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学芸会で演じられた小さな仔猫の冒険の寸劇は大成功で。主役の小さな黒猫を演じたセナくんは、ちょっぴり“あがり性”で何度か台詞を忘れそうにもなったけれど。プロンプター役の金髪の坊やが、舞台の袖からそれは的確にフォローし続けたので。低学年の出し物とは思えないくらいに上手だったと、父兄の方々から鳴り止まぬ拍手をたくさん頂いた。校長先生からの最優秀賞まで頂いたんだけれど、でもね。それを齎(もたら)した当のヒーローくんには、そんなのどうでも良かったらしい。教室に戻っての終礼もそこそこに、教室から一番という勢いで飛び出すと、ほとんどの生徒たちが観に来た父兄と帰る中、急流に逆らって瀬を逆上る鮎みたいに人波を器用に掻き分け追い抜き、瞬く間に校門から飛び出して、一番近くのバス停まで直行する。いつもは葉柱キャプテンを携帯で呼び立ててバイクで迎えに来させているのだけれど、今日は…何度掛けても圏外だという返事しか返っては来なくって。
“…何かあったのかな?”
だとして、何があったんだろう。急な予定が割り込んでっていうんなら、ちゃんとメールとか送ってくれてたのにな。そうしないと坊やがひどく拗ねてしまうから…ではあったけれど、それでもそれが“習慣”になってたことだから。それがないままな この音信不通状態は、妙に気分を逆撫でして落ち着けない。今日はランドセルを背負っていないし、何より日曜だったから、小さい子供が一人でバスに乗っても不審に思う人はいなかろう。
“電話に出れないってことは、やっぱり練習してるのかな?”
日頃の彼らは、世間様から“不良”とか“暴走族”とか呼ばれるところの、ちょいとやんちゃな集まりでもあって。行儀も悪けりゃ態度も素行も悪い、昔の言葉で“鼻つまみ者”って輩たちだけど。夏休みにわざわざ合宿を張ってトレーニング三昧をこなしたくらいに、アメフトへは真面目に取り組んでいたのを良く良く知ってる坊やだったから。きっとそれで連絡も取れないんだって思ってた。仕方がないよな、大会も大詰めだしさ。二度目の大会でベスト4だなんて、物凄い快挙だと俺だって思うもん。休みの日だって練習していて当然で、それで電話にも出られないんだろうと思ってた。
“………。”
窓の外を流れてく、休日の街の景色さえ目に入らぬ様子にて。小さな坊やは堅く思い詰めた表情のまま、目的地までの十数分をやり過ごす。初めてのお使いの緊張に呑まれてしまい、笑顔が出ないって様子にも近しいものがあるせいか、微笑ましいことと勝手に解釈していなさる向きの方もいらしたようで。それだけ真剣本気な想いに、お顔も体も固まっていた模様。バスを降りるとそこからはすぐだ。
“…えっと。”
葉柱が通う高校は、日曜だからか 人の気配はなく至って静か。がっつりと頑丈そうな門扉が一応は閉まっているけれど、随分とやんちゃな学生が多いため、敷地を囲むフェンスのあちこちが破れていてどこからだって入り込める…という“勝手”は重々判っていたからね。いつもの辺りの裂け目から潜り込んだそのまま、校内の奥向きにある部室へと向かいかけた坊やの足が、
“…?”
ふと止まって向かう先を変える。いやに沢山の声が裏側の校庭の方から聞こえたからで、日頃も不良の溜まり場みたいなものと化してる学校だけれど、休みの日なのにわざわざこんな何もないところまで出て来る物好きなんて そうは居ない筈。もうそろそろ夕刻なのに、まだグラウンドにいるルイたちなのかなと、コンクリを打った通路をパタパタ駆けて駆けて校舎の脇を通り過ぎて。さぁっと開けた視界の中、なだらかな土手の下に広がるグラウンドが見えたとほぼ同時に、
「そんで、今更ビックリしたみてぇに目ぇ剥いてよ。」
「ああ、見た見た。
偉そうに踏ん反り返ってやがったのが、さぁーっと真っ青になりやがった。」
ぎゃはははは…っと。弾けるような勢いのダミ声での爆笑が上がったのへ、坊やのお顔が唖然とした表情に固まった。そこにいたのは坊やにも重々見覚えがある面子たちで、間違いなくアメフト部の部員たち。夕方間近いグラウンドの一角に、たむろするよに ごっちゃりと集まっており、それぞれにベンチや土手に腰を降ろして、思い思いの格好にて何やら盛り上がっての馬鹿騒ぎを繰り広げている。練習着を着ている者は一人もおらず、だが、それにしては…一汗流しましたという活気にも似た空気が辺りに満ちているような。まるで激戦を制した試合の直後みたいに、高揚した気分が収まり切らなくて、それでと興奮気味になってる彼らだと判る。それぞれが着ているシャツやジャケットがあちこち汚れていて、落ち着いて見回せば、どの面子も顔やら腕やらに………怪我の跡も見受けられ。
“………まさか?”
