Summer-Garden I
 

 

          
その10



 さて。問題の"集中治療室"では、ようやっと脳波の測定が終わったところ。この病院へ運び込まれてすぐというタイミングにて、実は既に…ぱちりと眸を開いていた蛭魔であり、気分は悪くないか、天井が回っているような感覚はないかと問診を受けてから、
『それじゃあ一通り調べますから。』
 意識がないうちは出来なかろう検査へと、そのまま速効で取り掛かられてしまって。それでなかなか、外で待ってた瀬那たちへ、その容体が伝えられぬままになっていたのらしい。問題の傷の方はというと…咄嗟のこととて反射が働いて、身体を小さく丸めるようにと引っ込めたせいでか、なんと掠り傷程度で済んでいて。頭や顔という箇所は、他の部分に比べて脂肪層が薄く、毛細血管がたくさん走っているその上、やはり急所が集中している場所だから。雑菌を素早く洗い出すためと、

  《怪我をしたよ、分かっているの?》

と、体の主に素早く知らせるためにも、派手に出血しやすいのだそうな。ご心配をおかけいたしました皆々様、蛭魔さんは無事でございます。要らない不安を投げかけまして、本当に相すみませんでした。
「異状は無いですね。」
 一昔前のドラマなら、波状のグラフが延々と描かれて長い帯のようになった脳波計用紙を、巻物のように両手の間にすべらせてチェックするところだが、そこは今風。専門の測定装置に直結されたコンピューターの、モニター画面に展開された立体グラフを目で追っていた白衣の担当医師がそれは爽やかな笑顔でそうと告げた。
「ただ、頭に傷を負ってた方を応急に縫ってます。そうそう開きはしないと思いますが、それでも今日一日は、様子見に入院ということになりますよ?」
 ぼんやりとしている本人に代わって、
「分かりました。」
 こちらも負けないほどの爽やかな"にっこり"を返して応じたのが、ベッド脇に付き添っていた桜庭である。では、あとで看護士が一般病棟まで案内しますからと言い置いて、医師は続き間の経過監督室へ立ち去った。

  「………。」

 さわ…っと。窓の外、朝一番の澄んだ空気に洗われた濃色の緑を揺らして、涼やかな風が吹き過ぎる。さすがは高原の病院で、この瑞々しい環境にクーラーなぞ要らないというところだろうか。一応は"集中治療室"だということもあってか、防音も行き届いているらしく、入院患者たちへの…検温だの洗顔だのという朝に独特な日課へのざわめきもほとんど届かない静けさではあるものの。その静かな空気が、こちらの"患者"には少々…間が保てなくて重いらしい。付き添いなんて要らねぇのによと、胸の裡
うちにてぶつくさ呟きつつも、
「?」
 眸が合うと"なぁに?"とふんわり微笑ってくれる相手には、何故だか…いつものキツい一言を投げかけられなくて。
「…糞チビは無事か?」
 かろうじて訊いたのがこの一言。目を覚ましてからのこっち、まだ顔を見てはいないが、庇い切れたのかどうかが分からずじまいだったなと思い出してのことで、
「ああ、無傷だったよ。」
 彼が身を呈して庇った後輩さん。そのセナくんもここに運ばれていて、一応の診察を受けてたと桜庭が伝えると、
「そか。」
 短く答えて…また黙り込む。どうも何だか、こういう構図は苦手だ。自分が怪我を負ったのは分かっているが、高熱でも出して意識も朧ろでというのならともかく、大したことはないのに。だからと言って相手を突き放せないのが自分でも不思議。他の人間ならともかく、この、長い毛をさらさらなびかせて優雅に軽快にたかたかと歩くアフガンハウンドみたいな青年は、どういうものだか…突き放すのにも勢いや弾みが必要な人物になりつつあるみたいで、
"なんだかな。"
 意識がなかったというよりも、途中からは寝足りなくての睡眠だったらしくって。そこから目覚めた今はもう、睡魔もやって来ないため眠くもならずで…やっぱり間が保てない。ううう…と、柄になくも歯痒さを覚えていると、
「…なあ、蛭魔。」
 傍らの青年の方が声をかけて来た。
「んん?」
 どこというでなく足元の方を見やっていた、伏し目がちだった眸を彼の顔へと上げると、やわらかな印象に整った、それでも自分よりかは年相応の青年だという健やかさを満たした端正なお顔が、ほんの少々…何故だろうか たじろいでから、
「あの、さ。あの時、瀬那くんを…お前、庇っただろ?」
「…ああ。」
 咄嗟に"いい人"んなっちまったよな。しかもこいつらが居たんだもんな。セナ一人を口止めしたって無駄なんだろうな。まあ…こいつは俺がそういう評価されるの嫌いだって分かって来てるみたいだし、進の奴は口が重いから言い触らすなんてこたなかろうし…とか何とか考えていたところへ、


