2
一番に回復力がある筈の高校生たちだとはいえ、一日中スポーツ三昧というのはお初の体験だというクチばかりでもあり。早い話が…団体球技には特に必須の、集中力と持久力に少々問題が。
「そこんトコも異色っちゃ異色よねぇ。」
自分たちのことながら…情けないなと呆れてしまった鬼コーチことマネージャーさんだが、現実問題なだけに これもしようがない。そんなせいでか、最初の1日は午前中だけの基礎トレで終了ということに相成った。団結力と底力ならあると思うんですけどねぇ。あと、一発点火の瞬発力も。(苦笑)
「情けない話だけれど、無理にぎゅうぎゅう積み重ねても身にならなきゃあ意味がないんだし。」
後で、夕方の涼しい時間帯にロードワークに出るからねと、厳しき指揮官と化したマネージャー嬢からのありがたいお言葉があって、さて。
「ル〜イ〜〜?」
こちらさんは元気あり余りの小さな坊や。此処へ連れて来てもらう前に、お母さんと葉柱主将へ“合宿のお邪魔はしません”と約束したからね、練習の間は大人しくしてた。でも今は休憩の時間で、ご飯を食べて少しの間は“食やすめ”が必要だってことも判ってるから、お昼を食べてから小半時ほど我慢して。それでようよう、遊んでもらおうと、大好きなお兄さんを探し始めた坊やだったのだけれども。玉子丼とワカメのお味噌汁とハムサラダのご飯は並んで食べたんだよ? サラダに載ってたシーチキンとコーンが美味しくて、ぱくぱくって一番最初に平らげたらね、ルイが笑って自分のを分けてくれたの。そうやってたら、此処の管理をしてらっしゃるおじさんから、何か御用があって呼ばれてっちゃって。それから全然戻って来てくれないルイだったから。どこまで行ったんだろうって、お兄さんと一緒に寝泊まりしてるお部屋を抜け出して、建物の探検も兼ねてあちこち見て回ることにしたの。此処は葉柱都議のお父さんが、やっぱり都議選挙で初当選した年に記念に買ったっていう、なかなか由緒のある別荘で。古いにしては珍しい、鉄筋コンクリの3階建て。洋館ぽい作りで、1階には何とダンスホールとして使ってた、天井が高くて大きな窓が一杯ある、広い広い洋間があって、まるでどこかの公会堂みたい。今は食堂として地味に使ってるみたいだけれども、
“政治関係の偉い人を招くこともあるんだろうな。”
だって、時々テレビのニュースで見るよな、政治家のおじさんの肖像画が何枚か壁に掛かってる。握手している写真が入った額縁もあるしさ。それってやっぱ…関係を大事にしたい相手だってことでしょ? それと、どうだい こんな大物と懇意にしているんだぞっていう誇示と。あんまり楽しくはないそういうのを眺めながら、ひょこりと小首を傾げた坊や。
“上へ昇ってった感じじゃなかったよな。”
むしろ、外へと呼ばれてったような。食堂を出てカーペットを敷かれたお廊下を進み、ホテルみたいな玄関ホールを通り過ぎ、大きいのが二重扉になった広い玄関でサンダルを借りて。とことこと外へ出てみることに。車を玄関前まで乗り付けられるロータリーになった正面前庭には、背丈が短くなった日蔭を石畳に落としてる並木があるだけで、人の気配はどこにもない。ここから始まるなだらかな下りのスロープが立派な正門まで続いているのだが、
“敷地の外にまで出掛けるような御用だったの?”
だったらマネさんとかに言ってかないかな。それと、
“俺にも。”
黙って出掛けるなんてそんなの狡い。俺は部員じゃないんだぞ? お客様…でもないけど、それでもさ。お買い物にせよ、何かしらの御用にせよ、行き先くらい言ってくもんじゃないのか? え?
“………うう。”
別に寂しくなんかなかったけれども。お兄さんたちもお昼寝に入って大人しいせいか、蝉の声しか聞こえない世界は、何もかもがどこかへ逃げ出して、坊やしか存在しないかのような錯覚を齎(もたら)すから。
「…ルイ〜〜〜っ。」
玄関横の目隠し代わりの木立ちを進み、そこから入れる中庭へと歩を進める。さっきまでいた食堂の大窓が並ぶテラスを横目に、青々とした芝生が敷き詰められた中庭が広がっていて。ちょっとしたゴルフ場のグリーンくらいはあるその先には…またまた木立みたいな細道が出現。草がぼうぼうと伸びかけてたけど、飛び石みたいのが足元には埋めてあるから、一種の遊歩道みたいなものだったのかも? 辿って行ったら何処かに出るのかなぁ? ………ルイはそこに居るんだろうか。どうしようかなと ちょこっと迷っていたら、
――― あ………。
少ぉし遠くの向こうの端で、誰かが動いた気配が見えた。風や何かじゃない、駆けてく人影みたいな気配。それを見て、誘われるように一歩を踏み出した小さな坊や。柔らかい金の髪が風に撫でられ、賢そうな白い額をあらわにする。てこてこと歩いてそちらへ向かうと、
“…あれ?”
