月夜に、もしも逢えたなら… D
 



          




 その空洞の中は、漆を流したような濃密な闇に閉ざされてはいたが、しんと静かな訳ではない。洞窟の入り口では潮風が逆巻くのだろう風洞音がするし、外の岩壁に当たっているのだろう潮騒の音も"ざあざん"と間断なく聞こえている。会話出来ないほどの物音ではないが、だんだんと大きくなってるような気もして落ち着けない。暗がりであるせいか、何となく…大声を出すのは気が引けるセナであり。一刻を争う人捜しではあるのだけれど、他の人に見つかってしまって大騒ぎになっては困るから。子供の浅知恵かもしれないが、出来る限りは秘密裏に運んで"何もなかった"と収めたい。それと…萎縮しているせいも多分にあって、
「お〜い、黒木ィ〜。返事しろ〜。」
 傍らからいきなり上がった張りのあるお声に"びくうぅっ"と肩を跳ね上げたものの、
"…ああ、そうだった。"
 怖じけてる場合じゃないと、気を取り直す。
「雷門く〜ん。どこ〜?」
 セナも頑張って捜索開始。頼りとなるのは…標準サイズの懐中電灯という心許ない明かりがそれぞれの手に一つずつだけ。ペンライトよりは大きいものの、照らせる範囲はあまりに狭く、探すためというよりも向こうから見つけてもらうために灯しているようなものなのかも知れない。岩の塊りの中をくりぬいたような洞窟は、入って見ると案外と広くて深くて、この小島のようなところの下層部全体に広がっている代物であるらしい。堅い岩底のところどころには微妙な段差があって、前もって大体のルートを確かめていたらしい十文字が、そのところどころで立ち止まってはセナに手を貸してやりながら、少しずつ少しずつ進んでいたのだが、
「あ…。」
 懐中電灯に照らし出された行く手の足元が、ひたひたと潮をたたえて水没しかかっているのが見えて、セナがハッとし、その足を止めた。
「もしかしてこの先って…。」
 海の潮が満ちていて、もっともっと…天井まで沈んでいるのかなと、不安げな細い声で呟いたセナへ、
「いや。ここが一番低いところだからな。」
 まだそんなに…水没とまでは進んじゃあいない筈だと、十文字が否定する。とはいえ、急がねばならないことには違いなく、
「雷門く〜ん。」
 もう一度呼んでみたその声が、潮騒の音に飲まれて消え掛けたその時だ。

  ――― 〜〜〜〜〜。

 セナがハッとし、十文字の腕を掴んだ。切迫した勢いに気づいて、
「どした?」
 声をかけると、
「何か…声みたいのが聞こえたよ。」
「声?」
 訊き返されて、返事も出来ぬままに"こくこく"と頷く。何を言っているのか、はっきりとは聞こえなかったけれど。潮騒の音や波が岩に当たる音なんかじゃない、抑揚のある人の話し声が聞こえた…ような気がした。しかも、

  「…女の人の声みたいだった。」
  「おい…。」

 こんな時にふざけてんじゃねぇと、相手が他の人間ならそうと言って撥ねつけるところだが、
「〜〜〜〜〜。」
 小さな手でこちらがTシャツの上へ重ね着ていたシャツの裾をぎゅううと掴み、涙目になっているセナにそんな余裕があろうはずもなく。
「気のせいじゃねぇのか?」
 大体、こんなに名指しで呼びかけてる当の遭難者からは何の応答もないんだぜと、軽く笑い飛ばした十文字だったのだが、

  ――― 〜〜〜〜〜。

 どうやら気のせいなんかじゃないらしい。だって、十文字くんにだって聞こえてる。立ち止まって、周囲を見回してる。そんな彼のシャツに掴まっていたものが、咄嗟にぎゅうと力を込めてしまったことで、こちらの怯えに気づいたのだろう。
「………。」
 懐中電灯を周囲へ回すのをやめ、両方の腕でセナの肩を背中をそぉっと抱え込んでくれた。こういう時は何にも触れないでいる場所があるのが怖くて堪らない。これがベッドの上なら、毛布にくるまってしまうのもそんなせい。晒されて無防備なそんな個所に狙いをつけて、不意に何かが触れて来たらどうしようと思うから。そんな心情を察してくれたか、自分よりも二回りは大きいだろう上背を縮めて、深い懐ろにくるむように抱き込んでくれる十文字であり。物慣れてるな、こうやって守ってやってる彼女がいるんだろうかと、いや、そんなことを思う余裕なんてセナくんには到底なかったんですがね。

