Little AngelPretty devil 〜ルイヒル年の差パラレル 番外編V

    “天狼碇星”A
 

 

          




  『このようなものが縁の下に。』

 切っ掛けはセナが屋敷の中で見つけた封咒の札。庭へと紛れ込んで来た仔犬と遊んでいて、縁の下へと潜り込んだのを追っていて見つけたそうで。新嘗祭の前あたりから、高官貴族らの間にて怪しげな動きがありはしたのだが、まさかに直接朝廷の儀式をたまなしにするほど度胸のある者たちではなかったか、そちらは一応無事に執り行われて。余計な杞憂であったかと安堵しかけたところへだったので、
『成程な。結構“直球”でかかって来ていたのだな。』
 特殊な咒が綴られた紙の札。形式も文字も、墨の色まで微妙に違うようで、まだこんなものは習っていないセナが小首を傾げ、
『これは何を表す咒なのですか?』
 屈託なく訊いたのへ、彼の陰陽術の師匠でもあるお館様がにんまりと笑って見せて、
『これはの、黒咒の符といってな。お前が日頃勉強している“調伏の術”とは対極の、邪妖を呼ぶためのまじない札だ。』
『…っ。』
 えっ?、と。まだ幼いセナでも蛭魔の言いようが意味するところを知っていて、ぎょっとして息を引いたほどの、特殊で危険な咒術。人へと災いを為すばかりの“忌まわしいもの”と言われている邪妖。悪霊や年経た変化
(へんげ)の成れの果てで、不可思議な力を操っては人心を惑わし、世を乱すとされていて、
『邪妖をわざわざ召喚するだなんて黒咒の術は、そのまま朝廷の転覆を望むことに通じる、大逆の大罪ではないのか?』
 それへこそ招かれる立場の自分が言うのも何ではあるがと葉柱が問うたのへ、麗しき術師殿は“くくく…”と笑い、

  『相手の狙いは帝や東宮ではなく、この俺なのだよ。』

 だったら大変なことだろうに、やはり“笑止、笑止”と笑っている剛の者。
『確かに…バレたら即刻、本人のみならず、一族郎党引っくるめて“死罪”を言い渡されるだろう大罪だがの。だったら…バレなければ良い。』
 はあ?、と。セナと葉柱が、何を言い出した蛭魔なのかが判らずに、揃って怪訝そうな顔になったのだが、
『だから。新嘗祭は何の騒動も手落ちもないまま、無事に済んだところをみると。敵は今帝や朝廷をどうこうしたい訳ではないのだよ。』
 それは…判る。どんな形であれ式典にケチがついたなら、それは即ち朝廷への反逆と見られ、ただでは済むまい。
『だがの、帝や東宮に邪妖がらみで何かあったなら、犯人そのものの他にも責めを負うのは警護の者と後は誰だ?』
『………あ。』
 結果としては無事であっても、対“邪妖”の専門部課である神祗官への責めは免れられず、日頃から若輩で素性も怪しいくせに大きな顔で踏ん反り返っている蛭魔もまた、一気に失脚という運びに追い込まれもしよう。
『五行博士の高見からも、気をつけた方が良いと忠告されてはいたのだがな。』
 何かささやかな失態を踏ませる程度かと思っていたらば、こうまで本格的な手を打っていたとはと。他人事のように感心してから、
『この後というと、年越しの儀まで大掛かりな祭典や式典はない。』
 となると、私的なお呼ばれの場でというのが危ないか、と。断じた蛭魔であり、
『そうも性急なことだろうか。』
 咒符が見つかって“これは大変っ”と慌ただしくなった自分たちではあるけれど、相手が“いつ”を想定しているのかは、はっきり言って不明だろうに。そんな旨など一切書かれていない符を眺めつつ葉柱が聞けば、
『急ぐさ、それは。』
 これまた妙に断言する蛭魔であり。一体何を根拠にそうまで言い切れるのかという視線を投げれば、

