Summer-Garden D
 

 

          
その5



 外のものと違い、屋内の常夜灯は随分と弱い光のものがぽつぽつ灯っているだけ。人気の全くないままに静まりかえった廊下は、春先に入院した病院のそれを彷彿とさせた。煤けたPタイルのところどころが光(てか)っていて、非常口を示す緑の箱型のランプと、非常ベルが設置された報知機のランプが赤く滲んで浮かんでるだけの薄暗い廊下。
"懐中電灯とか、持って来れば良かったかな。"
 ひたひたと歩いて到着したトイレには、一応の照明が煌々と点いていたが、明るいのが却って白々と薄ら寒いというか心許ないというか、妙に気味が悪くって。
"………っ。"
 どこかで何か…夜風にドアががたついたのか、ゴトンと重い音がしたのへ"ひええっ"と身が竦んだ。どこやらから風の音がひゅうぅと細く聞こえ、それもまた何だか心細くて。大急ぎで用を済ませると、廊下へ戻って、さて。
"…あ。"
 来た時は"部屋から真っ直ぐ進んで突き当たりを曲がって"だったが、長い廊下は…真っ直ぐに、遠い非常口までを見通せる。その途中途中に曲がり角があるのだが、
"えと? あの辺りの角、だったよね。"
 何本目か、までは数えていなかったが、距離の目安で何となく把握していた曲がり角。明かりが心許ない今、感覚的にちょっと違うよな気もしたけれど、大体こんなもんだった筈と、くるっと曲がって歩いて歩いて。
"こんなに距離、あったかな?"
 お部屋には予備灯がついてたし、ドアのノブの上下に細長く、曇りガラスがついていたから、その明かりが見える筈。…なのに。どのドアにもそんな光は全く見えずで、
"…もしかして間違えちゃったかも?"
 やっぱりさっきの曲がり角を間違えたんだと、その場でくるりと"回れ右"をしたところが。

   "………え?"

 こっちへと歩いていた時はただただ一本道のはずだったのに。背後にあたる目の前には、なんと4本の道が分かれて広がっているのだ。
「…なんで?」
 どうやら。鋭い斜めという角度にて切れ込む格好で、本線に合流していた支線が3本もあったらしくって。その角度ゆえにこっちに向かって歩いている時は、全く見えなくて気がつかなかったセナだったということであるらしい。
「えとえっと。」
 微妙に微妙にどのお廊下も、自分が"真っ直ぐ真っ直ぐ"辿って来たものに見えてしようがなく。
「どの廊下だっけ?」
 殺風景さも薄暗さも、さして変わらぬ4本の廊下。何だかややこしいことになったのかもと、小さな肩をなお縮め、セナが選んだのは…惜しいかな、彼がやって来た道の右隣りのお廊下だったのだった。




            



 それからのずっと、どこまで行っても暗いばかりで。出来るだけ見通しが良い方を、明かりらしきものが見える方をと、選んで選んで進んだはずなのに、気がつけば…非常口を示してた明かりもなくなり、足元も真っ暗で。しかも何故だか、何度も爪先を引っかけては躓
つまづきかかるほど、廊下の表面がガタガタざりざり荒れていて。
"どうしよう…。"
 自分がどこにいるのだか、それさえ丸きり判らない。一度も外へは出ていないから合宿所の中には違いないのに、どこにも誰の気配も感じないし、どんどんと周囲の闇も深くなるみたいで、
"…何なんだよう、これって。"
 確かに少し古びた施設ではあったけれど、こんな得体の知れない空間があろうなんて、そんなゴーストハウスじゃあなかった筈なのに。第一、こんな、どこまで歩いても外に出ないほどに広くはなかった筈なのに。トイレを出てからどのくらい歩き回ったのかも判らなくなって、はふうと息をつくと壁に凭れてちょっと休憩。
"このまま帰れなかったらどうしよう…。"
 そんなことがある筈はないのだろうけれど、この異様なまでに底無しの回廊は、下手なテレビゲームのダンジョンよりもリアルで不気味で、
"無限の回廊って、どこか一つ間違えると延々と続くんだよな。"
 そうですよね。お懐かしや、一番最初のドラクエの、竜王の城の地下にもありませんでしたっけか。
"…どうしよう。"
 出来るだけ考えまいと思っていたが、こうなって来ると…心細さはとある感覚を鋭敏にもする。何も見えないすぐ傍らで、

  ――― (カタ…)。

 何か堅いものが傾くか倒れたような、そんなくっきりした音が聞こえたものだから、
「…っ!」
 ドキッと肩が跳びはねて、良くは見えない周囲をキョロキョロと見回してしまう。そして、
"…怖いよう。"
 考えたくはなかったけれど。大丈夫だって思うんだけれど。でもね、やっぱり心細くて。胸のドキドキがどんどん大きくなるし。怖いっていう感覚、何とか見ないでいたのだけれど。向こうも執念で追いかけて来ていて、とうとう追いつかれたみたい。ふえぇ…って泣きそうな声が洩れ出して、

