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お兄さんは坊やが小学生になったのと入れ替わりに、詰襟制服もよく似合う、それは背の高い中学生になり。ガッコはガッコでも違うガッコに通うのだと知らされて“そんなの聞いてないっ”と、大きなランドセルを背に ひとしきりゴネたのも可愛らしい思い出で。今にして思えば、自分のお友達とのお付き合いを随分と制限してまでだろう、出来るだけ急いで家へ帰って来てくれてたお兄さんに、それでも寂しいと我儘ばかりを言ってた時期も結構あって。修学旅行やキャンプなんていう“泊まりがけ”の行事でもあろうものなら、昨夜は帰って来なかったと拗ね倒し、むっつりと膨れつつも…抱っこをせがんで甘えまくって過ごしたくらいに、相変わらずにお兄さんにべったりの坊やだったりもしていたのだけれど。
『アメ・フト?』
『ああ。』
中学まではタッチフットを続けていたのが、ますます男らしくも凛々しい高校生になったと同時、待望のアメフト部を自分で立ち上げたお兄さんで。新設チームということで、基礎からやんなきゃならない練習が大変で大変で、学校からの帰りも自然と結構遅くなった。これは…坊やからの理解を得るのが大変かな〜と、お兄さんのみならず周囲の方々も当初は随分と危ぶんだそうだけれど。実は坊やも彼に倣ってのタッチフットを始めた頃合い。作戦を立ててパスを回してと、相手チームとの駆け引きが一杯のゲームをこなすのが凄っごく楽しくて、ああこれは お兄さんがのめり込んでも仕方がないって判ったし、夕食の席では会えるから、しょうがないなって案外とあっさり納得していて。そうそう、あれはそんな頃に、
「あっ、あのっ。困ります。もしっ!」
玄関の方で何だか ただならない騒ぎが起こったような気配が立って。強盗か、若しくは彼らの親への遺恨を抱えた者が傍若無人にも押しかけでもしたのかと。そこは素早く反応し、坊やを庇う盾になって身構えたお兄さんへ、
「………え?」
最初から“坊やへ”ではなくお兄さんの方へ、一直線に掴み掛かって来て、そのまま思い切り殴り飛ばした人だったから。
「ルイっっ!!」
文字通り壁まで軽々と吹っ飛ばされてしまったお兄さんの傍らへと駆け寄って、まだ足りぬと迫って来たその人物を前に、仁王立ちとなって勇ましく立ち塞がった坊やだった。
「ルイを苛めるなっ!」
あまりに突然、嵐のような勢いで駆け込んで来た人だったので、実を言うとどんな人なのかを確かめてはいなかった。振り返って振り仰いだ相手は、お兄さんよりも、ガードマンのおじさんよりも上背のある、たいそう大きな男の人だったので。………正直、座り込みそうなほど怖かったのだけれども。持ち前の利かん気と、大好きなルイを殴ったっ!というお怒りとが、彼をして…健気にも反骨の根性を奮い立たせたらしかったのだが、
「…いいんだ、妖一。」
選りにも選って、お兄さんが宥めるような声を掛けて来て、
「その人は、俺の兄貴だ。」
「“あにき”?」
有無をも言わせず殴り飛ばした理由の方もちゃんと携えて来た人だそうで。
『人様のお屋敷で世話になっている身で、不良を集めての暴走族になるとは何事かっ』
前以て、そんなメールをいただいていたので、そのうち叱りに来るらしいという予測はしていたルイさんだったそうである。それにしたって…なかなか過激な“愛の鞭”だったその上に、
「不良なんかじゃないもんっ! 皆、アメフトのお友達だもんっ!」
確かに始めはゴロツキ連中だったらしいが、今は同じ部活動の仲間だと、坊やへもちゃんと紹介されたばかり。やたら強い目をして堂々と、突っ張り連中をも恐れないでいる新入生だったもんだから、よくある流れで生意気な野郎だと目をつけられたお兄さんだったのだそうで。だが、ささいな挑発には絶対に乗らないまま、のらりくらりとやり過ごし、
『その呼び出しを受けて喧嘩に勝ったら、負けた方は相手に従うんだな?』
