Summer-Garden J
 

 

          
その11



 ややあって一般病棟の個室へと移された蛭魔先輩は、縫った傷への安静と、負傷した場所が頭部であることへの一応の様子見ということで、今日一日は入院することとなり、明日は明日で、合宿所に戻らずそのまま自宅の方へ直帰するのだとか。明日の最終日は午前中の反省会にて終しまいなのだし、数日ほどは安静にしていた方が良いのだからそれも致し方ないことか。
『そういう訳だから、君らは合宿所に戻りなさい。』
 進と一緒に駆けつけた協会の職員の方がそうと言い、合宿所までの足にとタクシーを呼んでくれたので、瀬那と進、それに桜庭は、病院を後にし、ようやく合宿所へと戻って来たのだが、
「あ、お帰り、セナくん。」
 そろそろ昼になろうかという時間帯だというのに、栗田さんを始めとする他の選手の皆さんは、宿舎内のトレーニングルームやら屋内練習場に各々散らばってらっしゃるご様子で。特に統率のある練習風景という雰囲気ではなく、どうやら"自主トレ・モード"に突入しているらしい。宿舎の棟同士をつなぐ渡り廊下でストレッチなぞを勤しんでいた栗田に声をかけられて、
「? 総合練習はどうしたんですか?」
 確か今日は、試合形式での練習の総仕上げではなかったか。そう思って小首を傾げたセナへ、
「グラウンドが使えないんですよ。」
 こちらは高見くんが苦笑して見せて、
「…あ、そでしたね」
 騒動の後、すぐにも此処から離れたがため、現状が判らずピンと来なかったセナにも、彼らが窓から見やったグラウンドを見渡して…やっと事情が飲み込めた。成程、コンテナトラックは乱入しかかっているわ、フェンスは引き千切られて、その一部がフィールド間近まで飛び込んで来ているわ。そんな惨状を片付ける前にと、現場検証の警察の方々の姿もまだ見えるわ。カメラ担当とアナウンサーという組み合わせの、マスコミの取材陣らしき人々もちらほら見えるわ。これではさすがに練習どころではないというところか。
「それより蛭魔は? 怪我の方はどんな様子なんだい?」
 善良そうなお顔を心配そうな気色で曇らせている栗田さんへ、
「あ、はいっ。」
 事情を知っている自分はすっかり安堵し切っているが、ここに居残った彼にはまだ何も知らされてはいないこと。そうと思い出し、怪我の容体と、ここへは戻らず帰ることになった段取りとを伝えて、
「あの、後で…加藤さんという方が蛭魔さんの荷物を取りに来られるそうです。」
 こそっと付け足すと。はわわ…と焦った様子を一瞬見せつつも、
「あ、あああ、うんうん。判ったよ。」
 それだけで通じる辺り、やはり彼だけは…あの、超強引でマイペースで、派手なのに謎な部分も多い、風変わりな金髪の先輩さんの"事情"というもの、全てをきっちりと把握していたらしい。それじゃあ荷造りしとかなきゃね、そうですね、どこにどうやって詰めて来たんだか、大きなモデルガンも幾つかありましたしねと、傍で聞いてると"どういう人物の荷物の話なんだろうか"と怪訝に感じてしまうような会話を交わしつつ、泥門デビルバッツ組の二人はそのまま宿舎内の自分たちの部屋へと戻って行き、
「午後からはシフト練習を少しだけ、無事だったフィールドでやるんだそうですよ。」
 丸くて大きな背中と可憐な小さな背中が並んで立ち去るのを、少々名残り惜しげに見送るラインバッカーさんには、そんな高見くんのお声も聞こえているやら いないやら。
「………進もどこかに怪我とか負ったんですか?」
 寡黙で無愛想で少々超然としたところはあっても、極めて冷静なその延長でか、注意力散漫ではなかった筈ですがと、小首を傾げる高見くんに、
「ああ、いや…きっと調子が狂っているんだろうよ。半日もの間のずっと、ろくに体を動かさないままだしね。」
 そんなことって、今までにまずは無かったことだろう?と、桜庭くんが何とかフォローをしはしたけれど、その桜庭くんもまた、にこにこっと笑ったその後に、人知れず"はふう"と物思う溜息なんかついてみたりするものだから、

