Little AngelPretty devil 〜ルイヒル年の差パラレル 番外編

    “黒耀の琥珀”A

 

 

          



蛭魔の特異な髪や瞳の色にも驚かず、実は人外の者である葉柱にもすぐに懐いたあの少年。馴染んだ相手にだけは幼さが過ぎるほどの屈託のなさを見せてくれるが、実は…日頃はかなり警戒心が強かったのだとか。
「事情
(ワケ)ありだからこそ、こんなトコに預けた。そういう順番の“行儀見習い”なのだとよ。」
 坊やへ、ではなく、勝手にそう運んだ大人たちへと。忌ま忌ましげな語調で言い捨てて、蛭魔は肩を竦めると話を続けた。
「チビの生家はかなりがところ末端の分家でな。今の当主も地位としては下級貴族にすぎなくて。それであんまり“特別な家系”という意識は持っていなかったらしいのだ。」
 だが、本家は“小早川”といって、その道の先達たちが多く現れた名家。今世の当主もかなりの能力者であるらしいのだが、
「この爺さんが、異常なくらいに世俗の欲やら垢やらに神経質な御仁であるらしくての。当主として立った若い頃から、女も寄せねば食べ物や金銭の欲にも近寄らぬように努めている堅物で。神秘的な精神の力なだけに、煩悩や情に負けてしまわないとも限らんと警戒してきてン十年。」
 葉柱が井戸端から汲んで来た冷たい清水で身を清め合い、軽く衣紋を整えて。晩夏の少ぉし長い夜の静けさの中、まだ眠りもせずにいる蛭魔に付き合って、こちらはむしろ夜の方が住み処の葉柱が向かい合っており。
「それでは後継者が出来んのではないのか?」
 旧家名家ほど血統を重んじるのだろうに、世継ぎがいなくて困らぬのだろうかと、葉柱が怪訝そうに眉を寄せれば、
「そこが一風変わっておってな。能力重視の家だから、その能力で選ばれた今の家長がそうしたいというならと、誰も余計な口を挟みはしないのだと。そうして、次の代は誰の能力が秀でているやらと、分家全ての子供らを天秤に掛ける作業が始まるのらしい。次代の当主として、本家の養子に迎えるためにな。」
「…成程。」
 家系血統を誇りにするのが旧家だろうに、都合に合わせてフレキシブルに…もとえ、奔放大胆にもそんな融通を利かせる辺り。微妙に本末転倒してないかと、そうと思った葉柱だったのだろう。
“人間ってのは相変わらず…。”
 馬鹿げたほどに複雑なことをするのだなと、感心するやら呆れるやら。生き延びるための強引乱暴な勝手は、非情なようでも種を残すための手段だから容認のうち。いちいち体裁を必要とするまどろっこしさをこそ不自然だと、常々思う葉柱で。けれど、
“…こいつに何かあったら。”
 どんな無茶にでも従うと誓約を結んだその圏外、突発的な事故や何やでこの青年の生命が危機に晒されるような何かがあったなら。俺は一体どうするのだろうかと、ふと思った。これ幸いと高みの見物を決めることが、果たして出来ようか。何としてでも助けてしまうのではなかろうか。強かで要領がよく、恐らくは自分なんかよりもずっと命根性が汚くて。高笑いしながら…他を蹴落としてでも生き残りそうな奴なのにな。
“………そうだよな。”
 心配するだけ無駄だわなと。そんな人のいい自分へこそ小腹を立てて、むっかりしてしまった葉柱なのはさておいて。