  「進さん…。」

 つい。一番頼りになる人の名前を呼んじゃった。そうしたら………。

  「小早川っ。」

 何も聞こえてくる筈がない場所にての、あまりに唐突なお返事だったから。頭を抱えてしゃがみ込み、反射的に"ひえぇ〜〜〜っ"て悲鳴を上げかけたセナくんだったけれど、
おいおい

  「………え?」

 風のような何かが駆けて来たような足音と、それから…闇溜まりの中だった周囲をカカッと照らし出す目映い光源。形あるものに叩かれたみたいで、思わずの事、身を竦めて顔を背けてしまったが、そんな光の向こう側に立つ、大きな大きな人影が誰なのか。さっきの短いお声を反芻してから、セナくん"あっ!"て気がついた。
「進さん?」
 途中の道すがら、壁に掛けてあったらしい懐中電灯を持っていた彼であり、それで照らされて夜陰の中に浮かび上がった小さな姿へと…安堵したらしき深々とした溜息が聞こえた。
「…心配したぞ。」
 ああ、この声だと、セナくんの側でも把握した途端に…気持ちが萎えた。思っていたよりずっと張り詰めてたらしい、気負ってた力が一気に抜けて、床に低くしゃがみ込んだままなこちらへ。歩み寄ってくれて、屈み込んでくれた頼もしい懐ろへ。ふぇ〜んと半分ほど泣き出しながら、すがりつく。
「………。」
 怖かったろうにとか心細かったろうにとか、わざわざ言ったりはしないけど。無言のまま、大きな手でごしごしって背中や肩や頭を撫でてくれて。優しいとは言い難いその力加減が、もう大丈夫だからなって…セナにだけでなく彼自身へも言ってるみたいで。ああ、こんな心配してくれてたんだと、そう思うと尚のこと、安堵のあまり、嬉しい気持ちがぐんぐん膨らむ。懐ろの深みのおとがいの下、首元へ、しきりと頬や額を擦りつけていたセナだったが、
「…進さん。」
 小さく小さく声を掛け、
「?」
 んん?と。少しだけ首を引き、こちらを覗き込んでくれる人へ、きゅう〜んと見上げて唇を震わせる。その腕に抱きしめた恰好になったため、進さんが持っていた懐中電灯はそっぽを向くよにあらぬ方を照らしていたが、それでも明かりが間近になったおかげで、二人とも相手のお顔は何とか見えて………。


  ――― それから何をした二人だったかは、野暮だから内緒vv











            



 いくら何でも"お姫様抱っこ"は恥ずかしいからと。進の頼もしい腕へと腰掛けるように抱えられた、いわゆる"子供抱き"にて。蛭魔や桜庭たちの待っていた廊下までやっとこ戻って来たセナくんは、
「ったく。心配かけてんじゃねぇよ。」
 降ろしてもらったその途端、金髪の主将さんにこつんとおでこをこづかれて、だが、身を竦ませる間もなく、
「あ〜あ〜。何泣いてんだ。」
 赤くなってた目許や頬を、指の腹でごしごしと拭ってもらった。痛くはなくって、むしろ何だかやさしくて。その声も…叱ってるって感じのじゃなくって、ほのかに低く掠れた響きがちょっぴり甘くて。
"なんか、お母さんみたいだな。"
 桜庭が"くすす"と声を出さずにこっそり笑い、セナの扱われ方にだけは過敏な進でさえ、ほろ苦そうに苦笑を見せている。
「まだ夜中なんだ。部屋に帰って寝直すぞ。」
「あ、はいっ。」
 慌てて王城の方々へ"お騒がせしました、すみません"と頭を下げて。それから、先に進みかけて待っている蛭魔の後を追う。そんなセナの小さな背中を見送り、
「無事で良かったですよね。」
「うん。」
 こちらもホッとして、さて寝直そうかと部屋への帰途を辿る。こんだけバタバタしていて、だのに…監督責任者である大人たちが誰一人聞きつけて駆けつけなかったのは、思っていたよりもあっと言う間に解決したからだったらしいが、

  「それにしても、あの小早川くんが進の遠い親戚だったとは。」

 高見が穏やかな声で零した一言へは、
「???」
 当の進がキョトンとし、その傍らにて、
「そ、そうなんだよな。ホント、全然似てないから言われなきゃ分かんないよね。」
 桜庭がどこか乾いた笑い方をして見せる。………そうか。あんたたち、そんな"その場しのぎ"な説明をしたんだな。
(笑) その"親戚"としての複雑でややこしい繋がりようを、蛭魔から渡されたメモにて暗記しなくてはならなくなったご当人たちであったのは、後日のお話でございます。(ちょんっ)









    aniaqua.gif 余談 aniaqua.gif


     翌日の夜の消灯後。
    "…わあ。/////"
     セナたちの部屋からトイレまでの間の廊下に。昼日中には見えなかったが明かりを落とすと鮮やかに光る、蛍光プレートを点々々と貼って"順路"が描かれていたりしたのは………蛇足的な報告でしょうかしらね?
    (笑)





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 *迷子のお姫様、発見の巻でございました。
  明るくなってから眺めてみたら、
  本当になんてことないお廊下だったりしてね。
  いえホント、そんなもんなんですて。