  『覚えておらぬか? いつぞやの蛇の眷属のこと。』
  『………う。』

 そういえば。蛭魔が封殺した邪妖に、唐渡りの蛇の一門の者がいて。その関わりの眷属が、報復にと女に化けてこの館を訪れたらしき話を聞きもした。
『蛇といえば寒さに弱い。よって、冬籠もりの前に方をつけねば洒落にならんだろうからの。冷え込む前にかかって来るぞ。』
『………ふ〜ん。』
 余りに分かりやすいのが いっそ間抜けだと謗(そし)ることが出来ない、こちらは蛇に相性が悪すぎる葉柱であり、
『今回、お前は休みだな。』
『大丈夫ですよ。進さんに頑張ってもらいますから。』
『………。』
 小さなセナくんにまで慰められたのが、何だか却って辛かったらしき蜥蜴の頭領であったそうで。







  ――― そして…。



 それなりに警戒して…いたのかどうか。それまでとも さして変わらぬ、至って飄々とした態度のままに深まる秋と近づく冬の気配を感じながら、日々を過ごしていた術師殿。公式の宴ではない、あくまでも内々のそれとして東宮からのご招待を受けたのが、洛外の狩り屋での野遊びで。尊き人が直々に弓矢を手にするということは、もう滅多にないことで。集められた名人が腕の素晴らしさを競い合うのを、陣家の床几に座して眺めるという形式に落ち着きつつある。それにしたところで、本来ならばもう少し早い季節の催しであり、今回のご招待は紅葉を愛でながら談笑に興じようという他愛のないもの。都の喧噪から離れて、まだ寒さがつのらぬうちの最後の遠出とばかり、例年のものとしていつも執り行われている、東宮の極秘の遊山ではあったが、

  「…っ。何奴っ?!」

 贅を尽くした調度の数々や、華やかな絹を垂らした几帳など、様々なものを蹴倒して。陣家になだれ込んで来た異形の風体をした一団を前に、唯一の招待客であった金髪の術師とその供の少年がすっくと立ち上がり、
「セナっ。」
「はいっ!」
 季節外れの春の野花のように、小さくて愛らしい水干姿の書生の少年が、宙空へくっきりした印字を切れば、

  「………っ。」
  「なニものっ。」

 驟雨のように降りそそいだ細身の矢を全て。瞬きするほどの刹那の間に大きな手の中へとまとめて絡
(から)げてそのまま射返した、途轍もない強力の存在が壁のような頼もしさで現れた。日頃の少年からのささやかな求めに応じての出現では、小桂に袷と袴というあっさりとした姿で現れる憑神殿だが、今回はわざわざの咒でもって呼ばれた身。頑丈な革の籠手や肩当て、腰には大剣という重々しい武装をしてのご登場。小判型の金物の板を鱗のように重ねた、奇妙な鎧をまとった一団がなだれ込んでいた広間から、東宮と女官たち、丸腰の雑仕たちを外へと逃がし、
「チビっ、お前も外に出ていろっ。」
「え? あ、はいっ!」
 まだまだ咒術はさほどにこなせないセナも、東宮に任せて追い出して、さて。

  ――― ヴルルルル…。

 発音や抑揚の不自然な言葉を発していた輩たち。黒光りのする鋼鉄の防具を身につけている周到さは、なかなかに本格的だが、
「…なあ、憑神よ。」
 御簾を落とされ、蔀
(しとみ)を蹴破られ。四方を開けっ放しの素通しにされた広間の中央に背中合わせに身構えたるは。片やは豪腕にたずさえた剣も頼もしき屈強たる戦士、片やは咒符を指先に挟んで周囲を睥睨しつつ、これもまた油断なく構えたる陰陽の術師。
「こやつら、もしかすると“人”ではないな。」
 今月の粗大ゴミ収集日って、1日多いんだっけなと。さして大した事ではないのだが、一応は確かめておくというような、そんな訊きようをした蛭魔であり。進の方でも、短く顎を引いただけという、もっとずぼらな応じをして見せ。