  「ところで、あのチビだが。」

 こちらの思惑になぞ てんで気づかぬ、それは強かでお綺麗なお館様は。淡々と話を続けようとしておられ、
「分家といっても縁者なら、あの子にも候補としての目が向くのではないのか?」
 ちゃんと話は聞いてますよと、道理をつないで先回りをした葉柱へ。
「それはそうなんだがな…。」
 少々難しいお顔をして見せる。伏し目がちになった目許に、睫毛の陰が落ち、情事の後のしどけなくも潤んだ名残りや、血が昇って浅く色づいたままな頬が何とも言えず艶っぽかったが、それよりも。何事かへ憂慮の気配を滲ませている彼だというのが、葉柱には意外なこと。過ぎるほどの自信家で、この美麗な痩躯に似合わぬこと、世界が引っ繰り返ったって動じないような尻腰・気骨のある男だというのに、
「何が………、っ?!」
 そんなにも気になるのだと。訊こうとしたその矢先に、ざわりと立ち上った不吉の気配がある。しかも、
“近いな。それに…。”
 ムクムクと加速をつけて膨張してゆくその何かが、気配の中に漲(みなぎ)らせている力の、何とも強大そうなこと。一体、何者だろうかと見解を訊こうとした相手は、
「…庭だ。」
 予測があったか、視線を真っ直ぐとそちらへ向けており。立ち上がろうとして、だが、ちりっと眉を寄せるから。
「お前は動くな。」
 すっくと立った葉柱が、顔の傍まで上げた手をそのまま脇へと降り下ろせば、次の瞬間には和刀が一振り、握った形で現れいでており。
「庭の草刈りと行こうじゃねぇかよ。」
 いつもの黒装束が長身を引き締めて見せているが、これで結構体格のいい葉柱で。細身の狩衣の袖先から覗く小桂の袖も、袴にしては裾の絞られた下履きも、こうして見るとまるで後世に現れる“忍び”のまとう装束のように、動作上の効率を優先に仕立てられた特別なもの。片手に提げた和刀をまだ構えず、空いた方の左手で、パチンと指を鳴らせば…座敷から庭へと向いた戸口の全てへ降ろされてあった御簾が幾枚か、次々と勝手に巻き上がる。先程まではかすかに鳴いていた筈の虫の声も、今はどこへか去っていて。庭の草木を濡らすよに、蒼い月光が音もなく降りそそぐばかり。
「………。」
 濡れ縁から庭へ。さして警戒もせぬ無造作な動作で降り立った葉柱は、不可解な気配がぐんぐんと膨れ上がっている方向を嗅ぎ直す。
“納所の方か?”
 この館は桁の違う能力者が住まう土地だから。妖かしや邪霊が寄って来る場合は、敵対者にしても味方にしても、その当人への接触を試みる筈。そうでないなら、わざわざ感知される地所へ現れはしないというもので。当家の使用人たちが、もう眠っているのだろう辺りの一角からの反応が強いのだが、
「………っ。」
 徐々に強まっていたそれが一気に…凄まじい勢いで拠点から離れてこちらへと向かって来る。
「チィッ!」
 まさに咄嗟。反射的に頭上から顔の前へと防御の構えでかざした刃に、がっつりと重い衝撃が火花を散らさんという勢いにて食いついた。だが、傍目からは何の姿もそこには見えずで、葉柱ひとりが相手もないままに刀をかざしているだけのよう。
「…へへっ、あいにくだったな。」
 目には見えぬがかなりの重圧らしいのを、片腕一本だけにて受け止めたまま、葉柱はいかにも太々しい笑みを見せ、
「これは人間の使う刀じゃあない。人外の俺が操る代物だから、お前のような“お仲間”にこそ威力を発揮する。」
 ぐいぐいと押してくる力が全く衰えぬ、刃の支える虚空の先を睨み据え、
「実体が無くとも斬ることだって出来んだぜ? 何なら試すか?」
 ぐんと。和刀の柄を握った葉柱の腕が力を込めたことで太く盛り上がり、しかも、
「哈っっ!」
 空いていた左手をかざすと、その手のひらの中から“しゅるしゅる…っ”と、鞭のような長い何かが素早く飛び出して来て、刃の先の虚空に幾重にも輪になって巻かれた状態になって留まっている。透明な何かを、だが、そこへと捕らえて拘束したということであるらしく。鞭が飛び出した手のひらを握り込み、ぐいと思い切り引いた葉柱の上へ、

  「…っ、葉柱よせっ。それを解いてすぐ避けろっ!」

 引いても解けぬならと突っ込んで来たらしき謎の存在。その意図にいち早く気づいて、何とか立ち上がって濡れ縁まで出て来ていた蛭魔が、とっととせんかと言わんばかり、叱咤まがいの声を葉柱へと掛けている。言われた通りに後ろざま、数歩ほど身をひいて避けた先には、蕾が揃い始めていたリンドウの茂み。
“…チッ。”
 あの坊やが丹精していた区画なのになと、迂闊に踏み込んだ自分へ苛立った葉柱へ、

  ――― っ!!