  "ふえぇぇ、怖いよう…。///////"

 ほらね?
こらこら その頼もしさに少しは安堵しながらも、こちらからも胸元や二の腕へぎゅううとしがみついたセナくんだったが、
「一本道だったから迷った訳じゃねぇ。間違いなくこっちに居る筈なんだがな。」
 間近になった声に気づいて。そうだった。雷門くんたちを探してるんだったと、初志を思い出し、そのまま相手の懐ろに伏せかけていたお顔を何とか夜陰の方へと振り向ける。
「でも、どうして声を返してくれないんだろう。」
 さっきまで名前を読んでいたこちらの声に、だが、返ってくる返事は一向にないままだ。洞窟内は音が結構な大きさで反響するのだが、それでも…潮騒の音が邪魔ではっきり聞こえていないのかも? それとも………。


  「………何か、声がはっきりして来てねぇか?」
  「え? えっ?」


 そんな怖いこと言わないでようと、ますますのこと、相手にしがみつく。がっしりした十文字くんの胸板は、昼間に逢った進さんのと同じくらいに力強くて頼もしかったけれど。それでも何だか…ざわざわと怖いのは消えてくれない。得体の知れないものへの"不安"は、対処法がまるきり解からない分、心の準備が出来ないから、恐ろしさが重々判っている相手へ立ち向かう恐怖よりも何倍も大きな脅威を齎
もたらすもの。あまりの不安から、無意識のうちにも もっとぎゅってして欲しくなって。それを示すように こっちから強くしがみつけば、
「………。」
 無言のままに背中に回されていた長い腕に力がこもって、励ますような暖かさが伝わって来た。それで少しは落ち着けて、じっと耳を澄ましてみれば、

  ――― ……………。

 潮騒の音に紛れていた声が、確かに少し大きくなったような。風の音や何かではなく、やはり人の声で何か言ってるようだと分かったものだから、
"ふえぇえ…っ。"
 逃げ出したいけどそうもいかない。この奥には雷門くんと黒木くんがいる筈で、返事もせず、外へ出ても来ないからにはそれなりの理由だってある筈だから。

  「ら、雷門く〜ん。」

 震えかかった細い声で、もう一度呼んでみる。すると、

  ――― っ。

 ぼそぼそひそひそと。細く紡がれていた声がピタッと止まった。止まったからこそ、やっぱり聞こえてたんだという確証になったようでもあって。何だかますますゾォッとして来たところへ、
「やべぇな、今の声が聞こえたんかな。」
「え? 聞こえたって…。」
 っていうか、やばいっていうのは何で? 誰に聞かれたら"やばい"の? 誰かやっぱり居るの?
「〜〜〜〜〜っ。」
 大きな猫耳が垂れたまま、濡れた仔猫のようにブルブルと震えている姿が錯覚のそれとして浮かんで来そうな。それはそれは小さくて頼りなげなクラスメイトくんが、これもやっぱり小さなお手々でますますもって"ぎゅううっ"としがみついてくる。今にも泣き出しそうな様相が可憐で、だがだが本人の胸中の恐慌ぶりはいかばかりかと推し量れば、しまったなやっぱり連れ出すんじゃなかったと、大きく後悔している十文字であり、

  「此処から戻るか?」

 訊いてみたものの、セナはふりふりとかぶりを振って見せ、
「大丈夫。」
 だから、もう少し探そうよと。真摯な瞳が見上げてくる。

  "そんな泣きそうな顔で言われてもなぁ。"

