月夜に、もしも逢えたなら… B
 



          




 今時の修学旅行というものが、一昔前とは随分と様相を異にしていると述べましたが、それでも変わらないんじゃないかと思うものが"投宿先"でして。沖縄や北海道のリゾート地や、はたまた台湾や中国という海外へ行ったとしても、よほどのブルジョワ学校ででもない限り、個人旅行並みのクオリティのそれを望むのはちと難しいと思うのですよ。大人数の、それも若き血潮を漲らせた子たちが相手です。社会勉強が主眼目の旅行である以上、飲み食いさせ寝泊まりさせる施設にあんまり贅沢は出来ないだろうし、物慣れたスタッフの方々に当たってもらわないと、先生方のみで対応するのははっきり言って無理だろうとも思いますので、いきおい、宿坊のような、若しくは合宿所のようなノリの場所になるのがオチではなかろうかと。あ、でも、生徒の絶対数が減りつつあるから、大広間一面に布団を敷き詰めての"雑魚寝"ってのはなくなりつつあるのかなぁ?



 初夏という時節であるがために陽も長く。それ故に…まだまだ明るいのにもかかわらず、それぞれに門限というのか、食事前の点呼に間に合わねばならないからということで、夕陽が沈むまで一緒にいるという訳にもいかず。ちょっぴり名残り惜しかったが、地元に戻ってから改めてお逢いしましょうねと、堤防での進さんとの夢のような逢瀬から離れて、少々古びた外観の旅館へ帰って来た瀬那を、

  「あら、一人なの?」

 玄関から上がってすぐのロビーにて、気安い声が呼び止めた。まる1日自由行動の日だったとはいえ、くれぐれも単独行動は慎むようにという注意を引率の先生方から受けていたし、それでなくたって馴染みも薄くて土地勘のないだろう場所。さほど"孤独に耽る"タイプではないセナだと知っていたので、仲良しの雷門くんと一緒でないのを怪訝に思ったのだろうその人は、

  「鈴音ちゃん。」

 初夏向けのパステルカラーのパーカーに、デニムのタイトミニという快活そうないで立ちをして、さらさらと手入れの良い長いめの髪をポニーテイルに結い上げて。表情豊かな瞳に溌剌とした力みをたたえた、いかにもお元気少女という彼女こそ。セナとはアメフトつながりで縁を結んだ、瀧さん兄妹の妹さんの方であり、
「一人でフラフラしてるなんてらしくないの。」
 楽しげにくすすと笑う。外から一人で帰って来たセナに意外そうな声をかけて来た彼女の側だとて、連れもないままに待ち合い用のロビーに居ましたという風情でいたのだが、
「ああ、あたしはメール打ってたの」
 そんな風に思われたらしいと素早く察して、手元の携帯電話を持ち上げて見せた反射の素早さよ。割り当ての部屋では電波状態が悪いのだそうで、
「もしかして迷子になってたとか?」
 そんな言いようをされて、セナはたちまち頬を膨らませる。
「あ、酷いなぁ。」
 子供扱いしないでと言えば、あら だって初めて逢った時もそうだったじゃないと、鈴音は屈託なくコロコロ涼やかに笑った。そういえば…高校生最初の夏休みにいきなりアメリカへと渡ることとなり、広大な砂漠を石蹴りしながら横断するという苛酷な特訓を敢行したその時に、このお嬢さんと出会ったセナであり。その時も…見知らぬ異国で迷子になりかかっていたのだったっけ。これは一本取られましたと、こちらからもクスクス笑ってしまって、さてとて。鈴音は、この旅行の一応のお題目である自由研究の進み具合はどうかと訊いて来た。目ぼしい資料館を回って来て、大体の取材は済んだと話すと、
「あたしの班は、ここいらの民話とか伝承っていうのかな。そういうのをまとめることにしたんだけどもね。」
 ふと。口調をあらためて、声を落とした鈴音であり、
「そんな中にね、ロマンチックなのがあったの。」


