アドニスたちの庭にて “anniversary…”B
 

 
          




 大都会に隣接している“不夜城”というほどの歓楽街ではないけれど、それでも そこそこに夜の顔の方もまた有名な繁華街の一角。陽が暮れれば、夕陽に持って行かれ損ねたエネルギーの捌け口にとばかり、学生あたりの年代からサラリーマンまでが、アーバンタイムを楽しむためにと足を運ぶ賑やかな界隈であり。特に、駅前から少々離れたここいらは、どちらかと言えば学生層、若者たちの比重が高く。なればこその衝突やら喧嘩やら、有り余った血の気を撒き散らかすよな騒ぎも夜ごとに起きては、物騒な土地だという噂ばかりが上塗りされて高まってゆく。
「お陰で、割と規制をかけてるウチの店なんかは“避難所”扱いですもんね。」
 入り口に黒服を立てるほどではないながら、それでも いかにもなやんちゃ衆やその筋の方々には丁重に入店をお断りしており。また、ここいら界隈を仕切るその筋の方々にも、それはきっぱりと関わり合いをお断り申し上げているのだとかで。まま、怪しいことをお客に一切近づけないような“明朗清潔な”場所であるからには、そっちの筋の実入りだって少ないでしょうから。そんな効率の悪いシェルターには旨みを感じないんじゃないんでしょうかねと。メインカウンターに陣取って、店内隈無く把握しているやり手のマスターがにっこり笑って言ったのを聞いたことがあって。

  “どこまで額面通りに受け取りゃ良いんだか、だな。”

 子会社の孫会社の“はとこ”くらいに末端な関連会社…だとはいえ、それなりに有名な企業系列として経営されている店であるという肩書き、興業筋にはちゃんと知られている筈だし。内情はといえば、実は…理事の一人で経営者一族の本家の長女が、自分の趣味で持っている店だということだって とうに知れ渡っている筈で。そんな程度のもの、いつだって喰っちまえると見越されているのか、今の風向きの中ではもてあそぶのは賢明ではなかろうという判断が働いての“手出しなし”なのか。ま、どっちだって良いんだけれどと、大人たちの世界での複雑な思惑から意識を離して、その手の中。校庭で拾ったイチョウの葉の軸を摘まみ、白い指先でくるくると回してみる。

  『ボク、お山の紅葉って、寒くなって来て寒気に当たった葉っぱが乾いて枯れて、
   それで赤や黄色になるんだってずっと思ってたんですよね。』

 この春先から加わった小さなお仲間は、それは無邪気で屈託がなく、これで高校生というのは何かの間違いなんじゃなかろうかと思うほどに、素直で稚
いとけなくって。
『だから、寒さに負けてのことなんかじゃなくって、葉っぱを落とす種類の樹の 自分からの戦略なんだよって学校で習った時は、ビックリしちゃって。』
 小さな肩をすくめて“うふふ”と笑った愛らしさを、ふと思い出す。落葉樹の大半は広葉樹で、その広い葉で太陽の光をたくさん受け止め、光合成を行う。春から夏にかけては、陽を遮って涼しい木陰を作るほどにうっそうと茂って、光による養分の生産に励む訳だが、針葉樹と違って寒さに弱い彼らは、秋口に入ると光合成よりも気温の保持の方を選択し、陰を作るばかりの葉を落とす準備に入る。葉を乾燥させて落とすため、枝とつながっている地点の、水や養分が行き来している管を封じるのだが、そうされて真っ先に機能しなくなるのがクロロフィルで、葉緑素が絶えては葉は緑色でいられなくなり、幹と同じような茶色や赤という色合いになる。それが所謂“紅葉”であり、葉が落ちるのはそれから少ししてのこと。はらはらと舞い落ちたそれらは足元に堆積して微生物の寝床になり、何とも無駄のない、これが自然界における“連鎖”の図式。
『そういえば、まだ枝にある葉は瑞々しいですもんね。』
 それは綺麗な鮮紅や金に染まる古木をたくさん抱えた学園の敷地内では、この時期、半端な行楽地に行くよりよほど、眸に御馳走な錦景を味わえて。後々の落ち葉の掃除が大変だろうにそれよりも、まだ色変わりの途中のカエデやイチョウに綺麗なグラデーションを見つけては、はしゃいで見せていた瀬那であり。

