8
観客席に居残っていた面子の中で、一番最初に不審を感じたのは、さすがの歯医者さんであり。
“あれれぇ? 何でヨウちゃんたち帰って来ないんだろか?”
白熱していた“お着替えレース”の真っ最中に、何だか妙なぶかぶかの服を羽織ってのゴールをした後。白ランの総長さんに背負われたまま、これまた妙に急いでる様子で校舎側へと駆けてった彼らであり。しかもしかも…そのすぐ後の組の親子連れが、ろくにお着替えもしないまま、コースアウトしてまでそんな二人を追ってったから。
「………変ですねぇ。」
「あやや、ヘンですか?」
依然としてお膝に抱えていたセナくんからの愛らしい合いの手に、くすっと笑ってから自分の携帯を取り出したものの。短縮ダイアルのボタンを押せば、すぐ間近から“ン・チャチャーチャチャー・チャチャーチャチャー”と勇ましいイントロが鳴り響いたは…お懐かしい“科学忍者隊ガッチャ○ンのテーマ”だったりし。
「…なんでラバくんがヨウちゃんの携帯持ってたりするのかな。」
どういう着メロを設定されていますか。え? 阿含さんがわざわざ自分で設定したんですって? う〜ん、そういや妖一くんではまるきり知らない世代ですよね。…じゃなくってだな。(おいこら)キョトンとしつつ肩越しに振り返って来た歯医者さんに訊かれて、
「あ、えと。今のレースで、物によってはズボンを上から履くようなお着替えがあるかもしれないからって。」
どさくさ紛れに落としたり失くしたりしないよう、持っててと頼まれましたと正直に白状すれば、
「…ふ〜ん。」
感慨深げな声を出す阿含さんだったりし。うなじで束ねていたドレッドヘアを片手でほどきつつ、こっちから言わずとも差し出された、シルバーメタリックの小型モバイルへと手を伸ばし。ちょっと迷ったものの、
“緊急事態だしな。”
お膝のセナくんを、何と片腕だけにて…乱暴ではなく余裕の安定さでひょいっと抱えて、すぐ傍らでやきもきしていたお不動様に差し出すと。残った片手でそのまま“ぴぴぴ…”と手際よくボタンを連打して、人様の携帯の中身をちょこっと拝見。…と、
「…うわ〜、物凄いデータ量だな、こりゃ。」
予想はしていたが“実際”はそれ以上だったので、まずはついつい大きくのけ反ってしまった。メールはいちいち消去しているらしくあまり残されてはいなかったけれど、その代わりに住所録はぎっちりとフル活用されており。ひらがな二文字の色っぽいのから、アルファベットのやたらと長いのまで、登録名はもうもう千変万化の多種多様で、どういう人脈持ってる子だかが解るようやら…やっぱり不可解なようやら。しかもしかも、どこやらの管理事務所に設置されてるらしき、坊や専用の外部サーバーへ直結出来るそれらしき、特殊なナンバーコードまである始末。何でそんな大層なものだとこの歯医者さんにも解ったかと言えば、
“こりゃ高見が提供したシステムだろな。”
何につけ活用術が半端じゃない坊やはモニターとして打ってつけな人材だろからと、色んな機器やらシステムやら、出来た端から試させているらしき困った工学博士さん。そんな彼なら、研究所の大容量サーバーの1基くらい、坊や専用に貸し出していたって不思議じゃあない。
“まま、今はそれよりも、だ。”
気になるのは、ここから離れた坊やだったことと、それを追ってった怪しき存在があったこと。一緒に連れ立ってったのが。バイク乗りの総長さんだったから、もしかしたならこの敷地からさえ遠くへと離れて行った坊やなのかも知れなくて。
“…う〜ん。”
あれで大人顔負けの現実主義者だからね、幼稚な思惑から“正義の味方”を気取る子じゃあないのだけれど。どういう加減か、犯罪絡みのドタバタに自分から巻き込まれたがる節のある、無鉄砲でスリル大好きな困った坊やでもあるからね。
“とりあえず、俺に出来ることはといえば…。”
妖一くんと一緒にいる筈の、葉柱のお兄さんの現在位置を探査することだったりした。
◇