   「???」

 一見ド派手な騒動ではありながらも、さして大事には至らなかったらしいというのに、関係者たちのこの有り様。何がどうなっていて、一体どうしたのやらと、ごくごく一般人である高見くんとしては一向に理解が追いつかなくて。怪訝そうに眉を寄せるばかりであったのだった。………判らないままでいた方が、今もそしてこれからも、心の安泰が保てると思うよ、高見くん。
(笑)






            ◇



 本人が初日に担いで来たのは間違いなく『ボストンバッグ1個』だった筈なのに、いつの間にやら…後から後から宅配などで取り寄せでもしたのかと思えるほど、蛭魔の荷物は膨大な量になっており。
「この、分解されてるマシンガンとかは触れませんね。」
「そだね。」
 微に入り細に入りという細かさにて"チューニング
(調整)"という手入れをしていたらしき一梃分の部品たちは、小さな小さなネジやらバネやらが沢山あって。とはいえ、専門知識がないセナや栗田には下手に無くすと怖いから手がつけられずで、そのままに置かれて。それを退けても…引っ越し用の段ボール箱に3つというのは異様な量だろう。彼ら二人、荷造りがいくら不慣れだったとしたって、そう簡単にこうはなるまい。着替えの衣類やタオルなどは元のボストンバッグにしまったから除外したのに、モデルガンとその備品や手入れ用具、携帯電話数台とノートパソコン、その周辺機器たちの嵩が半端ではなくて、
"…どういう合宿だったのやらだよな。"
 余談だが、これらを引き取りに来たあの加藤さんは、ほんの数秒で分解状態にあったマシンガンをキチンと組み立ててしまい、同行していた搬送業者さんへ荷物を預けて帰って行ったそうである。(それもまたどうかと…。)
「セナくんも大変だったね。」
 居残った面々にも、事態の経過は…早朝練習中の彼らがいたところへ乱入して来たトラック…という非常に簡単な形で説明されていたそうで。とんだ災難だったねと気遣ってくれた栗田へ、
「…はあ、そうですね。」
 進さんに"気に病むな"と言われはしたが、それでもやはり。降って来た災難だったのは蛭魔さんにとってであって、自分にだけは自業自得な災禍だったようなという気持ちがまだちょっとだけ抜けないのか。どこか曖昧なお返事をしてしまったセナだったが、そんな背景は知らない栗田さん。続けて、
「何だか色々とバタバタしちゃった合宿だったけど、明日で終わりなんだね。」
 しみじみとしたお言葉を下さったものだから。それへはついつい、
「…そうですね。」
 素直に感慨深い響きの籠もった声が出ている。始まる前はそれこそ色々な方向へ"大丈夫なんだろうか"と危惧し倒してた合宿だったけれど。蓋が開いてからも、何だかんだとバタバタしていて…やはり色々あった一週間だったけれど。最終日を前にすると、在
り来きたりな言いようながらも、
"あっと言う間の一週間だったよな。"
 セナも本当にそう思う。
"お勉強もいっぱい出来たしな。"
 苦手だったテーピングも、プロチームのトレーナーさんからコツを教わって、随分上手くなったと思うし、フィールドの外、作戦ボードの上で展開される選手たちの配置やゲームの組み立て、進行というものを、いざフィールドに立った視線で見回してどう再現するのかという切り替えとか機転とか。他のチームの精鋭の皆さんはそれぞれなりにきっちり身に染ませてらっしゃるのが、やっぱり凄いな、キャリアの差ってこういうのを言うんだなって痛感しちゃったし。
"同じポジションでも色んなタイプの人がいるし。"
 それこそポジションにもよるのだが、正確精密なことを優先する人、素速さと無駄のない切れとを磨いている人、機転が利いて柔軟で、どこからどんな角度で放られたパスでも不思議と受け取りやすいのを投げてくれる人などなど、etc.…。
"でも…。"
 これってやっぱり"身内贔屓"になってしまうのかどうか。蛭魔さんの鋭くて絶妙なパスは…コース取りが唐突なので味方でさえキャッチするのが大変な時もあるけれど、その、思いがけない隙さえくぐり抜ける巧みなパスが通ればこれ以上の武器はなく。栗田さんの重戦車ばりの"壁
ライン"の力強さも、どんな大砲でも食い止めてしまえる安定感があって頼もしい。そんなお二人は三年生だから、秋の都大会にはもう出ない方々で、全国大会決勝、クリスマスボウル出場への期待は、次世代組のセナたちの肩に掛かっている。
"頑張らなくちゃだな。"
 向かい合った相手に特に意味はないが…荷造りの終わった段ボール箱の前にて、うんうんと堅い決意を込めて頷いたその拍子、