  “あれもまた、天然って奴なのかねぇ。”

 くつくつと笑っている彼の前。よく磨かれて深みのある色がつやの下に出た、天然材の どデカイ一枚板を使ったカウンターには、最初にオーダーした“清涼飲料水”のライムサワー…にしては、少々怪しい琥珀色した液体が入っており、
「…あ。若、何を飲んでんですよ。さてはまた“持ち込み”しましたね。」
 あ〜あ、しょうがないなぁと。やり手のマスターが“困ったお人だねぇ”と、小さめのサングラスの上にちょろりと覗いてる眉をきゅううと下げて見せ、
「馬鹿なことしちゃうと、父上や姉上に どやされますよ?」
 主にはオレが、と付け足して、軽口半分におどけるお兄さんへ、
「大丈夫だって。バレるわきゃないし、こんくらい平気だし〜。」
 仄かに酔っているからか、それとも誤魔化したいからか。妙にお軽く言って くすくすと笑って見せる金髪痩躯のお綺麗な君。確かに、アルコールには結構強い青年だが、それにしては、
“ちょっぴり呂律が怪しくないっすか?”
 一体どんなきつい酒を持ち込んだやら。それとも、あまり食べ物を摘まんではいないままなのか。日頃は作り物のように冷たそうな表情のそれはよく映える、透き通るように白いお顔の彼なのが、真昼のようとまではいかない照明の下であるのにも関わらず、頬やら目許やら ほんのりと朱に染まっているのが見て取れるではないか。本来だったら“未成年”なので…と、そろそろ帰ってもらわにゃならないのだけれど。飲酒も、バレたらこっちが危ないことなんだから、も少し強めに注意しなくちゃいけない事なのだけれど。特に連れもないまま、店内のざわめきの中に意識を泳がせるのが好きならしい彼の来店には、本人の知らないことながら…常連の女性客たちが色めき立つので。そんな輩たちを彼へと近づけないよう、それなりの策を巡らさにゃならない手間が増えて、はっきり言って困りものなんだけれど。それほど色々な“面倒”があるにもかかわらず、
“しょうがないですかね。”
 マスターさんもついつい大目に見ているらしく。それ以上の苦言を呈すのは止めて、苦笑混じりに丁寧な手際で、棚のグラスを1つ1つ磨いているばかり。この店の持ち主である大物オーナーのお身内だから…という遠慮だけではなく、彼自身の何やかや、これでも身近で接してその目で見て来たものだから…思うところというのもまた深くって。基本的な行儀は良い方だし、人生というもの色々と味わって来た自分から見ればまだまだ青いとは言っても、精神的なところが十分に“粋な大人”な子だからね。他所の怪しい場所で危ない目に遭わすより、いっそ目の届く此処で…ちょいと手は掛かるが甘やかす方が気は楽だと、そんな風に思っているお兄さんであるらしく。そんな“保護者さん”から、無言のまま、されどきっちり見守られているという自覚は…恐らくないだろう美人さん。さして絡むようなお喋りをするでなく、
「………。」
 露をまとったグラスの冷たさが心地よくてか、指差すように伸ばした人差し指の腹を当てては、軽く“つつつ…っ”と裾までの道をつけてみている。子供の手遊びのように何度か繰り返してから。テーブルの上へ伏せたままの方の手のひらを見下ろし、その手に細い銀の煌めきを見つけて…視線と表情とが ついと止まった。

  “…記念日、か。”