そんな風に念を押した上で、とんでもない大人数を相手の大修羅場にて、見事にも返り討ちにしてしまったお兄さんだったのだそうで。約束は守れよなと…チームを立ち上げたのへ参加させ、夏休み中かけての特訓をし。その成果が出て、初めて参加した秋大会では、なんといきなり都代表ベスト3に入ったほどの戦績を見せたチームであり、
「不良と違うもんっ!」
こちらさんも…怖いのだろうに一生懸命に立ち塞がって、判るまで言い続けるぞこの野郎と頑張って見せた小さな騎士様へ、
「…そうか・そうか♪」
そんな詳細までは聞かされていなかったからと、坊やの頭を大きな手でぽふぽふと撫でてくれて、それから…水臭い弟をもう一発殴って、あっさりとアメリカへ帰って行った、大きい方のお兄さんだったっけ。
そんなドタバタがあったほど、いつの間にやら彼らの生活の中には“アメフト”というスポーツが共通語のように入り込んでいて。知恵と力と度胸と、それから不屈の心意気と。駆け引きと情熱となんていう真っ向から逆なものが混在し、それは雑多で様々なものが緻密に組み上がって展開するスポーツだから。魅せられたこのまま、アメフトを本格的に続けたいと言っていた彼だった。
『将来は本場に渡って揉まれるかな。』
そんなこと、結構本気で語ってもいた。なのに…部からは引退していた三年生の冬場のこと。
『…ルイっっ!!』
練習中の激しい衝突という事故で頭をぶつけ、選りにも選って眸を傷めた。格闘技や球技をするのに視覚はやっぱり重要で。失明した訳ではないのだけれど、視野に部分的な障害が出るという状態のままで続けるのは、他の選手に衝突するなどといった二次的な事故につながりかねないから。医師からもチームの指導関係の方々からも、諦めるしかないと宣告されてしまった。
――― だが、なまじ他の五体は何ともないままなのが、
彼には相当に歯痒いことだったのだろう。
高校を出て、経済学を学ぶためにと大学に通い始めて…半年後。秋も深まったある日突然、誰にも何も告げぬまま、その消息を絶ってしまった彼だったのだ。
◇
朝一番から姿を見なかったが、何か所用があって早く登校する予定になっていたのだろうと、誰もが大学へ行ったものと疑わずにいた。その頃は、坊やの両親と姉上が国内での事業展開のためにと帰国しており、ばたばたと活気ある慌ただしさも倍化していたがため、何の前触れもなく、しかもそんな悲しいことが起ころうだなんて、誰もが思いもしなくって。昨日の続きの今日を当たり前のリズムで消化していたのだが。深夜になっても帰って来ない彼だということへ、坊やが真っ先に“訝しい”と不審がり。電話1本寄越さぬままなどというケースはこれまでに一度だってなかったからと、知己に片っ端から訊いて回り、事故に遭ったのかもしれないと、病院や警察といった関係筋にも確かめて回って。しまいにはアメリカのご両親にまで連絡したが、そちらにも知らせは何も届いてはおらず。独立していたお兄さんへも訊いてもらったが、やっぱり居所は判らない…とのことで。よもや誘拐されたとか? それとも、見つからないままにどこかで倒れているのかも? 話が大事になりかけたそんなところへ、どことも知れないネットカフェから、坊やが使っていたPCへ直接。
『心配は要らないから』
HNではなく本名へ、こちらへも名指しでのそんなメールが届いたので。この世を儚んだ訳ではないとは判ったものの、姿も声も届かない、行方が知れないままには違いなく。
――― なんで? どうして? 何処にいるの?
彼が何を決意したのかも、それによって何が起こっているのかさえも判らずに。手を伸ばせばすぐ届くところにいた人が、寂しいという電話1本ですぐ傍まで駆け戻ってくれた人が、その消息を完全に絶ってしまった。あれほどまで懐いていたのに、替えるものなど この世に無いくらい大好きだったのに。お互いにお互いがそんな存在同士なんだと思っていたのに。何の説明もないままに居なくなってしまったという現実が、あっさり置き去りにされたのだと…彼の側からはそうして構わない程度の存在だったのだという真実を、容赦なく坊やに突きつけて来て。
――― ボクなんてどうでも良かったの?
放り出しても何とも思わないくらいのものだったの?