 懐中電灯の乏しい明かりの中でも判るほどだのに、きっと本人は気づいていないんだろうなと。妙に頑固な相棒に困ったなぁと頭を掻きかかった十文字くんだったが、
「そこんとこに壁の裂け目がある。」
 外が暗いせいだろう、パッと見ただけでは岩壁との差もなくて判りにくいが、言われてみれば波の音が一際大きく、鮮明になったような気もして。
「そこから一旦、外に出よう。」
「でも…。」
 何か言いつのろうとするセナの小さな肩を引き寄せて、
「俺が出たいんだよ。こんな狭苦しいとこに長く居ると、なんだか息が詰まるからな。」
 彼を思いやってではないと、そんな言い方をする。こんな時の"大丈夫だ"というフレーズは、言わば口癖や合いの手のようなもの。特にこのセナは、自分のことで誰に心配という負担をかけるのを嫌う子だから。
「ほら、こっちだ。」
 壁際の段差になっているところへ足をかけながら、肩口に回した腕に軽く力を込め、引き寄せるようにして登りやすいようにフォローしてくれる十文字であり、
"…やさしいんだ。"
 自分が外の空気を吸いたいからだと。そんな言いようをして、セナの負担にならぬようにと気を遣ってくれる。ちょこっと視線を逸らしたのは、こんな風にセナが彼の言いようの真意に気づいていることを…彼の側でも薄々気づいているからだろう。不器用な彼にとっては、照れ臭いばかりでなかなか慣れない気遣い。でもね。やんないよりはマシだと、ベタでもダサダサでも構うもんかと、そっぽを向きつつも"ほれ"と突き出すように手を伸べてくれる。

  "なんか…進さんとは逆だな。"

 比べてどうするかということながら、けれど。ふと、セナの脳裏に彼と並んで浮かんだもの。同じように頼もしい人で、こういう気遣いに…やっぱり不慣れでやっぱり不器用だった進さんは。あの勇猛で凛々しい人が、その屈強さでセナの小さな手を掴み潰しはしないかと恐れるあまり、なかなか触れてはくれなかったのにねと思い出す。素っ気なかったんじゃなく、壊れものみたいに大事に大事にしてくれてたんだなって、後になって気がついて。物怖じして尻込みばかりしていた自分と、おっかなびっくりで遠巻きに接してた彼と。よくもまあすれ違っての破綻なんていう憂き目に遭わなかったなと。そんな彼
の人と同じように、それは頼もしくも力強く、半ば抱えるようにして"杖代わり"になってくれているチームメイトくんの上に、愛しい人をついつい重ねてしまったセナだったから………こんな時に余裕ですねぇ。(苦笑)
「ほら。滑んぞ、そこ。」
「あ、うん。」
 足元を気遣ってくれる声に頷いたものの、
「あわっ、たっ、と…っ!」
 濡れていた垢だか苔だか藻だかを踏みつけたらしく、ずるっと、元いた位置へ落っこちかけて。おいおい言った傍からこれかいと、苦笑混じりに腕を背中へ回すように伸ばしてやった十文字が、
「そらっ。」
 引っ張り上げた反動ごと、そのまま目前にあった壁の裂け目へまで押し上げて、先に行けとばかりにセナを押し込んだ。人ひとりがやっと通れるほどの隙間であり、月の光が差し込んでいたから、出口の方向は分かりやすくて。だが、そこまでの数歩が真っ暗なのが、ちょびっと怖かったセナくん、
「ふえぇえ〜。//////
 何とも頼りない声を上げるものだから。
「おら。さっさと出ねぇか。」
 後方からとんと、大きな手のひらが軽く背中を押せば。怖がってる間もあらばこそという勢いであわわと外まで押し出されて…ふわりと届いたは、磯の匂いがする頬に涼しい潮風の感触。
「あ…。」
 やはり夜陰の暗さの中にあるには違いないのに、唐突に開けた視野の中、月光の何と眩しいことか。ついつい見とれて とほとほと歩みを進めたセナだったが、
「…おら。落ちんぞ。」
 またまた後方からの手が、今度は…パーカージャケットの背中を掴んで、ぐいっと力強く引き寄せられた。え?と足元を見下ろせば、
「ひ…っ。」
 あと1歩でも無造作に踏み出していたなら、少しばかり高さのある岩場の上から、まともに海へと落ちていたという、ぎりぎりの縁にいて。
「お前。そういうのは向こう見ずとか度胸があるって奴じゃねぇぞ。」
 むしろ"ぼんやりさん"というのでは。指摘されて、
「わ、判ってるもん。///////」
 真っ赤になって言い返したものの、危なっかしくて目が離せないとでも思われたのか。再び肩に回された腕の先、大きな手のひらでぽふぽふと髪を撫でられたそのまま、長い腕の中へと掻い込まれてしまったセナくんで。
"う〜〜〜。///////"
 ああ、どうしてこうも、ボクって役に立てないのかな。今はこんな風に手を焼かせてる場合じゃないってのに。もしかしなくとも、十文字くんだけで探してた方が、ずっとずっと捗
はかどってたんじゃないのかな。やることなすこと全てが覚束無い、そんな自分へ辟易してか、しゅんと項垂れたセナであったが、
「………。」
 潮風にふわふわとなぶられる髪、もう一度撫でてくれた十文字くんは、
「…気にすんな。つか、俺って口悪いからな。」
 傷ついたんなら、その…悪かった、と。ぽそりと耳元で謝ってくれて。自分で自分が許せない時、そんな風にやさしく囁かれると、悲しい訳じゃあないのだけれど…却って涙腺が刺激されちゃう時もあるもので。
「ふみ…。///////」
 こっちこそ ごめんねごめんねと、くすんとお鼻を鳴らしたそのタイミングに、