   ――― くくー・きゅるきゅるる…くー

 お腹の虫が小さな悲鳴を上げたものだから。
「あやや。/////
 その辺りを両手で押さえて真っ赤になったセナくんだったりする。そういえば…、
「セナくん、朝から何も食べてないんじゃ…。」
「はい。/////
 病院にいたさっきまでは、心配と緊張とでそれどころじゃなかったけれど、すっかり安心したことで体の方の緊迫感も解けたと見える。早起きしただけじゃあない、一通りの準備運動をこなした上でランニングや"当たり"の練習を消化していたのだから、冗談抜きに体がエネルギーを求めているクチの"空腹"であり、一旦意識してしまうとその空腹感もまたひとしおで、
「もうすぐお昼だからね。」
 もうちょっとだけ我慢しようねと、眉を下げつつ励ましてくれた栗田さんは、だが、
「あ、そうそう。」
 何かを思いついて"ぽんっ"と丸ぁるい手を叩くと、
「つなぎにこれでも食べてるといいよ?」
 そう言って"はいっ"と気安く手渡してくれたのが…セナには両手に一抱え分もあろうかという、ごっそりとした袋菓子の山。個別包装されたバームクーヘンやらお煎餅、プルッツェルやらチョコ菓子やらビスケット、ポテトチップスにポップコーンといったスナック菓子に、コンビニデザートっぽい"生菓子系"の、串だんごのパックにシュークリームや、カップに入ったプリンやゼリーまであって。デザートの方はどれもかすかにひんやり冷たいのが何だか凄い。
「ごめんね、さすがにこんだけ日が経つとこれだけしか残ってなくて。」
 申し訳なさそうに"あはは…"と笑った先輩さんだったが、

  "…来た時にこんなに大きな荷物、あったっけ?"

 しかもこれで"これだけしか"と仰有る辺り、元はどのくらいあったのやら。蛭魔さんの増殖大荷物のことをとやかくは言えない、栗田さんの不思議の巻でございました。
(ちょんっ)