  「あれが俺でも庇ってくれたか?」

   ――― はい…?


 線の細い端正な顔、それが一瞬、堅く凍って動かなくなった。

  「……………。」

 いきなり何を言い出すかと思えばと、すっかり呆れたんだろなって。自分で訊いておきながら…やっぱりそんな風に思った桜庭で。そこへと、随分の間を空けてから投げかけられたお答えが、

  「………どうだろな。」

 分かってはいたけれど。
「そか…。」
 ちょっぴりショックだったのは否めない。まだ優しい方の答え方だよなと思ったけどね。照れ屋だし、それ以前に、自分へはまだまだすっかりと慣れてくれた訳ではない人。彼本人の関心から手を伸べて引き入れたあの少年と、よく判らないけれど妙に慣れ慣れしい奴である自分と、比ぶべくも無い対象な筈で。
「そうだよな。」
 変なこと訊いたね、ごめんって。微笑って言い足そうとしたその間合いへ、


   「だってよ。お前の方がデカイじゃん。」

   「…え?」


「だからさ。庇われるのは俺の方じゃないのか?」
 そんなデッカイ図体、俺じゃあフォローし切れねっての、と。どこかもそもそ、口の中でもごもごと、歯切れ悪く言い返して来る彼であり、
「そだね。」
 ぶっきらぼうな言い方ではあったけど、やっぱり何だか嬉しくて。
「今回は出遅れたけどさ、今度こんなことがあったらきっと守るからね。」
 打って変わって、にこにこと言いつのると、
「よせやい。」
 美麗な青年は…ふんっと息をつく。
「こんなとんでもないことが、そうそう何度も何度も降りかかって来てたまるかよ。」
「…まあね。」
 ごもっともでございます。そんな物騒なことの"次回"を期待してどうするよ、アイドルさんたら。
(笑)
「でも、ホントなんだからね。きっと守るんだから。」
「へえへえ、そん時はせいぜい頑張ってくれや。」
「あ〜〜〜、本気にしてないな。」
「どうだかな。」
 聞きようによっては十分に仲良く語らい合ってたそんな場へ、