まさか、でも…そんなのって信じられないと。凍りついてた坊やの来訪に、缶ジュースの詰まったコンビニの袋を提げて皆の間を駆け回ってた小さい部員がやっと気がつき、
「お、坊主じゃねぇか。こっち来なよ。」
何たって放課後の練習へいつもいつも顔を出してる顔馴染み。自分たちの総長を相手に、恐れげもなく生意気ばっか言ってる こまっちゃくれた子だってことは誰もが知ってる。こっち来いと手招きをしたのへ、他の面々も視線を向けて来て、
「おお、日曜だってのに来たか。」
「あ、あれだ。ヘッドのケータイ、お釈迦になっちまったから。」
「そうそう。腰の辺りを掠めた角材でがっつりと。」
ありゃあ危なかったな、わははと豪快に笑う彼らだが。坊やはかすかに息を引き、唇を噛んで少しばかり俯いた。そんな彼の傍らまで、スロープに設けられた石段を上って補欠の小さいのがやって来て、
「ほら、葉柱さんなら向こうにいるぜ?」
逢いに来たんだろ? こっちだと、手を引いてくれたのへ従って。とぽとぽと短い階段を降りてゆく。広いフィールドの向こう側。ゴールポストが立ってるすぐ傍のフェンス前にただ一人。愛車のゼファーをスタンドアップさせた傍らの、用具を入れとくごっついトランクケースをベンチ代わりにして腰掛けていたのが、白い長ラン姿のお兄さん。高々と脚を組んでという反っ繰り返った腰掛け方ではなく、腿に両肘を引っかけるような前かがみっぽい姿勢でいたので分かりにくかったのだけれど。近づくと…そのお顔のあちこちに、擦り傷やら打撲の跡やらが散らばっているのが見て取れる。いつもびしっと決めてる髪も、わずかながらだが乱れており、やはりこれは間違いなく…。
「…喧嘩、したのか?」
エスコートしてった補欠くんが二人に背を向けたとほぼ同時、どっから出たんだとドッキリするほど、それは低くて堅いお声を出してた坊やで。それへと、
「まあな。久々だったし頭数もちょいと不利だったが、余裕で勝ったぜ。」
こちらもまた…妖一坊やが今まで聞いたことがないような、感情をまるきり乗せない単調な声にて。あまりにあっけらかんと応じた葉柱だったりするものだから。ますますのこと、坊やの側では驚愕の色が深まって。
「…なんてこと、したんだよ。」
堅いままな声が、そうと続けている。
「まだ大会中なんだぞ? 次は準決勝なんだぞ? せっかく残れたのに、不祥事ってことで出場停止にされたらどーすんだよっ。」
そんな基本的なことにも気がつかなかったのか? 誰も見てなくたって、ルイたちが報復すんじゃないかって思うと怖いからって目撃者が黙ってたって、
「相手が腹いせに密告したらアウトじゃないかっ!」
「そうかもな。」
ちっとも動じず淡々としたままな葉柱の態度に却って煽られたのか。誰のことで心配してると思ってんだよと、火が点いた怒りの勢いが段々と爆発レベルに近づいて来て。坊やの声のボルテージも急上昇し、
「信じらんねぇっ! なに考えてんだよっ!」
こうまで価値観が違うなんて、物事の順番が違うなんて思いもしなかったから。そこからもうもう“信じられない”という大きな打撃でもって打ちのめされてる。何だ何だとこっちへ注意が集まったが、そんなことにはお構いなく、
「殴り合いなんかで勝ったって、全然偉くなんかねぇんだぞっ! そんなのただの野蛮人じゃねぇかよっ。」
自分みたいな子供にだって判ること。
「腕力振りかざすなんて、一番卑怯で一番幼稚な手段じゃんかっ。」
そんなもんで勝って何が楽しい。話し合おうっていう知恵のない、ギブ&テイクで何かしら1つずつをお互いに我慢し合うという忍耐もない。すぐに手が出る野蛮な乱暴者よと、軽蔑されんのがオチじゃんかと言いつのれば、
「そうでもねぇぞ。」
葉柱は随分と落ち着いた口調で言い返して来た。
「周りの人間が何言おうと関係ねぇし、それに少なくとも…負けないことで面子は保てる。そしたら、詰まんねぇ奴が幅利かすのを黙らすことが出来るだろうがよ。」