 此処の海岸のとある岩場の奧の潮だまりに小さな祠
ほこらがあって、そこには海神様が祀まつられてたんですって。そんな神聖な場所だから、年に一度の奉納の儀式の時くらいしか人は滅多に踏み込まない"聖域"で。そういう場所だということで、ここいらを収めていた領主様の姫君がこっそりと逢い引きの待ち合わせに使っていた。相手は父上の小姓の一人という、なさぬ仲の恋であり、それだからこそ人目を忍んでしか逢えなかったのだけれども。ある月夜の晩に、姫は潮だまりから現れた龍に攫われてしまったの。決まった晩にやって来るそれは美しい姫に、海の神様が横恋慕しちゃったのね。恋の相手の青年は、それを知って嘆き悲しみ、床についてしまってね、さして日を置かず、痩せ衰えて死んでしまった。一方、同じ月齢の晩に一晩だけと地上に帰された姫君は、愛しい人が現れないのが寂しくて寂しくて。毎月必ずその祠へやって来るのだけれど、相手の青年はもういないから来れないでしょう? 逢えない寂しさがやがては相手の心変わりを疑う気持ちに塗り替わり、姫君の方もどんどん憔悴し、程なくして海神様の竜宮で亡くなってしまったんですって。時々、そんな二人の魂が漁火になって海の上で逢ってるってお話で…。


「何だかロマンチックすぎて、学校の課題に扱うのはちょっとねって意見が出ちゃっててね。」
 それで意見が分かれていると、苦笑した彼女としては。このくらいのロマンスくらい、別に構わないのではないかと思っている派らしい。だってどうせフィクションなんだし、それに恋愛がらみなものだって珍しいもんじゃないんだしと続けかけた鈴音だったが、
「…どうしたの?」
 何だか神妙なお顔になっていたセナに気づいて小首を傾げる。疑問符つきのお声を掛けられたことでハッと我に返ったらしく、
「あ、ううん。何でもない。」
 綺麗なお話だねと にこりと微笑い、じゃあ点呼があるからと手を振って奥へ入って行くセナではあったが、

  "…逢えない寂しさ、か。"

 何となく。妙に身に迫る何かを感じてしまった自分へと、こっそり溜息をついてしまったのだったりする。






            ◇



 同級生たちのお元気な声や喧噪がざわざわと満ちた館内をほてほてと進んで、男子ばかりに部屋が割り当てられた階の方へと向かえば。長い廊下の突き当たり、自動販売機が据えられ、少し広々とした空間になっている"喫煙コーナー"だろう一角に、セナの本来のお仲間である雷門くんや小結くんが、やはり同じアメフト部員であるラインマンの十文字くんたち3人と…時折 睨み合うよな間合いを持ちながら、それでも仲良く語らっているところへと辿り着いた。現地までの往復は制服で、夜間は名前入りの体操着を…とそれぞれきっちり指定されてはいたけれど、現地での昼間の恰好には特に規定がなかったため、セナたち同様に彼らもまたざっかけない私服姿でおり、向こうさんからもこちらに気づいて、
「迷子が戻って来たぜ。」
「お迎えは要らなかったのか?」
 からかうような言われように、悪気はないと分かっていながらも、
「あやあや…。///////
 何で皆して"迷子扱い"するかなと、ちょこっとだけ鼻白んだセナだったけれど。何しろ…シャーベットブルーのパーカー風ジャケットにマリンブルーと白のボーダーTシャツ、スモークブラウンのチノパンという、どうかすると女の子のようなコーデュネイトが無理なく似合っている、ちんまりとした姿の稚さが、そういう感慨を引き出すのだからしようがない。堤防の上でどこぞの大学生さんの懐ろに…潮風にも紫外線にも当てないぞという勢い
ノリで掻い込まれ、時間さえ忘れて甘く寄り添い合っていた構図が、周囲からは単にほのぼのして見えていたのもそのせいなんだしね。(笑) 腰高な窓辺へ凭れていた3人組と向かい合う格好でベンチに腰掛けてた雷門くんの傍らへと寄って、
「よぉ、帰ったか。」
「うん。」
 別行動になっちゃってごめんね、と。こそりと謝るセナへ、気にしちゃいないとモン太くんが笑った。
「レポートの方は、水族館の分は俺たちでまとめるから、真珠島の方はお前が担当しろよな。」
「うん、判った。」
 小結くんへも"うんうん"と微笑を添えて了解しましたというお顔をして見せたセナだったが、

  「それよかさ。」

 おもむろに声を低めたモン太くんに、
「あんな、この顔触れで後で渚まで肝試しに行くんだ。セナも、行かねぇ?」
 そんな話を持ちかけられて、
「………え"?」
 心なしか。口許の端っこが微妙に引きつったと思う。聞いた文言の意味をきっちり把握出来なかったが、それでも生理的に嫌なフレーズがあったぞという点を敏感に察知しての、感覚的な右脳反射が見せた反応であり、
「き、肝試し?」
 そんなの予定にあったっけ? 夏場の林間学校や臨海学校ならともかくも、まだ梅雨前で怪談話や幽霊の本番であるお盆にも遠いし…って、いや、そうじゃなくてだな。そんなの初耳でございますことよ、心の準備も何もしておりませんでしたし…と。何かしら悪あがきっぽい心持ちからの確認を取ってみれば、
「勿論、俺たちだけで消灯後にこっそりと出てってやるんだよ。」
 なにが"勿論"ですかいと、規則破りに胸を張るモン太くんと、ふんふんと意気盛んな小結くんへ、