            ◇



 お待ち兼ねの昼食の後には、いつもの"食休み"を兼ねた長い目の休憩時間。今日は特に、早朝に起こった突発事故とその対処やら、食いつきの早いマスコミへの対応やらで大人たちも忙しく。休憩とはいえ2日に1度は監督やコーチによる"講習会"があったりしたのも、今日だけはすっかり無しの完全自由休憩。選手の皆さんも飲み込みは早く、自室や木陰や談話室にてのんびりと羽を伸ばしてらっしゃって、
「…あ、こんなトコにいた。」
 蛭魔の荷物を引き取りに加藤さんが来たからと、栗田は部屋へと戻ってしまい。同行してももう手伝うこともないし、それに何だか…栗田さんとしては蛭魔本人との刷り合わせがまだなため、セナに全てを明らかにしても良いものかという戸惑いがあるらしくって。それを察したセナの側からも遠慮して、大きな背中を見送った。それで一人になってしまい、足が向いたのは…食堂から直接出られる中庭に向いたテラス。実は端っこから、伸び放題の芝草に埋もれかかった飛び石が連なっていて、そこを辿ると数本の木立ちが並んだ木陰に出る。主務としての雑用のついで、おしぼり用のハンドタオルを畳んでいた時に、風に攫われてこちらへ飛ばしてしまい、それで見つけた"穴場"の木陰。道筋がややこしいのか他の人には気づかれていないらしく、今日もそこには誰の姿もなくて。きらきら明るい木洩れ陽の下。少しばかりひんやりする芝草に一人で座って、何とも所在無げにしていたセナだったのだが、
「え? …あ。」
 そんな彼をわざわざ探していたらしく、後を追って来たらしき桜庭が"お〜い"と声をかけて来た。彼もまた、こんなところにこんなささやかな木陰があったのは知らなかったらしく、
「いいトコ見つけてたんだねぇ。あ、もしかして、誰かと隠れんぼでも しているのかな?」
 それは伸びやかな声で、悪戯っぽく笑いながら話しかけて来てくれる。
「え、あの…。」
 さすがはアイドルさんで、バランスというのか造作というのかがそれはそれは整った柔らかな笑顔は、どんなに見慣れてもやはり眩しくて直視が難しい。ましてや、そのすぐ傍らにもっと大好きなお顔があったりした日には、
「えと…。/////
 そちらの彼からの視線も意識しちゃうものだから、含羞
はにかみの度合いも ぐぐんと増すというもので。
"うっと、えっと、周りに人目があるんだから…。"
 蛭魔さんも憂慮していたことながら、此処に集まっているのは皆、彼らの立場や肩書きというもの、よ〜く知っている人たちばかり。他人になんか関心ないと見向きもしない、街中でのただの通りすがりとは事情が違うのだからして、いつもの二人きりの時のようには甘えられないんだぞ、しっかりしなきゃと思いつつ。………とはいえど。
"えとえっと。/////"
 そのとても雄々しい人の。清冽なまでに冴えた眼差しを、精悍で凛々しい面差しを、ちらりと見やった視野の中に少しでも収めてしまうと、
"あやや…。/////"
 どうしようかと困るほど、鼓動は高鳴るし、頬は熱くなるし。それに加えて…実は実は。すぐにでも、その屈強で頼もしい存在の傍らににじり寄りたくなってしまう衝動までが増えたから、
"重症だよう。/////"
 まったくだよねぇ。
(笑) 何しろ、この一週間の毎日毎日、朝から晩までのずっとずっと。目の届くところ、手の届くところに、当たり前のようにこの愛しい人はいつもいた。気をつけなければならない"人目"とやらも、大好きなその大きな手に分かりやすく甘えたりするのでなければ…お友達としてただ傍らに寄るだけのことならば、それほど意識することもないのだし、と。そうと割り切った上で、昼間の行動なぞを常に共にしていた彼らであり。
"うっと…。/////"
 思えばこれほどの至福は他になく、そんな素敵な日々の連続に、これが"平生"なのだとばかり、すっかりと感覚が馴染んでしまったらしくって。今回の合宿生活で身に染みてしまったところの感覚であるのなら、ある意味、立派な"弊害"というやつなのかも。
"お家に戻ったら凄く凄く寂しくなっちゃうかもだな。"
 学校同士にしてもお家同士にも、そう簡単には逢えない"距離"がありますもんね。でも、そんなもの、燃える想いを前にすれば何するものぞ…だと思いますけれど?(くぷぷ…/笑) その一方で、
「………。」
 セナくんがそんなまでに好いたらしいと思ってやまない人の側はといえば、
"………。"
 いつもの寡黙さに紛れて、何かしら物を思う気色がちらり。こちらさんもやはり、何かしら思うところは多々あるらしい。小さな姿の幼
いとけなさは…初めて装備なしの彼を見た時の印象とそんなに変わってはいないのだけれど。近づけば必ずびくびくと怖がってばかりいた、あの警戒心はすっかりと影をひそめて、随分と無警戒な顔を見せてくれるようにもなった。その分、
「ダメだよ、一人でなんか居ちゃあ。」
 忘れたのかい? 此処には"セナくんファンクラブ"がいるんだから…なんて、すぐ傍らまで歩み寄り、脇へと屈み込んだ桜庭が、少年の柔らかそうな耳元へ顔を寄せ、こそこそと囁く図なぞを見ただけで、
「…っ☆」
 心中穏やかならざるあまり、はっきり言って…少々むかっと感じるようになった進であり。そんな他愛のないことへまで、訳もなく心が過敏に動くようになったのは。萎縮という怯えを脱ぎ捨てたセナが、その反動よろしく殊更急激に愛らしくなったからだというだけでなく。紛れもなくこちら側の"感受性"とやらの変化もあってのことだと、さすがに自覚してもいる。
"………。"
 切っ掛けこそ、ライバルの出現への確認作業のようなもの。アイシールドを装備していたその上に、本名も明かされていなかった謎の21番。これという敵がいなかったがために、克己心にのみ凝り固まっていたこの自分を、久しくなかったほどの焦燥感にて炙
あぶり上げ、さんざん苛立たせた揚げ句に抜き去った小さな背中の主は、確かにそこに居たのだけれど。素性が曖昧な人物だということが、そのまま自分の中に沸いた久々の敵愾心まで曖昧なものにしそうな気がして。それで、装備の中身、本人を見定めに出向いた泥門高校。何の疑いも挟むことなく、瞬視で見極めた小さなランニングバッカーくんは、当然のことながら…制服姿だともっともっと小さくて。