精神的な異常を来したのではないかと周囲から心配されるほど、何日も何日も喚き続けて泣き続けて。それから…ふっと静かになった後、ガラリと人が変わっていた“ヨウイチ坊や”だったという。それまでも十分に、大人と対等な口利きをする、利発で小生意気な子供ではあったけれど。どちらかといえば元気で明るい性分だったものが、妙に冷静で落ち着き払った、大人びた雰囲気をまとうようになり。家族を相手にでさえ、表面的な、形だけの笑顔しか見せなくなって。失踪した彼のことを吹っ切ったのかと思いきや、いきなりアメフトをやり始め、自分の限界までただただのめり込み、周囲から孤立しつつも弱小チームを叩き上げ。気がつけば…冷酷なまでの恐ろしいほどの強かさを身につけた、孤高の佳人と呼ばれるまでの、今の彼へと変貌を遂げていた。
積もる話がありそうだからと。苦笑混じりに手を挙げて合図とし、バイクをそのまま走らせて立ち去った十文字であり。一流ホテルの顔であるエントランス、きっちり掃除が行き届いていても、季節柄のこと、色づいた街路樹からの落ち葉だろう切れ端がオートバイの疾走に撒かれて舞い上がる。
“…あ。”
わざと幹を蹴飛ばしては、その葉を散らしたニセアカシアの樹を ふと思い出した蛭魔は。
“…ああそうだった。”
あの落葉が、まんま桜の花吹雪や雪舞いに似ていたから。それで、似たものまで見るのが辛かったんだと。今になって理解する。何があっても泣くもんかと、涙も涸れたと自分に言い聞かせて感情に封をした。何があっても動じないと決めたのに、これまでそうして来れたのに。あれから4度目の秋が来て、やっとのことで果たせた再会に際して、こんなにもあっさりと動じてる。彼のことが話題に上ると、今度逢ったら容赦しない、ぶっ殺すなんて物騒なことまで言っていたのに。直接触れた温もりに、涙まで出て来そうになったほど簡単に動じている。
“あいつらに相当ほだされたせいだろうか。”
冷然と突き放してたつもりが…気がつけば振り回されていた、亜麻色の髪をした華やかな美貌の青年や、何とも覚束ない稚いとけなさで振る舞うところからついつい目が離せない、あの小さな一年生とか。人の意を酌むのが巧みだったりド下手だったり、何とも極端な顔触れの揃った緑陰館で過ごすうち、それぞれから様々に…構われることや案じられることに心が馴染んでほだされて。凍っていた筈の心の琴線も、その響きを取り戻していたということか。
“………。”
久々に逢った彼は、面差しや肢体にはさしたる変化もなかったものの、あまり直接逢う機会の少なかった“彼の実兄”とどこか雰囲気が似ているなと感じられて。社会に出て、自分の責任というものをしっかと踏み締めて行動していることから得た、落ち着きや自信が滲み出してのものなのかも。だとすれば、自分がその背丈を伸ばしたように、彼の側もまた…逢えないでいた間を過ごした分だけ“大人”になったということか。促されるままにエントランスをくぐったホテルは、広々としたロビーやエレベーターホールもそれは豪奢な作りとなっていたが、彼が逗留している部屋があるという階でゲージから降り立つと、そこは打って変わって洗練された雰囲気でコーデュネイトされており。カードキーで開かれたドア。先に入れと促され、通されたのは…ビジネス仕様のものとはいえ、部屋が幾つも設けられた立派なスィートルームであり。仮住まいのそれとしてあちこちに出されてある室内用の上着やPCなどが一人分であるところから、一緒に来日し同行して来たゼネラルマネージャーとかいう人は、別の部屋で寝起きをしているそうなのが察せられ、
「ただの通訳にしては、破格の待遇みたいだな。」
さっきより少しは落ち着いたか、ズボンのポケットに両手を突っ込んでという常の横柄な態度に戻って、室内を見回している蛭魔の背中を苦笑混じりに眺めやり、
「まぁな。」
通訳もするがそれ以上に、彼自身が日本市場に於けるマネージメントへの様々な決定権を持つ立場にあるのだと手短に語って、
「まだそんなに、あれこれ沢山の予定がある訳じゃあないんだが。」
近年の…野球にばかり偏っていなくなった日本の市場に、チームのブレインサイドが素早く目をつけたというところならしくって。今回はとあるテレビ局との放映権の契約交渉という極めて事務的な話での来日だったそうで。だから、あまり大々的には報じられなかったのらしい。
「…ふ〜ん。」
あまりに感極まっていたとはいえ、人目のある場ですがるようにしがみついてしまったことへ…今更ながらにバツが悪いとでも感じてか。好奇心を装ってあちこちを見て回りつつ、彼からの距離を置くように離れて背中を向けてばかりいる蛭魔であり。毅然と立つ細い背中に何とも言えない、切なげな表情でいた彼だったものが、
「…っ。」
静かに歩み寄って、あっと言う間に。薄い肩ごと上体全部を懐ろの中へと抱え込む。咄嗟のこととて、跳ねるほどにひくりとばかり、その痩躯が震えてしまったが、