少し前を行く、誰かの背中が見えた。探していた葉柱のお兄さんではなくて、自分と変わらないくらいの小さな子供だ。頭をショートカットに刈った黒髪の男の子みたいで、白地に紺色の井形模様が散った、丈の短い浴衣を着ていて、濃紺のへこ帯を背中で蝶々結びにしている、薄い下駄ばきの子供。かたかた、下駄の歯の音が離れた先から聞こえてくるけれど。
“………何か変だ。”
だってさ、さっきまではそんな音、全然してなかった。誰もいないんじゃないかってくらいに、蝉の声しか聞こえなかった。なのに、あんな遠い下駄の音がこんな良く聞こえるのって、何か変。ふるるっと小さな肩を震わせて。そこから…後ずさりしてしまった坊やであり。
“何かヤダよう…。”
数字や理屈で割り切れないもの、得体の知れないものは嫌い。近寄ってはいけないと、何かが警鐘を鳴らしてる。少しずつ少しずつ後ずさりしていたら、
――― とんっ、と。
何かが背中に当たったから。さっき通った時には何にもなかった筈なのにって、覚えてただけにそりゃあもう、驚いたのなんのって。
「…ひぃやぁ〜〜っ!」
そのまま飛び上がるみたいに身を竦めてから、木立ちの通路の端っこへと身を避けつつ、遠回りしながら来た方向へと振り返る。何にも見ちゃいけないって、顔を背けて目を瞑って。そのまま駆け出そうとしたら…ぶつかった何かが手を伸ばして来てさ。捕まっちゃうって思ったから、もうもうパニック。
「いやぁっ、ルイ〜〜〜っ!」
助けに来てって叫んだら、
「おうよ。」
すぐ間近で声がして。…………………え?
「なんでまた、こんな奥まったとこに来てんだ、お前。」
ベルト通しがついてるウエスト部がいやに幅広で高いデザインの裾長の白ズボンに、お気に入りらしきグリーンのデジタルモザイク柄のTシャツ。真ん中分けした黒い髪と、精悍で男臭い、大好きなお顔と、それからひょいっと抱き上げてくれた長い腕と。
「ふにゃぁあん…。」
安心したと同時に、どこ行ってたんだよ、もうっ!って。向こうからも屈みかけてくれてた目の前の懐ろへ思い切り飛びついて、一所懸命に伸ばした腕で、お兄さんの肩やら背中やらへぎゅううってしがみついていた。もうちょびっとで泣き出しそうになってたのが癪だったから。それと、俺がこんな想いしたのもルイがどっか行ってたからなんだからねと、そんな気持ちもムクムクして来たから。それでしゃにむに“ぎゅううっ”て しがみついた坊やであり。
「いたたっ! こら痛いっ。爪立ててんぞ、お前っ。」
夏物のシャツ越し、ちょっぴり伸ばしてた薄い爪が指の数だけしっかと食い込む。小さな子供が掴む握力なんて知れてる筈で、それがこんなにも痛いってのは尋常ではないことだから。
「んん? どしたよ。」
大きかったサンダルを脱ぎ飛ばした脚まで回して、ぎゅううとこっちの胴へと抱きついて来ている小さな仔猫の、懐ろに埋めてるお顔を何とか覗き込むのだが、
「〜〜〜〜〜っ。」
いやいやと かぶりを振るばかりで、要領を得ないことはなはだしくて。こりゃあ参ったなと、大きな手で後ろ頭をほりほりと掻いて。葉柱のお兄さん、小さな坊やの震えてる背中を、そぉっとくるむようにして抱きしめてやる。
「…もう怖くないからな。」
俺がいるから大丈夫だぞ、このままお部屋へ帰ろうなと。顎のすぐ先でふわふわと揺れてる、ちょっぴり甘い香りのする淡い金の髪を見下ろしつつ。ゆっくりとした歩調にて、玄関の方へと向かった葉柱である。
◇
よほどのこと怖い思いをしたのだろうか。金茶の眸の縁を仄かに赤くしていた坊やへと、買い置きのフルーツゼリーを出してやりつつ、
「小さい子供? 坊やと同い年くらいの、ですか?」