  “そこまで手の混んだことをしやがるとはな。”

 この東宮の野遊びは、極秘とはいえ例年の習慣になりつつあるもの。随行する者にしても受け入れる側にしてもすっかりと慣れたもので、手際や段取りに落ち度は何ら無かったものの。何と言っても貴人の中でも最も尊い御方に次ぐ身分の方の野遊び。その年の最も見事な景観を楽しめる別邸を決め、食事や趣向へ様々に手配をなし…と、前以ての采配というものが只事ではない綿密さと周到さにて取り計らわれるものだから。手間暇が濃密である分だけ関わる人の数も多く、細部に渡ってまでのすべてを把握し切ることはなかなかに難しく。その中に怪しき思惑の者が紛れ込むようなことなど、本来は決してあってはならぬことなれど。下賎なる身の者、不審な部外者が紛れ込むのではなく、信頼厚き地位にある者に不心得者があった場合、そのような陰謀めいた下心を見抜くのは、そして立ち塞がってまでそれを防ぐのは、無念ながら不可能なくらいに難しいことでもあって。そこへと付け込まれてのこの襲撃かと思われる。

  “帝のおっちゃんに人望がない訳ではないのだろうが。”

 忠告を下さる人がいないわけではなかろうし、命に換えてもと忠義を誓っている人の方が多いくらいな筈だろう。むしろ…穿った見方をするならば、このくらいの陰謀策略、自力で見抜いて乗り切れるだけの身になれという試練代わり。分かっていて知らん顔をしていたお爺様なのかもと。関係者一同を一斉処分した後日になって、桜の東宮が憤慨しもって語ってくれたほど。おっとり凡庸に見せておいて、あれで結構、身内が相手でも油断も隙もないお方様。
“桜の宮には丁度いい“実習型の指導”ってやつだと思ったのかもな。”
 無論のこと、こやつらの狙いが主格たる“東宮”本人ではないのは、こちらとて百も承知。東宮さえ無事であるのなら、どうかすれば一切合切を“なかったこと”にだって運べる。むしろ警護の不手際や何やという点で朝廷の体面が問われることを思えば、そっちへ運ぶ公算の方が大きい。…という訳で、どんな決着となっても詳細までは公けにはされないだろう“襲撃事件”が、とうとう此処に勃発した訳で。ある意味で“味方”の筈な帝からも、とんだ当て馬にされたことを苦笑しつつ、
「だったら遠慮は要らねぇなっ!」
 ぶんと風を切っての鋭い所作にて。真っ直ぐ揃えた指先で、咒陣の印を宙空に切る。パンと弾けて飛び出す炎群
(ほむら)や氷塊、重々しき鋼の刃の雨が容赦なく風に乗って襲い掛かる攻勢に、頑健そうな鎧を叩かれ、なかなか飛び掛かれずに動きを押さえ込まれていると、
「…っ!」
 力持ちの憑神様から、がっしと無造作にも、腕やら頭やらを区別なく鷲掴みにされて、片っ端から高々と持ち上げられ、庵の外の古い池へと放り込まれる。さすがは洛外で、水もずんと冷たいのか。
「ぎえぇっ!」
「きしゃあっ!」
 凍りつくような泥水が覿面
(てきめん)の効果を上げている辺り、
“解りやすいよなぁ。”
 爬虫類といえば変温動物だもんなと、この時代の和の国にはないだろう知識でもって、この対処のいかに効果があるかを分析していた術師殿だったが、