「…デカくなったよな。」
間近からしみじみとした声が立ったのへ、こちらも小さな吐息をついて。強ばりかけていた肩から力を抜いた蛭魔である。
「4年も経てばな。樹だって育つさ。」
言いようは乱暴だったが…邪険に振り払うにはあまりにも、懐かしくて愛しい温もりだったから。胸元へと回されている腕へ、重ねるようにこちらからも手を添えている。彼の方だってすっかりと大人びた。以前のように“ルイ”と呼び捨てにしてもいいのかなと、ついつい戸惑ってしまうほどに。覚えている中で一番大きかった彼と同じほどまで背が伸びたと思っていたのに、
“こんな簡単にくるみ込まれてしまうなんてな。”
自分の側が大きくなった、大人になったと思うことで、少しでも遠い過去のことにしたかったのかも。なのに…温みも匂いも覚えているままで、すっかり忘れた筈があっさりと思い出せている。小さい頃はいつだって、我儘を言って困らせるたび、寂しいのだなと察してお膝に抱えてくれた人。口ばっかり達者だった子供。可愛げなく牙を剥き、そんな形で懸命に“寂しくなんかない”と強情を張っていたものへ。怯まずに手を伸ばして来て、触れてくれた、黙って膨れていたのへ“もう意地を張らなくても良いんだよ”と撫でてくれた人だったから。そんな感情の延長かもしれない、寂しさを誤魔化すための強がりへ、すいと触れて来た彼の温もりに、矛盾を覚えつつも…感覚はあっさりと馴染んで。飢えを満たしたいとするかのごとく、胸が切ない悲鳴を上げている。
“…一匹狼が聞いて呆れるよな。”
誰をも寄せつけないでいたのに。肩をそびやかし、近寄ったってロクなことはないぞと振る舞って、そうやって孤独に耐えられる身になっていた筈だったのにね。胸の奥がきりきりと、これまでの“寂しい”ではない感情で痛いほどに締めつけられている。油断をすれば涙が出そうで、それをこそ堪えるようにとそっぽを向いたままでいると、
「こういう形で帰って来ようとは思わなかった。」
まだまだ意に染む形ではなかったから。こうやって見つかってしまわなかったならば、やはり黙って…蛭魔に連絡をつけることもないままに、アメリカに戻るつもりだったと言う彼で。そんな言いようへは、さすがに黙ってはいられず、
「なんで…。」
肩越しに見上げた…相変わらずに上背のある彼の、苦しげな顔があらぬ方を向いたのを追うように。懐ろの中で強引に身体を回して、広い胸元へと掴みかかった蛭魔は、苛立たしげに言を重ねる。
「あの時だってそうだった。何か一言くらい、こうしたかったからってのを言ってくれてても良かったのに。」
確かに憧れていた。打ち込んでたスポーツの世界での有名人で、大好きで自慢のお兄さんだった。だが、何も…甲子園や花園や国立競技場やクリスマスボウルや、大学だったら“クラッシュボウル”へ、連れてけなんて言ってない。目を傷めたって聞いた時も、アメフトが続けられるのかどうかって話は出来るだけしなかった。意気消沈していた彼を思って気を遣ったからじゃなく、自分にとっては彼を語る上で真っ先に来るものじゃなかったからだ。
――― ただ、傍にいてほしかっただけなのに。
親兄弟よりも当たり前に、ずっとずっと傍らにいてくれた人。住まうところを移しても“此処に居るよ”と判るなら、今の世の中、どんな形ででもつながっていられる。電話やメールでも想いは通じるのだし、直接逢うことだってそんなにも難しいことではないのだし。大切な人として、ずっとずっと。声の届くところにいてほしかった。どこへだってついて行けた。そんなささやかなことを、ねだっていただけだったのに。
「そんなにも俺が邪魔だったのか? 負担だったのか?」
期待に応えなければという重荷になっていたのだろうか。それとも…どうでも良い存在だったのだろうか。決意や指針という先々のこと、わざわざ話すにも足りないような、そんな存在だったから? 持って出るのを忘れたけれど、まあいっかと、代替品があるからとあっさり見切れるような、そんな程度の存在だったのだろうか。こんなことを訊くなんて未練がましいなと思いもしたが、捨て置かれた理由が分からないのが、一番の苦痛であり不可解でもあったから。それをどうしても聞いておきたかった蛭魔だったのだが、
「1日でも良いから実戦レベルへ飛び込んで、何かを確かめたかった、だなんて。ある意味で未練がましいことにこだわってたような人間だったからな。」
身体に不自由な部分がありながら、けれど頑張っている人は勿論のこと沢山いる。本人が諦めなければ、その道は閉ざされてはいないのだけれど。4年前に諦め悪く飛び込んでみて、それなり頑張った末に…納得した上でとはいえ、結果として自分は諦めてしまった人間だからなと。苦々しく小さく笑って、
「そんな俺なんぞに気を散らしてほしくはなかったんだ。」
さらりと。淀みなく言ってのけたということは。いつか出会った時に聞かれる予測があったから?