   「坊っちゃま。」

 そんなお声を掛けながら、衝立の向こうから姿を現した人がいる。
「………え?」
 まずは蛭魔本人が怪訝そうに眉を顰めて、
「加藤さん?」
 どうしてこの人がここにいるのかという顔付きであり、それを読んだか、
「桜庭様からご連絡いただきました。」
 執事さんは穏やかなお声でそう応じた。そして、その桜庭はというと、
「…あ、うん。連絡しちゃった。」
「あのな。」
 何ともなかったってのに、このくらいで大仰なと、今度は"おいおい"という顔になる蛭魔だが、
「でも、なんでこんな早くに来れたんですか?」
 ここは高尾山麓の取っ掛かり。彼らの住まいが都心だという訳ではないけれど、それにしたって…まだ1時間経ったかどうかという時間経過だというのに、どうやってそこから…それもこんな早く駆けつけることが出来たんだろうかと、こちらもまたキツネにでもつままれたかのような顔になっている桜庭へ、
「加藤さんへ…どうやって連絡つけたんだ?」
 蛭魔が枕の上から訊いた。
「え? あ、えっと。前に加藤さんから"何かあった時にはここへ"って教えてもらってた番号へ。」
 おおう。そういうものを訊いてあるほどの仲なのですか。(おいおい)それを訊いた蛭魔は、
「やっぱりな。」
 何かしら得心がいったらしい。やれやれを少しほど薄めた、しょうがないなあというお顔。
「え?」
「それって、携帯の番号だろ?」
「うん…。」
 そうだけどと、それだけで既に納得している蛭魔に、こちらは一向に何が何やらな桜庭だったが、
「私、ここからそうは離れていないところで待機しておりました。」
 加藤さんがそうと言葉を挟み、
「アイシールドさんという方への何かしら問い合わせがあった時に、関係者として応対が出来るようにということで。すぐにもお伺い出来るようにと。」
「………あ。」
 成程、セナくんによる不自然な一人二役にもしも破綻が生じた時のフォローをと、ここまで手を打っていた蛭魔だったらしくって。
"さすがだよな。"
 こんなもんは軽い軽い。先々で手掛けることになろう"万全な態勢"というものを構築設置する時のための、ちょっとしたシュミレーションみたいなもんだと。それこそ"大したことでもあるまい"とそっけなく答えてくれたのは後日の話だが。どうやらこの、飛びっきりにエキセントリックな先輩さんは、その見栄えや性格、行動力を支えて余りある、途轍もない自信とパワーの根源を、どこか高次元の世界に置いていらっしゃるご様子である。







            ◇



 取っ掛かりは、あの、子供を相手にしてさえとても腰の低い、穏やかな雰囲気だった謎の小父様で。その人とほぼ入れ替わりに、集中治療室から廊下へと出て来た桜庭は、
「あ、二人とも。」
 彼らがここで待っていたとは思わなかったのか、出て来てすぐさまのご対面と運んだことへ少々焦っていたようだった。それでも…さすがに落ち着き払うのも素早くて、
「あの、蛭魔さんは?」
「大丈夫だよ、意識も戻ったしね。セナくんは? どこも何ともないって?」
 彼が診察を受けたのは知っていたが、結果まではまだ聞いてはおらず。それでも、こんなところにいたくらいだ、大事はなかったのだろうと分かっていながら訊いてみる。
「はい。何ともありません。」
 素直に応じた可愛い子。だった、が。
「…あの、桜庭さん。」
 何だい?と。それは優しく"にこり"と笑って見せると、

  「さっきお見えになった方は…もしかしたらキングのお家の方ですよね?」
  「う…。」

 実は…演技力の方は、まだちょっと"鋭意勉強中"な桜庭春人くん。痛いところを不意打ちされて、余裕で"ばっくれる"つもりだったその表情がさっそくにも揺らいでしまった模様である。この分では、まだ当分は…アイドルドラマ以上には出られそうにないのかも。(こらこら)
"………まあ、この子や進なら口外もすまいしな。"
 加藤さんが此処へ来ちゃった段階から、誤魔化しようがなくなっていたこと。実を言うと、
『先程、同じ合宿に来られてらした方にも、廊下でお会いしてしまいましたが。』
 ご本人さんからもそうと聞いていたことだしと、ここは腹をくくった桜庭くんで。