  ――― ああ、やっぱり実在の生徒だったのか、と。

 妙な言いようながら そうと確認することで安堵して、その場は終しまいな筈だったものが。それだけでは済まない何かを、進の胸底に ぽちりと灯した。
「どしたんだよ、進。」
 そんなおっかない顔してさ、と。実は本人よりもちゃんと、理由も意味も判っていながら、からかうような言いようをした桜庭が、更なる"故意"から、
「変な奴だよね。」
 くすくすと笑いつつ、セナの耳元へ再び囁きかけるものだから、
「…っ。」
 ぎり、と。体の側線へ添わせるように降ろしていた大きな拳をついつい握り込む。ただの揶揄だと判っているのに、他の人物を盾にした揶揄
からかいであるのなら頭から無視も出来るのに。いやいやその前に。気づきもしない鈍感さから、揶揄い甲斐のない奴だと、知らず落胆させていたところだろうに。そんな彼だったと思えないほど、分かりやすくもあからさまな反応へ、
「怖い怖い。」
 小さく笑いながら、おどけるようにそうと言った桜庭が、
「これ以上のお邪魔は野暮だからね。」
 身を起こすと、素早く踵を返して見せて。セナにひらひらと手を振って見せ、通り過ぎざまに進の大きな肩をぽんと叩いて、食堂の方へと歩み去る。彼のそんな言いよう、彼の持ち出した"野暮"という言葉の意味が分かる自分。考えようによっては"惰弱になった"ということになるのだろうか。腑抜けになったということになるのだろうか。
「あの…。」
 膝上丈のハーフパンツの裾から伸びやかに覗く、やはり小さな両の膝を立てた三角座り。立ち尽くしたままなこちらに合わせて、立ち上がったものかどうかと戸惑っているセナに気づいて。広い歩幅で傍らにまで寄ると、先程まで桜庭がいたのとは反対の脇に腰を下ろし、
「?」
 んん?と話を訊くような視線を向ければ、
「えと…。/////
 純白のTシャツに包まれた小さな肩をすぼめ、愛らしくも含羞みの表情を見せてくれる。琥珀色の光彩が滲み出して来そうな瞳をした、同じ高校生だとは思えぬほどに小さな小さな少年。試合会場にて初めて顔を合わせた時からのずっと、何故だか自分をひどく恐れていた彼であり。そして…これまではどこの誰からのものであれ、そんな素振りをされても気がつかないくらい何とも感じなかったものが。どういう作用か案配か、この彼から自分へと向けられるところの、畏怖対象への眼差しと萎縮の様子には、妙に つきつきと痛みのような感覚を覚えるようになった進であり。