   "あ〜う〜…。///////"

 セナはその胸中にて"困ったよう"という泣きそうな声を上げていた。もしも髪の間に猫耳がちょこりと立っていたなら、間違いなくしおしおと寝てしまい伏せていたところ。覚えていらっさるだろうか、昨年の夏の合同合宿話を。宿舎の中で迷子になるという器用なことをやってのけたセナくん、夜陰の闇溜まりのそこここに、お化けがいないか幽霊がいないかと、そればかりが怖くて泣きそうになっていたことを。
「何でもな、昔話の姫さんの幽霊が出るって祠があるらしくてよ。」
 シックな柄ながら季節先取りのアロハ風シャツを着た黒木くんが嬉しそうに話したそれへ、

  "…あ。"

 セナの表情が僅かながら弾かれた。それって、さっき鈴音から聞いたばかりな、悲恋のお話の祠のことではなかろうか? そんな近場のお話だったんだと感嘆しているセナの胸中は、当然のことながら誰にも見えないままに話は続いて、
「そこまでくっきり見たって奴は珍しいらしいけど、火の玉だの啜り泣きの声だのは、結構誰でも拾えるって話でな。」
 何か見れたら儲けじゃんかと妙に楽しげな黒木へ、
「なのに、そんなの絶対にいねぇって。」
 小結くんが言って聞かないとモン太くんが続け、それでいつもの…力や度胸のしのぎ合いの延長みたいな、どこか険悪そうな睨み合いになりかかっていたのかと、やっとセナにもこの場の微妙な空気が理解出来はしたけれど。
「な? お前も来るだろ?」
 3人一組ずつってことにすりゃ丁度良いんだしよ、と。勝手に決められて、あうう、これは断りにくいなぁと、口許がますます引きつってしまう。だって…あのその。これまでモン太くんにさえ言う機会がなかったことだけど、あのね? うっとね? どう打ち明ければ良いのかなってセナが戸惑っていたらば、

  「そいつはダメだ。」

 唐突なお声がかかって、
「え?」
「なんでだ?」
 モン太と黒木が相手へと怪訝そうな声を重ねた。勿論、戸叶も小結も小首を傾げて顔を見合わせる。そんなお言葉を発したのは、意外にも三兄弟筆頭の
おいおい 十文字であり、
「海ん中にあって潮に洗われてる岩場だぞ。足、滑らしたらどうすんだ。」
 そう言って顎先をしゃくるようにしてセナを指して見せ、
「こいつってば、試合中はともかくも日頃はどんだけトロ臭いか。ぜってぇコケるに決まってる。」
「あやや…。//////
 さすがは付き合いも長い間柄。彼らには結構早い時期…さっきも持ち出したアメリカ武者修行の時に、謎のヒーロー"アイシールド21"の正体が実はこのちんまりとしたセナであることも明らかになっている。ゲーム中はそれは頼もしくて怒涛の攻撃を任せ切れる勇者に違いはないのだが、平生のお顔の…何とも幼く頼りなさげな子であるかもまた、この面子には重々知れ渡っていることであり、
「それに。俺らは時間内に戻れる自信があるが、そっちのチビどもには難しいだろうからな。消灯の後の点呼を誤魔化すのに、誰か代役が要んだろ?」
 そんな付け足しへ、
「あ・そっか。そりゃ要るわな。」
「なんだとーっ。」
 そんな係なんか要らねーと意気込むモン太の腕を、けらけら笑いながら いなしつつ、黒木が"さあ、飯だぜ"と引っ張って行き、小結がそれを追い、
「俺もすぐ行くから。」
 先に行ってろと戸叶にも声をかけて先に行かせて、さて。