探査の方法は様々に心得てたし、恐らくは…葉柱くんの方は自分の携帯持ったままじゃないのかなって思いもしたけどね。けど、何だか様子が妙だったでしょ? オートバイで疾走中だとして、突然のお電話なんてかけたところで出られる状況じゃないかも知れない。むしろ、不意な乱入にびっくりして集中力が途切れたり、それが悪い弾みになって事故にでもなったら夢見が悪いからさ…なんて。総長さんのライディング・テクとか肝の据わりようまでは知りませんからと暗に仄めかすような言い回しをし、
「だから。ヨウちゃんが携帯にエントリーしてたお姉様がたへ片っ端から電話して、ヨウちゃんやこういうバイクに乗ったお兄さんを見なかったかって、訊いて回ったの。」
夜のお仕事をなさってるお姉様がたなら、日曜の今日はお休みという顔触れが多かろう。だから、こんな時間帯ならお買い物とか飼ってるワンコのお散歩にと“ちょい出”の最中かもしれないし。
「あ、心配しないでいいよ? 連絡を返してって先の番号は、ヨウちゃんのじゃなく俺の携帯のを教えての情報収集だから。」
ヨウちゃんの方からは教えてない人もいるんじゃないのかなって思ってサ。そしたら、やたら急いでそうな、そのくせ いきなり180度ターンなんかやっての派手な車線変更なんてことをしたバイクがあったっていう目撃情報が、続々と集まって来たから。それを診療車に搭載してあったPCでここいらの地図にインストールして分析してね。居場所と移動速度を割り出して、GPSと…これはナイショだけども、幹線道路沿いのスピード違反車輛摘発用センサーの、違反を感知してはいない“ノンチェック分”のデータをリアルタイムで覗かせてもらったら、引っ掛かってはいないながらも物凄いスピードで、しかも人気のない方へない方へって進んでるゼファーがあるじゃない。それでこりゃあ只事じゃないからって、警察の方へ通報しましたし、ミニパトのお姉さんたちの個人的な番号にもお声をかけました。
「…以上、報告終わり。」
追っ手を叩くという一応のカタは自分たちでつけていたけれど。それでもやはり、警察の方々があのタイミングへ迅速に来て下さったのは大いに助かって。だって、自分たちが立ち去った後、もはやこれまでと犯人たちが逃げていたら? そうして、別の機会にって報復の強襲とか掛けられでもしたら、それこそ不意を突かれることは間違いないのだからして、その時にも こうまでの鮮やかな対処が取れたかどうだか。…だもんだから。一応の事情聴取が済んだばかりの、金髪の小悪魔坊やと葉柱のお兄さんをお仲間たちが出迎えた泥門署のお廊下で。自分の打った手というのをあらためて話して下さった、ちょっとお洒落な歯科医師さんへ、
「サンキューな? 阿含。」
坊やからの“助かったぞ”とお褒めのお言葉。しかもそれだけじゃなく、
「???」
しゃがめという合図か、羽織ってたジャケットの袖を引っ張るもんだから。何でしょうか?と ちょいと屈んだところへ…間髪入れずに。
「んvv」
そりゃあ綺麗で流れるような所作にての。可愛らしくも背伸びをしての…滅多なことじゃあ自分からはしないという“頬っぺにちうvv”の大盤振る舞いまで出たもんだから、
「〜〜〜〜〜っ! ////////」
おお、あの無敵最強の歯医者さんたら、背中が壁にぶつかるまでザザザッと後ずさりしもって、たじろぎながら真っ赤になっちゃったじゃあありませんか。いつも飄然としている忌ま忌ましいほど強かな彼だってのに、これはあまりに思わぬ反応。
「意外に純情だったとか?」
まさかなと、信じらんねぇという想いを言外に含ませての疑うたぐりの眼まなこにて。三白眼の目許を恐持てに眇めた総長さんの傍らでは、
「だとしたら、あれってご褒美じゃなく立派な“苛め”になんないかな?」
こちらはアイドルさんが、いかにも罪のない笑い方で“くすすvv”と楽しそうに笑いつつ…とんでもない解釈を付け足して、
“…こいつも結構黒い奴かも。”
一見“絶対安全”そうな奴ほど、実は判らんもんだよななんて、別の感慨を深めた葉柱のお兄さんだったりもしたそうだけれど。
「でもさ、僕としては疑問が1つあるんだよね。」