  "桜庭辺りに知られていたなら、らしくないと笑われたかもな。"

 しかも。そんな想いをするにも関わらず…この小さな少年の存在が、その後も無性に気になった。その理由がまた、自分でもよく分からなくって。逢ううちに解って来るかもと思ったが、それもなかなか適うことではなく。そうは見えなかったことだろうが、疑問符だらけなままに、それでも逢いに行くのは辞められず。そうこうするうち、王城高校では恒例の夏の合宿が始まり、逢いたくとも逢うことが出来なくなった日々が続いて。そして…何故だか彼のこと、どうしているかと想う時間が増えていて。それでようやっと気がついた。謎の俊足プレイヤーの正体を知りたかっただけな筈が、その後も"ただ姿をみるだけで良い"とばかり、ついつい通い詰めたのは…単なる好奇心からではなくて。あの幼
いとけなくも小さな少年へ、愛らしい・愛しいという感情を覚えたからだと。自分を高めるものとしてアメフトというスポーツへと心惹かれた時以来の、胸を衝き、身体までを動かす感覚。再び逢えたその時に…何故だかひどく叱られてしまったが(『雨に濡れても…』参照/笑)、一気に胸の中に満たされた温かな感情が、それら全ての答えになってくれて。ああ自分はこの子が"好き"なのだと、だから逢いたいと思ったのだし、逢えば理由(わけ)もなくほこほこと嬉しくなるのだと。これが"愛しい"という感情なのだと、はっきり理解した瞬間でもあったっけ。小さなものを愛らしいと思うような、そんな繊細な気持ち、これまでは完全に理解の外だったがために、気づくまでに時間が掛かったということか。
「あの…。」
 柔らかそうな髪の上、木洩れ陽のモザイクが淡く濃く明るく散っているのを、それもまた愛くるしいと思い、声もなく眺めやっていると、少年の側からの声がかかって。
「進さんは、大学を受験するんですよね?」
「ああ。」
 強豪チームとして名を馳せているアメフト部のある大学で、関心のある学部の教科内容も充実しているし、学力もそれほどの無理もないまま届きそうなのでと選んだ学校。実業団チームからの誘いの声も降るほどにありはしたが、社会に出るにはまだ人として不完全だろうと…そこまで思ったのかどうなのか。随分と早くから進学を決めていた彼であるらしく。となると。この合宿を最後に、いよいよの受験態勢に入る彼であろうなと思ったらしきセナであり、
「あの…時々メールしても良いですか?」
 こんなにも濃密に一緒だったところからのそんな変化は なお辛い。それで、せめてもと思い、おずおずと訊いたのだが、
「???」
 どこか怪訝そうなお顔をされてしまった。そうだよね、我儘だよね。やっぱり思ってた以上にずっと甘えたになっちゃったのかな。だから、ボクらしくもないなんてお顔をされたのかな。
「あの、ご迷惑だったら…。」
 ちょこっと"しゅ〜ん"としながらも、やっぱりいいですと言い直しかけたセナへ、
「毎日ではダメなのか?」
 進さんが見せた"怪訝そうなお顔"は、これまでそうだったのに、これからはそうだと何か都合が悪いのだろうかと、そういう意味合いのお顔であったらしい。
「だから、あの…。」
 言い足しかけたところを進さんには珍しくも遮って、
「前にも言った筈だぞ? 受験が控えているからと言って、特に変わったことはしないと。」
「…はい。」
 実は実は、既に遠い春休みにもこの話を持ち出しているセナくんであり、その時に同じ返事を聞いてもいる。

