assailant... (襲撃者) A
 

 

          




  ――― えっと、小早川くん…だったよね?

       あれれ? この人、見覚えのある人だな。
       それも、つい最近。
       確か…そうそう、進さんのお知り合いだったんだ。



 進さんにはセンター試験がいよいよ迫ってた日だったけれど、そんなこと関係ないよという雰囲気でお声を掛けていただいてのお呼ばれをしていて。夕方になったからと、いつものように駅まで送ってもらったんだったっけ。
『小早川。』
 深みがあって優しいお声で呼ばれたので、はい?って顔を向けると、大きな手でコートの襟を直してくれた。あの日はまだ、前のアイボリーのダッフルコートだったんだ。進さんの手ぶくろなしの大きな手のひらが少しだけ、冷えきってた頬にも当たって。さらってしていて温かくて、何だか"ふにゃんvv"て嬉しくなった。そしたら、その手の親指が…そぉって唇の上をなぞったから。その温かさに何だかドキドキして来ちゃって。
『あの…。///////
 さっき進さんのお家で…こっそりキスしたの、思い出しちゃって。声をかけると同時に襖を開けちゃうほど、それは気安くお部屋に入って来ちゃう たまきさんやお母さんもいらしたから、本当にはらはらドキドキしちゃったのまで思い出したの。駅も近いという辺りで そんなこんなしていたら、

  『清ちゃんじゃないのか?』

 そんなお声が脇から掛けられて。そうそう、進さんのこと"清ちゃん"て、たまきさんやお母さんみたいな呼び方をする人だった。
『久し振りじゃないか。』
 親しそうに声を掛けながら傍までやって来て、ボクに気づいて"後輩さん?"て聞いてた。進さんの親戚の人、なのかな? ジャンパーの上からでも肩や背条がピンと伸びてるのが分かるし、足腰の締まった人で。ああ、そうか、合気道の方のお知り合いかもと合点がいって。そいでちらって見上げた進さんのお顔は…どうしてだか、ちょっと眉根が寄っていた。そして、たまきさんは元気か…とか当たり障りのないことを話しかけて来ていたその人へ、
『…済まないが、これから用があるのでな。』
 大した話があるようでもなかったからと、どこか振り切るみたいに さっさと会釈をした進さんで。傍で待ってたボクの背中を押して駅へと急いだ。寒い中で立ち話にボクを付き合わせるのは悪いって思ったのかな? 二人とも定期券を持っていたのでそのまま一緒にホームまで入ると、

  『すまんな。』

 進さんが謝ったのはもしかして。ボクを送るっていうのが、さっきの人と都合よく別れるための理由みたいになっちゃったからってこと? あ、そうか…。
『…あ、いえ。』
 こんなに大人な進さんにも…話すのさえ苦手な人っているんだなって、とっても意外に思っちゃったの。あ、もしかしてもしかしたら、進さんの苦手な、やたらとお話の長くなる人だったのかも………?







            ◇



 人事不省のままに瀬那が運び込まれたのは、いつぞや胃をおかしくして彼が倒れた時にやはり蛭魔が搬入先にと指定した、泥門市内の大きな個人病院で。付き添って来た蛭魔の説明を聞いた担当医師の指示により、小さな少年の体はさっそくにも集中治療室に寝かされて一応の酸素吸入器を準備され、意識が戻るまでは予断を許さぬ監視体制に置かれることとなった。クロロフォルムを染ませた布で口元を塞がれたのは一瞬だけのこととはいえ、こればっかりは経過観察をするしかないのだそうで。苦しそうでもないが安らかでもない、ただただ時を止めて昏々と眠り続けるセナの幼い寝顔をガラス窓越しに見やりつつ、

  「………ちくしょっ。」

 苛立たしげに短く罵った蛭魔のやり切れなさげな声が、桜庭の耳にもいやに鋭く突き刺さった。こっそり盗み見た彼の横顔は何とも険しく、こんな顛末になるような愚かな真似をしでかした輩への罵倒でもあり、それと同時に…ほんの寸前まで一緒に居ながら、こんな事態を招いてしまった"急襲"からセナを守ってやれなかった迂闊さが、何とも口惜しい彼だったのでもあろうことを偲ばせた。ご両親には取り急ぎの連絡をしたが、何といっても平日の昼下がり。どちらも今は会社にいらっしゃり、お母様の方は大急ぎでこちらへ向かわれるとのことだったが、それでも結構な時間が掛かることだろう。それまでは、いやいや、セナの意識が戻るまでは此処に居るつもりならしき蛭魔だと、何となく判ってしまえる自分に内心でしょっぱそうに苦笑をし、複雑な気持ちを逸らすように静かな控室から外を見やったその視線が…。