「気を散らす?」
頭上に降り仰いだ顔。顎の線からおとがい、首へと降りる深みの陰が何とも精悍で、落ち着いた瞳が真っ向からこちらの視線を受け止めて…自分の側の感情の発露をためている。そんな“大人の顔”になった彼が、是としっかり顎を引いて、
「…あのままでいたなら、俺はお前の枷になりかねなかった。」
「枷?」
「タッチフットだって俺がやってたのを見て始めたんだろ?」
反射も鋭く飲み込みも良い。手先も器用な子で、スポーツなら何だってこなせた。テニスもスキーも、野球やサッカーも、陸上競技や水泳さえも。やってみたものは大概、同世代の中ではトップクラスの習熟度をあっさりとクリアし、それぞれの関係者をして“次世代のホープかも”と興奮させもしたほどだったのに。日本ではまだまだメジャーではないアメフトの、しかも準備段階用の競技でしかない“タッチフット”を始めて、地味なことでも音を上げず、それは熱心に練習をこなしていた。先々ではお兄さんのように、あの重々しい装具を着けて緑のフィールドを駆け上がる“アメフト”を自分もやるんだからと、熱っぽく語ってもいた。そんな子だったから、ついつい懸念してしまったこと。
「何だって出来る子なのに。俺の代わりに、俺がやりたくとも出来なかったアメフトだから続けなきゃって、そんな風に気負ってしまうようになるかも知れなかったって事だ。」
人一倍頑固で、一度言ったことは絶対に曲げないような子だったからな。静かに言われて、蛭魔の眸が…淡灰色の虹彩がかすかに揺らぐ。
「そんなことは…。」
意外な指摘にあって、思わずたじろいだ。どうだろうか。そんなこと、絶対にないって言えるか? 気負いはしないと言い切れるか?
「お前は負けん気が強いから。たとえ思うように運ばない時があっても、それを挫折とか失望とかには縁付けないまま、何があっても前向きなままに、突っ走り続けられる子かも知れんがな。」
バイタリティにあふれた子だった。だから、先んじて案ずることはないのかも知れない。けれど、
「そうなる可能性もなくはないだろ?」
本当は。それはそれは優しい子だと知っている。誤解された彼を庇って、初めて会う大きな大人…それも自分より大きなお兄さんを易々と殴り飛ばした“暴漢”の前に、懸命に立ちはだかった子だ。話を聞いてくれるまでは退かないと、大好きな人の想いを代わりに語ったような子だった。
「………。」
何とも応じられないでいる蛭魔へ、彼は“それじゃあ”と別なことを訊く。
「お前が作ったっていう、今のチームから離れられるか?」
「…っ。」
唯一、連絡を取っていた兄から、家族のことだけでなく蛭魔の話も聞いていた。今更言うのもおこがましいが、一番に心配していた、放り出せないと最後まで迷った存在だったから。
「何でいきなり、アメフトを始めた? 俺への遺恨があったからだろ? こんなものを楽しいと思う奴が憎いって。」
それは唐突に、しかもがむしゃらな方法で、敵ばかりを作るような強引さでもって始めたアメフト。負けん気が強い子ではあったが、利かん気な子ではあったが、それにしたって乱暴すぎると。それまでの彼を知る者には意外すぎるほど、極端に傲慢で強引なやり方で、大人さえ小手先で挑発しもってチームを弄り始めた彼であり。そんな姿なのだと聞いて…ああそんなにも傷つけたのかと思い知らされた。暖かいもの甘い優しさ、そんなもの要らないとただただ何かへ怒っていた。初めて出会った時に見た、アカシアの幹を無心に傷つけていた小さな背中がそうだったように。攻撃的であることで人を寄せず、一人でだって平気だと立っていられるようになろうと、そんな悲しいことを再び始めたのだなと思った。何かに身を投じて忙殺されて、傷ついてでも忘れたいと。がむしゃらに走り回って、悔しさや悲しみから遠ざかりたいと。