日頃よりも低められ、落ち着き払って…どこか穏やかでさえある声なのは。さっきまで盛っていたのだろう血気に逸(はや)った興奮を押さえてのものか、それとも思うさま暴れた後の心地いい疲労に酔って、感覚が麻痺しかけている彼なのかも。腕っ節の強さを誇りたいと思うのは、実を言えば…坊やとしても基本的なところでは構わないと思ってた。それだけならば頼もしいことだ。ただ、何もこんな時期の真っ最中に、そんな馬鹿な真似をどうしてわざわざするのかと。あまりに馬鹿げた行為への理解が追いつかなくて、大切な言葉や価値観の順番がこうも違う奴らだったのかと、あらためて思い知らされたようで。そしてそして…その“違い”が、坊やには無性に重い痛さを帯びていて。がつんって思いがけない拳が頭へ飛んで来たみたいに、目の前がショックに眩んでしまってて、物がよく見えないような気分さえする。同じ感覚でいたんじゃなかった。仲間だって思ってたのに、同じことへ同じ感覚を持つ同士だって思ってたのに。実は根っこから全然違うんだぜって、冷酷にも思い知らされて突き放されたような、そんな気がして…衝撃も大きくて。
「…おい?」
そんな自分へ“どうしたよ”という不敵な視線を向けてる葉柱に、
「別にな、地道に練習やって来て、ルイんトコに負けちったチームが、そんな形で不戦敗した詰まんねぇチームに負けたって言われるのは気の毒だとか、そんなことまでは思わねぇけどな。」
そうまでの正々堂々とした“無垢な心掛け”を持てとまでは言わない。でもサ、じゃあサ。どうでも良いことだったの? 朝も早よから苦しいランニングを続けたり、暑い最中だってのに、防衛ラインを守り切る“当たり”の練習をし過ぎて目を回したり。腕や腿が上がんなくなるほど、腕立てやスクワットをやり込んだり。せっかく汗を流して頑張った、何日間とか何時間とかはどうでもいいものなの? 一緒に笑ったりしたのが楽しかったって思ってるのは、俺だけなの? そうと思うと…なんでだろうか。それはそれは口惜しくて、血が煮えそうなほどに悔しくて堪らない。
「時と場合をわきまえることも出来ねぇ、大事の前の我慢も出来ねぇ。んなガキみてぇな奴らの下っだらねぇ自画自賛なんて、一番聞いてらんねぇんだよっ。メンツは保てるだぁ? そんなもんが大事なら、いっそアメフトなんか辞めちまえっ! 下衆な喧嘩ばっかやって、大事なメンツが埃かぶんねぇようにだけ、気ぃ遣ってりゃあ良いだろうがよっ!」
我儘でしたい放題な自分だって、アメフトのためならっていう我慢だけは出来るのに。自分はまだ子供で、同じところには立てないし。大好きな奴がその間だけはこっち向いてくれなくても良いからってサ。俺も我慢するからサ、次も勝てよなって、一緒に立ち向かってるような気分に浸ってたのにサ。そんな高揚感とか一体感とかがあった分、それが楽しくて堪らなかった分、失意の程も大きかったらしい坊やへ、
「小狡い屁理屈や揚げ足取りで相手を言い負かして悦に入るのだって、
相当に下衆で姑息だぞ。
…まあ、お前はホントに子供だから、許される無作法なのかも知れんがな。」
言いたい放題されたのへ今日ばかりはムッとしたのか、やはり冷たくも静かな口調で、きっちりと言い返して来た葉柱だったから。
「………っ。///////」
しかも、言われたことへの理屈がするすると、坊やにも素早く理解出来たから始末が悪い。
「ルイなんか大嫌いだっ! もう逢ってなんかやんねぇっ!」
激高しての捨て台詞。制してもらう気なんか、これっぽっちも無かったけれど、
「ああ良いさ。こっちだってせいせいする。」
言われてますます“むかぁっ”として、体の中にホントの火がついたみたいになった。睨み合ってるのも腹だたしくって、ふいっと顔を背けたそのまま、フェンスの破れへ向かって歩き出してる。裏手の路地へと出られる大穴。くぐって外に出ると、振り向きもしないままどんどん歩いて、学校から遠ざかることにした。毅然とした態度をムキになって保ちつつも、
「………っ。」
何でそうなんだよと頭の中がぐちゃぐちゃになっている。何で判らないの? 何で通じないの? 何で違うの? 言葉が通じない相手になっちゃった葉柱だってことが口惜しくて、それって…今まで自分だけが気づいてなかった話であるなら…滑稽な分だけもっと哀しいなって思ったの。
“ルイの馬鹿っっ!!”
もう二度と逢ってなんかやんない。これっきりなんだかんな、覚えてろっ!! 猛烈に怒っている筈なのにね。眸の奥がつきつきと痛い。鼻の奥がツンとする。景色が歪んで見えて来て…でも、自分が泣いてるなんて認めたくなくて。柔らかな唇、ギュッと噛みしめると、頑張って胸を張って。黄昏が迫る町並みを、速足で歩き続けた坊やだった。
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