  "…っ。"

 今はブラインドが開いているがため、廊下を挟んだ正面の壁、外への眺望を広げている大窓が、ブラインドによる格子の向こうにそのまま素通しで見通せる。そのまた外の…救急車やタクシーなどが乗りつけやすいようにロータリーになっている救急用の出入り口へと、大きなストライドの急ぎ足で進む、とある人物の姿が見えた。冬の乾いた陽射しをその片側に浴びている いつにも増しての無表情が、だが、どこか悲壮に見えたのは、今の彼の心情が自分にも手に取るようにありありと判るからだろうか。ぼんやりと見とれていた自分の肩口のすぐ傍で、

  「…あの野郎。」

 喉奥から怨嗟を込めて絞り出すような。ヴルル…という唸りを帯びているかのような低い声を上げられて、桜庭がハッとする。
「あ、妖一…っ。」
 彼にも覚えがある人物だし、何といっても…現状が現状なだけに、彼がそのまま勢いよく控室から飛び出して行ったのも、頷けはする。疾風みたいに飛び出して行ったその後を、だが強く制すことも出来なかった自分へこそ、何とも言えぬ悲壮なお顔になってしまったアイドルさんだった。






            ◇



 とにかく存在感のある人物だ。確かに…廉直そうな誠実さを満たした端正な容姿をしており、上背もあって、打ち込んでいるスポーツのためにと鍛練を欠かさない体つきも屈強に引き締まっていはするが、それらが派手であったり華美だったりして人目について飛び抜けている…というのでは決してなく。その雰囲気自体はむしろ たいそう落ち着いていて静かなそれだ。ただ、人物としての内容の重厚さがふとした拍子に感じられるものだから。ただの通りすがり程度ならともかくも、同じ教室に学ぶ間柄にでもなったなら、好ましさかそれとも畏怖かは別にして、小さくはない何かしらの印象を必ず持ってしまうような青年である。自分へと厳しい禁忌を強いていることをようよう偲ばせる、無表情で厳然とした面差しが、見ようによっては常に何かへ不機嫌なようにも見受けられ、何とも近寄り難い何かを孕んでいたがため。まだ年端も行かなかった頃はともかくも、何につけ好き嫌いが現れ出す頃合い辺りから、周囲とに格差が顕著に表れ出したその結果、彼にはあまり気安い友人というものは出来なかった。とはいえ、そんな存在が居なかったことを寂しいと思うでなし、卑屈になるでなし。孤高の中に悠然と頭を上げて立つ姿勢には揺るぎなき自負が支えをし、それがそのまま自然と育った結果が、まだ未成年であるのに この威容。その堂々とした自負には、正道をのみ選び続けて真っ直ぐ生きて来た たいそう不器用な強靭さと、そんな融通の利かなさからなる頑迷さとが綾を成すように交錯しており、こんな彼ならば…もしかして。たった一人でだって何の不自由もないままに、寂しいとさえ感じずに、雄々しく逞しく生きてゆけるのではなかろうかと思わせるほどだったものが。その威風堂々とした風情からは掛け離れた、それはそれは繊細で愛らしい少年との恋に落ちたから…人の世の巡り合わせというものは、さて判らない。そして今、その大切な存在がとんでもない危機に見舞われたと知って、取るものもとりあえず、ここへと駆けつけた彼なのであろうと思われたのだが、


  「…おい。」


 観音開きになったガラス扉が開け放たれていた救急用の昇降口。片側の壁に薄い背を預け、細いながらも強かに引き締まった長い脚の片方を、向かいの壁へと延ばして踏みつけて。その身をもって"通行止め"にとしている相手からの尊大な呼びかけに、