「………。」
図星だったのか、黙りこくった蛭魔へ、
「でも、今はどうだ?」
重ねて訊いてみる。
「自分には片手間に出来ることだと。こんなものに先々を懸けてまで執着する奴の気が知れないって、軽んじて憎んで始めた筈だろうに。だったら、あっさり見切ることも出来るって。未練なんか沸き立ちもしないようなことだって。そうすることで完了する筈だった、当てつけだったはずが。」
腕の中、まだまだ成長過渡期の骨張った体が小さく萎えて。
「…うん。」
金髪を乗せた頭が、こくりと素直に頷いた。今はとっても充実してる。いいチームになったと思う。当初みたく、能力数値だけ見て調整している自分でもない。相性というのか、頑張りなんて言う不確かな肌合いの方を重視するようになったし、それでなのか、前よりずっとあれこれ伸びて来たチームだし。
「切っ掛けこそ俺への当てつけだったかもしれない。でも今は、お前がお前のためにやっていることだから。だから見切れないんだよ。」
悔しいけれど、その通りだと思ったから。何も言い返せなかった。やっぱり大人だな。敵わないな。でも、わざわざ言ってくれる“甘ちゃん”なところは、成長してないんだ…なんて。何でもいいから毒づきたくて、そんな“子供”な部分へもじりじりしていると。
「………なあ。」
「ん?」
「今いるところは、暖かい楽しいところか?」
不意な質問。どうとも解釈できて、どうとも答えられて。
「………。」
少々意味が把握出来なくて黙っていると、
「友達や仲間、手を付けてること。何でも良いさ。楽しいか?」
「………ん。」
ちょっぴり。間を置いて、だが。ぽそんと凭れて来た動作に誤魔化すように、頷いている。
「凄げぇ楽しい。アメフトも、ガッコも。」
アメフトは、走りや投擲にもゲーム構成の妙にもまだまだ伸びる余地があるのが判って来て、先へとワクワクする要素があるのが何とも言えず楽しいし。いつの間にやら…しょうがない奴だなと手を焼かされるのが、けれど妙に擽ったい知己たちも出来た。そうと呟けば、大きな手が背中を撫でて、
「ほら。」
「?」
「俺なんかが一緒にいなくても。ちゃんと“楽しい”に辿り着けてるじゃんか。」
深みのある声が囁く。大好きだった声。小さい頃、おやすみと寝かしつけてくれた声。懐ろから直接伝わるその声音に。自分をすっぽりとくるみ込んでいる温みと匂いに。眸の奥がじわじわと熱くなって来て。
「ば〜か。俺が頑張ったからで、ルイが偉そうに言うこっちゃねぇ。」
癪だからと憎まれ口で返せば、
「ああ、そうだな。よく頑張ったよな。」
小さい子を相手のように、やっぱり優しい声が返って来たから。
“やっぱ、ルイって凄いよな…。”
逢ってまだそんな経ってないのにな。あっと言う間に。足掛け5年越しで凍っていたところ、全部見事に溶かしてしまったんだものな。………それとも俺が、根性が足らないだけなのかな。
「…なあ。」
「んん?」
「やっぱ、傍に居たい。」
「ば〜か。自分で手に入れたもん、放っぽり出す気か?」
「う…。」
ルイには言われたくないねと、シャツ越しの胸元へグリグリと頬を擦りつければ、あははと顔を天井へ向けて、声を立てて笑った人。そうだな、俺には言う資格ないな。けどまあ、もう何処に居るんだか判らないってことは無しにするからな。そうと言って…部屋着のカーディガンのポケットから大きめのハンカチを出してくれた、相変わらずに過保護で、何でもお見通しなお兄さんだった。
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*もうちょっとだけ続きますvv
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