “学校には一緒に来たんだのにな。”

 昨日の日曜のお昼から招待されていて、そのまま桜庭くんチに“お泊まり”した蛭魔くんだったので。今朝は一緒に、桜庭くんチのベンツで登校して来たお二人で。進さんからのアドバイスを出来るだけ遵守して、傍らへと押しかけてまでその動向を注視している訳ではないので、校内での彼の挙動の一部始終を把握している桜庭くんではなく、
「そうですか。何か御用でもお在りだったんでしょうかね。」
 学園祭での野外ステージ用に借りることになっている屋外アンプのことで、こちらの条件や何やの刷り合わせをしておきたかったんですけれどと、高見さんは さしてこだわってはないようだったが、

  “どしたんだろ、妖一ってば。”

 特に約束していた訳ではないのだけれど、このところの放課後は此処で当たり前のように落ち合っていたものだから。今日も昨日の続きのように、そのまま逢えるものだと思って疑わなかった彼であり、

  “今日は記念日だって言っといたのにさ。”

 何だか拍子抜けしちゃったなと、急に覇気が萎えてしまった生徒会長様だったりする。こらこら、仕事に集中しなさいって。







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  *このお話は、軸になってる方々といいますか、
   展開や構成が微妙に違う“続きもの”でございますので、
   どかご容赦下さいませ。
   別のタイトルを立ちあげるほどの長いものにはなりませんが、
   ちょっと微妙なお話ですんで…。
(苦笑)