 凄まじいまでの圧迫感が一気にのしかかった。目には見えないが、確かに重く大きな何かが、逃げられるような隙を一切与えぬままに、途轍もない勢いでどさんと頭上から降って来て、
「…ぐっ!」
 腰を落として両足を踏ん張り、息を詰めての防御に徹する。こんな得体の知れない輩は初めてで、
“なんて力だ、この野郎っ。”
 実体が無いもので、なのにこんなにも隙のない力を発揮出来るものには、心当たりがない。今は何とか拮抗を保っているものの、いつまでもこのままでいる訳には行かないし、
「…っ。」
 足元が柔らかかったのが災いし、踵が花壇の中へとめり込んでゆく。それへと勢いを得て相手の押しに弾みがついたなら、今の拮抗状態を崩されかねない。

  「くっそぉおぉぉ〜〜〜っ!」

 これでも一族の頭目を張っている身。そうそう簡単に屈して堪るかと、底力を発揮して盛り返そうと押し返したそのタイミングへ、

  「呀っっ!」

 鋭い気合いの一喝と共に、轟っと横ざまに突っ込んで来た波動があって。あれほど大きく重かった何かを、あっと言う間に薙ぎ倒したか吹き飛ばしたか。御簾を巻き上げた戸口の柱に凭れるようにして、何とか立ち上がっていた蛭魔が咒の攻撃を浴びせてくれたらしい。凄まじかった重圧が退いた安堵感から、ついのこととて一息ついた葉柱だったが、
「がっ!」
 後ろからガツリと、何かしら堅いものが背中へ思い切り叩きつけられて。何ごとかと振り返れば、どことも知れない方角から、大人の拳ほどもあろうかという石礫が次々と飛び掛かって来るからこれは恐ろしい。
「何なんだ、こいつはっ!」
 姿も見せず、声もなく。黙々と攻撃を仕掛けて来る不可思議な存在。最初に受けた一撃以降は、すんでのところで避けまくっているものの、
“居場所が判らないのが不気味だぜ。”
 打つ手がないのはそんなせいだ。先程の凄まじい圧力攻撃は、相手“そのもの”がのしかかって来たらしかったが、今度の攻勢には相手の気配が一切ない。飛んで来る方角もばらばらだし、殺気や悪意といった“気配”が一切しないので、相手の居場所が判らない。
“殺気がなくたって、こんな攻撃の的にされ続けてりゃあ…。”
 そのうち息が続かなくなったところを殴打されまくったなら、そのまま殺されるのは間違いなく。
「てぇ〜いっ!」
 再び手のひらから滑り出させた鞭で片っ端から払い飛ばし、何とか難を逃れていた葉柱の、そして蛭魔の感応器に、

  「「…………っ!」」

 小さな気配が飛び込んで来たのはそんな時。

  「やめてっ! お願いだからやめてっ!」

 必死の思いで絞り出したのだろう、金切り声を上げ、間断なく石礫が舞い飛ぶ空間へ飛び込んで来ようとする小さな影。宙を飛んでいる状態の石に思念は籠もっていないから、これは強襲を仕掛けた張本人にも止める術のない攻勢であり、

  「危ないっ!」

 蛭魔が何がしかの咒を大慌てで唱えようとし、葉柱が少年へと飛び掛かり、小さな闖入者のその身を何とか守ろうと意識を合わせたその瞬間に、


  ――― 弾幕もかくやというほどの勢いで飛び交っていた石礫全てが、
       真上から叩き伏せられ、その場に見事に墜落していた。


  「………あ。」

 彼が飛び出したのは葉柱を庇おうとしてのことだったらしく、こちらからも腕を延べて飛び出していたがため、その広い懐ろへすっぽりと掻い込まれたそのタイミングに、全てがボタボタと落ちての停止状態になっており。月光の青い光のみが息づく、静かな静かな前庭のただ中、
「えと…無事か?」
「はは、はいっ。」
 飛び出しはしたが、当たったら痛いだろうなとぎゅうと身構えていたらしき少年が。強ばったお顔のままに葉柱からの声へと応じ、