  「…っ!」

 不意を突かれて肩先に激痛を感じた。驚きを呑み込みつつ、咄嗟に咒符を叩きつけた相手は、幼児ほどの小さな怪物で。髑髏のような不気味な顔の、口許だけが異様に大きく。そこから剥き出しになった鋭い牙をこちらの肉へと突き立てている。
「こんのっ!」
 どうやら異空を経由して間近へ直接送り込まれている“特攻部隊”であるらしい。咒符をおでこに叩きつけられ、そこから煙を放ちつつ“ぎゃあ”と喚いて飛びすさって遠巻きに逃げる。さして複雑でもない咒に弱いらしい小者だが、すぐにも次のが飛びついて来るのでキリがなく。肩に腕に、背や脚にまでまとわりつかれて、
「だあぁっ! 鬱陶しいぞ、お前らっ!」
 あっと言う間に、浅い色合いだったはずの直衣を朱
(あけ)に染められてしまったのが、何とも痛々しい。
「大丈夫か?」
「…まあな。」
 こうまでの負傷が全く痛くない訳ではないが、この場を静めるためにも連中を平らげるのが先だと、そこは割り切れている豪気な術師。数に任せた攻勢はむしろ自分のような者には得意な相手。少しばかり掻き乱れて降りた前髪の陰、白い額の真ん中へ、立てた指先を構えたのも一瞬。

  《 吽
(おん)っっ!!》

 一気に強い念を叩きつけて、空間ごと“どんっ”と弾けば。小者たちが宙を舞い飛び、彼奴らが這い出て来ていた空間穴へと逆流してゆく。
「術師の俺へ術でかかって来るとは いい度胸だ。」
 こんな修羅場の真っ只中だというのに“褒めてやろうぞ”と口許を吊り上げ、高笑いするところが…余裕なんだか開き直りなんだか。小鬼をすべて平らげて、改めて鎧の一団へと向き直った妖冶な術師だとあって、

  「…ぎ。」
  「なんテやつダ、こイつら。」

 ぎょっとして身を竦ませたのは妖怪たちの方。辟易さえせず疲弊も見せず、それどころか、ますます意気盛んとばかりにボルテージが上がって来る、不思議な青年導師。無尽蔵に繰り出される咒の術は、仲間たちの鱗の鎧さえ焼いて剥がしにかかるほどで、
「どうした、邪妖よ。臆していないで、とっとと掛かってこんかっっ!」
 その花の顔容
(かんばせ)へ、額の傷から頬へと滴り落ちている血にも気づかぬままに、高らかな声を上げては気勢も上げてる、そんなとんでもない暴れ者らしいと、相手が気づいて尻込みしたほどなのだから、一体どっちが邪妖なのやら。(苦笑)

  “直接戦う白兵戦で物を言うのは、気合いとはったりだからな。”

 逃げ腰になればその途端、勢いづいた相手に追われて畳み掛かられ、自滅するもの。逆に空元気でも勢いがある者は、そのままの押しで一気呵成に突き進み、実力以上の力を出せることもある。元は“闘神”の眷属である進が、いかにも場慣れしていて肝の座った蛭魔の戦いぶりへと、賞賛して…というよりは呆れ半分に、その目を向けたのだけれども。
「…っ!」
 そんな広間の空気が、不意な突風の乱入によって掻き回される。四方全部がすっかりと開いていたのだから、風などどこからでも吹き込める状況ではあったけれど。
「な…っ。」
 どんなに細身であれ、青年とまで育ったものの体が浮き上がる風力とは只事ではなく。それにしては…庵の周辺、木立ちも庭の玉砂利も庵の屋根の茅葺きさえも、揺らぎもはためきもしないのがあまりに不自然な対比であり。

  “埒が明かぬと、いよいよ豪力者が現れよったか。”

 あまりに長引けば、いくら何でも人目が立って、何の騒ぎだと野次馬を集めてしまうに違いなく。東宮の野遊びが例年の慣習である以上、それに連なる一大事ではという噂にだってなりかねず。後の工作や箝口令を敷きたければ早く切り上げるが重畳と、例の黒咒を用いた“黒幕”がいよいよ腰を上げての大技だろうと思われて。