 無邪気な言いようをしてこれをくれた青年は、やること成すこと幼稚に見せて、その実、ホントは自分よりもずっと大人なのかもしれないなと思った蛭魔だ。まだどこかが頑なに鎧われているままの自分なのにネ。それでも“何をおいても大好きだよ”と懐ろ深く抱き締めてくれる おおらかな暖かさには…どうあっても抗えなくて。最初は鬱陶しいばかりだった筈が、気がついたら ほだされていたし、そのままこの身をゆだねてもいた。まだまだ甘いのかなと自分に苦笑し、そして。

  “………。”

 優しい彼の全てに、時々居たたまれなくなる自分。それまで全く知らなかった暖かさが身に染みて、それで嬉しいんだったら良かったのにね。………心のどこかで比べてる。詮無いことだと判っているのに、彼に悪いと判っているのに、それでも…比べずにはおれないもう一人の自分が心のどこかにいる。膝を抱えて頑なに身を固めてる、強情頑迷で我儘なばかりの子供のような自分。

  “あいつにばっか、我慢させてるよな。”

 求めるものに関しては何でも全部ほしいとしていた貪欲な筈の彼が、体を重ねるようになった頃合いからは…随分と聞き分けがよくなった。甘えから出るこちらの乱暴さにも笑って我慢してくれる。時折打ち沈む自分が零す、やるせない溜息も…気づいていながら、されど“理由は何なのだ”とは聞かないでいてくれる。まだ何かしら隠している恋人なのだと薄々感じていながらも、聞きほじろうとはせず、ただただ待っていてくれる。

  “なのに…俺の方はこれだもんな。”

 優しいところへかこつけて、曖昧なまんま、踏ん切りがつけられないでいる。人としての器だって、大きなそれへと練れて来た彼なのに。何もかも容認してくれる、フォローしてくれるし嫌いになんかならないでいてくれる、それは優しい桜庭だって、もう十分に判っているのにね。どうしても明かせないことが1つだけあって。何も全てを晒すことはない、そんなところがあったって良いじゃないかと思っていたものが、この頃ではそんな自分だということへも苛立つようになって来たものだから…始末に負えない。
「……………。」
 何もかも放り出したくなったのは、秋の人恋しさを冷たい風に感じたからだろうか。もう足掛け5年目に入るほどの歳月が経つのだから、そろそろ“過去”にしてしまっても良いのではなかろうか。理性がそんな判断を下すのへ、未練がましい感情が垂れ下がって来ては邪魔をする悪循環。

  「………おい。人を呼んどいてその様は何なんだ。」

 覚えのある声音のそんな一言が、すぐ傍らから聞こえたような気がしたが。顔を上げるのも億劫になり、返事もしないで………意識が途切れた。






 飴色のつやの出た一枚板の上に伏せられた、線の細い端正な横顔。なめらかなラインを描く瞼の縁に、睫毛の陰が淡く落ちている。小顔を縁取るように頭からこぼれているのは、日本人には本来似つかわしくないだろう金色の髪。カウンター用にと幾つか吊るされたペンダントライトに照らされてのやわらかなハレーションの下、白い頬と緋色の口許の狭間あたりに、漆黒のシャツの尖った襟の端が届きそうになっている。こういう店には珍しくも さして暗くはない店内だったし、いつも似たような…その痩躯に張りつくような細身で黒づくめの服装をしている彼だから。カウンターの指定席にいるのは遠目にもすぐにも見て取れたが、傍らまで足を運んだ自分に気づきもしないで、すっかり潰れてカウンターへと突っ伏した姿へは…正直呆れた。どんな時だって自分を見失わない奴なのに、こんな場所で何だそりゃ、とだ。警戒の要らない親しい相手へでさえ、隙を見せず作らずに。軽薄に見せてる時だって、どこかが頑ななままな“氷の麗人”。その妖しくも綺麗な姿に魅了される者は男女を問わず山ほどいるが、たとえ間近に近づけたとしても…言葉遊びや巧みな挑発に踊らされ、煙に撒かれては、結果 小手先のやり取りのみで干渉や交渉は終わらされてしまうのが常であり。力づくに出ようが泣き落としでかかろうが、まずは絶対に“自分”の内側へ踏み込ませない、鉄の氷壁に鎧われた佳人、とまで仇名されてる、宵の世界での有名人。そんな彼が…今夜はこの有り様だったもんだから。難攻不落伝説を自分でぶっ潰してどうすんだと、ついつい呆れた十文字だったのだが。やれやれという溜息を零すと、カウンターの中でマスターさんが苦笑して、