  「…チビ。いや、瀬那。」

 そんな二人の背後から、鋭いながらも静かな声が掛けられて。瀬那と呼ばれた少年が、蛭魔の立つ方へと振り返る。真白き小桂
(こうち)と、浅葱の単(ひとえ)に包まれた痩躯をしゃんと立て、

  「お前には判っているのだな。あれが…お前に憑いた何かだと。」

 この館の主人としての威容をもって訊いた金髪痩躯のお館様へ。小さな少年は…こくりと息を飲むと、肩を落として頷いて見せた。
「…はい。」
 まだまだ幼い膨らみが青ざめた頬があまりに痛々しくて、葉柱が宥めるように小さな肩を撫でてやる。
“…そうか。”
 そういう事情があったなら。あの一言にも納得がいく。

  『俺が出ていかなんだら、あやつら、もっと酷い目に遭ってたろうよ。』

 庭から出て行けと追い出しにかかった少年へ逆にからんだ無頼の輩たち。蛭魔が手を打たずに捨て置いていたなら、今のような得体の知れない攻撃に遭っていたということか。
「セナ。」
 そういう名前だったらしい少年へ、蛭魔は再び静かな声を掛ける。
「その者は、これまでに一度でもお前に害をなしたか?」
 訊くと。少年は…少し俯き、柔らな黒髪を緩く揺さぶってかぶりを振って見せた。
「そうらしいな。これまでのところは、お前には牙を剥かないでいる。いやさ、お前に危害を加えた者、お前を詰
(なじ)ったり貶めた者へ、今のような危害を加えたり、奇禍を齎(もたら)す手合いらしい。………そうだな?」
 確かめるように重ねて訊くと、
「………。」
 少しほど間をおいてから、ゆっくりと顔を上げ、
「そうだ、と、思います。」
 大きな琥珀の瞳には、今にもこぼれ落ちそうなほどの涙がたたえられており。心当たりがあったらしき暗雲が再びにじり寄って来た恐怖心に、小さな身を竦ませている。得体の知れないものに取り憑かれている恐怖がどれほどのものなのかは、当人にしか分からないこと。とはいえ、こんなにも小さな少年がびくびくと怯えながら過ごさねばならないなんて、あまりに痛々しい話ではなかろうか。しかも、

  「…ボクが、ボクが居ることが誰かを害することしか招かないのなら。
   お館様、お願いです。僕を封じてもらえませんか?」

 セナが怯えているのは、取り憑かれている恐怖へではなく、自分のせいで誰かが害されることへだと言う。自分の意志にも沿わない形で、なのに…ちょっと触れただけな人でさえ、何故だか石礫に襲われ、烏に追われと、ただでは済まない災禍に必ず遭う。生家から離れた此処ならば…周囲は見ず知らずの方ばかりだし、お館様は高名な術師だというし。ここなら大丈夫だろうと思っていたのに、やはり…葉柱様を災禍が襲った。もうもう為す術はないと悟っての、悲痛な願いを聞いた蛭魔は、

  「……………。」

 このままでは、この子の心が擦り切れてしまうことは確かだなと、重々しい溜息を一つつき。それから…おもむろに、


   「やい。厄介者の憑神やい。」


 事もあろうに。そんな言いようでの大声を上げたから。ひくりと怯えながら、セナが思わずだろう間近にいた葉柱の懐ろへと身を寄せ、葉柱もまた、哀れな子供を匿うように長い腕で囲って抱いてやる。勿論のこと、周囲への注意を張り巡らせてのことなれど、

  “…憑神?”