  「蛭魔ッ!」

 こちらは人ではない身の進が、それでなくとも余裕で粘れたろう屈強な身を持ちこたえさせながら、今にも飛ばされそうになっている術師殿へと手を伸ばしたが、

  「…っ!」

 板の間の床から足が浮き、あっと言う間に攫われて、風の渦へと呑まれた痩躯。到底尋常ではない扱われように、不覚にも意識が遠のいた蛭魔には、自分がどうやって何処へと攫われたのか、判らぬままの略奪だった。










            ◇



 はっと意識が戻ったその途端に、全身の感応器官を一気に立ち上げている。日頃もどこか油断なく構えている彼ではあるのだが、今現在の集中力は半端なそれではなかったがため。相当に深い眠りの中にいた筈だのに、そんな意識があっと言う間に“臨戦態勢”へと切り替わっている物凄さよ。

  “此処は…亜空か?”

 どこまでも続く漆黒の闇。自分の視覚が奪われたのかと思ったほどに、顔のすぐ前へかざした自分の手さえ見えない闇だったが、
「………。」
 静かに眸を伏せ、何事かを念じると。顔の前方の頭上あたりへ、拳大の淡い光が灯る。それに照らされるものが自分の他に何もない空間。足元から陰が伸びるはずの床さえないらしく、これはやはり、
 

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“尋常な存在の空間ではないということか。”
 他でもない、今の自分がおかれている状況の話だというのにね。そんな場所だと、冷静に分析して断じてしまえるところが、底の見えない御仁であり。

  “…皆は無事なのだろうか。”

 意識が途切れたその寸前のことを、これまた冷静に思い起こしている金髪痩躯の術師様であったりする。相手の狙いはこの自分であり、大失態を演じさせて失脚させるか、いっそこの世から葬りたいと思う者だっていたのかも。神祗官ではなく補佐次官であれば、まま民草にまでは名も知られておるまいから。秘密裏に“すげ替え”も可能かという魂胆にての実行なのだろうが。こうまで大掛かりで荒っぽい運びとなろうとは、相手の大胆さをその身に浴びて、自分の方こそ鈍
(なま)っていたかなと小さく苦笑をしたその時だ。

  《 いい度胸だな。此処へと連れ込まれて笑えるか。》

 声がした。襲って来た一団の輩たちとは違い、滑らかな抑揚の、味のある良いお声であり。
「何者ぞ。」
 姿を見せぬは我を怯れてのことかと鼻先で嘲笑すれば、ほんの数歩分ほども間合いを取ってあるかないかというほど間近なところへ、唐突に現れた人影がある。

  《 花のような姿をしておりながら、噂に違
(たが)わぬ豪傑よの。》

 現れいでたるは…意外にも若い男である。これが本性ではなく、言葉を交わしやすいようにと人の姿に変化しているのであろうが、それにしたって…飄々とした態度にも気負いはなくて。威嚇するでなく警戒するでなく、それほどにも余裕のあるところを見せているのかと思えば憎々しいが、此処は相手の懐ろの中、

  “余裕があって当然か。”

 そうと思えば腹も立たないらしい蛭魔の側も、成程 大した豪胆さである。自分が灯した咒符の明かりに照らされた青年は、在り来りな若者のようでいて、やはりどこかが風変わりで。後ろででも合わせるのか、継ぎ目が見えない胴巻きのような内着の上、胸元を大きく割り開いてゆったりとまとった、尻の下あたりまでの厚手の袷。下は余り
(あそび)の少ない、踝(くるぶし)までの短袴を履いており。背まである黒髪は…小分けにした房をそれぞれに、幾本もの縄か紐のように結っているという、何とも変わった頭をしている若者で。まるで蛇のような結い方をした漆黒の髪の光沢が、頭の輪郭を周囲の闇から浮き上がらせており、