  「………。」

 短い階段状になっているポーチまでの距離を少しほど残して、ぴたりと立ち止まった進である。
「どのツラ下げて、此処へ来た。」
 腕組みをしたまま、尖った顎を黒いスタジャンの襟元へと引いて。金色に染めた前髪の陰から、鋭い眼光にて睨み上げるようにこちらを見やるのは。いつにも増して険のある顔付きとなっている、蛭魔という名の、進の側からもよくよく見知った青年だった。日頃からも自信満々で、不遜なまでに偉そうな男だと重々知っている進ではあるが、今日の彼のこの態度が…何に礎を置いているのか。

  「此処へ来たということは、
   チビが誰からどんな目に遭わされたか。それは判っているんだよな。」

 彼の後輩でもある小早川瀬那という少年は、本来、何者かにあのような周到な手段にて襲撃をかけられるような存在ではない。素性としてはごくごく平凡な高校生だし、性格も温厚なら、誰ぞに恨まれるような ねじけた素行なんぞの影さえない、至って大人しい少年だ。だからと言って…飛び抜けたものを何ひとつ持ってはいないような人物でもないのだけれど。問題の暴漢が、セナのことを注目株の"アイシールド21"だと見破っての接触ではないかとは微塵も思わなかった蛭魔であるらしく、
『アイシールドの正体を見切れるような眼力のある奴が、こんなしょぼいことを構えるかよ。』
 よって、それと一番最初に見切った進を、勿論のこと、認めてもいるものの、それとこれとは話が別だということか。

  「………。」

 決して戸惑いや愚鈍さからの黙んまりではなく、蛭魔の問うていることが重々判っていての無言を見せる偉丈夫へ、

  「奴は…お前の伝手の人間だったっていうじゃないか。」

 そう。あの、卑怯な暴漢は、通りすがりの誰でも良いから昏倒させて連れ去ろうと狙った"通り魔"的な輩ではなく、何とこの男の関係者であったと、だからこそあの少年を狙ったのだという"事の順番"が本人の自供から既に判明している。彼の実家が営む合気道の武道場。桜庭との会話にもちらりと出て来たその道場は、なかなか格も高く、その筋では高名にして影響力もある存在なのだそうで。今は彼の祖父にあたるお爺様が師範として守っていらっしゃるが、いくら矍鑠
かくしゃくとしておいでだとはいえ、高齢になって来られたこともあり、そろそろ後継者を定めておかねばという話題が、集まりのたびに上がるようにもなっており。そうなると、どうしたって…主家の直系にして飛び抜けた運動能力を持ち、合気道そのものの技にも冴えたものを依然として見せている清十郎が有力視されているものの。本人はというと、相も変わらず…中学生時代から打ち込み出した"アメリカンフットボール"という、畑違いのスポーツにばかり熱中していて、なかなかその気を示してはくれない。身近にいる家族にすれば、その態度やら日々の様子などから、彼には合気道の世界へ関わるつもりなど毛頭ないらしいと重々判っているものの。時々、親戚筋の道場での指導や補佐などに駆り出される彼の実力のほどを見るにつけ、その腕を惜しむ人々からは未練がましい声も上がり続けており、そして…主家道場の次の師範という最高位の座に魅力を感じているクチの面々にしてみれば、微妙な立場にある清十郎の態度がはっきりしないものだから落ち着けないらしくって。

  「お前が進退をはっきりと表明しないのに焦れた奴だったってな。」

 血統というもともとの素養があって、さして鍛練を積まずとも実力のある者の余裕からだろうか、飄々として何も語らぬその泰然とした態度がいつもいつも腹立たしかったその上へ、何かというと親や周囲から彼と比較され、日頃からもあまり良い感情は持っていなかった。彼の真っ直ぐで強靭な眼差しは、中途半端な自分を見透かしているかのようで、至らない者であることを嘲り軽んじているようにさえ見えて。そんな卑屈さについ、魔が差した。彼と一緒にいた愛らしい少年は、もしかしたら…そんな彼が片手間にこなす合気道よりも大切に、真摯に接しているアメフトの世界の後輩さんではなかろうか。いつも乙に澄ました顔でいる彼に一泡吹かせるなら、そんな対象を手元に寄せた上で脅しすかせば効果は覿面
てきめんなのではなかろうか…。どす黒い思い込みがやがては実行に移されて。会合への手伝いに来た進家の居間、たまたま出しっ放しにされてあった彼の携帯電話から、最も使っているメールアドレスへと呼び出しのメールを打ってみたところが、やはりあの子が現れたものだから。それへと声を掛けて…あんな事件へと至ったらしい。