 正体不明の憑きものへ“神”をつけるのは妙な理屈であり、そんな風に呼ばわっては増長するだけではあるまいか。そういうやり方、堕とし方もあるのかもしれないが、この傲慢な蛭魔の選ぶやりようとは思えなくて。怪訝そうに眉を顰めたまま、辺りの様子を伺っていると、

  「出て来れねぇのか? 憑神よい。
   そうさの、このチビをさんざ怖がらせて来たものな。」

 相変わらずの挑発的な言いようが続き、

  「いいか? よく聞け、憑神よ。坊主はお前のせいで、いつも独りだ。
   傍に寄れば石が降るよな子供に、誰がほいほい近づくかの?」

 これは…と、葉柱にも何となくの意図が見えて来た。成程なと思うと同時、余計な口は挟まぬが良かろうと、口を噤んで成り行きを見守る。蛭魔の呼びかけは続いて、

  「お前がむやみに暴れるから、
   こいつは皆から怖がられ、ずっとずっと独りぼっちなんだよ。」

 きつい言いようを断言したその途端に。あちこちに散らばっていた石礫が…地震にあったかのように“ゆるり…”と震えた。だが、浮き上がることはなく。それはまるで、誰かの動揺を映したもののようにも見えて。それを目撃した少年が、
「………え?」
 ドキンと怯えたらしき身の震えを察してか、今度は石ではなく…傍らに群れてそよいだ草むらの、優しい揺らぎに気配を移した何かがあって。

  「今更、臆病そうな振りは よしな。
   このまま我を忘れて“名も無きもの”になっちまってもいいのか? お前。」

 冷然と構えたままに、蛭魔がキツい口調でぴしりと言うと。芒種らしき真っ直ぐな葉の群れがさわさわ揺れたその囁きの中から、


   ――― 忽然と。


 地に片膝をついて跪
(ひざまづ)き、頭を垂れた恭順の姿勢を取って。屈強そうな青年が、夜陰の中から滲み出したかのように、そのきりりと凛然とした姿を現した。ざんばらに刈られた漆黒の髪に、深色の瞳は冬の碇星のように冴え返り。凛々しい横顔は、だが、案外と繊細で。濃藍の作務衣にと包み込んだ、頼もしいまでに鍛え抜かれた体躯を、小さなセナに怖がられることのないようにと、ゆったりと折り目正しく…だがだが出来るだけ小さく縮めて、無言のままに控えている青年。とはいえ、
「あ、あの…。」
 セナには覚えのない人物なのだろう。キョトンとしたまま、まだどこか おどおどとその身を竦めている彼であり、まあ無理もないかという苦笑をした蛭魔が、

  「こいつがな、お前を困らせていた“憑神”だ。」

 それは あっけらかんと紹介してやる。
「お前の家系は、代々様々な“御霊
(みたま)”が宿りやすい素養を持っておってな。もしも宿ったその場合、自分の主人として相応しいと認めたならば、制御出来る年頃になると、そいつが主人へ挨拶に現れる。その時にとある契約を交わして、晴れて“式神”や“守護”としての主従関係が成立するのだがな。」
 こちらもやはり頼もしい、葉柱の懐ろに匿われたままな小さな少年へ、何とも言えない苦笑を差し向けながら、
「こやつはどうやら、お前がまだまだ“憑神”を制御出来るような段階に落ち着いてもいないのに、その存在を知ってほしくて仕方がなかったらしくての。大人しく収まっておれずにふらふらと外界を覗いては、お前が困ったり苛められたりするそのたびに、未熟な判断力のまま、報復にと手を出していたのだよ。」
 まったく困った野郎だと、笑って済ませて…良いのだろうか、果たして。あんな恐ろしい“石礫攻撃”の的にされた人は、きっとただでは済んでないと思うのですが…。
「…あの。」
 結構言いたい放題な言われようをされても、身動き一つせずに控えたままな雄々しき青年。この館の主人にして高名な術師の蛭魔の方ではなく、葉柱に庇われた自分の方へと頭を垂れている彼だというのは、セナにも何となく分かるらしく。
「契約って、一体どうすれば良いんですか?」
「良いのか? 結構乱暴な奴だぜ? お前に御せるのか?」
 柔順そうに見せているが、これまでの災禍の数々は覚えてもいよう。あんなことを引き起こせるような奴だぞ? それでも良いのか? 意地が悪いまでの執拗さで何度も確認を取った蛭魔へ、セナも何度もコクコクと頷いて見せるものだから、