「何だ?」
一体何が起きていたのか、やっとのことで全部話してもらったばかりの桜庭さんが、こそりと総長さんへと聞いたのが、
「ヨウちゃんがいくら大人顔負けの物知りだってもさ、まさかにプロの鑑定士じゃないんだから。」
あんな常識外れの大きさのダイヤモンド、一目見ただけで何で“本物”って解ったんだろうね。僕だったら“大きなガラス玉だねぇ”って思うよ、きっと。それこそ子供ならではな、見当違いのただの勘とか思い込みでとかでだったなら、振り回された僕らってば、いい面の皮じゃない。そんな風に言い出した彼へは、
「判らいでか。」
さすがは“地獄耳”のご本人が、いつの間にか間近に来ており、
「天然ダイヤか、それともガラスやジルコニアかっていう見分けは、案外と簡単に出来んだよ。」
平らにカットされてる面へ水を垂らして、出来た水滴の形で見分けられるんだよと、薄いお胸をむんっと張っての、大威張りの仁王立ち。
「わ〜〜〜、なんか少年名探偵みたいだねぇ。」
彼とても別に悪口を言ってた訳じゃあないのだろうに、こそこそと話題にしちゃったのが何となく後ろ暗かったのか。こちらさんもさして“真っ黒”という人格ではなかったらしき善良なアイドルさんが、少々焦りもってチームメイトがマスコットくんをあやしている傍らへと退却すれば。それを見送った格好の二人、合図もないのに同時に互いを見やったそのまま、お顔を真っ向から見合わせあってしまい。
「…えと。」
そろそろ秋の夕日が沈む。まだ十月の初めだからね。いかにもスペクタクルな、茜と藍色が絶妙に混ざったそりゃあ綺麗な夕空は、もっと秋が深まってからのお楽しみで。今はまだ、赤みを帯びた西日が指すばかりの黄昏どき。そんな赤い光に照らされて、淡く染まった金の髪の陰から、あのね?
「…ルイは、怖かったか?」
そんなことを訊く、坊やの小さな声がして。…はい? いきなりまた何を聞くかなと思った総長さんだったものの、
「………。」
少ぉし煤けたこっちの制服、いつのまにやら ぎゅうと握ってた、小さな白い手に気がついて。俯いたままな坊やの姿が、妙に小さく見下ろせて。スリリングにも限度はあって、しかもしかも自分だけの危機ではなかった。自分の絶大な自負の根源、重要な鍵だったろう大事なアイテムがないことを、迂闊にもうっかり忘れてたという、取り返しのつかない坊やの失点を。なのに全く意に介さぬまま、きっちりと補ってくれたルイだったけれど。
――― もしも相手が逆上していたら? 銃の用意だってしていたら?
相手が向けてた矛先から逃げ果おおすことが出来なかったなら、自分はおろか、葉柱のお兄さんだってどんな目に遭っていたことか。だからという切迫感から、知らず緊張し切ってた坊やだったらしく。それが一気にほどけた反動で、あちこちが軋んで今にも頽れそうになっている彼なのだと気がついて。
「ん〜、少しは怖かったかな?」
だってよ、昔の仮面ライダーじゃねぇんだから、重たいバイクごとのジャンプなんてそうそう出来るもんじゃねぇ。踏み越した先がフェンス前であんな狭い幅しか残ってなかったてのも意外だったしな。ハンドル切る反射が鈍かったら、不安定な砂利の上でスピンして、横転してたか金網へ吹っ飛ばされてたか。だから、いくら俺でも少しは怖かったかなと。少々 茶らけた口調にて、そんな言い方をして笑って見せれば、
「…チッ、しょうがねぇな。」
だったら…こうやって抱いといてやっから、もう震えんなと。大威張りで言ってのけ、ぱふっと自分からしがみついて来た強情っ張り。
“…このヤロがよ。”
ぎゅううっと擦り寄せられた小さな肢体の小さな肩へと、大きな手のひらが上から置かれると、
「…っ。」
顔は上げぬままながら、でもでも間違いなく小さく震えて見せたその愛らしさへ。周囲にいた大人たちが、声を出さないようにしつつも、堪え切れない微笑みを頬にいっぱい含んでしまった一幕で。いやホント、皆様には並の運動会以上に“お疲れさま”な一日だったようでした。
←BACK/TOP/NEXT→***
|