  「貴様、その子に何をしている。」

  「………………え?」


 思いがけないほどのリアルな存在として割り込んだのは、くっきりとした意志の乗っかった響きの良いお声であり。そんな闖入者がいるらしき方向へと、聞いた反射のそのままに注意を向けた二人の視野に収まったのは。煌々と目映く輝く月の光を背後に背負った、結構な上背をした誰かの影。ついさっきまでは誰もいなかった筈の空間であり、今の今、どこからか姿を現したばかりな人であるらしく、しかも…。

  「…あっ。」

 ザッと。脇に引きつけた右腕を一旦引いてためてから、それを鋭く繰り出すスピードの素早さと言ったら、誰かさんの必殺技の如くであり。
"誰かさん…誰か………あっ!"
 自分の頭の中でするすると浮き上がって来たその“誰かさん”のシルエットと、今しも自分たちへ…正確には“その子”に悪さをしかけている暴漢へ、制裁を加えようとしているこの人とがぴったり重なったものだから。


  「ダメですっ!」


 咄嗟のこととて。セナが選んだ行動は、何とも突拍子もないものだった。

  「セナ…?」

 十文字くんの懐ろに…ともすれば守られるように掻い込まれていた筈が、素早く真下へと屈み込んでいて。するりと下へ身をすっぽ抜けさせて抜け出して、そのまま前へと踏み出すように飛び出している。こちらに繰り出されようとしていた拳へ真っ向から飛び掛かり、いやいや…その向こうの腕へと飛びついてしがみつき、何とかブレーキをかけさせんとした無謀さよ。そしてそして。そんな彼の捨て身の行動に唖然としたのは十文字だけではなくて。

  「………あ。」

 本当だったなら。セナが3人くらいぶら下がっても平気だろうその豪腕が、それでもぴたりと止まったのは、そのまま繰り出せばセナごと吹っ飛ぶという判断が働き、人並み外れた鋭い反射がそれに応えたからに他ならず。

  「…こ、」

 先走って暴力沙汰にならずに済んだことよりも、セナが無事だったことへこそ、ほうと吐息をついた偉丈夫が声を掛けようとするより早く、

  「凄い凄い♪」

 ぱちぱち…という拍手つきにて感嘆の声を上げてくださったのは、確か昼間にもこんなタイミングで割り込んでくださったのと同じ声。
「進くんのスピアタックルを止めちゃうなんて。もしかしたら日頃から兄弟喧嘩とかして鍛えてたな、君ってば。」
 見かけによらず頼もしいことと、屈託なく笑ったお嬢さん。
「あ…。」
 しまった名前をつけてなかった、U大学アメフト部のマネージャー嬢であったから。

  「あの、それじゃあ………。」

 この突然現れた偉丈夫さんといい、さっき聞こえた物悲しげな啜り泣きの声といい、もしかしてもしかしたら………?







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  *…まあね、シリアスなお話にするつもりは毛頭なかったんですがね。
   それにしたって、この展開は…。
   激しくギャグ路線を突っ走っていませんかと、
   自分で自分に問うてみたくなりました。(とっほっほ)

  *ところで、今頃にナンですが、鈴音ちゃんてショートカットだったらしいですね。
   このお話は2年後ですんで、髪の毛伸ばしたということで…。