 「こんな危険も降りかかる身だと、どうして前以てチビに伝えておかなかった。」

 この男にも もしかすると非はないことなのかも知れないが、それでも…どうあっても許せないと感じている蛭魔であるらしい。何しろコトがコトだ。一歩間違えれば生死に関わったような一大事であり、今だって予断を許さない状態に変わりはない。まさかにこんな物騒な気配が傍らにあろうだなどと、誰しも思いもしないことだとはいえ、例えば携帯電話の放置など、進の不注意も重なったからこそ実際に起こってしまったのだという観もあり、

 「チビは大事な存在じゃねぇのか? だったら死ぬ気で守りやがれ。」

 その低い声音こそ、抑揚を押さえた淡々とした代物だったが、鋭く切れ上がった目許を尚のこと尖らせたその表情には、牙を剥き出しにした悪鬼を思わせるほどのただならぬ迫力があって。
「………。」
 そして、この青年がこうまで自分へと噛みついてくる背景やら心情やらが、進の側でも痛いほど判るのだろう。そうとは分かりにくい形ながらも、いつもいつも気に掛け、それこそ大切にして可愛がっている対象。弱みを拾ってはメモに書き付け、寄らば切るぞとそれをかざすことで…他人と必要以上に関わりを持ちたがらない蛭魔であるらしいのに。そんな彼にとっても大切なセナなのだということくらい、注意して見ていれば簡単に判る。乱暴で調子のいい人性に見せかけながら、その実は、奥が深くて繊細で優しい彼のこと。今回の事件にあって、我が身に受けたと同等な痛みや衝撃を覚えたに違いなく、そんな彼をこうまで激高させている。

  「…すまない。」

 それこそ色々な意味合いから詫びたいという気持ちが沸き起こり、自然と頭が下がった進だったのだが、

  「…っ。」

 蛭魔の胸中では様々に未整理なことが煮えていて、それこそ、そんな一本気の廉直さで均されるような感情の高まりではなかったらしく。これでは却って…理不尽な言い掛かりをつけた者へ真っ当な正直者が為す術なく平謝りしているような感触もして。何とも後味が悪いったらない。苦々しい想いを喉奥に感じつつ、細い眉をきりきりと吊り上げると、

  「…どうせ今はまだ意識も戻らねぇままだ。逢ったって意味はなかろうよ。」

 突き放すような言い方をした上で、最初の位置からじりとも動かない。無言のまま、暗に"中へは入れない"と示すこの態度だけは、崩すつもりがない蛭魔であるらしい。無論のこと、力づくになれば押し切れない相手ではないが、

  「………。」

 矢も盾もたまらず、ただ無事な姿を一目見たいと思い、此処へと足を運んだものの、今 あの少年に逢って、何が出来る、何が言えるかという逡巡もないではない。詫びて済むものではないのは勿論のこと、詰
なじられた揚げ句に今度こそ怖がられるのではないか、その身を遠ざけられてしまうのではないかと、そうと思うとこの男でも足が竦む。

  「………。」

 しばし、諦め悪くもその場に立ち尽くした進であったが、まじろぎもせずに睨んでくる蛭魔の眼力と気魄に今回は根負けして。小さく吐息をつくとそのまま踵を返した彼であったのだった。









            ◇



 窓の外、見慣れた大男が来たその道をそのまま戻って行くのを、少々複雑そうな顔で見送って。どこか悄然とした表情になっていた桜庭だったが、その窓の手前に当たる廊下へ…憮然とした顔つきのまま戻って来た蛭魔が、こちらへと視線を投げると。
「………。」
 くいっと、その細い顎をしゃくって見せたのへ。無表情なままにしたがって、控室から外へと出る。コトの次第への憤怒のままに、進へと咬みついた彼なのだろうことは、桜庭も予想していたし、
「…おい。」
 その進を追い返してもなお、依然としてどこか鋭い気概を背負ったまま、今にも…こちらの急所へ容赦なく深々と突き立ちそうな凶器を思わせる顔つきで、ジロリと睨みつける彼であることへも、どこかで納得していた桜庭だった。長い廊下には誰の気配もなく、無気質な静寂に塗り潰されたように静まり返っていて、