  『いきなり習慣を変えてどうなることでもなかろう。』

 一年も間のある先の話なのだしと、本人はそんな端的な言いようをし、
『そうなのよね。清ちゃんは高校受験の時も、そんなに特別なお勉強はしなかったみたいなの。』
 彼のお母様もそんな風に話していた。日頃の授業の中で得られる知識の一つ一つを、きっちりと理解し記憶しておれば問題はない。試験というのはその理解と記憶を試されることなのだから、慌てる必要はどこにもなかろう。もしも思い出せないことがあったならば、改めて刷り込み直せば良いのだし…と、理を通した言いようをし、

  『小早川の勉強につき合わせてもらって、模試の成績が随分と上がったぞ?』

 定期考査の度にお勉強を見てくれたその結果が、彼にとっても丁度いい"お浚
さらい"になった、ありがとうなと ほこりと微笑ってくれた人。そんな案配で、言葉と姿勢に偽りなき結果を出す人なので、
『本人がそんななのを、周りがやきもきしてもね。』
 あの頑迷そうな青年を言い諭すのはなかなか難しそうなことだしと。そこはセナにも理解が及んで、お母様とくすすと苦笑し合ったのまで思い出す。
「小早川が迷惑でないのなら、これからも同じようにしていてくれれば良い。」
「…はい。」
 まだどこか勢いのないお声で返したセナの、ふわふわとした柔らかい髪を、大きな手でぽふぽふと撫でて。それでお顔を上げた少年へ、
「大好きな人に逢うことで、励まされこそすれ、後退なぞする筈がないからな。」
 目許をやわらかく細め、それは分かりやすく笑ってくれるようになった人。
「…っ。/////
 これまでは、男臭くて凛々しいところだけで十分ドキドキさせてくれたのに。いつの間にやら…大人びた優しさと頼もしさとを載せた、こんなお顔も出来るようになっただなんて。
"狡いなぁ…。"
 ずっと一緒だったこの一週間の間にもきっと、セナの気づかなかったところでどんどんと。男らしくも懐ろ深き、素敵な人になったに違いなく。
"う〜〜〜。/////"
 目に入ったのが、間近になってた広い広い胸板と大きな肩。懐ろはちょっと遠いから肩口へ…おでこをぐりぐりと擦りつけて。ちょっぴりたじろいでしまったんだからと、言葉にならない小さな駄々を伝えて見せる。子供じみたそんな仕草が、だが、

  "うっ☆ //////////"

 大人みたいに頼もしいと思えてやまない進さんを、実は強烈にどぎまぎさせているのだと。セナくん、気づいているやらいないやら。始まる前から波乱が予測され、実際にもどたばたとにぎやかな騒動が一杯だった合宿は、それでも一応の無事なまま、まだまだ長い真夏を彼らに残しつつ、何とか無難に(?)終わりを告げそうな気配なのであった。





   〜Fine〜 03.5.10.〜8.4.


  *まだ梅雨寒の七月に入った途端に始まりまして、
   長々とお付き合いいただきました、変てこりんな"合宿話"も
   やっとのこと、今話で無事に"お開き"となりました。
   何だかよく分からない捏造話を延々と引き伸ばしてしまいまして、
   七月のお話なのに八月に入ってしまったのにはさすがに慌てましたが、
   お楽しみいただけたなら幸いです。
   あと少しだけ"おまけ"がありますので、
   良ろしかったらお付き合い下さいませですvv


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