  「蛇、か。」

 やはりなと確信を深めたようなこちらの言いようへ、

  《 見透かしておったか。そうとも、我は主
(ヌシ)らが蛇と呼ぶ一党の者。》

 ふふと笑い、
《 お前様には以前にも、我の腹心が目通りしておる筈。》
 覚えておらぬかと首を傾げるのへ、蛭魔がふんと鼻で笑った。
「公家の娘を垂らし込もうとした麗しの君か? それとも、俺の寝首を掻きに来た女の方か?」
《 両方ともさね。》
 闇を透かしてもなお、力が届く強い眸。笑う形に細まっても鋭い冴えの消えぬその目は、だが。不思議と…愉しげな躍動をはらんでおり、こうやって向かい合う蛭魔と言葉を交わすのを、しみじみ楽しんでいるようにさえ見える。
《 まま、腹心とはいえ変化
(へんげ)は下手くそだったらしいからの。這う這うの体で戻って来たのを叱り飛ばしてやった。》
 そうと付け足し、

  《 殺さなんだのは…情けか?》

 ふと。和んでさえいた双眸が突然に冷たく冴える。一応は目をかけてやっていたほどの手練れであった自分の同胞。それを倒して、だが、殺しまではしなかった人間へ、驕りからかけた情けかと問うているらしき青年邪妖だったが、
「そんな偉そうなもんじゃねぇさ。」
 金髪痩躯の若い術師は、いかにも面倒そうに言い返し、
「気が乗らなかったまでのこと。」
 それ以上にもそれ以下にも、意図などないと言い放ち、
《 恩などとは思わぬぞ?》
 この亜空間からも出す訳には行かぬ。そうと言い置いても、
「ああ良いさ。」
 けっと吐き出すように、やはり…何でもないことというノリで応じており。特に力むこともない様子から、しゃにむな強がりには見えない言動。
《 ………。》
 何がそうまでこの青年を落ち着かせているのだろうかと、黒の邪妖が首を傾げる。
《 なあおい、導師よ。此処から出られぬというのは、ただの幽閉ではないのだぞ? いつまでも同じ時を彷徨い続ける、次空間の迷子となるということだぞ?》
 飢えて乾いて、それから命の灯火が掻き消えて死を迎える…というような代物ではなくて。時が止まり、永遠という那由多
(なゆた)の牢獄に押し込められるということ。だというのに、
「解っているさ。」
 蛭魔はやはり笑って見せる。
「音も光も何も届かない空間での、永劫の独り。どんな剛の者であれ、一月も保
(も)たずに自我を壊され、無残にも発狂するのがオチだろうよ。」
《 ………。》
 そこまで解っていて、なのに? 空威張りでもない、何か強靭なものを感じさせる、いかにも強かな表情のままでいる彼であり。腹の底にどれほど強いものを抱えた奴なのかと、本心から不思議に思ったこちらの顔が見て取れたのか、

  「俺にはな、地獄の果てまで追って来て助けてくれる奴がいるんだよ。」

 意外なことをぺろりと言い、
《 此処へと来れるのは陰体のみぞ。》
「ああ。そいつも陰体だ。」
《 術師のお前とは敵であろうに…そこまで大切にされているのか?》
 あり得ないことと、ついつい言葉を重ねれば、

  「さてな。下僕の契約があるまま、なのに守れもしないで逝かれては、
   後々まで甲斐性のなさを笑われでもするのかの。
   それか、寝覚めが悪いとでも思うのだろうよ。」

 どっちでも良いんだがなと、初めて…やわく穏やかに微笑った青年であり、
《 ほほぉ。》
 黒の邪妖はいかにも感心したような声を立て、
《 ますます面白い奴だな、お前。》
 こちらもまた、くつくつと笑って見せる。
《 この空間も、俺さえも怖がらない。正体が判っていて、なのに、怖がらねぇってところがいいねぇ。》
 俺の手下がいくらかかっても、文字通り歯が立たなかった。柔らかそうで美味そうなのに、咬みつくのが限度でそれ以上は弾かれちまう。そうと言って、いかにも骨太で武骨な手を伸ばし、蛭魔の細い顎を易々と掴んでしまう。
《 いいねぇ。いかにもむくつけき野郎じゃあないのに、こんなにお上品そうなのに。よほどのこと、気力が強いんだろうねぇ。》
 そのまま握り潰したいかのように、指に力を込めた邪妖だったが、
「………。」
 蛭魔の側は怯みもしないまま。揺るぎなき真っ直ぐな視線を相手へ据えたままでいたところが、