  「そのことなんだけどサ…。」











  『確か以前に、
   そう、先日のキングのお散歩の時にご一緒なさってらした方々でした。』

 この加藤さんというお方、例の"お坊ちゃま"に言わせると、それはそれは気配りの行き届いた、ベスト・オブ・バトラーさんなのだそうで。
"なのになんで、今回は素性暴露されまくりな行動を取ってんだろう。"
 ふふふ…。そう感じるのは青少年の赤坂見付…もとえ、浅はかさ。
"…無理してギャグへの寄り道しなくても良いって。"
 無理とはなによ、無理とは…って、キリがないので本旨に戻りましょう。(まったくだ。)こういう種類の"秘密"は僅かにでも綻びを見せたなら最後、いくら小手先にてひょろりひょろりと躱していたって破綻は時間の問題である。そもそも露見したらば最後というような"後ろ暗いこと"でなし、よって、特に厳重な隠し立てだってしていないのだし。嘘の上塗りをし続けることで人としての信用を無くすよりも、いっそ早めにバレちゃった方が良かれと。それでも一応は、坊っちゃまご本人の了解を先に得ていての"判断"で、こういう方向に運ぶよう構えた…ということだそうで。
『別にな、あいつらなら"だからどうして"って、話を聞いた後でも変わらねぇと思うしな。』
 それはそうだと、桜庭も納得。そこでの覚悟を決めての御対面と相成った彼らが。話を進めるために場所を移した、此処は病院の中庭である。空気の良い土地柄から、病院というよりは"療養所"であるらしく、入院患者も結構いるらしいのだが、それでも今は丁度朝食の時間なので、ちょっとした緑苑風のここには誰の姿もない。細目の丸太を組んだ木陰のベンチに腰を下ろして、もう随分と木下の陰も濃くなった草いきれの中、桜庭は…小さなランニングバッカーくんがその大きな琥珀の瞳で見上げて来るのへ、やっとのこと、踏ん切りがついたらしく。依然として躊躇が挟まっていたことから重かった口を、ようやく開くことにした。
「セナくんが気づいたその通りだよ。さっきの小父さんは、あの時、散歩にって連れてたキングのお家の人。正確には執事さんだ。」
 泥門町のちょっと外れの閑静な住宅地にあった、公園みたいに立派なお庭つきの大きなお屋敷。そんな邸宅の執事さんであり、今回の騒動を受けてのように、その人が"蛭魔妖一という青年が…"と名指しで此処を訪ねて来たということは?

   「もしかして、蛭魔さんの…?」

 これもやはり気づいたらしきことを、おずおずと訊いてくるセナに、
「うん。」
 あっさりと頷いて見せ、
「あの家は蛭魔の実家だよ。日頃一人で寝起きしているアパートは、便宜上の仮の住まいなんだって。」
 桜庭にはそっちも既に知っていた彼のプライベートであったらしいが、
「アパート?」
 そちらさえ知らなかったセナだという、きょとんとしたリアクションに、
「あ、いや、えっと…。」
 余計なことまで言い過ぎちゃったかなと慌てつつ、
"凄いもんだな、きっちり隠し通してたんだ。"
 自分に関しての情報を、こうまで完全にシャットアウトしていられる高校生。携帯で捕まえる以外に殆ど居場所の定まらない、繁華街でたむろっているような人物ならともかくも、あれできちんと学校に来ていて、授業にも出て部活もこなす、そんな人物が、なのに住まいも何もシークレットで通していられたなんて。不用意に近づくと痛い目を見るぞという、恐持てのする牽制を彼自身が放っていたからだ…にしても。それはそれで、ならば近づかないために知っておこうというものがあろうに。何事も決して急所や弱点にはせず、むしろ畏怖という威圧さえ撒き散らして存在感を際立たせていながら、なのに自分の素性を内緒にし通せていただなんて。下手をすれば誰からも相容れてはもらえない"拒絶"と常に向かい合う覚悟が必要なほどに、半端な気構えや段取りでは貫徹出来ないことではなかろうか。
"………セナくんに詮索癖がなかったってだけの話なのかな?"
 いや、それも多少はあるのかも知んないけどもね。
(苦笑) それにしたって…あれほどまでに可愛がってるセナにさえ、一線引いてそこから入って来られないような立ち位置を、常に通してた彼だということに違いはなく、
"優柔不断ではない優しさ、か。"
 ある意味でのトラウマ。それがために、自分に誰も近寄らせてはいけないと、そんな考え方をするようになった、厳しいくらいに強くて優しい人。
「これは口外無用なこと。…といっても、君ら二人ならわざわざ念を押す必要もないんだろけど。」
 言いようは ちょこっと違ったが、自分もそう言われて、それで教えてもらった彼の肩書き。