さてねぇと。エプロン姿の管理人のおばさんが小首を傾げて見せる。裏手の木立ちで迷子になりかけた坊やが見た不思議な後ろ姿。短い浴衣を着ていた小さな子供。その話を明るい食堂で一所懸命にルイへと訴えていたら、晩ご飯の仕込みをしていたおばさんが聞きつけて。ここいらにこの時期、小さい子なんて珍しいですよと。そうと教えて下さった。もう少し夏も深まったお盆とか、いっそ年の暮れならともかくも、どちらかというとお年寄りが多い土地ですからねぇと言って、
「ましてや、此処は私有地ですからね。」
そうだった。お庭が広いから忘れていたけど、この別荘は周囲をぐるりと高い鉄の柵で囲まれてる。だから、あんな小さい子供が簡単に潜り込むのには無理がある。だったら…? あれってどういうことなんだろと、不安げに見上げてくる小さな坊やのお顔が、あんまりにも心細げだったものだから。すぐ傍らに並んで腰掛けてた葉柱のお兄さん。大きな手のひらを坊やの背中に回して、ゆっくりゆっくりと撫でてやる。負けん気が強くって、元気の塊り。今朝だって、いきなり腹へとダイビングという乱暴な方法で叩き起こしてくれた、天使みたいな見栄えを180度ほど裏切って、悪魔のような坊やだというのに。それがこんなにも怯えているのは、いっそ痛々しいというもので。
「ああでも、今夜はお祭りがありますからね。」
あんまり深刻そうになってる坊っちゃんたちだと気づいたか、おばさんはポンと働き者そうな大きめの手を叩くとそう言い出した。
「お祭り?」
「ええ。鎮守様のお祭りですよ。結構にぎやかな規模のですから近所の町の子もたくさん来ますし。」
もしかしたら、観光客の気の早い子供だったのかもしれませんね。そんな風に言い置いて、愛らしい坊やの髪を大きな手で撫でてくれたおばさんは、そのまま厨房の方に向かってしまい、
「………ふみ。」
やわらかそうな唇を真珠のような白い歯で、きゅうと噛んで俯いている小さな坊やの白い横顔に、改めての視線を戻した葉柱はといえば、
「怖いもんがあるってのは良いことなんだぞ?」
不意に。そんなことを言い出したから、
「?」
どういう意味? そっとお顔を上げた坊やが、今にも潤みがこぼれ落ちそうになってた瞳を瞬かせる。
「昔、婆ちゃんに言われたことなんだけどな。人ってのは誰にだって苦手はあるもんで、それが何なのか判ってるんならそれにだけ用心してりゃあいい。もっと困るのは、俺には弱点なんかないぞって踏ん反り返ってる奴で、ここ一番って時に実は嫌いだったもんと出食わしたらどうなる? 何にも心の準備をしてないのにだ。」
「うと…物凄く怖い思いする。」
「そうだよな。しかも周囲には“怖いものなんかない”って言ってあるから、我慢しなけりゃなんなくて。それってもっと大変だよな。」
こく…と頷く小さな坊やへ、
「物でも人の気持ちでも、この世に絶対折れないもんはないんだからな。下手に意地張ってて窮地に陥ってからぽっきり折れちまうより、強情張らないでここが弱いってちゃんと自覚しといた方が、人間が柔らかくなって大物になれるんだとよ。」
そう言ってにっかりと笑ったお兄さんへ、
「…???」
まだちょこっと理屈が難しかったか、小さな坊やは小さなお顔を傾げて見せる。強い方が良いんじゃなくて、弱くて柔らかい方が良いの? 絶対に絶対に譲れないものがあっても、それって…いつかは折れてしまう気持ちなの? そんなところに気持ちの不具合を覚えているらしく、そんなところがまだまだ子供。
「もちょっとしたら判るようになっからよ。」
坊やの柔らかな髪を、ぽふぽふと撫でてやってるお兄さんの言いようへ、
“坊っちゃまってばvv”
一人前に大人ぶってまあと、厨房に引っ込んだ管理人さんの奥方がくすくすと笑っていたりして。お小さい頃からの成長をご家族と一緒に見守って来た人だからこその苦笑には、ちょっぴり甘酸っぱい風味がついておりましたそうなvv
←BACK/TOP/NEXT→***
|