  「…ありがとね。」

 どうしたもんだろうかと嫌な汗をかいていたセナが、吐息混じりに小さな声で十文字へお礼を言った。肝試しやお化け屋敷は、絶叫マシンより苦手なものだから、本気でどうしようどうしようと切羽詰まってた。怖いから行かないなんて言い出したなら、自分だけじゃなくモン太くんまで恥をかきそうな展開だったし、でもでも…って困っていたら、鈍臭い奴だからとからかわれるような言いようではあったものの、それによって巧妙にカモフラージュして庇ってもらえたものだから。上手な誤魔化しへ心からホッとしたセナくんだったのだけれど。そんな風に改まって礼を言われて、
「大したこっちゃねぇよ。」
 ふいっとそっぽを向いたまま、素っ気ない声を出した十文字くんだったのは、もしかして…照れ隠しかなぁ? 背の高いチームメイトへ、こっちは座っているから尚のこと、喉元を反っ繰り返すみたいにして見上げて、
「でも、なんで?」
 お化けが苦手だなんて、そんなことを明らかにしたような、何かしらの切っ掛けなんてもの、この十文字くんとはなかった筈なのにねと。気心が知れてる相手へは案外と気立てが優しい彼なのは知ってるけれど、それでも…どうして?と、ご本人様もどこか合点がいかないお顔を向ければ。それへと、
「お前、オカルト系が超苦手なんだってな。」
 やっとこっちを見下ろした男臭い面立ちが、そんなことを切り出した。
「…うん。////////
 あやや、やっぱりちゃんと知ってたからか。でも、だったらこれってやっぱり庇ってくれたんだよねと、照れ臭そうに小さく微笑うセナへ、十文字の方でもようやっと、クスクスと笑い返して見せて。傍らまで寄って来ると、相手のクセっ毛へと大きな手を伸ばして来て、痛くない加減のもと、もしゃもしゃと掻き回す。
「蛭魔に言われてんだ。気ィつけてやれってな。こういうのにそういうのは付きもんだからって。」
「蛭魔さんが?」
 おや。意外なところで意外な人のお名前が。そういえば、この恐持てのする十文字くん。当初の頃は…セナくんに更なる苛めの手を出させぬためにと、恥ずかしい写真を撮られて、それでもってあの金髪の悪魔さんから良いように牛耳られてたんだったっけ。まま、あれもホントに最初の内だけ。負けてたまるかよなとアメフトに本気になってしまってのめり込んでしまってからは、そんな手札なんか意味のないものになってしまった。脅されて無理から協力しているのではなく、本人の意思での"仲間入り"をした彼であり、
「笑いもんにしようってんじゃなくてだな。」
 セナくんが感じたかも知れない把握を打ち消して、
「トラウマでも残されちゃあ堪らんし、そんな情報が外ん出て、アイシールド21の弱点なんて格好で広まっちゃ困るからだとさ。」
 うわぁ、周到だなぁと。我がことへの手配ながら呆気に取られたセナの、いかにも感服致しましたという稚
いとけないお顔にもう一度の苦笑をし、手頃な高さの頭をポンポンと軽く叩いてやって、
「そういう訳だから、お前はサルとチビっころの点呼の代返でも頑張ってやれや。」
「あ、うんっ。」
 こくんと大きく頷いてのそれは良いお返事をし、自分たちもご飯に行こうねと、まろやかに微笑って立ち上がった小さなエース。一年生だった2年前に既にもう、とうに大人びた容姿になっていた自分と本当に同い年だろうかと疑い続けて3年目の、小さな小さなヒーローくんに、
「ほら、ちゃんと前見て歩かねぇと…。」
 カーペットの上でもコケんぞと、言い終わらぬうちにもコケッと躓
つまづきかかる困った子供。おとと…と たたらを踏みつつ、何とか転ばずには済んだらしいチームメイトへ、やれやれと大人びた苦笑を見せながら、
"これじゃあな。"
 あの、悪魔のような蛭魔であれ、ついつい過保護したくもなるってもんだぜ…と。そういう自分だって、可愛くてしようがないと言いたげな微笑ましげなお顔になってしまった、お兄さんだったりするのである。




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  *よく判らないままに書くのは危険なのですが、
   同級生の女の子キャラ、瀧鈴音ちゃんの登場と相成りました。
   (日本での地元が判らない人たちですしね。
    チームに加入したとはいえ、
    もしかして…秋大会だけの参加になるかも知んないし。)
   お姿から想像するに
   "名探偵コナン"に出てくる和葉ちょんタイプの子なのでしょうか?

  *あ、それと。
   今話の中に出しました伝説も、浅瀬の先の岩屋の洞窟も、
   完全なるフィクションですので悪しからず。
   伊勢志摩にそんな伝説がホントにあるのかどうかは存じませんです。