  「眞
(まこと)の名前を訊いてやれ。」
  「眞の名前?」
  「ああ。そいつの口から、聞かせたい相手にしか聞こえないものだから、
   ここで直接訊いて構わんぞ。」

 精霊や式神などの眞の名前というのは、その存在の始まりを認めた証しとして授かるものだから、そのままその存在を支配するフレーズでもあってな。それを知った者に意志や行動を支配されてしまうのだ。だから、誓約にはそれを使う。あなたの生涯に寄り添って恭順致しますという誓いにな。

「…えと。」
 すらすらと説明されて、おずおずと。葉柱の腕から離れると、そおっと青年の傍らまで寄ったセナであり。

  「あの…あなたの“眞のお名前”は何ですか?」

 か細い声をかけられた青年は。一瞬、その息を深く引くと、ゆっくりと顔を上げ、頑迷そうな意志の強さをそのまま表しているかのような、かっちりとした口許をゆっくりと動かし始める。

  《 私の眞の名前は、清十郎と申します。》

 片膝ついて跪いているというのに、小さなセナと易々と視線が合わせられる大きな人。胸へと直に響いて来たお声は、優しく低い印象的なそれであり。

  《 通り名は“シン”と言います。
    こちらは他の皆様に聞かれても呼ばれても構いません。》

  「シン、さん?」

 小さな声で呼んでみると、男らしくも誠実そうな面差しをした憑神さんは、緩くかぶりを振って見せ、
《 呼び捨てて下さい。》
 そんな風に言うのだが。それにはセナの方がかぶりを振った。
「シンさんの方が、きっとずっとボクよりも年上で目上です。礼儀の基本は守らねば。」
 自分に仕えさせる相手へは例外だろうにと、眞の名前の部分以外はきっちりと聞こえていた蛭魔と葉柱が呆れたが、大真面目であるらしいセナは引きそうになく。
《 それでは御意のままに。》
 そうと応じたシンさんの表情は、どこかやわらかく和んで見えて。こんな君だから、早く仕えたかったのだよと言いたげな、何とも幸せそうなお顔に見えもした。そして、

  《 私はあなたの傍におります。いつでも呼ばわって下さいませ。》

 そんな一言を残し、現れた時と同様、あっと言う間もなく…まるで皆で夢でも見ていた彼のような呆気なさにて、その姿を消してしまった。

  「あ…。」

 涼やかな夜風が、草むらを花の蕾をゆらゆらと揺らし、伸びた芝の合間に覗く飛び石の表を濡らすように照らす、月の光の青銀が目に眩しい。あれほど転がっていた大きな石たちも、周囲を見渡した視野の中には1つもなくて。全てが騒動の起こる直前の静謐のまま、まるで時間を巻き戻したかのように元通り。あまりに呆気なかった仕儀だったからか、それとも。ほんの数刻だけ相覲
(あいまみえ)えた…精悍だったあの青年が、彼なりに気になってしまっているのか。少しばかり落ち着かず、あの男の陰を探しているようにキョロキョロしているセナの様子にくすりと微笑い、
「眞の名前を伝えぬままにウロウロしているとな、自分の礎を見失い、名も無きものになって暴走してしまう。」
 蛭魔はそうと付け足してやり、
「奴も言ってたろ? 用がありゃあ呼べばいい。ただ“逢いたい”ってだけの用向きでも、喜んで出て来てくれるぞ?」
 くくくと笑った導師様だが、

  「良いのか? あんなあっさり見逃しても。」

 実際に“災禍”とやらに見舞われたせいか、葉柱さんはこの展開には少々不本意であるらしく、
「大体だ。あんな危険な野郎を何でまた野放しにしてやがったんだ? 小早川たらいう術師の家ではよ。」
 自分ほどに腕が立つ者だったから今回は無傷で済んでいるが、きっと途轍もない負傷者だって出ている筈で、
「調伏してくれという依頼じゃなくてな。見極めてくれってもんだった。」
「どっちにしたって。本家がそっちの筋の権門なんだろが。」
 何でまた、外部の人間にこんな危ねぇもんを任せんだと歯軋りする葉柱は、もしかしなくとも蛭魔の身に何かあったらどうしてたんだと、そっちへ怒っているらしい。そんな気も知らず、