  「何でまた。あいつが此処を知ってたんだろうな。」

 低い声。疑問形でありながら、どこへも躱すことを許さないという重さを孕んだ、はっきりとした訊きようであり。
「係累のやらかしたこと、しかも奴に関わりの深いことだから、警察から連絡が行きはしたろう。詳細も説明されたろう。だが、この病院の所在までは知らせる必要のないことだし、俺からも高階さんを通じて、担当だった刑事さんへ"奴に絶対に伝えてくれるな"と言ってある。」
 なのに、どうして判ったんだろうなと。静かに訊かれたそれへと…桜庭もくっきりとした声音で応じていた。

  「ボクが知らせたからだよ。」

  「………っ。」

 そんな応じが返って来ると、判っていたからこそという反射にて。それは鋭く、しかもコツを心得た容赦のない平手打ちが、桜庭の頬へ ぱんという高い音を立てて放たれる。避けもせず、覚悟の上にて受け止めた感のあった桜庭は、反動からわずかに体を揺らしこそしたものの、自分を憎々しげに睨みつける蛭魔からの鋭い視線には、怖じけることなく。弾かれた顔を戻すと、こちらからも真っ直ぐな視線を突き返して見せた。
「妖一にとってのセナくんが大事な人だってことは重々判ってるし、進が関係して起きた事態だからって、妖一が臓腑
はらわたが煮えそうなくらい怒っているのも判る。…でもね。」
 自分もまた、今回の事態の経緯や背景は全て聞いた身だった桜庭だが、だからこそ…こればっかりは そのまま彼に おもねられることではないからと、はっきりと言い放つ。

  「あの二人が互いに心配し合ったり、相手に会いたいと思うのを、
   妨げたり邪魔したりする資格や権利は、少なくとも僕らにはないんだよ?」

 自分たちにとってだって大切な人だから、こんな事態が起こってしまったことへは少なからぬ衝撃を受けた。だから、傷ついてしまったのは彼だけではないと、これ以上、あの子を苛
さいなまないでと、自分たちだってつい思ってしまいもするのだけれど。彼らが互いに惹かれ合っているのを認めている以上、今回の事件も災禍も全てはただの付帯状況であり、本人たちの気持ちまで蹂躙したり制限したりは誰にも出来ない筈。こんな言いようはロマンチックな"幻想"や机上にのみ存在する"理想"かもしれないけれど、想いという代物自体も、その輪郭や温みや甘やかな微熱という部分は同じくらいに脆くて儚いもの。そんな切ないものと知りつつ、それでもこれまでは温かな理解を寄せていたものが、こんなことになったからと…ザッと目を覚ましたかのように冷然と突き放すだなんて。それこそ今の彼らを最も傷つける行為ではなかろうかと。

 "…いつもの妖一なら、ボクなんかが言い出さなくたって判ってる筈なのにね。"

 理性に冴えて、その上で、人による信条だのポリシーだのが様々にあるのだということ、合理主義者でありながら、けれど…繊細だったり複雑だったりする人の機微とか、懸命な人の微笑ましい努力の価値だとか。実は最も理解していて、懐ろ深くに受け止められるよう、いつだってさりげなく構えてもいる彼なのに。あの少年に関してだけは…自制が利かず、こんなにも端的で激しいまでの感情的になってしまう。それもまた、彼が繊細で感受性が豊かであればこその現れなのかも知れなくて。

  「…帰るね。」

 そんなつもりはないのだけれど、それでも…こっそりご注進などという行為を見せた以上、進の側の人間だと思われてもいることだろう。そんな存在が傍らにいても息が詰まるばかりだろうからと、踵を返しかかった桜庭の手を、

  「…っ。」

 少し冷たい指が、柔らかい感触の手のひらが捕まえる。咄嗟にだろうか、身を乗り出してまでして そうした金髪の彼は、

  「………。」

 半分ほどだけ身を返した桜庭からの、問い掛けるような柔らかな視線にあうと、だが、どこか困ったような表情になって視線を泳がせて。白い頬をうつむかせ、自分が捕まえた桜庭の手を見下ろし。それから…自分の白い手の中程に光った、金色の指輪に苦しげに瞳を細めて。

  「………此処に一緒に、居てくれ。」

 ぽつりと。そう呟いたのだった。




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  *理屈ばかりで説明してしまっていて、
   何ともまったく御見苦しい展開になってしまいまして。
   本当に芸のない奴でございます。
   こういうところも頑張って精進しないとなぁ…。

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