  『お前はそうそう口が軽いって訳じゃ無さそうだしな。』

 グラビア撮影にと見事な庭園を借りた豪邸。庭だけを借りたので母屋には近づかないという約束だったのだが、選りにも選ってそこから走り出て来たお元気な毛玉にタックルをかけられて。
『なんだ、こいつ。』
 桜庭が易々とすっ転がされたその相手は、やたらと愛想の良いシェットランドシープドッグで。撮影用の衣装を汚されたとプリプリと怒り出したマネージャーをよそに、
『キングっていうんだ。可愛いなぁ。』
 わふわふと懐っこく鳴いては さかんにじゃれつく仔犬の首輪のプレートにあった名前を読んでやり、そのままふさふさの毛並みを撫で繰り回して構いつつ、しばらくは中止になった撮影にまるきり他人事みたいな顔になっていたアイドルさんへ、

  『そんなチビにぶつかり負けしててどうするよ。』

 相変わらずの憎まれ口を利きながら、青々とした芝草の上、いつの間にか現れた彼にギョッとし、その足元へと嬉しそうに駆け戻った仔犬の懐きように、
『あ…。』
 彼とその屋敷との関係を知ることとなった桜庭だった。あれほど大きな邸宅なのだから、姿を見せないで通しても良かっただろうに、やんちゃな仔犬のやらかしたこと、詫びを入れようと思ったか顔を出したその上で、
『着替えを貸すよ。クリーニングが済むまでこっちで待ってな。』
 細い顎をくいっと引いて見せた仕草一つで、天下の人気アイドルさんを屋敷へ誘(いざな)い、
『カメラマンの田原さんはウチの姉貴の同窓生でな。その伝手でここを貸したんだ。』
 主人の筋の人間が誰もいないのは不味かろうからと、そのお姉様からのメールを受けて居合わせた彼であったらしくて、
『芸能人が来るとは聞いてたが、まさかお前の撮影会とはな。』
 どういう意味からだか、くくくっと笑った彼であり。その後から何となく、声を掛けたりメールをしたりに返事をくれるようになり、煙たがられなくなったのだった。

  "いや、それはともかくさ。"

 ああ、そうですね。そういうプライベートな事情はおいといて。
「ご両親や年の離れた兄弟がいて、けれど今は全員が海外住まい。それで勝手が良いようにって独立生活をしているもんだから、あのお屋敷にはたまにしか戻らないんだそうだよ。」
 桜庭はそうと言ってから、
「あと、何かと意識されるのも肩が凝るからって。それで黙ってるんだってさ。」
 黙ってただけ、言わなかっただけのこと。いかにもあの先輩らしい態度でもあって、
「そうだったですか。」
 セナはすんなりと納得したらしかったけれど。実を言うと、もっともっと秘密はある。ご両親はその父上の代に起こした世界的な大企業のトップにいる人たちなので、そんな家の主家筋の人間だと知れると何かと面倒が起こるということや。例えばあのお名前も、音はそのままではあるけれど、字は全く違っていて。自分で適当に字を当てたのを使っているのだという話だとか。ずっと昔は、お兄さんやお姉さんが通っていた、大学までの一括教育を謳っている名門校に通っていたのだけれど、