  「ば〜か。」

 案じてもらっているご当人の蛭魔は、あっさりと切って捨てるような物言いをし、
「専門の家柄だからこそ。そんなトコにご注進したら最後、有無をも言わさずこの坊主は抹殺されてたろうさ。」
「…へ?」
 先程までの勢いは何処へやら。なんで?とキョトンとする邪妖・大蜥蜴の大将へ、
「ああいうとこはな、安泰平和な時ほど体裁が命なんだよ。身内に邪妖に憑かれた者が出たなんて世間に知れてみろ、家内に発した邪霊の調伏も出来ない奴らが何を偉そうにと、笑い者になるのが落ちだからな。」
 ちっとは考えんかと口許を歪めたものの、

  “ま、誰が調伏しようとしても、
   敢えなく“返り討ち”に遭ってたことだろうけれどな。”

 そのくらい凄まじい“式神”に守られている坊やであったらしいとの認識も新たに、
「なあチビよ。」
 今だ どこかぼんやりとしていた少年へ、蛭魔は気安い声をかけている。
「は、はははいっ。」
 勢いよく我に返ったその弾み、誰に声を掛けられたのかも判らないようなほど、あたふたして見せた坊やの髪をやわらかく梳いてやり、
「これからの“そいつ”はお前の、言わば守り神だ。危険から守ってくれるし、困った時には力を貸してくれもする。腕力だけに止まらず、随分と色々な能力のある奴らしいから、眞の名を訊いて安定させた今、頼もしいばかりになったには違いないが。」
 ここでふと、言葉を区切った蛭魔は、

  「だがな、そやつは“お前しか”見えてはいない傾向にある。」

 言われて…それがどういう意味なのかを多少は察したのだろう。小桂の合わせ越しに自分の薄い胸元へ小さな手を伏せ、そぉっと押さえるセナであり、
「これまでのような“暴走”は、もうしないにせよ。お前の存在こそが全ての定規や基準となる奴だからな。理不尽でも仕方がないことや不合理な事態にお前が苦しんだとして、その悲しみを取り除こうと、再び力任せな暴挙に出ないとも限らない。」
「…はい。」
 重々理解して、こくりと頷いた小さな少年へ、
「お前が忍耐を養えば、そやつも物の道理というものを学ぶ。お前の気性を読み、繊細な機微というものを少しずつ呑み込みもする………筈だからしてだな。」
 こらこら、蛭魔さん。いきなり怪しい物言いになるでねぇだよ。
“一応冷静な奴ではあろうが、あの進の野郎が…こいつの苦衷に対面して、我慢し切れるもんだろか。”
 お気持ちは重々判りますが
(笑)、微妙に設定が違いますので、お芝居に戻って来て下さいましな。(汗)

  「いいな? お前は恐らく、小早川本家の名を継ぐ者となる。
   その重責にも飲まれぬように、気概を太く雄々しく鍛えておくことだ。」

 どこか不安げなお顔をする少年へ、ポンポンと励ますように肩を叩いてやり、困ったことがあれば俺を頼って来れば良いからと付け足して、さて。






  「おい。」
  「なんだ?」

 いつの間にやら濡れ縁の間近にまで寄っていて。改まって声を掛けて来た人へ。…あ、人じゃなかったか?
(こらこら) 蛭魔はあくまでも平生の調子で応対し、

  「もしかして、お前。
   あの守護野郎が、俺を除外するために現れるんじゃねぇかと踏んで…。」
  「おお、よくぞ判ったなっ。」

 人外なんていう怪しい存在が、セナへと馴れ馴れしく付きまとうのを弾き飛ばそうと、彼奴はきっと現れることだろうから、そこへと何らかの対処を取ろう…だなんて。前以て一言も言わなかったその上に。死にそうな目に遭った本人を前に、白々しくも大仰に“凄い凄い”とわざとらしく驚いて見せる蛭魔を…ちろりと斜
(ハス)に見据えて見せて。
「そうだろうよな。俺なんか、お前にすりゃあ使い捨ての駒の一つなんだろうからな。」
 何たって当代随一っていう凄腕の術師様だしよ、蜥蜴の1匹や2匹、他の式神や守護とやらに食われても潰されても、どうなったって構わねぇよなと、ぶちぶちとこぼしたその揚げ句、