  「今時分はネ、いつも何かしら暴発しちゃうヨウちゃんだからサ。」

 見た目は三十代半ばほどだが…ここいらの沿線では知らない者はいないほどという夜中のプレイスポットの中核を成す、これだけの規模の店を切り回している人だ。気負いのない何げない言い方だったけれど、だからこその寂しげな気配が語尾に滲んでもいて。そして何より、

  「………っ。」

 そんな一言であっさりと、こちらも想起するものを持つ身の十文字だから…と。通じる者同士だから、ついつい口にしたマスターだったのかも知れなくて。
「…しょうがねぇ奴だよな。」
 カウンターに伏せたまま、くなりと力なく萎えた体から、撓やかな腕を無造作に持ち上げて。ジャケットを羽織った…こちらはきっちり鍛えて充実した肩へと回させ、そのまま易々と引っ張りあげる。周囲を見回したが手荷物はないらしく、そのまま立ち上がる十文字へ、
「奥の部屋、使うかい?」
「いや、それほどのこともなかろうと思うんだけど…。」
 タメグチよりは穏やかな口調の会話。親しい間柄だとお互いに認めていればこそ、年長さんのマスターは丁寧な口利きをするし、十文字の方も対等な語調ながらも反発の気配が一切ない口を利く。大人相手だと、まずは“警戒”や“威嚇”という意味合いから、肩をいからせ、気負った牙を剥いての物言いになる年頃だと思えば、いかに気を許している相手だかも知れるやり取りであり、
「夜風に当てて冷ましてくるよ。」
「すいませんね。」
 ウチの身内が世話かけてと、苦笑混じりに肩をすくめたマスターだったが、ふと、ハッと表情を引き締めて、

  「そうそう、表の通りまで出るんなら気をつけなよ?
   ここんトコ、学園祭流れなのか、
   この辺りでも妙に気が大きくなってる風の大学生とか見かけるから。」

 聞いた途端に“おや”と。それは初耳だったか、ちらっと目を見張った十文字だったが、まあ大丈夫だろうとあっさりスルーし、苦笑を返してフロア奥の通用口がある方へと足を向ける。半分くらいはまだ起きているからか、愚図るようにもがく蛭魔を宥めながらの足取りに苦笑しつつ。二人の背中が“事務室”という札の掛かったドアの向こうへ消えると。それまで手慰みのように磨いていたグラスを手元に見下ろして…小さく溜息。

  “…罪なことをしたもんだよ、あの人も。”

 どんなに可愛げなく突っ張って見せても、もっと幼い頃の彼を知る自分には…その面差しの上に、それはそれは屈託なく笑ったりはしゃいだりしていた小さな坊やの面影をあっさりと思い出せるから。細い肩をそびやかし、どんなに鷹揚に強かに構えて見せたとて、精一杯の強がりにしか見えないから参ったもんで。はぁあとついた溜息が消えたと同じタイミング。VIPルームからのカクテルのオーダーをボーイくんが持って来たのへ、愛想よく笑い返すと。まだまだお若いマスターさんは、かすかな気欝を振り払うようにシェイカーとラムのボトルとを背後の棚から降ろし、カクテルのミキシングに集中することにしたようだった。






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  *何だか意味深な展開となってまいりましたが、
   カメの歩みな進み方で何とも申し訳ありませんです。