  『誘拐されかかったんで、自主的におん出てやった。』

 どういうシチュエーションだったかは話してくれなかったけれど。一緒にいたお友達を邪魔だと突き飛ばされたのにムカッと来た、当時から血気盛んだった坊っちゃまは、相手に咬みつき蹴っ飛ばして、子供ながらに大人ばりの抵抗をし、何と自力で難を逃れたのだそうで。
『自分の身を守る自信はバリバリにあるが、周りの人間まで守らにゃならんのは面倒だからな。』
 こんな言い方をしてはいたが、つまりは…とばっちりを受ける手合いが出るのは気の毒だからと、素性を隠すようになった彼だとか。
『栗田だけは知ってるぜ。』
 お寺の檀家だという関係で、両親不在の間の彼の保護責任者が、栗田くんの父上なのだそうで。

  "………。"

 色んなこと、話してくれて。それがそのまま、彼が少しずつ自分に打ち解けてくれてる証しで。だのに、
"まだ足りないのかな。"
 無意識下の行動でセナを庇った蛭魔。いくら自分から手のうちに引き込んだ人物だとはいえ、何の警戒もなく気安く接し、それどころか自分の身を呈してまで大切にしている小さな後輩くん。自分だって愛らしくて優しいところを憎からず思っている筈な、そんな彼なのに。今回の一件では…ちりりと胸が痛んでしまい、ついついキツい言動が飛び出してしまった。そんな情けない自分を省みて、人ってのは全く欲が深いよなと、つくづくと感じた桜庭だったらしい。
「ま、そういう訳だから。」
 セナくんがピピンと来たその通りのことなんだよと、説明をし終えた桜庭だったが、

  「あ、でも…。」

 何か言いかかって、だが、口ごもると…大きな瞳を上目使いにし、こちらを見やったセナくんで。
「? なに?」
 鈍感な進には全くもって勿体ないくらいに、よく気がつく子だからな。話してないことの中に何かしら気がついたことがあったのかなと。ドキンとしつつも平静のお顔を保って応じると、

  「あのあの…桜庭さん、キングの事を話した時に…。」

 真っ赤になって、何事か思い出したらしきことを紡ごうとするセナくんで。さあさ、皆さん。ここで拙作『仔犬のワルツ』を思い出してみましょうか。

  『可愛いですね。この子、桜庭さんのお家の子ですか?』

    (中略)

  『その、なんだ。今、付き合ってる人が飼ってる子なんだよ。/////

 はっきり言ってましたよね、桜庭さんたら。
(笑)
「あ…いや、その、それは、だからね。」
 自分で言ったくせに、ころっと忘れていたのか、それとも相手が誰かはきっと分かるまいと当時は油断していたか。あやや、しまったと今頃になって焦っている迂闊な人だが、

  「付き合っているのだろう?」

 それまで黙って聞き役に回っていた進が、いきなりそんなことを言い切ったものだから、
「…っ☆」
「し、進さん?」
 これは思わぬ伏兵の逆襲。一体何がどうしてそんな大胆な言いようを、確信も大いに有りきとばかりのくっきりとした語調で言い切った彼なのか。これにはセナさえもが驚いて見せたが、
「散歩を頼まれたり、気安く話したりなんてもんじゃなく、前々から親しかったのだろう? 随分前にも、並んで写真を撮っていたではないか。」

  ――― それって…。

   "もしかして…。"
   "脅迫されて撮ったアレのことかな?"

 セナくんにまで心辺りがある写真。どうやら進にとっての"お付き合い"というのは、対象の側からもこちらを知っていて、会釈をし合ったり親しげに話すことがある間柄…全てを指しているらしい。…ということは。

  "もしかして…セナくんとは全っ然進んでいないのか?"

 選りにも選って桜庭くんから、物凄く余計なお世話な心配をされたことを、ここに記しておきましょう。
(笑)






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  *秘密の蛭魔先輩。
   ウチの彼はこういう環境下に育った方でございまして。
   先々では情報操作を担当して、
   経済界を手玉に取るよな人になりそうな気配でございます。
   でも、体が動くうちはアメフトに関わり続けるんでしょうけれどもね。