   
「ここかァっっ!!!」


 突然の怒号と共に、勢いよく闖入して来た新たな気配があって、その場の緊迫感を思い切り薙ぎ倒している。飛び込んで来たのは“誰か”という存在だったが、それとは別に、どさぁっと飛んで来た塊もあって、

  「な…っ!」

 どこまでという限りのない空間ながら、放った力によっての落下であったのか。足元辺りという位置へと落ち着いた、人の赤子ほどの大きさの布ぶくろ。特殊な空間である筈なのに、
「これって…。」
 ふくろの周囲へ ふわりと沸き立つものがある。独特のくせがあって渋みの強い、いかにもアクの濃さそうな…。

  「莨草を煎じたものだ。蛇には天敵、息さえ出来ぬだろうがよ。」

 莨は煙草の原料で。嗜好品として日本へ持ち込まれるのは江戸時代まで下がってから。とはいえ、そこは“植物”でもある代物だから。苦手な成分をと探し出し、蛇が相手でも恐れるに足らずとばかり、武器の代わりに持ち込んだ葉柱であったらしく。1つきりではないぞと、あと2つほど、その足元から力強く蹴り出して見せる人影へと向けて、

  「…お前。」

 人が自力では出られぬ次空の檻。そこに連れ込まれても全く動じなかった術師殿が、驚いたように闖入者をまじまじと見やり、そして…ふらふらと覚束ない足取りで近づいたから。彼こそが頼りにしていたお仲間であり、よくぞ助けに来てくれたと感激し、安堵しての放心かと思いきや、

  「何てことしやがんだよっ!」
  「あだだ…っ。」

 容赦なく拳骨が降って来て、ごつりとこづかれた頭を押さえてうずくまる葉柱であり、
「何だよ、助けに来たんだろうが。」
「あ・の・な。莨草のヤニ汁は人間にも猛毒なんだ。」
 お前は邪妖だから知らなかったろうよな、俺まで引っかぶっていたなら、傷口から入ってもがき死んでたんだぞと。それはそれは激怒のご様子。
「そのくらいは知ってたさ。俺はどっかの誰かさんとは違って、物を的に向けて蹴りつけんのが得意なんでな。当たんねぇように出来る自信くらいはあったんだよ。」
「何をぅ?!」
「蹴鞠のお誘いだけは何がなんでも断りまくってるって話、俺が知らないとでも思っていたか。」
「手で投げりゃ済むことなんだ、余計なお世話だよっ!」
 せっかくの美人さんも台なしなほど、烈火のごとくに腹を立て、本気で拳を振り上げる捕らわれの姫君と。せっかく助けに来たのだろうに、そんな姫へと容赦のない悪態をついて憚らない、漆黒の髪をした精悍な侍従と。助け出しに来た者と、助けを待っていた者のやり取りには到底見えない、妙に笑えるお題目での言い争い&叩き合いに、

  《 ………ったくよ。》

 すっかりと置き去りにされてしまい、彼らを脅かす悪党の元締めな筈の邪妖さんが…小さく小さく苦笑する。
“ホント、面白い連中なのだな。”
 こんな人間や、こんな邪妖もいたとはねと、何だか毒気を抜かれたらしく。いつになったら収まる喧嘩やらと、腰を据えて見物の構え。…って、あなたも相当に変わり者なのではないのでしょうかと、何だか妙な雲行きになって来たことへ怪訝そうな顔になってしまった、欄外の筆者だったりするのであった。






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