  「ご褒美の前渡しに抱かせたってんだろ?」

 成程、それなら納得も行くよなと。聖なる力をお持ちのお綺麗な導師様が、自分なんぞのような下賎な輩に身を任せるなんて妙だ妙だと思ってたんだ…と、葉柱がそこまでこぼそうとしたのを皆まで言わさず、

  ――― ばっちーーーん、と。

 それは物凄い音がして。
「あわわ…。」
 この展開に驚いたセナが腰を抜かしそうになったところを、ふわりと目に見えない何かが受け止めると、

  《 寝間へ戻るぞ。》

 そんな声がして、さささと宙を運ばれてゆく。どうやらあの守護様が、気を利かせて下さったらしく。………最初に手掛けた仕事が“痴話ゲンカ”からの退避とはねぇ。
(笑) その一方で、

  「…な。」

 顔ごと真横に向いてしまったほどの勢いで、平手で思い切りはたかれて。口の中を切ったか、鉄の味がほのかに舌の上へ滲み始めたことに気がついたと同時。濡れ縁の上に立ったままで自分を見下ろす、それはそれは綺麗な導師様が。肩をいからせ、息も荒く、それはそれは怒っていなさることへも気がついた葉柱で。

  「そんな…そんな理由で、俺が…。」

 怒りのあまりに普段は白いその顔を真っ赤にし、あまりの怒りに…言葉がうまく紡げない彼であるらしく。くぅと堪
(こら)えた何かが堰を切り、引き歪んだ口許から…微かに嗚咽の声が洩れ出したものだから。
「あ…。」
 じわりと、切れ長の眸の縁に盛り上がったは、綺羅らかに透明な玻璃玉が幾つか。まさか泣くほど怒るとは思わずで、あたふたするばかりな葉柱が、
「あ…と、その…。」
 何とか場をつなごうと口を開きかかったところへ、

  「ようも…ようも言うたな。そんなことをっ。」

 嗚咽によじれかかって語尾が掠れた痛々しい声が、そのままこちらの胸へ深々と突き刺さる。ああ、しまった。一番言ってはならないことを、どうやら俺は口にしたらしいと、顔から血が引きそうになった。一旦言ったことは覆せない。いくら違うと言い直しても、その傷が癒えるのは容易ではない。この、強気で傲岸で破天荒で自信家な蛭魔が、口撃だけへこうまで取り乱すなんてよくせきのことで。それだけ…自分を信頼していた、心を許していた彼なのだと遅ればせながらに気がついた大馬鹿者は、

  “ままよっ!”

 いつもとは高さが逆な格好で向かい合ってた相手へと、腕を伸ばして引き寄せる。
「…っ! 離せっ! バカ蜥蜴っ!!」
 当然のこととして猛烈な抵抗に遭ったが、殴られようが蹴られようが、引く気は一切なかったから。腕の中へとやや乱暴に封じ込め、ただひたすらに謝り続ける。

    「ごめんっ、俺が悪かったっ!」
    「うるさいっ!」
    「酷いことを言った、許せっ!」
    「偉そうに言うことかっ!」
    「ごめん、済まない、済みませんっ。」
    「…そんな風に思ってたんだ。俺、オレんこと…。そんな奴だって…。」
    「思ってないって、ただ…。」
    「思ってないことが口から出るかよっ!」
    「いやその、あの…。」
    「子供だからっていい加減にあやしてただけなんだ。」


     「………は?」
     「ルイの馬鹿っっ!」


 恥も外聞もなくという勢いにて、大泣きしだした蛭魔の振り飛ばす涙が、頬に首にと冷たく当たる。頬は分かるが、どうして首に……………?












←BACKTOPNEXT→***